不便?

『不便』と『便利』が共存すると、ヒトはどうしても『不便』に目が行く! というはなし。

うちの病院の画像システムがバージョンアップしたおかげで、病院内ではサクサクと快適に検査や読影ができている様なのですが、わたしの働く部署のシステムだけが昔のままなので、スペックが追いついて行かず、毎日不具合の連続です。

そんな毎日の中で、担当者は日々奮闘してくれているわけです。そのおかげで、とても便利に修正してもらえた部分がある反面、前より使いにくくなった面も生じてきました。こんな場合、担当者は「便利になったことをもっと褒めてよ!」と思うのでしょうが、利用者は不便になってしまった部分の方が気になって、「どうしてこの不便な部分が問題なんだということに気付かないのか?」と不満を膨らませるだけ。この感覚の違いは立場の違いからくるものなので、どうしても埋まらない溝なのかもしれません。

でも、最終的に総括すると、利用者にとっては『改悪』という印象になってしまうのが常。世の中のいろいろなシステムの更新や制度の変更で起きる問題です。「前よりこれだけ便利になりましたよ」とPRする裏で、必ず「なんであの便利な機能をやめたの?」と批判が出て、結局「今回の変更は無駄な変更だった!」という批判を浴びせられるわけ。まあ、しょうがないですけど・・・で、ほんの数カ月するとすっかり慣れてしまって、それが当たり前になるわけでしょう。

うちもそんな日が早く来ないかしら。

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まめ太郎2017受け取りました

今年で4回目のまめ太郎チャレンジ。去年はちょっと慣れっこになってしまって目的は達成できなかった感があったけど、今年はどうなりますか。そんな魔法のライフコーダ『まめ太郎2017』を昨日受け取りました。

『まめ太郎』を身に付けるとそれなりの効果があるから、「それならずっと身に付けてたらいいんじゃないんですか」と云われるけれど、それはムリ。3か月の限定だから頑張れる。その感覚には変化がありません。ただ、慣れてきて、3か月限定でもあまりストイックに取り組めなくなっているのがちょっと気になります。1年目に10キロ以上減量できたものだから、「まめ太郎を身に付けさえすれば何もしなくていい」と勘違いしている自分が居るのは確か。

昨日測定の体重80.7kg、体脂肪率21.9%、脂肪量17.7kg、筋肉量59.7㎏

前回の最終測定値は体重76.2kg、体脂肪率19.1%、脂肪量14.6kg、筋肉量58.4㎏

ま、再び増えた4.5㎏の大部分が脂肪だと云うことと、心配していたほどは筋肉量が落ちていなかったことがわかりました。まだ正式には決まっていませんが、今回の行動目標考えてみました。

1.歩数8000歩:10000歩以上歩くと股関節が痛くなって足の裏が痛くなるようになったのと、散歩の友のワンが歳を取ってあまり長く歩けなくなったから、ちょっと短め目標に変えました。

2.ウエストのシェイプアップ:体重減少は必要ないが腰回りをスッキリさせたい。そのための体幹トレーニングを今回こそ毎日行いたい。

3.夕食前に酒を飲まない

4.仕事帰りにコンビニに寄らない

5.うたた寝しない

6.23時までに就寝

ここまでは昨年までとほとんど変わらないので、何か新しいものをと考えてみたのは、

7.姿勢の確認を朝昼晩3回行う:年寄りの象徴=猫背にならないようにしたい

8.毎日最低1つのゴキゲンなことを見つける

さてさて、どうなりますことやら。

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我慢

『我慢(がまん)』と云えば「辛いことを耐え忍ぶこと」ですが、元々の由来である仏教用語としての『我慢』の意味は全く違います。

煩悩のひとつで、強い自己意識やプライドからくる慢心のこと・・・『我に執着し、我をよりどころとする心から、自分を偉いと思っておごり、他を侮ること。高慢』と解説されています。

4つの煩悩=四漫(増上漫・卑下漫・我漫・邪漫)

うぬぼれのこころ=七慢(慢・過慢・慢過慢・我慢・増上慢・卑慢・邪慢)

漫=自分より劣った人を上から見下す心、傲慢

ほーら。だからね、我慢強いことは決して良いことばかりじゃないのよ。生活習慣病の行動変容を促すときにみんなが使うことばが『我慢』ですけれど、「我慢の先には健康はない」といつもわたしが云ってきたじゃないですか。我慢は傲慢、「うぬぼれの心で意地を張ることなんだ」と思えば、我慢なんかしなくなれると思う。”欲を得るために漫を捨てる”は、仏教的には本末転倒なのかもしれないけれど、この屁理屈、なんか気に入ったから、今度の講演で使っちゃおうかな。

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禁煙何年で喫煙歴ゼロと同じ?

日本の喫煙者のがんリスク、禁煙何年で喫煙歴ゼロと同じに?

日本人のがん罹患リスクは、男性で21年以上、女性で11年以上禁煙すれば、喫煙歴のない人と同レベルまで低下することが、東京大学の齋藤 英子氏らによる研究で明らかになった。男性では、20 pack-year以上のヘビースモーカーにおいても同様の結果であるという。早いうちに禁煙することが、がん予防への近道であると考えられる。Cancer epidemiology誌オンライン版2017年11月2日号の報告

CreNetに紹介されていた記事を読む。本数は検討されているけれど禁煙開始までの喫煙年数は書かれていません。ただ、これをどう読み解くのか? 「影響をゼロにするにはそんなに多くの年数を要するのか」と落胆し、「じゃあ、今さらやめても大差ないかな」と云い訳の方に持って行くのか、「そんなに大変ならさっさと止めちゃえ」と持って行くのか。あるいは、「どんだけ吸っていても吸ってないときと同じレベルまでになれるんだ」ということに感動するのか。

これは・・・非喫煙者は禁煙指導に利用できると思うかもしれないけれど、喫煙者は諦め理論の根拠に利用するのが必然でしょう。かといって、もしも逆に5年くらいでご破算にできるなんて結果が出たら、やめる人が増えるどころか、逆に「いつでもやめられるわ」派が増えるだけでしょう。

いつかはやめようと本気で考えている誰かがこれをみて、実行のきっかけになってくれるといいですね。ちなみにわたしの齢で禁煙に踏み切ると、がん罹患リスクが普通と同じになるのが80歳・・・そこまで生きてないだろうなあ(笑)

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アテンダントさん

身内の手褒めみたいで申し訳ないですけれど、うちの職場のフロアアテンダントのお嬢さん方は、若いのにとても優秀です。

なにしろ大勢やってくる受診者の皆さんの道先案内人。決まった順路に従って決まったように進ませるのではありません。空いている検査を確認してバランスよく各々違う所に案内するのです。何かとクレームを云う人もいるし、どうしたらいいか分からず途方に暮れている人もいます。予定していた検査が予定通り進まない時もあれば、予定していた医者が急に休む場合も少なくありません。医師に結果説明をお願いしようとしたら「わたしはイヤ」と門前払いを食らわされることもあります。そんな日々、何事もなかったかのようにスムーズに流れて一日が無事に終われるのは、ひとえにこのアテンダントの皆さんのおかげなのです。彼女たちが夕方遅くまで翌日の計画を綿密に立てているのを知っています。

何年も居るベテランさんに指導を受けた若いお嬢さん方が本当に優秀なので日々感心している次第です。理不尽なことを云われてもきちんと対処し、顔色ひとつ変えずにいつもニコニコして臨機応変に捌いていく。よく考えたらわたしたち医師はいつも彼女たちの小さな掌の中で踊らされているわけですが、それが心地いいと感じるくらいです。どうして一人も”ダメな子”が居ないのか、そんなにまでして頑張れる理由は何か、最近はそんな思いで彼女たちを眺めています。もちろん、何人もの人が短期間で辞めて他の仕事に移っていきましたから、自然淘汰されて残った人たちであることは確かなのですが、それでも、一人か二人は”できない子”がいて、周りがそれを上手くフォローするというのが普通の会社。おそらく病院の看護師さんや技師さんや事務職たちの集団には必ず居るはずです。

仕事をする上で万事を彼女たちに任せられるというのは、とても楽です。本当に良い環境で働かせてもらっています。唯一の悩みは若い女性たちだから、結婚や出産や夫の転勤で居なくなってしまうだろうということ。

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低体温

「体温が35度くらいしかないんです。どうやったら、体温を上げられますか?」

先日、健康相談に来た70代の女性の相談はそんな内容でした。

「何か体調でもわるいんですか?」
「いいえ、とても元気です」
「なのに、今の体温が不満ですか?」

そう聞いたら、「こないだテレビでやってたでしょ。『体温が低いと免疫力が落ちてがんになりやすい』って。体温が1度下がるだけで免疫力が〇%落ちるって云ってたのを聞いて怖くなって。テレビでいっていたとおりに運動したり生姜を食べたりしたけど、体温が上がらないんです。あと、どんなことしたら体温が上がりますか?」と切々と語られました。

困ったもんです。テレビの健康番組で云っている理屈は正しい。でも、こうやって必要もなく悩む人がたくさん出てきているであろうことをもうちょっと配慮して番組を作ってほしいです。ターゲットになっている主体は最近の若者でしょう。空調管理や食事のバランスの悪さ、あるいは運動不足などで自律神経がちゃんと働けなくなっている若者たちの平温は、たしかに低いと思います。彼らはもう少し代謝を上げてやらないとがんだけでなく簡単に感染症になったりしますから、代謝を上げるための生活の注意はしっかりすべきでしょう。高齢者もまた動くのが億劫になって家に引きこもり、筋肉が落ちてきてロコモやサルコペニアの問題に派生する可能性もありますから、代謝を上げる努力はするに越したことはありません。

ただ、日頃からそんなこと普通にやっている人たち(こんな人たちの方がかえって健康に気を配るのでこういう番組を見るのでしょうが)がさらに気をつけても上がらない体温は、上がらなくて正解なのだと思います。このカラダにはこの体温でいいとカラダが判断しているから上がらないのに、「がんばっても体温が上がらないので自分はがんになりやすいのではないか」と悲観させてしまうなんて、なんか悲しい限りです。

みなさん、くれぐれも、『健康』に押し潰されません様に。

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腎結石とがん死亡

再発腎結石はESRD、死亡の高リスク

腎結石は末期腎疾患(ESRD)および心血管イベントのリスクの増加と関係する』と云われており、『初発ではなく再発の症候性腎結石患者は末期腎疾患および死亡のリスクが高いこと』などをアメリカMayo ClinicのTsering Dhondup氏らが報告した、という記事もMedical tribuneで紹介されていました。

つい数日前にも結石が排石されたばかりのわたし。高校卒業後から尿管結石は何度も経験し、一晩に左右から落ちたこともあれば、年に3回も4回も排石された経験もあります。となると、わたしは、『再発の症候性腎結石は、より高い死亡率、特にがん死亡率と関係する』というやつに当てはまるわけで、腎臓がんと尿路のがんに注意が必要だということなのでしょうか。たしかに若い頃に生命保険に入ろうとしたらに、「尿管結石の既往がある」というだけで、がん保険には入れなくて、「何の関係があるんだよ」とアタマに来たことがありました。あれは、決して的外れではなかったということでしょうか。

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慢性腎臓病と身体能力

Medical Tribuneの配信記事にCKD(慢性腎臓病)の指標であるeGFR(推算糸球体濾過量)と身体機能についての記事が2つまとめて出ていました。

CKD患者の身体機能に歩幅が関連

eGFR低下は身体機能を左右しない

基本的に欧米人のデータなのであまり深くは読む気にはなれないのですが、CKD患者の運動障害や身体機能障害が合併症や死亡の要因となるため、『身体機能低下の予測因子は高リスク症例の早期発見を促す可能性』があるというのは周知の事実。そして、その予測因子に歩行速度だけでなく歩幅も重要である(『歩幅が狭いことが身体機能の低下や転倒のしやすさと関連する』)という報告をしたのがアメリカAlbert Einstein College of MedicineのMatthew K. Abramowitz氏らです。「で、だから何?」と突っこむのがわたしの趣味。要するに、「CKD患者さんはできるだけ意識して歩幅を広くさせながら早足で歩くように指導しなさい」ってことなの?

何か違うんじゃないの?と思ったところでもうひとつのアイルランドからのコホート研究の報告(Trinity College DublinのMark Canney氏ら)です。『高齢者ではeGFRが低値であるほど身体機能検査の成績が悪い』ことは分かっているが、これは腎機能が下がるから身体機能が低下するのか?という検討。背景因子で補正したらeGFRの程度が高くても低くてもリスクに差はなかったという結果が出たそうで、要するに「この相関関係は結果であって原因ではない」ということがわかったということなのだと思います。ま、そらそうでしょうね。「だから何?」という点では同じですかね。

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赤属性

うちの施設では、いろんなトラブルがあった受診者を『赤属性』といいます。説明画面の中にある属性項目が赤色に換わっている場合は、「こっそり注意事項を読んでおきなさい」というもの。もちろん、中身は千差万別・・・アレルギー情報や以前の検査で貧血を起こしたなどというものもあればクレームを毎回云われるとか突然キレるとか、そんなものまで。

で、この後半の部類の赤属性の人が来るとかなり緊張するのですが、それでも最近こういう人は本当に少なくなった気がします。そもそも、事務方のお嬢さんや保健師さんたちには上から目線の高飛車な態度でクレームばかり云うのに、医者の前では手のひらを返したようにニコニコして従順に話を聞く人は少なくありません。

それを考慮しても、10年前に比べると明らかにそういう連中は減りました。診察室に不機嫌きわまりない態度で入ってくる人も少ないし、突然しつこく文句云う人も少なくなった。どうしてなのだろう、と考えてしまいます。経年的に自然淘汰された(そういう連中は受診しなくなったとか毎年のことだから諦められてしまったとか)可能性もあれば、経験数が増えて自分の対応の仕方が上手くなった可能性もあります。でも、世の中ずっと続いているものというのは、どこもこういうものなのかな。

どっちにしても、いいこと。

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LDLと感染症

出た出た。「超善玉ホルモン(長生きホルモン)ことアディポネクチンが多いと骨粗鬆症になりやすい」と云うデータに続いて、今度は「LDLコレステロールが多いと感染症になりにくい」と云う報告。

LDL-Cは血液透析患者の感染症リスクを低減

これは血液透析患者に限った検討ではありますが、『LDL-Cは細菌性毒素の吸収および不活化に働いて、先天免疫に関与している可能性が考えられている』という理論は普遍的な内容なのでしょうから、生命予後には有意な関連はないにしても、一般人でも「LDLコレステロールを減らすと感染症になりやすい」可能性はあるのではなかろうか。

『血液透析患者における動脈硬化性疾患ではLDL-Cよりも炎症の関与がより大きく、炎症そのものや細菌性毒素などが炎症を起こすプロセスの抑制がより重要な可能性がある』というコメントは重要な示唆だと思います。

というか、やっぱり生き物のカラダに存在するすべてのものには大事な役割があって、「少なければ少ないほどいい」なんてものは存在しない(そんなものがあるなら最初から消えてなくなるはず)し、「多ければ多いほどいい」というものも存在しない(そんなものがあるなら最初から増量し続けるようにプログラムされるはず)という当たり前の摂理を、世の中のすべての者があらためて認識すべきであるということを示していると感じています。

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達観した子ども

Infants make more attempts to achieve a goal when they see adults persist.
(大人が粘り強いのを見ると幼児は目標を達成しようとする試みを多くする)

毎月、日本ポジティブサイコロジー医学会の会員宛に配信されてくるメルマガの10月号の中にこういう論文が紹介されていました。Science 2017,357に掲載されたもので、生後15か月の幼児に対して、大人がいろいろ試行錯誤しながら目標達成のために粘り強く努力している姿を見せると、大人が楽に目標達成できている姿を見せる場合に比べて、その後自分に課せられた新しい課題を克服しようと試行錯誤する態度が強くなることが分かったそうです。紹介と解説をしている京都大学の高橋英彦准教授によると、子どものうちから周囲の大人(特に親)が目標に向かって努力を重ねている姿を見て育つと、努力することの普遍的価値を見出して、新たな課題に直面した時に粘り強く試行錯誤を繰り返す姿勢が強まることを示しているとのこと。

そんなサマリーを読みながら、すぐに違うことを考えてしまうわたし。「人生、努力するココロを持って貪欲に頑張ることが大事なんだぞ」ということを、幼少の頃から身に付けていることが、人間のココロの成長を促し、将来の成功につながるのだということに納得する一方で、物心ついた頃から、邪念を持つことなく一切の欲も抱かずあるがままにすべてを受け入れる聖人のような生き方をする親の姿を観て育った子の価値観はどうなのかしら? 仏陀やキリスト以上のカリスマが育ったりしないのだろうかと、今のわたしはそっちの方がはるかに興味があります。

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健康講話

毎年恒例のイベントとして引き受けて来ていた2つの講演を今年度はお断りしました。1つは某企業の退職前の職員に退職後のライフプランを立てさせる研修会の中での健康講話。もう1つはこれから健診や特定健診に携わる保健師さんたちに対する講義です。昨年も一昨年も辞退の意思表示をしていたのになんやかやと押し切られてしまったから、昨年度の講演の最後に、「もう本当にこれで最後ですから」と断言してやっと実現しました。

断わった理由について、公式には「5年以上続けると内容がマンネリ化して新鮮味がなくなるから」「わたしの話はハッタリ主体なので、もっと若くて詳しい人に替わった方がいい」ということにしています。「どうせ新しい講師を探すのが大変だから惰性で依頼しているのでしょ!」と皮肉を加えて。でも、本当の理由は違います。

ライフプランの方は、いつのまにか対象者が皆わたしより年下になりました。自分が対象年齢より年上になった以上、これから健康を維持するためにどういうことに注意したらいいかという自分の話す理論について、自分が体現させていなければ示しがつかないではありませんか。「で、先生はしているんですか」と聞かれた時に、できてないと全然説得力がないですからね。保健師さんたちへの講義も同じ。自分のできてないことを話すと単なる机上の空論になりかねません。「おまえは、自分ができもしないことを人にさせようとしているのか?」と疑われそうですが、わたしは自分のできないことは話しません。自分のできることを話します。だから、話す内容が徐々に教科書的な理論とは離れていきつつあるのであります。

生活変容の専門的な話は、全く他人事の立場の人が話す方がグイグイ引っ張っていけるものです。

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健康長寿

特別にやりたいこともないのに、健康長寿を目指す意味なんかあるのだろうか?という疑問が、ずっとわたしのアタマから離れません。

「何のタメに節制するの?」

「やりたいことをやって、健康で長生きするためよ」

「やりたいことがないのに?」

「やりたいことを探せばいい」

「長生きするためにやりたいことを探すの?」

こんなことをすると寿命が何年短くなるとか、あんなことをしていると死亡率が何十パーセント高くなるとか、逆にこういうものを食べると長生きできるとか、そんな健康に関するデータが毎日のように発表されています。「早死にするよりは元気で長生きな方が良いに決まっているでしょ!」と云われるけれど、ホントにそうなのか。「死ぬのは怖い。だからできたら死ぬことを考えたくない」・・・というのは理解できるけれど、無理して長生きすることの意義がよく分からなくなっている今日この頃であります。

まあ、神様に生かしてもらっている身としては、「つまらないことを考えずに、今という時間を一生懸命に生きなさい」と叱られそうなので、この辺にしておきましょか。

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アップルの社員証

昨日、フェイスブックを眺めていて、こんな記事を見つけました。

<Appleの社員証の裏につづられた11の言葉>

JB(ジョン・ブラウン)の成功するためのルール

・活かすべきは、未来だ。古いものは手放そう。
・いつも真実を伝えよう。悪い知らせほど、早く聞きたいものだから。
・誠実であること。そして、何かに疑いを抱いたら、すぐさま尋ねよう。
・その他大勢の営業マンではなく、優れたビジネスマンになろう。
・床掃除は全員で。
・態度、話しかた、周囲へのフォローにおいて、プロフェショナルになろう。
・お客様の話に耳をかたむけて。ほとんどの場合、お客様は分かっているのだから。
・お互いが利益を得るような関係を、パートナーと築くこと。
・従業員同士が気を配り、情報共有をするような環境がよい。
・あまりにも生真面目になりすぎないこと。
・楽しまなければ、意味がない。

昨日は、これからの事業を進める上で、今だからこそできることはなにかを考える会議を1時間行ったばかりでした。利益を得られる企画がどうだとか、健診事業のあるべき道はどうだとか、そういうものではなく、純粋に『人々が健康を得られるような試み』を考えたい、という話し合い・・・現実を考えるとなかなか夢を語れない時代、だからこそもっとウキウキ(受ける側も提供する側も)する企画を考えたい。そんな会議の後だったからこそ、妙にこの記事がココロに響きました。特に、最後の2つ・・・『あまりに生真面目になりすぎないこと』『楽しまなければ、意味がない』・・・是非ともスタッフの全員がこの2つの言葉を常に意識して生きて行ってほしいと思いました。

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高血圧の持論

「そうなんだよ。だからオレは1年間飲まされたクスリを、すっぱりやめたんだ」

わたしより若干若い彼は、突然饒舌に語り始めました。「クスリを飲むと良い感じの値になります。それはとても良いことなのですが、そうなると人間は努力をしなくなりますから、気を付けてくださいね」とわたしが云ったのがきっかけでした。

「人間として耐えられないんだよ。クスリを飲んで正常にしないといけないなんてことは本当じゃないと思うし、ワタシはそんなのは好かん。そんなものに頼らなくても、日常をきちんと生きておけば絶対に良くなるはずなんだ。一体、ワタシのやり方の何が悪いから、血圧が下がらんのかい? どうやったら良くなるのか教えてほしい」と彼は云うのです。

それだけ頑張っていても下がらないのなら、『体質』というものだから、現代社会に生きようとする限りクスリの助けがないと難しいと思います。「今の仕事をすっぱりやめて、どこかの山奥に篭って社会とのつながりを断って、自給自足、悠々自適、晴耕雨読の人生を送るなら、クスリなんて要らなくなると思いますけど・・・」と云ったら、「そんなことはムリだ」と一蹴されてしまいました。「それはおかしい。ワタシは何も悪いことはしていないのだ。運動も食事も睡眠もきちんと注意して生きているんだから、そんなワタシがそんな仕打ちを受けなければならない道理がない」・・・。

納得はしてもらえませんでした。「高血圧がずっと続いている方が圧力に慣れている。いつも低い血圧の連中は急に圧力が上がると慣れないものだからすぐに壁が壊れるかもしれないが、ワタシのように何十年も高血圧の人間は鍛えられているから大丈夫なんだ」と持論を展開して高血圧治療を拒んだ男性が居ましたが、わたしの説明に納得してもらえなかった二人めの御仁です。奇しくも、どちらも教職の方でした。

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練習もしていないのに気づいたら本番の舞台に立っていて、もうすぐ自分の台詞の順番が回って来そうな夢

試験勉強どころか教科書を開けたこともないのに、今から試験が始まろうとしている夢

もうやり方も覚えていないのに、今から緊急カテーテル治療をするように急きょ指示されてとりあえず手洗いを始めている夢

昔好きだった人に、こっそり出会う夢

亡き母や父が元気にしている夢

中途半端な空中を飛ぶ夢

何か怖い者に追いかけまされる夢

隠れてタバコを吸う夢

ナイフを刺されて大出血し、徐々に血圧が下がっていく夢

街中の民家の並ぶ中でティアップしてドライバーを振ることを強いられる夢

色々な事情が続けて起きて、なかなかゴルフ場に辿り着けない夢

・・・数か月に一度は見ていたこんないろいろな夢が、ここ1年以上、まったく現れなくなったのはなぜかしら。

小便や大便をしたくて便所に行くのに便器が見当たらずに苦しむ夢はいまだによく見るのだけれど・・・。

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道の駅のトイレ

今日は日帰りでサッカーの贔屓チームの応援に大分まで行ってきましたが、今朝が寒かったせいかお腹の調子がおかしくなりました。行きの山越え途中から何度もお腹の中に大きな嵐が押し寄せてきまして、やむを得ず道の駅阿蘇のトイレに立ち寄った次第。

一時期のドライブインのトイレといえば、汚い、臭い、暗いが定番でしたが、最近の道の駅のトイレはきれいに手が加えられ、どこもウォシュレットでしかも便座が暖かい上に温水が出る。とってもうれしい限りです。道中のコンビニで用を足そうとすると一つしかない大便器は大概使用中で、決まって先客の用足しが長いので、ギリギリで行って待っているのがとても辛い。運動施設のトイレは最近洋式が増えたのは有難いけれど、概ねウォシュレットではない。歳を取って来ると粘膜が弱くなってきているから、何度も使うとお尻がヒリヒリしてきて辛い。

だから、阿蘇路の道の駅のトイレがどこもリフォームしてくれたことに気付いて、とても嬉しい気分に包まれている今日この頃です。今日は、3か所で恩恵を被りました。

それにしても、このお腹、どうしたものか。

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高血圧治療、本当は?

中国成人の約半数が高血圧、うち7割は服薬なし

『35~75歳の中国成人において、ほぼ半数が高血圧症を有し、治療を受けているのは3分の1未満で、血圧コントロールが良好なのは12分の1未満であることが明らかになった。中国医学科学院・北京協和医学院のJiapeng Lu氏らが、約170万例の代表サンプル成人を対象に行った、住民ベースのスクリーニング試験の結果を報告した。』

Lancetで報告されたこの記事。中国の現状を表し、最後に『中国人のすべてのサブグループで、血圧コントロール率が低い集団が認められた。幅広くグローバルな戦略、たとえば予防へのさらなる取り組みや、優れたスクリーニング、より効果的で手頃な治療が必要であることを支持する結果であった』と書かれているのを見ながら、循環器科医なのにちょっとだけ違和感を感じています。中国人の食べるモノやあの大気環境が動脈硬化予防にどれだけ悪いかは想像できますが、一方で、痛くも苦しくもないのに金出してクスリを飲むなってことをしない国民性だとかいうことを考えれば、大して驚くデータではないように思います。それよりも、この自然歴に近い現状の集団から、本当に脳卒中や動脈瘤などの脳血管疾患が多く生じているのか? 高血圧が野放しにされていたり十分な降圧をしなくても、リスクはそう高くないと云うことはないのか? そこのところのデータはどうなのだろうか、という疑問。「高血圧は厳格な降圧治療すべきである」ということを前提に研究されていますが、これまで日本を含めて世界中で示されてきたエビデンスが中国人に本当に当てはまるのかは分からないのではないかしら。日本ではそれなりに降圧剤を飲んでいる人が多いのでもはや自然歴の研究は至難のワザです。アジア人と云う点では似ていても、生活習慣や食習慣、あるいは考え方まで全く違うのだから、日本人の常識を中国人にそのまま当てはめるわけにもいきますまいに、とふと思った次第です。

素人みたいなこと書いて、ごめんなさい。

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始業時間

朝早く、始業時間前から持ち場のパソコンの立ち上げや機材の準備を済ませたスタッフたちがぞろぞろと朝礼のために集まっていきます。朝礼も始業時間前の自主的な行動です。

そんな彼らを毎朝眺めながら、つくづく「えらいなあ」と思います。むかしはこういう行動は当たり前のことと考えられていました。ところが今は・・・『働き方改革』の中で、彼らがやっているような始業時間前の業務は、『時間外労働』に当たるのだから、それを強要するなら時間外手当を支給するのが当然である、という考え方がまかり通る時代です。ですから、最近の若い世代は、始業時間ギリギリにやってきてタイムカードを切ることに何のためらいもないのだそうです。

「いやいや、仕事を始める前に来てココロの準備や環境の準備が必要だろう。始業時間ギリギリに出勤してきてそのまま仕事を始められるはずがないじゃないか」と思うのはわたしたちの世代。特に、わたしたちのようなお客様(患者さん)相手の仕事だと、「8時に開始します」となれば8時にデスクのパソコンを起動したのでは遅いわけで、うちでも「あの先生は毎回、診察開始時間が5分遅れてしまう」という苦情がアテンダントさんなどから出ることもありました。

ただ、よく考えたらこれは契約をする時点で間違っていますね。8時に業務が始まるのに8時からの仕事契約してるのがおかしいのであって、その前準備を自主出勤の中でさせようというのは単なる”良心への期待”でしかありません。当然、契約時間を7時50分からとか45分からとか、早めて契約すればいいこと。日本も完全なる契約社会になっている以上は、そういう部分の曖昧さはなくすべき時代になったようです。まあ、それをしたらしたで、「ちゃんと金を払っているんだからやるべきことは最大限やってもらわないと困る」と雇用者側の態度が硬化して一層ギクシャクしそうで心配なのですが、これは杞憂というものでしょうか。

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夜勤とメタボ

夜勤で腹部肥満リスクが上昇か

人間は太古から日の暮れと同時に床につき、朝日と一緒に目を覚ますように設計されていて、生活環境が変わっていってもこの慨日リズムは変わりはしないわけですから、深夜勤務が多ければ生活習慣病に陥るリスクが高いのはあたり前です。

深夜勤務が多いとメタボになる理由について、「夜勤による睡眠の妨げが主な原因であることに疑問の余地はない」「人間の身体は食欲に関係するホルモンをリセットするため、夜になると眠るようにプログラムされている。そのため、眠るべき時に眠らないとこうしたホルモンのバランスが崩れて必要以上に食べてしまい、肥満につながると考えられる」と書かれています。単純に何時間眠ればいいとか云う問題ではなく、夜中に出てくるべきホルモンが出てきて、出なくなるべきホルモンが出なくなれるかどうかは、何時に床につくか、床につく前に何をしているか等々、何かと微妙な条件の組み合わせの歯車を動き始めさせられるかどうかにかかっていることがわかってきています。

「そんなこと云ったって、夜しか働けないんだよ!」と苛立つ方も多いでしょう。夜勤はメタボになりやすいから、その分、昼間の生活習慣をそれ用に合わせなければならないことはわかっていても、社会や家族とのつながりを遮断するわけにはいきません。なかなか難しい問題です。

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なにげに霜月

睦月如月弥生卯月皐月水無月文月葉月長月神無月、霜月、師走・・・。

ふう。正直に云おう。最近、こんな当たり前のことがソラでスラスラと云えなくなってきた。これだけ並べるのに何回スマホの力を借りた事か。自分の生まれ月(4月)すらうろ覚えで、「睦月だったかな」と云ってみたりなんかする。なんかね、アタマの中の記憶の袋にね、虫でも食ったのかこっそり小さな穴が無数に開いてしまっててね、気付かない間に穴からいろんなものが転げ落ちて溶けてなくなろうとしているみたいなんだ。なんかね、これだけのことなのに、妙に情けなくなってくるんだね。覗きこんで確認してないから気付いてないけれど、もっとたくさんの常識が、まだ自分の財産として持っていると思い込んでいるのに、すっかり消えてなくなっていたりなんかするんだろうね。

うちの職場の共有ファイルのキャパがいっぱいいっぱいになっているので早急に要らないものを削除しろ!と管理者が緊急告知を繰り返しているのだけれどね。わたしのアタマの中の記憶のキャパなんて単純な心太(ところてん)式だから、時々使って新しい順に戻しておかない限り、回転寿司よろしく、どんどん押し出されていくんだろうな・・・ま、いいか。

職場の個人ファイルに溜めてあるデータも、この際、全て削除しちゃおかな。困るようで、全然困らない気がするし・・・。

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スポーツ観戦と心臓病

スポーツ観戦で心臓にストレス、興奮で心拍数2倍にも

ライブでスポーツ観戦すると心拍数が安静時の倍以上になることを踏まえて、「医師は心疾患の患者に対してスポーツ観戦のリスクについて伝える必要がある」という。まあなんとも冷静なコメントですこと、と思いながら読みました。研究はカナダのアイスホッケーの地元チームファンの試合観戦で行っています。『まず、対象者には健康状態とアイスホッケーに関する簡単な質問票に答えてもらい、この情報から各人の「ファンとしての情熱度」を点数化した。』っていうのがとても気になります。

高校野球の決勝戦で地元高校が優勝した瞬間に「バンザーイ!」と叫びながら急性心筋梗塞で倒れる男性が少なくないことはわたしが循環器内科医だったころから経験して知っていますが、それよりもわたし自身、ひいきするJリーグのサッカーチームのホームゲームをよく観に行っていますので、カラダに及ぼす影響の大きさは身をもって理解できます。特にわたしのひいきチームはリーグの最終戦でぎりぎり残留を決めたり、最後の最後に決めきらずに降格したり、プレーオフの最後に劇的ゴールで奇跡の逆転昇格を決めたり、とっても心臓にわるいことばかり毎年演じるチームなもので、観客席で冷静を装いながらも卒倒しそうなくらいドキドキしている自分を何度も経験してきました。残念ながら、心臓病が持病の人はこのチームのサポーターになるのは勧められないなとつくづく思います(笑) かく云うわたしの心臓もかなり怪しいので気を付けねば(というか、もうちょっと安心して観戦できる試合をしてほしいものだ)。

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おかしいと思わない?

またまた鬱陶しい季節がやってきました。

年に一度、健診のデータをまとめた年報を作成します。その原稿チェックをするのがわたしたち医師の仕事。で、毎年、同じミスを繰り返すわけです。単なる数の足し算が間違っているのです。いろんな項目ごとに違う担当者が作成するのに、まだ誰一人として正しい数字のグラフを持ってきてくれた人がいない。まあ、毎年のことですから、慣れてしまいましたが・・・。『検算』しないのは、もうわかった。最近の若い子にはそういう概念がないのだということはもう諦めました。でも、単純な足し算なんだよ・・・単純な足し算をエクセルが間違えることはまずないのだから、数字が合わないのは他の理由。要するに、グラフに書かれている合計人数はそのグラフの各々を足した結果の数字ではなく、合計数だけ違う所から引用してきたわけだ。この時点で、この二つが同じだと思い込むから、単にエクセルに打ち込んだ数字の合計をsum(  )で計算させることをしない、そこのところが今年も続いているうちの職場の伝統。数人の違いもあるけれど、倍以上の数の間違いもあるのに気付かないって、どうよ。

「毎年するんだから、担当者が換わってもできるように、ちゃんとマニュアルを作っておけば解決するだろ」とか、上の方の管理者は云っているけれど、いやいやそんな話ではないのよ。上の方がそんな認識だから、何年経っても同じミスがなくならないのだ。何かのイベントで、動員されたスタッフ数に比べて用意された弁当の数が明らかに少なかったら、細かい数を数えなくてもすぐに、「なんか、おかしいんじゃないか」と思うでしょ。そういう感覚が最近の人にはなくなっているのが怖い。自分で書いた報告書を見て、「なんかおかしい」と感じられなくなってきた理由は、おそらく自分の力で計算していないからでしょう。機械がやった事だけでなく、それを部下や同僚がやってくれたとしても同じ。「信じている」のではなくて「考えていない」・・・自分がまとめておきながら、自分の問題じゃないんでしょうね。

とりあえずはっきりしていることは、今しばらくこの憂鬱が続くのだろうなということ。

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朝食抜き

朝食抜きがアテローム性動脈硬化症の増加と関連

朝食を摂らないことを基本姿勢にしているわたしには耳の痛いデータがスペインから発表されています。Medical Tribuneの配信によると、『朝食を食べずに済ますことが、無症候性アテローム性動脈硬化症発症リスクの大幅な増加に関連することを、新たな観察研究が明らかにしている』らしいです。皆さま、お気をつけあれ。

いや、これをじっくり読みながら、なんか「朝食抜き」自体が悪者にされているけれど、ダイエットのために朝食を抜いているわけではないし夕飯が遅かったから食えなかったわけでもないわたしとしては、あまり説得力を感じないのです。本文を読み進めていると、『朝食の摂取は、満足感、1日の早い時間のエネルギー摂取、代謝効率、早い時間の食欲調節などの因子と関連する』というのはまだわかるけれど、『朝食抜き群は男性が多く、現在喫煙率が高かった。さらに、過去1年間に体重減少のために食事内容を変更していたり、1日のうち昼食での摂取カロリーが最も多くなる傾向も強かった』『低エネルギー朝食群は、高エネルギー朝食群と比べて、男性が多く、喫煙率も高く、教育レベルが低く、また、1日のうち昼食における摂取カロリーがより多い傾向も強かった』『朝食抜き群および低エネルギー朝食群の両方で、高エネルギー朝食群よりも動物性タンパク質および食事性コレステロールの摂取量が多かった』などなど、要するに朝飯抜いているようなヤツは他の生活パターンが乱れていて、ついつい過食になるって書いてあるようにしか読み取れないのです。これでは、わたしのココロを動かすまでにはいたりません。

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自褒めコラム選(8)

分別はアンチエイジングの最大の敵 (2013.1)

我が家の14歳になる老犬ベルは、散歩のとき以外はいつも寝ています。耳も聞こえなくなってきました。歳を取ったなあと思います。そんな彼女自身が、歳を取ったと実感し始めたタイミングはいつだったのだろうか・・・先日、スヤスヤ寝息を立てている彼女を眺めながら、そんなことをふと考えました。

実は、彼女は4年前までは小娘のように飛び跳ねていました。彼女の父親犬が今の彼女の歳に肝腫瘍で亡くなるまで、父ちゃんに見守られながらいつも好き放題にあちこちでちょっかいを出して回っていたのです。10歳とは到底思えないフットワークと身のこなしでした。彼女は生まれたときから父親が一緒だったから、突然ひとりになると一気に歳を取るかもしれない、と心配したわたしたち夫婦は、父親が亡くなった5か月後に同じブリーダーさんからベイビー犬を譲ってもらいました。思うに、ベルが突然歳を取り始めたのはその頃からのような気がします。最初は新参者と勢力争いをしていましたが、徐々に表立った喧嘩がなくなり、共存を始めました。その頃から、あんなに小娘だった彼女が急速に分別ある大人に変わっていきました。自分より年上と一緒に生活しているといつまでも子どもでいられたのに、はるかに年下を目の当たりにして今まで自分が錯覚していたことに気づいてしまったのでしょう。それが彼女のカラダに突然老化スイッチを入れた瞬間・・・彼女を歳取らせた張本人はわたしたちなのかもしれない、悪いことをしたなと自責の念に駆られています。

この“分別はアンチエイジングの最大の敵”はもちろん人間にも言えることです。「歳甲斐もなく」とか「いい歳をして」とかいうことばを無意識に使い始めるとき・・・そのことばを使い始めるきっかけは何でしょうか。お孫さんが「おじいちゃん」と呼んだ瞬間でしょうか。会社で管理職に昇格したときでしょうか。子どもがいなくていつまでも出世しないわたしなんか、いまだに若いスタッフとお友達だと思い込んで、キャッキャ、キャッキャと騒いでいます。だから、「カラダ大丈夫ですか?無理しないでくださいね」と声をかけられるとちょっとカチンときます。「分別くさい人間になるな!」「いつまでも若造だと思い込め!」・・・他人に言いながら、自分にも言って聞かせている私は、まだ今年の4月で55歳です。いつまでも錯覚して生きていきましょう!

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自褒めコラム選(7)

落葉樹と常緑樹 (2011.1)

いつまでも暑かった今季の秋は例年と少々様相が違いました。それでもこの原稿を書いている頃には我が家の庭のハナミズキの紅い葉は一気に落ちていきました。来る日も来る日も落ち葉を掃き集めるのが大変でずっと舌打ちをしていましたが、なくなってしまうと途端に寂しくなります。街路樹の銀杏も公園の紅葉も今季は色づきに足並みが揃いませんでしたが、それでも普通に落葉しました。「落葉樹」~日本に四季があるのと同じように(四季があるために)、落葉樹の一年はとても華やかです。その大きな葉は、光合成を行う重要な部分であるにもかかわらず、華々しく色づいたら辛い寒さを乗り切るためにさっさと切り離されます。冬眠の季節になって寒さにじっと耐える姿もまた健気です。

それに対して、華やかさはないけれど年間を通していつも青々とした葉をつけているのが「常緑樹」。秋の頃、職場から見える小学校の校庭には紅葉した見事な街路樹が何本もあり、その手前の空き地では緑の葉をたわわに付けた大きな常緑樹が元気に繁っていました。その不思議なコントラストを眺めながら、落葉樹と常緑樹の違いを考えてみました。若い頃、常に青々としている木の方が優れていると思っていました。自分も常に若く活気に満ちている常緑樹のようでありたいと願っていました。でも、ふと、落葉樹の方が生き方に余裕があるのではないかと思い始めました。環境に合わせるかのように姿を変えながら、でも華やかな時をきちんとアピールする落葉樹は、与える印象もその生き方もとても鮮烈で魅力的に見えたからです。そう考えると、落葉樹にも常緑樹にも、違った形で各々に逞しく生きていく姿が見て取れます。

人間はどうでしょう。人間のカラダにも環境に合わせて各々の持って生まれた体質というものがあります。痩せ型(エネルギー消費型)と小太り型(エネルギー蓄積型)の各々はそれがその人に適している最適の体型なのではないかしらと思います。小太りが長生きだからといって痩せ型の人が必死に太る努力をするのはナンセンスですし、小太りは長生きできないといって何十年も同じ体型のおばさんが突然断食を試みてもメリットがあるとは思えません。それを平均点の統計学に当てはめて、BMI22が理想だとか24が良いとか、あるいは内臓脂肪はどれくらいが良いとか、何でもひとつにまとめようとするから無理が出てくる。もしかしたら各々の体質が一律ではないからこそ、人類は生き延びてこられたのかもしれません。飽食の時代にはエネルギー消費型が生き延び、飢餓の時代にはエネルギー蓄積型が力を発揮する・・・それは人類にとって最大の優先事項である『種の保存』のために初めから備わっている秩序なのではないでしょうか。

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自褒めコラム選(6)

マスク小僧たち~目は口ほどには物言わず。 (2010.7)

世の中、花粉症でもないのにマスクで顔を覆っている人がたくさんいます。新型インフルが流行した昨年の今頃ほどではありませんが、今でも病院やクリニックは妙に大きなマスクをしたスタッフで溢れています。うちの病院でも、医者や看護師だけでなく、技師や薬剤師、受付の事務職員までもが顔の半分以上を覆い隠しているのをよく見かけます。

感染予防の考え方がしっかりしている証し!ではあるのですが、「他人にことばを伝える」という点においてマスクはとても大きな障害です。先日、救急外来の待合い椅子のところで、若い看護師さんがご年輩の男性の横に跪(ひざまず)いて熱心にクスリの説明をしていました。たまたまその横を通りながら盗み聞きしましたが、もしやこの方は彼女が何を言っているのかさっぱり聴き取れていないのではないか、と気になりました。マスクで口を覆っているために音が籠もってよく聴こえていません。そしてそれ以上に、彼女の表情がまったくわからないのです。人は耳からだけではなく、相手の口の動きや顔の表情を見て言葉を聴き取ります。そのすべてがマスクで覆われて見えません。顔の表情が見えないと、話す人の心の内も見えません。目が深刻そうでもマスクの下では舌を出しているかもしれませんし、せっかく明るく微笑んでいても目が鋭いと叱られているように感じます。昨年、新型インフルが猛威を奮った頃、学会場や会議場では入口に消毒液が置かれるのと同時にマスクも配られました。発表者も質問者も司会者も全員がマスクをしている異様な密室の中で、多くの出席者が痛感したことは、「大きな声で会話しても、マスクは想像以上に意思の疎通の邪魔をする」ということだった、という記事を読んだことがあります。

私も受診者の方々に説明をしている時、結果表や写真を指さす私の手元ではなく口元を見つめている人をよく経験します。何度も私の顔を覗き込むのです。咳のためにやむを得ずマスクをすることがありますが、すると相手はわたしの目の奥に本意を探ろうと凝視し、それでも意味を量りかねて戸惑った顔をみせるので、結局はマスクをずらして顔全体をみせることになります。

目は口ほどには物を言わず!マスクは口と顔を隠します。でも本当に見えにくくなるのは「心」~だから、聞き手が無意識に不安になるのだと思います。重要な伝達手段の大半を自ら放棄している以上、伝える者はいつも大きなハンディを負っていることを意識した伝達者であっていただきたいと、世間の「マスク小僧たち」を眺めながら思っています。

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自褒めコラム選(5)

さりげないエスコート(2009.12)

先日、学会のために上京しました。電車に乗っていたらJR新橋駅のホームに白い杖を持った目の不自由な女性が佇んでいました。先頭に並んで乗り込もうとしたひとりのお嬢さんが、それに気付いて声を掛けました。彼女はさりげなくその女性の手を引いて一緒に電車に乗り込みました。格好いいなと思いました。さらに有楽町駅に着く少し前に、今度はまったく別の若い男性が声を掛けました。「席が空きましたけど、座りませんか?」・・・声を掛けながら、そっとエスコートします。ことばに恩着せがましさがないのがいいなと思いました。都会では個人主義で他人に干渉しない人が多いと聞きますが、一方でこういう心遣いが日常生活の中でさりげなくできる人もたくさんいるのだということを実感しました。彼らは本当に輝いて見えました。

ある研修会で「ペーシング」という会話の方法を教わりました。これはつまり「相手のペースに合わせる」ということです。同じ視線で、同じ声のトーンと大きさと速さで、あるいは同じ雰囲気で・・・できるだけ相手のそれに合わせて調和させると、相手の心も開きやすくなって会話がスムーズになるというのです。「いつでもゆっくり落ち着いて対応すればよい」というのでは、例えばもし相手が急いで慌てているときならば苛立たせてしまうでしょう。そんな雰囲気を感じ取るためのスキルが「ペーシング」です。私も仕事柄、そういうスキルをいろいろ学んで実践しようと努力しているわけですが、あの電車の若者たちの自然な立ち振る舞いをみてしまうと、何かまったく次元の違うものを感じてしまいます。彼らのそれは仕事でもスキルでもありませんし、だれかに自分を評価してもらうための行動でもありません。スキルとしての対応術を体得することも大事ですが、人と付き合う上で一番の理想はやはり彼らのようなさりげない優しさが自然に出せる人間になれることでしょう。彼らの優しさはどうやって身に付いたのだろう?幼少時のしつけや環境だろうか?それとも職場や仲間の影響だろうか?・・・そんなことを想いながら、私は目的の駅で電車を降りました。

私たちの職場にも多くの若いスタッフがいます。みんながあの若者たちのようになれたら素晴らしいなと思います。初めは仕事のための「スキル」でも、それを繰り返すうちに真のエスコートの心が生まれてくるかもしれません。彼らのような人に出会う。「格好いいな」と思う。「次は自分もやってみたいな」と思う。そうやって優しい空気が溢れるといいな・・・とても柔らかい心になれた旅でした。

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自褒めコラム選(4)

わかってもらう、ということ (2008.10)

「それは辛かったでしょう。もう大丈夫です。一緒に治しましょう。」 

私の妻が、ある漢方医院を受診しました。これまでの様々な症状と辛い治療の歴史を話し終えたとき、じっと聞いていた先生がやさしい眼差しでそう言いました。そのことばを聞いた瞬間に、感動で涙が出そうになったそうです。「今までそんなことばをかけてもらったことがなかったので、とても救われた気がした。」と語る顔は晴れやかでした。先日、学会の講演会で、ある心療内科の先生のお話を聞きました。身体が一日中痛くてどうしようもないと訴える患者さん、旦那さんのツテを使って可能性のありそうなありとあらゆる教授や名医にかかってみたけれど全く治らなかった患者さんが受診されました。約45分間の初診面接が行われました。「ありがとうございました。何かとても楽になりました。これまでどんな有名な先生にかかっても私の苦しみをわかってもらえなかった。私の『痛み』をきちんと聞いてくれたのは先生が初めてです。」・・・診察を終えたとき、患者さんはそう言って帰っていきました。その1ヶ月後に受診したとき、痛みの訴えは半日間に減っていたそうです。

ここまで劇的でなくても、相手に「わかってもらえた」と実感できる瞬間があります。問題が何も解決していないのにそれだけでハッピーになったりします。症状が改善した患者さんに行ったある心療内科のアンケート調査の結果では、「なぜ治ったか?」の問いに、その25%は「安心感、信頼感」、20%は「具体的な説明」と答えたそうです。一方で、「わかってもらえていない」と感じることは、その何十倍も経験します。「そんなことじゃない。どうしてわかってくれないの?」と、イライラしたことは誰にもあるでしょう。夫婦や恋人同士なら間違いなくけんかに発展します。医療の場では、医療不信のきっかけとなりドクターショッピングにつながるかもしれません。「わかってもらう」ということがどんなに幸せでかつ難しいことかがわかります。

前述の学会では、元ミスタータイガース掛布雅之氏のフリートークもありました。彼は最後に患者さん方にメッセージを残しました。「主治医との心のキャッチボールをきちんとしましょう。キャッチボールは野球の基本です。投げる方は一番受け易い球を投げ、受ける方は投げる人の気持ちになって確実に心をキャッチする。その基本がなかなか出来ていない気がします。」・・・ここにとても重要な「わかってもらう」の極意があるように感じました。患者さんの主治医への想いはつい片思いになりがちです。「私の思いに気づかないのは相手が聞く耳を持たないからだ!」と不満を持ち続けていませんか?キャッチボールは投げる側の投げ方も重要だということです。患者さんも主治医も同じ球をキャッチボールするためには、どっちの心もお留守になってはいけないのだということを再確認させられました。

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自褒めコラム選(3)

立て板に水 (2008.1)

数年前の職員旅行で、ある観光ホテルに泊まりました。各部屋に分かれる前に全員がロビーに集められて、ホテルの特長や施設利用の注意項目などの説明を受けました。そのときに説明してくれた、そのホテルの担当の方の話し方は実に感動的でした。まさしく立て板に水を流すごとく、よどみも無駄もまったくないしゃべりで、それでいて早すぎもせず遅すぎもせず、小さすぎず大きすぎず、聞き取りやすい切れ味のよいトーン・・・それは耳にとても心地よく入ってきました。さすがはプロだと感心しました。ところが、話の終盤になって、ふと妙なことに気づきました。どうも周りの同僚たちも同じことを感じたようです。「結局、大浴場は何階にあるって言った?」「夕食は何時からって言った?」・・・彼が話した話の内容が頭にほとんど残っていないのです。あれだけきちんと聞き取れていたはずなのに、見事に右から左へ流れ出していました。

私たちは「伝える」という仕事をしています。毎日多くの人に接しながら限られた時間で受診者の皆さんに多くのことを伝えます。私たちもまた、あのホテルの方と同じようになっているのではないか、と不安になりました。「話した」ということと「伝えた」ということとは違います。「伝えた」ということと「伝わった」ということもまったく違います。言った、聞いてない、の争いは世に絶えません。たとえ「話した」としてもそれがちゃんと「伝わった」のでなければまったく意味がないのです。

先日、20数年ぶりにある患者さんにお会いしました。ある病気で言葉が不自由な方ですが、昔のままの満面の笑顔の彼は、古希を越えたとは思えない弾んだ歓声で迎えてくれました。彼の言葉はお世辞にも聞き取りやすいとはいえません。でも、彼の言っていることは聞き返す必要もなくニュアンスの隅々まで理解できました。彼は、「こころ」で伝えることを常に意識しているんです、と言います。遠い昔、入院した彼の主治医になった研修医の私に、患者-医者のスキルとしての会話ではない、こころの繋がりの大切さを教えてくれました。私たちは、たとえ頭で違うことを考えていてもきちんと必要なことを話すことができます。しかし、正確に聞き取りやすく話すスキルをどれだけ向上させても、おそらくそこにこころが入っていないと真意は伝わらないのだと思います。昼下がりの結果説明などで、口は正確に動いていたけれど今話した内容は伝わっていないかもしれない、と感じる瞬間が時々あります。私は、もし自分が相手だったら、今の言葉でちゃんと理解できるだろうか、そう自分に問いかけながら話すように心がけていますが、それでも時々受診者の方からお叱りを受けることがあります。そのときには決まって事務的になっている自分がいます。仕事としての「伝える」は本当に難しいものだと痛感します。久しぶりにこころの師に会えて、私の医師としての仕事の原点に立ち返った気がしました。

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