「バターは毒物ではない」

バターと健康:エビデンスが示すものとは?>という題名でCare Netに内分泌科医兼栄養学者のBoris Hansel氏による解説を編集したものが掲載されていたので読んでみました。「バターが健康に良いのか悪いのか?」という論争に対するコメントですが、その最後に書かれていたまとめの文章にとても共感できました。

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バターについて話す際には、現在ある知見に則したバランスの取れた議論を行うことが必要である。
●第1に、バターは健康維持に不可欠なものではない。バター自体は“健康食品”ではない。
●第2に、バターは飽和脂肪含有量が最も高い食品の1つであり、日常的なバター摂取は血中コレステロール値の上昇を促進する。
●第3に、バターは毒物ではない。それゆえ、バターを非難する正当な理由は存在しない。バターは、適量で摂取され、飽和脂肪酸量が多い他の食品に加えて摂取されることのない限り、バターを好む人々に喜びをもたらす食品であると認識されるべきである。

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これはバターに限ったことではありません。世の中のすべての食材に当てはまる真理だと思います。特に第3についての文章の「バターは毒物ではない」「バターを好む人々に喜びをもたらす食品」という表現が好きです。理屈で食べものを評価するのは勝手ですが、それがずっと昔から存在する食べものであり、多くの人に好まれてきて廃れることなく食べ次がれてきた食材であるということに勝る理屈はありません。もっと、食事の時間を楽しい時間に、心身ともに満ち足りたリッチな時間にしたいものです。

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臨床宗教師

先日、NHKテレビで聞きなれない単語を耳にしました。『臨床宗教師』・・・番組は、クローズアップ現在+『”穏やかな死”を迎えたい〜医療と宗教 新たな試み〜』というものでした。
「なんか、面白そうな仕事やね」・・・他の用事をしながらわたしがそう云ったら、「あなたは絶対興味持つと思ったよ」と妻に笑われました。

臨床宗教師は、日本で終末期患者さんにスピリチュアルな面で寄り添える宗教者を育成しようと、2012年に東北大学で養成講座を創設されたものだそうです。調べてみると、NHKは2年前にもETV特集『臨床宗教師〜限られた命とともに〜』というのをやっていました。なんか、これも見たことある気がしました。

たしかに、僧侶は通夜や葬儀を通して亡くなった人やその家族には何人も会ったことはあるけれど、人の死そのものに触れる経験はほとんどないでしょうね。死にゆく時に「誰かに寄り添ってもらって、心の中を全てわかってもらいながら穏やかに死んでいきたい」と思う心は良くわかります。医師であり臨床宗教師でもある田中先生のような人が紹介されていたので、自分も何かの講座を受けたら臨床宗教師になれるのかなと思ったのですが、調べれば調べるほど、それはむずかしそうなのであきらめました。

でも、キリスト教の牧師さんのように、わたしが死にゆく時までには日本で臨床宗教師がもっと普通に普及していることを祈っています。

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断らない

最近、うちの病院への患者さんの紹介が少なくなっているということで、現場はいろいろな努力をしているようです。でもなかなかうまくいかないと聞きました。根本には厚労省の施策があり、高度救急病院には選び抜かれた重症患者さんのみ送るようにしているから、というのはわかります。市中の一般病院で解決できるようになったことは喜ばしいことです。ただ、それをどこかで履き違えている若い先生方や幹部が多くなってきたような気もして、ちょっと心配です。

どんな時でも『選ばれる病院』であるためには、常にトップクラスの知識と技術の修得を怠らなければそれでいい、というものではありません。紹介をいただくドクターや受診を希望する患者さんから信頼を得るというのは、そんなことだけではないのです。 そのことを教えてくれたのは、今は亡きわたしの元ボスでした。研修医として今の病院に勤務を始めた時、最初に徹底的に指導されたのが『断らない救急』の考え方でした。救急要請があったら必ず受ける。最初の要請電話でトリアージする必要はない。相手が困って自分たちを頼ってくれているのだから、不安に駆られている患者さんがそこにはいるのだから、まず来てもらうか迎えに行くかして、自らの手で鑑別診断しなさい。紹介していただいた先生を常にリスペクトし、病状が良くなったら必ず紹介をいただいた先生の元に戻るように患者さんを説得しなさい。常に自分達がバックアップしていることも含めて。

『断らない救急』は単に最上級の医療提供をすることだけではなく、紹介をいただいた先生とも紹介をいただいた患者さんともしっかりとした信頼関係を形成することに本当の意義があるのだ、と洗脳と云っても過言ではないくらいの教育を受けました。中堅どころの医師ではなく、医者になったばかりの研修医の若造も皆揃って同じベクトル上にあったからこそ定着できたのだと思います。自分の培ってきた高い技術と知識を活かすことだけを最優先に思う者が一人でもいれば、どんなに幹部たちがトップダウンの指示を出しても徹底できるものではありますまい。

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わたしの仕事

最近、仕事は楽しいです。朝から夕方まで話しっ放しで疲れますけれど、気分は上々です。おそらく、受診者の方々と話すのにストレスがないからだと思います。

相手の態度にカチンとくることはあるけれど、そんな機会は明らかに減りました。前は”売りコトバに買いコトバ”的な云い合いをしたり、頭ごなしに非難や皮肉を云ったりして、受診者が怒って診察室を出て行ったり、いつまでもムカムカして自分が不機嫌になったりすることがありました。今ではまずそんな状況になることはありません。いつでも興奮せずにニコニコしていられるようになりました。

それは技術なのかもしれませんが、最大の理由はわたしが前ほど熱くならないからだと思います。以前のわたしは、「なんとかしてこの人の過ちを正して、いい人生に修正させたい!」という使命感に駆られるあまり、「自分は正しいことをしているのだ」という思いが強かったのです。今のわたしは、そんな大それた熱い思いは消え失せています・・・この人が悪くなっても自分のせいじゃないし、減給されるわけじゃない。逆に、たとえデータが良くなって感謝されたとしてもボーナスが出るわけじゃない。だとしたら、お互い、ドックでたまたま出会って会話する20分間が楽しいひとときであった方が得です。だから、「何が悪いか」「何をすべきか」の話ではなく、「自分だったらどう云われたいか?」「煩悩だらけの自分ならこうする」ということにだけ気をつけて会話しています。世間話の延長みたいな感じ。

そんな毎日だから、今のところまだ飽きません(笑)

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何でも屋?

ここのところ、本当にとっても忙しい。震災後に延期をお願いした受診予定者の方々の分が上乗せされているからです。朝からずっと忙しい。すると、 突然、目があったアテンダントのお嬢さんが私に「診察をしてくれ」と云う。「はいはい」と文句も云わずに受診票を受け取ったのだけどその後も何人も診察が続く。「おいおいちょっと待て。今日の診察担当は俺じゃないぞ。サブの担当者も他におるやろ!何でいつまでも俺なん?」とココロの中で反論。やっと終わったと思ったらルーチンの自分の仕事を押し付けられ、山ほどある読影の時間をどんどん削られていく。「オレは、何でも屋か!」とグチのひとつも云いたくもなるのをぐっと抑える。

「健診の診察や結果説明や読影や、毎日いろんなことをさせられるのがなんか雑用係みたいな扱いでイヤだ! 自分の専門領域の検査をもっとしたいのに、それは他の若手にとられて自分には誰でもできるような雑用ばかり回ってくるので面白くない!」と云って辞めていったドクターも何人かいます。「ボクもとうとうそれと同じ境遇になってしまったのかな」・・・結局午前中にノルマの読影が終わらずに昼休み返上になりそうな状況になったとき、そうつぶやきました。

でも、別に苛立ちはしません。何でも頼まれるのは信頼の証。自分でなくてもできる仕事をさせられるのは自分の存在価値がないからではなく、自分だから頼まれているのだと思うべき。いろいろ頼まれるのは、いろいろできる能力があると認めてくれているからです。「専門しかできないヤツはスペシャリストのようで、単なる未熟者。オールマイティにできるほど、真のスペシャリストだ!」・・・そう考えると、私もいつの間にかいろいろできるようになったんだなあと感激します。この職場に来たときには心臓のことしかできなかったのに・・・。

自分だけ頼まれる頻度も種類も他のドクターよりダントツに多いような気がするとしたら、それは不公平で損なのではなく、自分の存在価値の高さを証明していると勝手に思うことにしています(笑)

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心臓ドック

大体どこの健診施設でもそうですが、脳ドックはキャンセル待ちの人気ぶりだけれど心臓ドックはさほどでもありません。有名タレントが若くして心筋梗塞になったとか、有名アスリートが突然死したとかいうニュースが話題になると若干受診希望者が増えますが、ブームはすぐに去っていきます。

なぜかというと、おそらく「自分は心臓は大丈夫」と思っているヒトが多いからでしょう。むかし救急外来に担ぎ込まれてきた急性心筋梗塞患者さんが「オレは心臓には自信があった。『心臓に毛が生えている』と云われてきた」とか騒いでいたことを思い出します。心電図や聴診で精密検査の指示を出しても大半のヒトが精査を受けずに放ったらかします。「どうもないから」という理由で。申し訳ないですが、心臓発作にはほとんど前触れなんかありません。不整脈は危険なものほど症状がありません。何かあるときは突然意識を失って倒れるときです。心筋梗塞も突然起きます。動脈硬化が少しずつ進行して狭心症を繰り返しながら心筋梗塞になると思ったら大間違いです。動脈硬化を起こしている血管では常にプラークの破綻(血管の壁が壊れる)が起きています。それを自分の力で修復しており、その修復が間に合わないと一気に詰まるのです。前触れの有無なんか何の役にも立ちません。

だから心臓ドックというのがあるのですが、ここで大事なことは2点。気になる症状があるならドックなんか受けずに循環器内科の外来を受診してください。ドックは症状のないヒトが受けるものです。もう一つは、ドックで問題がなかったからといって喜んではいけません。あくまでも今までの成績発表ですから、問題がなかったら今から節制すべし、と考えないと意味がありません。明日のことなど何もわからないことを忘れてはなりません。心臓ドックは”異常の有無を調べる検査”ではなく、これからの人生をがんばるための”前準備”に他ならないことを肝に銘じていただきたいと思います。

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禁煙学会

久しぶりに日本禁煙学会のホームページに行ってみました。

受動喫煙対策に関するJT の最近の主張に対する反論を掲載しました>という記事を見かけたからです。あいかわらず元気よく、咬みついていますねえ。

呼気一酸化炭素(CO)測定時の注意喚起>というのも、「ほう、そんなことまで」と思う。

やっぱりね、これくらいの徹底ぶりがないと、関係各所から明らかに煙たがられている存在でないと、初志は貫徹できませんよね。ただ、どこかシーシェパードみたいな”引かれる空気感”があるのがちょっともったいないです。押してばかりでは、庶民は付いて来てはくれないということも、意識するといいなと思いますね。

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元気

「あら、お久しぶり。元気?」

廊下でスレ違いざまにそう云ったら、彼女は笑いながら、
「まあ、ぼちぼち元気です」と答えました。

「『ぼちぼち元気』ということは、たいして元気じゃないってことだね」
と返したら、彼女は、「あっははは!」と豪快に笑い飛ばして行ってしまいました。

とりあえず、まあまあ元気ではあるようだ。

夏バテが出てくるこの季節は、熊本ではさらに震災後の張っていた気がちょっと緩んで一気に疲れが出る頃合い・・・燃え尽き症候群(バーンアウト)の時期でもあります。

最近、わたしですら弱気です。夫婦で一緒にワンの散歩をしながら、「今、自分たちは何のために生きているんだろうか?」「生きていてもしょうがないのじゃないだろうか」などと考えることがあるのです。

いかん、いかん。わしゃ、まだまだしぶとく生きていきまっせ。

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掃除と効率

「掃除が上手いヒトは作業効率が良い」と思い込んでいるヒトが多いようですが、必ずしもそうではありません。自他共に掃除好きを自負する私は、掃除をするときに作業効率など考えません。掃除自体が好きなのだから、ずっと掃除をしていてもかまわない。当たり前といえば当たり前のことです。もちろん、掃除が上手いヒトが皆掃除好きかどうかはわかりませんが、掃除の上手いヒトが楽して掃除できるコツの本を出したり、掃除下手や掃除嫌いのヒトに作業効率を伝授したがるのは、彼らに効率良く綺麗に掃除できることを経験してもらって、掃除することをもっと好きになってもらいたいと願っているからだと思います。

私は掃除が上手い方ではありません。むしろ下手な部類です。もっと効率良くやったら、半分の時間で終われるのかもしれない、と思うこともあります。でも、私は汗水たらして掃除をしている時間が好きなので、結果として綺麗になることは嬉しいのだけれど、掃除の時間が終わってしまうとちょっと寂しくなったりします。プチ燃え尽き症候群って感じです。

変ですか?

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ココロの声

職場での朝のあいさつ・・・『おはようございます』『おつかれさまです』

相変わらず、答えてくれるヒトは答えてくれるし、通過後にモゾモゾするヒトは相変わらずモゾモゾ云っているし、何も反応しないヒトはしない。ここで毎年書いているように、すれ違いざまのあいさつはココロの中身や日ごろの生活態度が反映するであろうこと、時々意識します。ココロのこもっていない形だけのあいさつをする私も偉そうには云えないけれど、同じ施設で働くスタッフだとはいえ全然話したこともなければ働いてる姿を見たこともないヒトに、妙に人懐っこい満面の笑みで話しかけるわけにも行きますまい。

このすれ違いの刹那に哲学を感じ、自分を見つめる鏡として意識しているのですが、最近また少し感じ方が変わってきました。何も反応せず、こっちを見るでもない視線で通り過ぎていく若いドクターや妙齢の女性職員から発せられるココロの声が聞こえるのです。彼らは皆、揃って『おはようございます』『おつかれさまです』と答えてくれています。誰もが皆、例外なくです。微笑んだりこっちを見たり会釈したりなどの行為を全くしないにもかかわらず、私にはその声が聞こえるようになってしまいました。私と同じトーンで形式的に返答する輩より、むしろココロの中でドギマギしているがために表情が無反応になってしまう彼らの中にニンゲンを感じてしまう。

私が成長したのか、周りが変わったのか。

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「マインドフルネス」

食事管理を成功させるコツは「マインドフルネス」 満足感を得やすい食事

保健指導リソースガイドに載っていた「マインドフルネス食事法」。

”食事療法を成功させるコツは、「本当に食べたい食物を、満足感を得やすいように食べる」ことだ。米国のミズーリ大学の臨床心理学者は、食べる行為に意識を向ける「マインドフル食事法」を提唱している。より満足のできる食事ができるようになるという。”

やっとわたしの訴えていることが学問的に紹介され始めて来たのは喜ばしいことではありますが、これがなかなか難しい。だから具体的なステップの指示はわかりやすいと思いますので、ここにコピペします。
(1)食事をするときに、まず深呼吸をして、自分の空腹感に注意を向ける。
(2)食事ではよく噛んで、味わいながらゆっくりと食べる。栄養が自分の体に吸収されるのを実感する。咀嚼や咀嚼音にまで注意を向けると、満足感を得やすくなる。
(3)食事が半分ほど済んだあたりで、満腹感を得られているか、惰性で食べ続けていないかどうかをチェックする。満腹感を得られているのなら、食事を残しても良い。次に空腹を感じたときに、また食べれば良い。

この(3)が勝負なのです。「何を食べる、食べない」といったダイエット法でもなければガマンの食事療法でもないのですが、”食べたいものを欲しいだけ、食べても良いのです。ただし、食べるという行為に対し注意深くあらねばなりません。自分が本当に空腹なのか、空腹を満たすために何をどれだけ食べればよいのか、注意を向けてみましょう”(ミズーリ大学臨床心理学者リン ロッシー氏)ということに「なるほど」と合点できないと、机上の空論で終わります。ぜひ、マスターできるようにトライしてみてください。きっと食事の時間が楽しいひと時に変わってくると思います。

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枯れ木も山の賑わい?

先日、担当者からメールが届きました。 「今回、新制度が始まります。その名称をみんなで考えてください」というもの。これまでにも、新しい商品や新しいコースができる度に、名称の公募を職員向けにするのですが、いつも感じる疑問があります。

「室長以上は必ず3案以上、各リーダーは必ず5案以上提出してください」・・・最高の名前を!と云う割に、数が多すぎませんか? 要するに、大したものでなくても良いからとりあえず候補らしき名前を大量に並べて、そこから人気投票すればいいんじゃないか?という発想のように見えます。

自分で「これが絶対だ!」「最高の名前だ!」と思うモノが3つも5つもあるはずがない。数をノルマにする時点で、もはや秀作は期待していないんだな。”枯れ木も山の賑わい”を演出しようとしているんだな、と感じました。すっかりやる気が失せました。「いい加減でも良いから何か形だけ出しておけば、他の誰かがいいのを提案するんじゃないの?」というのが正直な気持ちです。みんなが同じ気持ちになってしまっていないことを祈りましょう。

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肉は良いのか悪いのか?

米飯論争に匹敵するくらい面倒くさいのが赤肉論争。

赤肉を食べ過ぎると早死にする?

「赤肉(牛、豚などの哺乳類の肉)を主な蛋白質源としている人は寿命を縮めている可能性がある」「植物性蛋白質をより多く摂取している人は、動物性蛋白質を多量に摂取している人に比べて早期死亡のリスクが低くなる」(米ハーバード大学T.H.チャン公衆衛生大学院)という報告です。脂肪と同じように、タンパク質も動物性より植物性がいい、赤肉より魚介がいい、という理論に対して、「動物の肉こそが健康長寿には欠かせない。元気で長生きしている老人はみんな毎日のように肉を食っている!」と真っ向から対抗姿勢のデータも最近は市民権を得てきました。「脂身があってもなくても肉がいい」と云い張るヒトたちの意見は、精製だろうと全粒だろうと炭水化物は全部一緒!というのにちょっと似ている感じを受けます。

その点でいうと、この報告の中にあった、「動物性蛋白質と死亡リスク増大に関連がみられたのは、肥満、過度の飲酒、喫煙、運動不足など、他にも不健康な生活習慣のある人に限られていた」というのは、とてもわかりやすい。肉ばかり食って毎日健康で元気な老人は、その他の生活もほとんど健康的なのであって、毒食ってゴロゴロしている連中が「ほれみたことか」と赤肉をむさぼり食っても健康に転ずることはない、ということを云っているのでしょう。赤肉に限らず、どっちにしても、『食べ過ぎる』行為がいいはずないことは、周知の事実でしょうけれど。

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網膜症と運動

運動不足は糖尿病網膜症リスクを高める

米ミシシッピ大学の報告。アメリカ人の研究ではありますが、糖尿病患者282人は「日中のうち平均8.7時間を座位で過ごしており、こうした座りがちな時間が1日60分増えるごとに、糖尿病網膜症のリスクが16%上昇していることがわかった」とのことです。

これもまあ、「さもありなん」なのですが、コントロール不良の重症糖尿病患者さんに突然運動をさせると返って網膜症が悪化して失明にもつながりかねないので普通は”運動禁忌”となるわけで、ここのさじ加減が意外に難しい。健診などで初めて糖尿病を指摘されて、もうすでにHbA1cが10を超えているのに野放しだった、というヒトは少なくありません。そういうヒトに限って、『糖尿病=運動不足』と考えようとします(食べることは死守したいのかもしれません)。だから、突然運動(しかもかなりハードな)を始めようとするので、「今の状態は運動禁忌ですからね。まずは食事療法と薬物療法ですから、必ず専門医を受診してください」と忠告しています。

そんなヒトたちがこのデータをみると、必ず「やっぱり運動不足が原因だ」と思い込み始める気がしまして、杞憂かもしれませんが、ちと心配です。もっと身近なところ、『運動』ではなくて『身体活動』だという部分の啓蒙啓発活動は必要不可欠だと感じました。

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骨格筋のインスリン抵抗性

肥満でなくても生活習慣病になりやすい理由とは?

モノを食べたりして上がった血糖をとりあえず蓄える臓器が肝臓と骨格筋です。それをうまくコントロールするのがインスリンですから、インスリンのパフォーマンスが落ちる(インスリン抵抗性)と生活習慣病になっていきます。

順天堂大学大学院代謝内分泌内科学・スポートロジーセンターなどの研究グループが「非肥満者の代謝異常を予防するには骨格筋インスリン抵抗性の改善が鍵になる」と主張しているのが、まさしくこれです。インスリン抵抗性は肥満やメタボや2型糖尿病などの内臓脂肪異常によるものだけではなく、太ってなくても筋肉のないヒトにも起こりえます。紹介したのは、「BMIが23~25kg/m2で心血管代謝リスク因子をもたない人では、インスリン感受性は正常群と同程度であったが、BMIが23~25kg/m2でリスク因子を1つでも保有していると、骨格筋におけるインスリン感受性は肥満合併MS群と同程度にまで低下し、インスリン抵抗性が認められることがわかった。一方で、肝臓におけるインスリン抵抗性にはこうした関連は認められなかった」という報告記事です。

「骨格筋のインスリン抵抗性に関連する因子として、従来指摘されている内臓脂肪量の蓄積や血中アディポネクチン濃度低値のほか、体力の低下、生活活動量の低下、高脂肪食といった生活習慣に関連した因子」「肝脂肪の軽度な蓄積や肝機能検査値の軽度上昇(正常範囲内)も骨格筋におけるインスリン抵抗性と有意に関連」というのは想定の範囲内。いつも書いてきたように、太ったインスリン抵抗性より太ってないインスリン抵抗性の方がはるかに大変です。前者はちょっとした生活改善だけですぐに良くなります(する気にさえなれば)が、後者はそんな簡単なことではなさそう・・・やることは一緒なのだけれど強いモチベーションが必要なのは圧倒的に後者の方だと思います。もともと活力がないヒトに活力を生じさせなければならないのですから。

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年齢による衰え

年齢による衰えは60歳前から起こる

今回のアメリカの研究結果では、「最初に衰えるのは片脚立ちか、椅子から立ち上がる能力であり、50代から衰えがみられた。有酸素持久力および歩行速度の低下は60~70代で認められた」とのことですが、まあこれこそロコモ。

ロコモティブシンドロームの啓蒙啓発が思いの外普及しない現状で、『ロコモ』『フレイル』『サルコペニア』を知らないヒトが多い(というか、知っているヒトの方が健康オタクなだけかもしれません)現状です。でも、実際の体力の衰えが直線的な漸減ではなく、ガクッと突然現れ始め、それが五十代に出始めるという事実は、当事者には実感として分かっています。「いやいや、まだ認めたくない」と抗うためにその感覚を無視しようとしているヒトはいるかもしれないけれど。「“加齢”は“高齢”になるまで生じないと思いがちで、それまでは機能的自立度に問題は起こらないと思い込んでしまう。この偏見は医療従事者にもみられる」という見解も、その”医療従事者”自身が若いからに他ならず、その時期を経験してきた医療従事者(わたしたちみたいな)には「さもありなん」の感覚。

もう10年も20年も一緒に遊んできた友人たちが最近急に衰えたように見えます。きっと自分もそう見えているのかもしれません。特に子や孫がいないわたしなどはいつまでも若い時のままだと思い込んでいますし、『歳』を感じてしまったら一気に老け込むからそれに意地でも抗っていたい世代です。この論文記事に異を唱えるヒトは、そんな悪あがき人か、若い頃からカラダを動かしてきたヒトか、はたまた若い頃から全くカラダを動かして来なかったヒトくらいのものでしょう。こういうデータが、”ロコモ”普及の種になってもらいたいものです。

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人生観(後)

(つづき)

そんな中、これまでにこんな天変地異に見舞われた多くの皆さんに倣って、自分の人生観という大きなくくりはどう変わったのか、考えてみました。

一番変わったことは、とにかく今の自分を大事にするようになったことでしょうか。将来のために今を犠牲にしてでも頑張ることが『成長』だ、それができなければ『堕落』だと思っていたところがありましたが、むしろ今を悔いなく生きることの大切さ、今を楽しむことの大切さを妙に意識するようになりました。『明日できることは明日に回し、今できることは今のうちにしてしまおう』という思い。生きていることへの感謝の念は以前よりも強くなったと思いますが、物欲はどこか薄くなってしまった気がします。あまり達観してもマズイのではないかと思いますが、たくさんあったと思われる煩悩がかなりの数消えてしまいました。

将来に対する不安は薄らぎました。周りに対する不満は前より一層なくなりました。「とにかく人生を悔いなく頑張ろう!」という肩肘張った気持ちが欠片もなくなってしまいました。今回の震災は、わたしをホントに『悟り』に導いてしまっていませんかしら?

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人生観(前)

大地震に襲われてから4ヶ月め。「もう○ヶ月め」という感覚からいつの間にか「まだ●ヶ月め」という感覚へ、多くの被災者が感じているのではあるまいか。わたしの周りはほぼ平静を取り戻しています。もちろん最低限の修復工事を突貫的に行った後の歪んだ道や壊れた橋はそのままだし、通れない幹線道路や鉄道の復旧はいつになるかわかりません。罹災証明の確定が済まずに家屋の取り壊しすらできない家、もはや土地の価値もなくなって建て替えるにも手がないお宅、仮設にも入れずいまだに駐車場や体育館生活を続ける人たちもたくさんおられます。ブルーシートが屋根から消えるのはいつになることか。全国的に有名になった隣町の歪んだ光景は、今でもそこを通るたびにわたしのココロを破壊します。それでも、ただ単に「そんな風景に慣れてきた」というのではなく、確実に前に進んでいるのは事実です。各人が、止まっていた各人の人生を前に歩ませ始めています。

そんな4ヶ月で、自分はどう変わってきたのだろうか。前震と本震の直撃で家の外に吐き出された時にも、その後の大雨で室内の壁から滝のように水が溢れ出した時にも、もはや20年以上慣れ親しんできたこの我が家を諦めざるをえないと冷静に覚悟しました。それでも今、我が家に住み続けられている幸運にココロから感謝。何かと支えて助けてくれた周りの多くの皆さんのおかげで今があることにも、重ね重ね感謝の念ばかり。ところがその一方で、国や県からの補償で復旧進む周りの被災家屋が日に日に新しく綺麗になるのを眺めると、我が家の剥がれ落ちた内壁や壊れたままの天井が妙にみすぼらしく感じられ、『一部損壊』の罹災証明には何の恩恵も権利もないことが、不公平に感じてしまうことを素直に認めます。この”ねたみ”にも似た感情が自分に生じつつあるのは、ちと不本意。  (つづく)

 

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肥満パラドックス

日本人高齢者に肥満パラドックスはあるか~1万3千人の研究

『肥満パラドックス』というのは、本来肥満になればなるほど死亡率が増加するはずなのに、逆に肥満者ほど死亡率が低下することを示します。中高年以下のメタボが如何にカラダに悪いかがあちこちで示され、特定保健指導も含めて「とにかく痩せなさい」と指導されているのに、それが高齢者ではそうはいかない、というおはなしは、もはや常識。ここでも何度も語ってきました。ただ、わが国における肥満パラドックスのエビデンスが少ないため、岡山大学の山崎 賢士氏らによって高齢者1万3,280人のコホート研究が行われ、その結果、肥満パラドックスは日本でも認められ、とくに肥満の高齢男性において全死亡リスクが低い傾向にある、とGeriatrics & gerontology international誌オンライン版2016年8月4日号に報告したそうです。

それは事実だから良いとして、だから、太るべきだといって無理矢理食ってゴロゴロさせても意味はありません。サルコペニアやフレイル対策が重要だということです。歳を取ると、とくに男性は突然食べられなくなって筋肉がどんどんやせ細っていきやすい。だから、太った痩せたという問題ではなく、いかに元気で生き甲斐を持って活気ある生き方が長く続けられるか、が大事~そう、これがアンチエイジング:サクセスフルエイジングの極意でありましょう。

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前を向こう

アタマが重い、耳鳴りがする、心臓の拍動が耳元で感じられる・・・昨日書いた、くだんの女性の悩みはこんな症状でした。耳鼻咽喉科に行ったけれど薬を飲むと前よりも酷くなり、さらに内服を増やしたけれど良くならない。総合病院でさらに漢方薬を加えられたけれど何もかわらない。原因は不明だと云われる。さて、これからどうしたらいいかわからず、お先真っ暗な人生だ、というもの。

わたしが彼女のはなしを聞きながらとても気になったのは、彼女が毎日の生活の中の大部分を得体の知れない憂鬱に囚われていることです。それは、もったいない。不快な日々に囚われていてもいなくても、たぶん何も解決しない。良くも悪くもならない。さらに、いくら不平不満を訴えても、周りの人はちっとも堪えません。損をするのは自分だけ。苦しそうな姿を見せつけられた人は、それに『同情』することはあっても『同感(同調)』はしません(できません)。

だとしたら、囚われているだけ、損。治療は続けるとして、それと併行して、囚われている自分をいかに解放できるか考えてみましょう。不調の存在を少しでも忘れさせられればラッキーです。何か小さな楽しみを見つけましょう。今の症状が原因さえわかれば治るはずだ、と思っているからココロが重くなる。この歳になったらこんなもんだ!と割り切ってしまえれば、これから一生付き合っていくものだという前提で人生を前向きに考えられます。そんなことを考えているうちに意外に気にならなくなるものです。どうせ自分の人生、他人に分かってもらえないのなら、そんな形で自己完結してしまうというのは、どうでしょう。

不定の憂鬱な愁訴ばかり抱えているわたしは、そんな考え方で日々を過ごしています。「これが今の自分だ」と捉えています。でも(だから)、もはやカラダの不調なんかほとんど気になりません。

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プライドなんて

「○○クリニックでお薬をもらったけど良くならないどころか返って症状が悪くなったから、それを先生に云ったら薬を増やしてくれたんだけど、それでも良くならないので近くの総合病院にこっそり行ったんですよね。そしたら漢方薬を加えてくれました。それでも良くなりません。どっちの薬もなくなるので、どうしたらいいでしょう?」という相談を受けました。

「一応、○○クリニックに今回のことを伝えて今後を相談するのが筋でしょうね。でも云い辛いですよね。だったら、総合病院の方で今後を相談したらどうですか?」
「お医者さんのプライドというものがあるでしょ? 云うのも気を遣うし、行かなくなるのも失礼だし・・・」

気を遣っていただいて有難うございます。でも、そういう気の遣い方って不要だと思います。少なくとも気を遣ってあげても相手はちっともありがたがってくれません。他に行って良くなったとしたら「それは良かった」と思うし、むしろどんな診断でどうやったら治ったのか後学の為に教えてほしいくらい。でも、それよりも、なかなか治らずにものすごく面倒くさがっていたはずだから、「ラッキー!」と思うはず。もしそのまま来なくなったとしても、同じ理由で、「ラッキー!」と思うだけです。

そう云ってあげましたら、苦笑いしてました。本当に優しい方ですね。わたし、ちと本音を云い過ぎましたかしら。

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行動変容

猛暑が続く日々の中、突然、妻がワンの散歩を朝晩し始めました。夕方はわたしも一緒ですが、「暑いから一度にたくさん歩くよりも分けたほうがこの子のためだよね」とか云って、朝から近くのレイクサイドを歩き始めたのは、例の化け物退治のスマホゲームをするためです。

我が家のすぐ近くにあるレイクサイドの公園一帯はレアなポケモンがたくさん潜んでいるそうで、いい歳をして嬉々として出かけていきます。足底筋板を傷めて歩くのもままならなかったのに、「これしていると、いつまで歩いても足が痛くないよ」と嬉しそうです。巷では何かと批判を浴びているこのスマホゲームですが、明らかに妻の日常を変えさせてくれました。散歩していると、自転車で屯してスマホを弄る若者たちとは一線を画して、黙々と歩きながらスマホを弄る中高年の姿・・・行動量が明らかに増えているだろうことが想像できます。先日、面倒くさがりで出不精な彼女の友人が我が家に泊まった時に、早朝から独りで公園までスマホ片手に散歩してきたのにはさすがに驚かされました。自転車や車で噂のポイントに出かけてずっと滞在している本末転倒な連中はいるとしても、現代社会でほとんど歩かなくなった人たちを外に連れ出すには格好のアイテムが出現したものだと感じています。

わたしたちは、運動欲のない人間のサガに立ち向かって、いかに行動変容させられるか日夜試行錯誤して働いております。世間には同じように人間の行動変容を促すアイテムがたくさんありますが、金がかかったり物欲に訴えたりするものがほとんど。その点、化け物をどれだけ集めても一円の得にもならないゲームなのに、老若男女(むしろ中高年の方が)がハマっているこのアイテム、すぐに流行らなくなるだろうとは思うけれど、なかなかのものだと感じています。

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空腹を楽しむ

「空腹を楽しむ」・・・いつもの口ぐせなので、これまでも何度も書いてきました。

先日も「あー腹が減った~」と不機嫌そうに診察を受けている受診者の男性がおりました。「オレは昨日の夕食後からもう半日以上何も食ってないんだぞ」と云いながらどこかで特別扱いを求めている感じが伝わってきます。「それが、なにか? 私なんか朝食を摂らない毎日だから、私にそんな顔しても何も感じてあげられませんけど」と涼しい顔で聞き流すわたし。

現代社会のダイエットの基本は慢性的な空腹タイムをきちんと作ることにあります。そしてそれが一生続きます。空腹であることを特別な試練だと捉えている限り、辛くて長続きしません。空腹への不満は、「食べたいのに食べられない」という想いから生まれます。「食べられない」のではなくて「食べない」のだということをきちんと意識できるといいと思います。食事の時間が1日で一番楽しみな時間です。イライラして食卓に臨んでため息をつく毎日では食べている意味がありません。感謝を持って大好きなものを食べられる至福の時間だと感じてほしい。食事を摂ることの幸せは、大量の物質を無尽蔵に口に投げ込む行為からは絶対に生まれないことは体感で分かっているはず。健康のためだといって食べたくないものを食べる行為からももちろん生まれない。大好きなものだけを勇気を持って半分だけ並べておけば嫌が上でも美味しく食べられます。楽しい食事は量よりも質。

世の中の誰も知らないけれど、実はとっても腹が減って頑張っている自分のストイックさを楽しみ、そんな日の夕食の時間来るのを心待ちできるようになると、毎日がとても面白い。どうか、そんな自分にこっそりほくそ笑む毎日をお過ごしください。応援しております。

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公式記録と体感

連日の猛暑で、各地で猛暑日。「どこどこで36度を記録、●●市では39度を超えました」というニュースもさほど驚かなくなりました。日本全体が明らかに熱帯雨林化してきています。38度や39度なんて自分の体温より高い気温なのだから、そんな中に居て焼け焦げないでいる人間なんて、ある意味すごいなと感心します。高校球児とかスポーツ観戦の人たちとかはまあせいぜい2時間、3時間だけど、これで朝から夕方まで復旧工事に励んでおられる作業員の皆様方には本当にアタマが下がります。ただ、この公式記録の値は単純に気象台にある測定機器の計測値であって、自分たちの生活圏の値がそれと一致するとは限りません。毎日の猛暑の中で車にある気温計や家にある温度計が40度近い表示を示すことはもはや珍しいことではなく、コンクリートなどからの輻射熱はもっと高い気温を誘発しますから、自分の体感温度はさらにそれ以上です。

熊本地震の2000回近い地震はいまだに続いていますが、わたしが住む地域の震度はいつも1か0かです。「あ、地震だ。これはそれなりに強い」とその場にいる人間皆が感じているのに『震度1』は定義上絶対にありえない。最近は、うちの地域だけ公式表示が出ないことも少なくありませんから、もはや表示される数値は全くあてにしなくなりました。公式記録の累計点数で何かが変わるわけではないのだから、それが1でも5でもどうでもいいと思うようになりました。

公式記録の数値は自分の生活の中での体感とは違っていて当たり前。あくまでも大雑把な目安なので、数字にとらわれず自分の体感を大事にしようと思います。リスク管理の観点から自分が生き延びれるかどうかは、おそらく自分の体感を信じることができるかどうか、なのではないかと思う今日この頃です。

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平城京スタディ

日常生活の光の浴び方が肥満リスクと関連 夜間に多く、日中に少ない光曝露が肥満を引き起こす

奈良県立医科大学のチームがやっている前向きコホート研究『平城京スタディ』って、なんか命名センスが好きです。住環境が健康に及ぼす影響を調査することを目的に2010年に開始された研究だそうですが、今回、光曝露量と肥満指標との関連を検討してJournal of Clinical Endocrinology & Metabolism オンライン版に報告されました。

「就寝前4時間から夜間就寝中の光曝露量が多いほど、その後の腹囲身長比や体重身長比の増加と有意に関連」「さらに、起床後4時間の光曝露量が少ないほどその後の腹囲身長比の増加と有意に関連」という結果でした。つまり、朝からきちんと日光を浴びず夜中まで強い光に当たっていると確実に太るぞ!という結果・・・「体内時計(生体リズム)は光の影響を強く受けることが知られている。夜間に多く、日中に少ない光曝露が生体リズムを乱し、肥満指標の増加を引き起こしたと考えられる。昼間は屋外でたくさん光を浴びて、夜は人工照明やスマートフォンの光を避けることで肥満を予防できる可能性がある」と研究者の大林賢史氏が説明しているようですが、この猛暑の中、理論通りにそう簡単には屋外には出られません。

ウワサのポケモンGoの影響で、夜中の公園やファストフード店の暗い駐車場にスマホを持って自転車で屯す夏休みの子どもたちを見ていると、この際ポケモンGoは日の出から日の入りまでの間しか作動しないようにしてやったらいいんじゃないかしらとか思ったりしました。

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痛み

最近、変な感じの痛みが左胸から背中にかけて起きることがあります。決して強くはないのだけれど、今まで経験したことのない嫌な痛み方です。

単なる筋肉痛とかではないと思うけれど、頚椎症の悪化で骨か神経が軋んでヘキが痛むのではないか。逆流性食道炎の症状としても説明はつく。腹が出てきたのに焦って急に筋トレを始めたせいとも考えられる。これを「骨が軋むような痛み」とか「胸やけ」と説明すればしっくりは来るのかもしれないけれど、ただ、急性心筋梗塞の特徴的な痛み方である「焼け火ばしを押し付けられた痛み」というのもこれの延長上にある気がしないでもない、と思うとやっぱり不安にはなります。最近、かつての上司が冠動脈狭窄のためにステント治療を受けたことを聞いたばかりだから尚のことです。

「いつもと違う症状が出たら、手遅れにならないようにすぐに病院に行ってください」とわたしたちは患者さんによく云いますが、自分はどうかというと、生半可な知識があるだけちと厄介です。病気の診断を下すときは一番重い病気から順番にその可能性を除外していくのが原則ですが、自分自身の場合は、カゲで心配はしながらもできるだけポピュラーな病気から順番に当てはめようとします。「これはちょっと違うかもしてない」と感じながらも、「とりあえず様子を見よう」と、気づかなかったふりをすること、よくあります。「これだけ長く続くのは心臓発作ではありえない」みたいに云い訳するわけです。これを『医者の不養生』と云うのでしょうけれど、自分たちですらこうなのだから、世間の人が病院受診に二の足を踏む気持ち、大変よくわかります。『本当は怖い!家庭の医学』のように取り返しのつかないことが起きるかもしれないと思う一方で、「自分は違うさ(違ってほしい)」「大したことないだろう」と云って聞かせて、嵐が過ぎるのをこっそり待っているのですよね。

痛みはカラダからの警告、されどその重要度は定かではない・・・厄介です。

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感謝

    感謝することは
      幸せに気づくこと
        感謝することから
          幸せが始まります

先日、友人がfacebookにアップしていた日めくりカレンダーの格言です。これを読みながら思いました。『感謝』は理屈ではない、ということ。今年の熊本地震の被災が、わたしをそんな感覚に導きました。「幸せになるために感謝しなければ」などと考える必要はない。感謝の気持ちは自然に湧き上がってくるもの。怒りや哀しみの数より感謝の数の方が圧倒的に多い自分に気づいたとき、自分がいかに幸せなのか自ずと実感できます。

『感謝』ということばが何のために存在するのか、わかった気がします。

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やっぱ1番は高血圧ですね

脳卒中の原因の9割を占める、10のリスク因子とは

人種や性別にほとんど影響を受けないリスクの発表です。世界全体で全脳卒中発症原因の約90%に関与する10のリスク(Lancet誌オンライン版2016年7月15日号)。

人口寄与危険度割合(PAR)の高い順に、
1.高血圧症または収縮期血圧/拡張期血圧が140/90mmHg以上(47.9%)
2.定期的運動の有無(35.8%)
3.アポリポ蛋白B/A1比(26.8%)
4.食事内容(23.2%)
5.ウエスト・ヒップ比(18.6%)
6.日常生活、ライフイベント、うつ状態を含む精神的ストレス(17.4%)
7.喫煙(12.4%)
8.心臓起源(9.1%)
9.酒(5.8%)
10.糖尿病(3.9%)

よくわからない項目はあるものの、脳卒中の原因として、人種・性別を問わず、血圧と運動だけが飛びぬけて高いことはわかります。運動は定期的に行うようになっているわたしですが高血圧が一生の足かせですね。冠動脈の高度石灰化があるから心筋梗塞死するのかと思っていましたが、脳卒中の方が先かもしれません。合掌。

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豹変

不祥事があると、責任者が出てきて記者会見をします。それが保身なのか考えが甘いのか分かりませんが、意外にタンパクで軽い対応をして問題になることが多いように思います。

たぶん、軽く思っているんだと思うのですが、まるで他人事のような上から目線の対応をして、完全に社会を敵に回してしまいました。柔道や相撲や自治体や官僚や・・・どれも同じですが、自分が思っていたのをはるかに上回るバッシングを受けると、その翌日にはまるで別人のような神妙な顔で前日の発言を撤回して、「私の責任です」とか「言語道断の取り返しのつかない行為でした」とか云うんです。

こういうときは、たぶん本心じゃない。こうしないと収拾がつかないと周りに云われてやむを得ず記者会見をやっている。それが見え見えだから、一層社会の反感を買う。庶民を甘く見すぎでしょう。記者やマスコミはツッコミするためだけに集まっている”非常識集団”だから別として、むしろ庶民の目は厳しのですよ。「そんなことあんたに関係ないだろ」みたいな、タチの悪い暴力団関係者みたいな態度を取るから袋叩きに会うのです。

世間の不祥事を起こすみなさん、わたしもいつでも当事者になり得ますが、他人のそんな姿を何度も見てきているのですから、悪いことしたことが明るみに出たら観念しましょう。悪いことしないのが一番ですが、してしまうことはよくある。人間だもの。こっそり何もなかったように収められればそのままで良いけれど、見つかってしまったらみっともない悪あがきはやめましょう。できるだけ開き直って、正直に何もかもぶちまけてから頭を下げましょう。きっと気持ちよく世論から抹殺されると思いますよ。

是非とも、わたしはそんな潔い生き方をしたいとココロに誓っています。いや、悪いことする気はありませんけれど。

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前と同じに

住んでいた借家が大規模半壊して転居した義母。長年住んでいた家から離れるときに家財の三分の二は捨ててきました。「それは上等なものだから」「これは思い出の品だから」というのを「存在すらすっかり忘れていて、こんな大災害でも起きない限り一生日の目を見なかったものなのだから、ここで捨ててください!」とわたしが強く云って、強制断捨利させました。

おかげで、我が家のすぐ近くの借家に引っ越したときには荷物も少なくてとてもスッキリ・・・していたのですが、先日久しぶりに義母の新居に行ったら足の踏み場もないほどに荷物で溢れていました。地震保険や見舞金などでお金に余裕が出たせいなのか、「あれが足りない」「これがないと生活できない」と云い始めて、「それはこれで代用できるでしょ」という娘の意見も聞き入れず、結局あれやこれやと新しいモノを買い込んでしまったようです。これでは単にモノを入れ替えただけで、ちっとも断捨利になっていません。せっかく新しい生活を始めるのだから、すべてをリセットしてスッキリさせたらいいのにと思うのですが、あの歳になると住み慣れた今までの生活空間と同じに戻さないと落ち着かないのだと悟りました。長い人生の中の試行錯誤を経ながら自分の生活しやすいように創意工夫した結果なのだから、その集大成の風景にできるだけ戻したいようです。

わたしは模様替えが好きです。どんなにその位置が便利だと分かっていても、長い間同じ方向を向いている家具があったら反対向きに置き換えたくてしょうがありません。今回の震災は絶好のチャンス。まだ倒れた靴箱や書棚は元に戻していませんから靴や本は床に積み重ねたままですが、かなり家財も減ったことだし、今度はどんな風に置き換えようかとココロ躍らせています。ま、「このままでもいいかな」とも思い始めていますが。

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