太極拳と心リハ

太極拳が心リハの代替として有望

Medical Tribuneから届いた記事の見出しについ食いついてしまいました。心筋梗塞発症後や心臓手術後の包括的リハビリテーションの継続がいかに重要かということは、その筋の者ならだれでも承知していますし、患者さんにもそのことを告げますが、実際の継続は意外にむずかしいものです。大病を患ったあと、自分の体力への自信が消失していることや臆病になってしまっていることも原因ですが、そもそもリハビリというのは面倒くさくて退屈なものです。日本でも心リハの継続率が高くないことは問題になっています。もっとも、日本では相変わらず保険適応が切れた後の心リハを継続する場がないことがまずは問題なのでしょうが。

そこで、このアメリカブラウン大学からの報告。『心リハの代替として太極拳が冠動脈疾患(CHD)後の身体活動、体力、体重、QOLに与える影響や安全性を検討した結果、6カ月間の太極拳プログラムにより身体活動量が増加するなど、心リハの代替として有望であることをJ Am Heart Assoc2017;6: e006603)で発表した』『太極拳は、呼吸やリラクゼーションエクササイズのようなストレス軽減のメカニズムを通して心血管アウトカムに好影響をもたらす可能性が高い』と書かれています。

何となくこのオリエンタルで静かな動きが目先を変えてくれて楽しかったのが良かったのではないかと感じていますが、実は太極拳ってとても大きな運動量で、かなりの体力を要します。6か月間以降もそのまま太極拳を続ける人が増えると良いですね。そして、われらが少林拳にもおそらく同様の代替効果があることが推測されますが、どうしても太極拳に比べると”激しい所作”のイメージが邪魔をするのだと思います。是非こっちもどこかの施設が検討してみることを期待します。

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進化は退化(掲載文)

先日TV番組で、「昭和の人って電話番号をいくつも暗記していたんでしょ。信じられませんよね」と云っている若者。「650円を払うのに500円玉をもらうために1150円を払うなんて、気持ちが悪い」という女子アナ。そんなの見て「何云ってんだか」と思いましたが・・・定期の機関誌秋号が発行されました。先日長々と書いたものを、こういう形で1000字にまとめました。

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あなたは、小銭入れを持ち歩いていますか?  
あなたの小銭入れは、パンパンに膨らんでいませんか?

“小銭入れ”が認知症の予防と早期発見のキーワードだということをテレビの健康番組で知りま した。某予備校講師が「小銭入れには最低限の小銭しか入れない」とテレビで言っていたのを思 い出します。“最低限”というのは1円玉、10円玉、百円玉なら4枚まで、5円玉、50円玉、五百円 玉なら1枚まで・・・支払う時にきちんと計算して出せばこれ以上の小銭は必要ないというのです。 一方、面倒くさいので紙幣だけ出して大量の小銭を溜めてしまう人は、頭を使わないので認知症 になりやすいという警鐘。なるほど、合点がいきます。

ところが今、世間ではこの小銭入れの強烈な敵が蔓延っています。電子マネーです。チャージ さえしておけばカードをかざすだけで事足ります。ずっと頑なに拒んでいた私も、先日の東京出 張の時にPASMOを購入しました。Suicaと並ぶ代表的な交通系電子マネーです。それはそれは便 利。JRだろうが地下鉄だろうが私鉄だろうがコンビニだろうが、どこでもこの1枚で事足ります。 何より、経路図を見て運賃を確認して財布から金を取り出して券売機に入れて切符を選ぶという 作業が一切要らない。何を今さら、とバカにしないでください。こんなに便利になっているとは 思いませんでした。その後はおもちゃを与えられた子どものようにいつも持ち歩くようになりま したし、これを機に、その他の電子マネー付カードも積極的に使うようになりました。それが、く だんの健康番組を見たときにハタと気づいたのです。「確かに、まったく頭を使ってない!」… ゾッとしました。レジを待つ長蛇の列や電車の券売機の前でモタモタしないで済むメリットと引 き替えに、失っていくものはとても大きい。現代社会の便利さは電子マネーにとどまりません。 昔は誰でも10件は覚えていた電話番号は、携帯電話やスマホに覚えさせた時点で忘れていきまし た。カーナビは、地図をくるくる回しながら道順や位置関係を想像する作業を奪い取りました。 運動欲のない人間、2階に上るのにも目の前の階段を後目にエレベーター探しをします。便利を追 い求める限り、人間はますます退化を加速させるのだろうと確信します。

“考える”という努力をしないと「要らなきゃ捨て ますよ」とばかりに簡単に破棄されるのが自然の摂 理です。昔から想像されていた頭でっかちの未来 人の予想図は間違いで、本当は頭も小さくて空洞に なっていくのかもしれません。認知症などまったく 興味ないであろう若い世代のみなさん、お気をつ けあれ。

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明日講話の備忘録

予防医療は治療の医療ではない。そもそも病気が相手の医療ではない。病気にならないように注意することでもない。健康な社会の一員であることを自覚させ維持させる医療である。だから、もはやこれは”医療”ではない。

今の社会が病んでいるのは、「健康になるためには”がまん”しなければならない」と全員が思い込まされていることだ。

がまんの先に健康はない。
がまんの先に幸せはない。

健康が”当たり前”の社会に今一度戻るためには、まず、社会全体がそういう機運に動いて行かなければ意味がないのである。

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骨折の地域差

西日本は大腿骨もろい?

読売新聞に掲載されたデータから。骨粗鬆症財団の研究チームによると大腿骨骨折の発生率(大腿骨を折って手術を受けた人の発生状況を分析)は西に多くて東や北に少ないという結果だったそうで、一位の沖縄と最下位の秋田の間には2倍近い差があるとのことです。

納豆消費量だとかカルシウム摂取量だとか運動量だとかいろいろ考察されているのですが、何か腑に落ちない気がします。単純に、「南の人間の方が活発に動いているからその機会が多いだけ」とか「北の人間の方が動きが慎重だ(南の人間は行動がガサツだ)」とかそういう問題ではないのかしら。大腿骨骨折の発生数に対して手術件数に差があったというのならまだ分かるけれど、単なる件数だけの比較なのだから。

いや、別に、地元熊本や出身地大分の発生率が多いのに対してケチをつけたいわけではないのですけれど・・・。

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ベジファーストとカーボラスト

『食べ順ダイエット』はもはや糖尿病患者さんだけでなく多くの一般市民のコンセンサスを得た方法になりました。「同じものを食べるとしたら、最初にごはんを食べるのではなく、最初に野菜から食べて最後にごはんという順にした方が食後高血糖にならない」というもの。人間ドックの説明をしていても、実行している人はかなり多いです。

で、この方法について、ロカボ推進派で有名な山田悟先生の連載記事がMedical Tribuneに出ておりました。

食べ順ダイエットの要諦は野菜にあらず~「べジ・ファースト」でなく「カーボ・ラスト」

簡単に云えば、”食べ順ダイエット”の極意は、べジ・ファースト(野菜を最初に食べるの意)ではなく、カーボ・ラスト(糖質を最後に食べるの意)であるということを欧米においても示された、ということを書いています。だから、「最初に野菜を食べる」というのではなく、「炭水化物は最後にする」ということを強調してほしいというわけです。そりゃそうだ。「野菜が先ならいいとばかりにサラダを追加して免罪符のように食べる人がいるけれど、そんなのただの『食い過ぎ』ですからね」とわたしが云っていることを実証しただけ。というか、もともと大阪府立大から提唱された時点からそう云っているのに、いつのまにか野菜先(ベジファースト)だけが一人歩きしてしまった、これもマスコミの責任でしょうか。

山田先生の記事に中にあった『食物の選択余地が少ない東日本大震災の避難者などに対する血糖管理法というのはとても参考になるいいテキストだと思います。

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「病院総合医」

MedPeer朝日ニュースから配信された記事。

「便利屋」ではない 「病院総合医」育成へ

を読みながら、少しずつ着実に総合診療医の地位が上がっていくことを祈っております。『日本病院会(=日病、相澤孝夫会長)は10月3日の定例会見で、卒後6年目以降の医師を対象とした「病院総合医」の育成を来年4月から開始すると発表しました』『病院総合医を「高い倫理観、人間性、社会性をもって総合的な医療を展開し、将来の管理者候補として期待される人材」と位置づけ』られ、5つの理念と5つの到達目標を掲げているそうです。単なる"総合診療医”ではなく、最終的に『総合的な病院経営・管理能力があり、病院だけでなく地域医療にも貢献できる医師を育成する』ということなので、経営者としての育成も兼ねているようです。

専門医制がどんどん細分化し、エキスパートを目指す医師ばかりが増えて、「病気を見て人を診ず」となっている現在の医療現場を見直すために総合診療医育成に力が注がれるようになったのですが、やはりまだまだ「ジェネラリストはスペシャリストより格下」という風潮が世間一般だけでなく医者の中にも根強くあり、また「まずは自分の技術を磨き上げてからでないと」「まだまだ自分には医者としての経験と実力がないから」といいわけしながらジェネラリストになるのを面倒くさがる医師がまだ主流なのでしょう。たしかにジェネラリストになるためにはかなりの力量が要りますから、最初からそうなるつもりで研修していかないと専門職の延長上のリタイヤしてからの職だと思っている輩にはつとまりますまい。

もっとも、それに経営者育成の概念まで付け加えられると、ちょっと方向が違ってくるので、「それならいいわ」と敬遠する人もでてきましょう。わたしなんかはきっとそのタイプです。

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羽根休め

身近に昨年の地震以来いまだに体調が戻れず日常生活にも支障をきたしている人がいます。熊本のヒトのトラウマは大なり小なり消えることなく潜んでいます(我が家のワンの大きな音に対するうろたえ方を見る限り、それは人間だけでもない様子)が、それが不安神経症として低空飛行のまま回復できないことへの焦りで潰されそうになっています。

でも、それは無理のないこと。突然予期しない地割れがして穴の中に転げ落ちた。真っ暗闇の中を泥まみれになりながらやっとの思いで這い上がってきたところ。穴から這い上がったから、さあこれで昔のように飛び立てるぞと思ったら大間違いです。深い穴から必死の思いで這い上がるのに費やした体力は並大抵のものではないし、油断するとまた穴の底から吸い込まれそうになるのを耐えつづけなければなりません。消耗した体力を蓄え戻して羽を整えるためには、まだまだ多くの時間が必要です。

「まだ薬を飲まないとまともに眠れない」と悩むなかれ。
「薬を飲めば眠れるようになるまで回復した」と思うべし。

側の人間は、禅問答のように簡単にいうけれど、そう思えるように変化するだけでもそんなたやすいものではありません。そう実感します。でも、一進一退しながらも一年前より確実に前に進んでいることを、ずっと見守っているわたしにはちゃんと見えています。飛び上がる準備段階に移るまでには、もう少し羽根休めする時間が要りますよ。

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症状ないから?

人間ドックや健診結果から『要精査』『要治療』の判定をして診療情報書を送るのに受診しない人の言い訳の双璧は、相変わらず「忙しかったから」と「症状がないから」です。どちらも似たような理由づけなのですが、先日受診者本人から書面が送られてきました。

「健診結果の値が悪くて紹介状が出されていることは十分承知していますが、毎年同様の異常が指摘されているにもかかわらず全く体調は良好で、特別な症状もなく、わたしは『自分は病気ではない』と考えております。体調に何らかの変化があれば受診も考えますが、現時点で医療機関受診の意思はありません。どうぞわたしの意向をご理解ください」

いろいろ云いたいことはありますが、丁寧に健診機関に返事を書かれたことに敬意を表したいと思います。特に自分の希望で受ける人間ドックと違って、企業健診として自分の意思とは関わりなく受けさせられている人にとってはこういう想いの人は多いのではないでしょうか。

「どうもないから問題ない」の理論は予防医療の世界では論外であり(「まだ病気ではない」は正しいけれど「問題ない」かどうかはわからない)、わたしの専門領域である心臓や血圧の問題から出てくる症状はおそらく『突然死』とか『突然倒れる』とかいう類だと思われるのですが、本当にその程度の覚悟は持っているのだろうか、という思いはあります。個人事業者や国民保険の個人受診者の皆さんには、その危険性さえきちんと伝えておけば、その後の受診の有無は自己責任だと思うのですが、くだんの受診者のような企業健診の場合は管理者(会社)に責任があるので「受診してもしなくても本人の勝手」というわけにはいかないのです。本意ではないかもしれないけれど、会社で働いている限りは受診するまでずっと受診干渉せざるを得ない、というのが、わたしたちアウトソーシングを引き受けている施設の立場なのです。借金の取り立て屋みたいで申し訳ないのですが、そこのところをご理解くださいませ。

 

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運動の効能についてもコホート研究

30分×5日/週の身体活動で12人に1人の死亡予防~五大陸大規模コホート研究PURE study

Medical Tribuneで紹介された記事。経済水準が異なる国や地域の一般住民を対象とした大規模コホート研究PURE studyで身体活動と死亡や心血管疾患の発生との関連を検討した結果、国の経済水準の違いや身体活動の種類にかかわらず、身体活動量の増加は死亡や心血管疾患発生のリスク低下と関連する(1日30分、週5回の身体活動により12人に1人の死亡が予防できる可能性など)ことを発表した(Lancet 2017年9月21日オンライン版)、というものです。

『身体活動は低コストの戦略』『身体活動の促進は持続可能な健康をもたらす』などと大きな見出しが並んでいます。多動児であるわたしは、雨でも降らない限り毎日ワンの散歩を小一時間やりますから、普通にクリアする基準ではありますが、さてさて、”運動欲の存在しない人間ども”にとって、こんなデータはカラダを起きあがらせる起爆剤になるものでしょうか?

かくいうわたしも最近は必要以上に歩くことを極力控えるようになりました。身体活動をアップさせるために散歩の後にさらに小一時間一人で散歩して歩数稼ぎをするのが日課でしたが、どうもそれをすると翌朝からしばらく股関節と腰が痛くなって日常生活に支障を来すようになったのです。股関節痛と腰痛が起きるようになったのは他の理由だ!と他人に云ってますが、たぶん歩きすぎでしょう。運動の後のクールダウンやストレッチ、コンディショニングなどをきちんとすれば良いのでしょうが、運動を終えればそのままなのが日常。こういうデータは、動く習慣のない人に腰を上げさせる効果はありますが、それ以上に日頃から動いている人の活動量をさらに引き上げる危険性を秘めています。今でも十分なのに、「運動はすればするだけ健康にいい」と思い込んでいる輩(特に高齢者)・・・こっちのやり過ぎには警鐘をならしておいてほしいものです。

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コトバの使い分け

「先生 、おはようございます。今日は大変お世話になりました。どうもありがとうございました」などと深々と頭を下げたかと思えば、後ろを向いて「おい、〇〇くん、これを急いで片付けてくれ。こないだ指示しといた書類はできとるんか?」と部下を呼びつける。「おい、そこの坊主、これ食ってもいいぞ」と弁当残りを子どもに投げ捨てたりする。

ちょっと例が極端だけど、相手によってコトバ遣いを完全に変える人がいます。わたしはこれができません。家族や旧友以外では、よほど親しみを込めたい時でない限り、自分が上司だからとか、年齢が上だからとか、そんな理由で赤の他人にタメ語を使うことができないのです。小学生にも丁寧語を使って友人に笑われたこともありますが、相手によっていろいろ使い分けする意味もないし、上から目線で話しかけるほど自分は優れた人間だとも思わないし、そもそも自分の地位や年齢は相手には何の意味もないし、などと頭の中で考えてしまうのかもしれません。

だから、それを見事に使い分けることできる人を見ると、「ある意味すごいな!」と思います。まあ、別に憧れはしませんけれど、いつからそんな使い分けができるようになったのかちょっと興味はあります。彼らは、たぶん、常日頃誰に対してもタメ語を使っていて、仕事の時だけ外国語を使うときのように別のモードになるのでしょうかな。

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枯れ尾花

胸部レントゲン検査の読影をしていると、そこに実体がないのに何かがあるような気がしてならない時があります。「これは、異常陰影?」と思って所見を指摘するのですが、ちょっと間を開けてもう一度見直してみると、さっきあれだけ見えていた陰影が見えなくなる。「あれ、ただの骨か!」・・・こんな思い込みによる勘違いはよくあることで、見落とすよりは良いんじゃないかといわれるのですが、なんか腑に落ちない。どうして自分にだけ見えたのか・・・。

一方で、自分には何もないように見えたのに、二次読影の他の先生が読んだ所見に「異常あり」と書いてあったので見比べてみると、確かにそこには明確なカゲがある。カゲがあると分かったら、その後は何度見返してもそこには明らかなカゲが圧倒的に存在する。どうしてこんな明らかな異常が自分には見えなかったのだろう?と思うと凹んでしまう。

”幽霊の正体見たり枯れ尾花”

だから、人間ドックの画像読影は二重読影(複数の医者が別々に読影して一致するか確認する)が基本。分かっているけど、まだまだ未熟者な自分に喝!

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平均値のおそろしさ

「日本人の肥満が増加した原因はカロリーの取りすぎだと云われてきたけれど、それは間違いである。なぜなら、最近の日本人は健康志向の影響でカロリー摂取量は明らかに減ってきているにも関わらず相変わらず肥満も糖尿病も増加しているからである」という理論に対して、「個々の肥満患者を診ていると、彼らは確実に摂取カロリーが多い」「平均で変化がないのは、痩せ(特に若い女性)と肥満の二極化の結果であり、単に平均のグラフの動向から判断するのは早計である」と慶應大学の伊藤裕先生が一喝しているのを読みました(『アンチエイジング・バトル』坪田一男著、朝日新書 p26)

こういう類のデータ分析は以前からよく問題になっていて、諸般の理論のアンチテーゼを論ずるときにあえて同じデータの読み解き方の違いを指摘することが手法として行われます。基本的に医療の現場では統計学的検証で有意差を証明しない限り普遍的な事実しては認めてもらえないのですが、まさしく日本人の肥満統計はいい例で、極端に悪いものと極端に良いものとが同等に存在すると平均点として希釈されてしまう可能性はあります(バラツキの評価はできますが)。くだんの肥満とカロリーの関係についてはどっちが真実か存じませんが、こういう統計結果の評価の仕方で真逆の結論を導き出すのだとしたら、こと予防医療のための一般市民の生活の仕方に普遍的な理論を後ろ盾にしようとすることに無理があるのではないかという気がします。やはり、健康を得るのに理屈はいらないのではないかしら?・・・そんなことを云ったら、元も子もないか。

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アプリとパターン認識

スマホの普及により、健康管理のためのアプリケーションもたくさん開発されています。自分の日々の生活で食べているもの、感じていること、活動量、起床時間、睡眠時間など、目的によって違いこそあれ、ボタンを押していくだけで診断をしてくれて各々の診断に従った生活のアドバイスをしてくれます。この手のプログラムがちゃんと普及できるかどうかのポイントは、入力が簡単であることとアドバイスが適切であることだと思います。

わたしたちの施設でも大手メーカーの協力を得て活動量のアプリの使用を始めましたが、あれはちょっと扱い方が面倒なのでうまく普及できるかどうかは疑問です。ただ、そういう世界に関わってみて感じることは、結局診断もアドバイスもすべてが単なるパターン認識に過ぎない、と割り切られているのだということです。この条件とこの項目が合わされば診断はこれである可能性が一番高く、こういう生活パターンの人にはこういうアドバイスをしておけば良い。10年以上前に「こんなもの、単なるパターンですよ」とゲスに笑っていた理系男子のイヤな顔をふと思い出しました。

こういうことは、単純に割り切ることが肝要だということはよくわかっています。大事なことは診断よりもその後の実行できる細かい個別のアドバイスだけれど、そこに人は割けない。だから出来るだけ機械が答えてくれて人間が介在しないで良いようにしないと採算が合わない、ということも理解しています。わたしのように、「人間はパターン認識だけでは分類できない行動を取る。例外があるからこそ個性なのだ」と思っている人種には絶対に携われない世界だということも自負します。

学校教師をしていた父が生徒たちを数種類にパターン分けして単純にパターンごとの指導法をしながら「教育なんて簡単だ」と云い切っていた横で、子どもたちの各人の個性に悩み「どうやったらこの子の性格を活かせるかなあ」と毎晩頭を抱えながらいつに間にかうたた寝をしていたこれも学校教師の母の姿を思い浮かべ、結局父の生き方が勝ち組なのだろうかなあと思う今日このごろです。もっとも、母以上に不器用に育った自分、全然キライではありませんし、これからもそんな自分の想いを大切にして行きたいものだと思っております。

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「切り捨てる」ということ

白内障の手術を受けた義母は、洋裁を生業としています。手元で繊細な作業をするためにはメガネが必要でした。ところが、術後とてもよく見えるようになったので、眼鏡なしでもきちんと仕事ができるそうです。実は、本人は覚えていないようですが、レンズを合わせるときに、近くに焦点を合わせてもらったのです。運転をしたり映画を見たりすることがないお義母さんは日常生活でほとんど遠くを見る必要がないから、これで問題はない。その代わり、街で遠くから会釈する人がいても、誰だかわからない。わからないけどとりあえず会釈を返している、と笑いながら話していました。ここまで割り切っているなら問題はなさそうです。

でも、遠くも近くもどちらもそれなりに見えるようにしたいという想いでこしらえたわたしのコンタクトレンズは、結局どっちつかずで、どっちも見づらいし、高い金出して作った遠近両用メガネは、もっと使いづらい。止むを得ずコンタクトレンズしながら老眼鏡をかけることで仕事の書類の小さな文字は解決するけれど、そんな思いをしてまで目を使わなくてもいいやと思うので、最近本を読むことが極端に減りました。夜のサッカー場での生観戦なども微妙にアバウトにしか見えていませんし。

人生というものは、どっちかを切り捨てた方がスッキリすることが意外に多い気がします。そんなことはわかっているのだけれど、どっちを切り捨てる?という選択は、なにか意外と大変なことなのです。切り捨てないと二進も三進も行かないことは歳とともに増えてくるのだけれど、歳とともに切り捨てる勇気が無くなっていくもの。「もったいない」ではないの、「勇気」なの。

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アディポネクチンと骨折

血中アディポネクチン濃度の上昇が骨折の予測因子に-日本人糖尿病患者の大規模コホート研究を解析

超善玉ホルモン(あるいは長寿ホルモン)と称せられるアディポネクチンは今が旬とばかりにあちこちで研究されていますし、うちの施設でも人間ドックで測定を始めました。当然インスリン機能を改善させ動脈硬化を予防するこのホルモンは「多いに越したことがない」と思っていましたし、皆さんにもそう説明してきました。

ところがどうも、アディポネクチンは骨折リスクを上昇させるのだと。『アディポネクチンとその受容体はヒトの骨芽細胞にも発現するため骨代謝にも大きな影響を及ぼすと考えられている。これまで糖尿病がない男性では、血中アディポネクチン濃度の上昇は骨折リスクの増加と関連することが報告されている』『大規模な前向き疫学調査である福岡県糖尿病患者データベース研究(Fukuoka Diabetes Registry;FDR)のデータを用いて、血中アディポネクチン濃度と骨折リスク(全ての骨折および骨粗鬆症性骨折)との関連を調べた』ところ、『閉経後女性を含む2型糖尿病患者では、血中アディポネクチン濃度の上昇に伴い、骨折全体のリスクだけでなく骨粗鬆症性骨折を来すリスクも高まる可能性がある』ことがわかり、さらに『閉経後女性と男性における骨折のリスク因子を調べたところ、両者の骨粗鬆症性骨折の有意なリスク因子として高アディポネクチン血症(血中アディポネクチン濃度が20μg/mL以上)が浮かび上がった』というのです。

血中アディポネクチン濃度が20μg/mL以上というのは、NHKにして「100歳まで生きる選び抜かれた人」なわけじゃないのかいな?

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へふれふ、へふぺふ

先週末に大阪で行われた第65回日本心臓病学会学術総会に参加してきました。循環器救急の現場から離れて15年以上が経ち、小さな研究会や画像系の学会を除けばこの領域の学会に参加させていただくのは本当に久しぶりでした。

で、今回の学会で初めて知った単語。「ヘフレフ」と「ヘフペフ」。事もあろうに、今の仕事では絶対にお目にかかれないであろう『心不全』のシンポジウムになんとなく引っ張られるようにして入ってしまったら、最初からこの単語。「なんとも滑舌の悪い医者だこと」と思うたら、これが正式な発音なんですってさ。しかもそんなこと常識らしい。さっそくこっそりスマホで検索。

欧州心臓病学会(ESC) が作成した「急性及び慢性心不全の診断と治療ガイドライン2016」の改訂版では、従来から大きく二分されていた左室駆出率(LVEF)が低下した心不全(heart failure with reduced EF:HFrEFヘフレフ)とLVEFが保持された心不全(heart failure with preserved EF:HFpEFヘフペフ)との間に、LVEFが「mid-range」の心不全(heart failure with mid-rangeEF:HFmrEFミッドレンジ)が新たに加わった”(「心不全の薬物治療の最前線」から)

さーて、ちんぷんかんぷんだぞ。その「従来から二分されていた」というのが、ヘフレフとヘフペフのようである。「ヘフレフ」が左室収縮力低下にともなう心不全で、「へふぺふ」が左室拡張機能障害による心不全(左室収縮力の低下がない )なんだと? わたしの知っている心不全の概念は、「心不全はまず拡張不全から始まって進行すると収縮不全になる。だから初期の段階ではなかなか見つけられない」というものだったのに、いつの間にかこの2つは別の概念であるということになっている。どうも2011年あたりからそうなったみたいですが、これはほとんどカルチャーショック的衝撃。昔の理論で作ったスライドで偉そうにレクチャーしていたのが恥ずかしい。やっぱり、数年に一度はトレンドの学会には出ておかないと、浦島太郎というか化石扱いになってしまうな、と痛感しました。

ちなみに学会で仕入れたヘフペフの知識メモ。ヘフペフでは心エコー上、左室長軸方向の収縮力が低下する所見が確認され、因子として糖尿病、高血圧、肥満が関与している。また、年齢とともに低下して特に高齢女性は注意を要する、だそうな。

 

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階段の使い方

先週末は大阪で学会でした。まあ、関西はエスカレーターの右側に並び、関東は左側に並ぶという文化の違いにはすっかり慣れて、駅でもデパートでも違和感なく周りの皆さんの流れに乗れるアラカン親父。最近は「エスカレーターで歩くべきでない!」が話題になっているからか、大阪駅も新大阪駅も前より歩く輩が減った気はしました。もっとも、ゴロゴロ転がしていた割には駅であまりエスカレーターに恵まれず、階段ばかり使わされた感はありますが。

で、学会場。関東で総会がある時は大部分が左側並びなのでほとんど気にならないのだけれど、関西で全国学会があると関西の人は迷うことなく右側に立ちますよね。今回の会場だったグランキューブ大阪は12階までフルに使うので移動が多く、それでも箱がキライなわたしはほとんどがエスカレーターで行ったり来たり(階段使いたかったけど非常時以外は使わせないぞ感満載だったので断念)。自分の前に乗っている連中が右に立つか左に立つかでどこから来た連中なのか推測して遊んでいました。

そんなわたしは、1日目は左からの右側修正。2日目は午前中右側で午後左(前がみんな左だったから)、たまに真ん中にしてみたけれど、やっぱり手すりを握ってないと不安だから最後は左に落ち着きました。

こういうのも、意外に頭の体操になるものよ(笑)

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高齢者の人間ドック

高齢者に人間ドックは必要なのか?という議論はずっとあります。「80歳以上に人間ドックは不要!」と云うと、「年寄りを切り捨てるのか?」と怒る人がいるけれど、それは大きな間違い、というか誤解です。

日本の医療技術水準は高いので安全度は他の国に比べれば高いでしょうが、それでも人間ドックは身体に負担をかける検査をたくさんします。胃カメラだって大腸カメラだって子宮体がん検査だって、身体の中に異物を挿入する検査です。固い医療器具が粘膜を擦るのですから必ず傷をつけます。何らかの異常のために必要に迫られて行うわけでもないのに、身体に傷をつける危険性に対して無頓着すぎです。細胞が歳をとると回復にも時間がかかります。

検査で異常を見つけるメリットと検査で身体が傷つくデメリットとどちらが上か? 歳を経るほど細胞が劣化するのだから、若い人より病気を見つけ出す可能性は高いはず。それを病気と云っていいのかどうかは議論のあるところですが、異常値は確かに歳とともに多くなるでしょう。でも日々をきちんと過ごしておれば、そのほとんどは治療を要しません。それでも気づかずに進行がんなどを見つけたとしたら、おそらく根治術の適応ではありません。そうなると、治療もしないのに病気を見つけるメリットは果たしてあるのか・・・「自分は病気だ、でも治せない」では、存在が気になるだけ損なのでは?

乱暴な書き方をしましたが、年齢が上がるほど身体の異常は増えてくるし不調も増えてくるのが摂理。それならば通り一遍のスクリーニング検査に身を晒すのではなく、自分の身を任せられるホームドクターをしっかり持ちながら、日々の体調の相談をするのが得策ではないだろうか。

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無駄な検査~CEA検査

多くの人間ドックのメニューに腫瘍マーカーとしてCEAというのがあります。CEAは、carcinoembryonic antigen(がん胎児性抗原)の略称で、胎児の消化器の粘膜組織に存在するたんぱく質のこと。出生後は極微量になるはずのこの物質が異常に増加すると、大腸がんや肺がん、胃がんなどの存在する危険性があるため、がんのスクリーニング検査として人間ドックに入れられています。

ところがこれ、肺がんや大腸がんだけではなく、肺や甲状腺の炎症でも上昇しますし、膵臓や胆のうや耳鼻咽喉科領域のがんでも上昇することがあり、前立腺特異抗原であるPSAほど決め手のある検査ではありません。

CEAが異常高値だと、必ず大腸ファイバーと肺CT検査を精査として受けることを要求し、そこに異常がないと他の臓器のさらなる検査を検討しなければならないことになります。CEAだけを保険診療で定期的に検査することは禁止されています。費用と時間を費やしていろいろ調べた挙げ句に問題なかったとしても、その異常高値の値だけが残りますし、おそらく翌年も異常高値でしょう。正体も分からないのに毎年のドックの度に心が凹みます。喫煙者はたばこを止めれば正常化する人が少なくなく、この場合はまさしく肺の慢性炎症の表れでしょう。

一方、諸検査をして大腸がんや膵臓がんや胆管がんなどを見つけて治療した人もいます。でもすべてが進行がんです。CEA検査をしなくても、人間ドックでは腹部エコーや便潜血検査をしますのでそのレベルであれば他の検査で見つけられる可能性が高く、CEAだけで見つかった例はほとんどない・・・予防医療として早期がんを発見できるスクリーニング検査ではないのです。

となるとこの検査、心を凹ませるだけの存在でしかなく、商品を売る営業サイドとしては残しておきたい顔をしていますが、そもそも健診やドックでのスクリーニングとしての存在価値はないに等しいと云えます。検査さえしなければ心安らかな人生を送れる人は意外に多いことを知っているだけに、この検査、「止めてしまえばいいのに」というのが医局の意見です。

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無駄な検査~糖負荷試験

人間ドックのメニューの中に75グラム糖負荷試験があります。空腹時の血糖採血やヘモグロビンA1cなどでは異常がないのに、インスリンの出方が一歩遅く(インスリン初期分泌不全)て食べた後だけ血糖が上昇する『食後高血糖(耐糖能異常)』を呈するヒトが日本人にはたくさん隠れています。いわゆる糖尿病予備群というやつで、「この時期に動脈硬化が一気に加速度を増すので、この時期から生活習慣病の改善に心がけましょう」ということで行われている検査です。検査は75グラムのブドウ糖を飲用して、その1時間後と2時間後に採血検査をするだけです。

この検査、糖代謝異常(インスリン反応の異常)の体質があるかどうかを調べる検査であって、その時点での糖尿病の程度を確認する検査ではありません。以前も書いたことがありますが、日々精進した成果を糖負荷検査で確認しようとする人(「これだけがんばっているのにどうして正常にならないのか」と悩む人)がいますが、それはこの検査ではわかりません。前回検査したときに正常だった人は、歳を取ってから表に出るかもしれないから何年かに1回は受けても意義がありますが、一旦糖代謝異常の確認ができた人にとっては、その後何度受けてももはや何の意味もありません。お金を払って受ける権利があるから断ることなく行っていますけれど、あんな甘いジュースを無理矢理飲まされた挙げ句に2回も針を刺されて痛い思いをさせられる分、損だと思います。人間ドックのメニュー、イヤだったら受けなくても良いんですよ(企業からの必須指示でない限り)・・・お金は戻りませんけれど。

日常生活をする上で、自分の生活療法がうまくいっているかを確認するなら、通常の生活をした上での食後2時間血糖をヘモグロビンA1cと一緒に外来で測定してもらうことだと思います。

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カットオフ値は11個

「1分間に思い出せる動物の名前の数」でインスリン治療の可否を判定

CareNetの配信記事を続けます。『「1分間になるべく多くの動物の名前を思い出す」という簡単な記憶力テストの結果で、高齢の2型糖尿病患者がインスリン治療を自己管理できるかどうかを判定できる可能性があるとする研究結果を、横浜市立大学大学院分子内分泌・糖尿病内科学教授の寺内康夫氏らの研究グループが発表した。』というもの。

このテスト、脳ドックの前頭葉機能検査で必ずやるやつなのでよく知っています(言語流暢性課題(verbal fluency test)というらしい)。わたしなんて、5、6年前に脳ドックを受ける前日に練習していったのに15個めの名前が出てこず(順調だった「花の名前」、ところが30秒目のところで頭に浮かんだ「ユリ」の単語が出てこないままその後30秒間沈黙しました)にとても凹んだ思い出のあるテストです。『1分間に動物の名前を「11個以上」思い出せると、その患者は1週間以内に自分でインスリン治療を管理できると予測される』とのことなので、一応わたしもインスリン自己管理をする権利を得ることはできたみたい(もっとも、60歳以上が対象だからわたしが検査した歳ではもっとたくさん云えないとダメだったのかもしれないけれど)。

とりあえず、『カットオフ値は11個』というのを覚えておきましょう。

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マグネシウムの効果

食事からマグネシウムを多く摂るほど心筋梗塞になりにくい

日本人を対象に行った『多目的コホート研究(JPHC Study)』は今が旬。その解析のひとつが報告されています。『魚や果物、野菜などのマグネシウムを多く含む食品をよく食べる人ほど、心筋梗塞などの虚血性心疾患を起こしにくい可能性があることを、国立がん研究センターと国立循環器病研究センターらの共同研究グループが発表した』『マグネシウムが不足すると血圧の上昇や脂質異常、動脈硬化の進展などがもたらされるため、摂取量を増やすと虚血性心疾患の予防につながる可能性がある』というものです。

マグネシウムが虚血性心疾患予防に有効であることは欧米からすでに報告されているので周知の事実でしょうが、これがアジア人、とくに日本人の住民調査で実証できたところが重要なのだそうです。

で、このCareNetの本文に何度も出てくるところの、『食事からのマグネシウム摂取』というのが気になるのですが、これはもちろん調査自体が食事の解析しかしていないからなのでしょうが、言外には「あくまでも食事から摂った場合のことであって、これを安易にサプリか何かで補充しても同じ効果になるかどうかわからないぞ」というコトバが隠れていると読み解きました。

で、具体的には何をたくさん食っている連中が良い結果をもたらしたのでしょうか。

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好きなものリスト

ここでも何度も云ってきました。

「食いたくもないものは、食うな!」

優秀な栄養士さんや保健師さんのおかげで”食べず嫌い”を克服できたとして、それがホントに単なる”食べず嫌い”で、食べてみたら飛びつくほどに美味しかったというのであれば別ですが、「キライで食べられなかったものがちゃんと食べられるようになった」というレベルで、その後どこかのお店で数あるメニューを並べられたときにその中からあえてそれを選ぶなんてことはありえないと思うのです。少なくとも、わたしはそんなことはまずしません。

どんなに「カラダにいいよ」と云われても、食いたくもないものを大量に並べられたって、食べるはずがないじゃない・・・ため息ついて食べるくらいなら食べない方が健康だというのがわたしのポリシー。料理を理屈で食ったり作ったりするのは最初のお試し期間だけで十分だと思います。そのときに心踊らないものは、きっとその後も絶対に自分の好きなものリストの中に並ぶことはない・・・それが真実ではあるまいか。

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独りよがりの正義

うちの職場では、当番の事務員さんが朝一番に診察室のパソコンを起動して回ってくれます。定刻にドクターがすぐに仕事を始められるように、です。でも診察室によって若干仕様が違っていて、特にわたしの部屋のパソコンの立ち上げルールはちと複雑です。パソコンが二台あって、一方は電子カルテと心電図判読用システムが、もう片方のパソコンには人間ドック業務用のシステムが入っていて、その各々で準備が違うのです。

最近はほとんどみなさん間違わずにできていますが、一方しか立ち上げてなかったり、立ち上げ方が逆だったりして、一からやり直さなければならないことが、1、2週間に一回くらいあります。

「あらあら、今日は新人さんが担当したのかな」とか独り言を云いながら再起動します。昔は、「どこがどう間違っていたから気をつけてね」というメモを残したりしましたが、今はそんなことはしません。本来の自分の仕事でもないことをしてくれているのだし、たまに担当になって特殊な起動パターンを覚えるのは大変だもんね、と思うと申し訳なくて・・・。

「何だよ、こんなこともちゃんとやれないのか!」と目くじら立てて怒鳴る、某会社の社長さんや管理者のご歴々がおられますが、エネルギーがあるなあと感心します。わたしのような下っ端の中間管理職のオヤジには経験がないからよくわかりませんが、あれは、部下を支配下に置いておけていることへの優越感を味わいたいためのパフォーマンスなのかしら。でも、たしかに若いころのわたしも声を震わせて叱っていました。「この程度のことができずにどうするんだ。こんなことすらできずに、まともなことができるはずがないじゃないか!」と思っていたし、だから自分は憎まれ役になって、教育のために𠮟ってやっているんだ、という自負がありました。そんな自分の信じていた『正義』が、独りよがりだったのではないかという想いに至るようになった今日このごろです。

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何のために生きる

健康のためには、10000歩歩くのがいいのか8000歩がいいのか、それとももっと少なくていいのか?

炭水化物を摂ると心筋梗塞になるけど脂肪を取るとかえって脳卒中は減るというデータが発表されたらしい。ということは、炭水化物をゼロにして脂肪ばかり取れば健康になる!ということか?

歳を取ってから退化する筋肉は平地歩行では使われない筋肉だから、平地をいくら歩いても老化防止効果はない。階段や坂道を歩くかジョギングしないのなら、運動するだけ無駄だということになる?

今の健康情報は徐々にマニアックになり、アンチテーゼも強烈なので、健康情報を集めれば集めるほど、「健康になるためには何をしたらいいのかわからない」という輩が急増している気がします。わたしたちも、「どっちが本当なんですか?」と受診者に詰め寄られる経験は幾度となくあります。

でも、ちょっと気持ちを緩めて、自分の姿を俯瞰図で眺めてみましょう。なんか、バカげてると思いませんか。皆さん、一体何のために生きてるのでしょうか。努力してガマンして「これをすると健康になれる」という理論に右往左往する・・・健康を得るためにそんなガマンをしても、その先に本当の健康があるとは到底思えませんし、そんな「健康」って、何?という気になる今日この頃のわたしです。

わたし、病んでますか? まあ、健康オタクの皆さんに比べたらはるかに健康だと自負しています(笑)

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続・思い出の整理

バッテリー消耗が速くなったのを機に、スマホを新しいのに更新しました。そのデータのバックアップの作業をするにあたり、撮りっぱなしだった写真を整理しました。今のiPhoneを使い始めた2013年3月から約6500枚の写真。一枚一枚確認しながら削除して、結局1000枚ちょっとまで削りました。

削除したのはほとんどが酒の写真や料理の写真。「あってもなくてもいいな」と思って削除。あちこちのお店に行ったときのお店の看板も削除。結局、日々ことあるごとに玄関先で写した自撮り写真とワンたちの写真(2014年に亡くなったワンの写真もありました)、そして去年の出雲大社旅行と今年の姫島・国東旅行の写真だけになりました。

すっきりはしたのだけれど、この残した写真を眺めながら、「これも、あってもなくてもいいな」と独りごと・・・この写真を残しておいたところで、見返す可能性は極めて低いと思うのです。パソコンにはもっと前からのモノもすべてバックアップしてありますが、これもおそらく起こしてみる可能性はほとんどない。今や、紙媒体のアルバムも引っ張り出すことはない。子どもや孫でもいれば将来見返してくれることもあるかもしれないけれど、遺品として残しておいても意味はなく、夫婦でスマホを覗き込みながら思い出に浸る光景など想像しようとしても微塵も浮かばない。

世の中が便利になって、何でも残すことができるようになったから残してみてはいるけれど、そろそろ身辺整理していかねばと思う今日この頃、ふと家の中を眺めていると、何もかもが要らないものに見えてきます。過去の記録など何も意味がない。今必要としているモノ以外、全部捨て去っても何も困らない・・・そんな気分であります。

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雨音

夕暮れの湖畔の道を散歩する。猛暑の夏が過ぎて、陽が落ちるとしっかり秋らしい。

歩いていたら雨がパラパラと降ってきた。疲れていたからゆっくり歩こうと思っていたけれど、傘を持っていないので、かえって早足になる。まあ大した雨ではないので、そう焦ってはいないのだけれど、ちょっとだけ走ってみたりなんかする。そうしていると、公園の中に木立ちが密集する場所があったので、雨を避けるためにちょっと木陰に入ってみた。そしたら、雨音が激しく響き始めた。雨脚が強くなったのではないようだ。広い公園の小径を歩いている間には聞こえなかった雨音が、木々の葉に当たって響いて聞こえるのだ。この雨は、意外に強いのだということを、その時初めて知った。

こういうことって、実は世間にはたくさんある。自分は大したことではないと思っていたのに実は世間では大騒動になっていたり、あるいは逆に、実は大したことではないのに世間が騒ぐので一緒になってココロを騒がせてみたり・・・この世のすべてのモノが本当は主観的で相対的なものだということを思い知らされた気がした。

また一歩、悟りの方向に歩を進めたようだ。

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清潔の概念の戦い

「大丈夫か、現代日本?」

スーパーの惣菜の大腸菌騒ぎで、再びこんなことを叫んでしまったわたし。これをきっかけに、再び必要以上に極端な滅菌生活が強化されてしまう。「手にどれだけ菌が付いているかを目で見ることができるスマフォアプリが開発された」という話をTVニュースで見ました。そんなものダウンロードしようものなら、気持ち悪くてどこもかしこも「滅菌、滅菌!」・・・家中で消毒液をぶちかまし、下手をすると消毒液を飲むヤツまで出てくるのじゃないかと心配になります。

どことかの町で小中学校の給食弁当に異物混入が続いていた、なんてことは次元の違う論外さがありますが、今の衛生概念は根本が間違っている気がします。人間(あるいは動物)は、もともとそんなヤワな構造にはなっておりません。細菌やウイルスとは常に共存してきました。腸内フローラで有名な腸内細菌叢もそのひとつ。今回の問題になった大腸菌は、決して特殊な形のやつではないのに・・・。利用者が感染したのは、利用者の抵抗力がおかしいだけなんじゃないの?なんてことは、医療者は決して公では云えないけれど、絶対アタマの中では思っていると思う。宿主側の抵抗力が落ちているから感染する。でも、感染例が出るとさらに極端な滅菌指導が始まり、一層各人の体内に共存してきた細菌群が消えて行き、その都度各人の抵抗力が低下し、そしてまた大したことでもないことで感染の集団発生が起きる。

悪循環の典型だと思います。おかあさん方、きっと何かが間違っています。子どもたちをこれから強い子に育てようと思うなら、滅菌攻勢で守ってあげるのでは逆効果だと思います。この考え方、間違っていますかねえ。

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運動をしない理由

昨日、ワンの散歩の後に小一時間、本当に久しぶりに一人で散歩をしました。ワンが工事の音を怖がって近付かなくなった公園の池のほとりを、日暮れ時に歩きながら、1年前まではここを毎日歩くのが日課だったなあ、などと思い返しながら。でも、正直、きつかった。途中から雨も降り出して、ここまで来たことを密かに後悔しました。

人間にとって、「運動をする」ということは、簡単なようで意外に大変なことです。もともと「人間には運動欲はない」から、しないで済むなら絶対にしない。言い訳が思いつける限り絶対にしない。それが”運動”であり、それが”人間”なのであります。

などと、エラそうにその理論を逆手にとって、「しょうがないもんね」とばかりに運動しなくなっていました。1年前に活動量計を抱えていた頃は毎日意地でも10000歩歩きたくて、職場の病院を用もないのに隣りの棟まで日に2回も散歩しに行ったりしていたのです。なのに、たしかに、今は超面倒くさい。「しなきゃな」という気持ちにもならなくなって・・・診察室のある4階までの階段はさすがに毎日使っていますが、それ以上「ムダに動く」なんてことしたくない。全然そんな気にならないんだもの、だってほら、人間には運動欲という欲は存在しないのだから。

”人間には運動欲という欲はない。ただし、動かないと退化する。面倒くさくなった瞬間から年寄りになる” 

そんなこと、百も承知なんだがなぁ。

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アドバイスはどっちが妥当?

人間ドックの結果を説明していると、コトバを選ぶのに悩むことがたくさんあります。

更年期を迎えて、女性ホルモンが動き始めた妙齢の女性。「これからいろんなことが起きてくるお年頃だと覚悟しましょう」と云ったら、神妙な顔をして「はい」と答えてくれましたが・・・。「そんなことには負けずに頑張りましょう。『もういい歳だし、こんなもんやろ』と思った瞬間から歳をとり始めますよ」というべきか、あるいは、「自分の生き方が悪いのではなく、そういう時が来たのだから、暗くなったり抗ったりしようとせず、うまく受け入れましょう」というべきか、と悩むことが多くなったわたし・・・どちらのアドバイスの仕方が、良いのだろうか? 『アンチエイジング』とは、どちらのことを云うのだろうか?と。

「カラダの中にエネルギーが余っているのだから、食べなくても生きていけます。無理して食べないようにしましょう」というか、「食事は理屈ではありません。キライなものは食べずに大好きなものだけをしっかり味わって食べましょう」というか・・・脂肪肝や糖尿病の高齢者にはどちらのアドバイスが妥当なのだろうか?

筋肉は破壊させたものが再生するときに大きくなるのだから、筋トレは限界を越えてしないと意味がありませんが、やりすぎると筋肉はただただ衰えるだけ・・・その理屈を、頑張りたがる高齢者に指導するには、何と云ったらいいのか?

相手にもよるのでしょうが・・・。

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