サルコペニア診療ガイドライン

初の「サルコペニア診療ガイドライン」発刊

”本邦初となる「サルコペニア診療ガイドライン2017年版」が2017年12月25日に発刊された”という紹介記事がCareNetから配信されました。

「サルコペニアの定義」「サルコペニア肥満」の定義から始まって、疫学、予防、治療と、病気としての一般的な内容が日本サルコペニア・フレイル学会の「サルコペニア診療ガイドライン 2017 年版の CQ とステートメント」にわかりやすく書かれていますから是非ご参照ください。

「サルコ」=筋肉、「ペニア」=減少症。ですからサルコペニアは「高齢期にみられる骨格筋量の低下と筋力もしくは身体機能(歩行速度など)の低下」と定義されます。それによって筋肉が落ちて一層動かなくなってどんどん衰弱するという本来のサルコペニアの概念とは別に、動かなくて筋肉が落ちて代謝が低下しているのに高カロリー食を食うから肥満になって、一層動かなくなる「サルコペニア肥満」の問題が深刻化しています。サルコペニア肥満は、サルコペニア単独、メタボ単独よりも生活習慣病発症の危険性がはるかに高くなることが分かっているからです。

もっとも、わたしはいまだに「定義」や「診断基準」がキライ。人間の病気は0か100かで切り分けられるものではないと思っているから。でも、これらの概念が「病気」として認められ、それで世間一般の認知度が増すことで予防意識が高まることを期待します。できたら、サルコペニア、フレイルだけでなく、混同しがち(わたしもよく理解できていない)なロコモティブシンドロームもまとめてガイドラインで解説してくれたらいいのに、と思いました。

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老人はどうなの?

若者の「スマホ依存症」、脳画像で異常を確認

”スマートフォン(スマホ)から離れられない若者に脳画像検査を実施したところ、脳内の神経伝達物質の活性のバランスに異常が認められたとする研究結果が北米放射線学会(RSNA 2017、11月26日~12月1日、米シカゴ)で発表された”という記事。

研究を高麗大学(韓国)のHyung Suk Seo氏らが行っているので、アジア人の情報として日本人も同様と考えた方が良いのでしょう。インターネット依存症またはスマホ依存症と診断された10歳代の男女19人を対照群と比較したら、”グルタミン酸-グルタミン(Glx)に対するγアミノ酪酸(GABA)の活性レベルの比が高いことが示された”そうです、。前者は興奮性、後者は抑制性の物質とされているので、つまり興奮性の脳内神経伝達物質が増加しているということでしょうか。”インターネットあるいはスマホへの依存症はギャンブルやポルノへの依存症に匹敵する病態かもしれない”という専門家のコメントも書かれていました。スマホの人間侵略の速度は想像以上に早いことが恐ろしい問題です。

で、中年層や私たちアラカン世代以降の連中はどうなのかしら? 私の周りの同世代たちも普通に暇を見つけてはスマホを弄ってます。私らは、若い子たちほど脳内神経伝達物質に影響を与えないのでしょうか? どんどん興奮性が衰える世代としては、「むしろスマホ依存の方が若返る」などというデータを出してもらえるとうれしいのですけれど(笑)

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興味のベクトル

Ikari CurveをLauncherに搭載する臨床的意義

という文字が配信されてきたMedical tribuneの記事の表題に踊っていました。 わたし、何を勘違いしたのか、「Launcher」を「laughter」と思い込んでしまって、「怒りの程度をグラフに表して、それを『笑いのソフト』(そんなのが世にはあるんだ!)に載せる試みを行うことの臨床的意義」という記事なのだと思いました。

でも、開けてみたら、日本メドトロニクス社という心臓カテーテルなどを扱っている会社の発信した記事で、内容は伊苅(Ikari)裕二先生(東海大学)が開発した心臓カテーテルのお話。全然違っていました。

最初に思い込んでしまうと、自分で何でも想像して勝手に創り上げてしまうものなのですね。それこそ「あっはっは」(苦笑)です。興味のベクトルによって全然違う方向に向かってしまって、勘違いのために大騒動になるって、こんな感じで始まったりするのかしら。

元循環器内科医(カテーテル治療医)経験者でありながら、予防医療にどっぷり浸かっている今のわたしとしては、使い勝手の良いカテーテルの話よりも、日頃の怒りを笑いに換える云々の内容の方がはるかに興味深い。そんなことをいつも考えているからこうなっちゃったに違いありません(笑)

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ロコトレPR

『ロコモ』こと、『ロコモティブシンドローム』の一般市民への普及程度は少しは増しているのでしょうか? たぶんテレビの健康番組でも適宜PRしていると思うのですが、どうも『メタボ』ほどのインパクトがない感じを受けているのは、わたしだけでしょうか。まあ、ロコモは若いうちから該当するのに「ちょっと体力が落ちたかな」程度にしか感じていないヒトが多く、はた目からはメタボほど目立たないし、筋力や関節機能が落ちても楽で便利な道具はたくさんあるから困らないし、脅されても今ひとつってところはあるのでしょうね。

でもロコモは、今や多くの四十歳代が片足どころか両足突っこんでいますからね。自覚が出て異常に気づいてから何かを始めてももう元には戻らないですからね。そこんとこ、よろしく。わたしのようなアラカンは、現状維持が限界ですけれど。

ということで、微力ながらロコモ普及にご協力致します。ロコモチャレンジ!推進協議会ホームページ「ロコトレ」から拝借したものをコピペしておきます。『人間には運動欲という欲求は存在しないから、「しなければならない」という状況でない限り絶対に動かない』・・・要は”習慣づけ”です。さ、面倒くさくても、この程度のことはやりましょう。

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血尿

昨日の朝、尿意を催して大急ぎで小便器に向かってオシッコをしたら、突然真っ赤な血尿が出てきて辺り一面を真紅に染めた! という、夢を見ました。

夢の中のわたしはとても落ち着いていて、「あら、血尿だ。また石(尿管結石)ができているのか。そういえば最近また意味もなく腰が痛かったからな」などと独りごとを云い、トイレットペーパーで拭くのが良いか水を流して洗い落とすべきか・・・後始末のことなんか考えているうちに目が覚めました。二十歳前から尿管結石には悩まされ、ひどいときには年に3回も4回も発作を起こしたり、一晩に左右から排石されたりした武勇伝を持つわたしは、自称”石博士”。だから、夢の中の光景も自分では経験があるから、ちっとも驚かない。むしろ、「膀胱界隈まで落ちてきた証拠だからあと一息で出てしまうな」などと喜んだりなんかする。

でも、こういうのが一番アブナイんですよね。「全く痛くもないのに真っ赤な血尿が出る」なんてこと尋常ではないのですから、本当は「膀胱がんじゃないかしら?」と思うのが当たり前。「石だと思うよ」と放置して手遅れの進行がんになってしまう人が少なからずいることは、医療者であるわたしはよく分かっています。それなのに、「これはきっと石だ」と思ってしまう。いけませんねえ。「毎年健診で血尿を指摘されて精検してもいつも異常なしだからもう受けない」という”血尿慣れ”している女性の方も同じで、やはりこういう人が膀胱がんを見逃す人。面倒でも泌尿器科受診して「心配ない」という診断を受けた方がいいと思います。

それにしても、夢とはいえ気味の悪いはなし。何か、カラダからの警告なのでしょうか。

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早足と大股

まめ太郎チャレンジ!で歩数をきちんと計ってみたら、今年の歩数は昨年までほど努力しなくてもすぐに目標に達することに気づいて、どうもそれが歩幅が小さくなったせいだろうということを突き止めました。特段せかせかあるくわけでもないし、最近は胸を張って歩くように心がけているからむしろ歩幅は広いのだと思い込んでいただけに、ちょっとショックではあります。

そんな今まで気にも留めていなかった”歩幅”というものを意識して歩いていると、公園や湖畔の遊歩道を健康のために歩いている老若男女の歩く姿勢につい目が行くようになりました。凛とした冬の冷たい空気の中、颯爽と胸を張って歩く人、夫婦で語らいながら笑顔で通り過ぎる人、ワンの散歩友だちと井戸端会議しながらボチボチと歩を進める人・・・そんな中に、防寒着で身をまといながらうつむいてまるで小動物が歩いているかのようにシャカシャカシャカと小刻みに靴を鳴らして足早に歩くご婦人とすれ違いました。あれは、きっと散歩が目的ではなくて”早歩き”によるエネルギー消費だけが目的なんだな、と分かりました。

で、ふと思ったことは、「早歩き」と「大股歩き」とどっちがカラダに良いのだろうか?ということ。「早歩きしないと減量効果は少ない」と云われていますが、むかし運動指導士さんから「あまり小刻みに歩いても負荷はかからない」と教えてもらったこともあるし、『スロージョギング』の極意は小股走りです。一方で、「胸を張ってへその高さに股関節があると思って大股で歩きましょう!」というのが健康ウォーキングの基本であり、「上を向いて大股で歩くと幸福感が増す」という研究データがあることを昨年のポジティブサイコロジー医学会で学びました。まあ、『大股で早歩き』が一番なのでしょうがそれは置いといて、究極としては、『小刻みでも早歩き』と『ゆっくりでも大股歩き』のどっちが健康運動としては良いのだろうかな? 

ま、わたしは、比べるまでもなく、断然後者だと思いますけど。

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まめ太郎チャレンジ!中間報告

まめ太郎チャレンジ!』と勝手に命名。

わたしの毎年恒例の健康増進3ヶ月トライアル(第4回)も早くも中間点を迎えました。第1回トライアルや第2回トライアルの時のような想定をはるかに越えた強烈な右肩下がりの直線的体重減少は鳴りを潜め、第3回トライアルの昨年は4キロ減でしたが、今回はいまだに1キロ程度の変動に止まっています。担当保健師さんが心配して面談の時間を作ってくださり、体組成計のデータから、「筋肉量が少し増えて体脂肪率が少し減っている」という結果を印刷して持ってきてくれました。ありがたいことですし、うれしいことですが、まあ客観的に見て”超誤差範囲”。「悪化してない」というのが正解でしょうか。

さすがに「”まめ太郎”(渡されたライフコーダー)を持っているだけでみるみるやせていく」という神がかり的な力はなくなってますが、今回のトライアルの目標はやせることではなくて『切れ味のある腰周り作り』ですから、体重が減らないことをさほど気にしてはいないのですが、与えられた体幹トレーニングは毎日やっているし、職場の見回り2往復(歩数にして2000歩)を遵守しているのに一向に体重変化がみられないというのは、まあチャレンジ!と銘打っている以上ちと癪には障ります。

今回は、特別な3ヶ月にせずにこのままずっと続けられるトライアルにしたいと思っているので、運動も食事も無理はしないようにしています。それでも以前に比べれば夕食の後にダラダラ続ける間食はなくなったし、意識しなくても早く寝るようになったし、多動児の生活に変わりはないし、かなり変わっては来ました。だから、こっそりではあるけれど、何か目に見えたご褒美はほしいよなあ・・・無理すりゃすぐに4、5キロは減るぞと思うのを、じっとガマンする日々ではあります(ウソです・笑)。

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オトコの髪のリスク

「脱毛症」「若白髪」で男性の心疾患リスク5倍

昨日に引き続き、男性のアタマの話をもうひとつ。

男性型脱毛症または若白髪がある男性では、これらがない男性と比べて40歳までに心疾患を発症するリスクが5倍を超えるとする研究結果がインド心臓病学会(CSI 2017日、11月30~12月3日、インド・コルカタ)で発表された。”という記事が、CareNetに載っていました。

男性型脱毛は男性ホルモンが強いことも関与し、心筋梗塞などの冠動脈疾患に罹る確率が高いことは20年近く前から知っていましたが、若白髪が直接心疾患に関連することは認識しておりませんでした。ストレス性の因子を除けば、男性脱毛は男性ホルモン、白髪は女性ホルモンに関与するのが基本だと思っていたのですが、そうではないのでしょうかね。

これまでも何度も書きましたが、わたしの父親も父の兄も若い頃からの男性型脱毛、母方の兄弟は若白髪タイプ、そしてわたしは典型的な白髪タイプ(どれくらいを『若白髪』と定義するのかは知りませんが、40歳頃にすでに白髪はありました)です。父は心筋梗塞(推測)で亡くなったけれど75歳くらいだったし、母の母親は心筋梗塞だったけれど白髪の二人は心臓とは関係なかったし・・・。わたしは冠動脈石灰化スコアが超高値だからいつでも心筋梗塞で倒れる危険性があることは知っていますけれど・・・少なくとも、自分の人生経験と照らし合わせると、このインドのデータの信ぴょう性はよくわかりませんな。

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薄毛隠しとMRI検査

昨年末、わたしの勤務する病院のMRI検査で画像のゆがみが発生し、その原因が患者さんが使用していた増毛用パウダーだった可能性が高いことが判明しました。

薄毛隠しや白髪隠しのために頭に振りつけるパウダーとかスプレーとか、普通に普及していますが、その商品の中に『酸化鉄』の含まれているモノがあるようなのです。みなさんご存じのように、MRI検査は強烈な磁場の中で磁気共鳴を利用して検査するものなので、どんなにわずかな金属でも身に付けているととても危険です。だから、腕時計やネックレスだけではなくて、入れ歯とか人工物を使用した手術歴とかカツラの装着とかを、こと細かにチェックするのですが、「カツラはしていませんか?」とは聞きますが、「アタマにパウダー振っていませんか?」とはなかなか聞きません(聞けません)。しかもこの手のパウダーやスプレー商品のすべてに酸化鉄が含まれているわけではないようなのです。

検査技師さんから注意勧告メールが来ましたが、それによると酸化鉄の存在は、
①MRI画像の歪み
②火傷や熱傷の恐れ
③MRI装置の故障(酸化鉄の飛散)
などのリスクが考えられるそうです。使っている人はちょっと自ら申告するのに勇気がいるだろうとは思いますが、MRI検査を受ける場合は、パウダーやスプレーを使わないとか前もって洗髪して落としておくとかして、検査に臨んでください。プライドがあるのでそんなことはしたくない、という人は、迷うことなくMRI検査を拒否するか、酸化鉄の含まれてない商品を探すことをお勧めします。

ちなみに、セラミックスが含まれる遠赤外線下着や、ヒートテックような機能性(保湿性)肌着は検査中は着用禁止です。知っておくと良いと思います。

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35度の前傾姿勢

わが国初の慢性便秘症の診療ガイドラインが発表されたというので、読んでみた。

慢性便秘症の定義として、便が大腸内に滞ることだけではなく、「毎日排便があっても患者に残便感や不快感があれば治療対象になる」という考え方が新しく付け加われたそうです。

まあクスリのことはいいとして、予防医療に従事する医師の立場としては、生活指導の部分を習得しておくことが重要だと考えています。日経メディカル2018.1号の記事を読むと、

・食物繊維の摂取量は、男性20グラム/日以上、女性18グラム/以上を推奨する。
・白米には食物繊維は多くない(一膳で0.2グラム程度)。
・排便時姿勢は前傾姿勢が理想で、しゃがんで前傾になる蹲踞型排便がよいから、洋式トイレより和式トイレの方が出やすい。
・蹲踞型排便では、恥骨と直腸が近接して直腸肛門角がより直線に近く、体重が足裏にかかり骨盤の可動性が高くなり自由度が増すと出やすくなる。

などが書かれていました。理屈以上に厄介なのは、膝が悪い高齢者が和式トイレに座るのは難しいということと、今どきの若い子たちは蹲踞自体できない人が多い中でどうやったらいいのかということ。洋式トイレに座る場合、『臀部(おしり)より膝が高くなるように足元に踏み台を置き、さらに前屈み35度の前傾姿勢になるように意識するといい』らしいです。とにかく、「踵を高く上げて前屈みになる」・・・便秘の方は覚えておいて、試してみてください。最近わたしも試してみていますが、たしかにこの姿勢になっただけで便意が強くなります。

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ブログを読まなくなる時

「先生、まだ今でも毎日ブログ書いているのですか?」
「ジャイくん、今もあのブログ続けてるの?」

わたしがブログを書いていることを以前から知っている職場の若手スタッフ(10年前から知っているからもう全然若手ではないか)や友人と久しぶりに話すと、そんなことを聞いてくれることが時々あります。

「もちろん、ちゃんと続けているよ」と答えながら、最初は読んでいたけどもう読んでないんだなということが分かって、少しだけ寂しい気持ちになります。

でも、別に気にはしていません。こっちが勝手に好きなことを書いて配信しているのだし、読み続けないとしたらそれは内容が面白くないからかもしれません。アクセス数に従って何かもらえるようにしているわけではないのだから、読んでいただける人がいればそれでありがたいことです。そう思えるほど、長い歴史になりました。

自分が気に入って毎日読んでいたのにいつの間にか読まなくなったブログの数々はなぜ読まなくなったのかと考えてもあまりよく分かりません。たとえば鎌田實先生のブログ。相変わらず、あれだけ忙しいのに毎日アップを続けておられます。これをいつのころから読まなくなったのか忘れましたが、読まなくなった理由は、忙しくなったから。仕事だけではなく、他のSNSを読んだりブログ以外の投稿に忙しくなって、ブログをゆっくり読んでいる余裕がなくなったせいでしょうか。「時間さえあればゆっくり読みたいのだけれど」と、思ってはいるのだけれど、きっと今の状態ではこれからも読まないだろうな。

わたしのブログも、一時期毎日読んではコメントをいただいていたのに、ある時からふっと消えていった読者の方々。わたしのコトバの使い方の何かが気に入らなかったのか? 内容が飽きたりしたのか? そんなことは気にはなるのだけれど、他に興味が動けばわざわざここに来ることはなくなって当たり前。

「へえ、すごいですね。ぜひもっと続けてくださいね」と最後にくだんのスタッフに声をかけられて、ちょっと嬉しくなりました。

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負けず嫌い

「あなた、すごいね。よくそこまでストイックに頑張れるね」と妻が云いました。雨の休日に朝から傘をさして散歩に出かけたわたしに対しての感想です。こんな日はこうでもしないと目標の『1日8000歩以上』と達成できないのです。「別にストイックなわけじゃないよ。このライフコーダ(=まめ太郎)に数値が出るから、これに負けたくないからやっているだけだよ」と答えるわたし。

たしかに、わたしは負けず嫌いです。

「他のヒトに負けたくない」という気持ちはあまり湧いてきません。基本的に最後の最後で自分に自信がないからなのかもしれませんが、ヒトと競って、たとえ競り勝ってもそこで得られる喜びはそう大きくないことを長い人生の中でよく分かっています。

その代わり、「自分には負けたくない」という思いは、歳とともに強くなりました。こっそり自分で決めたことを達成できたとき、堂々と何かの資格を取るために勉強して合格を勝ち取ったとき、涼しい顔をしてこっそりガッツポーズを取るのが、好き。まあ、こっそり祝杯をあげたらあまりいつまでも余韻に浸れるタイプでもありませんが・・・。

サッカー観戦は好きだけど、本当は相手がいる戦いはあまり好きではありません。今年の高校サッカー決勝の壮絶な戦いも感動の涙で観ましたが、それでも敗者がいる戦いは自分はしたくないと思います。敗者がいる戦いに勝ってもココロが満足できるわけではないから。少なくとも自分は自分とだけ戦うのが好き。そして、この戦いには負けたくない・・・まあ、酒で「負けた」とつぶやくことは少なくないけれど(笑)

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犬の目線

Facebookに「grape(『心』に響く動画メディア)」というページがあります。今回、grapeアワードの受賞作品が紹介されていました。南 栞(みなみ しおり)さんという方が書いた優秀賞作品『2017年の春のこと』を読みながら、深い慈しみのココロに充たされていつまでも涙が止まりませんでした。

16歳で逝ったラブラドールレトリバーの愛犬を偲んで、棺に入れる写真を撮るためいつもの散歩道を愛犬の目線まで下がって眺めてみたら、何もかもが違って見えた。

『路傍の草花は随分と近い距離にあり、風に揺らぐその動きは、とても大きく見えた。空は広く、そして遠くに見えた。目の前の一本道は、とんでもなく長く感じ、車道を走る車は、とてつもなく大きい物体で、随分と速いスピードで走っているような気がした。どの道も、どの景色も、低い位置から見渡すと、すべて壮大な景色に見えた。』『彼女にとって毎日の散歩は、目の前の壮大な景色を楽しみながら、ワクワクしながら歩く、大冒険だったのだ』という部分を読むと、自ずと自分の愛犬との日々の散歩と重ね合わせてしまう。いつも「お散歩行こうか」と声をかけると大喜びで跳ねまわって喜ぶわが愛犬・・・「毎日同じ道ばかり歩いて楽しいのかなあ」と云ったら、妻が「いつもの道を見回りして、変わりがないのを確認するのが楽しいのよ」と笑ったのを思い出しました。そうか、彼女はそんな壮大な景色の中で、季節の移ろいやすれ違う人とワンの姿をいつも楽しみながら歩いているのだな・・・そう思うと、時々わたしの顔を見上げて「えへへ」という顔をする彼女がなんと愛おしいことか。

9年前、14歳直前に肝腫瘍で亡くなった老犬旅立つその日まで1週間毎日添い寝したこと、その娘犬が3年前に16歳になる直前に私たち夫婦の見守る中で静かに大往生したこと、そして今ここに寄り添ってくれている愛犬ももう9歳になってしまって、この娘とも別れなければならない日がいつか来るのだなということ、そんなことまで一気に考えた時間でした。

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所見あるが治療不要(後)

(つづき)

たしかに健診機関には生データが大量に蓄積されています。皆さんは”データ”が大好きなようで、自分の”データ”が揃っているのを眺めると気持ちが落ち着くようです。でもそれは、ただの数値や絵でしかありません。例えとして妥当かどうかわかりませんが、試験対策のためにノートや試験対策本のコピーを山積みさせて満足しているようなもので、これだけでは何の意味もありません。

方や、医療機関受診を勧められても、実際にはどこを選んだらいいのかわからないから受診しないのだという。怪しい治療を受けるくらいなら、健診を続けておいた方が無難だと思っている人は少なくないみたい。”データ”に異常があろうとなかろうと、変な治療を受けることなく、健診で検査を受け続けていれば何とかなると思っている方・・・きっと、何ともなりません。

医療の現場にもAIの時代が来ています。「AIがもっと進化すれば内科医なんて必要なくなるだろう」と、ある友人がマジメに語っていました。さてどうなのでしょうか。情報さえしっかり入っていけばAIの下す診断に大きな失敗はないだろうとは思いますし、まあ健診を受けて放ったらかしているよりはマシだと思うのだけれど・・・。ふと考えるのです。AIなら、この「所見はあるが治療不要」の返信を受けた受診者を、翌年にはどう”処理”するのでしょう。どうしろ!と指示するのでしょう。「来年も健診を受けとけばいいんじゃね?」という判断を下して、「来年もココに来なさい。わたしが診てあげましょう」と云ってくれるなら、ありがたいことです。AIさんを主治医にしてやってください。でも、AIでもやっぱり「専門医に行け」を繰り返すのじゃないのかしら。

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所見あるが治療不要(前)

健診結果から医療機関に診療情報提供書を出したとき、一番困るのは「所見はあるが治療不要」という返信です。例えば、心電図で心筋肥大を疑う所見が認められるとか、B型肝炎ウイルス抗原が陽性でキャリアである可能性があるとか、あるいは糖代謝異常が認められる、白内障や正常眼圧緑内障を疑う所見であるとか。「所見はあるが治療不要」というのは、「診断名はつくが別に薬を使って治療するほどのものでもないからそっちで何とかしろ」というメッセージでしょう。

でも、そんなこと初めから分かっている事です。わたしたちだってプロの医者なのだから。別に精密検査して白黒つけて欲しいとか薬剤治療は要りませんかと問いかけているのではなくて、この方のこれからの人生を考えたときに、同じ検査をするとしても、健診や人間ドックを受け続けるよりも専門医のもとでフォローしてもらった方が良いと思うから紹介するわけです。指定された検査をして、「治療するわけでもないのにうちに来てもらってもすることがない」といわんばかりに健診施設に戻されると、もはやこの受診者さんの行き場がなくなってしまうんです。そこに所見はあるけれど、前回門前払いを食らわされているからよほど目立った悪化がない限り紹介状は出せないし、受診者本人も、「検査に行ったけど異常ないといわれた」と信じているから二度と受診をしたがらない。

「どうせ受診しても検査するだけで、何もしてくれないのだから、健診を受けておくのと何も変わらないじゃないか」と受診者さんは思っているし、受診された医療機関も似たようなことを思っているようですが、それは全然違います。毎年同じ健診機関で人間ドックを受けているとしても、個人個人の臓器の経過を誰かが追いかけてあげてるわけではないことをわかってもらいたい。蓄積データがあっても、それをつないで見守ってあげる人がいなければ野放しと一緒。何かが起きても健診機関は何もしてあげることはないのですから。 (つづく)

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リケ老

先日、朝のNHKテレビを観ていたら、”82歳のプログラマー若宮正子さんのインタビュー番組があっていました。

大手銀行を定年退職した後からパソコンを操り始め、今回iPhone用アプリ「hinadan(ひな壇)」を開発して脚光を浴びたステキなシニア女史。話している内容がとてもシャープでオシャレ。それでいて常にシニア目線で(シニアが使いやすいように)開発している優しさがいい。

この番組の中で、彼女が強調していたコトバ。

「何か面白そうなことがあったら尻込みせず、
まず、とりあえずやってみる。
やってみてダメなら、やめればいい。
やっていて何か芽生えたら、それを育てると大きくなる。」

とても分かりやすいコトバとしてわたしのアタマの中に残りました。何かを始めようとするのはとてもエネルギーが要ること。歳を取れば取るほどに面倒くさくなります。やったら楽しいかもしれないけれど、やらなければいけないのかと云えば、別にやらなくても困らない。そんなことを考えているうちにすぐに時が経ち、「まあどうでもいいかな」と思うようになるものです。これが老化なのでしょうか。若宮さんがとても穏やかな表情をしながら活き活きとしているのは、この好奇心一杯の自分のココロに素直に動いているからなのだろうな、と思います。

「リケジョ(理系女子)ならぬ、リケ老(理系老人)になることが必要だと思います」という彼女の目は、まだまだ好奇心でキラキラ輝いてみえました。

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手持ちぶさた(3)

(つづき)

最近だって本は買う。たしかに小説とかはほとんど買わなくなったけれど、読みたいから買うのだし、学会出張などの時には必ず本を携行します。日頃は忙しさにかまけて本など読む気になれないけれど、関西方面には新幹線、関東には飛行機・・・仕事の書類は出さずに本を手元の棚に置く。ところが、新幹線ではビール片手に本を読み始めてもすぐに飽きてスマホのSNSに目を向けたりiPadでブログの原稿書きしたりし始めるし、飛行機では1ページも読まないうちに爆睡してしまう始末。結局ほとんど読めずに終わるのです。せっかくの”手持ちぶさた”を活かせないでいます。活字離れではないように見えて、やはり活字離れか。

最近よく温泉に行きます。ここでボーッと湯につかりながら何も考えない時間を過ごそうと努力するのだけれど、努力じゃダメですね。ふと気づいたら数かぞえてるんです。「100かぞえるまで浸かっていなさい」という父の声が蘇ってきて・・・今年の正月にゴルフ帰りに行った温泉では、ご老人が湯あたりをして倒れていて救急車が呼ばれているところに遭遇しました。わたしがそばに寄って声をかけたときにはだいぶ元気を取り戻していましたが、最後に「あー気持ちいい湯だった~」とわたしに云ってくれた彼の至福の笑顔が忘れられない。

こんな時間の潰し方が、わたしにもできるようになりたいものだ。 (終)

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手持ちぶさた(2)

(つづき)

だから今回、遊び道具を持たないまま早朝の空白の時間に無防備に晒されてしまった年頭の数分間にふと気づいたことは、この時間が意外に大事なのではないかということでした。スマホを持ち歩かない生活はこんな還暦前のオヤジでも不安になるのですが、それでも、この”手持ちぶさた”の時間をもっと大切にしたいと思いました。何も持たないようにしてできる隙間の時間・・・この時間は『ムダな時間』なのではなく、『贅沢な時間』なのだから。瞑想の時間にしても良いし、思索の時間にしても良いと思います。別に建設的なことをあれこれ考える必要もない。思索というより妄想の時間・・・それで良い。

ただ一方で、本当に文字を読まなくなった自分に気づきます。興味を持ってAmazonした本は多数あるけれど、読破したのが少なく、最近では買っただけで冒頭の数ページしか読んでない本もあります。これではいけない。最近、頓にボキャブラリーが減って単語がすぐに思い浮かばなくなっているのも本を読まなくなったからだと分かっています。昔、1時間かけて電車通勤していたときは、通勤の往復で文庫本を何冊も読みあげていました。別にハウツー本ではないし、仕事に関連する教養の本でもない。北方謙三のハードボイルドシリーズであったり、栗本薫のSF物であったり・・・「それは、あなたのキャリアに何のメリットがあるの?」と聞いてきたドクターがいたけれど、「そんなもん、ありません」と涼しく答えることができていたころ。おそらくあのころがわたしの持っているボキャブラリーは一番多かったに違いありません。 (つづく)

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手持ちぶさた(1)

昨日は仕事始め。朝から、院長の年頭のあいさつを聞くために大ホールに行きました。会が始まる5分ほど前に椅子に座って、周りの職員と短いあいさつを交わした後、特別することもないので、何をするでもなくボーっと思索にふけっておりました。

このとき、ふと、「そういえば、最近、こういう何もしない時間がまったくなくなったな」・・・そんなことを思いました。多動児であるわたしはじっとしていることができずに何かをしていないと落ちつきません。でも、それでなくても、現代社会では、どこかで待ち合わせをして待ち人を待つちょっとした時間や、あるいは電車やバスに乗っている間でも、大半の人が隙あらばスマホを取り出してうつむいて操っています。あとは本を読んでいる人がちらほら(今ではスマホでも漫画や小説は読めますが)。友人・家族と話に興じている人を除けば、独りでいる人たちの”時間の潰し方”の大半がそんな感じです。もちろんわたしも、食堂やラーメン屋で注文したモノができるまでのほんの数分の間でも、手持ちぶさたなのですぐにポケットからスマホを出して弄(いじ)ってしまいます。特段、メッセージもメールも何も来ていなくても、何かのページを出しては読みたいわけでもない情報をながめているのが日常。とにかく突然出来た小さな隙間の時間を埋めるのに、無意識のうちに何かをしようとしている自分がいます。 (つづく)

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食べすぎ

太るってことは、あるいは脂肪肝になるってことは、それは「食べすぎ」ということですよ。

そう云うと決まって、「いや、食べ過ぎってことはないと思う」「わたしはほとんど食べてない」と答えるのです。そして、「食べすぎではなくて運動不足が原因なのだ」と自信ありげに主張する。「運動してたのを急にやめたからだ」とか。

だから、運動不足で太るってことは、食べすぎなんだよ! どれだけ主張しても、エネルギーが余るから太るのだし脂肪肝になるのだし。動かなくなったのに食うから太る。誰がなんと云おうと、他人と比べてどうであろうと、あなたは食べすぎなのです。

その習慣を改めろとは云いません。でも、せめて「食べすぎ」だということは素直に認めなさい。

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中吉

今年も健軍神社で初詣。去年と同様、ここでおみくじを引きました。今年は『中吉』でした。

ながむれば ながむる花のあるものを 空しき枝に うぐいすのなく

”古きをすてゝ新しきにつくがよい
あまり一つの物にとらわれて
役にも立たぬことを思ってはだめです
元気を出して捨てるべきはすて
進む所へ進め”

  願事 急には無理ひかえてよし
  待人 来るでしょう
  失物 所をかえて探せ
  旅行 思いきって出よ 吉
  商売 改めて利益あり
  学問 自己への甘えを断ち目標を定めよ
  相場 目先を変えよ
  争事 勝ちにくし
  転居 十分ならず
  病気 医者を選べ

わたしが年の瀬に大きな断捨離を敢行したことを神様が認めてくれたかのようで、ありがたく受けとめさせていただきました。ちなみに、表紙の『神の教』にガツンと喝を入れられました。

”難儀苦労のある時ばかり神の御袖(みそで)にすがる気か”

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平成の申し子

今年は平成30年。もう平成になって、30年も経つのですね。ちょっとビックリです。

今年引退を宣言した安室奈美恵さんのことを『平成の歌姫』と呼んでいるのをテレビで見て、たしかのその通りだな、と独りで納得する自分。バブルが弾けはじめた平成の初めにデビューして時代を作り、平成の終焉とともに去っていく。

わたしの実家近くの小学校出身のプロサッカー選手清武弘嗣は平成元年生まれなのだとか。そうか、彼はまさしく『平成の申し子』。大分トリニータでデビューした頃にはまだまだ子供だったのにもう30歳。彼は同じ大分出身なのに、きっとわたしの”大分”と共有できることはそう少なくないだろう。

そういえば、「え、あなたは平成生まれなの? とうとう平成生まれの人が就職するときが来たか!」と嘆いたのはつい先日だと思ったのに・・・彼女も30歳・・・気付けば今どきの子どもたちのお母さんのほとんどは平成生まれの時代になったんだなあ。

などと新年早々に感慨深い思いをしております。わたしも歳を取るはずだなあ。

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節目だらけ

わたしが還暦と厄年を迎える今年は平成30年。

結婚して30年。

愛犬が生まれて10年め。

春には父の17回忌(こっちの方が後か?と怒るな、オヤジ)。

義母も年女(満84歳か~)。

ま、そんな2018年が始まりました。

最近は、新年の思い入れはほとんどありません。区切りは大事だから、年末にしっかり断捨離を繰り返し、今年はもしかしたら被災した昨年以上にすっきりしています。「いつか使うんじゃない?」「時間ができたらまとめて勉強しよう!」などと考えていたものをすべて捨てた。

わたしはこれからを生きて行くオトコ。過去を捨て去ったオトコ。かっこいいでしょ。意外に過去の財産を捨て去った人間はクリエイティブで新しい凄いことをしでかすかもですよ。なーんてね。

乞うご期待(笑)

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フラリーマン(後)

(続き)

わたしの上司たち、あるいは先日退職された病院の幹部の先生など、医業の世界で名をあげて多くの業績をあげている先生方、あるいは研究所や大学で夜中まで研究に没頭して偉大なる成果を上げた方々が過去を回想したときに必ず出てくるエピソードは、「子どもたちが小さかったころ、ほとんど家に帰らなかったし、日曜や祝日も出勤していたから、たまに早く帰ってくると出かける時に『おとうさん、今度はいつ来るの?』と云われた」というはなし。それぐらいのことをやらないと世に残せるような業績は得られないのだ、と教わりました。「子どもは親の背中を見て育つ」が彼らの大義名分。

わたし? わたしは定刻帰りのポリシーを一生通した父親を持つ男、明るいうちにタイムカードを切ってそそくさと帰ることに何の罪悪感も持っておりません。共働きですから、先に家に帰ればやることはたくさんあります。「自分は仕事でヘトヘトなのだから、家に帰ってまで家事なんかできるか」「家に帰ったら休ませてくれ」という考えが根底にあって、早く帰ってゴロゴロしようと思っているから家族に煙たがられるのであって、帰って家事をして犬を散歩に連れて行って風呂沸かして食器洗って洗濯物畳んで(これは年頃の娘のいる家ではNGか)・・・夕飯前にできることなんて大量にあるのです。わたしは世間様からみればちょっと変人ですが、それでも家事で仕事のストレスなんて簡単に払拭できる至福の時間を得られると感じられる幸せ者です。働き方改革は考え方改革。「どうしたのあなた?会社で何か悪いことでもしてきたの?」と勘ぐられるくらいに生活態度を変えてやったら面白い。そのためには、まず自分の持っている意味のない常識と中身のない自尊心を捨て去りましょう。

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フラリーマン(前)

先日、朝のテレビ番組で『フラリーマン』とやらの街頭インタビューがあっていました。『フラリーマン』とはオトコがブラジャーすること? あれは”ブラリーマン”か(笑) 働き方改革の煽りを受けて早々に定刻で会社を追い出されるものの、そのまま家にも帰れずに街をフラフラ彷徨っているサラリーマンのことをそう呼ぶらしいです。「帰っても家に居場所がない」「帰ったら妻に指図される」などなど。まあ理由はわかるけれど、それで大の大人が2時間も独りでベンチに座ってコップ酒飲んでたり、ゲームセンターに入り浸っているのでは、あまりに寂しい。

そういえば、医者の世界も変わりました。若い頃は、夜7時、8時より前に帰ろうものなら「お前はやる気があるのか?」「給料泥棒か!」と叱られていました。産業医研修に出るために5時前に帰っているわたしを見つけた某病院幹部が「あいつはもう帰っている、けしからん!」と堕落者のレッテルを貼ったのがわたしをアウトローにした最大の原因だといまだに思っているわたしです(笑) そんな時代もあったのに、今や「できるだけ早くタイムカードを切ってさっさと帰れ!」といわれます。7時より前に帰路につくと「こんなに早くに帰っても本当に大丈夫なのかな」と不安になったりする人も少なくないだろうと思います。まあ、建前はそうだけど、「タイムカードさえ切ってしまえばその後に自分の意志で残る分には自己責任だから・・・」という言外のコトバが隠れていることは百も承知ですが。帰りたくても重要な会議や会合が詰め込まれて帰れない重役たちや、従業員を定刻で帰すためにその分まで残業を余儀なくされてうつ病や重病に陥る中間管理職もたくさんいるのですから、早く帰らせてもらえる連中(わたしもその中のひとり)は、もっとありがた味を深く噛みしめて与えられた時間を有効利用しましょうよ。 (続く)

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職場の断捨離

2017年の御用納めだった昨日、夕方になってから医局の机まわりを大掃除しました。

あてがわれた猫の額ほどの書棚が一杯になったので、思い切って断捨離することにしました。学会誌はもう何年も前から捨てることにしています(どうせ、読まないし、読みたかったら学会に入っている誰かが持っているから)が、それでもいっぱいになった書棚。今回は大事に取っておいた運動や栄養の資料、連載雑誌の切り抜き、循環器疾患のガイドライン、いつかまとめて勉強しようと思ってファイリングしておいた雑誌記事や学会資料などを、片っ端から思い切って全部捨ててやりました。

とても興味のある資料なのですが、今まで仕舞っておいて読まなかった資料なんて、今後開ける可能性は限りなくゼロ。依頼講演も今年から断るようにしているし、これから新しいことを系統だって整理する可能性も限りなくゼロ。そう考えたら、思いっ切り全部を捨てることができました。

書棚の3割がスッキリ空いてしまってとても気持ちいいのだけれど、その一方でなんか妙にさびしい風も吹き抜けます。「もうわたしは勉強しません」と宣言してしまったようなものだから・・・。ま、いいか。

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ブログの誕生日

昨日で、とうとう丸10年になりました。

いつやめるか、どうやってやめるか、と思いながら、気付けば10年。長いようで短い10年でした。

1度書いたことは重複しないように、と題名の一覧表を印刷していつも監視していた当初の1、2年は大変でしたが、「たかが個人のブログ、何度同じことを書いても問題ないや」と開き直ってからは気が楽になりました。

それでも、文章の質が落ちたこと、アタマに浮かんでくるボキャブラリーが極端に減って簡単な文も書くのが大変になったこと、もともとコラムのネタ手帳の意味で始めたのにあまりネタ的な内容になれていないこと・・・悩みは尽きません。

そもそも、不特定多数に向かって無責任に発信するこのブログを読んでいただいている方がどれだけいるのかもわかりませんし戴くコメントも多くはありませんが、少なくともこれまで批判的なコメントをほとんど戴かなかったのは書き続けても問題ないと云うことだと考えています。

とはいえ、本当にやめる潮時をいつも探している今日この頃。某女性歌手の引退宣言や女子プロスポーツ選手の引退の多かった今年、わたしも『丸10年』というのはカッコいい節目だったのですが、何となく勇気がなくて、とりあえず11年目の最初の朝を迎えてしまった次第です。ニフティが「ココログを終了する」とか突然宣言してもらえると簡単なのですが(笑)

申し訳ありませんが、もうしばらくこっそりと続けさせていただきますので、よろしくお願いします。

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実感が大事

生活習慣病の予防という意味ではなく、人生を楽しく生きるために必要なことは、綿密な計算式や理論ではなく、やはり何よりも”実感”だと思います。自分の感覚を磨きましょう。

腹が減ってもいないのに時間が来たからといって食う必要はないし、腹が満足しそうなら少し余っているからといって食べる必要もない。理論なんか信じていたらろくなことにはならないと思う。「わたしは腹いっぱいにならないと満足できない人」と主張する人はアタマがそう云わせているだけでカラダは満足していたりする。「並べるご飯とおかずを半分にして、その量だけで腹いっぱいになるまで食う」というのが理想的な食い方・・・”腹八分目”ではなく”腹いっぱい”に食う。何も残らないように舐めるように食い尽くす・・・それが理想ですから、ちゃんとやれれば少ない量で腹いっぱいにはなるんです。なって当たりまえ。「腹いっぱい」という実感を得るのに大量の食べものが必要だと思っていること自体が愚の骨頂。おそらく、食い切れないほどの食材をむさぼり食ったとき「ああ、満足~」と口に云わせているのはアタマ。本当はちっとも満足感は得られていないと思う。某国の国民がインタビューでココロにもない将軍様礼賛のコトバを並べるのに匹敵しますね。

「運動しても汗が出ない」という人は意外にいます。「いい汗をかいた」という実感のない人。うちの妻もそうでしたが今はちゃんと汗をかくことができます。運動しても汗をかけないのは代謝が低いから。そして水分が少ないから・・・運動習慣が元々なくて水も飲まない人に多い状況です。日頃からわざと水を飲んでから運動すると徐々に汗をかけるようになるものです。汗をかけると冷却装置が作動しますから爽快感も得られますし、一層「もっとがんばろう!」という気持ちになれると思います。

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贅沢云ってるんじゃねえよ!

「イヤです。わたしは長生きなんかしたくない!」というコトバ、ほんとほぼ全員が口にします。アディポネクチン(NHKが”長生きホルモン”として特集を組んでいた、脂肪細胞から分泌される超善玉ホルモン)が20~30μg/ml以上(正常は4.0μg/ml以上)の人は生活習慣病に罹りにくいので「100歳まで生きる」とテレビで云ってましたよ、と話したときの相手の反応です。

「あなた方は決まって『長生きなんかしたくない』と口にしますけどね、わたしに云わせりゃ『贅沢云ってるんじゃねえよ』て感じですよ。0.5とか1とかしかない人もたくさんいるんですからね」

先日、とうとうわたしはその選び抜かれた受診者の女性に悪態をついてしまいました。ホントに大人げないことをしたと反省しております。ちゃんと助言してあげれば良かった・・・「今から人一倍努力して不摂生しまくったら何とかなるかもしれない。並大抵の不摂生ではダメだと思うけれど・・・どうかな、それでも早死にはできないかもしれないなあ」とか。

そんなことを考えていたら、この選ばれし人々はある意味”今世の修行僧”・・・大変な宿命を負わされて生まれてきたのかもしれない、と思うようになりました。普通にしていたら健康で長生きさせられてしまう。死にたくても死なせてもらえない。よほど前世で悪行を重ねてきたのでしょうね。わたしのアディポネクチン値はまさしく凡人中の凡人・・・そんな凡人に生まれて本当に良かった(笑)

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加齢臭

あまり気にしてなかったのだけれど、最近になって自分がとてもシッコ臭い気がして、そうなるとそれが気になって気になってしょうがないのです。

「シッコのキレが悪くてねえ」とグチったら、「もうこの歳になったらしようがないよ」と妻が慰めてくれた。でも、キレが悪いから何度も振っているうちに少しずつズボンの繊維などに飛沫が不着するんでしょ。下着は毎日替えるけどジーンズや制服は数日はそのまま着るから、臭ってもおかしくはないと思う。ときどき、矍鑠とした老紳士がオシッコ臭くてとても意外に思ったりすることがあります。あれって、これなのかなと思います。きっと自分でも気付いているから、とても気にしていたんだろうな、とも。

そういう歳だからそれはそれでまあしょうがないと思うのだけれど、やっぱりブライドというものがあるんです。同僚や若いスタッフに、「小便を漏らすジイさんになった」とは思われたくない。そんなこと考えると、凹んでいく。いかんいかん、ヒトはこんな感じでうつ病になっていくんだろうなあ。歳をとってから香水プンプンさせてるヒトたちの気持ち、わかる気がするなあ。

 

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