食が細くなった

先日人間ドックを受診した女性。わたしとほぼ同い年。

「先生、最近わたし食が細くなった感じがするんです」

実際体重も減少気味。とくにドックの結果に問題があるわけでもないのだけれど、わたしはちょっと気になりました。

「”食が細くなった”というか、食べることに興味がなくなってきてないですか? 食べることが面倒になってきているというか・・・」
「そうかもしれません」

長年連れ添ってきた旦那さんが亡くなり、最近は食事もいい加減だという。別に食べないわけではないのだけれど、旦那さんが生きていた時のように毎日食事の献立を考える必要もなく、自分だけ食べるのなら何でもいい・・・よく、わたしの妻も同じようなことを云います。わたしが出張などで帰らない日など本当にいい加減な食事で、お菓子などしか食べないときもあると云っていました。

外食もできず友人とも会えず、電話で話すくらいしか外とのつながりがなくなっていく中で、若い世代と違って独り用にわざわざテイクアウトやデリバリーを注文する世代でもないと、どうしてもこうなるような気がします。日頃から料理好きな人ほどそうなるようで、「料理を作るのは他人に食べてもらうため、喜んでもらうため」というのが大きいのだそうです(男性は逆に、料理好きだと自分用にだけでもしっかり作るようですが)。でも、これがフレイルになる第一歩だということは明白です。食べるのが面倒くさい→食べてないからあまり動けない、動きたくない→動かないから食欲が湧かない→食べないから筋肉が落ちて動けない→食べたくない・・・となりがちだからです。

こういう人たちほど、食べることや作ることの楽しみを見つけ出して、”食べるのが面倒くさい”という感情がなくなれるように意識してもらいたいと思っています。

 

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萎むという現実

「先生、ちゃんと絞って体型を維持していますね。いつもしっかり運動していますものね」

職場の若いスタッフにそう云われるのはうれしいけれど、本当は”絞っている”のではなくて”萎んでいる”ということを本人はちゃんとわかっています。それを一番痛感するのは、お風呂に入る前にハダカになって洗面所の鏡の前に立つとき(鏡を前にすると必ずちょっと腕を曲げて力こぶを作ってみたり、横向いてお腹を引っ込めてみたりするのは、オトコのサガかしら)と散髪屋さんに行って正面の鏡に映る自分の顔を眺めるとき(散髪のときほど長時間自分の顔をマジマジと眺めるときはない。基本的にこの時間だけは正面の鏡の前の自分とずっと目が合っている)です。先日、散髪屋に行ったときに自分の顔を見て「じいさんになったなぁ」と痛感したわけです。特にふっくら二重顎でもなく、ゴルフ焼けして若干色黒になった自分は、若いころに超肥満児だった面影はほとんどありません。

「毎日しっかりと運動して暴飲暴食せず夜更かししない生活をしていたら大丈夫!」というのは若い人たちのはなしであって、歳を取るとそれだけではフレイルやサルコペニアに陥る危険性が決して少なくありません。筋肉については以前、ここに書いた時間栄養学やスポーツ栄養学の項目を思い出してみましょう。

立命館大学の藤田先生の講義内容から抜粋すれば、
・高齢者は一度に充分量のタンパク質を取り続けないとサルコペニアになっていく
・三食不均等にタンパク質を摂取するとフレイルになりやすい(特に朝は不足)

とういことであり、また、早稲田大学の高橋先生の講義内容を振り返ると、
・運動(身体活動)は体内時計を調節する。骨格筋萎縮のリハビリ効果は朝の方が著明であり、脂肪分解効果は朝より夕方の方が有効
・筋肥大をもたらす筋トレ効果は夕方の方が有効

とあります。そもそも、絶食下で運動すると脂肪分解は誘発するものの活動時に絶食すると筋萎縮を誘導するということや運動のしすぎは返って逆効果だということも、高齢になればなるほど意味が大きいのであります。

わたしのように、朝にまともにタンパク質も糖質も摂らない生活様式であるにもかかわらず、超多動児の日常を送る人間は、筋肉が萎縮するのも理解はできます。活動エネルギーの源が得られないから自分の筋肉からエネルギーをえぐり取りながら運動しているようなものだから。ん~、とはいえ、今の生活様式を変える気はまだ湧いてこない状況ではありますから、じいさん筋肉になっていくのもやむを得ないのでしょうか。

 

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座りすぎ注意

第62回日本人間ドック学会(Web)でわたしがもうひとつ注目したのは『運動』についてです。教育講演『Win-Winの運動指導と目標値』(早稲田大学澤田享先生)とシンポジウム『 With/After Corona時代における運動指導』(筑波大学中田由夫先生)の講義を拝聴しました。

どちらの話にも出てくるワードは『日本運動疫学会』。正直、わたしは初めて聞く学会名でした。文字通り、『運動に関する疫学』をまとめ、”それらの研究成果を疾病予防・健康の維持増進・老化予防といった現代の公衆衛生上の最大課題の解決につなげるためのポピュレーション・アプローチに関する研究や活動”をするのが目的のようです。

澤田先生の講義は、何度も受けたくなる体力測定のやり方が大事(日常運動へのモチベーションの高め方)ということと全身持久力を付けることで糖尿病も高血圧もがん死亡率も改善するというお話が印象に残りました。

中田先生の講義のまとめもメモしました。
1.身体活動「やらなきゃ損!」
2.健康づくりは「体力づくり」
3.運動してても「座位行動」を減らそう

この中でも3が重要だそうで、日頃活発に動いている人でも座位行動が多いと病気の発病リスクが高くなり、同じ座位行動でもまとめてするか分散してするかでも違ってくる。「面倒でも、意図的に座位行動を減らしましょう」というメッセージが、単純ですがとても強いメッセージでした。”人間に運動欲という欲はないから、しなくてすむことはしない”という、人間のサガに逆らう行動が必要なのだということを、わたしたちはこれからなお一層指導していかなければなりません。講義の中で先生が紹介された『WHO身体活動・座位行動ガイドライン(要約版)』をダウンロードして読んでみようと思います。

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『ゼロ次予防』

現在Web配信で開催中の第62回日本人間ドック学会のプログラムをこの連休を利用して拝聴しました。生活習慣病予防に関わるわたしとしてはとても関心の深い内容が多く、リアル学会なら聴きたくても並行しては聴けなかったであろう内容をすべて網羅することができて、”Web学会時代”様様でした。

その中で、特に興味を引いた内容のひとつが『ゼロ次予防』。特別プログラムの『明日への提言~2020年代の健診・予防医療の発展を目指して~』の中で、千葉大学の近藤克則先生が講演された、『明日への提言ーゼロ次予防の可能性と課題』です。

『ゼロ次予防』とは、”原因となる社会経済的、環境的、行動的条件の発生を防ぐための対策を取る”と定義されています。つまり、健康増進の『1次予防』、早期発見早期治療の『2次予防』、再発予防の『3次予防』に対して、”暮らしているだけで健康になる環境作り”が必要だということです。たとえば建物内禁煙とか運動に適した公園の整備とか・・・。先日紹介した『社会的処方』と同様、最近、学会の内容を見るに付け、わたしの目に頻繁に飛び込んでくる内容なのです。

近藤先生が提示した内容をメモしただけでも、
・公園の近くに住む人は1.2倍頻繁に運動する
・緑地が多い地域に暮らす高齢者にはうつが1割少ない
・歩道が多い歩きやすいまちでは認知症リスクが半減する
・売られている食品の塩分を減らすだけで食塩摂取量は減少する
・地域のスポーツ組織参加率が高いほど転倒率が低下する
など。

特に、「地域の社会参加割合が多い地域では個人の参加状況にかかわらず高血圧者が減る」とか、「スポーツの会参加割合が多い地域では高血圧や糖尿病の有病率が少ない」とか、社会環境や地域全体の意識が変わるだけで各個人の健康度も増す、ということが徐々に明白になってきているということになります。

でも、こればかりは、わたしたち予防医療に関わる医療関係者だけでは達成できない内容です。だからこそ、これからの予防医療の中心を担うべき分野だと痛感していますし、これからはこの『ゼロ次予防』に金をかけることが健全な社会を作る必須項目なのだということを行政に関わるお偉いさん達に理解してもらうために、今回紹介されたような『ゼロ次予防』の効果としてのエビデンスを明確にさせていかなければならないだろうと痛感した次第です。

 

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運動のイメージ

わたしの担当する人間ドックの受診者さんに最近肝機能が悪化した男性がいます。糖代謝異常や脂質異常がベースにあり毎日忙しくて運動どころか睡眠時間も削って生活している人です。

「わたしが皮膚科で通っている大学病院の検査でも最近はそれくらいの値です。たぶん脂肪肝のためだと思うので運動した方が良いのかなと思うのだけど、その皮膚科の先生は『肝臓が悪いのだからあまり激しい運動はしない方がいい』と云うんですよ。でも、生活習慣病の治療をしてくれている地元のかかりつけ医は『そんなヤツの云うことなんか無視していいから、しっかり運動してください。そうしないと脂肪肝がどんどん悪化しますよ』と脅すんです」

彼は、ちょっと困惑した顔をしてそうグチを云いました。わたしも「運動した方がいいに決まっとるやろ!」と思いますし、「夏前に、毎日散歩して、炭水化物カットを頑張ったら体重も減ったし検査データも良くなってどっちの先生にも褒められました(今はまたリバウンドしてしまったけど)」と云うくらいなんだから、答は明白。皮膚科の先生は自己免疫性肝障害などの可能性もあるのではないかと考えているのだろうとは思いますが・・・。

ただ、そんな彼の話を聞きながら、『運動のしすぎ』というときの運動の量や質が、おそらく各々のアタマの中で全然違うのではないかと感じました。『運動しましょう』とか『運動は控えましょう』とか云われたときの『運動』がどの程度のことを云っているのか、自分の感覚で勝手に想像している感じがするのです。アスリートの考える『運動』と老健施設のスタッフが考える『運動』は全く違うのですが、『運動』と云えば長距離ジョギングをしたりスポーツジムで筋トレしたり、あるいはスポーツをしたりすることだと思っている人は多く、だから「わたしは運動は苦手だ・・・」と答えるわけですが、有酸素運動を普通にする分では何の問題もないはずなのです。生活習慣病を治療する医者はイメージとして『運動』=有酸素運動と思っているけれど、若い先生方はもっと激しいモノを想定しているのではないでしょうか。リハビリテーションなどに従事していない医者(特に若い医者)は、想像だったりテキストに書かれている知識だったりだけしか知らないので、実際に『運動』を具体的にアドバイスできない人が多く、だから”メッツ”とか”少し息が上がる程度”などの基準ができたのですが・・・実感として理解している人はどれほどいるのでしょうか。

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彼岸花

そろそろ、公園や道ばたにニョキッと彼岸花が顔を出し始めてきました。毎年のことですが、どんな異常気象になってもきちんとこの時期になると咲いてくるこの花の神秘さには感心するばかりです。今年のような季節はずれの長雨や勘なしの猛暑やを通り過ぎて、台風の数も少なく、そして突然の秋の到来、みたいなほとんど四季の秩序を無視した熱帯雨林気候に変貌してきていても、彼岸の季節になるとふと気付けばあちこちに紅い花が出てきてこっちを眺めているのです。

渡り鳥が、次の地への移動時期を逸したり、蝉が出てくる時をためらったり、あるいはあちこちの花が狂い咲いたりした今年、先日は突然の初冠雪のニュース、かと思えば早くも紅葉のニュースだったり・・・もう、日本の四季を今までの常識で眺めていてはいけないのかもしれません。

だからこそ、秋分の日を前にそっと彼岸花が咲いてくれると、どこかホッとするところがあります。

 

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素朴な疑問

わたしが産業医をしている企業で先日新型コロナ感染者が出て、保健所の指示により自宅待機(配偶者も陽性で一緒に自宅待機)をしていた従業員がいました。鼻水が出はじめた翌日に38℃台の発熱があってPCR検査したら陽性だったとのこと)一定期間の自宅療養で改善し、保健所や医師の判定で自宅待機解除になったそうで、わたしは復職可否の判断をさせられました。

自分があまり新型コロナウイルス感染者に遭遇することがないのでよくわからないのですが、医者としての素朴な疑問として、本当に感染者は医療機関への入院にならない限り何の医療処置(消炎解熱鎮痛剤や去痰剤や抗生剤などの処方)も受けさせてもらえないのですか? まがりなりにもウイルス感染。インフルや普通の風邪(そもそもコロナは普通の風邪ウイルス)に罹ったら、受診したクリニックからは何らかの風邪薬くらいもらうでしょう。「家でじっと寝て、根性で治せ」というのはあまりに前時代的で無理がありましょう。市販の風邪薬を飲もうにも薬局にすら行くことを許されません。これでは、肺炎になったり髄膜炎や心筋炎に罹ったりするのは致し方のないこと。せめて最初に普通の風邪薬の数日分くらいは保健所から(あるいは最初に受診した医療機関から)処方されているものと思っていたので、ちょっとビックリです。

でも、この1年半近く、世の専門家たちがそんなことにはまったく言及しないところをみると、おそらく何かわたしの大きな認識間違いがあるのでしょうね。でも少なくともわたしが関わった方は何の処方ももらっていなかったそうですけど。

 

 

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隠居

先日人間ドックを受診した男性が、「完全に仕事からリタイヤしてしまって、何もすることがなくなったのでリズムが掴めません」と話しているのに、わたしは大きく頷いてしまいました。きっと若い保健師さんは「せっかく自由な時間ができたのだから、これからいろいろ趣味の時間を広げてください」とか云うのでしょうね。

『しなければならないことがなくなってしまった』とき、本当に途方に暮れます。客観的にはさほど大したことではないのかもしれませんが、今までToDoリストを作っても処理できずに仕事が溜るばかりだった生活にずっと追われていたので、その全てから開放された瞬間から、「ん?本当になにもしなくていいの?」「何かやるべき重大なことを忘れてないか?」という不安感に襲われます。そして、それからなんとか慣れてきたら今度は「自分は社会にあってもなくてもどっちでもいいような存在になったのか」という急激な寂寥感に苛まれてしまうわけです。仕事人間だった人が定年退職した途端にうつ病になったり認知症になったりすることがあるのが、自分にはよく分かります。わたしの場合、定年が65歳まで延びたおかげでまだ少しは持っていますが、さてさて自分が毎日家にいるようになったら・・・考えただけで恐ろしくなります。

「これからは好きなことをするぞ!」「今まで仕事が忙しくてできなかったことを存分にするぞ!」と定年後に生き生きと”第二の人生”を送っている人たちをテレビ番組で観ていると羨ましくなりますが、きっと世の中にはわたしのような人間の方が多いに決まっているのだ、と自分を慰めています。わたしは別に仕事人間ではなかった(まあ、やりたいことをするために医者になったのだから、それを一生懸命全うしてきたことを仕事人間と云われてしまえばその通りですが)けれど、特別に興味を持って打ち込んできた趣味もないし、これから始めたいと思うものも浮かばない。しばらくはそのことで焦っていましたが、最近は「それもまたよし」と開き直ることにしました。きっとその時が来たら何かが突然わたしの前に現れてくれるだろう、と(だって今までがずっとそうだったから)思うことにしました。

 

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金さん・銀さん

妻は今までの茶系の髪染めを卒業して、ここのところ金色系に嵌っています。新型コロナ流行が怖くて街中の行きつけの美容院に近づく勇気がなく、先日久しぶりに行って、またまた金色髪に磨きを掛けて帰ってきました。

昨日の日曜に墓参りをしに越県した際、わざわざ採れたてカボスを届けてくれた地元の友人が、久しぶりに会ったわたしの妻をみて、「うわ、金髪になってる!」と驚き、「『金さん・銀さん』やな」と呟きました(もちろん、『銀さん』はわたしのごま塩アタマのこと)。そのことを自宅に帰る途中に妻に話したら、ちょっとショックだったみたいで、「あなた、また黒に髪染めなさい!」と冗談を云いました。

でもまあ、まんざらでもなかったみたいです。そうか、私たち夫婦は世間からみたら『金さん・銀さん』なのか。ちなみにうちの愛犬たち(ビアデッドコリー)はまさしくわたしの髪と同じグレー系で、散歩していると「父ちゃん(飼い主)とお揃いやね」とよく云われます。妻の今の金色は義母の家にいるトイプーの色と全く同じ。もっとも、時が経てば彼女の髪はもっと白く変わることでしょう。もう本当ならすっかり髪の毛は真っ白の白髪になっているはずですから。

前はもっと茶髪だったのに最近この色に変えてきたところをみると、周りに気付かれないように少しずつ白の違和感をなくすのが魂胆なのかもしれません。

 

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やり過ぎは禁物?

運動+200kcalのカロリー削減で血管の健康が改善か

 ”肥満の高齢者では、適度な運動を行いつつ、1日の摂取カロリーをわずか200kcal減らすだけで、体重が減少するだけでなく、血管の健康が大幅に改善する可能性があるとする研究結果が報告された。研究を実施した米Wake Forest School of Medicine老年学・老年医学分野のTina Brinkley氏らは、「このようなライフスタイルの変化により、加齢に伴い進行する大動脈硬化を相殺できる可能性がある」と述べている。研究の詳細は、「Circulation」に8月2日掲載された。”(CareNet2021/09/06配信号)

この記事、「減量や大動脈硬化度の改善に運動と減食の組み合わせが有効である」というあまりに当たり前の結果を伝えているデータの紹介ではないようです。『20週間での体重減少量は、運動のみを行った群で1.66kgであったのに対して、運動と200kcalのカロリー削減を組み合わせた群では8.0kg、運動と600kcalのカロリー削減を組み合わせた群では8.98kgだった』という一方で『大動脈の硬化度については、運動と200kcalのカロリー削減を組み合わせた群でのみ変化が認められ』たというのです。つまり、運動と600kcalのカロリー削減をした群(カロリー削減量が多かった群)では体重と血圧は改善したのに、大動脈硬化度には改善が見られていないのです。『減量に大幅なカロリー削減は必要ではない、あるいは推奨されない可能性を明らかにするもの』という結論=減量のやり過ぎは決して動脈硬化を改善させない!ということを暗に訴えていることになるのだと思います。

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あごマスク

わたしがいつも利用しているガソリンスタンドは毎月決まった数字の日にガソリンを入れるとリッター5円引きの割引券をもらえます。それを使うと有人スタンドなのにセルフ並の価格になるので、職場に近いこともあっていつもここを利用しています。

先日、日曜の朝に給油しに行くと若いお兄さんがテキパキと仕事をしていました。彼はとても仕事のできるお兄さんです。車を入れるとサッと寄ってきて誘導し、すぐに給油の作業をしてくれました。すごく切れ味がいいので感心しきりなのですが、実は彼、いつもは顎マスクだけどお客さんや同僚と対話するときだけマスクを口に戻します。外は暑いし苦しいのでしょう。それはそれで良いのですが、彼はマスクを口に戻すときに必ずマスクの内側を掴んで上げるのです。その掴んだ指でわたしのガソリンカードを受け取り、その指で伝票やサインするためのボールペンを取り出してわたしに渡すのです。きっと彼には何の悪気もないのでしょうが、「その指から感染が始まるんだよ」と思いながら、そっと携帯用のアルコールで自分の手を丁寧に拭くわたしです。

世間の多くの人が「これだけきちんと気をつけているのに感染してしまうのだから防ぎようがない」と訴えているけれど、おそらくこんなちょっとしたことが原因なのだろうと思います。それが直接であれ間接的にであれ、汚れた手が自分の口に接触する時点で感染は成立してしまい、自分の口から出た唾が自分の指を介して他の部位に付着するわけですから、接客するときにマスクを動かすならせめてマスクの外側を摘まんで上げてほしいものだ、と思う次第です。1年半前、初めて新型コロナが殺人ウイルスとして世に出てきたときには皆がナーバスになっていたこんなところが、やはり慣れによって疎かになるのは致し方ないのでしょうか。

かく云うわたしも、マスクをしている時には何も問題ないのに、ちょっとマスクを外した途端に鼻がかゆくて無意識のうちに鼻に何度も手をやってしまいます。気付いたときはその都度手を洗うか消毒するかしていますが、きっと無意識だから気付かないまま放ったらかしていること、少なからずあるのだろうなと思って、反省しているところです。

 

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幸福感の心理

イエスマン(後編)~コロナ禍でも幸福感がある人とない人、その違いは?

 CareNetで配信されたために久しぶりにシネマセラピーの記事を拝見しました。実際のこの記事は2020年8月のものですが、紹介されたこの記事の幸福感の考え方はとても参考になりました。前編と後編に分かれていますが、特に後編を是非読んでみてください。今の重苦しいコロナ禍の生活の中で前向きに生きるヒントをもらえるような気がします。

 一言で言えば、『人は、もともと軽く幸せですが、不幸がいきなりやって来るから、そして幸せがだんだん薄れるから、幸せをこつこつ追い続けている』ということだそうです。

<幸福感を左右する3つの心理>
①良いことより悪いことは強い-ネガティビティ優勢性・・・良いことより悪いことは強く感じる→人は、不幸がいきなりやって来るから、それを乗り越えるために、幸せをこつこつ追い続けている。
②良いことも悪いこともなければマシ-ポジティビティ補正・・・良いことも悪いこともなければ、自分はマシ(まだ良い)と感じる→人はもともと軽く幸せである。
③良いことも悪いことも長続きしない-感情減衰バイアス・・・良いことも悪いことも長く感じ続けることはない→人は、幸せがだんだん薄れるから、幸せをこつこつ追い続けている。

そんな中、日本人の幸福感が薄れている現代社会でどう生きたら良いのかについて語られています。著者によると、”日本人の幸福感は、資源の少ない江戸時代までの集団主義によって最適化されてきた”にもかかわらず、今は文明が進歩して物質的資源に満たされている上に、グローバル化して欧米の個人主義的考え方がもてはやされるようになって自己主張してポジティブに生きるという日本人に一番苦手なやり方が求められているために、このままでは日本人の幸福感は良い方向には向かわないだろう、と云うのです。幸福感を得るために今からすべきことは、
①ポジティブな行動を繰り返して、ポジティブな思考パターン(認知)を得る。
②ココロを研ぎ澄ましてニュートラルになる(マインドフルネス)ように練習し、どんな状況や相手にもありがたみ(感謝)、思いやり(慈愛)、さらには許し(寛容)の気持ちが沸いてきて、受け入れる(受容)ようになる。

ということだと。そして、それが映画『イエスマン』の最後につながっていくのだと締めくくっています。

映画『イエスマン』自体を観たことがないのですが、ここに記された提案はわたしにもよく分かります。映画『イエスマン』を観ると共に、このシネマセラピーの記事を是非ご一読ください。

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優先順位

今日も朝から国営・民放ともに自民党総裁選の話題がニュースの冒頭でした。「また新しい局面を迎えてきましたが、○○さんはどうお考えですか?」とMCが云い、コメンテーターが持論を展開する、というのはいつもの選挙戦の風景ですが、このご時世で何をそんなに色めきだっているのか全く理解できません。「今回の自民党総裁選の結果が次の総選挙のカギを握るのです」と? 「新型コロナに終息の目途が立たない現状では選挙どころではない。今は挙党一致団結して国民の危機を守るべきだ!」と云っていたかと思えば、新たな立候補が出て現首相が不出馬宣言してそうなったら群雄割拠の色めき方で、もはや国民そっちのけ。まあ、これはしょうがない。「自分たちあっての国民生活だから、まずは自分たちが勝たねば始まらない」という政治家さん方の手のひら返しは、今に始まった話ではないから。

ただ、その手のひら返しに全てのメディアが完全に乗っかってしまって浮き足立っていることが理解できないのです。メディアが伝えるモノはその時勢の優先順に従った結果ではないのか。先週まで鬱陶しいくらいにあれだけ新型コロナの対応批判や深刻な先行きの不安ばかりを報じていたのに、それが突然二の次になった。そんなに自民党総裁選の方が優先順が上だろうか。誰が総裁になるかは重要だけれど、党員以外には何の関係もない今の推測合戦に重要性はないと思う。ニュースは常に優先順の問題である。新型コロナの重症度に変化はなくても、あの大雨被害の時は当然災害報道が優先になるし、オリンピック、パラリンピックも優先順が上になってもい思う思う。でも、自民党総裁選に誰が出馬するか?が新型コロナ関連より優先されるのはあまりに国民をバカにしてはいないか。

まあ、毎日毎日引っ張り出されて答え様のない質問に毎回コトバを選びながら回答していた専門家の先生方だけは、無意味な政治論争になってくれたおかげで少し楽になって良かったのかもしれませんね。

 

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神々しい

パラリンピックも無事に終わりました。連日、日本チームの活躍が報じられる中、正直、初めて多くの試合を直接観ることができました。自国開催のメリットは、そういうことですね。多分、これが日本でなかったら、メダルをもらった選手以外ほとんど観ることはできなかったでしょう(メダル選手でも静止画か動画でもせいぜいハイライトの画像だけ)。

『身体障害』とは「先天的あるいは後天的な理由(主に、病気や事故の後遺症)で、身体機能の一部に障害を生じている状態」と定義され、『健常者』は「特定の慢性疾患を抱えておらず、日常生活行動にも支障のない人」となっています。『奇形』というのは、「生物が先天的に肉眼形態上の異常を持っていること」と定義され、すなわち「あるべきものがない、あるいはあるはずのないものがある状態」を指す言葉です。こんな単語にずっと何の疑問の持ちませんでしたが、今回パラリンピック選手たちの神々しいまでの戦いぶり(生き様)を目の当たりにして、「違うな」と思うようになりました。

『障害』とは、「今の社会構造の中で生活する上で不都合がある状態」なのだな。たしかに事故や病気で今まで持っていたものが突然失われた人たちにとっては、「あるべきものがなくなった」というハンディの中で『障害者』の範疇に入るし、その反対語が『健常者』なのかもしれないけれど、おそらく生まれもってに手足や指が左右対称でないとかあるけど機能しないとかいうモノは、『あるべきものが備わってない』のではなく『もともとないもの』です。『あるべきもの』とわたしたちが思い込んでいるから、彼らは不遇で不憫な存在と勝手に決めてしまっていたけれど、彼らが自分の身体をフルに使って泳いだり走ったりする姿に対して、「ハンディの大きい中でよく頑張っている」などというコトバは失礼です。”一般社会”が彼らのような身体ではない人たち用に作られているから、その中で生きるためには無理もしなければならないし多くの人との共存も必要不可欠ですが、おそらく彼らのために作られた社会であればわたしたちが逆に適応できずに不自由になるでしょう。そのときに理不尽だと感じるならそれは傲慢以外の何ものでもありますまい。

「あの身体で、どうしてあんなに泳げるのだろう?」・・・最初はそんな考えで、まるでむかしの見世物小屋の様な不憫さを感じていたのは偽らざる事実なのだけれど、毎日のように競技する姿を見ていると、そんな感情を持っていたことがとても恥ずかしくなりました。少なくとも、わたしはどの競技一つにしても彼らに勝てるモノはありません。彼らが必死で頑張り、喜び涙する姿と、必ず感謝を忘れない姿、もちろん今年のオリンピックで頑張った選手たちにも共通するものではありましたが、連日どんどんパラ選手の世界に引き込まれていきました。

心から感謝です。そんなパラリンピックのほとんどを放映してくれた放送局にも感謝です。今回のようにオリンピックもパラリンピックも同条件でほぼ無観客で行われて、スポンサーの付くつかない、人気のあるないの概念が大きく変わってきたように思います。パリ大会でそれがさらに変わってくれるといいなと思います。

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ちんぷんかんぷん

わたしの職場では営業手段としてセンターのInstagramを始めることになりました。フォロワーを増やして受診者獲得の一助にしたり、予約キャンセルによって急に生じた空き枠情報をリアルタイムで発信したりするためです。

先日、それを行う許可を病院上層部の経営陣にプレゼンしてきた事務職のスタッフがその模様を報告してくれました。「会議の出席者の多くの反応は『外国語を聴いているようだ』『内容がちんぷんかんぷんだ』というものでした」と。そして、「その内容、本当に君たちのセンターの経営陣や室長たちは理解できているの?」と聞かれましたよ、と。「ちゃんと、一人一人に廻って詳しく説明したから理解できていると思います」と答えました、とも。

失礼な話である。少なくとも毎日何枚もの写真をアップしているヘビーユーザーのわたしの家では妻も仕事のPRのために最大限に駆使しているのだ。「”ハッシュタグ検索”って何のことか分かりますよね?」って? 今時、メールとLINEしか知らないようでどうしますか? InstagramやFacebookやTwitterを広告手段として如何にうまく取り込むか、少なくとも「ちんぷんかんぷん」と云っていたメンバーの直属の部下たちは毎日のようにSNSを駆使して発信をしていますよ。この機会に、こういう世界にも積極的に目を向けてほしいものですね。

 

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専門医研修会(4)

最後にメンタルケアの問題。

昨年の初めには深刻だったわたしの”うつ”問題は、新型コロナの猛威でそれどころではなくなって以降、時々小さな嵐がやってきますが、まずまず落ち着いてしまいました。

最近、意外に悩まされているには”不眠”です。時々入眠に時間がかかることはありますが、それは酒を飲み過ぎてついソファでうたた寝をしてしまった夜のことで、普通に起きていれればほぼバタンキューと眠りにつけます。睡眠維持は基本的に無理。なぜなら2時間ごとに小便に起きるから。でもベッドに帰ったらすぐに入眠できます。早朝覚醒についてはそもそも若い頃から毎日6時には起床するわけで、これが小便以外で早まることはありません(愛犬が5:50に目を覚まして騒ぐので、正式にはこの時刻です、最近は)。こう書いて見ると、酒さえ飲まなかったら不眠なんて問題ないじゃないか、と気付かされました。

ここでも問題は”酒”か。ということで、講演最後のテーマ『人間ドックでよく遭遇する精神疾患:アルコール依存症』。山本先生の解説する内容からするとわたしは全然アルコール依存症ではないようだ。「6症状中3症状以上過去12ヶ月間繰り返し経験したか?」というチェックリストでもたまに該当するのは1つだけ(飲酒のコントロールができない(典型は連続飲酒))だったし。でも、『健康のための12の飲酒ルール』(樋口進:厚生労働省HP)というのでみると、
1)飲酒は1日平均2ドリンク(純アルコール20g)以下
2)女性・高齢者は350ml缶ビール1本以下が目安
4)たまに飲んでも大酒しない
7)週に2日は休肝日
8)薬の治療中はノーアルコール
9)入浴・運動・仕事前はノーアルコール
あたりがちょっと耳の痛い内容。まあ、せっかくこんな貴重な講演を聴けたのだから、できることからコツコツとやっていきましょうか。

それにしても田舎の勤務医者にとってWeb配信は本当に助かります。学会についてはリアルに対面して直接参加者と話すことが重要だとおっしゃる先生方も多いでしょうが、せめてこういう研修会(特に単位取得のための必須研修会)は今後も是非Web学会でお願いしたいと思います。お金と時間がめちゃくちゃ節約できるんです。

 

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専門医研修会(3)

次に高血圧症のコントロールの問題。

私がアムロジピンを服用し始めてもう20年近いと思います。途中でコントロール不良になって薬剤を変更するかあるいは二剤併用にするか検討していた頃もありましたが、運動をしたり減量したり節酒したり早めに就寝したり、そんな生活療法で130台/80台になったりするものだから結局そのままで今に至っています。でも本当は朝から150台/90台になることも少なくなく、ご多分に漏れず何度か測り直して130台に下がれば「よしよし」と自分をごまかすこともしばしばなのであります。

神出先生の講演内容によれば、血圧は120/80mmHgを超えると脳心血管病発症や腎障害リスクが上昇し、死亡リスクも高くなるそうで、わたしの年齢の降圧目標は125/75mmHg未満・・・存じてますよ、まがりなりにもわたしは循環器内科医ですから。だから、本当は怖いのですよ。突然脳卒中で倒れるかもしれないから。でも、まあまあで行けてるじゃない?と素人みたいなことを云いながらズルズルなのであります。世間では臨床イナーシャという単語があるくらい、他の人もそんなに厳格にはいけてないのに皆が倒れるわけじゃないじゃない?。

ん~書いていてちょっと空しくなってきた。そろそろ内服の追加のし時かしら。あるいは生活療法・・・やっぱりわたしの場合は酒でしょうねぇ。「エタノール換算して男性20~30ml/日以下」は、350ml缶ビール1缶までなんでしょうね。年に3ヶ月間はちゃんと守れるんだから、やる気になればできるんだけどね・・・。

「あなたは、他人には厳しいけど自分には甘いよね」・・・妻の口癖が脳裏を駆け巡るのであります。

 

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専門医研修会(2)

この研修会に興味があったのは、別に人間ドックの結果説明時の知識を得るためではありません。どれをとっても私個人にとって切実な問題ばかりだったからです。

まずは食道疾患、とくに早期食道がんについて。

学生時代の抗生剤の飲み方が悪くてできた食道裂孔ヘルニアのせいで、逆流性食道炎はもはやわたしの盟友です。以前は胸やけや喉のつまり感が出てきたら飲み込むことに罪悪感を感じるほどにしっかり食べ物を噛んでいたら改善していましたが、最近はネキシウムのお世話になることもしばしば。「逆食は繰り返すと食道がんの素になるから気をつけて!」と受診者には云っているけれど、本音としては「まあ、逆食は慣れっこだから」と高を括っていました。掲げられた食道がんの危険因子の中には”逆流性食道炎”が書かれていないからバレット食道にならなければ大丈夫なのかな?とか思いながらも、炎症の繰り返しが問題ならないはずはない。幸い今は職場の職員健診で毎年胃内視鏡検査を受けるから、うちの優秀な内視鏡医は早期がんとかちゃんと見つけてくれるだろうけれど、退職後は要注意だよなと思います。

食道がんの危険因子のうち、わたしが問題になるのは
・男性55歳以上→×
・飲酒:大酒家、アルコール依存症→△~×
の2点、特に酒の問題は避けて通れますまい。喫煙+飲酒だと危険性が何十倍も激増するけれど今は喫煙はしないから一安心なのだけれど、さてさて、わたしの飲酒習慣のレベルは”大酒家”のうちには入りますのか? 

 

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専門医研修会(1)

定期コラムの原稿〆切が近づくと、どうしてもそれでいっぱいいっぱいになってしまって、なかなかブログに手が回らなくなりますが、やっと無事に原稿を提出できたのでちょっと落ち着きました。

先週末は、その合間をぬって人間ドック健診専門医研修会を受講しました。今回もWeb配信でしたのでフレキシブルに受講することができ、先週の土曜日の午前中を利用してしっかり勉強することができました。すでに資格更新のための必要単位数は確保しているわたしですが、今回は講演内容に興味があって受講申し込みをした次第です。

東海大学大磯病院の島田英雄先生の『食道疾患の内視鏡診断と治療~早期食道がんを中心に~』・・・早期食道がんの所見を眺めながら、普通の撮影ではほとんどどこだか分からないレベルでヨード染色や画像強調法画面にすると途端に広範囲に広がるがんが出現するものを見てしまうとちと怖くなります。気軽に「きれいですよ」「大丈夫です」とか云えないじゃないですか。

大阪大学の神出計先生の『高血圧治療ガイドラインに準拠した高血圧治療』・・・日本人の高血圧の特徴=「コントロール目標未到達者が多い」というのが耳が痛い。100歳以上の健康長寿の皆さんは皆血圧もコレステロールも血糖も良好である。「降圧なくして臓器保護なし、降圧しただけで臓器保護が得られる!」。超高齢者の問題はフレイルと認知障害である。若い時は血圧高値ほど認知機能が低下するけれど超高齢になると血圧が低いほど認知機能が低下する、という問題。そして、臨床イナーシャの問題。

東海大学の山本賢司先生の『人間ドックで注意すべきメンタルの問題』・・・不眠と不眠症の問題もさることながら、アルコール依存症(アル中)の内容はとても気になるところ。アルコール依存のチェックリストとか、「健康のための12の飲酒ルール」とか・・・思いの外しっかりと聴いてしまいました。

 

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舌打ち

「ちぇ!」「くそー!」「あーあ」

わたしはよく舌打ちをしたりため息をついたりします。そのたびに、傍らにいる妻が注意します。「ため息とか舌打ちや汚いコトバを使っちゃダメよ。『ことだま』って云うでしょ。そんなこと繰り返すと自分が不健康になるよ」と。都度都度注意されるので、かなりの信念を持ってだれかに教育されてきたのだろうなと思います。

でも、わたしは使います。あくまでも独り言ですから。こういうグチ系のコトバを外にはき出すことによって、わたしの体内に巣くったわだかまりやストレスがすべてはき出されているのがわかるからです。これこそ、まさしくわたしにとっての『ことだま』なのだと思っています。

 

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聞き慣れない音

先日、職場の非常階段を上っていたら階下で断続的に音がしていました。聴いたことのない音でしたが、とても聞き触りの良い心地よい音でした。

「何だろう? だれかのスマホの呼び出し音かしら?」などと思いながら無視して上っていきましたが、あれが何かのアラームだったら・・・と思うとちょっとゾッとしました。本当はちゃんと音源がどこなのか確認しなければいけなかったのではないかしらと反省したところです。

ですから、世の中のアラーム音、ガス漏れ感知器であれ、心電図モニターのアラームであれ、救急車の音であれ、スマホの緊急警報であれ、どれもがけたたましい大きな音であるのは大事なことなのかもしれません。そして何よりも、聞いたことのある音であるということが重要です。「この音が鳴ったら何か緊急事態なのだ」と条件反射できるのは、常に変わりなく昔から同じ音だからです。うるさい云って云って、耳に優しい(むしろちと心地よいタイプの)電子音なんかに変更しようものなら、世の中の大部分の人はたぶん反応しないでしょう。無骨でも煩わしくても、アラーム音は常に”アラーム音”でなければならないのです。

ところで、朝のあの音は結局何だったのだろう?

 

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立ち姿

毎日、帰るときにロッカールームで自分の全身像を眺めるのだけれど、いつのころからか、立ち姿(歩き姿)が”じいさん”なのである。それを妻に話すと、「もういい歳なんだから、”じいさん”で当たり前なんじゃないの」と笑われる。

でも、納得がいかないのである。毎日運動や食事に注意して健康を保つように留意し、「見た目のアンチエイジングが大切だ」と皆に云っているからこそ、自分の立ち居振る舞い、特に姿勢は意識して正しているはず。腰が曲がらないように背筋を伸ばし、脚もガニ股にならないように真っ直ぐ意識し、どこぞのエリート男性をイメージして歩いているはずなのに・・・どうみても"じいさん"なのである。

ちなみに、白衣を着ていると年相応より若く見える、と思う。歩き姿も立ち姿も颯爽としている(自画自賛するのもおかしいが、意外に自信がある)。なのに、私服に着替えた途端に”じいさん”になるのだ。”じいさん”的服装はしていないと思う。服もジーンズも5年前のと同じ(ヨレヨレになったでもなく)、マスクをしているのだから顔の皺やシミは見えないはず。何が違うのかしら。というか、どうやったら”じいさん”風体から脱却できるか。

ゴルフの時にユニクロの感動パンツを穿いてみた。実際の太ももは意外に太いのだがとってもスマートに見えた。でも、玄関の鏡に映る私のズボン姿は、萎んだ”じいさん”のそれである。そういえば、仕事帰りのジーンズ姿も萎んだ”じいさん”の下半身だ。そうか、太ももの後ろ側~ヒップ界隈に張りがないのか。ここは毎日のウォーキングやスクワットでは鍛えられないのかもしれない。どれ、ユーチューブでここを選択的に鍛える運動の仕方でも探してみるか。

負けんぞ!

 

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ヤバいよ!

自分の老化のグチばかりが続きますが、まじヤバいよ。

3日続きでしこたま舌を噛んだ。力一杯噛んだので、舌先から血がにじみ出てきて、いまだにジンジンしびれている。舌の脇を噛むことはあっても舌先をそんなに頻回に噛むのは珍しい、と妻に云われた。脳梗塞になったんじゃないの?とも。

さらに、ここ1、2週間、廊下を歩いていてつまずく頻度が異常に多くなった。何も障害物のない平坦な職場の廊下、意図的に散歩のためにウォーキングをしている最中だから、歩くことに意識が向いているにもかかわらずつまずく。まだ転ぶことはないけれど、明らかに自分の思っているほど足が上がっていないことになる。以前も書いたけど、だから意識して歩いているのに、意識して歩いていてつまずくって末期的ではないか?

ヤバいよヤバいよ~っ!

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生活指導の問題点

予防医療の世界で、わたしたちの最大の仕事は受診者の行動変容をもたらすための生活指導なわけですが、15年間この仕事に従事しながら、どうしても越えられない壁があります。

「結局は、食事制限ですね」「お酒を制限しろということですか?」・・・受診者自身の口からこういうコトバが出てきますが、これは世間の健康番組の普及の影響でしょうか。でも、わたしはこの『○○制限』というコトバがキライです。『○○制限』の発想は、病気治療の発想だからです。糖尿病や肝臓病など、病気になった人が”やりたいことをがまんする”という発想だから、病気になる前の人が使うコトバではないと思います。私たち”医療者”が医療の延長としての”予防医療”に従事するものだから、こういう発想をし始めた・・・これはわたしたちの責任かもしれません。なんとか、この間違った概念から脱却させたいと思うことしきりです。

また、「改善させるためにはこういうことをするとよい」などという『ハウツー』の提案が、どこか『マナー指導』のような感覚になってしまっていないか、という懸念もあります。「~すべきです」「~するのが正解です」みたいな云い方は、ココロが伴っていない感じがしませんか。改善させるために悩んでいる受診者目線で寄り添う云い方ではない気がしてならないのです。

考えすぎでしょうか。

 

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面倒くさい

やばいよ、やばいよ!

昨日、午後のドック結果説明中に、ふっと「説明が面倒くさい」と思いました。別に、特殊な説明を必要とする結果ではなかったし、受診者のキャラクターがしつこそうだったわけでもありません。でも、いつもしている生活習慣病の説明をしているときに、「別に話さなくても大勢に影響はないか。面倒くさいから端折ってもだれも困らないものな」という思いがわき上がってきました。

意外かもしれませんが、この仕事(人間ドック)を始めてこのかた、よほど体調が悪かったときでない限り、結果説明を「面倒くさい」と思ったことなど一度もなかったのです。わたしの天職ではないかと思うくらいに。

だから、なんかショックでした。もちろん、ちゃんと普通通りに説明をこなしましたが、この感情って、老化現象の兆しとしては意外に重篤なんじゃないのかしら。

くわばらくわばら。

 

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運動再開のハードル

「ずっと毎日歩いていたんですけどね、あまりにも暑いから危険だと思ってやめちゃった」
「毎日ジョギングするようにしてたんですけど、足首を傷めてから走れていないんです」

「膝が痛くて」「孫と一緒に生活するようになって」「愛犬が亡くなって」・・・運動習慣をやめた理由は千差万別です。人間ドックの結果説明のときに「運動不足か食べすぎかが原因ですね」というと、「待ってました」とばかりに返ってくる運動量低下の理由づけ。

きっちり運動していた分だけまだ何もせずにゴロゴロしているよりマシですが、さて、その運動習慣を再開させるのが意外に大変だということは経験した人なら皆よくわかるでしょう。もともと運動好きな人たちではありません(運動好きなら、なんとかして他の運動手段を工夫します)。やせるために、あるいは老化防止のために、やらなければならないからやっている運動なのだから、できない大義名分が生じたらこれ幸いとばかりにやめてしまうのが必定であります。

「暑いからやめた」運動の再開日は、いつか? 「涼しくなったとき」なのですが、そのXデーをどうやって決めるか。「気温が3日続けて○℃以下になったら」などというきっちりした日を決めたりはしない。「そろそろかな」と思った日からでしょう。でもそれを決めるのがむずかしい。1回やめたものを再開するのはめちゃくちゃ面倒くさいのです。「そろそろだな」と思うためには、早く再開させないとヤバいことになる!という何かが無いと始められないのです、普通の場合。うかうかしていると今度は寒くなってしまったりするし。

運動好きではない人が諸般の理由で運動を中断した場合、理由が解決したとして、運動を再開するタイミングは・・・禁煙を開始するXデー同様に自分で何かのタイミングを使って第一歩を踏み出さなければなりません。本当は、禁煙開始でも運動再開でも、別に「今日から」のXデーを決める必要なんてないんだとわたしは思っています。「ちょっと今から歩いてこようかな」で始めれば良いこと。翌日には何のかんのあって面倒くさくてやらなかったとして、翌々日にまた歩いてみて・・・よほどイヤでなかったら少しずつ習慣が戻ると信じます(禁煙だってそんな感じで十分・・・何度失敗しても翌日から再チャレンジする、それを続けていればほぼ禁煙)。

そのきっかけがなんであれ、せっかく始めた運動習慣ですから、こっそり(まさしく誰にも云わずにこっそり)再開してほしいと思います。

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危機回避反応

今日も今日とてよく降ります。こんな梅雨末期のような大雨続きの中で毎日家の中に閉じ込められているせいか、なんともいえない閉塞感に襲われています。なんか、2年前にこれからの人生を悲観してうつ状態になったときの絶望感でもなく、新型コロナが初めて急激に広がって著名人がどんどん亡くなっていっていたときの恐怖感でもない感情です。

おそらく、危機回避反応としてわたしのカラダがストレスに対して”慣れ”を示している様な気がします。わたしの今の落ち込む原因がひとつではないのです。出口のない新型コロナは感染の不安や周囲への疑心暗鬼だけでなく、これだけの経済支援や経済打撃の社会の中で自分は今後ちゃんと給料をもらえるのだろうか。もうすぐ定年だけれど、ちゃんと退職金をもらえるのだろうか。などという、ちょっと他人には云えない不安もある。突然襲ってきた線状降水帯の大雨は幸いわが家を逸れているけれど、日本中に広がって、国の支援にも限界はあるだろう。わが家は平地の高台だから雨の犠牲の可能性は高くないだろうが、築30年の家はあちこちで軋みだらけで・・・ちょっとした歪みで突然何が起きるか分からない状態なのが不安。何かが飛んできて窓ガラスが割れるだけで今まで経験したことのないことが起きるかもしれないのです。さらに、わたしが20年近く応援しているJ1チームが下のカテゴリーに降格しそうな状況で、毎試合期待するけれど勝ち切れないでいます。十数年前に初めてJ2に降格したときには最愛の恋人に振られたみたいな絶望感に打ちひしがれましたが、その後いろいろなことがあったおかげで打たれ強くなりました。「チームが存在さえすればそれだけでありがたい」・・・そうは思うのだけれど・・・。

ちっとも明るいニュースがない。どんどん朽ち果てていく方向しか見えない初老夫婦のこれからに、何かひとつでも明るく心躍る話題が降って湧かないかと思っている今日この頃なのであります。

 

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本当に非常事態?

線状降水帯に伴う豪雨は全国に広がり、今日のNHKは全部が災害報道のニュースに充てられていました。連日の新型コロナの報道を凌駕するほどの状態で、見るからに異常。それほどの大事なのでありましょう。

「これまでに経験したことのないような災害がすでに起きていてもおかしないような状況です」と何度も気象庁の担当者が繰り返し、「今すぐにでも命に関わるような災害に巻き込まれるかもしれないという危機感を持ってください」「安全を確保し、命を守る行動を取ってください」とアナウンサーが淡々と繰り返す。

これ、どこかで聞いたことのあるコトバの流れではないか? 「これまでに経験したことのない桁違いの感染増殖が継続」し「医療現場はもはや崩壊状態になってもおかしくない状態」だから 「最も危機的な状況だという認識を持って行動してほしい」「自分の命を守る行動を選択してください」・・・新型コロナの対策で毎日毎日淡々と語る首長たちのコトバと似ている気がする。

一昨日にバケツをひっくり返したような大雨に見舞われて、こんなのが1週間も続いたらノアの箱舟状態になるぞ!と恐怖感に包まれたわたしでしたが、正直なところ、今日一日中同じ単語をそれも興奮することなく淡々と聞かされ続けたら、どこか危機感が遠のいていく感覚に襲われてきました。これって、新型コロナ感染に対する自粛呼びかけと同じかもしれません。人間が恐怖に対する緊張状態を継続させることの限界を感じます。熊本地震以降、こんな未曾有の大災害に何度も見舞われてきました。当時は報道する側もされる側ももっと切羽詰まって興奮を抑えられない状態で局面に対峙していた気がします。それが、いつの間にか、同等かそれ以上の未曾有の大災害が起きているのにその都度今まで使われてきた定型文をただただ淡々と読み上げるだけになってしまいました。もはや、その定型文にはココロが含まれず、空洞の文章には人を動かすチカラは期待できません。

もっと、慌てましょうよ。新型コロナに関しても、専門家や首長達はどうしてそんなにコトバを慎重に選んでいるのですか。コトバを選びすぎているから、ちっとも切羽詰まった感が伝わらない。陳腐な定型文を毎日毎日淡々と語ったところで、何も伝わらないではないですか。いつもはもっと失言ばかりするじゃないですか。あの調子で、もっと慌てて血相を変えて訴えて下さいよ。

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日本健康文化振興会

日本健康文化振興会という団体があります。「健康づくりのための基礎調査・研究、福祉関連事業の支援、余暇産業施設の調査・研究、有識者による健康関係の懇談会や各種セミナー・講演会および広報活動を幅広く行っている」団体だそうです。

あまり知られていないかもしれませんが、わたしたち予防医療を生業とする仕事に従事する者には関わりは深く、わたしは10年以上前からこの団体のセミナーには積極的に参加させてもらっています。今年はコロナ禍のためにオンラインセミナーを受け、その内容は以前ここにも紹介しました(『つながること』2020.12.22)。

いつもとても勉強になる内容なのですが、このセミナーは必ずその後に冊子『けんこうぶんか』として発行されています。先日、その冊子が送られてくるとともにメールで紹介されてきました(会報誌『けんこうぶんか』)。そこには各会報誌がpdfでダウンロードできるようになっています。是非とも、ご覧下さい。

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宴会

先日テレビ局関係者のオリンピック打ち上げ宴会”事件”が起きましたが、あれは、参加したお嬢さんが明け方に2階から転落したから世間にバレたけれど、それさえなかったら秘密裏に終わっていたかもしれない(もっとも、窓から降りようとして落ちた彼女のことを誰も知らなかったというオチが付いていたようですが)。2次会のカラオケ店では「酒は提供していない」と云っているそうなので、2次会になってどんどん加わって来た連中は明け方近くまで酔っ払うほどの量の酒を持ち込んだということでしょうか。正直云っていまだにわたしは信じられないのですが、世の中の常識はこんなものなのでしょうか。”建前”とか”理想論”とかそういう感じ? どんな社内規則を設定していても、社会の中では率先して模範行動を行うべき立場と分っているはずの報道関係者や自治体の役場職員などが堂々と大人数の宴会をやっているわけですから、一般社会でももっと普通に行われていると考えるべきでしょう。楽しく仲間と飲んで騒ぎたいという欲求が満たされずに不満が溜っている世間の皆さんのストレスに対して、『打ち上げ』とか『送別会』とか、こういう行動を「しないわけにはいかない」「それは特別」という概念がいまだにまかり通っているのが現状というのが理解できない。マジメな皆さんがこれだけ我慢しているのに・・・と憤慨することばかり。

少なくとも、”コロナ差別”の誹謗中傷は絶対にやるべきではないけれど、こんな無責任な行動をした連中は皆でしっかりバッシングすべきだ!とちと過激になっているわたしなのであります。くだんのテレビ関係者は、ちゃんとクビになったのだろうか? 謹慎とか注意とかで終わらせているのじゃないのだろうか。骨折して入院しているお嬢ちゃんには入院中も退院後もとことん嫌がらせすべきだ! 以前の役場職員の歓送迎会をやった連中はちゃんと懲戒免職レベルの社会的制裁を受けたのだろうか。「むかしはヤンチャばかりやってました」と偉そうに語っている大御所俳優などと同じように、将来「そんなことして叱られたことがあるよ」とか笑って話せる日なんか、絶対に来させるなよ!と思う・・・ここにこんな過激なこと書いちゃいけないのでしょうが、これが一般庶民の一般的な正直な気持ちなのではないかと思います。

でも、わたしたちのすべきことは、彼らを負の見本として自らを戒めるべきでしょう。「今、地方に感染者が増えているのは、無責任な都会の連中が勝手に移動するから起きているんだ!」と怒っているわたしたちが、勝手に県境を越えて墓参りに帰ったり、プライベートのゴルフに行ったりしているわけです。「いや、これは全然違う次元だから」「ちゃんと感染対策しているから」とか言い訳しながら正当化しているわたしも、くだんの宴会民と同類なのかもしれません。 

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