救急現場が急に冷たくなる病気

顔面真っ青で見るからに尋常じゃない表情で救急外来に担ぎ込まれる患者。本人はいたって深刻なのに、いろいろ検査している間に、急に看護師の態度が冷たくなる病気がいくつかあります。まあ、問診取っている時点でほとんど予想は付きますが。

「コレはきっとハイパーベンチだね」と医師がつぶやき、動脈から採血した血液を機械にかけた看護師が「やっぱり、ハイパーベンチでした」と云いながら、検査値の印字された小さな紙を掲げて帰ってくる。コレが過換気症候群。簡単にいえば、呼吸のしすぎで体内から二酸化炭素が出て行きすぎた状態。息苦しいので一層頻呼吸をして酸素を吸い込もうとするのでますます悪化。動悸だけでなく、手足からどんどんしびれ始めて全身が動かなることもあります。昔、水泳のオリンピック女性選手が緊張のあまりコレになったことがありました。治療は、症状が軽ければ小さな紙袋やビニール袋を口と鼻にかぶせてやると治ります(一見、シンナー中毒みたいですが)が、救急外来では鎮静剤を注射して眠ってもらうのが簡単ですし、手を取りません。目を覚ました時にはほぼ治っています。

看護師さんが冷たくなる病気のもう1つが尿管結石です。気の毒そうな同情した顔はしてくれますが、基本、ほったらかしです。わたしの40年来の持病。何度放置プレイをされたことか。ER に担ぎ込まれた時には張り裂けんばかりの激痛で急性腹症として鳴り物入りで入ってくるのに、石とわかった瞬間に皆が安堵してサーッと潮が引くように散っていく。まあね、そうじゃなかったら、消化管が破れたか、大動脈が裂けたかの可能性があるのだから、ER 全体に緊張が走るもんね。「良かった、石で」と思わずつぶやいてしまいますよね。でもね、そんな最中にも、当の本人は七転八倒。「はい、この痛み止めですぐに軽くなりますからねー」と注射なんかしてくれるけど、治らない時は本当に治らないんだ。

どっちも、当の本人はとっても辛いんですよ~。そこんとこ、よろしくご配慮くださいね~。

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処世術

わたしは父親似で、妙に正義感が強く、約束を守らない上司がいると若いころからよく食ってかかる男でした。最近、うちの職場のある若いスタッフを眺めながら、ふと若いころの自分を思い出しました。

どんなに偉い人でも、どんなに相手が目下でも、「他人との約束が守れない人は社会人として最低!」・・・融通の利かない堅物のわたしは、いつもそう思って生きていましたし、だからこそ自分もそういう生き方をすべきだとがんばってきました。

「オレはお前よりはるかに偉いんだ」「オレくらいになるととても忙しくて、急に別件が飛び込んでくることはしょっちゅうなんだから、しょうがないさ」と嘯く人も居ますが、わたしの元上司はそういう時に決してそんな云い訳を云わない人でしたし、わたしのような若造にでも素直に謝ってくれました。だからこそ、誰にも慕われる人だったわけで、わたしもそんな人になりたいと憧れた事を思い出します。

「キミの云っていることは正論だけどね、組織の秩序というものがあるからね。キミはわたしが上司で良かったよ。他の科でそんなだったら、◯◯科の××先生のように、早々にどこか他の病院に飛ばされる所だったよ」と、冗談とも本音とも取れるような事を笑いながら云ってくれました。「わたしの前ではそれで良いけれど、他のところではもう少し上手くやりなさいよ」という忠告だったのでしょう。でも、そんな上司に恵まれて生きてきた(その後に出会った上司も軒並みそんな人で)せいで、いまだにわたしは場の空気を読まずに偉い人にも食ってかかりそうになることがあります。この歳になっても社会性の乏しい人間であります。

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こだわりとルーチンワーク

うちの愛犬は、わたしが仕事から帰ってくると全身をこれでもかと云うくらいにくねらせながら大きなしっぽをグルグルまわして出迎えてくれます。一旦わたしに歓迎の飛びつきをした後、おもむろに庭の方に向かって走り始めます、後ろを振り向きながら。そして、庭に出るテラスのガラス戸を開けると一目散に庭に出て行きます。最初は、オシッコをガマンしているのかな、と思っていたけれど、どうも違う。多くの場合、彼女は勢いよく庭に出た後、”犬走り”を5、6歩ほど歩いたところで突然立ち止まり、すぐに踵を返して戻ってきます。「何だよお前、ムダやんそれ」とツッコむわたし。

どうも、それが彼女のルーチンワークの様です。そういえば、子どもの頃、私の姉も突然ちょこっと飛び上がって指で唇と額をツンツンと叩くやつをやってました。それを数回繰り返す。「何しているの?」と聞いたら、「わたしのおまじない」と。「意味ないジャン」と冷たく突っぱねた記憶があります。

こういう行動は、周りからみると無意味な行動に思えるけれど、当人にとっては大切な行為。これをすることでココロが落ち着くのだということを知っています。一流のプロスポーツ選手が必ず行うルーティーンと基本的には同じこと。そんなココロの支えになれる行為が、わたしにはないなあと思う今日この頃。サッカー観戦時のゲン担ぎも最近は流動的だし・・・。最近の私のココロが不安定なのは、確固たるルーチン行為を持っていないからなのではないかと思う。なにかないかなあ。

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たばこと失楽園

2018年2月5日に配信されたMedical TribuneのDoctor's Eyeは熊本市民病院の橋本洋一郎先生でした。

安全なレベルの喫煙は存在しない

世の中の喫煙者の多くはニコチンやタールの量が減れば健康の害はそれに比例して減ると考えており、軽いたばこに替えたり本数を減らしたりしたのだから、あるいは加熱式たばこに替えたのだから、それで良かろうと考えているのだそうです。肺がんのリスクは1日20本から1本に減らしたら5%にまで減少するという報告もあるので、それは完全に間違いではないのだけれど、動脈硬化疾患(心筋梗塞や脳卒中)に関しては1日20本から1本に減らしてもリスクは半減しかしなかったという報告を紹介してくれています。だから、「たとえ1本でも吸えば健康リスクはかなり高い」つまり「減らしても無駄、止めるしかない」ということを脳卒中の第一人者は訴えておられます。「米国では米食品医薬品局(FDA)が加熱式たばこを認可しておらず、FDA科学諮問委員会は、IQOSが紙巻たばこ喫煙より害が少ないというフィリップモリスの主張を5対4で否定した」という報告は先日ここでも紹介しましたが、まあ、加熱式たばこにも逃げ道はないですね。

わたしがたばこを吸っていた頃、健康被害があることを承知の上で止めなかった理由は、「別に長生きはしたくないから」ということでした(今はカラダが受け付けないから吸わないけれど)。吸うなら吸うで、半端なことはしても無駄だから、止めるか吸い続けるかの二者択一をお勧めします。もっとも、1日1本とか5本とかの、昔の恋人とどうしても手を切れない人は、きっとそのうちに再び禁断の恋にのめり込んで、失楽園の結末になるのでしょうね。それもまた、佳し、かな。

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価値観の違い

予防医療の世界に入って15年以上になります。予防医療の考え方もかなり変化してきて、むかしは怪しい眉唾物扱いだった概念(食後高血糖とか腸内細菌とか)が当たり前になってきました。

ただ、そんな予防医療の世界が、最近おかしな方向に向かっている感じがしてなりません。医師も保健師も『二次精検受診率』を向上させることだけに必死で、あるいは『特定健診受診率』『特定保健指導受診率』をいかに高めるかに必死で、「結果説明や保健指導はそのためにしているのだ!」と云い切る人すらたくさんいます。「そのために国も予防医療に金と労力をつぎ込んでいるのだ!それが向上しないんだったらやるだけ無駄だ!」とまで。

わたしはそんな風潮がとても不満です。まあ、価値観の違いだから、うちの施設内の幹部クラスの話し合いでももう10年近く前からこの話になると、わたしと他の先生方の考え方の違いが歴然で、その都度溜息をつきながら「こんなんなら辞めてやる!」と息巻くわけです(生活がかかっているのでがまんしますけど・笑)。

結局数字で示せる成果を出さないと、それは「単なる自己満足」なのだということになるわけですし、「自己満足であっても、予防医療の本分は『病気にならない人生を送るための行動変容を促す力添え』でしょ」というと鼻で笑われてしまう。そんな仕事をしながら高い給料をもらっているわけだから成果を出してナンボだけど、でもなんか悔しい。そこに異常がある人を専門医に早く誘(いざな)うことはもちろん私たちの仕事だけれど、そんなの誰にでもできる仕事であって、経過観察とか軽度異常とか書かれている項目に隠れている異常をどうやったら悪化させないかをアドバイスする力こそが人間ドックを専門とする医師や保健師の本領発揮の場なのではないのか?

いかん、また堂々とグチを書いてしまった。

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タブー

最近は、『タブー』を完全に無視されています。

『タブー(taboo)』~触れたり口に出したりしてはならないとされているもの。禁忌。おかすことが禁じられている、神聖または不浄な事物・場所・行為・人・言葉の類。”もともとは未開社会や古代の社会で観察された、何をしてはならない、何をすべきであるという決まり事で、個人や共同体における行動のありようを規制する広義の文化的規範である”(Wikipediaから)

”触れてはならないこと”ってとてもたくさんあったのに、今は全然無視です。「知る権利」というよりは「暴露する権利」、それによって得られる利益に大義名分がぶら下がっている印象。

皇室に関わる一切のことは、まさしくタブーの最たるもの。昔から、いろんな噂があることもないことも(ないことはないのでしょうが)裏で流れていたとしても決して公にはしなかったのに、今や芸能人張りのスクープ報道をたやすく行ってしまうご時世になりました。今回のことは正確には皇室内のことではないのだけれど、なんかちょっとお気の毒。

もちろん、相撲協会のごたごたにしろ、政治家の諸々にしろ、どれも昔は闇の中で揉み消されていたことはたくさんあって、それを正義の名の元に暴露することはある意味では当然のことなのかもしれません。でも、それが一般市民にまで及んでしまうのはいかがなものかという思いもあります。何かの事件や事故があれば、加害者の一族郎党だけではなく被害者の家族や本人の過去のいろいろにまで言及し報道するのが最近のトレンドになってしまって、とても怖い気がしています。事件や不祥事の報道と週刊誌の覗き見的三面記事報道とが完全に混同されてしまって、ネットがそれを一気に拡散してしまう社会。『タブー』は良いことではないかもしれないけれど、何もかもを白日の下にさらすことが決して正義ではないと感じる今日この頃です。

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レジスタントスターチ

「おにぎりダイエット」で体重が減少 ご飯と運動で腹囲は減らせる

「お腹すいたねえ。ちょっとスーパーでおにぎりでも買って食べる?」
「お米は太るからイヤだ~。食べるんだったらパン屋さんの出来立てパンが良い!」

なんて会話がよく聞こえてきますが、お米は決してダイエットの敵ではないことを推奨したいと思っていたので、今回の記事はとても心強いと感じています。 JA全農とルネサンス(スポーツクラブ)が、おにぎり中心の食事と運動トレーニングを組み合わせて体重を減らす「おにぎりダイエットプログラム」を提唱しており、その成果を公表しました。

お米を、イコール『炭水化物』と定義する栄養学に問題がある(塩=塩化ナトリウムと考える間違いと同じ)ことは以前から感じていました。なぜ、ヘルシー食材とし欧米で人気のお米が日本では人気がないのか、不思議でなりませんでした。そして、おととしの熊本地震の時におにぎりしか食えなかっただけで10キロ近くも体重が減ったわたしは、「おにぎりは痩せる」と実感したことを覚えています。

ここに、『レジスタントスターチ』というコトバが出てきます。「でんぷんでありながら、エネルギーになりにくく、整腸作用や生活習慣病の予防効果があるとされている食品中の成分であり、食物繊維の1種」「食物繊維の中でも、腸内細菌に対して良い影響を与える効果があり、不溶性食物繊維と水溶性食物繊維の特性をあわせ持っているなど、ユニークな機能を有している」とWikipediaには書かれています。このレジスタントスターチが”冷えたごはん”に多い、というのもおにぎりダイエット理論のひとつのようです。

ただ、「おにぎりダイエット」のミソは、同時に運動もするということです。「炭水化物」は文字通り「炭」と「水」、そして「炭」はエネルギーです。運動を始めると最初にこの「炭」が使われます。残るのは「水」だけ。おにぎり食ってほどほどに運動すれば、必要なビタミン、ミネラル、食物繊維以外何も残るものなんかないのですから、そりゃ太るはずがない・・・それが、私が熊本地震のときに見る見る痩せた原因だと云っていいでしょう。

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躾と云うより、血です。

振替休日の今日は、朝から愛犬に起こされていつものように朝のオシッコと朝食を与えるところから始まりました。彼女にとっては、今日は普通の月曜日なのでしょう。

「おまえ、まーた今日も仕事休むんか~?」という目でわたしを睨んでいますが、これは、彼女の思いやりではなく、日頃わたしが出て行ってから貰えるオヤツの権利が得られないのと、それをもらってから妻と一緒に二度寝することができないからだと思います。現在、不貞寝中です(笑)

こんな日は、わたしの主夫ココロがメラメラ燃えてくる日。昨夜まだ乾いていなかった洗濯物を畳んでから、夜のうちに洗った洗濯物を干したところ。家の掃除は午後にしましょうか。こういうことをしているのを窓の外から覗いて発見した義母が叱るわけです。「そんなこと、自分(妻)がしないで夫にさせるなんてみっともない!」と。「あなた(わたし)が夫として優しすぎるからいけないのよ!」とも(笑)

申し訳ないが、おかあさん。これは妻がしないからわたしが渋々やっているのではないのですよ。わたしの趣味、というよりわたしの家系の当たり前の光景なのです。わたしが小学校のころ、『家族の仕事』という作文で、「お父さんは、毎朝早く起きて朝ごはんのスイッチを入れます。洗濯物は日曜日にしますが、それもお父さんの仕事です」と書いたのを、両親に𠮟られたことをふと思い出しました。「みっともないから、そんなこと作文で書くな」「だって、本当のことやん」「本当のことでも、他人にわざわざ云わんでもいいことと云ってもいいことがあるんじゃ!」・・・そんな親子の会話まで、洗濯物を畳みながら思い出して独りで笑ってしまいました。

「あえてお義母さんに反論するなら、こういうことは、夫(わたし)の躾ではなくて、子どもの頃(親)の躾なのではない?」と思うのだけど、そんなことは決して口にはいたしません(笑)

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義母からの苦言

「あんたに会ったら云おうと思ってたのよ」

先日、義理の叔母(義母の妹)がわたしの勤務する病院で手術を受けました。手術の日に義母は病室で付き添いをしていましたが、そこにやってきた看護師さんが大きなマスクをしたままで何かを早口で云って去って行ったのだそうです。「ダメよ、あれでは何云ったかさっぱりわからんかったよ!」と思ったのだとか。

わかってますよ、そんなこと。それはもう何年も前に機関誌のコラムに『マスク小僧たち』という題名で書いたやつですよ。もっとも、看護婦さんのマスクはやむを得ない。例年にないインフルエンザの猛威のために、職場では自分が感染していなくても可能な限りマスクをすることを義務づけられています。叔母の見舞いに行こうとしたわたしたち夫婦が二親等以内の身内ではなかったから、という理由で病室にも上げてもらえなかったくらいの厳戒態勢を敷いている病院なのですから。

でも、義母が云うように、理由が何であれ云っていることが他人に伝えられなければ意味がないということを、プロであるならばもっと厳粛に捉えなければならないと思います。ただ・・・お義母さん、わたしに云ってもダメです。わたしが彼女たちに注意する機会は全くありません。たぶん、当の本人は全然気づいていないはずです。その場で注意するのは角が立つし偏屈婆と思われるのはイヤ!というのだったら、せめてご意見箱に書いて投書してしてくださいよ。

ま、似たような現場で働く皆さん、肝に銘じてください。若いヒトにはピンと来ないかもしれませんが、多くの患者さんや家族は、分かったふりをしていても全然理解していません。聞き流しているというより、聞き取っていません。重要なことではないのならいいですが、重要なことを話して「わたしはちゃんと云ったのに」と思わないようにしましょうね。わたしも注意しなければ・・・。

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『様子を見ましょう』

外来医療用語の代表に、「様子を見ましょう」というのがあります。

「いろいろ検査をしてみましたがあまり悪い所はなさそうです。しばらく様子を見ましょう。また何かあったら受診してください」という使い方をします。

そうです。もちろんこれは、医者の”逃げコトバ”です。このコトバは、外来医師が患者さんを追い返すための常とう手段であります。ま、「問題ないですね。心配いりません。はい、じゃ、次の方どうぞ!」みたいな冷たい斬り捨て型の云い方に比べればマシですけど、それでも、これで帰ってしまったらきっと二度とこの先生の外来に顔を出すことはできないでしょう。「しばらく」がどのくらいで、「何か」がどんなことなのか良く分からないから(これは昔、機関誌のコラムに投稿した『診察室は不思議な空間(1)』に書いたことがあります)、再受診する時は二の足を踏みますし、受診するならこの先生ではない所に行くでしょう。その医者にとっては、真の病名が何だって構わないのです。二度と自分の前に現れさえしなければそれでいい。だから、できたら納得いくまで質問して食い下がってください(まあ、何もないのだから、無い袖は振れないでしょうけれど)。

でも、おそらく多くの良心的な医者は、「様子を見ましょう」というコトバを発する前に必ず他のことを云っているはずです。なのに多くのヒトが覚えていない。コトバがむずかしくて何云っているのか分からなかったから聞き流したのかもしれないし、異常がなかったことで安堵して何も聞こえなくなったのかもしれないけれど・・・たぶん、そのときに話された内容が一番大事。医者がそのとき、どういう病気を疑って検査をし、結果がどうで、今後何に注意しろと云っていたのか、どうか思い出してください(まあ、記憶に残らないのは説明の仕方が悪いのでしょうが)。

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諦観

『諦観(ていかん)』といえば「あきらめること」。「あきらめる」といえば、想いを断念し、「まあしょうがないさ」「こんなものかな」と自分に云って聞かせて忘れること、と思っていました。わたしは最近、何かと『あきらめること』ができるようになってきて、煩悩を調整できるようになってきたと自負しているところなのですが・・・。

仏教用語の『諦観(たいかん)』は、まったく違うことなのだそうですね。「あきらめる」とは、正式には「あきらかにみる」・・・何を明らかにするのかと云えば、因果、因果の道理。何かが起きたらそれには原因があり、その原因を明らかにして、解決するために対策を実行すること、なのだそうです。常に、自分の行動を客観的に見つめ、反省し、前向きに生きることを『諦観』というらしい。

ん~、深い話じゃ。

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”病人”の気持ち

人間ドックの生活習慣病関連の項目の精検(要精査、要治療)受診率が相変わらずとても低い。がん関連も高くはないけれど、やはりがんは死に直結する印象があるのか、7割以上はどこかの医療機関を受診しているようです。でも、生活習慣病、特に高血圧、糖代謝異常(糖尿病)、脂質異常については絶望的な受診率です。

「昨年、『要治療』の評価を受けたが未受診」という問診項目が目につきます。脂質異常はまあ良いとして(良くないか)、糖尿病とか、「どうして病院に行かないのだろう」と首を傾げたくはなるのだけれど、分からないでもない。「どうもないから」というよりは「できたら他人事であってほしい」という気持ちがどこか逃げの方向にカラダを引っ張っていく。病院受診したら『糖尿病』と決められてしまう。もしかしたらクスリなんか飲まされるかもしれない。何ともないのに、他人からも『糖尿病の人』という目で見られるようになるかもしれない・・・。 「テレビでもあれだけ糖尿病の啓発番組がやられているし、糖尿病がどれだけ怖い病気かわかっているだろうに、ほったらかしても良くはならないのに、どうして受診しないの?」と専門職のナースやドクターは思うのだけれど、それは、彼らが「専門家だから」なのではなく「他人事だから」なのではないかという気はします。

ただ、これだけ情報が蔓延している社会だから、糖尿病が悪化するとどうなるかくらいはなとなく分かっているから、「どうもない」かもしれないけど「心配していない」わけでもないはず。それこそインターネットや雑誌を読みあさって気をつけられることはそれなりにしているはず(まあ、ほとんどの人が”それなり”ですけど)。糖尿病の治療の基本は運動と食事と睡眠なのですから、それでコントロールできるなら別にそれでいいのです。ただ、もともと症状がないのだから、成果は血液検査で評価するしかないわけで、それを1年後の健診でこっそり見るのでは、さすがに不十分なのです。

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老いのバージョン

わたしのパソコンのキーの打ち間違いは日に日に酷くなります。

自信があったキー捌きに間違いが目立つようになって、「それは老化の証拠よ」と妻に笑われて落ち込んだのはもう何年前だったろう(ここまで書くのにすでに5回ミスタッチ)。「頭が出した指令を指先がきちんと遂行できなくなってるんだもんね」と云われ、ちょっと反論したのが懐かしい。今やそんなこと当たり前で、ミスタッチしない日なんて一回もないわ(笑)

それは”馴れ”であり、「もっと老化に抗う気持ちを持たないとどんどん萎んでいくよ!」と云われてもあまり気にもならなくなりました。打ち間違えたら打ち直せば良い。もう一度間違えたらもう一度打ち直し、それでも間違えたら、ちょっと深呼吸してから前よりゆっくりキータッチしていけば、今のところ問題は起きていない。

そんなレベルはとうの昔に通過。最近は、スマホやiPadを指で触ろうとするとビクともしなかったりする。冬場に指が荒れて指紋認証できないことはしょうがないけれど、それではない。たぶん皮膚のアブラが足りなくて、器械がわたしの指を”生き物の皮膚”として認めようとしない様子なのだ。こっちは残念ながらゆっくりしようが強くしようが、ダメなときはダメ。今や、こっちの方がはるかに凹みます。

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理論は事実には勝てず

「先生の今回の研究結果をとても興味深く拝聴しました。で、この結果をもたらしたメカニズムはどういうことだとお考えですか?」

学会などで新しい知見を発表すると判で押したように必ず誰かが質問する「メカニズムの仮説」。これが明確でないと、その結果は単なる”偶然の産物”にすぎないと云われてしまいます。たとえ、普通の100倍の数を検討したり治療をしたりした経験として統計的に有意差が生じたとしても、それをもたらしたメカニズムの理論が妥当でない限り相手にされません。学問というものはそういうものであり、そうでなければ科学の普遍的な真実として生き残ることはできず、万人に恩恵を与えるような大発見というわけにはいきません。だから、理論に見合うだけの事実がほしくて、つい捏造データを作ってしまう研究者が後を絶たないのかもしれません。

話が横道に逸れました。普遍的な摂理を探求するときにはたしかに理論が必要なのだと思いますが、わたしたちが或る一人の人間を相手にして、行動変容や治療の選択を促す場合、そんな普遍的な理屈に意味はあるのか? わたしは標準値やガイドラインの基準値にはほとんど興味が湧きません。その境目の上か下かで大した違いはないことを経験値として知っているから。原因が何であれ、治ればよい。標準治療策を取らなくてもデータが良くなればそれでよい。逆に普遍的な治療法を施しても良くならないとしたら、それはどうしてか?その理論が間違っているのではなく、その人間には向かなかっただけだと結論づけられる。それだったら、無理矢理理論づける必要なんて何もないのではないかと思うわけです。

メカニズムを論じ合い、万人に通用する公式を導き出す努力は学問の世界でやればよい。現実の一人のカラダの反応については、良くなったか、変わらないか、悪化したかの3種類しかないのであります。「原因の説明に納得がいかないからオレは治療は受けない」というなら、好きにすれば良いと思います。どうせわたしのカラダではないのだから。

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ちょっと休暇

労働基準局さまからの厳しいお達しで、「有給休暇はきちんと取るように(取らせるように)努力しなさい」ということで、2月3日から7日までお休みをいただきました(3日と4日はもともとお休みですから、正式には有休は3日間だけですけど)。

そういうわけで、ちょっと旅に出ていますので、ブログを2日間ほどお休みします。

みなさま、ごきげんよう。

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専門医資格

わたしは循環器内科医として15年近く働きましたが、実は専門医資格を有していません。だから、「専門は循環器内科です」とは云えません。

実は、医学の世界で『専門医』(専門学会がその領域のエキスパートとして、知識や経験値が一定線に達していると認めた証、らしい)というのに重きを置き始めた頃、わたしは東京の病院に勤務していました。当初は暫定措置として、決められた書類を提出すれば資格を得ることができたのですが、当時は循環器内科に属していなかったためにあまりその重要性を理解していませんでした(わざわざ受け持った患者さんの退院サマリーを大事に貯めていたのに日の目をみませんでした)。その時に暫定措置の申請をしなかった者が専門医を取得するには、あらためて内科学会の専門医を取らなければならず、それは市中の救急病院で勤務している限りは難しい。いろいろな病気の患者さんを万遍なく受け持って症例数を確保しなければならないからです。それを得るために大学病院に研修に出してもらった先生もおられましたが、わたしが循環器内科医になった目的はそんな資格をもらうことではない、と諦めた次第です。

まあ、特段後悔はしていません。「専門医を持たない医師はマジメに仕事や勉強に励んでいないいい加減な医者だ」とレッテルを貼りたがる病院幹部はたくさんいますが、そんなもの云わせておけば良い。専門医資格を持ってないから減給されるわけでも辞めさせられるわけでもないのだから、特に出世したいのでなければ医者として何も困らない。もちろん、資格や役職大好きな受診者さんにはヒラの医者として見下されますし、最近の新しい専門医制度はちょっと首を傾げたくなるものです(たぶんわたしは一層取得は難しくなった)が、おかげさまで、わたしたちの世代はそれでも何とか生きていけます。今の若い先生方は、資格取りや単位取りばかりに奔走して自分のやりたいマニアックな分野は片手間でしかやれなくなるから大変だし、面白くないんじゃないかなあと思ったりします。

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非空腹時の評価

特定健診の受診条件として「食直後でなければ(食後3時間半以上であれば)血糖値を評価して良い(今までは10時間以上空けていないとダメだった)」とお国がお達しを出したために、健診現場は大騒動です。国としてはできるだけ受診率を上げさせたいから飯食っててもOKにしたい。「ちょっとくらい高めの値でもメタボと引っかけてくれた方が良い」と思っているわけですが、金を出す保険者としては特定保健指導に該当する人をできるだけ少なくしたいし、それを請け負う健診機関(わたしの勤務する施設など)は特保用と普通の人間ドック用に条件を変える煩雑さ(正式には厳密に血糖評価をすべきであるという自負もあり)を極力避けたい。それぞれの立場の思惑がモロに見えてきます。

そんな中、食後3時間半では病気でなくても中性脂肪が高値を示すのじゃないか?という懸念があります。これに対して、「非空腹時に異常と判断する基準」というのが先日某医療雑誌に掲載されていました。それには、中性脂肪は175mg/dl以上(空腹時なら150mg/dl以上)と書かれていました。普通の人でも食ったら高値を示しますがすぐに下がるはず。どの程度のEBMを根拠にしているかは知りませんが、世の中多彩な労働環境や生活環境の中で、健診を受ける時(午前中)に必ずしも空腹を維持できているとは限らない(夜勤明けの人や深夜営業の飲食業の人など)わけだから、幅広く健診を受けてもらってスクリーニングするには大事なことなのかもしれません。第一、いつもは夜中まで飲み食いしているのに、健診の前日だけ早々に夕飯を食い終わって朝まで何も食わないなんて、全然フェアじゃない(そんな条件にしても異常になるのは本当の異常だから年貢の納め時だぞ!と云うことはできるか)。

非空腹時検査が多くなる中で、アメリカから提案されたのが新しいLDL(悪玉コレステロール)の推算式(計算式)です。

LDL-C値の新規計算式

昔からあるFriedewald式は総コレステロールと中性脂肪とHDLコレステロールがわかればLDLは計算で出てくるというものですが、中性脂肪の値が高すぎると成立しない(マイナスになる可能性もある)のがネックでした。それを改善させたのがこの新しい式らしいです(日本では、ほとんどの健診機関ですでにLDLコレステロールは直接測定するので、あまり計算式の必要性はありません)。

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ピロリ除菌と飲酒

どう答える? ピロリ菌除菌中の禁酒の必要性

”日本ヘリコバクター学会のガイドライン(2013年版)では、「アルコール摂取は除菌率に関係しない」と明記されているが、二次除菌治療に関しては、使用するメトロニダゾールにアルコールの分解酵素であるアルデヒド脱水素酵素阻害作用があるため、「禁酒指導は徹底させる必要」をうたっている。このため、「もともと飲酒は悪影響があると思っていると、二次除菌治療の情報のみを記憶してしまうのかもしれない」と話している”にもかかわらず、東京薬業健康保険組合健康開発センターの職員に「ピロリ菌の一次除菌中に禁酒は必要か否か」について自分で調べて回答せよ質問したら95%が「必要」と答えたのだそうです。2/3の人は「ネットで調べて」という回答で、「インターネットは間違った情報をまことしやかに流して世論を形成する危険性がある」と論評しています。

でも、実はわたしも禁酒は必須だと思ってました。ネットで調べた経験はないけれど、ピロリ除菌治療の説明を初めて受けた時点でだれかにそう教えてもらって以降、そう信じていましたし、うちの保健師さんの多くもきっとそう信じていると思います。わたし自身、人間ドック受診者の対象者に必ず「除菌中の1週間は酒を飲めませんが、それ以外は何も制限はありません」と説明してきました。「仕事上酒は止められないから、除菌治療は無理です」と答えた受診者さんも何人かいたので、とても申し訳ないことをしました。

『禁酒が必要なのは、二次除菌。一次除菌は飲んでも構わない』ですね。覚えておきます。もっとも、”ちなみに、飲酒は一次除菌に影響を与えないばかりか、飲酒者の方が除菌の成功率が高く、また飲酒量が多い方が成功率が高くなるという報告もある(Eur J Gastroenterol Hepatol 2002; 14: 291-296)”という部分は、オフレコでお願いします。

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煩悩に抗わない(後)

(つづき)

でも、わたしのブログを読んでいる方や、わたしの結果説明を何度も受けている方はおわかりでしょう。「そんなことできない!」・・・なぜなら煩悩に抗わなければならないから。よほど大きな病気になったとか痛い思いをしたとかでない限り、わかっていてもできないのがわたしたち凡人。
「忙しいのにゆっくり食ってなんかいられない。早メシ、早グソ、芸のうち!」「目の前のものを残す教育なんか受けてない。勿体ないから全部食べるのが美徳!」「食いたいものも食えず、食いたくないもの食って溜息つくくらいなら死んだ方がまし!」・・・みなさんのためにわたしが本音を代弁しておきましたよ(笑)

この煩悩がない人にはこの悩みは理解できません。「体質なんだもの、しょうがないじゃないか。自分のためなのだからガマンするしかないでしょ!」と冷たく突き放されてしまう。みんな、負けてはいけません! 必ずや、自分の煩悩と共存できる克服法を見つけ出しましょう。万人共通の普遍的な方法なんてありません。他人のやったことを真似してもうまくいかない可能性の方が高いから、各自自分のカラダで試行錯誤しながらやってみましょう。「目の前に好きなものだけしか置かず、目の前のものを残すことなく舐め尽くすように食べて、満足感を得ながらメタボを克服する」方法! 必ずあります。でも、たとえそれを発見して見事に克服できたとしても、それをネタに本を出したり講演をしたしてはいけません。その方法はあなたのカラダにしか通用しない究極のパーソナルメソッドなのですから。門外不出の秘密にしておきましょう。

健闘を祈ります。わたし? わたしはもうとっくに見つけ出して実践していますよ。教えませんけどね(笑)

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煩悩に抗わない(前)

坂根直樹先生(京都医療センター)が作成する生活習慣病の患者指導スライドが定期的に送られてきます。今回紹介されたのは人気ナンバーワンスライドだったという『204)内臓脂肪がつきやすい人の食の3特徴』です。

画像そのものは著作権の問題もありましょうからここにコピペすることはいたしませんが、説明文の中に、下記のようなくだりがありました。

******************

患者:どうやったら、内臓脂肪を減らすことができますか?
医師:内臓脂肪がつきやすい人の食生活の特徴として
   「早食い」
   「残さず満足するまで食べる」
   「緑黄色野菜は食べないが、間食、スナック菓子、アイスクリームを好む」
という傾向があります。

******************

まさにわたしのことだ!と思う人ばかりでしょう。もちろんわたしもその一人! この3特徴を克服する、つまり「ゆっくり食べる」「腹八分目で残す勇気」「間食をしない、特に風呂上がりにアイスクリームを食べない」などに気をつけましょう!というスライド。メタボ系生活習慣病の食事療法の基本中の基本、ですね。 (つづく)

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理屈に追い回されないように

「むかしは炭水化物を減らしてタンパク質中心に食っていたけれど、最近は人間ドックのeGFR(糸球体濾過量推算値)がやや低値になっていたので、タンパク質を制限してその分炭水化物を多めに摂るように変えた」と云うドクターがおりました。

云っていることは何となく分かるのだけれど、そもそもこの御仁は糖代謝異常と脂肪肝があるのです。特段、異常値でもないeGFR(たぶん本当の値をきちんと計測したら年齢相応の腎機能のはず)のためにタンパク制限するのもどうかと思うけれど、それはそれでいいとして、その代わりに炭水化物の量を増やしたら本末転倒ではあるまいか。

なんてなことを、本人の自信ありげな主張を聞き流しながら思った次第です。

そういえば、高コレステロール血症の治療薬で”夢のクスリ”と称して独占的な地位を築いてきたスタチン系薬剤が、「糖尿病のリスクを有意に高める」ということで話題になっています。おそらく「糖尿病リスク」と書かれた時点で、気にするのは正常血糖の人ではなくて糖が高い人でしょう。で、そのために境界型糖尿病(糖代謝異常)の人がクスリを勝手に飲み止めてしまったらどうなるか。そもそも、食後高血糖になるときにインシュリンスパイク(血糖値をコントロールするインスリンというホルモンが乱高下する)を起こし、その時に血管の壁に隙間ができてその隙間から悪玉コレステロールが壁内に入り込んで動脈硬化を作るんです・・・待て待て、糖代謝異常の人ほどスタチン系薬剤が必要なのではないのかい? 

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『少食』

一般社団法人日本生活習慣病予防協会の定める「全国生活習慣病予防月間」(毎年2月開催)のメインテーマは「”一無・二少・三多”による生活習慣病予防」です。

1月23日は「一無、二少、三多の日

そんでもって、今年の年度テーマは『少食』。

はい、みなさん、がんばってください。

蛇足ですが、『一無』は禁煙(無煙)、『二少』は少食と節酒(少酒)、『三多』は多動、多休、多接、です。さすがは現代社会。インスタやハッシュタグは必須のアイテムとして重要な戦力になっていますね。こういう手法は、わたしたちの職場の企画でも積極的に活用しなきゃ。

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パソコン椅子

わたしの毎日使う診察室の椅子のはなしです。ちょっと午後から産業医勤務でいないとか学会出張で休んだとかした日の翌朝、自分の診察室の椅子に座ろうとすると、ものすごい違和感に襲われます。わたしの不在の間は他の先生が代わりをしてくれるのですが、その先生方が必ず椅子の高さを最低に下げているのです。いろんな先生が来られますが、例外なく下げています。

みなさん、椅子、低すぎじゃないですか? 机の高さとの関係もありますが、受診者の方と一緒に眺めるパソコンモニターの画面との関係からして、絶対に見上げる状況になっているはずです。私の代わりをする先生はみなさん私より小柄な女医さんばかりなのですから、私より座高は低いはず。この高さではわたしですら見上げるのですから、絶対に首を挙げて画面を見る形になっているはずなのです。

若いナースや事務職のみなさんもみんなその姿勢をしていますが、長時間その姿勢を続けると肩こりを起こします。そもそもパソコンに向かう人間工学的な理想の椅子の高さは、やや斜め上から見下ろす形、つまり首に無駄なテンションを与えない姿勢のはずです。頸椎を後屈させる格好のまま一日を過ごすと間違いなく首に無理をさせます。だから徐々に椅子に浅く掛けて寝そべるような姿勢になってしまう・・・これは今度は腰を痛めますし斜に構えて画面を見るから視力を落とします。

本来は高めの椅子に深く座って背筋を伸ばして斜め上から画面を見てキーを叩く、これが基本です。長年してきている姿勢を修正するのは大変ですからうるさいことは云いませんが、せめて若い子たち(これからパソコンを使い始める子どもたち)には正しい姿勢を教えてあげてください。

PS)調べてみたら、10年前にも同じことを書いていました。世の中、全然変わっていないんですね。嘆かわしい。

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予防医療は診断学?

「若い先生は診断学だけでは物足りないのかな?」・・・ある先生がぼやきました。

医療の世界は大きく分けて2つの要素で成り立っています。『診断(学)』と『治療(学)』です。患者さんの訴えを聞き、必要な検査をして、その結果から何が悪いのかを見つけ出すのが『診断学』。そして、その診断に従って一番有効な手立てを決定して治すのが『治療学』。臨床医は診断と治療の両方を行い、それによって目の前で病に伏せていた患者さんを元気に回復させるのが喜びであり、それこそが心身ともに疲れても医業を続けられるモチベーションとなるのであります。わたしが若い頃に東京で3年間働いたときには放射線科に勤務しましたが、主たる仕事は診断学でした。他の先生から依頼された検査を行ってそれを読影して病気をみつける、あるいは病気でないことを診断する。そういう毎日でした。もちろん放射線科にも治療分野があります。がんなどに対するアイソトープ治療、ガンマーナイフ、サイバーナイフなどがそれです。

さて、それでは、予防医療はどっちなのか。臨床医をやってきた先生が人間ドックに従事しても数年で去って行くとき、「やはり自分は患者さんの治療をしたい」ということばを残していきます。診断だけして肝心な治療を他人に任すのは物足りない、というのです。「そりゃそうかもしれない」と納得しかけたわたしですが、それは大きな間違いだと思います。予防医療は『究極の治療学』なのだから。病気の早期発見(がんなども含めて)こそが予防医療の使命だと考えていると『診断学』と思うのでしょうが、わたしは予防医療は”病気にならないカラダ作り”が使命だと考えます。行動変容を促して生活の仕方を変えさせることは、治療以外の何ものでもありますまい。その自負を持って、これからも予防医療の治療医として頑張っていきたいと考えております。

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回り道が好き

わたしは回り道が好き。人生については、別に回り道したかったわけではないけれど、要領が悪いから結果としてムダに回り道ばかりしてましたが、ここで云いたいのはそんなことではありません。目的地に向かうルートだとか、何かをするときの順番だとか、そういうのに効率の事を考えるのが好きではないということです。単に不器用なだけかもしれないけれど、結果として効率の悪いプロセスを選んでいる自分が好き。

たとえば、家の前の道路。目的地に行くのに右折すればすぐそこなのだろうけれど、交通量が多いからなかなかいいタイミングにならない。そのタイミングを狙ってドキドキするくらいなら、一旦左折して信号機のある交差点を通りながら反対側から目的地を目指すとか、そのまま直進して右折しやすいところまで行ってUターンしてから帰ってくるとか、とても要領のいい妻に「まったく理解できない」と云わしめるようなムダな時間を費やす。そんな自分が好き。

掃除。できるだけムダな時間も労力も費やさずにキレイにできる戦略を練るのが好きな妻と違って、あっちしてこっちしてもう一度元の所の棚の中を片付けてからさらに最初の場所に戻って拭き掃除を始めるなどというのはいつものこと。基本的に掃除自体が好きだから気にならない。休みの日の買い物もほぼ同じ。書き出したToDoリストを目的地の遠い順から並べ替えるような作業はあまり好きではないから、こことここに行った後に一旦戻ってからここを経由して最後にここに行く・・・そういう行き方をする自分が好き。そんな生き方を自慢する自分もちょっと好き。

回り道を正当化させようという気はありません。要領が悪いだけだから。でも、要領が悪いからこそ見えるものもたくさんある。ムダなく効率的にスマートに済ませる人生ばかり送った人にはわからないであろうもの。”無駄”ではなく”有駄”。ま、要するに、そんな生き方って、面白いんですよ。はい、それだけのことです。

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後ろを振り返る

わたしは散歩が好き。散歩が好きと云うよりも歩くのが好き。だから寒くても暑くても、たとえゴルフで疲れた後でもワンの散歩は欠かさない。それは、彼女の楽しそうな顔を見るのが嬉しいだけではなく、日々の景色を眺めて移りゆく季節を感じるのが好きだからだと思っています。

うちのワンが執着気質できっちり同じ道しか歩こうとしないので、散歩ではいつも同じ景色の繰り返しなのですが、そんなとき、ふと後ろを振り返ってみました。すると、後ろには今までまったく見たこともない景色が広がっていることに初めて気づきました。同じコースを逆回りしたのと同じでしょ?と云う人がいますが、それとは全然違う。大袈裟ではなく、まるで初めて来た場所のような錯覚、パラレルワールドに入り込んだような感覚にとらわれます。今までにそんな気持ちになったことはありませんか。

後ろを振り返る。今まで全然意識しなかったけれど、今まで歩いて来た世界の後ろ側には、常にまったく別の世界が生まれているという事実。これはとても大事なことのような気がしてなりません。単なる散歩コースの景色に留まらず、毎日の生活経験でも仕事でも考え方でも何でもそう。これに気づかないのは、人生の半分を知らないまま捨てていっているのと同じかもしれない。毎日必死に前を向いて生きている皆さん方、コーヒーブレイクのときにでも自分のやって来たことをちょっと振り返ってみましょう。絶対に新しい発見があると思います。

そんなことを思って感動していると、「何やってんじゃ?」という顔でわたしを覗き込みながら、「さ、もたもたせずに行くばい!」とわたしの持つリードをグイグイ引っ張っていく愛犬。いつもの世界に戻されるのでございます。でも、その瞬間瞬間にも、わたしとワンの後ろには違う景色が生まれながらわたしたちを眺めて笑ってくれているに違いありません。

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サルコペニア診療ガイドライン

初の「サルコペニア診療ガイドライン」発刊

”本邦初となる「サルコペニア診療ガイドライン2017年版」が2017年12月25日に発刊された”という紹介記事がCareNetから配信されました。

「サルコペニアの定義」「サルコペニア肥満」の定義から始まって、疫学、予防、治療と、病気としての一般的な内容が日本サルコペニア・フレイル学会の「サルコペニア診療ガイドライン 2017 年版の CQ とステートメント」にわかりやすく書かれていますから是非ご参照ください。

「サルコ」=筋肉、「ペニア」=減少症。ですからサルコペニアは「高齢期にみられる骨格筋量の低下と筋力もしくは身体機能(歩行速度など)の低下」と定義されます。それによって筋肉が落ちて一層動かなくなってどんどん衰弱するという本来のサルコペニアの概念とは別に、動かなくて筋肉が落ちて代謝が低下しているのに高カロリー食を食うから肥満になって、一層動かなくなる「サルコペニア肥満」の問題が深刻化しています。サルコペニア肥満は、サルコペニア単独、メタボ単独よりも生活習慣病発症の危険性がはるかに高くなることが分かっているからです。

もっとも、わたしはいまだに「定義」や「診断基準」がキライ。人間の病気は0か100かで切り分けられるものではないと思っているから。でも、これらの概念が「病気」として認められ、それで世間一般の認知度が増すことで予防意識が高まることを期待します。できたら、サルコペニア、フレイルだけでなく、混同しがち(わたしもよく理解できていない)なロコモティブシンドロームもまとめてガイドラインで解説してくれたらいいのに、と思いました。

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老人はどうなの?

若者の「スマホ依存症」、脳画像で異常を確認

”スマートフォン(スマホ)から離れられない若者に脳画像検査を実施したところ、脳内の神経伝達物質の活性のバランスに異常が認められたとする研究結果が北米放射線学会(RSNA 2017、11月26日~12月1日、米シカゴ)で発表された”という記事。

研究を高麗大学(韓国)のHyung Suk Seo氏らが行っているので、アジア人の情報として日本人も同様と考えた方が良いのでしょう。インターネット依存症またはスマホ依存症と診断された10歳代の男女19人を対照群と比較したら、”グルタミン酸-グルタミン(Glx)に対するγアミノ酪酸(GABA)の活性レベルの比が高いことが示された”そうです、。前者は興奮性、後者は抑制性の物質とされているので、つまり興奮性の脳内神経伝達物質が増加しているということでしょうか。”インターネットあるいはスマホへの依存症はギャンブルやポルノへの依存症に匹敵する病態かもしれない”という専門家のコメントも書かれていました。スマホの人間侵略の速度は想像以上に早いことが恐ろしい問題です。

で、中年層や私たちアラカン世代以降の連中はどうなのかしら? 私の周りの同世代たちも普通に暇を見つけてはスマホを弄ってます。私らは、若い子たちほど脳内神経伝達物質に影響を与えないのでしょうか? どんどん興奮性が衰える世代としては、「むしろスマホ依存の方が若返る」などというデータを出してもらえるとうれしいのですけれど(笑)

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興味のベクトル

Ikari CurveをLauncherに搭載する臨床的意義

という文字が配信されてきたMedical tribuneの記事の表題に踊っていました。 わたし、何を勘違いしたのか、「Launcher」を「laughter」と思い込んでしまって、「怒りの程度をグラフに表して、それを『笑いのソフト』(そんなのが世にはあるんだ!)に載せる試みを行うことの臨床的意義」という記事なのだと思いました。

でも、開けてみたら、日本メドトロニクス社という心臓カテーテルなどを扱っている会社の発信した記事で、内容は伊苅(Ikari)裕二先生(東海大学)が開発した心臓カテーテルのお話。全然違っていました。

最初に思い込んでしまうと、自分で何でも想像して勝手に創り上げてしまうものなのですね。それこそ「あっはっは」(苦笑)です。興味のベクトルによって全然違う方向に向かってしまって、勘違いのために大騒動になるって、こんな感じで始まったりするのかしら。

元循環器内科医(カテーテル治療医)経験者でありながら、予防医療にどっぷり浸かっている今のわたしとしては、使い勝手の良いカテーテルの話よりも、日頃の怒りを笑いに換える云々の内容の方がはるかに興味深い。そんなことをいつも考えているからこうなっちゃったに違いありません(笑)

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ロコトレPR

『ロコモ』こと、『ロコモティブシンドローム』の一般市民への普及程度は少しは増しているのでしょうか? たぶんテレビの健康番組でも適宜PRしていると思うのですが、どうも『メタボ』ほどのインパクトがない感じを受けているのは、わたしだけでしょうか。まあ、ロコモは若いうちから該当するのに「ちょっと体力が落ちたかな」程度にしか感じていないヒトが多く、はた目からはメタボほど目立たないし、筋力や関節機能が落ちても楽で便利な道具はたくさんあるから困らないし、脅されても今ひとつってところはあるのでしょうね。

でもロコモは、今や多くの四十歳代が片足どころか両足突っこんでいますからね。自覚が出て異常に気づいてから何かを始めてももう元には戻らないですからね。そこんとこ、よろしく。わたしのようなアラカンは、現状維持が限界ですけれど。

ということで、微力ながらロコモ普及にご協力致します。ロコモチャレンジ!推進協議会ホームページ「ロコトレ」から拝借したものをコピペしておきます。『人間には運動欲という欲求は存在しないから、「しなければならない」という状況でない限り絶対に動かない』・・・要は”習慣づけ”です。さ、面倒くさくても、この程度のことはやりましょう。

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