外飲み

新規感染者数が爆発した大都市圏、その煽りを受けて周辺の田舎都市も増加してきましたが、まあ慣れてきたと云えばたしかに慣れてきました。わたしの住む熊本でも新規感染者の中に県外居住者が増えてきているから、これは人流以外の何者でもありますまい。「人流は確実に減っているからオリンピックの中止はしない」と断言する国家首長のコトバが白々しい。「今こそ、ステイホームで自粛をさらにお願いします」と都民に訴えながら異国の関係者諸氏には強く云えない首都の首長・・・そんな矛盾を抱えながら、「そりゃ、やってられないよ」「もうがまんできないよ」と切れる住民の気持ちはよく分かります。

でも、そんなに外飲みしたいものなのかなぁ。そんなに我慢を強いられているのかなぁ。と地方都市に住む一市民は理解できないでいるわけです。まあ、わたしがそもそも外飲み派ではなくどちらかといえば家飲み派だからなのかもしれませんが・・・「飲食店が時短営業を余儀なくされているからやむを得ず道で飲むしかない」とか「仕事帰りに飲まないわけにいかないが仕事が遅いので時短営業していない店に行くしかない」とかインタビューで答えている皆さんの理屈は微妙に理解できません。それでも、これだけ感染者が急増して飲食店の時短営業を指示している県の職員が遅くまでの宴会をしたというニュースが再び出てき始めるところを見ると、感染リスクよりも職場のノミュニケーションの方を優先すべしという風潮は一向に変わらないのでしょうか。忘年会や送別会・歓迎会を自粛できない輩の心の根本が理解できないのに、今頃の何も名目のない単なる暑気払いですら、企画してしまう感覚、そして参加してしまう感覚・・・ごめんなさい、休肝日を一日も作ることのないアル中のわたしですら、そんな感情はまったく理解できません。

 

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まだ7月なのに

夕方の散歩をしていると、辺りをたくさんの蜻蛉が飛び交う光景によく遭遇します。「まるで盆明けみたいな風景やね」・・・夫婦でそんな会話をしながら歩いています。そういえば、ワシワシワシワシとうるさく鳴くクマゼミの隙間で時々ツクツクボウシの声が聞こえます。今日は、ツクツクボウシの鳴き声の方が若干大きく聞こえる木もありました。

「どうなっとるんじゃ?」

ちょっと、今の季節が何なのか分からなくなってきました。家の周りでは蝉の死骸もたくさん見かけるようになったかと思えば、逆に先日は真夏のゴルフ場でウグイスの声・・・「異常気象でとうとう鳴き始めるタイミングを逃したヤツがおるんか」と皆で笑いましたが。

とにかく、狂っとります。季節の移ろいを感じながら四季の変化を味わえるはずの日本の気候が変です。九州の南国化が加速度を増したために、いつのまにか台風の生まれる起点が完全に東にずれてしまっている今日この頃です。さて、今後秋の訪れを感じることはできるのでしょうか。もしや突然冬になるとか?あるいはもう冬なんてやってこないとか?

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あごマスク

わたしの勤務する病院では、新型コロナ感染対策は今でも徹底されていますので、職員が昼食を摂る部屋は、会議用の事務机をスクール式に並べて、1机1椅子に限定しています。向かい合わせになるしかない机では個別にアクリル板のパーテーションがなされ、食事中に会話は一切禁止です。そんな中で皆黙々とお弁当を食べています。1年前には異様な光景に見えましたが、もう今は当たり前の昼休みの風景です。

もっとも、ずっと気になって何度か組織の幹部にも伝えたけれど一向に変わらないことがあります。スクール式に並んだ机の椅子がみんな一列に揃っているのです。右側に並んだ机の椅子はみんな右端の壁に沿って、左側に並んだ机の椅子はみんな左端の壁に沿って。どうして誰も不思議に思わないのだろう? 隣との距離は十分すぎるほどあるけれどこれじゃ目の前の椅子に座っている人とはめちゃくちゃ近い。普通、交互(壁寄りの後ろは通路寄り、その後ろはまた壁寄り・・・みたいな)に座りませんか、前との距離を保つためには。

先日は、若い女性スタッフが、一人でパーティーションの中で食事をするのにわざわざマスクを顎の下まで下げてスープを飲んでいました。きっと彼女は外食が多いのでしょう。だからあごマスクの食事が習慣なのかなとか思いましたけど、あれじゃスープ飲みにくいでしょうに(マスクを汚すかもしれないし)とか思いながら覗き見していました。何もしゃべらないし、周りと隔離されているんだから、食べているときくらい完全にマスクを外して食べればいいのになぁ、と。

ま、どっちにしろ声をかけたりしません。あと、2人でやってきた看護スタッフが離れた席しか空いてなかったから他の部屋に移動して行きました。どうせ話すことは禁止されているのに、並んで食べられないことになんか弊害でもあるのかしら。

 

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お弁当

わたしは毎日妻の作ってくれる弁当で昼食を摂ります。新婚の頃、東京で3年間働くことになったときに、わたしたち夫婦の仲人でもあった当時のボスから、「東京は給料が今の半額になるのに家賃は今の倍はするから、お昼は奥さんが弁当を作って持って行くようにしなさい」と云われて、それ以降ずっと妻はお弁当を作ってくれます。まあ、今考えれば、東京では手弁当作るより職場の職員食堂で職員カードで食った方が安くついたのかもしれませんが・・・。

年齢を重ねるにつれて弁当箱はどんどん小さくなり、今の弁当箱を見て職場の若いスタッフは「先生、そんなに少なくてお腹持ちますか?」と質問します。でも、これで意外と充分量あるのです。ごはんは軽く茶碗1杯分はありますし。15年近く前から朝飯を食わなくなって、朝9時~10時頃にはお腹が空くけれど昼前にはさほどでもなくなっている、このときに食う量としては今の量が最適だと感じています。

時々妻が寝坊したりあるいは朝から外出の用事があって弁当を作る時間が無いときがあります。そんなとき、職場の売店のお弁当を買うのですが・・・小幕弁当や内容少なめのヘルシー弁当などが並んでいる中で、悩んだ挙げ句につい普通の中華弁当を買ってしまう。明らかにいつもの弁当より中味が多い。後で胃もたれして「食わなきゃ良かった」と思う。でも、買ってしまうんだよなぁ。煩悩に負けてしまうんだよなぁ、わたし。

くやしいなぁ。

 

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モデルナアーム

先日、職域集団接種の問診担当をしていたとき、現場担当の男性から質問されました。
「10日ほど前に1回目を打ったんですが、今になって接種したところが大きく腫れ上がりました。大丈夫でしょうか? 実は、事務の女の子も1週間後に私よりもっと腫れていたんです。どうしてこんなことになるんでしょうか?」

その後、くだんの女の子を連れてきて、彼女のスマホで撮影した写真を見せてくれました。長径10cmもあろうかという膨隆疹でみるからに痛々しい。
「すごーい!」
「もう治ったんですけどね」
「かなり痒かった?」
「ちょっとだけですね」
「何もしなくて治ったの?」
「はい。今はもうほとんどわかりません」

ちょっと得意気に話した後、「2回目を打っても大丈夫でしょうか?」と・・・それが一番の心配事ですもんね。
「まあ、アレルギー反応ではあるけれど大したことなく治ったんだから、2回目の接種は受けて大丈夫でしょうね。でも、2回目の方がもっと酷くなるかもしれないから、あまり酷いとかなかなか治らないとかになったら皮膚科で軟膏もらった方がいいかもしれませんね」・・・あの時には何の知識もなくて一般的な返事をしましたが、その数日後にテレビニュースでこの現象のことを報じていました。そうめずらしいモノでもなかったみたいです。モデルナ製ワクチンの方が頻度が多いから『モデルナアーム』と呼ぶらしい。

一応、ネットの情報を載せておきます。2回目の接種の問診担当の時には自信を持って返答できそうです(まあ、当然、相手も知っているでしょうけれど)。

 

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親の心・・・(2)

(つづき)

東京の若者への妻の不満爆発のことを書きながら、実はそんなデリケートな内容を今ここに書きたかったわけではありません。

わたしたちが従事している人間ドックや健診は、検査することが目的なのではなく、その結果として異常だった項目に対してきちんと管理をすることが目的です。軽度の異常に対しては健康相談や指導をしますし、明らかな異常に対しては確実に医療機関受診への橋渡しできるようにフォローします。そんな中で、肝機能や血圧や血糖などの結果が極端に異常であったり急に悪化していたりしていた場合に至急で医療機関を受診するように特別に働きかけるようにしています。その日に説明をしたりあるいは電話連絡をして受診勧奨したり・・・ところがどんなことをしても絶対に受診しない人たちがいます。毎年同じ項目で指摘され徐々に悪化している人たちでも、きっと毎年発行されている紹介状を束でコレクションしているのでしょう(いや、たぶんそのまま捨てるのでしょうか)。毎年、担当の保健師さんが何度も連絡をし、フォローの手紙を書き続けているけれど無視している連中。「それなら健診を受けなければ良いのに」と思うけれど、それが労働者として雇用されている限りは受けなければならない義務だから受けているだけ。

そんな彼らは(若い人が多いですが)、決まって「自覚症状がないから」「面倒だから」「受診しても運動と食事の指示だけだから」「行ったら薬を出されて金と時間が勿体ないから」と云い訳します。「若いうちからこんな異常があると取り返しのつかないことになるので、今のうちにちゃんと治療しないと危険です」と保健師さんが親心を出して説得するのに、「オレの勝手だろ」と嘯く彼ら。そんなやり取りが、どこか東京の夜の街を徘徊する若者たちと重なってしまうわけです。大きな病気を患って初めて『あのときにちゃんと治療しておけば良かった』と後悔する事例を引き合いにして説得する彼女たちの熱意が、コロナに罹って後遺症で悩む若者たちがいかに多いかを切々と語る内科医のコトバと重なります。

それでも、その熱意はきっと彼らには届きますまい。それが自分中心の怖いもの知らずの若者の特徴というか特権(と思い込んでいる)なのかもしれません、残念だけど・・・。だからわたしはそんな彼らにはとても冷たい。「好きにしたらいいんじゃないの? もちろん悪くなっても手は貸しませんけど」的な・・・熱意だらけの保健師さんやお医者さんをありがたいと感じる瞬間が、彼らに早く起きるといいですけれど。

 

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親の心・・・(1)

「もう東京はダメだね。あそこの若者たちは自分のことしか考えてないもんね」と先日妻が吐き捨てるように云いました。

わたしたちが住んでいる田舎では、大して感染が流行していなくても必死にルールを守り、自分から何も起こさないようにします。そうしないと、もしいい加減なことしてコトを起こしたら間違いなく村八分に遭うし、家族や一族郎党までそこに住めなくなりかねません。それに対して東京の若者は「(赤信号)みんなで渡れば怖くない」的な日々を送っているのだから・・・と。

「自分の周りには罹った人いないから実感が湧かない」「若いと重症化しないらしいから」「自分たちだけ制限を強いられるのはおかしい」と少なくともマスコミのインタビューを受けている連中は主張しています。わたしたちの周りでも同じことなのにマジメに自粛するのは、社会性が保持されているからに他なりません。

「東京の人が何してても全然かまわないけれど、完全ロックダウンしてあいつらを関東圏から外に出させないでほしい。じゃないと、マジメに取り組んでやっと普通の環境に戻したわたしたちがバカをみるじゃない! 緊急事態宣言敷いてても東京からはじゃんじゃん人は移動するし、制限のない地方都市なら夜まで普通に飲んで食べてできるから絶対にあいつらやりたい放題するでしょ。みんな分かっているけど口にしないんだよ。一旦鎮静化した波が何度もぶり返すのは、あいつらが日本中にまき散らしに動いているからなんだから!」

妻の最近のぶち切れ方は、きっと心身ともに疲労しているからなのでしょう。そして、激しいアレルギーの持病のためにワクチン接種できずに取り残されている不安感も強いのかも知れません。  (つづく)

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ディスプレイ

定期発行の機関誌が本日発行されました。定期掲載のコラムを転載します。

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『ディスプレイ』

今や小学生の3割、中学生の半数以上が近視だそうで、パソコンやタブレットによる授業が誘因だと言われています。昔は、暗いところで本や漫画を読み過ぎると近視になると言われましたが、今はスマホやパソコンなどが自ら光を発しているからそれを暗闇で読んでも悪くならないそうです。むしろ明る過ぎて眼が疲れるので画面の明るさ調整をしています。教育現場のIT化は新型コロナ時代のオンライン授業で拍車がかかり、学校からの指示でわざわざパソコンやルーターを買った家庭も少なくないと聞いています。

でも、子どもたちの近視は、ディスプレイ画面を見ることによる眼精疲労よりも、遠くを見る機会が極端に減った影響が大きいと思います。黒板を見てノートに書き写すだけでも遠近の眼筋調整ができますが、机上の小さな画面を見るだけなら眼筋が退化して当たり前。コロナ禍でなくても外で遊ぶことは奨励されない昨今、引き籠もりの子どもたちの眼の行く末を案じています。慶應大学の研究によると、近視を予防する “バイオレットライト”という光は日光に含まれていますが、窓ガラス越しだと遮断されるそうです。これもまた外で遊べない最近の子どもたちを近視に導く要因です。サバンナの原住民のように遠くからの猛獣の襲撃を早めに察知する必要はなく、車の運転も自動運転になれば遠くを見なくていいし、遠くのきれいな景色はバーチャル画像で堪能すればいい・・・今の若い子たちの眼が徐々に退化しても特に困らなくなるのでしょうか。

ところで、世の中はペーパーレス化、デジタル化を推奨する流れの中にありますが、紙に書かれた文字を読む時とパソコンやスマホのディスプレイの文字を読む時とでは脳の働きが全く違うことをご存じでしょうか。紙に書かれた文字を読む時、脳は自動的に「分析モード」「批判モード」になり、ディスプレイを通しての透過光で文字を読む時は「パターン認識モード」「くつろぎモード」に切り替わるそうです。つまり、多量の情報を理解するには透過光(ディスプレイ)は適していますが、細かい内容分析に向いてないので誤字脱字や内容の細かいミスを見逃してしまう危険性があります。最近、公文書に誤字が多いのはそのせいかもしれません。小説を読むなら電子書籍を薦めますが決算書を確認するなら紙媒体の方が無難だということです。また、講演内容や掲示物を書き写す時には必要なものを自分なりに把握して取捨選択しますが、話すままにキーボードを打ったり、あるいはすぐにスマホで撮影したりする昨今、情報は漏らすことなく得ているのに頭は何も覚えていない、という空洞化現象が起きています。脳の加速度的な退化もこれまた時代の趨勢だと看過しても良いものなのか・・・アナログ時代最後の世代としてはちょっと不安です

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死んでしまっては

昨日、出身地の友人からメールが届きました。知人の高齢男性が2回目の新型コロナワクチン接種後から体調を崩し、それでも無理して仕事をしていたら突然倒れて急逝したとのこと。急性動脈解離が起きていたそうです。

この流れは、おそらく「ワクチンとの因果関係は無し」あるいは「因果関係は不明」として処理されることでしょう。接種後数時間して自宅で急に胸痛を自覚して大事をとって寝ていたらそのまま死亡した中年女性の話題もしばらく前にテレビでやっていました。彼女は急性心筋梗塞でした。新型コロナワクチン接種の普及状況に併せて接種後の副反応については毎日のように報道されていますが、徐々に死に至るような重篤な合併症の話は影を潜めてきました。それが意図的なのかそうでないのかは分かりませんが、おそらく確率的に前より減っているとは思えません。新型コロナウイルス感染、新型コロナウイルスワクチンともに想像以上の血栓が生じて血栓塞栓症を起こすかあるいは大量の血栓のために出血傾向になってしまう危険性があることは当初から云われてきました。ただ、そんな合併症を引き起こしたとしても特異的ではないのでおそらく解剖しても因果関係を立証することはむずかしいでしょう。

むしろ今は社会活動の正常化のために積極的にワクチン接種を進めるべきという風潮ですから、確率論としてわずかの比率で死に至る合併症(またはその可能性)があったとしても、大勢を押し止めさせる因子にはならないでしょう。だからこそ義務ではなく「自分の意志で受けるかどうかを決めてください」と云っていると国は主張するわけです。

わたしはワクチン否定論者ではないし実際に早々に実験台としての医療従事者として接種を済ませました。社会の正常化に向けて集団免疫を得るためにワクチン接種率が上がることは重要なことだと思います。でも、ついさっきまで普通に元気だった人がワクチン接種のちょっと後に命を落としている人が居ることもまた事実で、一般論としては低い確率ですがそれが自分の身内であれば100%以上の後悔をもたらす結果になります。その確率が道を歩いていてプリウスに跳ねられる比率と同じだとしても、それを同じと感じることはむずかしい。「社会を守るためにはその程度の犠牲はやむを得ない」・・・一般通念としては理解できるけれど、そのたまたまの”犠牲”が自分の身内だったらたまったモンじゃない、と思う。危険だから止めるべきだ!と声を上げる気はないけれど、どうか自分の身内にだけは何も起きないように(せめて発熱や痛み程度で)祈るばかりなのです。

わたしの回りでは今までには特に重篤な副反応を起こした人は居ませんが、まだ強い食物アレルギーの持ち主の妻が残っています。「怖いから受けない」と云っていたけれど、今後ワクチンを打ってないと社会生活が不自由になりそうなのがイヤだから、かかりつけ医の元で抗アレルギー剤を服用しながら受ける決心をしたそうです。彼女にアナフィラキシー反応が起きても想定の範囲内ですが、接種後の数日以内に心血管系の合併症が起きたりしないようただただ祈るばかりで、とりあえず二回目接種予定日の翌日と翌々日には有休を取ることにしました。

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膨らんでいくぞ

体重が増え始めたときって、簡単には歯止めが利かないモノなのですね。今まで年末の3ヶ月間に活動量計を身に付けているときしか体重を量らなかったので体感だけで評価していたのだけれど、今年は地道に更衣室の体重計に毎日載っているからその変化がよくわかる。先週末辺りからお腹周りが膨らんで案の定体重も増えてきて、「これはイカンぞ」とばかりに運動も夕食もそれなりに注意し始めたというのに、今週の毎日の体重測定は毎日100グラム増。今日ばかりは「絶対に減っているはず」と強い期待を持って載ったのに・・・またまた100グラム増。

ギリギリまで持ちこたえていた体内の代謝が、もう無理!とばかりにはじけ始めたら軌道修正を急いで図ってもすぐには止まらない。それが代謝というモノだということを毎日受診者の皆さんに話している立場なのに・・・なんともはや。

そうですとも。ここでめげずに地道に軌道修正の努力を続けていたら、吹き抜けの天上に付けたファンを下向き回りから上向き回りに替えたときにゆっくり止まってからゆっくり反対に動き始めるときのように、ほんとうにゆっくりとまた動き始めるはずのモノなのです。「負のスパイラルを止めて反対向きに持って行くにはそれなりのモチベーションが要りますよ」・・・まさに今がその時なのであります。ここで、「ま、いいや、お腹が出てきたところでそんなに困らないから」「また年末に頑張れば良いだけ」などという自らのアタマからの甘い誘惑のコトバに耳さえ貸さなければ、勝てるはずなのさ。

とか云いながら、今日の仕事帰りにスーパーによって、ビール・酎ハイやピーナッツなどを大量に買い漁ってきたわたしって・・・前途多難であります。でも、がんばってみます。

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マーキング

鈴鹿市の市道交差点で鉄製の信号機の支柱が根本から腐食して倒れた事故で、耐久年数の半分以下の年数で腐食した理由が散歩中の犬の尿だったというニュースが今朝テレビで流れました。”倒れた信号機の根元の地面からは、同じ交差点の別の信号と比べ42倍の尿素が検出された”とのことで、この支柱にオシッコをかける犬が多かったのが原因だった可能性が高いのだそうです。

それはまあ想像できるとして、このときのコメントとして、「犬の散歩をするときにはまず家で排泄させてから連れ出してほしい」とか「オシッコの性状をみると犬の健康状態がわかるのに外で排泄するとそれがわからなくなるからちゃんと家でオシッコさせて確認してください」とか専門家らしい人が云っていました。

「それ、どうよ?」って、愛犬家なら絶対にツッコミを入れるでしょう。その腐食した支柱に犬が大量のオシッコの垂れ流しをしていると思っているのでしょうか。電柱や信号機の支柱に小便するのはおそらく男の子。彼らが散歩中にオシッコするのはほぼマーキング。自分の勢力を誇示するためにする行為。別に小便をしたくてそこでするわけではないので、たとえ家で排泄してきてもそれとは関係なくそこに他の犬のオシッコの臭いがするならその上からその臭いを打ち消すように小便するのは当たり前です。オシッコした時にその上からペットボトルの水を形だけ掛けている人をよく見かけますが、あれでは腐食の予防にはなりますまい。むしろ、ワンちゃんたちに人気のスポットがあるのなら、そこを小さな柵で囲って直接かからないようにするとか腐食しない支柱にするとかそういう工夫の方が現実的ではありますまいか。

ちなみに、わが家の愛犬は女の子なので、マーキング的なオシッコはいたしません。

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緊急事態宣言の弊害

「くやしいだろな」といつも思います。

東京の緊急事態宣言4回目が今日発令されて8月22日まで続くという。わたしには、大学時代に演劇部で共にがんばった仲間がいます。彼らは東京で芝居をするために上京して30年以上がんばっています。彼らの公演が15日から始まるというこの時期に、突然の発令。想像は付いていたかもしれないけれど、これが「まん防継続」か「緊急事態宣言下」か「すべて解除」かで対応は全く違う。まじめに対応する人たちであればあるほど皆そうです(たぶん・・・日本人だから)。

世の中、『酒を提供する飲食店』の話題ばかり・・・彼らが如何に虐げられているのかはもう日本国民は全員良くわかっています。なにしろ、毎日テレビニュースで報道されていますから。本当に大変だろうと思います。でも、虐げられているのは飲食店だけではないことをわたしは知っています。劇場のイベントもそのひとつ。

むかしの仲間たちがやっている劇団の『29万の雫ウイルスと闘う 』もその影響を受けました。7月15日の初日に向けて猛練習中の発令だったと聞いています。この『29万の雫ウイルスと闘う』は宮崎県の口蹄疫を題材にした芝居です。現地宮﨑で地元の劇団員の元で上演されたモノです。あの口蹄疫でどんな葛藤があったかという話です。先日は、朝のNHK『おはよう日本』で特集がありました。

あの芝居、特に多くも東京民に観てほしいと思っていたモノ。なのに・・・まあ、19時~21時公演だから何とかギリギリ観れるスケジュールだけれど、芝居の醍醐味はその後・・・アフタートークが中止になっただけでなく、芝居の後に近くの居酒屋に寄って今日の芝居の内容を仲間と熱く語り合う、これが演劇人にとって一番の楽しみなのに、たぶんそれができないであろう不完全燃焼感。これはいつになったら解決するのでしょうか。

 

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つまずく

最近、歩いている途中で急につまずきそうになる回数が増えてきました。転ぶことはありませんが、何ということもない普通の平坦な廊下や道路でつまずきます。決まって左脚。おそらく、左脚が自分の思っているほど上がっていないのだと思われます。そういえば、最近、よくよろめきます。左側に・・・。

左の脚の筋力か神経がおかしくなっているのでしょう。運転中に交差点で信号無視の軽トラにぶっつけられて頚椎ヘルニア・腰椎ヘルニアを患ってからもう15年以上になります。受傷当時は左脚の痺れ感とか酷かったですが、すっかり慣れっこになって最近はまったく意識していませんでした。むしろ右肩の頚椎症や腱板断裂などの症状の方が生活に支障を来していたので、脚のことは忘れていたのです。

歳をとって、筋力も落ちてきて、古傷が再び微妙に目立ち始めてきたというところでしょうか。つまずかないようにあるいはよろめかないように注意して歩くことに留意しなければと気を引き締める今日この頃です。これが右脚でなくて良かったと思います。右脚だと、オートマチック車のアクセル・ブレーキ操作にも支障を来しますから。

 

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どっちか諦めてくれ!

12年ぶりに町田の犬舎から仔犬を迎え入れて10日め。先住犬とのせめぎ合いはあまり進展がありません。

飛行機を降りてわが家に着いて以降、一貫して先住犬に付いて回るチビは先住犬が好きで好きでたまらない様子。一時たりとも離れたくないのが見て取れる。そしてお尻に頭をツッコんだり長いヒゲを舐め回ったり飛びついたりと、あの手この手で気に入られようとするのだけれど、かえってこれが裏目に出る。

人生の約半分を一匹で過ごした先住犬12歳半は、完全に戸惑っています。それでなくても耳が遠くなって白内障も進んでいるというのに、想像だにしない方向から動きの速いチビが突進してくるから心安まらない様子。どう対処したらいいのか分からないから、ただただ「あっち行け!」とばかりに野太い声で吠えては階下に退散するばかり(まだ、チビは階段を降りれないのです)。面と向かって一括すれば少しはびびるかもしれないけれど、心優しい先住犬はあさっての方向向いて吠える。噛んだり振りほどいたりもしない。「空気を読め」というスタンスだけれど、生後11週の子どもにそれは無理。

傍から見ていると、頑固ばあちゃんにちょっかい出したくてまとわりつく孫の構図。ばあちゃんが叱るけどそれを面白がっている風。普通どっちかがそろそろ諦めるか折れるかするのだけれど、今のところどっちも全く引く気がない。

ほとんどの場合は傍観しているのだけれど、明け方4時過ぎからの2階寝室での激しい攻防はさすがに近所迷惑なモノで妻がナーバスになって「うるさーい!」と怒鳴る。でも、二匹ともまったく聞こえていない。先住犬が階下に降りれば落ち着くのに、嫌がる割には動く気がない。これは階下が暑いからかはたまた意地か。一方、チビを引き離すためにベッド横のケージに閉じ込めるとこの世の終わりと云わんばかりの甲高い鳴き声で騒ぐ。どっちもどっちである。

基本、放ったらかしを決め込んでいるわたしもさすがに眠れない。一応6時のアラームを合図にいつものように起き上がり先住犬を連れて階下へ。いつものように庭に小便のために出し、ゴミ出し・洗濯もの干し、犬の朝のフード出しなどしている間は各々に距離を置くので静かな時間になる。そしてわたしが出勤する朝7時、静かになった寝室で妻は完璧に寝落ちしている・・・これがここ数日のわが家の朝の風景なのであります。

各々に可愛い先住犬とチビ。各々に我が道を行くのはいいけれど、もうちっとだけ飼い主の顔色くらい窺ってほしいものだわ。

 

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老化予防に有酸素運動かぁ

高齢者の脳の老化予防に効果的なのはウォーキングなど「有酸素運動」 記憶力が低下する前に運動を始めることが大切

名古屋大学は、高齢者の認知機能の低下の予防するために、どのような運動が効果的かを明らかにしたと発表した。さまざまな運動の要素のうち、高齢者の記憶力の向上に有効だったのは、ウォーキングなどの有酸素運動だった。研究成果は、認知症を予防するための効果的な運動介入プログラムの作成に役立つものだ。”(保健指導リソースガイド2021年06月28日配信号)

認知機能低下に何らかの自覚がある人たちに対して行った検討で、有酸素運動、レジスタンストレーニング(筋トレ)、両者の複合運動のどれが効果があるかと云えば、有酸素運動だったのだそうです。複合運動でも良さそうな気がしたけれどそれには有意差がでなかったそうで、ちょっと意外でした。『1回60分・週2回の有酸素運動を行うと記憶力は向上』するそうです。ご参考までに。

ん~、でもそうかなぁ。最近、物忘れが多くなり話すときにワードが出なくなることが頻発しているわたしは、何年も前から毎日1万歩以上歩いているし、筋トレなんかしていないのだけれど、物忘れが良くなった印象がないですねぇ。「それだけ歩いているからこそ認知機能が今のレベルに維持されているんです」と云われてしまえばそれまでだけど・・・。有酸素運動の方が筋トレよりも認知機能低下防止に効果があるというのは理解できるし実践のモチベーションになるだろうけれど、高齢者でも基礎代謝維持に筋トレが良いことは明白なのだし、どうして「複合運動に勝るモノはない」のではないのか? そもそも、「呆けたくなかったら筋トレなんかするより歩け!」と云い放ってもいいものなのかしら。
 

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太ると禿げる?

肥満は薄毛・脱毛も引き起こす 肥満を早期から予防すれば、毛を生やす細胞を維持できる メカニズムを解明

 ”東京医科歯科大学などの研究グループは、高脂肪食などによる肥満が薄毛・脱毛を促進するメカニズムを解明した。肥満を引き起こす要因が、毛包幹細胞にも働きかけ、脱毛を促進しているという。早期から肥満を予防する介入を行うと、毛包幹細胞を維持でき、脱毛症の進行を抑制できることも明らかにした。”(保健指導リソースガイド2021年06月28日配信号)

老化に伴う薄毛は細胞の再生能力の低下によるものと理解しています。そこに生活スタイルの違いで程度に差が出ることも承知していますが、『高脂肪食で肥満になったマウスは毛の再生ができなくなる』とかいう研究結果、あるいは『肥満を予防すると毛包幹細胞を維持でき脱毛症をストップできる』という結果を若い頃から啓蒙/啓発すると少しは若い連中の暴飲暴食習慣に歯止めが利くのかもしれません。でも・・・残念ながら、若い頃のまだふさふさの髪をなびかせている連中にそれを云ってもきっと”馬の耳に念仏”だろうな。

わたしの父親はやせているのに30歳頃にはすでにほとんど毛が無く、遺伝的なものあるいは男性ホルモンによるものだと思っていました。だから若くしてわたしも禿げるものと覚悟していたら、意外にもいまだに薄くなってきません。これは、生活様式の徹底などではなく(若い頃から肥満と戦ってきましたから)単なる母方の遺伝が勝ったか隔世遺伝なのだろうなと思っています。むかしに比べて、太った人も髪の薄い人も増えた印象がありますが、同時にわたしのような白髪の男性も増えた気がしています。

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鉛のように重い

今日は久しぶりにToDoのほとんどないフリーな月曜日だから楽な気分で出勤できると思っていたのですが、想定外にキツい一日になりました。超眠い。

昨日の日曜日出勤で昼間の疲れ+ひいきのJ1チームの敗戦後のヤケ酒が効いて、睡眠リズムを壊して結局床に就いたのが1時前でした。新しいチビ犬がわが家に来てから1週間め、まだまだ先住犬と吠え合いして安眠できない毎日なのですが、昨日はめずらしく私が5時まで小便に起きなかったことが影響して新旧娘犬の大合唱の回数も少なかったのだけれど・・・きっと酒のせいで睡眠が浅かったんだろうと思います。とにかく辛かった。

考えたら、もう2週続きで週末休養をしていません。週末にじっとしていないのは今に始まったことではないけど、ひいきチームのホーム観戦+ゴルフ+草刈りみたいに、好きで動いているなら疲れないのだけど・・・土曜出勤+羽田空港日帰り(チビ犬受け取ってとんぼ返り)、土曜出勤+日曜出勤(新型コロナワクチン職域集団接種の手助けのため)と続くと、身体だけでなく意外に心も疲れる年齢になりました。今度の週末は、土曜出勤からのサッカー観戦(浦和レッズ戦)で夜中に帰り着いて翌日曜フリー(たぶん庭の草刈り)だから、これからの1週間を頑張ったら乗り越えられそうです。

どんなに好きなことをするとしても、そう無理は利かない歳になっているということを意識しなければならないと痛感しております。

 

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テーブルは物置じゃない!

わたしはスイーパー。とにかく、整理整頓して、余裕のあるスペースを作りたい。机の上が雑然となっているのがとにかく苦手です。なんか、自分の生活自体が乱れている感じがするから。

だから、わが家のキッチンの後ろ側に作っている作業台にスペースを作るべく、定期的に掃除・整理をするのです・・・が、スペースを作ると、必ずと云っていいほど数日後にモノで埋まってしまうのが悩みです。妻が埋めるのです。スーパーで買い物に行って買い物袋をとりあえず置こうとしたら、そのスペースすらない。「こんなときのためにここに場所を確保しておきたいんだよ!」と毎回云うけれど、「あーごめんごめん」と思っても居ないであろう謝り方をして聞き流す妻。まあ、クリエイターの妻(あるいは義母)とスイーパーのわたしとではこういう相容れない考え方の違いは多々あるので、諦めてはいるのですが。わたしはできるだけ何もない空間があるほど落ち着くけれど、彼らはできるだけ空間をモノで埋めてしまわないと落ち着かない親子。

でも、やはり、テーブルは物置ではないと思うのだわ。ちょっとしたグチです。

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せっかくの動画だから

いつでもどこでも、体ひとつでできる筋力トレ「佐倉市オリジナル体操」 コロナ禍での運動不足の解消やロコモ予防に

”順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科と千葉県佐倉市は、自分の体ひとつで手軽に実施できる10分間の運動プログラム「佐倉市オリジナル体操」を共同で制作した。運動不足や筋力低下により生じるロコモ(ロコモティブシンドローム:運動器症候群)や、2型糖尿病などの生活習慣病の予防・改善を目指している。”(保健指導リソースガイド2021年06月07日配信号)

昨年以降、コロナ禍で動かなくなっている皆さんのために体操やストレッチ運動の動画がたくさん発信されています。一番やりやすいものを一つでも体得しておくと良いと思います。

ところで、せっかく見るなら、できたら若いお嬢さんが出ているのが良いと思うのは私だけでしょうか。エロチックなお色気プンプン女性では運動になりませんが、元気印の若い美人さんだと無骨なお兄ちゃんやおばちゃんより運動する気が沸き立ってくる気がするのです。どうせ、毎回眺めながら一緒に動くのだから、画像の中であってもそんな美人さんにエスコートされる方が頑張れる気がするではありませんか。運動のモチベーションというのはこういう特典があってこそだといつも思っています。是非、ご検討を!

あ、まてよ。そうか! 
見てるのはオジサンだけじゃないのか! 
オバサンは筋肉質なイケメンお兄ちゃんの方が断然やる気が出るのか。
そうか。

そりゃそうだ。

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おいしく食べて低栄養予防

高齢者が地域で活用できるパンフレット「おいしく食べて低栄養予防」 栄養状態を自分で把握できる 通いの場などで活用

 ”東京都健康長寿医療センターは、高齢者の通いの場など地域で活用できる、低栄養予防のためのパンフレット「おいしく食べて低栄養予防」を作成した。通いの場に参加する高齢者が、自分の栄養状態を把握し、口腔機能の低下や低栄養などについて、自分のこととして理解できる内容になっている。”(保健指導リソースガイド2021年06月08日配信版)

とにかく今、シニア層で問題なのは、「過栄養(メタボ)」ではなくむしろ「低栄養(フレイル)」なのです。若い頃にマジメにメタボ対策に取り組んだ人ほど、「健康維持のためには粗食に徹するのが大事。食べなければ食べないほどサーチュイン遺伝子が発現して健康になれる」と信じて実践している人は、シニア層ほど多い印象があります。それはそれである意味間違いではないのでしょうが、筋肉をえぐり取ってまで痩せにこだわると、フレイルやサルコペニアといった不健康サイクルに落ち込むこともあります。

健康維持のために運動することは第一原則で、動かず食べずでは萎んでしまうのは必至ですが、次に注意すべきは食べること。わたしは食べることに理屈をこねるのは邪道だと思っていますが、少なくとも間違った概念で食べていないか、くすりと思って食べたくないモノ食べているのではないか、そんなことを心配しています。せっかく配信してくれているリーフレットですから、大いに参考にしていただきたいと思います。

おいしく食べて低栄養予防』(東京都健康長寿医療センター研究所発行)

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仕事上の身体活動は健康運動にならない

第21回日本抗加齢医学会総会が先週末に開催されました。例によってWeb参加を申し込みましたが、仕事や所用が多くてリアルタイムでの視聴はごく一部しかできませんでしたから7月後半のオンデマンド配信で細かく視聴させていただこうと考えています。

そんな中、シンポジウムのひとつで同志社大学の石井好二郎先生の『オベシティパラドックスとサルコイド肥満』の講演が頭に残りました。今、シニア層で問題になっているのはメタボよりもむしろフレイルやサルコペニアです。筋肉が落ちてやせていくほど死亡率が高くなる傾向にある中で、若い頃にたたき込まれたメタボ対策にいつまでも固執するとかえって危険なことがあります。それをふまえて運動の担う役割について解説していただきましたが、その中にショッキングなデータが提示されました。『余暇と仕事上の身体活動では健康に与える影響が異なる』というものです。余暇で楽しむ運動は運動強度が強いほど心血管イベント発生や全死亡が減るのに対して、仕事で動くときの身体活動はその強度が強いほど心血管イベント発生や死亡が増していくのだそうです。

わたしは運動指導をするときに、「遅くまで身体を使って仕事してきて、帰ってからまた歩いたりする気力が湧かない」と訴える受診者さんに、「仕事の運動も立派に身体活動ですから、それ以上する必要はないです」と話してきました。それは正しいようで正しくなかったということになります。もっとも、どれだけ仕事で動いて帰っても、好きな運動ならその後にいくらでもできます。好きでもない運動を強いられるから気力が湧かないのです。だから、”健康運動”と定義する以上は、”やりたくもないのに健康のためにやむを得ずやる運動”は余暇の運動ではなくむしろ仕事の運動に近いと考えた方がいいのかもしれません。『運動は楽しむもの』・・・その意識は失ってはいけない。特にシニア層の運動の意識は、楽しんでやっている人と好きじゃないけど”健康のために”やむを得ずやっている人とでは、効果に違いが出るだけでなくおそらく健康障害の程度にも影響を与えるに違いない・・・石井先生の講演を聴きながら、そんなことを思った次第です。

 

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運命的な巡り合わせ

先日、関東のブリーダーさんから仔犬をいただきました。なんと12年ぶりのパピーです。老夫婦に活力を与えてくれるのかエネルギーを抜き取られるのか、ちょっと賭けみたいなところもあります。

そんな今回の仔犬はかなりのご縁と幸運が重なりました。ご高齢のブリーダーさんは2年前に大病を患い命も危ないという状況でしたからもうブリーディングは止めたのだと思っていました。わたしたちももういい歳なので今から仔犬を育てるのは無理かなと諦めてもいました。でも、最近この犬種のパピーの画像があちこちでインスタに上がるようになり、最後にもう一度だけ育てたいなと思うようになりまして、久しぶりに犬舎にお電話したのが今年の初め。すると、「ずっと止めていたけれど体力が戻ってきたからもう一度だけ子作りしてみようかなと云っている」と奥さん。そんなことで今回誕生したうちの1匹がこの子。あのタイミングで電話したから生じた縁。今は対面販売しか許されないのと飛行機輸送がネット予約だけになったこととで、わたしが迎えに行く羽目になり、たまたま選んだ6月27日は台風5号が関東に向かって最接近する予報の日・・・ところが直前でスッと東の海に逃れ、台風によって押し上げられた梅雨前線で東京は大雨になるかも?と云っていたのに結局雨などほとんど降らず・・・この子の運の良さを感じずにはおられませんでした。ところが、手荷物カウンターで一騒動。「生後8週以降のペットは可」としていた航空会社が最近「生後4ヶ月」に変更されたのです。それは知っていましたが共同運航便の会社がOKだからここを選んだわけですが、この会社も7月からは4ヶ月に変更するらしい。つまり、この子、6月中じゃなかったら飛行機に乗れなかったかもしれない。これもまた、運命的な縁なのだろうと親バカぶりを発揮するわたしたち老夫婦。

一方、現在12歳半の先輩犬がわが家に来る予定の日に妻がインフルにかかったために1週間延期したら、当日だけ九州地方はピンポイントの嵐で、着陸できるのできないのの騒ぎになりました。着陸できなければ他に行くか戻ると云う。何とか何回目かのトライで降りてくれたけれど、吐物まみれになって出てきた彼女は暗闇恐怖症になりました。7歳のときに2回の熊本地震を経験し、立っていられないほどの揺れやあちこちでモノが壊れる中を逃げ惑った、普通なら人間でも経験することのない体験をしているがために、遠くで雷鳴が聞こえるだけで家中がガタガタ揺れるほどの激しく震えてしまうカラダになってしまいました。わたしたちの元に来たがためにアンラッキーな人生を選ばされた子なのです。自分で制御できないほどに震える姿をみると不憫になります。

何かのご縁で遠く熊本の地まで、わたしたち夫婦の元で人生を全うすることになったこの2匹のワン(本当は27年前にもう1匹同じ犬舎から来て14年弱の人生を共にした子もいます)は、運命的なものが全く正反対ではありますが、各々にわたしたちの大事な子。とにかく優しい良い子たちです。そしてわたしたちを守ってくれる子たちです。だから、最後までしっかりご縁を大切にしようと心に誓っているのであります。

 

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ちょっと思ったこと

たまには、ツッコミ書いても良いかしら。

<キャリア組とノンキャリア組>
最近キャリア官僚の詐欺事件とノンキャリア職員の盗撮事件が相次いで報道されました。まあ、キャリア官僚が給付金不正受給で捕まったヤツは「キャリア組」と報道しても合点はいく(医者や弁護士などが報じられるのと同じレベルでしょうから)けど、女子トイレを盗撮した経産省職員をわざわざ『ノンキャリア』を付けて報道する必要があるのかしら? 普通に”経産省職員”で十分ではないのか? これは差別用語にならないのか? 甚だ疑問です。それにしても、キャリア/ノンキャリアってカースト制と同じレベルなのですね。 

 <デルタ株>
インド型新型コロナを『デルタ株』と呼ぶらしい。国名を付けると国の印象が悪くなるから、とかで。ところでこのデルタ株、症状が従来型と違って発熱や咳など普通の風邪みたいな症状が主体だそうです。味覚・嗅覚の異常はほとんど出てこないのだそうです。だから「普通の風邪じゃないかと思って放置する人が少なくないから、ちょっとでもおかしかったら必ず新型コロナを疑って病院に相談してください」とテレビで云ってました。でも・・・コロナウイルスってそもそも普通感冒のウイルスなのだから、変異を重ねて先祖がえりしているということではいけないのかしら? 確かに感染力は従来型の2倍だからバージョンは上がっているのでしょうけれど。

 <韓国の柔軟性>
先日、TVのクイズ番組で見たのですが、歩きスマホの影響で信号無視する危険な歩行者が多いことに対する対策として、「歩行者信号を足元の道路に埋め込んでいる」というのが紹介されていました。韓国での話です。これが国民性か、それとも国の柔軟性か? 日本なら「歩きスマホをしない/させない」の徹底指導に全力をつぎ込むけれど、韓国は「どうせ歩きスマホは直らないだろうから、歩きスマホしていても無視できない施策」を考える。考え方の根本が違うのだと理解できる話。

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忙しいときは

今週はやたら忙しい。もちろん、仕事でではなくプライベートで。本当は25日から日本抗加齢学会総会が行われていてわたしはオンライン参加を申し込んでいるのだけれど、どうもLIVE配信ではほとんど参加できそうにありませんから後日のオンデマンドに期待するしかなさそうです。というのも、強行軍の県またぎ移動や銀行関連の諸手続に続き、急遽週末に強行軍の羽田空港行きの用事が加わったため。そして、次週からは病院近くの企業のワクチン接種の手助けをしなければならなくなったことも影響しています。

で、忙しくなるとわたしは若干パニクります。段取り屋ですから、これからやることのお品書きを最初に書いてスケジューリングしないと動けないのですが、「いつまでにあれとあれを片付けなければならない」「あそこに行くためには何を揃えたらいい?」「今からアレをしなければならないけど間に合うかしら」・・・予期不安に襲われながら、かえって何もできなくなったりします。

でも、そんなとき重要なことは「とにかくひとつひとつを確実に片付けていく」ということだと心得ています。こういうときこそ深呼吸して「なんでもないこと」と常に自分で確認しながら、粛々と片付けていく。そうすれば勝手にTo Doリストは静かに片付いていくはず。「焦らず、先送りせず、逃げずにひとつひとつ」・・・そう口に出して進めるように心がけている今日この頃です(まあ、このブログに手を出していること自体は、若干”逃避”がかかってはいますが)。

むかし、心臓カテーテル検査・治療に携わっていました。なかなか目的の血管に当たらずに焦っていたときに指導医から云われたことば、「焦ることはない、血管は必ずそこにある。逃げはしないから自信を持って探しなさい」

むかし、演劇部員だったころ、公演で使う電気コードが大量にこんがらがって収拾がつかなくなって途方に暮れていたとき、先輩が云ったことば、「一本一本は全部別なのだから、一本ずつ辿っていけば必ず解ける。焦らず、一本一本を手繰っていこうよ」

どっちも、今のようなマストの仕事量が折り重なってしまっているときのココロの支えです。

『焦らず、先送りせず、逃げずにひとつひとつ』

 

というわけで、しばらくブログは後回しです。

 

 

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下町商店街

第27回日本心臓リハビリテーション学会学術集会の中からもうひとつ、とても共感できた話題を・・・教育講演『都市計画と心臓リハビリテーション』。

郊外の計画的にデザインされたモダンな住宅街に住むのとごちゃごちゃした昔ながらの下町商店街に住むのと、どっちが健康的か?という、演者の井上茂先生(東京医大)の問いかけ。一見、郊外のモダンな住宅街で広い歩道や大きな公園や充実したショッピングモールも完備された場所の方が健康的で、散歩コースも十分あるから日常の運動生活にも不自由しないじゃないか、とわたしは思いましたが・・・確かに、この郊外の生活は車で移動することを念頭に置いて作られたアメリカ型の発想ですから、こんなところに住んだら自宅周辺で遊ぶ以外は必ず車移動(せいぜい自転車移動)を選択する人が大多数です(わたしは歩いて30分以内の場所へは意地でも歩いて移動しようとしますが)。下町商店街界隈のごちゃごちゃした街の中では車移動は微妙に不便で、住人は自ずと歩くことを余儀なくされます。勝手に運動せざるを得ない。まあ、面倒くさい近所付き合いも心身の健康のためにはかえって重要と云えるかもしれません。

先日の熊本での心リハ研究会で『社会的処方』について視聴しましたが、今、健康的な生活を送るための生活環境作りの考え方は、単に”便利”で”楽ちん”というキーワードではなくなってきているということを再び学びました。そして、行政は遙か前からこのことを念頭に置いた都市計画を行っているのだと云うことも知りました。オフィス環境でのデザインにおいても、確かに最近のオフィスでは座らずにディスカッションする光景を見かけます(うちの病院でも変わってきました)。

たしかに、東京大阪などの大都市では公共交通機関か徒歩での移動が主体になるから勝手にかなりの身体活動を強いられますが、田舎の地方都市で生活すると車移動が大原則で田舎の方が不健康な生活になったりすることを、わたしも経験してきました。

 

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行動経済学って?

先週末は、時間の合間を縫って第27回日本心臓リハビリテーション学会にオンラインで参加してとりあえずいくつかのオンデマンド配信の講演を視聴しました。コロナ禍で唯一良かったことはこうやって自宅に居ながら学会参加ができることです。旅費がかからないだけでなく、オンデマンド配信は何度でもあるいは24時間いつでも内容確認ができるというメリットを自分でも活かせるようになってきました。オンデマンド配信はこれから順次始まりますが、とりあえず初日に視聴した教育講演の中から、ココロに残った2つについて触れたいと思います。

最初に視聴したのは、大阪大学の平井啓先生の教育講演『心臓リハビリテーションにおけるナッジ理論と健康行動』。先生のご専門の行動経済学の立場から、「患者と医療者のすれ違いがなぜ起きるのか」のお話をしていただきました。これは治療現場から離れたわたしにとっても、予防医療の行動変容を導くために日々苦慮している点なのでとても参考になりました。医療者は「正しい情報を伝えれば患者は理解して正しい意思決定ができるはずだ」と思っているけれど、患者はいつでも合理的に意志決定するわけではないしそれが自然なので(限定合理性というらしい)、ここにすれ違いが生じるとのこと。変えなきゃと思うけど先延ばししたい、身近の情報やテレビの情報に影響受ける、今の状況をできたら変えたくない、せっかく今まで治療受けたのだから今更病院を変えたくない、などの心理だと。

『リバタリアン』『パターナリズム』『ナッジ理論』・・・ナッジ理論のことを以前どこかの学会か研修会で耳にしてとても興味を持っていたのでこの講演視聴を選択したのですが、むしろ『行動経済学』という未知の世界の人間心理を突く学問にとても興味津々になった講演でした。

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アンチエイジングは老化予防ではない

オンラインの専門医研修会には可能な限り登録参加しています。先日は、人間ドック健診専門医研修会がありました。その中で、アンチエイジングの世界では有名な米井嘉一先生(同志社大学)のセッションがありました。遠い昔、まだ抗加齢医学会が産声を上げる頃の学会でお見受けしたころには部下達を多数引き連れて若若しい先生でしたが、さすがに年齢を重ねたなあとちょっと感動しました(アンチエイジングの世界の人だからこんな書き方すると良くないのかしら)。

米井先生の講義:『睡眠の質の改善による身体指標の変化』は主に糖化ストレスとメラトニン、および寝具や睡眠環境の問題を系統だって整理してくれていてとても勉強になりました。あまり細かいことをここで紹介はできませんが、2つだけココロに残る内容がありました。

『アンチエイジングとは、アンチ病的エイジングの意味であり、機能年齢の老化予防・若返りである。』の中で、「アンチエイジングは『病的な老化』の予防だけではなく、『病的な発育・成熟』の予防の意味も含まれる」ということ。つまり、年寄りの問題だけがアンチエイジングではなく、まず子どものころの発育が健全であることが重要であるというコトバにハッとさせられました。発育の段階で不健全な生き方をすると人生のスタート時点ですでに不利な位置づけになるのだということ、とても大事なことです。糖化ストレスがアンチエイジングの重要な要因であるとなれば、食育こそがアンチエイジングの最大のキーワードだと皆が意識しなければならないと感じました。

もう一つは、『パイレーツの法則』。「10匹の敵がいたら2匹の強い敵を先に退治しろ。これで8割の目標は達成される」というもの。老化の大変なところは、何か重要な項目が病気などで衰えると他の項目(機能)がそれを補おうとするのではなく全部の機能を同等に低下させてバランスを取るということを以前聞いたことがあります。それと繋がる項目かと思います。「老化指標10項目のうち重要な2項目を修正するのが大切である・・・それが最も老化した”機能年齢”と最も大きな”老化危険因子”を見つけ出して修正する」ということ、これからの予防医療の指導でいつも意識しておきたいと思います。というか、まずは自分の人生で活かさないといけませんね。

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生活習慣を変えるって簡単じゃない

「あなたは、他人には厳しいけど、自分には甘いよね」と妻に云われ続けてもう20年近い。妻の前で出てきたお腹をさすっていると、「簡単よ。あなたは、お酒とピーナッツやめたらすぐに引っ込むよ」と手厳しいご指摘を受けます。

そうなんです。こんな仕事をしているから、自分なりに風体には気を遣って頑張ってみてはいるのだけれど、なんせほら、わたしの豊富な脂肪細胞のキャパは高校時代に大事に作り上げたものですし、目の前にあるものをすべて口に入れるのは”勿体ないお化け”の権化の祖母から厳しく指導された”たしなみ”ですし、「この子は、熱が40度以上あっても、角缶のあられを全部食べてしまったんだよ」と幼い頃の武勇伝をヒトに自慢する父親に育てられ、あまり料理が得意ではない母が頑張って作ってくれたたくさんの夕飯を残したりできなかったのであります。「なーん遠慮しよんのかえ、若えもんはとにかく食べるのが仕事で!」と訪問する度に大量の料理責めをしてくれた父方の叔母。「あんた、良う食べるなぁ。さすがは健康優良児やな」とちょっとあきれ顔で眺める母方の伯母。

わたしが今のわたしであるのは、そんな恵まれた生活環境にいたからに他なりません。

それでも、まあ一時は90キロ以上の体重になったこともありますが、おかげさまでまあまあ普通の大柄体型で落ち着いたのは、おそらく父方にも母方にも、真のサバイバル遺伝子が存在しなかったからでありましょう。

 

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誰に言い訳する?

「わたし、ちゃんと毎朝ウォーキングしているんですよ」
「週1回はプールで泳いでいます」

人間ドックの問診や結果説明のときによくこういう言い訳(「言い訳」という云い方に悪意があるか?)を云う人がいますが、彼らは一体ナニに対して言い訳しているのだろう?とわたしは密かに首を傾げています。

したくもないことに対して「自分はこんなに頑張っているんだ」という主張なのでしょうけれど、その効果や成果を評価してもらう相手はわたしたちではなく、常に”自分自身”です。大義名分を振りかざして自分の頑張りを主張したところで、自分のカラダが認めない(成果が認められない)ならそれはやっていないのと同じ。云うならば、生活習慣病に対する行動変容は、”自分自身との戦い”というか”自分自身との対話”でしかないことを意識してもらいたい。

自分の決めたことに対して、自分は勝ったのか負けたのか、誰かに言い訳するのではなく、自分自身に正直に向かい合って正直に自己評価してみましょう。最近、地元の焼酎のCMで若い女性が焼酎飲みながら自分自身の分身と会話しているヤツがありますが、あれと同じですね。わたしも毎日毎晩会話しています(ときには口に出して独り言云ってみたり)。これ、意外におもしろい。自分に勝った負けたの判定は、誰にも公表しない戦いだから正直になれるし、負けそうになりながら何とか挽回して勝てたときにはちょっとほくそ笑んでしまいます。もちろん負けたらため息をついて凹みますけど、いつでもそこでリセットしてしまえるのが良いところです。

 

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誰に勝つ?

特定保健指導では、自分で頑張る具体的な行動目標をいくつか並べて毎日「勝った」「負けた」と自己評価することで目標達成を目指します。いうならば、”自分との戦い”。ところが、人間はどうしても自分には甘くなるので、大きな目的とモチベーションがないと行動変容はむずかしい。それを防ぐために傍から監視して叱咤激励してもらうことで頑張らせようという魂胆が特定保健指導です。これを受ける人はもともとマジメで、自分の健康を何とかしたいと思うから参加するわけだから成果はそれなりに出るのですが、やはり長続きしない・・・監視の目がなくなると結局自分に負けてしまうのが人間の性(さが)というものなのでしょう。

何かをやりとげようとするとき、ヒトは必ず何かと戦います。『競争する』という行動は強い行動変容のモチベーションになりますが、それを他人に求めるか自分に求めるか。「あいつには負けたくないから頑張る」・・・これはものすごいモチベーションです。スポーツなどで大成するヒトには必ずライバル(好敵手)が存在します。時々人間ドックを友人と受診して、「目標体重に近づけた方がお酒をおごる」などというレベルのゲームをしているヒトもいますが、まあそれもヨシでしょう。でも、わたしは子どものころからヒトと競うのが好きではありませんでした。負けるのがイヤだったからかもしれませんが、少なくとも何かをしようとするときに他人を基準にしたことはありません。両親もそういう叱咤激励の仕方をしませんでした。だから、わたしの場合は自分との戦いになります。そして、多くの場合(特に生活管理や体重管理においては)、負けます。「また負けちゃったよ」と自分で自嘲しながら苦笑いします。

そんなわたしが、今、ちょっと頑張っています。毎年恒例の生活改善3ヶ月で成果を出した後、その期間にしか絶対に載らないことにしている体重計に今でも毎日載っているのです。こっそり自分と戦うとき、数字の威力はバカになりません。もはや監視をして褒めてくれる保健師さんも付いていないけれど、毎日の歩数と毎日の体重は数値で出るので思いの外必死になれます。月曜日に先週末より増えている体重を何とか週末までに下げる努力。梅雨で夕散歩できない日にどうやって目標歩数に到達させるか職場で苦闘する日々。自分とだけの戦いを挑み始めると、それはそれで楽しいモチベーションの日々です。増えていると分かっていても昼前には体重計に載りにロッカールームに行かずにおれないわたしって、意外にかわいい(笑)

 わたしは自分との戦いにだけは負けたくない、と思っています。たとえ他人に褒めてもらえなくても、あるいは叱られなくても、自分を自分で監視する上で、自分の目には負けたくない。自分にだけはウソはつきたくない。人生の終末点に近くなってきて、そんなことを思うようになってきた今日この頃なのであります。

 

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