つぶやき

わたしの20年近く応援しているプロサッカーチームが下のカテゴリーに降格圏にいてなかなか勝てないでいるもどかしさの中で、重苦しいココロを抱えた毎日を送っています。それでなくても新しい変異を遂げた異生物感染がわたしの済んでいる地域でも爆発的に増えてしまって、1年前以上のココロの重さをもたらしています。

こんなとき、SNSはメンタルを一気に破壊します。見なければ良いことなのに、ついいつものくせでヒマに任せて見てしまう。SNS、特に不特定多数につぶやくTwitterなどは、こういうときには基本グチや批判しか書き込まれません。このむしゃくしゃする気持ちをはき出すために勝手につぶやける道具なのだから、それは当たり前。ところが、それを読んだ他人がそのことに腹を立てて、あるいはショックを受けて反応する・・・そもそも自分でフォローをしなければ耳には入らないはずなのに、フローしている人が「いいね」とすると、知らない人につぶやきが自分のスマホ画面に出てきてしまうのがSNSというもの。それが良いことであるときもあるのですが・・・。

新型コロナ感染に対する政府の対応が悪い、勝てないのに対処できないチームスタッフが悪い、などの批判だけでなく、オリンピック出場内定選手への誹謗や批判、「なんでおまえらだけ優遇される?」などのお門違いな怒りなど・・・まあ、面と向かって話すわけではないものだから言いたい放題のようです。こうなると、もはや、「読みたくなければ開けなければ良い」だけでは済まされない社会現象になってしまっていて、傍観者であるわたしのココロも痛いばかりです。基本、グチや批判や悪口だからつぶやくのであって、「良い」を意図的につぶやく人は少ないのが現実(わたしは前向きつぶやきぽい人を選んでフォローしてますが)。世のワイドショーの中味と同様です(褒め殺しの内容では視聴率が低迷するらしい)。

今、『スマホ脳』読んでいます。全く趣旨の違う話だけれど、”見たくなくても見てしまう”コミュニケーション媒体は、コミュニケーション障害の原因を作り出そうとしているのは間違いなさそうです。早く、明るい話題だけのつぶやきにあふれるSNSの世界が来るといいなあ。

 

 

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かかりつけ医の苦悩

新型コロナワクチン接種の予約段階で、日本中が混乱しています。わが家でも、87歳になる義母の予約を取るのに大騒動でした。Web予約を強く押し進めていたくせに、開けてみたら「かかりつけ医に直接電話連絡して予約してくれ」というメッセージ。そんなパターンがあるとは事前説明もなく、とにかくWebでという報道にマジメに従っていたために出遅れて、結局第一陣の予約は取れませんでした。

次の予約は次週月曜の朝だから、しばらく妻は有名アーチストのコンサートチケット予約をするかのように電話をかけ続けることになるのでしょう。それにしても、高齢者の予約でこれだけ右往左往しているのだからこれが若い人たちの番になったらほとんどパンク状態になるのは必至。先が思いやられます。

そんな中、できるだけ自分が受け持っているかかりつけの患者さんに便宜を図ってあげようと、開業医の皆さんは本当に苦慮しておられます。義母の通うクリニックでは「電話予約以外は一切受け付けません」ときっぱり意思表示していますが、早朝から並んで予約の順番取りしようと並ぶ皆さんのために、『予約のための予約』名簿を書かせるクリニックもあります。そうやって便宜を図ってあげたらあげたで、今度は前夜から並ぶとか、「電話だけ」と云っているのに無視して駆けつけて何とかゴリ押しさせようとするとか、「後れを取ってなるものか」とばかりにデマに振り回されております。そして、そんな騒動をテレビで流すものだから、全然関係ない地域の高齢者の皆さんまでもがさらに不安に駆られてかかりつけ医に問い合わせ電話をして日常診療を妨げることになる。

患者さんのために良かれと思って骨を折っている先生方に丸投げな行政には呆れるしか有りませんが、そもそもこんな国を挙げての施策なんて選挙以外では経験したこともないのですから、まともにできるはずもありません。最初の実験台になった医療関係者はまだ良いとして、次の実験台である高齢者はそれでなくても情報網がテレビか小さなコミュニティしかないので大変でしょう。しかも、後れを取れば取るほど仲間はずれにされそうで不安でたまらないはずです。そんなコミュニティにも参加してない独居の高齢者なんて一層遁世的になっていきそうな懸念もあります。「もう全部ネット予約しかさせません」と大都市圏の集団接種会場予約システムが開き直ってましたが、もうこの報道だけで、ネットなんて触ったこともない自分たちは捨てられるのか!と怒り心頭になる皆さんの姿が想像できます。

昨年のマスク不足の時に薬局に早朝から並んだ人たちは多くが高齢者の方々です。今回は、かかりつけの先生方が何とかしてあげようと(自分もまだ接種を受けていないのに)奮闘されておられますので、少なくともマスコミがこれ以上煽ることは自粛いただけないものでしょうか。

 

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自分で決めてください

巷を賑わせ、地球に住む全人類の中でも特に日本国民を悩ませているのが新型コロナワクチンの問題。まあ、新型コロナ感染自体でも有象無象、喧々囂々、専門家からそうでない人まで、又聞きの又聞きの人たちまで併せて、大騒ぎの様相ですのに・・・。

これまでのワクチン(不活化ワクチンや生ワクチンなど)と違い、新型コロナワクチンは”遺伝子をいじくる”という人類がいまだかつて踏み入れたことのないことを人類全体で人体実験しているようなものだから、今の騒動もある程度分かる気はします。でも、多くの一般国民にとっての問題は、ワクチンは打つべきか打たざるべきかの選択を今迫られているということにあります。じっくり様子をみる余裕がないのです。

「単なる感染症で大部分が無症状なのにどうして国を挙げて右往左往するのか、そもそもそんなものを指定伝染病にするからこんなことになるのだ、なのにテレビに出る医者は何も云わない。それは厚労省が保険医資格権限を牛耳っているから逆らえないのだ」とか、あるいは「遺伝子に向かって操作するワクチンは自己免疫をずっと刺激する物質を体内に打ち込むので、直後の副反応や血栓の問題よりもむしろ5年後10年後に免疫系の難病が誘起されたり生まれてくる子どもに奇形が生じたりする危険性があるのが問題なのだ」とか、地上波では封印されている諸説がSNSやYoutubeを通してかなり飛び交っています。一方で、今をどう凌ぐかが急務な現状で、ワクチン接種を受けることが正義・・・接種を受けていない人は公共施設に入れないとかお店やホテルを利用できないとか、あるいは海外渡航を許さないとか、そんな差別も生まれそうな勢いです。生活や金が絡んでいますから、この両極端の意見はあちこちで大喧嘩を引き起こしそうな雰囲気になっています。

「どっちが本当なんか?」と怒り心頭な皆さま、アカデミックな世界と無縁になった偽医者のわたしが云うのもおこがましいですが、たぶん、正解は誰も知りません。なぜなら、誰も経験したことがないからです。専門家と称する方々も、今までの自分の経験と知識に基づいて意見を主張しているに過ぎません。残念ながら、この地球規模の人体実験は10年、20年の長さで検証しない限り答は出ないのであります。だから、結局「今どうするか」はその判断材料になる知識があるかないかに関わらず、まったくの自己責任の領域だということになります。「正確な情報が少なすぎて、素人にそんな判定なんてできないよ」と叫んでも無駄です。自分で考えて、自分で決めてください。

 

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異常気象

わたしの住む熊本では、昨夜半から雨が降りました。もっと大雨になるのかと思ったら、前線が思ったほど南から上がってこなかったからシトシト雨程度で終わりました。明日も大雨予想から曇り予想(ヘタすると晴れるかも)に変わりました。多分その理由は、昨日早々に南九州が梅雨入りしたことに関係しているように思います。「梅雨入り?」・・・空耳かと思って何度も確認しました。まだ5月の半ば、やっとゴールデンウイークが明けたばかりです。先日の沖縄の梅雨入りもエラい早いなと思ったばかりなのに・・・ということは、5月のうちにわたしの住む九州北部も梅雨入りするのでしょうか。

梅雨入りすること自体にはさほど抵抗はないのですが、最近の梅雨前線は強力かつ居座るから、線状降水帯の猛威でまた昨年の人吉の豪雨のような一晩で街一つ押し流してしまうような災害が起きるのではないかと不安になります。この早い梅雨入りは、今年は梅雨が長くて激しいということなのでしょうか? それとも早々に梅雨明けして、長くて激しい猛暑になるということなのでしょうか? どっちも地獄だけど・・・。

「現代の最新技術で何とかならないものなのかしら」と昨日一緒に散歩していた妻がぽつりとつぶやきましたが、これはずっと警鐘を鳴らされ続けても無視し続けてきた人類の責任だから、やはりむずかしいでしょうねぇ。

 

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歯周病と高血圧症

高血圧予防には歯磨きを

配信されてきたCare Net 2021/05/10号によると、英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)イーストマン歯科研究所のFrancesco D'Aiuto氏らの研究で、重度の(歯の50%以上に歯肉感染が認められる)歯周病のある成人250人(歯周病群)と、歯周病のない250人(対照群)で検討したところ、「重度の歯周病がある人は、高血圧の発症リスクが大幅に高くなる可能性があることが分かった」そうです(Hypertension 2021.3.29掲載)。

結果としては理解できるし、「歯周病菌が歯肉にダメージを与え、高血圧を含む全身性疾患の発症に影響する炎症反応を引き起こす可能性を示すものだ」というのもよく分かります。歯周病が血管炎症を引き起こし、心筋梗塞などの重篤な病気を引き起こすことは以前から知られています。高血圧症治療中のわたしも、実は子どもの頃から歯磨き習慣があまり徹底されていない人間の一人なので、自らを律するためにも刺激的な報告でした。

ただ、この報告の片手落ちなところは、その重度の歯周病患者さんにきっちりと治療をしたら高血圧が改善したのかどうかという検討が書かれていないところでしょうか。2年前に長期間かけて歯周病(まあ軽度ではありましたが)治療を受けたわたしの実体験からすると、治療前と治療後で血圧の変化、あるいは降圧剤の効果に差があったという実感はありません(もっとも、歯周病と高血圧症の関連という意識で自己観察はしていませんが)。行動変容を促すためには、歯周病予防だけではなく、即治療することが重要だというエビデンスを示してもらえたらいいなと、思った次第です。
 

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「ちょっと高め」という云い方

血圧とか血糖とか、むかしからよく「ちょっと高め」という云い方をします。地域の保健師さんが最初に言い始めたのかもしれません。「血圧が150、ちょっと高めだから注意しましょうね」とか「血糖が120、ちょっと高いから食事の注意をしましょう」とか。予防医療の世界に入ってきたときに、「なんじゃ、その云い方は?」とイラッとしたものです。血圧150は”高め”じゃなくて『高血圧症』でしょ。血糖120なんてほとんど『糖尿病』でしょ。どうしてそんな生温い云い方するの?と。「まだクスリを飲むほどじゃなくて、食事や運動で対処すれば改善する可能性もある時期だから」と当時の保健師さんは苦笑いしながら答えていました。当時は、生活療法は”治療”ではないという風潮がありましたからね。でも、明らかに”病気”の定義に当てはまるのだから、「高め」の表現は間違いだと思いますけどね。

彼女たちに云わせると、「病名はつくけどまだ低い方だからあまり強く云わない方がいい」と思うとのこと。イメージ的に、『病気の中で低い方の人』と『まだ病気じゃないけど高い方の人』という境目界隈の人たちを一緒に考えている印象がありますが、この二つは『似て非なるモノ』の典型です。どうしてわざわざその間に大きな線引きをしたのか・・・それはそこには大きな差があるからです。特定健診で、正常の中に『正常高値』の概念を作ったのは、そのレベルを超えたら”治療”の域に入り込んでしまうということを明確に知らしめすためです。ここの部分はとても大事な領域なのだから、現場の医療従事者は決して曖昧に考えていてはいけないと強く思います。

境界領域を、「まだ病気ではないけど今がんばらないと危ない」と考えるか「ほぼ病気だけど軽いから今を維持するのが大事」と考えるか、あるいは「管理が不十分なダメ状態」と考えるか「とても良い治療中の状態」と考えるか、同じようなものでも当事者のモチベーションはまったく違うものです。だからわたしは判定基準にかかわらず、境目界隈の人には常に後者の考え方を薦めることにしているのです。

 

 

 

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退屈な毎日

今年のゴールデンウィーク、わたしは8連休でした(3月までに未使用だった振替休日もフルにいただいて)。残念ながら、日本中の新コロ禍の影響、特にわたしの住む熊本県独自の緊急事態宣言下において、予定していた遠出もすべて取りやめとなり、基本的にすっかり巣ごもり生活の8日間でした。まあ、昨年は巣ごもり9連休でしたから、今年が特別なわけではありません。

そんな休みの最終日、所用を済ませてからずっと家に居ましたから、うちの愛犬の1日を眺めていました。朝5時45~55分になったら目覚まし時計代わりに「ワンワン(起きろ~)!」と吠え始めるところから1日が始まり、おしっこしたら朝飯。いつも変わらぬ安定のドッグフード。普通なら朝7時には出て行く父さん(=わたし)が朝から散歩がてら一緒に連れ出してくれる。でも、その後、夕方の散歩まで何もすることがない。お母さんは静かに仕事(家でキャンドル作り)しているし、他の家族は居ないし、郵便屋さんや運送屋さん以外にお客さんも来ない。ついついうたた寝もしてしまうし、刺激もないからつい居眠りしてしまう。もともと、牧羊犬として生まれてきたカラダなのだから、本来なら一日中でも走り回っていたいはずなのに。昼下がりに、玄関のタイルの上でつまらなそうにうつぶせになっている愛犬の脇によってカラダを撫でてみました。尻尾は振るので嬉しいのだろうけれど、半端に戸惑っている風でもある。一旦庭に出すとそのまま帰って来ずに外にずっと居ようとするのも分かる気がする。

そんな彼女を見ていたら、わたしも定年退職後にはこんな穏やかだけど超退屈な毎日になるのだろうなと思うとちょっと憂うつになりました。そりゃ、呆けるわ。働かせていただけている今の生活の幸せを噛みしめております。そして、けだるそうに上目遣いでわたしを眺めながら力なく尻尾を振る老犬が愛おしくてたまらなくなりました。

 

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上から見ても見えないモノ

このゴールデンウィーク、草刈り日和でわたしには超パラダイスでした。そして、いつものように独り哲学の時間。

草が伸びてきた庭の中にちょっと気になる細くて丈の高い草が散在しています。細い茎の先っちょには小さなピンク色の花が咲いています。この草は実家の墓にもよく咲いています。この草、実は近づいて横から眺めないと実態がよく掴めません。上から眺めると周りの草に同化して見えなくなるのです。地面に這いつくばって1本1本抜くしかありません。それでもすぐに見失います。反対側に座ってみると抜き残していることに気付いたりします。こんなにたくさん生えているのに1本も見えないことは、驚異でありショックなことです。

これは、わたしの草取りの間中横で佇んでいた愛犬の目からはいつも見えているのだろうなと思います。そんなことを考えながら学んだことは、物事には上から俯瞰で眺めていても見えないモノがたくさんあるのだろうということ。見ているつもりでまったく見えていないことがたくさんあるのだろう。そして、いつもそんな心づもりで物事を眺めておかないととても大切なモノを見落とすことが意外に多いだろうということ。

愛犬と散歩しているといつも思うのですが、彼女の目に映る風景はわたしのそれとは全く違うだろうと思います。彼女の知らない世界があるのと同じ数だけわたしの知らない世界がある・・・ときどき地面に近づいて(しゃがむだけでいいから)眺めてみると、他人の知らないであろうことをこっそり知ることができるだろうことをわたしは知っています。

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マスクは苦しいモノ

「変異型の新型コロナはマスクしていても感染する」・・・テレビで毎日のように云っています。

1年前には「マスクはきちんとはめて毎回替えないと意味がない」と専門家が警鐘を鳴らしていて、「そこまでうるさいこと云ってもそもそも現品が品切れなんだからしょうがないんじゃない?」と引いていたこともあったけれど、マスクすること自体は日本人の常識になってきました。でも、いつの間にか『マスクをしている』が免罪符になってきていますまいか。

そもそも感染症に対して、「マスクしていたら感染しない」は間違いです。「きちんとマスクをしていたら・・・」が正解。この「きちんと」はかなり辛い。ウチの職場では仕事柄不織布マスクを適宜配布されて使っていますが、いろいろな会社のモノが混在して配給されます。ここ1ヶ月くらい使っているマスクは、正直辛い。なぜなら本当に密着して装着されるから。4階の診察室まで階段を上るだけで息切れします。普通にメガネかけても全く曇ることはありません。そう、「これが本当のマスク装着なんだよな」と実感して以降は、かえってその前に使っていたレベルのユルユルのマスクが怖くてたまらなくなりました。世間の皆さんが「マスクしているから」と云いながら(特に子どもたちや学生たちは)鼻マスク・あごマスクが多いのは論外だとして、「苦しいくてやってられない」とばかりにユルユルの不織布マスクやウレタンマスクをしている限り、「それはマスクではない」と云い切るしかありません。マスクは装着して苦しくなるモノ。呼吸をする度に膨らんだり凹んだりパコパコするモノ・・・それに慣れていくしかないのであります。

「マスクしているから大丈夫」とばかりに車座になって近くの公園で大笑いして大騒動している若い子たち見ていると、感染拡大は別に変異株の感染力が高いからではない気がします。アクリル板でパーテーションしているからといってついつい大声で話しているのは、もしやテレビのバラエティー番組やニュースコメンテーターの影響ではないかと思います。テレビ出演者はマスクすることなく大声でとなりにいる人と話をしていますから、「ここまではOKなんじゃないか」と勘違いする気がしますね。

ま、「マスクしていたのに感染した」は「きちんとマスクしていなかったから感染した可能性がある」と考えた方がいいのかもしれませんね。

 

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何が目的なのか

昨年の9連休ほどではないけれど、今年のゴールデンウイークのわたしは8連休(4/29~5/6)で1日出勤して5/8~5/9も休み。

例によって仕事を忘れる忘れないの前に、職場のパソコン立ち上げのパスワード何だったかちょっと自信がないというのがゴールデンウイーク明けのわたしの”あるある”です。

休み中はブログアップは完全休止する予定でしたが、何も考えないとアタマが溶けていきそうな気がして(まあ毎日酒飲みすぎていることの方が原因かもしれないけれど)何か書いてみようと思いました。

グチや批判は書かないようにしているブログではありますが、ちょっと気になるので独り言をば。

大都市の新型コロナ感染者急増に伴って、緊急事態宣言が出され、各首長が「ゴールデンウイークは移動しないでほしい。都府県外に行かないでほしい、都府県外から来ないでほしい」と毎日云っている、異常な日々。そんなゴールデンウイークがもうすぐ終わろうとしていますが、巣ごもりしてテレビを点けるとどのテレビ局のニュースもワイドショーも例によって各行楽地や繁華街の人出の様子を報じ、高速道路の渋滞状況を外からのLIVE映像で見せています。「あれだけお願いしていたのにこんな有様です」と云いた気な構成です。自治体が自粛をうながす海岸や河川敷でBBQする若者にインタビューで煽って半ギレされる画像を流したり・・・。

これは何が目的なのでしょう? これを見ている視聴者は家の中に巣ごもりしている人たち。これに出ている人たちはテレビなんか見ないで外に出ている人たち。となると、これを流して自粛せずに外に出ている人たちに反省をうながしているわけではなさそうです。「なんだ、オレは我慢しているのに」と巣ごもり組に怒らせるのが目的なのでしょうか。それとも、これを流しながらコメンテーターやMCと一緒に批判し合うことを楽しむことが目的なのかしら。「事実を事実として伝えているだけだ」と云いながら、これを流して愚行を見世物にする方が視聴率が上げられそうだからという下世話な理由じゃないんでしょうね、まさか。

報道陣が来ようが来まいが彼らの行動に差はないのだから、抑制効果はたぶんない。だったら全部無視するわけにはいかないのでしょうか。我慢を続けているわたしたちの精神的苦痛を和らげるにはそれが一番だと思うのですが。

 

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腎臓機能と水分摂取

eGFRが導入されて以来、腎機能低下に対する一般市民の意識は高くなってきました。これまで腎臓はかなり悪くなるまで放ったらかしていることが多かったからこの風潮は喜ばしいことですし、そもそもそれが目的だったのでそれでいいのですが、CKD(慢性腎臓病)中等度というレベルはあくまでも食事や生活面での注意を促すレベルの状態ですから、一番重要な位置に居るのが栄養士さんや保健師さんだといえます。

先日、わたしが担当している受診者さんで徐々に腎機能が低下していた方が今年さらに低下していたので、外来受診を勧めました。透析の要否を相談したかったわけではありません。今の状態での日常生活や食生活への具体的なアドバイスがほしかったからです。でも、結局外来では、「あまり問題はない(たぶん腎臓自体の病気がなく透析もまだ必要ないということを云ったのだと思われる)から今後も健診で経過を見てください」と云われたそうです。後は、「塩分制限ことを強く指示された」とも。

栄養士さんも保健師さんも、腎臓と云えば必ず「塩分制限」を強調します。でも、意外に水分摂取のことには深入りしません。eGFRにすぐに影響を与えるのは脱水だということは医療従事者なら誰でも知っていることだと思うのですが・・・。腎臓はフィルター構造ですから、しっかり濾過できるだけの十分な水に浸されないと網目が詰まって機能が低下します。夏場に水分を摂らずに急性腎不全を起こす高齢者は思いのほか多いのです。

くだんの受診者さんも、どうも「腎臓が悪い人は水分を取り過ぎてはいけない」と思い込んでいる節があります。人工透析をしていた亡き旦那さんがそうだったからのようです。今の状態はむしろ水分を意図的に摂るべき時期だと思うけれど、具体的にどの程度の水分摂取が妥当なのかを専門家から指示してもらいたくて紹介したのですが、その意図が汲み取られることはありませんでした。残念です。

「栄養士さんは、食べ物の内容や摂り方についてはものすごく詳しく指導してくれるけど、水分のことはほとんど触れないもんね」・・・むかし看護師をしていた妻がボソッと呟きました。栄養素の概念の中に「水分」ってないのかしら。料理作るときには「水少々」とか「カップ一杯分」とか云うじゃないですか。「おいしくできるかどうかは水分量が決め手です」って。

 

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中年期のモチベーション

中年期に運動と食事を改善すると人生後半は健康に 肥満・メタボは体重を3%減らしただけでも改善

”中年期に運動療法と食事療法の両方を実行していると、年齢を重ねてから、心筋梗塞や脳卒中などの心血管疾患を予防できることが、米国心臓学会(AHA)などの研究で明らかになった。体重を3%減らしただけでも、肥満・メタボは改善する。早い時期から運動と食事の改善に取り組むことが、人生の後半に大きな成果につながる”(保健指導リソースガイド20210420日配信版)

「人生の早い時期から、健康的な食事をとり、運動を習慣として続け、生活スタイルを健康的に変えていくと、年齢を重ねてから心筋梗塞や脳卒中などのリスクを低下させることにつながります」(米ボストン大学医学部予防医学・疫学部のヴァネッサ ザンタキス氏)

「将来に健康障害が起こる危険性を回避するために、早い時期から食事や運動に取り組んで、体のコンデションを良くしておくことが大切です」

「運動と食事の両方を改善すると、人生の後半になって心血管疾患の発症リスクが低下することが示されました。運動療法のみを実行していた人でも、それに食事療法が合わさることで、心血管疾患のリスクはさらに低下していきました」

「ヘルスケアの専門家は、食事療法と運動療法を両方行うことが重要であることを患者に強調して、個々に合わせてアドバイスをできるようにすることが望まれます」

こういう生活療法に関する研究データを読みながら、最近どうしてもこれらを深読みしたり日々の指導の材料にしたりする気になれないのは、中年期まで生活習慣病の対応で苦慮している人たちにこんなデータを示してもモチベーションを上げる材料にならないのではないかと感じるからです。「やれば必ず良くなるよ」「大それたことをするのでなくちょっとした取り組みで良くなるよ」と言いたいのかも知れないけれど、「それができれば苦労はない」のですよ。

たとえば、体重75kgの人の場合、体重の3%は2.3kgだ。それくらいであれば、食事と運動を工夫すれば、実行するのは難しくないのではないだろうかと最後に考察して締めくくった筆者は、きっと日頃からテキパキ実行できているかあるいはそんなことを考える必要もない若い人か・・・そんな気がしますなぁ。

 

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卒煙

人間ドックの胸部レントゲン写真の読影をしながら、問診を読むと『禁煙』の文字が目に付きます。『禁煙の意志なし』とか『禁煙したが再喫煙』とか・・・なんか知らんが急に『禁煙』の単語が気になってしょうがなくなりました。

わたしがタバコを止めたのは10年前くらいらしい。”らしい”というのは、止める日のXデーがあったわけではないから記憶が曖昧(覚えていてもしょうがないことですし)で、職員健診のときの過去の問診記録にそう書かれていたからです(もっとも、その数字も本当は余り当てになりませんが)。そんなことはどうでもいいとして、健康志向など微塵もなく止める気などさらさらなかった私が喫煙を止めたのは、カラダが受け付けなくなったから(吸った翌朝にものすごく胃の調子が悪くなってムカムカするし、吸ってもちっとも味がしなくなったから)です。何を云いたいのかというと、わたしのタバコは『禁煙』なのか『卒煙』なのかと云えば、たぶん『卒煙』なのではないかということです。臨床現場では同じことだという空気ですが、当事者にとっては全然違うことだと云う気がします。

「『卒煙』はポジティブにタバコをやめるため、今までの喫煙経験をやみくもに否定しない、という意味が含まれているそうです」と、どこぞのドクターのエッセーに書かれていましたが、たしかに、『禁』は『禁止』の禁ですから、どうしても強制的に止めさせられた感がありますが、『卒』は『卒業』の卒ですから、能動的におさらばした感じがします。止めたくはないけど周りが止めろと云うし、健康に悪いと白い眼で見られるからしょうがなく止める感じの『禁煙』は、だから、昔愛し合った愛人のことが忘れられずにふとしたことで再会したらまた離れられなくなる印象が払拭できないのかもしれません。

この際、正式な医学用語を『禁煙』から『卒煙』に全面的に改定したらいいのに、とか思っている次第です。

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ペーパーレスの弊害

昨日のタブレット授業の話題で思い出したこと。

先日、職場のスケジュール表に間違いが多く、書き直すのに凹んでいる事務スタッフの方がいたので、むかし、ここで紹介した記事のことを教えてあげました(『紙とディスプレイの違い』2016.9.24)。

これは、紙に印刷して読むときには脳生理学的に「分析モード」、心理的には「批判モード」に切り替わるのに対して、ディスプレイの文字を読むときはパターン認識モード、くつろぎモードに切り替わる・・・つまり、大まかな情報のパターンや流れを把握する時にはディスプレイが向いているけれど、集中を要する細かい作業を行う時(あるいは間違いをチェックする時)には紙媒体が向いている 、というものです。だから、ディスプレイでは大量の情報を全体的に把握するのには優れているけれど 、ディスプレイの文字で読んでいると間違いを見落としやすいというのは避けられない脳の機能なのだということです。

最近はペーパーレスの風潮に加速度が増し、紙に書かれた書類が極端に減っています。紙のコスト削減と資料の管理の問題がかかっているようなのですが、そうなると文章の間違いや誤字脱字が一層増えることは間違いありません。パソコンなどで発表された公文書の類いに最近誤字が多いのはそれが原因なのだろうことは想像が付きますが、さてその一方で、文章自体は一向に読みやすくなっていない(長ったらしい文章は相変わらず昔ながらの理解しにくい表現のまま)。よほどの悪文なのでしょう。これは、書く人間の猛省を求めます!(笑)だって、こんなことが続くと日本語の劣化に歯止めが利きませんもの。

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近視児童の急増

朝のテレビで、最近、小中学生の近視の比率が急増していることが問題になっていると報じていて、その大きな原因がタブレットやパソコンによる授業なのだと云っていました。今や小学生の3割、中学生の半数以上が近視なのだそうです。パソコンやタブレットを使った授業で子どもたちが目を酷使するのが原因だというのです。取材に応じた校長先生は「画面の明るさには十分留意して子どもたちの眼に最適な明るさを選んでいます」と強調されていました。新型コロナ時代のオンライン授業で拍車がかかり、「リモート授業のために各自でWiFi環境を整えろ!」と学校から云われてわざわざパソコンやルーターを買いに行った家庭も少なくなかったと聞いています。

昔は薄暗い部屋で本を読むから目が悪くなるのだと云われてきましたが、それは紙媒体の反射光だからであって、今の時代はスマホやタブレットなど、自らが光を発するから暗闇で読んでも眼は悪くならないとか。だから、明るすぎるのどうのというところが論点になっているのでしょうか。

でも、子どもたちが近視になっている理由は、単にパソコンやスマホ画面を見ることによる眼精疲労ではなくて、遠くを見る機会が減ったからに他ならないでしょう。黒板を見てノートに写して、それをするだけでも遠近の眼筋調整は行えます。それすら無くなって、机上の小さな画面を見るだけですべてが完結するわけで、遠くを見るとしてもせいぜい家でテレビを見ることくらい(狭い家だからそう遠くもないか)。コロナ禍でなくても外で遊ぶことは奨励されず、そもそも家でゲームしている方が楽しいのだからこれ幸いと引きこもる子どもたちの眼は、悪くなる一方に決まっています。以前ここで書いたように、慶應大学の研究によると近視を予防するバイオレットライトが窓ガラスでほとんど遮断されてしまい、直接日光を浴びないとその恩恵を受けないそうだから、これもまた最近の児童の近視化を助長しているのだろうと思います。

まあ、サバンナの原住民のように猛獣の襲撃を早めに察知しなければならない状況にはならないだろうし、今後遠くが見えなくて困るのは車の運転くらいのもの。今の若い子たちの眼が徐々に進化(退化?)して近視だらけになっても特に困らないし、車だって自動運転になれば見えなくても問題ない。遠くのきれいな景色がリアルに見て感動できなくなるのはかわいそうですが、きっとそんなものもバーチャル画像で見るようになるのでしょうか。

 

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適切な日本語訳がない

昨日書いた『スティグマ』や『アドボカシー』もそうですが、『アドヒアランス(遵守?)』『コンプライアンス』『インフォームドコンセント(説明と同意)』などの医学用語だけでなく、あらゆる分野で外来語が普通に横行しています。それ、わざわざ使わなきゃいけないの? 日本語では何が悪いの?というものも多く、そんな単語を普通に使っている若い連中をみていると異星人にしか見えません。

『アドボカシー』は直訳では”権利擁護”なのだそうですが、実は日本語に訳す適切な単語がないのだそうです。 適切な日本語訳がないものは他にもたくさんあります。『ダイバーシティ』とかもそうです。「適切な日本語訳がない」ということは、つまり日本にその概念が存在しなかったからに他なりません。その理由は大きく分けて2つあるように思います。

ひとつは、「日本人はそんな単語を使わなくとも、遠いむかしから無意識のうちにちゃんとやってきた当たり前のこと」だから。そしてもうひとつは、「封建的で父権主義(これを『パターナリズム』というらしい)の教育のもと、そんな考え方をする必要がなかった」から。前者であってほしい気がするけれど、どうも後者の色合いの方が強い気がします。「差別をしない社会を目指しましょう」という運動があること自体がそれを物語っている感じです。

社会的弱者に対して、日本にはむかしから社会全体で守るという習慣がありました。意識しなくても足の不自由な人や視力の弱い人を見たら手を貸し、お年寄りを見たら手助けす・・・それが欧米化して個人主義的概念が間違って入ってきたモノだからおかしくなってきたのではないか、とは思います。でも一方で、「あそこは部落の出身だ」「家が貧乏で汚いから一緒に遊ぶな」・・・そんな仲間はずれを強要する教育も行われてきたのが日本です。子どもたちはみんな平等に一緒に遊んでいるのに、親たちが引き裂いていく、そんな時代がありました。そんな明と暗の歴史の中で、この日本語訳できない考え方(概念)は定着するのだろうかという懸念はあります。

それが、こんな外来語を定着させて変えさせようとしているのはよく分かるのですが、こんな聞き慣れない単語を理解して自分のものにできるのはたぶん私たち以上の年齢の者たちには難しいことです。そうなると、この単語の意味を定着させることよりも、単語の意味自体を習慣として定着させねばなりません。そうでなければ、おそらくすぐに使わなくなる。そして、「ああしなさい」「こうすべきです」的シツケの儚いところは、単なるハウツーがどこかマナー指導のような感覚でココロが伴わない部分があることです。

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スティグマとアドボカシー

Medical Tribuneのweb講演会で、『糖尿病治療Update~最近の知見を含めて~』(虎の門病院の門脇孝先生)と『新型コロナウイルス状況下での糖尿病治療』(関西電力病院の清野裕先生)の講演を視聴しました。

その中で、日本糖尿病協会長をしている清野裕先生の話に出てきた『スティグマ(Stigma)』と『アドボカシー(Advocacy)』の問題はしっかり抑えておかなければならないと痛感しました。どちらも、ここ数年あちこちの学会や記事などでみかけるようになりましたが、現場の医療者ですらこの単語を見たことも聞いたこともない人が大多数なのではないでしょうか。

『スティグマ(Stigma)』:恥・不信用のしるし・不名誉な烙印~ある特定の属性に所属する人に対して否定的な価値を付与すること
『アドボカシー(Advocacy)』:権利擁護~患者の権利を守るために組織、社会、行政、立法に対して主張、代弁、提言を行うこと

単語の定義をこう書いていましたが・・・何のことかわかりますか?ここがさっぱり理解できない定義だから皆さんに広まらないのではないかと思います。糖尿病の場合は、糖尿病だというだけで生命保険に入れない、住宅ローンに加入できない、怠け者のように思われるなどがスティグマです・・・そんなレッテルを貼られて最終的に社会的地位を失われて差別が生じるのだそうです。これに加えて新型コロナの時代の糖尿病患者さんに対して、「重症化しやすいのだから外に出るな」「糖尿病患者が重症化するから医療が逼迫する」「自己管理のできない糖尿病患者にワクチンなんか優先的に接種させるな」とまで云われるようになっていると清野先生は懸念しています。スティグマはそんな社会の心ない人たちの目だけでなく、医療従事者が患者に与えるスティグマもあると云われていました。「糖尿病が悪化しているのになぜ放っていたのか」「ちゃんとやらないと命を落とすよ」などと主治医に云われて、モチベーションを落としてしまっているマジメな患者さんがいるという事実を医療者はちゃんと自覚すべき、と。清野先生が「糖尿病患者さんは糖尿病の治療をするために生きているのではありません。自分のやりたいことをするために糖尿病の治療をしているのですから」と強調していたことに強く同意します。

アドボカシーというのは、患者さんを守ってあげる視点で「患者さんが自己管理に安心して取り組み、健康で自分らしい生活を維持する権利を守るための活動に積極的に貢献する必要がある」という医療者としての意識教育が必要なのでしょう。わたしの感覚では、そんな当たり前のこと(2型糖尿病は体質の病気だということ)を医者や看護師(少なくとも昔の教育を受けた人たちではない)が分ってないことが不思議でしかありませんが。

 

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『ハウツー』

定期のコラムが発行されました。今回は三部作にしました。『ハウツー』『進化論』『自然体』・・・のつもりですが、どうなるかしら。

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『ハウツー』・・・ウィズ生活習慣病(1)

 

「『早足で歩く』これが一番。これだけ言っておけば運動指導は大丈夫だ!」
「食べるのが早すぎるよね。量も多い。時間をかけてゆっくり食べるべきだね!」

以前参加した研修会の事例検討会で、あるドクターが自信ありげにそう語るのを聞きながら、前に同僚が同じことを言っていたのを思い出しました。「運動と食事を注意すれば生活習慣病は改善する」・・・誰でも知っていることを得意げに話していますが、問題はその先・・・分かっていてもできないから、どうする?というところで皆が頭を抱えているのです。「それは保健師さんの仕事だ」と言って逃げる医者では頼りになりません。その点、保健師さんや管理栄養士さんは知識が豊富です。前出の研修会でも様々なアイデアが出されました。「デザートにアイスクリームは欠かせない」という人には「アイスキャンデーやかき氷に換えればカロリーが格段に減る」とか、「出張先でついファストフードの店に行ってしまう」なら「郷土料理の店を探すと楽しい」とか、「運動嫌いな人にはヨガを勧めてみよう」とか、「30回噛ませたら健診結果が良くなった」とか。

そんな話を聞きながら天邪鬼な私はそっと首をかしげます。アイスクリームを食べたい人は別に冷たいお菓子なら何でもいいわけではないし、面倒くさくてファストフードを選ぶ人が独りで郷土料理屋なんか入らないし、運動したくないのにヨガをするとは思えない。毎回数なんか数えていたらちっとも味わえない・・・専門家は意外に自分では実践しません。学会や研究会に行くと会場を行き来するエスカレーターやエレベーターには長蛇の列なのにその横にある階段はスカスカだったりします。他人には「運動しろ」と言いながら自分では楽な方法を探してしまう人たちのアドバイスはどこか他人事で、到底当事者の苦悩は理解できまいとこっそり同業者をディスっている私です(笑) 私は「自分ならどうする?」と考えることにしています。食べたいアイスクリームをガリガリ君に換えるよりデザートの分だけメインを減らす方が堂々と食べられるのではないか、出張先のファストフードはもうひと区画離れた場所の店舗に行って買ったら罪悪感が薄れないか・・・大したことでなくても、自分だけの達成感は得られます。

専門家の知識は普遍的ですが、それが自分に活かせるかどうかは分りません。他人が成功した方法で自分も成功する確率は決して高くありません。「必ず上手くいく方法がないならしない」という人は、きっとずっと何もしないでしょう。行動変容に王道はありません。どうぞ、自分なりに試して自分だけのレシピを見つけてください。私にもそのレシピがありますが、決して他人には教えません。どうせ、自分だけに効く魔法ですから。 

 

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「正解はいつもひとつ」ではない

むかし、ここで『カギをかけるか開けるか』(2008.5.20)という話を書きました。カギっ子のわたしは学校から帰ったら外から泥棒が入ってこない様に家中のカギをかけて回るのに、後から帰って来た4歳違いの姉は泥棒が侵入してきてもすぐに逃げられるようにわたしがかけて回った家中のカギを開けて回りました。『全く同じ事に対しても発想の仕方には真逆の考え方が存在することを子どもながらに知りました』と書きましたが、世の中にはこのようなことはたくさんあることを知っています。

「真実はいつもひとつ」というのは某アニメの主人公探偵の決め台詞ですが、本当はそうではありません。医学の世界でも、常識と思われてきたことには必ずアンチの考え方が存在することを何度かここにも書いてきました(『定説には必ず逆説がある』2008.2.21)。高血圧の治療や脂質異常の治療ですら、すべきかすべきでないかという全く逆の話に答えが出ていないのです。

自分の考え方に対して、その逆の考え方があることをいつも知っておくことは大事です。自分の考え方を否定されるようなことは少なくありません。そんな時、そのアンチの意見を聞きたくないと、それを無視するかあるいはその意見の間違いや矛盾点を見つけ出そうとします。自分に自信があればあるほど、自分の考え方以外は全部間違いだ(自分の考え方がベストだ)という思いに成りがちで、そうなると視野はどんどん狭くなるのが常です。わたしもむかしものすごく尖っていた頃、自分の考え方がすべて正しいと信じていた時期があります。「どうして、こんな当たり前のことができない?」と周りを責めていたものです。最近は変わってきました。恩師に諭されたからというのもあります(『恩師の遺言』2008.2.18)し、自分に自信がなくなってきたからというのもありますが、ふと、あの子どもの頃の姉の考え方のことを思い出したからなのではないかと思っています。「へー、そんな考え方もあるんだ。よくもまあ、そんな発想ができるなあ。スゴいな~!」と驚いて感動できる余裕、忘れていました。凝り固まった年寄りのアタマには想像だにできなかったような柔軟な発想がどんどんできていく若者たちの考え方に最近はいつも感服するばかりです。

いまさらながら、「アンチの発想って面白いな」と思うことしきりです。

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プライド

隣に住む義母がフラフラしながら愛犬の散歩をしていました。なぜなのかは知っています。先日消化器内科を定期受診した時にエコーで大腸に塊が見えたとのことで、金曜に大腸ファイバー検査を受けるのです。だから2日前から低残渣食を食べています。「もう、私は朝からうどんとか豆腐とかしか食べてないから力が出なくてフラフラよ」・・・マジメに指示通りの食事を守っているのですが、さすがにもうすぐ87歳、もう少しアバウトに守れば良いんじゃない?と思うけど、口にするのは止めておきました。

これは、彼女のプライドですね。「すごいですね、とてもきれいに準備できていますね」と施行医に感心されたい。負けず嫌いといってもいいのかもしれません。「年寄りだからしょうがない」と云われるのがとにかく一番キライ。

それがアンチエイジングの秘訣なのかも知れませんが、でもフラフラして歩かねばならないほどにやらなくてもいいのではないかしら。大腸ファイバーは大腸CTと違ってある程度の残渣は吸い取ってもらえるし、洗浄液も十分奏効するはず。転んでケガをすることの方が心配な娘婿でありました。

で、今日、無事に検査が終わりました。結果は「異常なし」、とりあえず良ございました。

 

 

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人間ドックの日

日本人間ドック学会では、正式に7月12日を『人間ドックの日』に制定したらしいです。人間ドックを最初に組織的に行ったのが、1954年(昭和29年)7月12日、国立東京第一病院(現在の国立国際医療研究センター)だったことにちなんでいるようです。

人間ドックの『ドック』が船の点検修理をするあの”ドック”に由来している(船が長い航海のあと点検・修理のためにドックに入るように、人間も定期的にドックに入る必要がある、という考えから生まれた言葉)ことは有名なのでみなさんご存じでしょう。と、こんな仕事をしているから常識だと思っているけれど、意外に知られていないのかも。特に医療関係者は知らないような気がする。だって、『ドック』なのに『ドッグ』だと思っている人、医療関係者の方が一般の人より多いのではないかしら。

学会から紹介されたページに『日本記念日協会』のHPがありました。この中にある『新しく登録された記念日』見てると、なかなか面白い。よほど怪しいヤツじゃなかったら、金(1件15万円らしい)さえ払えばここに登録できるみたいです。

ところで、この人間ドックの日には何か特別なセレモニーがあるのかしら。記念日なのだから全国の人間ドック施設はこの日を祝祭日に設定してくれませんかね~。今年は月曜日ですし。

 

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ハナミズキを見上げる

昨日の雨が花散らしの雨になり、満開だったわが家のハナミズキの花びらが一気に散りました。今日はさらに北寄りの風が強くて花吹雪状態。有給休暇をいただいたので朝から竹箒を持ち出して汗だくで掃き掃除しました。もっとも、掃いている端から風で吹き飛んでくるし上からもハラハラと新しいのが落ちてくるし・・・ちょっとだけタメ息をつきながらも、ほどほどに任務完遂しました。

わが家の庭のハナミズキはキレイな濃いピンクで、東南の角にあるので道を歩く人も見上げて見惚れるほどの自慢の木です。花が咲くと、「キレイに咲きましたねー。毎年咲くのを楽しみにしてるんですよ」と声をかけてくれる人もいます。でも、「キレイですね。でも、これから花が散り始めると毎日掃くのがたいへんだ!」と心配してくれる人も(うちの義母ですが)。

そうですね。見惚れるほどに咲き誇る花にうっとりする人とこの時点ですでにその後の憂鬱を考える人・・・世の中には二種類の人がいますね。それは花に限りません。わたしは、どちらかというと後者でした。それがあるがためにココロから楽しめないことも多々ありました。物事をポジティブとネガティブに分けるなら、明らかに後者。でも、そうすることで、必ず襲ってくる憂鬱を迎え撃つココロの準備が出来るのです。わたしはキリギリスにはなれない性格、と。でも、そんなわたしも最近はちょっと変わってきた気がします。キレイに咲いたハナミズキを毎日家の二階から撮影してインスタグラムにアップしたり、木の下に佇んでひとしきり見上げたり、楽しんでいます。その後にやってくる憂鬱は必然のことですが、決してエンドレスではない(それは秋の落ち葉もそうです)ことが分っています。今、咲いている花の総数は変わらない(どんどん増えていくわけではない)のですから。

今日も風に翻弄される花びらを箒でちりとりに納めながら、「今年もココロを癒やしてくれて、ありがとうね」と独り言を口にする余裕がでてきました。自分が、感動すべきモノをココロから感動できるようになったことに、ちょっと満足しています。

 

 

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言い訳

何かミスをしたとき、あるいは思ったほどの成果が上がらなかったとき、「実はですね・・・」と言い訳をすると、「言い訳なんかするな、みっともない!」と叱られること、よくあります。

でも、わたしは、言い訳は大事だと思っています。『言い訳』ということばに、『言い逃れ』『自己弁護』『責任転嫁』などの負のイメージがありますが、わたしは『言い訳』はイコール『自己分析』だと思っています。自分はなぜ失敗したのか、何が想定と違っていたのか、何をどうすれば良かったのか・・・その分析は、反省というより、次への修正行動の基礎になるはずで、それもさせずに、「ドンマイドンマイ、今回のことは忘れて次に頑張れば良いんだから」と慰めてくれるのは、実は無責任というもの。

「どうしてこんなに遅れたんですか?」「申し訳ありません、言い訳はしません、弁償します」「いや、言い訳してくださいよ。理由を知りたいだけなのですから」「いいえ、申し訳ありません」「いやだから、謝ってもらわなくて良いですから理由を教えてください」「申し訳ありません」「・・・もういい、そんなもん要らないから持ってさっさと帰れ!」・・・むかし、客人が来たのでお寿司のデリバリーを頼んだら時間がかかりすぎた上に注文した品が足りなかったことがあって、菓子折持って謝りに来た店の人と玄関先で一悶着あったのをふと思い出しました。きっと運んできたバイト生が道を間違えて右往左往したのだろうと推測されるのですが、それを「こっちの『言い訳』だから、お客さんには関係ないから」と頑なに黙られるのは返って信頼を失うことになりましょう。こっちが『言い訳』を要求している以上、それは『言い訳』ではありません。それこそ相手方の都合でしかないのだから。もう20年近く前のことですが、それ以降あの老舗寿司屋から出前を頼むことはなくなりました。

でも、「人間は言い訳の動物である」とか「人間は反省はするけど学習はしない動物だ」と云われます。この『言い訳』が何度も繰り返されるようでは、失敗が無意味になってしまうということを肝に銘じるようにしています。言い訳しなきゃいけないことをしでかすのはよろしくありませんが、でも、失敗したときには大いに言い訳しましょう。そして、その失敗を元に、二倍も三倍も大きい人間になりましょう!

 

 

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風袋

恒例の4ヶ月間の職員向け健康プログラムを終え、活動量計(まめ太郎)職員健康管理室に返納しました。わたしのポリシーとして、この期間は可能な限り毎日体重測定をするけれど、これが終わったら体重計には載らないことにしています。体重の数値に縛られて生活するのを続けるのが苦痛だからです。

でも、今年は何となくその後も週に2回ほどこっそり測定しています。焼酎を飲み過ぎた日の翌日など意外に減ったりするので面白くて。このとき、実は測定前に『風袋』を引く設定にします。もともと活動量計の設定がそうなっていたから。で、『風袋』として1.0kgを引くのですが・・・明らかに引き過ぎではないかと、ちょっと良心の呵責に苛まれているところです。体重計に載るとき、白衣のズボンとアンダーシャツだけになるのです。ベルトもしていませんし腕時計も外します。どう考えても裸の身体に1.0kgも加わっているようには思えません。実際、職員健診当日の朝に更衣室で測ってから健診で測ると絶対に正式のヤツの方が重い。きっとそっちが本物なのですよね。

そう思うと、実は、この風袋引きの数値にかなりの上乗せしないと正味の体重ではないことになるのです。もう、勝手に測っているだけなのだから風袋を引かなければそれでいいのではないか?とちょっと葛藤しますが、実際に見える数値は引いた方がすっきり(少ない、当たり前)するし、そもそも体組成計のときと比較するには同じ条件がいいのではないか、と言い訳しながらそそくさと最初に1.0kgの引き算をしてから載る日々であります。

でもちょっとだけ、自己嫌悪。

 

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思ったほど足が上がらない

自分の身体能力を過信している高齢者は体力が低下しやすい

 ”年齢を重ねると、「自分はまだまだ元気だ」と、自分の体力を過大に評価してしまうことがある。しかし、高齢者が外出頻度の低下などで身体活動量が低下すると、自身の身体能力を過大評価してしまう傾向があることを、東京都健康長寿医療センター研究所と東京都立大学の研究グループが明らかにした。体を積極的に動かすことを習慣にし、自身の体の状態についてよく理解しておくことが、体力の低下を防ぐために重要であることが示された。”(保健指導リソースガイド2021.3.30配信版)

『歩行中に障害物を跨ぎ越そうとするとき、もし自分の跨ぎ越し能力を過大評価していると、自身が思っていたよりも足が上がらず、障害物につまずきやすくなり、転倒につながる可能性も高くなる。』っていうの、とても良くわかる。自分が想定しているほど足は上がってないから、何もない平地でも躓いて転びそうになることが時々あります。今回の研究で自己能力評価を跨ぎ越しテストというやつで行ったところ、『外出頻度が低い高齢者ほど自分の能力を過大評価(または過小評価傾向が縮小)する傾向がある』との結論。たしかに、ちょっと動かないだけですぐに筋力やバランス能力が落ちてしまうのが高齢者の避けて通れない現実なわけで、それなのに以前動いていたときのイメージで考えるから、自分の想定と現実のギャップの大きさがトラブルを招くことは、容易に想像できます。

この記事では、そんな高齢者のために『フレイル予防アプリ:スクワット・チャレンジ全国版』とやらも紹介されていましたので、気になる方はぜひクリックしてみてください。

あれ?iphoneではできないの?

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思索の時間

今年は春の訪れが若干早い印象で、いよいよ庭の草にも伸びる勢いが増した気がします。これから1~2週間ごとの草むしりが必須の時期・・・それは同時にわたしの思索の時間の始まりでもあります。1~2時間の自分だけの時間、草たちと向き合い、会話する楽しい時間なのであります。

うちの庭には今年は妙にタンポポが多く生育していました。いつもは花壇の中が中心なのに今年は普通の雑草に紛れてたくさんのタンポポ・・・そういえば雑草の中で、いつもタンポポやスミレは特別扱いしてしまいます。他と何ら変わらない雑草なのに、ちょっと有名なブランドなもので抜く時に良心の呵責に苛まれるのであります。しかも、同じタンポポでも花壇や植木鉢の中に種を落として咲いているタンポポとその横の地面に種が落ちてしまったタンポポとでは、どうしても運命が分かれがちになる。タンポポにとっては理不尽な話であります。

もっとも、そんな理不尽な中で生き延びるために彼らは大量の種をばらまいて淘汰の波の中を生き延びて行くのだろうし、きれいな花を咲かせているのも見逃してもらえるチャンスを得るためなのかもしれない。タンポポの花が一夜にして綿帽子に変わり一気に風に乗って飛んでいく姿はとても逞しい。だから、私は躊躇することなく、自分の気に入ったタンポポは残し勝手に生育した気に入らないタンポポは有無も云わさず抜き取ってしまうことにいたしました。

理不尽で依怙贔屓(えこひいき)な対応に目くじら立てて怒るのは人間様だけです。そんな声に昔は「だから何?」と蹴散らしていたのに、現代社会では何でもかんでも取り上げて対応しようとする。『不平等』というのは、生きとし生けるものの共通の当たり前の摂理なのではないのかしら?

 

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いきがる若者

テレビのニュースを見ていたら、時短営業の飲食店から追い出されて公園で酒飲んで騒いでいる若者にインタビューしてました。

「こんなに早くに追い出されて飲むとこないんだからしょうがない。『止めろ』と云われて止めるような人間じゃないからな、オレは!」と答えていました。今の社会でも、やっぱりいきがるんだねえ、若いもんは(笑)

そもそも『いきがる』は『粋がる』であって、『粋だと思って得意になる。また、虚勢を張る』という意味。”オレはオレのやりたいようにやるんだから、文句云うなよ!”という主張なのだろうけれど、傍で見ていたら滑稽すぎるのが常。おそらく、わたしたちの年齢の人間だからそう思うのではなく、彼らと同世代の人間も同じように感じて引いていると思います。この輩の姿はちっとも粋じゃないものねぇ。でも、若い頃って、「この体制に反発する自分の姿に酔いしれる」ことがある時期です。そうやって子どもから大人に変態していくのでしょうか。おそらく、「オレはガマンしたくてもガマンできない未熟者だからしょうがないんだよ」と云った方がはるかに潔くてかっこいいと思うけど、そんなこと死んでも云いきらんわなぁ(笑)

この時期は、それがかっこ悪くても、ダサくても、粋がることは必要なのでしょう。がんばりたまえ、若者たちよ!

 

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運動と睡眠の関係

運動をすると睡眠を改善できるのはなぜ?

 ”筑波大学は、運動を行うことで、質のよい睡眠がとれ、より短時間で効率よく「睡眠要求」を満たすことができるという研究を発表した。
 睡眠時のゆっくりとした脳波である「デルタ波」をエンベロープ解析するという新しい手法で、脳波の活動を多角的に調べた。
 その結果、⽇中に活発なウォーキングなど、最⼤酸素摂取の60%程度の強度の運動を1時間⾏うことで、夜は質のよい睡眠をとれ、デルタ波が睡眠の前半に集中して⼤幅に増えるという。”(保健指導リソースガイド2021.3.30配信版)

”昼間の活動によってたまった身体と脳の疲労をとるため身体は睡眠を要求する”という『睡眠欲求』は、健康的な生活をしている人なら実感としてわかるでしょう。わたしがこの記事で興味を持ったのは、運動の種類と質の問題です。『激しい運動は睡眠の質の主観的な改善、および客観的な深い睡眠時間の増加にはつながらないものの、より安定した深い睡眠を誘導していることが明らかになった』とか『⽇中に最⼤酸素摂取の60%の強度の運動を1時間⾏うことで、夜は時間が短くても質のよい睡眠をとれ、深い睡眠の指標であるデルタ波が睡眠の前半に集中して⼤幅に増え、安定性を強められる』などの研究結果。これらは、うまく自分の生活にも活用できるかもしれません。

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マスク会食?

『まん防』と共に今年の流行語にノミネートされそうな『マスク会食』・・・これ、実際にはどういう風にするのですか? 先日TVで、ひとりで食べに来ているおじさんがマスクずらして一口食べてはまた戻す光景を見ましたけど、あんな感じを想定しているのでしょうか。たぶん行政だけでなく医療者もそれを勧めているのだから、何かもっと違うやり方なのではないか?と思うのだけれど、誰も教えてくれない。そのうち、ワイドショーか何かで具体的な作法を特集するのかしら。

だって、あの光景は明らかにおかしい。まず、モノを食べると口や唇の周りは食べたモノでベトベトのはずでそれに顎マスクしていたマスクをかぶせるなら、マスクは一口ごとにベトベトになりますよ。しかも、都度都度顎マスクするわけだから、顎の雑菌が口へ、口の周りのベトベトが顎へ・・・どう想像してもそうならざるを得ない気がしますよね。明らかに不潔ですよね。わたしたちが昼食を摂るときは、一旦ポケットにきちんと二つに畳んで仕舞っておいたマスクを、食べ終わった最後にナプキンで口を拭いてから付け直します(本当はそれでも不潔だから、食べる前に付けていたマスクは食事の前に捨てて、食後には新しいマスクを付けるべきだ、とまで昨年のマスク不足が起きる前までは云われていたはず)。一口ごとにナプキンで口を拭くわけにもいかない。でもやっぱり、食事中の顎マスクが一番不潔です。飲食店に入ってから、石鹸や消毒液で手を洗うことはあっても、店の洗面所で顔を石鹸で洗う人はほとんどおりますまい。

まあ、複数の都道府県で『マスク会食』が義務化されるのだから、わたしの考えが浅はかだったことがすぐに分かるはずだと思っています。是非、早くに何が違うのかご教示いただきたいと思います。でも、貪り食ってしまうわたしは食い方が汚いので、到底無理・・・きっと熊本で義務化されたらわたしは外では絶対に食べないでしょうね。

ところで、『マスク会食』と云うくらいだから、"会食"ではなく一人でランチ食べに行くときは一口ごとのマスク義務は解除されると思っていいのですかしら? 

 

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思いがけないこと

昨日、亡き父への恩返しのために延長の末優勝した柔道の野村選手も、あるいはこれまた延長の末に61年ぶりに春の大分県大会を制した大分舞鶴高校野球部も素晴らしいけれど、やはり何と云っても水泳の池江選手の東京オリンピック出場決定のニュースに勝るモノはないでしょう。彼女の生き様のすべてが、『感動』というよりは『感謝』・・・コロナ禍の重苦しいニュースしかない毎日に、頑張ることへのエールを彼女から私たちに送ってもらえたような気がします。

そんな4月4日はわたしの姉の誕生日です。年賀状以外全く連絡を取ることもない姉ですが、義兄のGメールに「誕生日おめでとう」の伝言を送っておいたら、夜になって電話が入りました。
「わざわざお祝いメールをありがとうございました」
「いえいえ。お変わりありませんか?」
相変わらず他人行儀な会話です。
「それがね、変わりはあったのよ」

ん?

「2月に眼が曇ってよく見えなくなったから眼科に行ったら、すぐに脳神経内科に行けと云われて、行ったら脳出血だということでそのまま1週間入院したんよ。高血圧の薬を出してもらったら少し良くなってね」

あらあら。

「眼は白内障があるから頭の方が落ち着いたら手術しましょうとか云われたけど、そっちはそんなに困ってないからどうでもいい。高血圧は大腸の手術の時に薬をもらったけどあまり飲まなかったのが悪かったんやろうね。まあこれから薬を続けないといけないのか悩んでいるけど、ただ、その神経内科の先生が、『パーキンソンの可能性がある』っていうのよ。どう思う?」

あ、ここが電話してきた目的か!

「姉ちゃん、あなた相変わらず自己管理がいい加減やけど、こんな軽い症状で済んで幸運やと思ってこれからはきちんと薬飲み続けた方が身のためやで」と心の中でつぶやく。大腸がんの治療をして今年で5年目だからやっと一つの区切りだと思ったのに・・・お互い、何でも有りの年頃やもんね。気をつけなきゃよ(まあ、それはわたし自身にも云えることですが)。そんなことを忠告しようとしたら、「あ、ゴメンね急に電話して長話して。今日はこれで切るわ。メールどうもありがとう!」と一方的に話した後、「もし、何か用事があるときは電話して!わたしメールはしないから」と云い残して切ってしまいました。相変わらず忙(せわ)しないねえ(笑) 別に話すことなんかないからメールにしたんやないかい。だって、電話したら、「どうしたん?何かあったん?」とアタフタするやないか、いつも。

とにかく、お大事に。

 

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