あらがう

『あきらめる』とか『受け入れる』というのと、『あらがう』とか『足掻く』とかいうの。

どちらが美徳なのか?そんなことをふと考えました。

『老化』という避けて通れないものに対して、「そんなのイヤや!」と悪あがきする姿を「みっともない」と思っていました。もっと自然体で”成るがまま”というのがヒトのあるべき姿なのだ、と。でも、「歳なんかとりたくない」「いつまでも若さを保つんだ」となりふり構わず努力する姿って、なんか良いよね。

あらがう姿って、アンチエイジングのためにはあるべき姿なのかな、と少し思うようになってきた今日この頃です。カッコつけて、「それも定めなら、しょうがないさ」とか悟ったフリして楽を選ぶのは、もうちょっと後でいいんじゃないかしら。

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スマホの弊害

テレビのバラエティ番組で「やせているのに二重あごのヒトは何が違うのか?」とか「やせているのに二の腕が妙に太いヒトは何が原因か?」とかいうのをやっていました。

興味を持って見ていると、そのどっちもが耳の線が肩の線より前に出ている姿勢のせいだというのです。二重あごは「顔が前に出ている人」、太い二の腕は「肩が前に出ている人」。なぜそんな姿勢になるのか? 想像していたとおり、どちらもそれはまさしくスマホやノートパソコンのように覗き込む姿勢を一日中やっているのが原因なのだそうです。

スマホ三昧の姿勢は、生活習慣病の誘因になり、睡眠リズムを壊し、腰痛の原因になり、ひいてはホルモンバランスを壊したりもする・・・もはや常識なのです。そんな医療情報がマスコミを通して現代人の生活の見直しを強く訴えています・・・けれど、そういう情報もまた、スマホやパソコンを使ってネットを通して得られる情報だったりするわけですよね。

スマホから離れた人生を送りなさい、とは云いません。せめて、姿勢を正す運動だけは意識してやりましょう。おかげさまで超猫背だったわたしは、少林拳を教わっているおかげで姿勢だけは最近かなり変わったなと自画自賛しております。

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天気予報とスマホ

先日、山道の遠距離を運転中にカーラジオを聴いておりましたら、「ラジオを聴くことだけで効果的な脳トレになる」という話をしていました。画像で入ってくる情報は何も考えることがなくても直接アタマに入ってくるのだけれど、耳からしか入ってこない情報はそれを聴き、想像し、情報として判断する過程で常に脳を使う必要があるからだ、みたいなことを云っていました。そして、こうやってラジオで聴いたことを他の誰かに伝える作業もまた、脳を賦活させる有効な手段なのだとも。

で、その話の中で、「最近のヒトは、『外の天気はどうかな』と思った時、窓を開けて空を見たりしないんです」というはなしが出てきました。「ん?」と思ったら、MCのお嬢さんが、「あ、そうか。たしかに、まずすぐにスマホを取り出してスマホのお天気情報を確認しますよね」と返しました。その会話がとても印象的で、妙に耳に残りました。そういえば、天気予報大好きなわたしはことあるごとにLINE天気予報や気象庁天気図などを眺めるのがクセですが、急に自分の地域が雨予報に転じているのをみて初めて窓の外が暗くなっているのに気付く、なんてことはよく経験します。

「たしかに」・・・ボクも、自分の目の前の情報を五感を使って確認することをどんどんしなくなってるな・・・ひとり、運転をしながら妙に合点した次第です。

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紙とディスプレイの違い

先日、フェイスブックからの情報で「“タブレットで勉強” ってほんとうに効果はあるの?」というコラム(本橋儀貞氏)を読む機会がありました。Study Hackerという受験生向けサイトの一ページです。内容は、勉強するのにスマホやタブレット端末の文字を読むのと紙に書かれた文字を読むのとではどちらが効果的か?というものなのですが、その中で使われていた社会学者有馬哲夫氏の著書(有馬哲夫著(2007),『世界のしくみが見える「メディア論」―有馬哲夫教授の早大講義録』, 宝島社)の引用がとても合点できたので、一部をそのまま転載します。 ディスプレイを読むのは透過光、紙に書かれた文字を読む時が反射光です。

紙に印刷して読むとき──つまり、反射光で文字を読むとき、私たちの受容モードは自動的に、そして脳生理学的に「分析モード」になり、心理的モードは「批判モード」に切り替わる。したがって、ミスプリントを見つけやすい。(中略)(透過光でものを見た時)私たちの認識モードは、自動的にパターン認識モード、くつろぎモードに切り替わります。

パターン認識モードとは、細かい部分は多少無視して、全体的なパターンや流れを追うような読み取り方をいいます。分析モードの対極にあるもので、多量の情報を短時間に処理しなければならないときは、このモードになりやすいといえます。(中略)ここから、私たちが透過光で文字を読む場合は、何となく全体の流れを追うだけになってしまい、細部にあまり注意を向けることはできません。したがって、ミスプリントを見逃してしまうということになります。

わたしは上司から、「君の誤字脱字を見つける能力は異常だよね」と云われたことがありますが、これはわたしがいつも「分析モード」で文章を読んでいるからだと思います。たしかにメールで送られてきた公文書をパソコン上で読んでいるときには気づかないまちがいを、紙文書として回覧されてくると簡単にみつけられます。とても合点がいく理屈なのですが、それでは何故ほかの連中は誤字脱字を見つけられないの?という疑問。最後の最後に回ってきたわたしが初めて見つけ出す間違いの何と多いことか。みんな、紙だろうとパソコンだろうと、いつも「くつろぎモード」でさら~っとしか読んでないんじゃないのかしら?

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健康神話

「人間は健康であるべきだ」という考えを皆が当たり前に語るようになったのはいつの頃からだろう。

むかし、「健康」になるために人生を送るヒトなどほとんどいなかったはずである。おそらく、「健康」の存在を意識するのは病気を患ったヒトだけだった。

それが、いつの間にか『健康ブーム』が訪れ、「健康」であることが美徳であり、「健康」であるべきだという風潮になってしまった。結果として、「健康」に囚われる人生を強いてしまうことになった。

おそらく、最初のきっかけは戦後の栄養失調の改善を促す施策であったかもしれないが、本格的には近年の膨れ上がる医療費削減のための施策が拍車をかけたのではないかと推測される。でも、それに人生哲学を加えて、『健康神話』を構築させた張本人は、きっとわたしたち医療従事者である。

だからこそ、わたしたち医療従事者、特に予防医療に携わる者たちは、責任を持って舵取りをする義務があるのである。

と、最近とみに思うようになったのであります。

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ジャーキング

寝ているときにカラダがピクッとなる現象のことを『ジャーキング』と云うということを先日初めて知りました。

わたしは家でうたた寝しているときよりも、学会ではなしを聞いているとき(眠ってるんだから聞いてないけど)とか仕事中(読影中)とか(おいおい)の方が、この経験は多い気がします。学生の頃はもちろん授業中。「寝ちゃいけない」vs「眠たい、ガマンできない」の究極の葛藤が存在するときにしか起きないのかと思っていましたが、そうでもない様子。

これが起きる理由は『高いところから落ちる夢をみるから』という説が、いろいろな文献を読んでも正統の説の様です。眠り始めに筋肉が緩み始めた状態を脳が「高いところから落ちている」と勘違いするからだそうです。たしかに、電車で運賃や切符を左手に握りしめて居眠りしているときによく起きるけど、でも、なんでそんな夢をみるヒトが多いのでしょうね。誰か一人の現象ではないので、「高いところから落ちる」という夢に限定されるのが不思議です。ムリな体勢、疲れやストレスの蓄積などが起こしやすい誘因になるそうですが、夢判断的に、その落下の夢自体に病的な意味はないのでしょうか。

うちの8歳の愛犬は、こどもの頃から寝ていてピクピク足を動かします。歴代のワンたちも似た行動を取りますが一緒に尻尾振ってキャインキャインを吠えるので、あれは公園で遊んでいる夢を見ているのだと分かります。でも今の子のはそれとはちょっと違います。てんかん発作ではないかと心配していましたが、あれもジャーキングの一種でしょうか。

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「で、結局、米飯は?」

「で、結局、米飯は取った方がいいの?取らない方がいいの?」

抗加齢医学会総会の報告会で『ケトン体ダイエット』をレクチャーしていたら、同僚のドクターから、直球で質問されました。炭水化物肯定派と否定派が居て、その各々で、炭水化物と単純糖質とでは違う、違わないとか、人種で違うとか、調理法で違うとか、量の問題だとか、本当にいろいろな意見があります。そして、その各々の理屈の書いてあるものを読んでみても、各々にしっかりした理論が基本にありそうです。こういうものにディベートを行って、お互いの矛盾点をつつきあってもきっと埒はあきますまい。

わたしは何の科学的裏付けも持ちませんが、どちらかといえば日本人の米飯については肯定派です。太古のむかしに稲作が始まってから(弥生時代以降ですが)結局なくなっていないどころか今でも主食でいられるのは、単なる伝統の伝承とかだけではなくてそれが自分たちに合っていることをカラダ自身が知っているからだと思うからです。カラダの要求(アタマではなく)は、栄養学や医学などの後付け理論などとは次元の違う、生存理論(人類の存亡に関わる)の元で働いているはずです。

ただ、くどいようですが、多すぎる。そして夜遅くに食いすぎる。白米なら猶のこと。特に健診などで空腹時血糖や空腹時中性脂肪の値が高いヒトは、夜の間に回復すべきものが回復していないのだから、夜の過ごし方が悪いことになります。睡眠の質が悪いとか、遅くまで食べているとか、夕飯が多いとか・・・理想は、朝腹が減って目が覚めるくらいに夜のすべてを減らすのが一番だと信じております。ま、朝飯を食わないポリシーのわたしが云ってもあまり説得力がないかもしれませんが。

カラダに良いモノばかり集めたら、ただの偏食。太古から廃れない食べ物に毒物はない(想定範囲を超えた食い方をしなければ)。栄養や健康に『全か無か』の理論は存在しないと考えるべき、という、その点だけの問題ではありますまいか。

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脅し

「そんな生活をしていると心筋梗塞になりますよ」「この所見があると○パーセントの確率で心筋梗塞になります」・・・毎日のようにこの手の医療情報が流れてきますし、これが医者や看護師や保健師さんたちが野放しな生活をしている患者や受診者に生活変容を促すときの決まり文句です。

「うちの県は高血圧患者が多く、脳卒中にかかる率が他の県より高いから、血圧の管理を厳格にしましょう」・・・保健指導の講話をするときにも、この内容を話の中に入れてほしいとよく主催者から頼まれたりします。

でも、わたしはこういうのあまり好きではありません。こんなこと話して脅したって、生活を変えるとは思えないから・・・少なくともわたしなら変えないと思うからです。痛くもかゆくもないのに、心筋梗塞になる確率がどれだけ高いと云われても変えられるものではありません。今の生活が良いとはこれっぽっちも思っていないし、こんなことしていちゃいけないことは分かっている。でもだからといって行動変容の後押しにはならない。「みんな生活を変えて、もう残ったのはあなただけですよ」とか云われたら別ですけれど・・・行動変容のきっかけはいろいろだからこんな脅しも一つのツールなのだろうけれど・・・人間なんてそんな甘いものではないと思うのです。

こういうことを話すと効果があると思っているヒトは、自分に実体験がないからなのではないかと思ったりします。「こんな脅し方をされて自分は生活を変えることができた」とか自分の知人にそういう人がいるとかいうヒト、居るのでしょうか? わたしが統計的な数値データをほとんど覚える気がない理由は、統計データは行動変容に大した影響を与えるとは思えないからです。

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ウソつき

『信用できるヒト』というのは、どういうヒトなのだろうか? 

東京都の豊洲市場移転問題やら富山市議のニセ領収書問題やら、まあ相変わらずのウソつき騒動の報道にうんざりしている毎日なのですが、こういう見苦しい云い訳を大のオトナが毎日繰り返す姿を見ながら、どういう対応をするヒトが『信用できるヒト』『器の起きいヒト』なのかなと考えてみました(そもそもウソつきを相手に「信用できる」もなにもないもんだとも思いますが)。

ヒトはウソをつく。それはしょうがない。人間だもの。ただ、ウソがばれた時にどうするかでヒトが分かるというものです。わたしは、ばれてしまったら開き直って包み隠さず真実の全てをキチンと公表できる人が『信用できるヒト』だと思ってきました。ばれた後までシラを切ったり、関係した周りの人たちに迷惑かけないように、何もしゃべらないまま自分だけが罰をかぶる覚悟の人こそが『男気』だ、何でもしゃべるヤツは口が軽いから信用されない、という錯覚はそろそろ無しにしてほしいんですよね。そんなことがまかり通るから、『オトナの世界』などという云い訳で何事もない顔をする輩がなくならないんだ、と思うとホントにアタマに来る。

たしかに話してしまえばもはや今までの人間関係は崩壊するかもしれませんが、それではいかんのでしょうかなあ。

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講習会

毎年講師を依頼されている、特定健診・特定保健指導の初任者研修会が今年も開催されます。いつも新年度早々にあるのですが、今年は大地震の影響で会場も壊滅的被害を受けたために延期になっていました(もうこのまま中止になると踏んでいたので、ちょっと残念)。

疲れてきたので今年を最後にさせてもらうことを条件に講師を引き受けました。昨日、とりあえず配布資料は提出(前もって印刷しなければならないからということで)しましたが、本チャンのスライドはまだ半分くらいしかできていません。まあ、どこの講師さんも似たようなもののようで、だから手元資料と当日の講演内容とが全然違ったりするのでしょう。聴いている側は大変迷惑しますが、こんな裏事情があるのだということをご承知おきください。この2つが一致するのは、よほど用意周到な性格でない限り、毎回同じことしかしない連中だけだと思います。

さて、今年のキーワードは何にするか? 実はまだ迷っています。一応、わたしのポリシーである『前向きの予防』を基本に、従事するスタッフに「病気にならないように注意するだけの人生は、つまらん!」ということを伝えられればいいかなとは思っていますが・・・この手のことを語りすぎると明らかにタメ息が聞こえてき始めるんですよね。「動脈硬化の理論には興味があるけど哲学はちょっと・・・」という空気。まあ、連休が明けてからもう一度悩みます(休みの間は考えません)が、悩みに悩んでいるうちに当日がやってきて、何となく終わってしまう。最終回の今年も、そんな感じになるかもしれません。

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完全オフ

おはようございます。

諸事情により、本日の日記はお休みさせていただきます。

みなさま、佳き週末をお迎えください。

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アンケート

職場でよくアンケートの依頼メールが届きます。1000人に及ぶ大企業ですので、高いアンケート回収率を得るのはなかなか大変です。

〆切に近くなると催促メールがきます。

「まだあと40%のヒトが未回答です。あなたもその中のひとりです。必ず締め切りまでには回答をしてください」と書かれているより、「もうすでに60%のヒトが回答してくれました。ありがとうございます。まだのヒトも乗り遅れないように是非早めの回答をお願いします。まだ間に合います」と書かれている方が、気分がいい。前者は「なんか面倒くさいな」と思うけれど、後者は「そうか、そういうならやってみようか」という気分にさせてくれます。

同じことを催促しているのに、ちょっとした表現の違いで全然受ける印象が違うことを、時々実感します。

コンビニのトイレにむかしは、「汚さないでください!」と貼り紙してあったのが、最近は決まって「きれいに使っていただいてありがとうございます」と書かれるようになったのも、その系統かなと思います。でもこっちはちょっと鼻につく・・・丁寧に書かれているのにどこか上から目線の空気がぬぐえないから。こういうときは、「きれいに使っていただけるとうれしいです」程度の控え目感が大事だという気がてなりません。

他人を動かすためのコトバ選びは、本当に重要で、とても大変です。

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錯覚

食べきれないほどのごちそうに囲まれて、「もう要らない」と云いたくなるくらい食べられたら最高!というヒトへ。

いますよ、たしかに。とても上品なお店で食事をごちそうしてもらった後に、ガマンできずにその足で吉野家の牛丼食いに行ったりするヒト。

でも、それは若いからです。「オレってほら、腹いっぱいになるまで量を食わないとダメなヒトなんです」っていうオッチャンが時々いますけど、それは若いころの感覚がいつまでも続いていると錯覚しているだけです。「それって、アンタがもっと若かったころのはなしだよ。今はそんな量は簡単には処理できないんだから、いい加減に勘弁してくれよ!」と、ぶつぶつグチっている声が聞こえます・・・あれは、本人のカラダの中からのつぶやきですね。アタマが無視して本人に気づかせないようにしてますけど、かなり迷惑しているみたいですよ。

ご愁傷様です。

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震災後

人間ドック受診者のみなさんの問診を読んでいると、「震災後に・・・」のフレーズが目立ちます。一番多いのは、先日書いた、「震災後にやせて戻らない」というのと、逆に「震災で太ってしまって戻らない」というやつ。はなしをしていても、「震災後に忙しくて運動できなくなって・・・。春まではいい感じでやせていたんですけど」という云い訳が一番多いかしら。「人間は云い訳をする動物だから、口実があるとそれを楯にしますけど、さすがにもう5ヶ月、それを云い訳に使うのもそろそろ限界ではないですか。何かリセットのきっかけを作らないと、何も前に進みませんよ」と優しく苦言を呈するわたし。まるで自分に云って聞かせるかのように。

次に多いのが、「人生何が起きるか分からないから、ガマンしないことにした」と云うやつ。ガマンを止めて何をするのかというと・・・暴飲暴食(笑) 結局、「食べたいものを食べずに健康を保とうと努力していた」というこれまでのライフスタイルに無理があったということでしょうか。そんなことを強いたのはやはりわたしたちのような健康管理に従事する者の間違ったアドバイスのせいだろう、と反省させられました。この機会に、「食べたいものを食べ、やりたいことをする」というのが一番健康なのだということに気づいてくれると何よりですね。まあ、いくらがんばって暴飲暴食しても、きっとすぐ虚しくなると思いますけど。「なにもせずに寝て暮らすことにした」というヒトもおりました・・・それなら、高い金払って人間ドックなんか受けなければいいのに・・・日本人は、やっぱりみんなマジメです。

 

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一回治ったものだから

友人に何人か、肩の痛みがひどくて腕が上がらず「ゴルフもできない」と嘆いているひとたちがいます。腰痛で歩くのもままならず、「毎日が憂鬱だ」と辛そうに顔をゆがめる連中も・・・みんなそんな齢になったのでしょうかね。

わたしも、よくここに報告しているようにふたたび頸椎症の痛みが出てきて夜ベッドに横になるのを憂鬱にさせています。何しろ、毎回、寝てみないとどんな症状が出るか分からなくて、夜になるのが不安です。朝の肩の痛み、昼間仕事中の首の痛みやしびれ、ついでの周期的に襲われるぎっくり腰系の腰痛・・・「大丈夫なの?」と妻にも友人にも同僚にも心配されます。

でも、大丈夫です。わたしって「いたい、いたい」「しびれてねむれない」とか云い回っていますが、基本的にあまり心配していませんのです。なぜなら、どれも過去に経験したことのある症状ばかりだから。頸椎症なんか2年前にはホントに人生を憂鬱のどん底に引っ張りこまれた気がしましたが、1年前に一度すっかり治りました。今また再発しているといってもあの時よりはるかに軽い。「せっかく治ったのにぶり返してしまって不安じゃないか?」と聞かれるけれど、そんな不安はありません。むしろ、「一回治ったものだから、そのうちまた勝手に治るでしょ」という感じ。2年前は上を向いて花見するのもできなかったけど、今回は空の夕日も普通に眺められることを考えると、「治るのも少し早いかもしれない」と超楽観的。どうせ、今よりひどくならないだろう(ひどくなったとして2年前のよりひどくはならないだろう)と高を括っています。余震は本震よりひどくならない、という理論みたいなものです。

こういうのを”慣れ”といい、傍からは哀れに見えるかもしれないけれど、本人的にはさほどでもない・・・これが処世術(経験値)というものなのでしょうね。

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やせても食うな!

先週は一週間のうちに3人ほど同じようなことをしている女性受診者に結果説明をしました。

「震災のあと、何もしていないのに体重が3キロとか5キロとか減っていくので、心配になって無理やりにごはんをたくさん食っている」というもの。その結果として、無意味に空腹時血糖値が異常上昇していたり、肝酵素に異常が出たり脂肪肝になったり・・・あまりに急な変化(去年までとあまりに違う)なので問いただしてみると、白状する答がみんな上に書いたように同じもの。

「で、体重戻りましたか?」「いいえ」

このブログでも過去に何度も書いてきましたが、食べる量が減ったとかいうのでない限り、無理に食ったって体重が増えるはずがありません。もしそれが甲状腺機能亢進症や悪性疾患などの消耗性の病気のためにそうなっているのだとしても、食べても絶対に太りませんし、かえってお腹を壊したり、今回のように持て余してあふれ出たエネルギーのために無意味に異常を導き出すだけのことです。「食欲があるのにやせていくから不安」という理由で食べたくもないモノを無理やり食っても、害こそあれ何の得もないことを、一生懸命説明しますが、どこか腑に落ちない表情を返してきます。

今回は、あの大地震の影響による自律神経系の高ぶりがいろいろな反応をカラダにもたらしているようです。理由は何であれ、食欲が落ちているとか体調が悪いとかいうのでなければ、とにかく食事は昔のままに普通に食っておけば大丈夫。体重は、その時が来て「必要だ」とカラダ自身が判断したら勝手に増え始めます(増えなければ増えないで「今がベスト」という判断なのでしょう)から、焦らないことです。

ちなみに、太らないことをいい事に煩悩にまかせて貪り食っていると、わたしのように突然増え始めて歯止めが効かなくなりますからご注意ください。こっちの方がはるかに厄介で一大事です。

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ながら食い

子どもの頃、「日本国民なら、食事は行儀よく黙々と食べるのが佳し」と教わりました。何かをしながらの『ながら食い』など言語道断だと云われました。ところが、食事時間は団欒の時間であり、皆と語らいながら楽しく食べることが栄養学の点でも重要だと云われるようになりました。一人で黙々と食べるとつい噛まずに丸呑みする可能性が高く、何かに熱中しながら時間をかけた方がいいことを考えると、かえって『ながら食い』をすべし!という動きも出てきました。

でもどうなのでしょう。お一人様の食事。注文した食事を前にまずスマホで写真を撮り、それをアップした後でそのままスマホに熱中しながら食事を取る。きっと食材の味なんか味わってはいないだろうなと側から感じられる光景。「ちゃんと味わってるよ」と反論されるかもしれないけれど、絶対に新しい味をその中から発見することはないだろうと思うのです。みんなで和気藹々と楽しく盛り上がる食事会はどうか? これまた絶対に味なんか堪能していない。「旨し!」とかSNSに投稿したところで、話に興じれば興じるほど味は二の次になってしまう。かと云って、独り黙々と噛み倒して、料理の素材のなんたるかや味付けの工夫の深さを吟味するなんてことをするはずもなく、会食してコース料理の一つ一つに寸評を云い合うなんてシュールなことをする環境は、少なくとも庶民であるわたしの周辺にはありえません。

「生活習慣病予防の基本は、目の前の料理を感謝を持って味わい倒すことです」としたり顔で主張してきましたが、これ、よく考えると簡単なようでかなりの難題かもしれません。

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やる気スイッチ

「くそう、とうとういくら引っ込めても引っこまなくなった!」

鏡の前で、斜に構えて腹をさすりながら、このコトバをこれまでに何十回口にしただろうか。人生で6回も7回も10キロ単位のダイエットを繰り返してきたわたしの経験上、ここ数週間の成長の仕方がいつものそれに匹敵しそうなことは容易に想像できます。危機的状況になろうとしています。でもまあ、云い方を変えれば、経験値以上ではないからこのまま進んだ時の自分の姿は想像できる範囲内です。少なくとも毎日「今日は人生最高の体重!!」と悲鳴を上げている妻の”未知のゾーン”とは違います。しかも、そんな走るとゆっさゆっさ揺れるお腹に凹むわたしに向かって、愛妻も仕事スタッフのお嬢さん方も、「そんなに自分が気にするほど太ってないよ」「今がちょうどいいくらいですよ」とおだてやがる。

だから、どうしてもやる気スイッチが入らないんです。「やる気にさえなればいつでも絞れる。でもどうしてもやる気になれない」という自分を知っているから、毎年年末からの3か月、職員対象の改善プログラムに参加して、イベントとして無理矢理やる気スイッチを入れてもらってきたわたし。でもその時までにはまだ2ヶ月はある。

なにか他にわたしにやる気スイッチを入れさせる方法はないものでしょうか。

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仕事上の会食

「仕事上の会食」は心臓には悪い

何でも論文になるんだなあ、と時々感心することがありますが、これもその類い。米マウントサイナイ・アイカーン医科大学心臓病学教授のValentin Fuster氏らがJournal of the American College of Cardiologyオンライン版に8月15日に発表したものだそうです。40~54歳のスペイン人4,000人超を対象に、「地中海食」「西洋式の食事」「仕事上の付き合いでする食事(social business diet)」という3つの食事パターンが心臓にもたらす影響を検討した結果、”「仕事上の付き合いでする食事」は、牛肉や豚肉、甘い飲料、加工食品やアルコールがふんだんで、外食、慌ただしく食べる軽食、過度の飲酒などを含むので、いわゆる「西洋式の食事」よりもアテローム性動脈硬化のリスク因子が悪かった”という結論。 ”Fuster氏は、「仕事で摂取する食事は本当に悪影響があり、動脈に大きな打撃を与え、心血管疾患リスクに大きく寄与する」と述べている”というのですが、わたしは題名だけ見た時は、「食事は味を楽しみ、雰囲気を楽しみ、仲間や家族とのコミュニケーションの場として重要なので、仕事の付き合いの食事ではいつもストレスに晒されていて食べた気がしなくなるのが問題だ」とかいう内容なのだろうと期待しましたので、ちょっとガッカリ。それだったら、毎日お一人様外食か毎晩の宴会生活を送る独身男性の食事パターンとどっちが悪いのか比べてほしいものだと思いました。

少なくとも、「○○くん、今度食事でもしながらちょっと仕事の打ち合わせをしようか」と声をかけられて、いい話だった試しは一度もありません。考えただけでストレスで血圧が上がりそうです。

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〆切り

今年から再び引き受けることになった某団体の機関誌に連載するコラムの最新号の原稿を、昨日提出しました。相手が指定した〆切期日ギリギリです。その2日前には書き上げていたのだけれどあえて〆切当日まで提出しなかったのには、一応意味があります。もちろん、最近は超遅筆なので、できあがりそのものが(というよりも、取りかかりが)やっとこさだったわけではありますが。一気に書き上げた直後はかなり興奮しているから冷静さに欠けるのです。完璧だなと思った文章を翌朝改めて読んだらまったく理解できなかったり、書いた直後は近年稀に見る名文だなと自画自賛したのに翌朝読んだら駄文もいいところで読めたもんじゃない、となるのはよくあること。

わたしに校正を依頼する人たちの文章もまたそんな感じ。自分で何度も吟味して自己最高の文章になったと自負できるレベルまで推敲し倒す人に最近はほとんどお目にかかれません。「やった、やっと出来た! もう2度と見たくない!」という気持ちが全面ににじみ出ている文章ばかりです。せっかく自分が難産の末に生み出した文章なのですから、もっと愛情込めて愛おしいくらいに育て上げた作品として世に出して欲しいものだと思います。

今回は、最初に書き上げてから最終的に提出するまでに10回以上は書き直しました。改めて読めば読むほどしっくりこない表現を見つけ出してしまいます。散髪屋さんが、最後の最後に小さくハサミを入れるのに似ています。もっとも、これで最終だなと思って送り出すのに、ゲラができて最初の校正を依頼されて久しぶりに読み直した時に「やっぱ、自分の文章は絶品だなあ」なんて思うことはまずないですね。提出した時には興奮が冷めやらずに”アバタもエクボ”状態だったことが露見してしまって、落胆するわけです。

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『禁煙』『卒煙』

問診票の喫煙についての項目には、「吸っている」「吸わない」「以前、吸っていたが禁煙した」という選択肢があります。

何度見ても、わたしはこの『禁煙』というコトバが好きになれません。 わたしは今、タバコを吸いません。長生き志向も健康志向も大して持っていないわたしは大学時代から吸っていたタバコを止める気もなく普通に吸っていましたが、ある時からパタっと吸うのを止めました。止めたというより、吸いたくなくなった、吸ってもおいしさを感じないから面倒くさくなった、という感じ。 健康に悪いから吸いたいけれど自らの意思で吸うことを禁じた、というのが『禁煙』の意味であるなら、わたしのやったことは禁煙ではありません。引き裂かれた感覚も、あるいは『禁欲』的な強い意志も持ち合わせていなかったからです。

激しく燃え上がった恋心があるのにどうしてもアモーレと別れなければならない。涙を飲んで「さようなら!」・・・これが『禁煙』。あれだけ愛し合った二人なのに突然その恋心がすっかり覚めて、顔を見るのも嫌になった、あるいは会っても何も感じなくなってしまった元カノとの関係とは全然別物だと思います。そうか、『禁煙』は、自分の気持ちに反して別れたものだから再び出会ったりしたらすぐに”焼け木杭に火”がついたりなんかするわけだな。

『卒煙』というコトバもなんか今ひとつですが、タバコと縁を切る理由には少なくとも二種類はあると思うのであります。

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『生死一如』

定期的に地元の新聞にコラムを掲載しているY先生は、わたしの高校時代の恩師です。今は地元の大きなお寺の住職をされています。

「春の後夏になり夏が終わって秋が来るのではない。春はそのまま夏の気配をはらみ、同時進行のように次の季節を迎えるから移り変わりが大層早いのだ。自然と人間を対比するに、死には順序さえない。死は前からばかりは来ない。いつの間にか後ろに肉薄しているものだ」(吉田兼好 徒然草155段から意訳)

「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」(松尾芭蕉)

「死を見つめれば生が輝く」(山本周五郎)

『生死一如』と題する今回のコラムを高校時代の友人がLINEで送ってくれました。生死は紙の表裏と同じように切り離したり判別したりできず、死は生に陰影のごとく寄り添って、同時進行で移り変わるものである、という真理を、著名なる古人のコトバを引用して解説しておられました。友人からはいつも送ってもらうのだけれど、深く読むことは半分くらいしかありません。でも、今回のコラムは妙にココロに染み入りました。今の私に必要な何かが隠れているからこそ、今のタイミングで今の私のココロの中に入り込んだのだろうと合点しております。

そんな恩師に今夜40年ぶりにお会いします。

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亜鉛

わたしに定期的に配信してくれるヘルシーパスさんのニュースレター。今回のテーマは『亜鉛の体内動態

この微量元素はなかなかの曲者です。サプリの理論はとてもシンプルでクリアカットなのですが、臨床現場ではそう理屈通りにはいきません。体内吸収率が低いことも影響するのでしょうか。亜鉛やマグネシウムのような微量元素は、それ単独の動向ではなく、体内代謝の重要なパーツとして働くので、単にそれを補っておけばいいわというわけではない上に、欠乏すれば確実に不都合が生じる存在です。亜鉛なんて普通に好き嫌いなくモノを食っておけば欠乏することなんかないと思っていましたが、最近はそうでもないようです。

亜鉛の必要性を初めて認識したのは、もう20年近く前、循環器内科医として外来をしていたころです。ずっと通院していた女性患者さんが、「急に味がしなくなった」と訴えました。見たところ舌にはこれといって異常はなさそうだし、CTなどでも明らかな異常はなさそう。「大したことではないのですが」とはいうものの、毎日の食事がゴムを噛むようで味気なく楽しくないというのです。そのときに、味覚障害の原因として亜鉛不足があることを知りました。当時は今ほどサプリに市民権もなく、薬剤治療といっても大したものはなかった記憶があります。特に偏食や過度のダイエットをしたわけでもないし、ストレスが溜まった様子もなく、いつの間にか外来で訴えることもなくなりましたが、あれは彼女が単に諦めただけだったのかもしれません。

亜鉛という文字を見ると、今でも必ず彼女のことを思い出します。そして、何の力にもなってあげられなかったことを悔しく思います。

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ペインシフトならず

ここのところ頸椎症による肩の痛みがぶり返し、鎮痛剤と湿布を手放せない日が続いています。夜も寝相の方向によっては神経痛特有の耐えられない痛みが出てきて安眠を許しません。まあそれでも、2年前のように上を向くこともできないような次元ではないのでましな方でしょうか。何事にもネガティブなわたしですが、痛みについては意外にポジティブ。一度経験したことのある症状なら、「こんなもんじゃろ」と受け入れるキャパが生まれました。「また出てきた」と憂鬱にはなるのだけれど、「どうせこれ以上は悪くならないし。この程度なら耐えて来たことあるし」と思えるわたしって、エライでしょ。

それでも辛いのは辛いんです。昨夜、週一、二回通っている少林拳教室がありまして、先週昇級試験が終わって気が楽になっていたので、ついがんばりすぎました。右のハムストリングスがビギッとイヤな悲鳴をあげまして・・・きっと小さな肉離れをやらかしたみたいです。湿布を貼って寝ましたが今朝も痛みが取れません。その痛み自体はまあ想定の範囲内なのですけれど、わたしが教わった”ペインシフト”理論はどこに行ったの?というところがちょっと不満です。人間のカラダ、生活に影響を与えるような慢性の痛みがあったとしても、他に新しくて強い痛みが出現するとそちらに痛みの主役が移動して、いつも悩まされていた痛みがウソのように消えてしまう・・・これが”ペインシフト”なんだけど・・・どっちも同じくらい痛いじゃないの~(泣)

ま、痛み博士としてはこれも経験値ですね。「痛い、痛い」と叫んでも痛みが消えるわけではないけれど、「痛い」と口にした方がちょっと楽になる感じはしますね。『ガマンは人生を豊かにはしない』・・・お~、名言、名言(笑)

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グリシン

先日、ペットボトルのお茶を箱買いするために立ち寄ったドラッグストアで、妻が思い立ったようにグリシンを購入しました。『睡眠の質を高めて朝の目覚めをスッキリさせる』という謳い文句の音声がずっとフロア内に流れ、「ちょっと入ったトイレにも書かれていた」とのことで・・・彼女が使うためではありません。わたしに飲ませるためです。わたしが、夜中に何度も小便に起きたり首の痛みでうなされていたりするのを見て、「これなら解決するかもしれん」と思ったのだそうです。ありがたいことでございます。

わたしはこういうのは基本的にちゃんと飲みます。効果があるかないかよくわからない時には、とりあえず飲み続けてみます。今回も毎晩一包飲んでから床に就いています。飲むことの満足感というプラセボ効果は絶対あると思うので、効くと信じて飲んでいます。特別何かが変わったのかどうかは定かではありませんが、心が落ち着く感じがしないでもない。朝起きた時に異常に眠い感じもするけれど、たしかに夜中に起きる回数は減りました。これが飲み始めて10日くらい目の偽りない感想です。根本的に夜更かしせずにもうちょっと早く床に就いてみないと効果はわからないかもです。

それにしても、パッケージを隅から隅まで読んでみても”効能・効用”については一切書かれていないのですね。薬ではないから、「何の症状に効く」と書くと薬事法に抵触するのでしょ。何かとうるさいご時世です・・・「効果については自分で調べてくれ」「自律神経を安定させる作用を持つアミノ酸だと云われていますけれど」などと薬剤師さんにもお茶を濁されましたが、ずっと店内でPRしてたじゃないの~(笑)

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抄録

うちの若いスタッフが、「学会発表に応募するための抄録を書いたから見てほしい」と云って持ってきました。上司に提出して修正した最終稿らしい。

「それ、ぼくに見せるの? ぼくに見せたら絶対真っ赤っかに赤ペンが入って原型をとどめなくなるよ。それでもいいの?」と冗談を云いながら受け取ったのですが、案の定、訂正せずにはおれない文章で、申し訳ないが真っ赤に汚してしまいました。いつものことだけど、どうしてこんな文章を直属の上司たちは読み流すのだろう? 悪文だとかいうレベルの話ではなく、読んでてホントに理解できたの?と云いたくなる文章です。書いた本人は当事者だから意外に気づかないのはしょうがないけれど、日本人の第三者が読んだら、「これ、何かおかしい」って絶対に気づくと思うんですけどね。訂正してあげるのが面倒くさいし、どうせ当選する抄録だから、ということでまともに読んでないんじゃないのかしら?

医療関係の抄録や発表の表現は無意味に固すぎるという気がします。特に看護師部門やパラメディカル部門では、無理矢理難しい単語を並べないといけないような風潮が昔からはびこっていますが、他人に理解してもらうために存在する文章である以上は、別に平易な表現を使っても構わないと思います。医学的なデータ解析と数値の評価をした成果を発表するのだからこそ、できるだけ聴いてみたくなるような日本語を選びましょうよ。

二日続けてそんな推敲にアタマを捻らされたわけですが、わたしも来週初めまでに提出しなければならないコラム原稿があるのですよ。投了どころか、まだ最初の一行も書き始められないでいるのですよ。かなり焦っているのですよ。それなのにここまで真っ赤っかに赤ペン入れてあげるなんて、偉いでしょ?

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「バターは毒物ではない」

バターと健康:エビデンスが示すものとは?>という題名でCare Netに内分泌科医兼栄養学者のBoris Hansel氏による解説を編集したものが掲載されていたので読んでみました。「バターが健康に良いのか悪いのか?」という論争に対するコメントですが、その最後に書かれていたまとめの文章にとても共感できました。

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バターについて話す際には、現在ある知見に則したバランスの取れた議論を行うことが必要である。
●第1に、バターは健康維持に不可欠なものではない。バター自体は“健康食品”ではない。
●第2に、バターは飽和脂肪含有量が最も高い食品の1つであり、日常的なバター摂取は血中コレステロール値の上昇を促進する。
●第3に、バターは毒物ではない。それゆえ、バターを非難する正当な理由は存在しない。バターは、適量で摂取され、飽和脂肪酸量が多い他の食品に加えて摂取されることのない限り、バターを好む人々に喜びをもたらす食品であると認識されるべきである。

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これはバターに限ったことではありません。世の中のすべての食材に当てはまる真理だと思います。特に第3についての文章の「バターは毒物ではない」「バターを好む人々に喜びをもたらす食品」という表現が好きです。理屈で食べものを評価するのは勝手ですが、それがずっと昔から存在する食べものであり、多くの人に好まれてきて廃れることなく食べ継がれてきた食材であるということに勝る理屈はありません。もっと、食事の時間を楽しい時間に、心身ともに満ち足りたリッチな時間にしたいものです。

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臨床宗教師

先日、NHKテレビで聞きなれない単語を耳にしました。『臨床宗教師』・・・番組は、クローズアップ現在+『”穏やかな死”を迎えたい〜医療と宗教 新たな試み〜』というものでした。
「なんか、面白そうな仕事やね」・・・他の用事をしながらわたしがそう云ったら、「あなたは絶対興味持つと思ったよ」と妻に笑われました。

臨床宗教師は、日本で終末期患者さんにスピリチュアルな面で寄り添える宗教者を育成しようと、2012年に東北大学で養成講座を創設されたものだそうです。調べてみると、NHKは2年前にもETV特集『臨床宗教師〜限られた命とともに〜』というのをやっていました。なんか、これも見たことある気がしました。

たしかに、僧侶は通夜や葬儀を通して亡くなった人やその家族には何人も会ったことはあるけれど、人の死そのものに触れる経験はほとんどないでしょうね。死にゆく時に「誰かに寄り添ってもらって、心の中を全てわかってもらいながら穏やかに死んでいきたい」と思う心は良くわかります。医師であり臨床宗教師でもある田中先生のような人が紹介されていたので、自分も何かの講座を受けたら臨床宗教師になれるのかなと思ったのですが、調べれば調べるほど、それはむずかしそうなのであきらめました。

でも、キリスト教の牧師さんのように、わたしが死にゆく時までには日本で臨床宗教師がもっと普通に普及していることを祈っています。

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断らない

最近、うちの病院への患者さんの紹介が少なくなっているということで、現場はいろいろな努力をしているようです。でもなかなかうまくいかないと聞きました。根本には厚労省の施策があり、高度救急病院には選び抜かれた重症患者さんのみ送るようにしているから、というのはわかります。市中の一般病院で解決できるようになったことは喜ばしいことです。ただ、それをどこかで履き違えている若い先生方や幹部が多くなってきたような気もして、ちょっと心配です。

どんな時でも『選ばれる病院』であるためには、常にトップクラスの知識と技術の修得を怠らなければそれでいい、というものではありません。紹介をいただくドクターや受診を希望する患者さんから信頼を得るというのは、そんなことだけではないのです。 そのことを教えてくれたのは、今は亡きわたしの元ボスでした。研修医として今の病院に勤務を始めた時、最初に徹底的に指導されたのが『断らない救急』の考え方でした。救急要請があったら必ず受ける。最初の要請電話でトリアージする必要はない。相手が困って自分たちを頼ってくれているのだから、不安に駆られている患者さんがそこにはいるのだから、まず来てもらうか迎えに行くかして、自らの手で鑑別診断しなさい。紹介していただいた先生を常にリスペクトし、病状が良くなったら必ず紹介をいただいた先生の元に戻るように患者さんを説得しなさい。常に自分達がバックアップしていることも含めて。

『断らない救急』は単に最上級の医療提供をすることだけではなく、紹介をいただいた先生とも紹介をいただいた患者さんともしっかりとした信頼関係を形成することに本当の意義があるのだ、と洗脳と云っても過言ではないくらいの教育を受けました。中堅どころの医師ではなく、医者になったばかりの研修医の若造も皆揃って同じベクトル上にあったからこそ定着できたのだと思います。自分の培ってきた高い技術と知識を活かすことだけを最優先に思う者が一人でもいれば、どんなに幹部たちがトップダウンの指示を出しても徹底できるものではありますまい。

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わたしの仕事

最近、仕事は楽しいです。朝から夕方まで話しっ放しで疲れますけれど、気分は上々です。おそらく、受診者の方々と話すのにストレスがないからだと思います。

相手の態度にカチンとくることはあるけれど、そんな機会は明らかに減りました。前は”売りコトバに買いコトバ”的な云い合いをしたり、頭ごなしに非難や皮肉を云ったりして、受診者が怒って診察室を出て行ったり、いつまでもムカムカして自分が不機嫌になったりすることがありました。今ではまずそんな状況になることはありません。いつでも興奮せずにニコニコしていられるようになりました。

それは技術なのかもしれませんが、最大の理由はわたしが前ほど熱くならないからだと思います。以前のわたしは、「なんとかしてこの人の過ちを正して、いい人生に修正させたい!」という使命感に駆られるあまり、「自分は正しいことをしているのだ」という思いが強かったのです。今のわたしは、そんな大それた熱い思いは消え失せています・・・この人が悪くなっても自分のせいじゃないし、減給されるわけじゃない。逆に、たとえデータが良くなって感謝されたとしてもボーナスが出るわけじゃない。だとしたら、お互い、ドックでたまたま出会って会話する20分間が楽しいひとときであった方が得です。だから、「何が悪いか」「何をすべきか」の話ではなく、「自分だったらどう云われたいか?」「煩悩だらけの自分ならこうする」ということにだけ気をつけて会話しています。世間話の延長みたいな感じ。

そんな毎日だから、今のところまだ飽きません(笑)

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