コトバ選び

先日、ブログのコメントに、わたしが若い頃に勤務していた病院の院内雑誌に寄稿したコラム(というよりただの作文)の話題を書いていただいて、懐かしい思いになりました。今の職場になってから正式に出したコラムは院内、院外を問わずにほぼこのブログの中に納めたつもりですが、外の病院で働いていた頃や今の病院の院内誌に当番で書かされた文章などはたしかに失念していました。

むかしは、もっとコトバ選びが丁寧でした。たまに依頼される原稿はわたしにとっては晴れ舞台ですから、まるで初めて好きな人にラブレターを書いたときのように、何度も書き直し、いくつもある単語の中からここに選ぶのはどれが良いかひとつひとつに悩み、冗長になっている文章を引き締めるためにはどの単語を省いたら良いかといろいろ試行錯誤し、未熟者なりに吟味し尽くした完成作品として提出したものです。

このコラムも最初の頃はそうだったんです。アップされた後でも気に入らなければ何度も訂正して、自分で何度読み直しても感動できるくらいに納得できるまで磨き上げました(磨きすぎて返って毒のない陳腐な文章になってしまったものもありましたけど)。そんなことやってたから、むかし世に出した文章は全部好きです。それを考えると、最近は書き続けることだけに必死になって、コトバ選びが若干いい加減になってきてしまったなあ、と今になってちょっと反省しております。

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義務で書く文章

うちのセンターが監修を引き受けているある企業の広報誌。時々ここにもグチを書いてきましたが、毎回日本語とは思えない文章を随所に盛り込んできます。今月号の文章は特に酷かった。依頼原稿や公文書の類なら、二度と依頼はこないだろうと思えるほどに酷かったけれど、結局、自分の会社で発行するから何の報酬もないし、どうせ後からわたしたちにチェックしてもらえるのだからとネットで検索した記事を適当にコピペして適当に並べ替えてそのまま提出しているのが一目瞭然です。第2章と第3章の冒頭にまったく同じ文章を書いているなんて、絶対にどっちかがコピペミスなのだけれど、それすら気付いてないところからして、担当者はよほど面倒くさくてしょうがなかったんでしょうね。

ところが、この原稿、うちのセンターの担当者の何人もが一通りチェックし終わった最後にわたしのところに回って来たにもかかわらず、上に書いた明らかなコピペミスに気付いたヒトがひとりもいない、ってどうよ。監修の名の元にチェックする以上、専門スタッフがOKを出したというお墨付きを与えなければならないのに、こっちもまた、「きっとだれかがきちんとチェックするだろう」と思って皆が皆、まともに読まないままサインして回していく。面倒くさいし、一生懸命読んでも報酬をもらうわけではないし、チェックミスがあっても自分の責任ではないし・・・という感じなのでしょうか。

これだけの悪文はそう滅多にお目にかかれません。こういうのを、自分だったらどういう風に訂正してまともな日本語に書き直せるかな、とか考えて作文の勉強ができる絶好の教材なのに、ホント勿体ない。日本人になることを自ら捨てているようなもの・・・。

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甘酒かぁ

「甘酒」を飲んでコレステロールを低減、便通を改善 プロラミンが作用

甘酒を”飲む点滴”と呼ぶということなんか聞いたことはない(きっと興味がなかったからだろう)けれど、たしかに風邪を引いたり体調が悪いときには甘酒をのむという風習はむかしからありましたし、甘酒に肥満抑制効果や腸内改善効果があるというのも聞いたことはあります。今回はこれを金沢工業大学のグループが検証したそうです。

『米に含まれるタンパク質のうち、10~15%程度を占める「プロラミン」』という物質が、『ヒト消化器官内で消化・吸収されにくい「レジスタントプロテイン」と呼ばれる難消化性タンパク質の一種で、食物繊維に近い機能のある物質で、便秘改善やコレステロール排出促進、肥満抑制効果などの生理作用がある』ことから、これが甘酒にどれくらい含まれているのかを研究したようです。

結果はまあ読んでいただくとして、甘酒には、『「米麹と米のみから製造されている甘酒」「米麹と酒粕のみから製造されている甘酒」「酒粕のみから製造されている甘酒」「米麹のみから製造されている甘酒」』という種類があり、この順にプロラミン含有量が少なくなることも解明しました。一言で”甘酒”と云っても、いろいろ種類はあるのですね。今度買うことがあったら(ないかな)、原材料をきちんと確認するのがよろしかろう。

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運命

先日の日曜日、いつものように大分でサッカー観戦してその足で熊本に帰るべく自家用車を運転しておりましたが、いつになく激しい睡魔が襲いかかってきまして、危険を感じたので県境に近い道の駅に駐車して仮眠を取ることにしました。前日はホテル泊でしたが独りだったので22時半には寝たし、朝6時半に起床するまで1回くらいしか小便に起きていないから、睡眠不足感は感じていなかったのですが・・・。

車のエンジンを切って運転席で仮眠を取り、途中2回ほど居眠り運転をしそうになる夢で目覚めましたが、まあまあ爆睡して睡魔を追いやることができました。で、ふと目覚めたら辺りは薄暗くなっており、周りにたくさん停まっていた車はほとんどいなくなっていました。15分くらいの仮眠のつもりがどうも小一時間寝てしまったようです。だから驚いて大慌てで阿蘇の峠を下ったわけですが・・・運転しながら、2年前に崖崩れに巻き込まれた大学生のことを思いました。わたしがこの仮眠で想定より長く眠ってしまったことで、遭遇するはずのない大災害に見舞われる可能性もあれば、遭遇するはずだった災害に遭わずに済む可能性もあるんだな、と。運命といえば運命で、災害に遭遇する運命の人はどんなハプニングがあっても遭遇するのだろう。「あのとき寄り道せずに帰ればよかった」とか「けんかしてでも止めればよかった」とか、そんな後悔はしても意味はないのだろうなと思うわけですが・・・。とりあえず、このわたしの想定外の長い仮眠は、その後の居眠り運転を予防できたことと夕飯が遅くなったこと以外には特段の影響はなかったようです。

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健やか親子21と鷹の爪団

『健やか親子21と鷹の爪団のみんなで子育て大作戦』

厚生労働省では『健やか親子21と鷹の爪団のみんなで子育て大作戦』と題し、動画やポスター、リーフレットで妊娠や育児、思春期の悩みに寄り添う取り組みを始めた”

ぼーっとネットを泳いでいたら、こんな記事を発見しました。子どもがいない我が家では、平成13年からあるという『健やか親子21』の取り組みなんか知るよしもありませんが、これを見ると厚労省もなかなか柔らかいお役所に変貌してきましたね。厚生労働省では『健やか親子21と鷹の爪団のみんなで子育て大作戦』と題して、「妊娠中の喫煙対策」「育児期間中の両親の喫煙対策」「産後の心身の健康」「体罰や暴言によらない育児」「思春期の悩み」の5つの骨子で子育ての手助けに取り組んでいるそうなので、是非のぞいてみてください。

「健やか親子21×鷹の爪団 みんなで子育て大作戦」特設サイト

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コーヒー好きのヒトに

コーヒーは予想以上に代謝に影響する

Journal of Internal Medicine」3月15日オンライン版に掲載された米ノースウェスタン大学ファインバーグ医学部での研究は、日頃からコーヒーを飲む習慣のあるフィンランド人に絶飲1ヶ月後と毎日4杯飲んだ1ヶ月後とさらに毎日8杯飲んだ1ヶ月後とに採血をして代謝系の物質を採血して比較したものです。733種類の物質のうち115種類に影響を与えたそうです。想定通りのものもあれば想定外の結果もあったようですが、総じて悪い影響はなかったようです。

残念ながら、わたしは「コーヒーなしでは生きていけない」というほどのコーヒー飲みではありません。キライではないけど、緑茶で十分、あるいは普通の水でも十分、という感じ。なので、コーヒーが如何にカラダに良いかという研究が細かくなされても、だから日常生活で「わざわざ健康のためにコーヒーを飲む」などという行動は今後も取らないでしょう。でも、コーヒー好きには有り難いこと。まあ、カフェインが絡む以上は、「飲めば飲むほど良いこと尽くめ」というわけにはいかないでしょうけれど、コーヒーブレイクの時間を有意義に楽しんでください。

「コーヒーを毎日8杯も飲んだら、睡眠と精神面の悪影響が懸念されるから注意しろ!」と栄養士さんが忠告しているのが可笑しい。そんなことを無理矢理するヒトは、コーヒー中毒のヒトか、飲みたくもないのに健康になると云うから無理して飲もうとするオタクかのどっちかですから、世間の良識人には心配は無用だと思いますけどね。

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こだわらない

右肩の痛みが再燃し、近くの整形外科に行って『肩腱板断裂』の診断をいただきました。まあ、それがたとえ五十肩や頚椎症の再発であったとしても、それはそれなりに運動範囲の制限を余儀なくされます。ハンドルを切るのにも支障を来すこの右手。そのうち治るだろうと思いながらも、方向によっては滅法痛くて思わず悲鳴をあげる程度なわけで、日常生活のみならず仕事の日常業務も今まで通りとはいかないことが少なからず出てきました。

そんなとき、若い頃なら、痛くても頑なに今までのやり方を踏襲させて頑張ってきていましたが、今回はそんなプライドはさっさと捨てました。痛いのに無理して右手を使うことはない。今まで両手でやっていたことを左手主導でやるにはどうしたらいいか、試行錯誤しながらやっています。不自由だけれど、慣れればそれはそれで何とかなる感じ。脳梗塞を患って右手が使えないとか、骨折して使えないとか、そういう状態だと思えば済むことですから。

もっとも、腱板断裂の診断をいただいて、「この程度ならインナーマッスルを鍛える運動したら治りますよ」と先生に云われて理学療法士さんにいろいろ指導していただきました。「痛い痛い痛い」「痛いですよね~。はーい、がんばってくださ~い」って、何? 「痛いときには無理しないでください」というのがストレッチとかコンディショニングとかの基本なんじゃないの? 急性期なのに痛くなることしていいの? と疑問符だらけのわたし。「どうせ切れた場所は治りません」と引導を渡されたことは理解できますが、今これだけ痛いのに、痛み止めも使うことなくただリハビリだけするとその痛みがなくなる、という概念が全く理解できません。なのに・・・毎日やってたらどんどん可動範囲が増していく・・・やっぱり、餅屋は餅屋だね。専門家のいうことには疑念を抱かずにしっかりと従って頑張るのがよいということを学びました。

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考えなくなる

おもしろいもので、あと2週間で投稿をやめると決めた時点から、ネタ探しをしなくなった自分がいます。別に何も意識していないのに、日常の中から何か話題を探そうをしてきた10年とどこか違う毎日を送っています。

まあそんなもんでしょ。そろそろゆっくりと準備しながら、ソフトランディングいたしましょう。

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ニコニコとヘラヘラ

どんな窮地に立っても笑顔を絶やさず、常にチームメイトのプレイを褒め合う姿勢が清々しくて、ずっとしかめっ面の他国チームとのコントラストが著しかったために、オリンピックが終わってもあちこちで賞賛された女子カーリングチーム(LS北見)。フィギュアスケートの羽生結弦選手も同じ。彼のニコニコした顔は世界中の万人のココロを癒してくれる。

ところがこのニコニコ顔に対して、「真剣勝負の世界でヘラヘラするな!だから負けるんだ!」と非難する人もいたのだそうです。

ニコニコとヘラヘラの違いは何なのでしょうか。わたしは、見ている自分たちの余裕の有無なのではないかと思っています。少なくとも普通の心理の人間(わたしもその一人)には、彼女たちや羽生選手の姿を見て「ヘラヘラ」と感じたことは一度もありません。日常生活の中でいろいろなストレスに襲われている人には、何を見てもイライラする光景に見えるのではないでしょうか。以前、うちの施設のフィットネスジムでわたしと面談をしていた男性が、たまたまその後ろを通ったスタッフに「笑われた!」と突然怒って帰ってしまったことがありました。出勤してきた男性スタッフが、「こんにちは」といつものように笑顔であいさつしただけなのですが・・・。

余裕のないヒトのことはいいとして、何とかわたしも彼女たちのような安定した笑顔をいつも周りに提供できる人間になりたいものだと思います。

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視点の違い

ひいきのサッカーチームの応援のために熊本から大分まで何度も自家用車で移動します。国道57号線が地震被害で崩落して以降、迂回路走行を余儀なくされてはいますが、大分側には立派な自動車道が整備され今でもさらに道路を延ばす工事が行われています。

そんな自動車道を走っていると、時々ガードレールから下の一般道が見えてきます。上を通っているとどういう方向に走っているのかわからなくなりますが、時々見えるそんな風景を確認しながら、「ああ、今この辺りを走っているのか~」と思うわけです。そんな中、先日ちょっと時簡に余裕があったので自動車道に上がらずにそのまま国道を走ってみました。久しぶりに通る道、そうそうこんな町並みだったなとかこんなところにコンビニができてる!とか、感動しながら通っていたら、突然目の上に道路が現れました。ここに自動車道ができていく姿を眺めていたのはいつのことだったか・・・と思い出にふけっていたときにふと気づいたわけです。こここそが、いつも自動車道の上から見下ろした時に見えていた一般道の風景だ!

下から見た時の上と上から見た時の下が、ずっとそこにあってわかっているのに頭のなかで一致していなかった。当たり前の、どうと云うこともない事実関係なのだけれど、こういうことって時々あって、それに気づいた時に自分だけひとり感動したりなんかします。以前東京で、妻が時空を超えて自分を眺めた時のとはちょっと次元は違いますが、でも、「あーこれか!」と感動することに悪い気はしません。まあ、その次からは同じものとして認識してしまうから、感動は一切なくなりますけれど。

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怒りの矛先

わたしは、いまだに会議が苦手で憂鬱。

前もって出されている議題を眺め、「あれだけ理不尽だと云うことを説明したのに、それでもこの話題を出すのか?」・・・アタマに来る内容の議題が出ていたりなんかすると、会議の前の晩にベッドに入ってから反論を吐き出している自分をシミュレーションして、何度もやっている間にムカムカしてきて、どんどん目が冴えて全然眠れなくなったりなんかする。

昔はそんなだったのですが、最近は年老いたせいか、横になりながら考えるのにすぐに疲れて「ま、明日考えよう」と思って眠ってしまいます。そして、翌朝になるとどこか気持ちがトーンダウンしてしまっていて、真っ向から対決する話し方からもう少し優しく建設的な話し方で意見をまとめようという気持ちに落ち着いている自分にちょっと驚きます。まあ”皮肉を込めた”話し方とも云えますが・・・そしていざ本番では、完全にトーンダウンして、「ま、いいか」と思ってむしろそれを行うときの注意点なんかを話しながら、いつの間にか完全に肯定している自分。

しぼなえているねえ。

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あいさつ

診察の合間、たまたま1階の事務所に降りたら、4月から病院に入職した新人が7~8人連れてこられて皆の前であいさつをしていました。大学を卒業したばかりのフレッシャーズですが、さすがに最近の若いモンは話すのがうまい。きちんとギャラリーの笑いをとるウイットにも富んでいる。感心です(まあそんな優秀なヒトが選ばれて入職しているのでしょうが)。

で、そんな彼らのあいさつを聞きながら、たぶんこの集団のままあちこちの部署に回って、同じようにあいさつさせられているのだろうなと思いました。きっとあの聴衆に受けたセリフはどこに行っても同じで、一緒に並んでいる連中や案内のスタッフは「あいつまた同じことを云っているよ」とか思っているのかもしれません。そんなことを思ってなくても「思っているんじゃないかな」と考えながら同じセリフを話すのはとても恥ずかしいものです。

わたしも講演を2、3回に分けて依頼されたときに悩むんですよね。まるで今気付いたかのようなギャグ・・・聞く人は毎回別の人で初めて聞くのだけれど、横に座っている主催者はスタッフは毎回聞いているから・・・どうしても気恥ずかしくて同じことを話せない。おそらく、そんなことを一々気にしなくなるようになれなければ、プロのしゃべり人にはなれないのだろう。ま、しゃべりが仕事ではあるけれど、講演で給料をもらっている身ではないから、気恥ずかしい思いをする感覚があることの方が人間として大切なのだと思っています。

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なるほどね。

CareNetに2018年4月4日付で配信された『第1回 外食で陥りがちな“1人前”の落とし穴【実践型!食事指導スライド】』・・・管理栄養士・浅野まみこ氏のスライド解説を読みながら、「なるほど」とあらためて独り感心しておりました。

「1人前にしてるよ!」と思っているのに、知らないうちに食べ過ぎているヒトの落とし穴について解説しています。『並盛り丼』~日常で家で食べる1人前はご飯1膳150g(3単位)、うどん(茹)1袋200g(2.5単位)、そば(茹)1袋170g(2.8単位)なのに対して、お店で食べる量は、牛丼(並盛り)1人前=ご飯約320g(6.4単位)、うどん1人前約420g(5.3単位)、そば1人前約240g(4単位)。そう、外で食べるときの1人前は、家で食べる1人前よりもはるかに多いのであります。店では急いで食べるから大量に食っても満足感が得られずにさらに大盛りにするヒトも多い。浅野まみこ先生のアドバイスは、「食行動変化を起こさせるポイントは、「トッピングをすること」です。トッピングとしては、低カロリーでビタミンやミネラル食物繊維を含むネギやほうれん草、わかめ類、タンパク質が豊富な卵などがお薦めです。ご飯や麺の量を増やすのではなく、トッピングをすることで栄養バランスが整うほか、噛みごたえや食感の変化が生まれ、満足度を高めることができます。」とありました。

まあ、商売している以上、「あそこの並盛りは少ない。ケチな店だ」となったら客が来ないわけで、ちょっと多めに設定するのは当たり前ですわね。ごはんやうどんは単価が安いから、こんな部分でけちってちゃ商売にならん。だから、食うヒトが「これは1人前じゃなくて1.5人前~2人前食わせてもらってるんだ(ありがたやありがたや)と認識して食うことですね。肝に銘じておきます。

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批判はつまらん

サッカー日本代表の親善試合が思うように勝てず、やれ「ふがいない」だの「監督の責任だ!解任!だ」だの殺伐とした批判ばかりなので、極力そんな意見は見ないようにしています。もともとそんなに実力があるわけじゃないということは選手たちも分かっているんだから、こないだの試合を材料にして改善する努力すればいいんじゃないのかしら。なんか、勝っても負けても陽気に飛び跳ねているアフリカの国の選手たちやそのサポーターたちが最近とてもうらやましくなってきました。トトカルチョでもしていない限り観ている連中には金はかかってないんだから、にわか評論家が批判ばかりしててもっちっとも楽しくない。

文科省、財務省、防衛庁と立て続けに公文書の改ざんや隠蔽が明るみなって紛糾する中、意地でも「わたしがさせたことではありませんから」と突っぱねる政府の政治家さんたちのニュースを毎日見てても何の得もない。「どうしたら先に進めるか」ということよりも「誰の責任か」という勢力争いばかりしていて、どうもつまらん。だからみんなが意地を張ってばかりで不毛の時間の無駄遣いをしよる。「はい、わたしの不徳のいたすところです。本来なら辞めて責任をとるのがスジでしょうが、今はそんな時期ではないので、不本意ながら次の選挙まではわたしが政権を握らせていただきます」と云っておけば、そのあと野党がどれだけ文句を云ってもきっと世論は野党を「つまらん」と云い始めるに違いないんだがなあ。

ま、こんなことを書いているわたしの文章も批判だらけで、つまらん。

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終活に向けて

先日、妻が突然の激しい頭痛と繰り返す嘔吐発作を起こし、このときに「わたしはもうこのまま死ぬな」と思ったそうです。まあその後動けるようになって近くの脳神経外科を受診して問題ないことを確認して事なきを得ましたが、もはやわたしたちはいつ何が起きるか分からない世代。「いやいや、まだ若いからそんなこと考えてちゃダメだよ」なんて云う人は勝手に云わせておけばよい。

その苦しい発作の最中、妻が考えたのは、あれは誰にあげたらいいかとか年老いた母をどうしたらよいかとかこれから事業を始めるために手続きを取ったことは迷惑のないようにちゃんとキャンセルしてくれるだろうかとか、そんなことだったそうです。そうなんです。がんなどで余命宣告を受けたらまだ余裕はあるけれど、突然死はその余裕がない。突然残された者(わたしが当事者なら残るのは妻)が困らないように、そろそろ身近なものの整理をしとかなければいかんな、と思うわけです。

使ってもいないパソコンもすでに7、8台はあるから処分しなければならないけれど、とりあえず、まず手を出すべきは大量にある本だな。わたしは決して読書家ではないから、一度読んだ本をもう一度読み返すことはたぶんしない。なのに単行本も文庫本も大量に本棚にある。東京生活の時代から何度か古本屋に持っていったり捨てたりしたけれど、まだまだたくさん。興味があるから買った本ばかりだから、古本屋さんに売って、もっと多くの人に読んでもらえたらいいな。そして本を整理して余裕の空間が生まれたらまた新しい本を買って新しいライブラリーにする(なんじゃそら)(笑)

ちなみに、いつどうなるか分からないから、「古くて薄汚れた下着は着ないようにしよう」と誓って注意しています。服は着古しでもいいが下着だけはきれいに。

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6時55分

わたしが出勤するために家を出るのは朝7時(が目標)。最近ちょっと遅れ気味ではあるけれど、一応目標は常に7時出発。それに合わせて6時に起床してからの行動をスケジューリングします。

で、いつもはゴミを指定の場所に出しに行った後、朝6時50分から洗面所で歯を磨き始めるわけですが、先日ふと腕時計を見たらすでに6時55分くらいを指している。「やばいじゃん!遅刻するじゃーん!」と大慌てで洗面所に降りて支度を始めようとしたところ、洗面所に置いてあるデジタル表示の電子時計は6時52分を指している。「なーんだ、まだ50分過ぎか!」と安堵の溜息。

こういうことよくあります。アナログ時計の長針と短針の織りなすアバウトな感覚と、デジタル時計の寸分違わぬ数値表示のギャップ。わたしは明らかに前者の方が好きだから、真実の値などどうでもいい。6時50分でも55分でもない、「6時52分」という数値が「どうだい、これが真実なんだよ」と威張ってこっちにドヤ顔をしているのがキライ。長針と短針の世界には周辺の広場(文字盤)に時間と空間の余韻が存在するから好き。2つの針がこれまで動いてきた軌跡に歴史が刻み込まれているから好き。

大したはなしではないけれど、ま、わたしは決して理系人間でないという証拠です。

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60歳の自覚

わたしの診察室は建物の4階にあります。だから、いつも1階の事務室(医局)と4階の診察室を行ったり来たり。その移動手段が非常階段なわけですが・・・どうも最近、手すりを持たずには階段を上れなくなりました。時々ふらっとして後ろ向きに倒れそうな錯覚にとらわれるので(実際には仰け反っていませんが)怖いのです。4階ごときで階段の手すりを握るなんて・・・と思ってかなりの間抵抗していましたが、今では迷うことなく手すりを握ります。手すりは基本登る場合は左側に付いているもので、右側通行を励行するなら上から降りてくる人の方が優先ですが、わたしはそれを押しのけてでも手すりを譲りません(笑)

大学受験で一浪したわたしは、入学直後に20歳になりました。ちょっとした手違いで(笑)演劇部に入部し、毎日運動部に入ったのではないかと云うくらいにカラダを鍛えられました。30歳になる前日に入籍しました。30歳になったら、カラダが20代とは全然違うものに変わったことを実感しました。「歳を取る」ということを初めて実感しました。40歳を過ぎてからゴルフを習い始め、厄明けした辺りからいろいろなことが起き始めました。父の急死、自動車事故に伴う頸椎・腰椎ヘルニア、炎天下でのゴルフがたたって小脳梗塞発症・・・一旦壊れたものは元には戻らないことを知りました。45歳頃にバスケットボールをやったら膝を傷め、50歳頃に自転車通勤を始めたら頚椎症の症状が酷くなりました。55歳頃から少林拳を習い始め、日曜日の練習の翌日、週の初めはいつも足を引き摺って出勤しています。

そろそろ、年寄りの冷や水状態は卒業した方がいいのかもしれないな、と自覚するようになりました。若いときからやっているのじゃない運動は、やってもいいけど、ほどほどがよかろう、と思うわけです。じっとしているつもりはありませんけどね。;

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五十肩の武勇伝

土曜のゴルフの最中から突然痛くなった右肩が、なかなか深刻です。周りの人たちは寄ってたかって”いわゆる五十肩だ!”と囃し立てます。でも、90度まで外転する場合だけとても痛いけれどその他の方向にはどうもないのです。普通に拳上もできます。だから、「これは”五十肩”ではないよ」と云い切りたいのだけれど、もともと肩関節周囲炎の症候群であるこの病名は、定義はハッキリしないのではなかったかしら。

とにかく、一方向だけとはいえ鎮痛剤が効かないほどに痛いので日常生活には何かと支障をきたします。一番困るのは車の運転です。ハンドルを持つ手が中途半端な位置なので痛くてハンドルまで手が挙げられない。キーも鍵穴に入れられない(わたしの車はキーレスエントリーではありません)。それとドアを開けて車の乗り降りをするときにも悲鳴を上げます(右ハンドル車の運転席の話です)。その他に、洗面所で手を洗う、冷蔵庫を開ける、仏様に線香をあげる、洗濯モノを干す、など・・・こういうことは、痛みがないときには全然気にもならないことばかり。聴診器を当てるのもちょっとコツが要ります(右の肘に左手を添えて拳上させれば上がります。上がりさえすれば問題はありません)。

”五十肩はね・・・” 「自分はこうやって治した」「いろいろ試したけど、この方法が間違いなく一番有効だ」~五十肩の経験者は世の中に山ほどいて、その各々が自分流の治し方の武勇伝を持っていて、わたしに教えてくれます。この各々が初めて罹患したときに他のヒトから同じように教わった方法についてはちょっとだけ試してみて、「わたしにはあまり効果がなかった」とすぐに結論付け、自分なりに研究した成果が一番だったと云って新たに教えてくれるので、後になればなるほど、「世界で一番」の治療法はその数を増すことになります。

ま、わたしも御多分に洩れず、きっと教えてくれた友人知人が気を悪くしないようにほどほどに試してみるけど、「どれも今ひとつだな」と見切りをつけて、昔やった方法(以前にも同じような症状を起こしたことがあります)のみをこっそり試すことになるのでしょうね。そのうち治りますよ、きっと。わたしは腰やら足の裏やら、ほかに深刻な痛みの箇所はたくさんあるんだから、そうひとつにかまってはいられないのです。

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東京タワー

昭和33年生まれで今年60周年を迎えるという東京タワー。昭和34年の皇太子様(平成天皇)ご成婚を祝福するため、前年の12月23日の誕生日に合わせて完工したといううわさの東京タワーは、わたしの同級生(まあわたしの方がはるかに田舎もんですけど)。

ここ数年、東京タワーをよく見かけます。たまたま学会出張の度に泊まるホテルが東京タワーに近かった(この界隈しか予約できなくて)からなのですが、そのおかげで何度も東京タワーまででかけました。あるいは、遠目で映えるタワーの夜景を何度も写真に撮りました。もっとも、タワーの周辺や中は、隣国の大量の観光客や若いラブラブカップルばかりで、どうもおじさんの一人旅は「お呼びでない」という空気。毎回早々に退散ばかりしておりましたが。

そんな東京タワーが私たちの世代と同い年で、高度成長の日本の象徴だったことは誇りではあります。今は新しいアトラクションなどもたくさんできていると聞きます。よそよそしく隅の方でこっそり自撮り写真を撮って悦に入っているオヤジではありますが・・・東京スカイツリーにも行ってみましたがやはりわたしは圧倒的に東京タワーの方が心が落ち着きます。

東京タワーがいつまでも元気であることが、わたしの大きな励みになることでしょう。

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還暦を機に

やっと決心がつきました。わたしは、今年4月25日に満60歳になります。その日をもって、このブログを終わることにします。

この10年、常に頭の中で文章を考えていた気がします。いつもネタを探し、いつのまにか医療論文記事を読む時も普通の本を読む時も、それがネタになるかどうか考えながら読む習慣になっていました。書くことが生業(なりわい)でも生きがいでもありませんが、文章を書くことは好きなので別にそんな生活はイヤではありません。いつも頭を使って情報や生き方に目を張り巡らせていることも若さを保つ良い方法だと思いますし、だからこそ、張りのある毎日を送れてきたと自負しています。

ただ、そのために切り捨ててきたことはたくさんあります。本を読むこと、朝の散歩、自転車通勤、ストレッチ、食後の団らん、睡眠などなど。別にブログをやめたからと云ってそれらを復活させるわけではありませんが、限られた人生、その時間を他に使ってみたい思いが強くなってきているのは確かです。

わたしの運気は今年の春から一気に低下し、人生最悪の時期が今から数年続くそうです。この期間には間違っても新しいことに手を出さず、地道に充電するのが望ましい、と云われております(ちなみに、妻の運気は人生最高になるからやりたいことは積極的に取り組むべし・・・「ここ3カ月の間に人生最大の転機が訪れる」のだとか)。ですから、この新しくできた時間を有意義に使って何か勉強するなり、有意義に使わずぼーっとするなり、何か考えてみようと思っています。

なんか、とてもスッキリした気分です。

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おののく

先日、パピーウォーカーとして仔犬が初めてやってきた家庭の番組を見ました。

番組を見ながら、我が家のインディ君(初代ベアディ)が町田から飛行機に乗ってやってきた時のことを思い出しました。暗闇の中でゆられながら着いたら知らないヒトに連れて行かれ、さらにそこにこれまた朝まで育ててくれたお父さんやお母さんではない知らない男女がやってきて、ニコニコしながら自分を抱いたと思ったらそのまま車に乗りました。知らない家に着いたら、兄弟や友だちもだれもいない寂しい家で、狭いケージに独り詰め込まれてとてもショックを受けました・・・彼が、その環境の変化を理解できずにおののいて戸惑っている姿を思い出したのです。彼は、一晩中寂しそうにケージの中で啼いていました。

彼らは、生まれた時からそれがサダメなのだろうけれど、なんか「申し訳ないなあ」という気持ちを抱きました。この子、たまたま私たちに選ばれてしまったからこんなところに連れて来られたけれど、タイミングが一つ前か一つ後だったら時々はお父さんに会いにつれて行ってもらえるような近場に貰われていったかもしれなかったのに。なんか、自分の意志とは関係ない所に連れてこられて、訳も分からず厳しくされて、泣きたくなったんじゃないのか。今でも、優しそうな顔で目線を逸らすインディ君の顔を思い出すたびに、ちょっと切なくなります。

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1週間で若返る

「こないだテレビを見てたら、『ブルーチーズを1週間食べるだけで血管年齢が若返る』っていうので、今日デパートに行ったついでにチーズ売り場見に行ったのよ」

近くの公園で花見をしてる最中に、満84歳の義母がそう話し始めました。

「ちょっと高かったから、今日はやめておこうと、思い止まったけどね」
「でも、すごいと思わない?  1週間食べるだけで血管年齢が若返るのよ! わたしはブルーチーズとか好きじゃないけど、でも食べない手はないでしょ?」

嬉々として喋る義母を眺めながら、わたしは忠告しておきました。

「お義母さん、勘違いしてませんか? 1週間食べ続けたら血管年齢が若返るかもしれんけど、食べるのやめたらすぐ元に戻ると思いますよ。その嫌いで高いブルーチーズとずっと付き合っていかないと効果は続かないんじゃなかろうか」
「えーそうかな。そんなことテレビでは云ってなかったけどな~」

まあ、食べて悪いことは何にもないから、成果の検証はむずかしいとはいえ、食べることには賛成ですけどね。

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電子たばこと脂肪肝

先日も、「もうたばこは止めたもんね。タールが入ってない電子たばこに変えたけん心配ないわ」と胸を張って云っている受診者さんがおりましたが、いまだにそんなこと云っている人がいるのが不思議。タールがカットされて肺がんの率が少し下がったとしても、ニコチンを初めとする化学物質はさほどの減量効果がなく、むしろ慢心と目に見えないエアゾルで周りに曝露させる分、紙巻きたばこより害は酷いのではないかというのがほぼ通説になった昨今。

それが、脂肪肝の方向で責めてこられたのはちょっと意外でした。動脈硬化、心筋梗塞、脳梗塞、認知症、肺気腫などの方向で責めてくると思っていたからです。

ニコチン入り電子たばこで脂肪肝の恐れ

米・Charles R. Drew UniversityのTheodore C. Friedman氏らが発表した報告(第100回米国内分泌学会、ENDO 2018、3月17~20日、シカゴ)によると、マウスを「血中ニコチンレベルが喫煙者および電子たばこ使用者と同程度になるまで電子たばこのエアロゾルに曝露させた」群と「生理食塩水のエアロゾルに曝露させた」群とに分けて観察したところ、「電子たばこに曝露されたマウスにおける脂肪肝の発症や進行に関係する433の遺伝子変異が見いだされ」、「概日リズム(体内時計)に関係する遺伝子変異も発見」された(概日リズムは、脂肪肝を含む肝疾患の発症を促進)そうです。

ま、こういう研究は枚挙にいとまがなくなるでしょうが、『たばこの害』の報告と同様に、きっと、吸いたいヒトと売りたい人はあえて耳を閉ざすのでしょう。

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街並み

熊本地震からもうすぐ2年。揺れることもほとんどなくなって、平穏を取り戻しつつある我が家の周辺を散策していると、ちょっと新しいことに気づき始めました。

先日の東日本大震災の7年目の日、あちこちで流れた津波の写真や動画がまるで昔の記録映画のように見えたのと同じように、あのこの世のものとも思えないほど歪んでしまった熊本の風景もまた、写真で再現されてもあれが夢だったかうつつだったかすら自信がなくなってきている昨今です。

そんな中、多くが更地になり、向こう側にあって見えていなかったものが現れてぎょっとしたり、いつも目印にしていたビルが無くなって目的地にたどり着けなくなったりした時期を経て、再び今、街が変わろうとしています。まだまだ取り残されたままのブルーシートの家(まだ順番が回ってこないのか、補修を放棄しているのか)がある一方で、更地に少しずつ家が建ち始めています。そこにある風景は、もはや一年前のものとも二年前のものとも違う、みたこともない新しい景色。それだけ前に向かって前進していることだと思えばいいことなのでしょうが、何か原風景が壊されたような、そのまま自分の辿ってきた人生の一部が侵されたような、そんな変な気分に苛まれております。

「えーこここんなに変わったの?」などと、久し振りに遠くまでの散歩に付き合ってくれた妻が何度も叫んでいましたが、日に日に変わりゆく街並みの中で、少なくともこれが、仮住まいではない本当の日常である状態に早く戻れるように祈るばかりです。

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パソコンとネットの存在

還暦を機に、7年間愛用の何代めかのVaioを新しいのに買い換えたいという思いを昨年から抱いていて、いよいよその日が近づいてきたな、というところなのですが、ここへきてハタと躊躇の心が芽生えてきているのであります。

わたしの夜の生活の質を落とさせているのは、もしやパソコンとネットの存在ではないかと思うわけです。パソコンとの付き合いは研修医時代からだから長いけど、昔はあくまでもデスクトップのパソコンを立ち上げなければ何も始まらなかったし、ワープロや統計計算やデータベースとしての活用しかなかったから、影響はそれなりに知れていました。インターネットに恐る恐るアクセスするようになったのは我が家を新築してワンが新しく家族の一員になった頃だったけど、それでも有線の電話線から繋ぐだけだった。無線LANのインターネットを使えるようになってからも、あくまでも自宅や職場のパソコンの前だけだったから、10年続けたこのブログも、旅先で題材を思いついたら紙にメモして帰ってきてから書き写していましたし、長期出張の時には当然ブログはお休みしていました。

ところが、今やスマホやiPadなどというオモチャを手に入れて、あちこちでWi-Fiなんてものがフリーであるものだから、暇さえあればいつでもどこでもネットに繋いで何かをするようになってしまいました。紙にメモするくらいなら直接端末に書き込んだ方が無駄がないし、仕事をしようとパソコン開けても、とりあえずメールを確認してフェイスブックやネットニュースに飛んで行ったが最後、もうその晩には離陸した元の位置には戻ることなく泳ぎまくり。酒など片手に飲酒運転してすぐに酩酊状態に突入する始末。

もはや「それはしょうがないことだから、この世界から脱出できないもの」と諦めていましたが、タバコをやめるのと同じように、この際、自分を取り戻すためには、パソコンとスマホの世界から離れる決心が必要なのではないか、とか考えてしまう自分がいるわけです。パソコンとネットがなければ、もっと思索にふけることだってできる気がするのです。でも、できるのだろうかそんなこと。それをした瞬間から、おそらく仕事以外の一切の社会とのつながりが消えてしまって(まあ今でもほとんどないようなものだけど)その存在証明すらできなくなるのではないか、という不安がないわけでもない。その不安に耐えられるのか、自分?と自問する。

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何か楽しいことはないかしら

いや、ほんと。

「何もないってことはないだろ!」という思いで考えてみたのよ。「何かあるだろ楽しいことくらい」って。でも、ホントに何もない。「何もないと思ってしまうから何もかもが面白くなくなるのであって、面白いことなんかあちこちに散らばって落ちているものさ」なんて、ヒトは云うけれど、そんなもの、落ちてないさ。少なくとも、今のわたしの周りには落ちてない。

しなければいけないことがない、ってこんなに辛いんだ? 不思議なものです。しなければならないことがあると、それを逃避するためにいっぱいいろんな楽しいことを思いついてそっちに逃げていくんだけど、逃げなきゃいけないことがないと、全然やる気が起きない。楽しいか楽しくないかは相対的な問題。美味しいか美味しくないかとかと同じですね。家に帰ってワンとの散歩、春の訪れ、晩酌、ゴルフ、サッカー観戦、運動、仕事、テレビ、いや~ホントに何してても芯からは楽しくなんかない。大好きな掃除や草取りや洗濯はまだ少しは気が晴れるけど昔ほどは楽しいと思わないし、友人と宴会、家族で食事、旅行、無理やりやっても刹那の楽しさは知れている。みんなそんなものなのかしら。

いや、冗談抜きで、「楽しいこと」とか「今したいこと」とか、あるのが普通ですか?

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高齢者とコレステロール

85歳以上では高コレステロールが認知機能低下を抑制

今回CareNetに紹介されたのは、米マウントサイナイ・アイカーン医科大学のJeremy Silverman氏らの研究結果で、「中年期と比べてTC(総コレステロール)値が上昇すると、75~84歳の高齢者では研究登録時から10年後までに認知機能が低下するリスクが50%高くなったが、85~94歳の高齢者では同リスクが32%低くなることが明らかになった。また、スタチンの使用が認知機能低下の抑制に関連することも分かったが、加齢に伴いその効果は低下していた」というもの。つまり、超高齢者では、コレステロール値が高い人の方が認知症にかかりにくく、脂質異常症に対するクスリは高齢者になるほど認知症抑制効果が乏しくなる、ということです。

ま、賢明な方はおわかりでしょうが、だから高齢になったらコレステロールの多い食材や高カロリー食を取った方が良い、という意味ではありません。研究者のSilverman氏のことば、「85歳になると、突然コレステロールが健康に良いものになるわけではない。高コレステロールというさまざまな疾患のリスク因子がありながらも85歳まで長生きできるような人は、高コレステロールによる悪影響から身を守ってくれる何らかの因子を兼ね備えている可能性が高い」というのが妥当な見解でしょう。生き延びた人に学ぶもの、それは、真似できない本人の体質を除けば、生き延びた人の若かりし日の生活習慣と社会環境を模することでしょうかね。

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団らんあっての夕食(後)

(つづき)

それでも、やはり、そこには「家族全員が必ず顔を合わせる場」としての”食卓”がありました。だから、可能な限り時間がかけられるような料理が並び、「一日ご苦労様でした」「今日はどんなことがあった?」「こんなことがあったけどどうしよう」そんなはなしをする場があったはずなのです。少なくとも、サザエさんの家庭のような夕食の団らんこそが、基本的夕食風景だったはずです。ところが高度成長時代を迎え、「亭主元気で留守が良い!」とばかりにお父さんが残業だらけになり、受験勉強の子どもたちは塾通い、食事を済ませたらさっさと自室に入り何をしていることやら、あるいは夫婦共働きで鍵っ子たちが冷えたご飯を冷蔵庫から出して食う、などということが当たり前になってしまい、家庭に『団らん』がなくなってから久しい。

だから、『団らん』がなくなった時点で、夕食なんて最低限のエネルギー補給で問題なくなっているはずなのです。「これだけ遅くまで仕事してへとへとになりながら帰ってきているのに、何じゃんこの手抜き料理は!」と亭主に切れられ、「これが育ち盛りの子どもたちに食べさせる料理なの?」と姑にぼろくそに云われ、それを理由に自分も食べたいものを並べて腹いっぱい食ってストレス発散をして・・・今があるのよねぇ。「夕飯なんて大したものなくても大丈夫だよ」と云っても「そんなわけにはいかないのよ、そんなことしたら身体に悪いでしょ」と妻に一蹴されるわたしも御多分に洩れません。幸せ者なのかもしれませんが・・・。

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団らんあっての夕食(前)

メタボや糖尿病や脂肪肝の原因は、夜の食い過ぎ。遅くに帰ってきて、「ごくろうさま」と準備された大量の料理を口の中に投げ込んで、カッと酒を搔っ食らってさっさと寝る生活を続けているからそうなるのさ。

そんなはなしをしながら、「夕食は一日の食事の中で一番ごちそうを食うもの」と皆が当たり前に思っているけれど、いったいいつからこんなに夕食が多くなってしまったのだろうと考えました。朝飯は今から活動するのだから大事だとしても、夜は寝るだけなのだから、少なくとも栄養補給の意味はあまりないはずです。

遠い昔、食事は一日二食が当たり前だった頃、朝の涼しいうちに仕事をして帰ってきてからちょっと遅い朝食(ブランチみたいなもの)を食い、炎天下では仕事にならないから昼寝をしたりウダウダしたりして、お日様が傾いてきてから午後の仕事をする。日が暮れて帰ってきてから夕食を取って就寝するというものだったと聞いています。ヨーロッパなどで昼食の時間がめっぽう長く、皆が一度家に帰ってゆっくりたっぷり食って昼寝してから再度出勤する習慣も、そんなことの名残なのかもしれません。ただ、どちらの場合も云えることは、食事は家族皆が集まって団らんの中でゆっくり時間を取っているということ。たしかに静かに黙々と食器の音だけが響くヨーロッパの夕食の様子を映画などで見たことはあるし、儒学の教えの元、食事中は私語を慎み、しゃべることなくひたすら食べることに集中すべし!が戦中戦後の日本の夕食のあり方でしたから、これは『団らん』と呼べない、と云う人もおりましょうが・・・。 (つづく)

 

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忘れてしまう(後)

(つづき)

基本的に、毎日行っている無意識の行動(たとえば玄関ドアの戸締まりとかガスの元栓閉めとか)は、無意識のうちにやっているのが当たり前でしたし、その自信がありました。家を出て、「あれ、カギ掛けたかな?」「ガスの元栓閉めたかな?」と不安になって引き返したことは何度もあるけれど、かけ忘れ、閉め忘れをしていたことは一度もありませんでした・・・以前は。

でも、最近は本当に自信がありません。やった記憶のないことは、たぶんやってない。やった記憶があっても、それがさっきだったか昨日だったかの部分が定かでない。こういうことが、毎日のように押し寄せてくるので、何がうつつで何が夢か? 何が今日で何が昨日か? 妄想したことか現実にあったことか? そんなことまでよく分からなくなってくるのであります。

「そんなこと、自分もあるから大丈夫だよ」と云ってくれる御仁は、決まって同年配だから、どっちもどっちだわ(笑) 最近は「もしそんなことになっても、しょうがないな」と思うことにしています。「しまった、忘れた」と気づいたら(あるいは不安になったら)、「忘れてたとしてもしょうがない。特にそれで困ることはないだろうし、たまたまカギをかけ忘れたときに空き巣に入られるわたしなら、きっとかけてあっても入られるだろう。ガスの元栓が閉まってなくて事故が起きるならそれは大災害の時だけだろう」なんてなことを思うことにしています。

今まで、仕事から帰ったら玄関のカギが開いていたことも、庭のサンルームのドアが開いていたことも何度かあります。誰が忘れたのかわかりません(わたしか妻か、あるいは留守中に来た義母か)が、まあ大事には至っていませんから、そんなもんでしょう(愛犬が庭を勝手に走り回っていた光景が異様だったとの話はお隣さんから聞いたことはありますが)。

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