鎌田先生インタビュー

このブログ(ココログ)の編集画面の右上に「ココログからのお知らせ」という欄があります。ほとんど見たことのないスペースですが、記事を書いていると、どうも視界の片隅に見覚えのある文字が・・・「医者・作家 鎌田實さんのスペシャルインタビュー前編公開です!」・・・なに?わたしの尊敬するあの鎌田實先生のことかい?これは大切です!早速拝見いたしました。

Special インタビュー <できることをやればいい>鎌田實さん
http://celeb.cocolog-nifty.com/interview/2009/11/vol80-559f.html

<できることをやればいい>・・・この肩肘張らないスタンスが、彼の人生を支えた基本なんだと思いますが、でもそれは彼だからできたことなのかもしれない。そんな気がします。 でも・・・みなさんに是非読んでいただきたく、あえて今日はこれを写しました。

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「景気が悪いとか、会社の業績が悪いとか、大企業に入れなかったとか、それでダメかっていうとそうじゃない。自分がダメだって思ったときが本当にダメなとき。『変な会社に入っちゃったけど、俺がよくするぞ』とかさ、志を持っていれば絶対に何とかなる。いま、あまりいい環境じゃない中で鬱々としてる人がいるとしたら、それは凄いチャンスだってことに気付いてほしい」

「ダメなことには理由があるんですよ。僕が着任した病院もダメな病院だった。そういう所は、当たり前のことができていないんですよ。当たり前のことをやっていると、必ずいい方向に動いていく。実感としてよくなったことが見えてきたらしめたもの。仲間が集まってきて『じゃあ、ちゃんとやるか!』という大きな流れが生まれてくるんです」

---旅をするうえで一番大切なことは何ですか?
「感動することです。人間は感動すると、幸せホルモンとも言われているセロトニンが分泌されます。旅は感動の連続。心に余裕がなかったり、行き詰まったと感じているときほど旅に出たほうがいいと思います」

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腹一杯っ!

うちのセンターの最上階に展望レストランがあります。このレストランは、人間ドック受診者しか利用できません。そして、このレストランの料理がとても人気があるのです。ここで食べたいからという理由で毎年人間ドックを受けに来るという方は少なくありません。

先日、その展望レストランで「試食」をしました。スタッフ医師である私たちですら、年1回程度のこのときだけしか人気の料理を食べることはできません。一般の方に混じって、いくつかあるメニューの中から「和食セット」を注文しましたら、ほどなく、とても落ち着いた和皿に上品に盛られた料理が盆に載せられて運ばれてきました。

さすがに味は三ツ星レストラン並で、もちろん完食させていただきました。ただ、半分も食べないうちから腹一杯になってきました。昔、「健診受診者は朝から何も食べていないから少し多めに作るのです」と云っていた頃がありましたが、まさか今どきそんなことをする施設はないでしょう。だって、朝を食べていないからといって、昼に高カロリーを食べることは百害あって一利なし、なのですから。なのになぜこんなに腹一杯なのだろう?と考えました。大したカロリーでもないのに腹一杯になった理由は、きっと食物繊維の料理ばかりだからだと思いました。とにかく噛むしかないのです。小さな小鉢は持ち上げにくいので箸で摘むしかなく、そしてとにかく噛まないと飲み込めないのです。「噛む回数が多いとすぐに満腹中枢が刺激される」って、本当なんだと感心しました。

そしてもうひとつの驚きは、いつまでもお腹が空かなかったことです。夜になっても全く・・・。腹が減るまで食べない!と決めたのに、やむを得ずそのまま夕食をとりました。野菜ばかりなのにどうしてこんなに腹持ちがいいのだろう?その理由を知りたいものだと思いながら、一方で昼食を腹一杯とっているであろう世間の皆さんは、きっと夕食時にこんな中途半端な腹模様で食べているんだろうな、と思った次第です。

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感染症の専門家

先日、感染症で国際的に活躍しているあるドクターがテレビでこう云っていました。

「新型インフルに罹(かか)らないためには、きちんとした手洗いをしなければなりません。できるかぎり石鹸を使って、まんべんなく洗ってください。水洗いだけでは「しないよりはまし」程度の意味しかありません」・・・と。そして、実際にゲストの手のひらを細菌培養した結果が示され、多くのコロニーが培養されている姿をみせながら、如何にきちんとした手洗いが大事かということを語っていました。

でも・・・申し訳ありませんが、わたしはどうしても違和感を感じます。サーズやエボラ出血熱など、高い致死率の感染症対策の指揮をとってきた専門家としては止むを得ないのかもしれませんが、手のひらについた雑菌を全部洗い落とすことが日常生活の中でそんなに大切なことなのでしょうか?皮膚の表面にいる常在菌を全部死滅させるような猛毒に自分の健康な皮膚を毎回曝(さら)してしまうことは、新型インフルから身を守るためには重要なのかもしれませんが、果たして本当に自分のカラダのためになると云えるのでしょうか?

わたしはやはり、「ノー」だと思います。もちろん、人混みの中を歩いてきたとか、街中で不特定多数の手が触ったと思える手摺やドアノブを触ってきたときに石鹸を使うのは重要なことだと思いますが、日常生活の中でそんな機会は決して多くはありません。日頃から習慣づけておかないといざというときに忘れてしまうんだ!という考え方も十分理解した上で、それでもやはり基本は十分な流水での手洗いとうがいだけで良い、石鹸は人体には決定的な毒物だ!という考え方の方を支持させていただきたいと思います。

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ナースプラクティショナー(NP)

先日、熊本県保険医協会からアンケートの依頼が届きました。「ナースプラクティショナー(NP:診療看護師)」についてのものでした。

どこかでちょっとだけ聞いたことのある名前ですが、ほとんど実態を知りませんでした。昨年4月に、大分県立看護科学大学でこのNP養成講座が始まったこと、これは、症状が安定した慢性疾患などの患者さんに対して、医師と連携して医療処置の一部を担える能力を備え、外来や老人保健施設、訪問看護ステーションなどでプライマリケアを中心に活動できる職種を目指しているのだ、ということが、趣意書に書かれていました。とても素晴らしいシステムだと思いますし、実際アメリカでは1964年以来約14万人のNPが臨床現場で活躍しているそうです。ただ、日本の場合は諸般の法律(医師法など)で規制されていて、実際にはナースが医者の代わりをすることは許されていません。

こういうシステムを真っ向から反対する医者もたくさん居ますが、わたしはNPに大賛成です。むしろいい加減な医者よりもより真剣に患者さんの人生に対峙してくれる看護師さんがたくさん出てきてくれることは、そのまま患者さんの利益でもあると思っています。ただ、日本の場合、患者さん本人だけでなく家族も、「先生(医者)が診てくれた」ということで得られる安心感は他と比べものにならず、逆に「先生が診てくれなかった」というだけで<手を抜かれた>と思う人が多いのが現実です。同じことをしていても受ける側の満足感が全く違うという国民性に似た感情をきちんと払拭出来ない限り、アメリカなどの欧米社会が成功しているからと云ってもそれと同じ通念では通用しないだろう、という大きな懸念があります。

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小腹が空(す)いた!

お風呂の給湯器が壊れたので、ボーナス払いで新しいのに替えました。自動湯張りをしてくれてとても重宝なのですが、機械の中のお嬢さんが、突然「もうすぐ、お風呂が沸き上がります」と大声で教えてくれるようになりました。そしてその数分後に、これまた仰々しい音楽とともに「お風呂が沸きました♪」と誇らしげなご報告。毎晩のことながら、まだどうしてもこの声に慣れません。

でも、この「もうすぐ」コールがカラダの中ではとても大切です。「小腹が空いた!」は、まさしくこれと同じです。もうすぐ血糖が下がり始めるのでそろそろ準備を始めた方がいいよという合図です。野生動物の世界では、小腹が空き始めたら、そろそろ狩りに出る準備を始めようか!の意味(それから狩りを始めるので、必死で獲物を捕った頃にはもうあまり腹は減っていなかったりする:だから食べ残す)、というのは先日あやのさんが指摘してくれました。こういうことは自然界では常識です。

どうでしょう?「小腹が空いた」を「腹が減った」と同じだと思っていませんか?「小腹が空いてきたからそろそろ夕飯の買い物に出かけましょうか」であって、「小腹が空いたから、とりあえずお菓子でも摘もうか」ではありません。「あ~腹減った!」(2009.10.28)でも書いたように、本当の意味での「腹減った」が体感出来ない理由はきっとこれだと思います。先日とことん腹が減るまで何も食べないでみました。会議をしていて、頭が「疲れた~」と悲鳴を上げました。眠くなってきました。だれかがチョコレートを1個くれました。それを食べたら、す~っと身体中に力が充満し始めるのがわかりました。このとき、「小腹が空いた」との違いを実感できた気がしました。

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75gブドウ糖負荷試験(oGTT)

数ある生活習慣病の中で、糖尿病こそが生命を脅かす一番の敵であることは世界中で認められています。診断法として、国際的に<ヘモグロビンA1c(最近2~3ヶ月の血糖の平均点)>が空腹時血糖より重要である、という考え方にまとまろうとしています。ただ、糖尿病が発症するはるか前から動脈硬化は進んでいってるのだということは、これまでに何度もここでお書きしました。特にインスリン分泌不全の体質をもつ人の割合が多い日本人の場合、平均点のヘモグロビンA1cを見ていたのでは、明らかに後手後手に廻ってしまうことは明白です。

先日の第50回日本人間ドック学会のワークショップで発表された伊藤千賀子先生(グランドタワーメディカルコート)もこのことに言及していました。彼女の自施設データによると、空腹時血糖100mg/dl(正常)でも、75gブドウ糖負荷試験(oGTT)をしてみると2時間後血糖140mg/dl以上の耐糖能異常者が35%もいたそうです。そしてこの状態が10年以上続いて初めて糖尿病が発症するということも明らかにされました。だから、疑わしいひとは積極的にoGTTを行うべきであると云うことになります。

ただ・・・どこでしましょう?「どうやったらその検査をしてもらえますか?」・・・健診でも良く聞かれます。人間ドックでoGTTを受けようと思ったらおそらく2日間ドック(宿泊ドック)を受けないといけないでしょう。一般の内科クリニックでも検査してくれますが検査用の75gブドウ糖の瓶を1本だけ問屋で買うわけにはいきませんので、ひとりのためにわざわざ取り寄せてしてくれるかどうかは聞いてみないとわかりません。第一、「異常値」ではない検査データの人に保険診療として負荷検査をするのは、お役人さんに云わせればまぎれもない「過剰診療」になります。実際に検査を受けようと思ったら、これは意外に難問なのです。

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萎(しお)れの現実

「最近、すごく痩せたんじゃない?」・・・先日、1年ぶりくらいに会った中学時代の同級生にそう云われました。

何云ってんだか・・・きっと前回会ったときの方がはるかに痩せていたはずですよ~。なぜなら、ここ1ヶ月で急にお腹がひっこまなくなったので、危機感を覚えていた矢先のことなのですから。その日も、最初はポロシャツをズボンの中に入れていたのですが、ズボンがパンパンで見苦しいのであえてシャツを出してカモフラージュしていたのです。

腹が出たのに、傍から「痩せた」と思われるのは、(認めたくない事実ですが)つまり「萎(しお)れた」ということです。実際、おそるおそる体重計に載ってみても体重はさほど増えていませんでした。洗面所の鏡の前でポーズをとってみても、まあそれなりに見れないことはないと思いました。ただ、クビレがない!腹が出たというよりも引っ込まなくなった。そして、脇腹と腰が出た(つまり「ズン胴」)。太ももの脂肪を除けば、手も足も決して太くはありません。首筋も細い方だと思います。だから痩せて見えたのでしょう。

これがまさしく老人体型なのです。悲しいことばです。服をきている限り目立たないけれど、立っているとついつい背中が曲がり、下腹を突き出さないとバランスが取れなくなるのです。膝が曲がり、O脚になっていくのです。躓(つまず)きやすくなり、目線が落ちてくるのです。・・・あ~やだやだ!

これくらいグチを並べておけば大丈夫でしょう。現在、第何回めかの肉体改造の序章に取り組み始めたところです。次はどんな身体になるか、乞うご期待!・・・とか云いながら序章で滑走停止にならんようにせねば。

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マヨネーズとコレステロール

先日健診を受けられた60歳の男性のお話です。

毎年受診していただいていますが、LDL(悪玉)コレステロールの値が、122→ 143→ 170と年々増加しておりました。中性脂肪の値も一緒に増加中です。「何か原因になりそうなことはありませんか?」と聞いてみました。「毎日運動はしているし、夕飯は野菜ばっかり食ってるし・・・まあ強いて云えばマヨネーズかな。野菜ばっかりたくさん食べるようになったから、その都度マヨネーズをかけなきゃいかんでしょ?」・・・以前、同じことを云われて、試しにマヨネーズを使わないでみたら良くなったことがあるというので、どうも犯人はマヨネーズだろうということになりました。

もちろん、マヨネーズを使ったからと云ってみんながみんなコレステロールを上昇させるわけではありません。卵を食べたからと云ってみんながコレステロールを上げるのではないのと同じ理由です。野菜にドレッシングの類を何もかけないわたしにはあまり理解出来ませんが、いわゆるマヨラーおじさんにとって、マヨネーズの食感が好きでたまらないらしいのです。それでもまあ、とりあえずマヨネーズがカラダに合わないのだろうということは納得してくれました。

「じゃあ、醤油なら良いですか?あるいは普通のドレッシングならどうですか?」と矢継ぎ早に質問は続きました。「試してみてください。とにかく試して数ヶ月後に採血するしかありません。」・・・そうお答えしましたが、方法はもっとたくさんあります。カロリーオフのマヨネーズや低コレステロールのものもありますし、答がほしいのなら単に試してみれば良いだけのことです。もっとも、マヨネーズを野菜にかけるからいけないのであって、「マヨネーズに野菜を付けて食えばいい」・・・これは食べ方の常識なんですけど、せっかく止める気になっているマヨネーズにこだわらなくてもいいかなと思って、黙っておりました。

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あおもの野菜

健康のために最近は野菜ばかり食っている、というひとも少なくないでしょう。

「毎晩、キャベツばかりバシバシ食ってますから、野菜は十分だと思います。」と、先日受診したある男性が話しました。キャベツダイエットが有名になってから、そういうひとはさらに増えてきているかもしれません。

でも、意外に勘違いしているひとが多いようなので、蛇足的なことですが一応書いておきます。野菜には「緑黄色野菜」と「淡色野菜」がありますが、その区別が十分できていますでしょうか?その違いは<カロテン>の含有量の差です。そして、「緑黄色野菜」にキャベツは含まれておりません。まあ「緑黄色野菜」=「色の濃い野菜」と考えておけば良いでしょう。ニンジンやカボチャなどがこれに当たります。これに豊富に含まれているβカロテンがビタミンAの作用があるだけでなく、動脈硬化を抑え、アンチエイジングに一役買っていることが分かってきてから、一層「緑黄色野菜」がもてはやされるようになったのだと思います。

ビタミンAと云えば鳥目(夜盲症)、先日「肝油ドロップ」(2009.10.5)のことを書いたときにも出てきました。それ以外にも、肌や目に潤いを与え、粘膜保護による花粉症予防の効果もあるそうです。免疫力を高めて多くのがんに対しても効果があるといわれています。さらにその前駆物質であるβカロテンは、抗酸化作用があるために有名になりました。

そういう意味では、せっかく野菜を食べるのだから、緑黄色野菜がどれなのかしっかりと知っておいてください。「青い(緑)から緑黄色野菜」なのではありませんので。もっとも、キャベツの繊維質もまたとっても大切ですので、付け加えておきます。

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電子化の波

外来診療をやっていたころ、人としての患者さんと関わるためにカルテの中に患者さんのプライベートな内容をメモしていたことを、以前書いたことがあります(2008.1.27「カルテメモ」)。

いよいよわたしたちの施設でも、電子カルテ導入が秒読み状態になってきました。それを開けるだけで患者さんの顔が浮かぶ、患者さんと頑張った治療のいろいろや戦ったときの気持ちがよみがえる、さらにその旦那さんや家族の笑い顔まで浮かぶことすらあるような、そんな、昭和でアナログなカルテは臨床の現場からどんどん消えていくのでしょうね。それは、電子カルテにデジカメで撮った写真を添付すれば解決するというものではありません。

大量のデータをあちこちで同時進行で管理でき、患者さんの客観的な情報を得られる電子カルテは、さらに検査した画像をワンクリックでリンクしてパソコンでみることもできます。モダンでデジタルな情報バンクになるのでしょう。うちの健診センターも強大なコンピュータシステムが牛耳っています。新しく導入されてかなり振り回されましたが、少しずつ情報バンクとしての本領を発揮し始めました。どんどん膨れ上がる情報をスマートに整理し、いざというときに必要な情報だけを取り出すことができる、本当に便利な時代になりました。その情報は冷たいほどに無機質で、ムダな形容詞は一切ありませんが。

でも・・・やはり、人としての患者さんと最後まで付き合っていくのが医者であり医療者であるという気持ちを決してなくさないでいてもらいたいと思います。診察室で、患者さんと話をする時間よりも、聴診器を当てる時間よりも、パソコンに向かってキーを叩く時間の方が多くなってしまっては、それは医者ではなくなってしまいます。レントゲン写真をみると誰のものかわかるけれど、患者さんの顔はおぼろげ、なんて笑い話みたいなことにならないようにと、こころから願っています。

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ふとももが細いと早死にする?

世の中には、いろいろな研究をしているひとがいるものです。

「大腿部の径が60cm未満だと早期死亡や心臓病リスクが高くなる」という報告をしたのは、デンマーク・コペンハーゲン大学病院のBerit Heitmann教授です(BMJ 2009: 339)。これは、2800人あまりの男女を10年以上に渡ってフォローした研究ですが、その期間で生存していたひとたちは亡くなったひとたちより除脂肪大腿部が太いことを発見したのだそうです。結局、大腿部が細いことによるリスクは、筋肉量の少なすぎによるものであり、必要であれば大腿部の太さを増加させるために下半身の身体活動を増加させるのが良いのではないか、という結論のようです。

白人さんの研究ですので、ずんぐりむっくりが基本の東洋人に当てはまる研究なのかどうかはわかりませんが、現代の若いお嬢さんの細くてスラッと伸びた長い脚に警鐘を鳴らしていることにはなるのでしょうか。最近、某テレビCMで、ある若いタレントさんの長くて細い脚が気になっていました。ふともももふくらはぎも膝も全部おなじ太さの、ある意味”ずんどう”な脚を眺めながら何かしら違和感を感じずにはおれなかったのです。

もちろん、脂肪が何重にも巻いた太いふとももを推奨しているわけではないことはお判りでしょう。かく云うわたしもご多分に漏れず太くなってきたことを実感しており、そしてこれが筋肉が増えたわけではないことも自分が一番わかっております。筋肉を作るには動くこと。食事療法だけでは筋肉がやせること。・・・どれも重々分かっておりまする。

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エアロビお嬢さんの悩み

東京の病院で働いていたころ、受付のお嬢さんが職員健診の後で憂鬱そうな顔をしていました。中性脂肪の値が高かったので内科を受診したら、
「もっと意識的に運動して、できるだけ野菜を食べてください。」
と、代謝内科の若い医師から紋切り型の指導を受けたのです。

「ねえ先生、これ以上わたしに何をしろと云うの?」・・・わたしに訴えるようなグチるような口振りで話す姿は、かなりご立腹のようでした。なにしろ彼女は、週3~4回、仕事の後にスポーツジムに通ってエアロビや筋トレで汗を流し、食事もほとんどサラダのみのような食生活、アルコールもほとんど口にしませんし、間食のお菓子を貪り食っている姿など見たこともありません。とてもスリムな恰好良いスタイルを保持していました。

こういう方は、ときどきおられます。彼女の場合は、お父さまが糖尿病の持病があったので、遺伝的に脂質を溜めやすい体質を持っていたのかもしれません。コレステロールなら"夢のクスリ"と称するものは当時からたくさんあったので治療も容易ですが、中性脂肪に対しては今でもあまり画期的なクスリがないのが実情です。使うであろうエネルギー量分を血液中に回し、それを使い切るほどなかったから余っているわけですから、先生の助言は正しいと云えば正しいのですが、嫁入り前の若いお嬢さんに、「今以上修行僧のような人生を歩みなさい」と云うのはやはり間違いでしょう。もしかしたら彼女の場合はむしろもっとタンパク質をたくさん摂って筋肉を作らなければならなかったのかもしれませんね(思いつきで書いています。きちんとした根拠で書いていませんので、簡単に感化されませんように)。

なお、こんな若い先生の意味のない一言アドバイスでも「指導料」はきちんと加算できる仕組みになっています。

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脂肪肝は”時限爆弾”

「脂肪肝はいわば”時限爆弾”」という題名の記事を読みました(Medical Tribune 09.10.22)。ドイツのハノーバー医大から(Dr.Heiner Wedemeyer)の報告でした。

それによると、若い脂肪肝患者が増えている現代社会の中、脂肪肝患者の10人に1人が10年以内に脂肪性肝炎に移行し、脂肪性肝炎の10~15%が10年以内に肝硬変に移行するというのです。さらに肝硬変の10~20%がその後10年で急性増悪したり肝臓がんになったりするわけで、これは未治療のまま放ったらかしたC型肝炎とほとんど同じ経過なのだそうです。

脂肪肝の話題は以前書いたことがあります(2008.7.17「脂肪肝の恐怖」)が、もちろんこれの治療の主体は食事療法と運動療法に他なりません。でも、もともと食べるのが大好きであまり動きたくないから、あるいは普通よりエネルギーを貯めるカラダの作りだから脂肪肝になるわけなので、患者さんの多くは「薬で何とかならないのか?」と主張します。でも残念ながらあまり画期的な薬はまだ存在しないようです。フランスの試験で効果が確認されたウルソの高容量投与や、あるいはビタミンEの投与なども、決して十分なものではないのだとDr.Wedemeyerは報告しておりました。

どっちにしても、内服治療というのは、病気の進展の危険性が濃厚な高度脂肪肝患者に関わる話です。わたしもそんな脂肪肝になりやすい体質の保有者のひとりですが、今世の宿命的な命題だと思って日々闘っていくしかないことなのでしょう。

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タイピング・ミス

以前から気になってはいましたが、最近頓(とみ)にひどくなった気がします。

こうやってパソコンで文章を打つのに、何度打ち直していることか?打ち直しても打ち直しても同じ間違いをするのは、ボケ爺のようでちょっと情けなくなります。しかも昨年あたりの悩みと根本が違ってきているのは、ブラインドタッチではないわたしのタイピング・・・ちゃんと「u」を見て打っているのに打たれたのは「i」だったり、「m」のはずが「n」だったり、それを何度も繰り返すということは、頭(目)の指令がきちんと指先に伝わっていないということに他なりません。「それを『年寄り』って云うんだよ」と妻にバカにされるので、まだ誰にも明かしていなかった悩みです。

さらに促音(っ)の抜けや助詞(を、の、に)の抜けが目立つ目立つ!いらない音を加えてしまって妙な漢字変換を促してしまったり・・・グチばっかり・・・あ~きびしい~現実です。めげずに毎日リハビリタイピングを続けていきますので、長い目で追いかけてやってください。

最近、妻にも記憶欠落が出始めてきました。自分たちの間でおきた些細なエピソードを、完全にすっぱり忘れていることがチラホラ出始めました。わたしの10年前と同じ感じです。ただ、自信家の彼女はそれを認めようとせず、すでに記憶に自信のないわたしは強く否定することもできません。どっちも呆けていく中、なんとか正気の時間を長く引き延ばすためにも、タイピングや執筆活動はそれなりに大切なのだと、自分に言い聞かせております。

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医療者の良識

先日は、新型インフルの予防接種に病院スタッフが大勢押し寄せてきました。

「あんたら、その気になったらちゃんと来れるやないか!」・・・日頃の予防接種のときには電話で催促しても「忙しい」と云ってなかなか来ない連中がこぞって顔を並べているのをみて笑ってしまいました。でも、医療者でありながら、なぜそんなに右往左往するんだろう?と、不思議にも思います。

そんな中で、感染対策の部長が怒っていました。「医療者の優先接種対象者を最低限にしてくれというから、うちは必死に絞って希望を出したのに、大学病院なんて面倒くさいから全職員数を希望者として出して、その5割が許可されたんそうだ。県の担当者は一体何を考えてるんだ?」と。ラジオを聞いていたら、ある県では「医療者の希望が予定より多くて、妊婦や重症患者に回すワクチンがかなり遅れそうだ」とか。呆れてしまいます。大学病院に新型インフルの患者なんか来るもんか!こっそり当直のバイトでもしない限り、もし罹(かか)るとしたら自分の子どもから移るのだから、それなら世間で一番後回しにされている健康なサラリーマンや主婦と同じです。そんな医者に打つなら、もっと早く打ってあげたいのに待たされている人はたくさん居ます。これじゃ、何のための優先接種かわかりません。サーズや映画の「20世紀少年」に出てくるような殺人ウイルスなら、医者も人間、まずは自分が生き延びよう!もわからないでもありませんが・・・。しかもワクチンを打ったら罹らないのではありません。罹るかもしれないけど軽い、という普通の季節性インフルワクチンと同じです。なんかとても情けない気分です。

やはり最初の水際作戦のころに煽りすぎたせいでしょう。魔女狩り的なあの騒動は、今さら「今回の新型インフルは怖れなくてよい」と声高に宣言しても、一旦植え付けられた恐怖を消し去る力にはならなかったということですね。

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迅速診断キット

新型インフルワクチンの医療従事者への優先接種がうちの病院でも始まりましたが、わたしたち健診センタースタッフは医者も含めて誰もその対象者リストには入れてもらえません。「臨床現場で実際に直接患者さんと接する者」という条件に当てはまらないからです。今年は、品薄の季節性インフルの予防接種も受けさせてはもらえません。

「バカな話やな!」と陰口を叩いています。うちの病院は基本的に一般の方にインフル治療をしない方針なのですから、インフルに罹った人はうちの病院を受診しません。むしろちょっと発熱したり咳をしていても受診することが多い健診現場の方がはるかに危険性が高いでしょう。若い人と接することの多い学校の先生たちや市職員などが毎日大勢やってくるのです。ちなみに、厚労省の資料によると「ワクチン優先接種対象者」の「医療従事者」とは「新型インフルエンザ患者の診療に直接従事する医療従事者」と定義されています。てことは、うちの病院は基本的には対象じゃないんじゃ?

さて、グチはこれくらいにして、先日産業医研修会で新型インフルに対する具体的な対策講習を受けてきました。予防の原則はあくまでも<手洗いとうがい>であり、無意味に人混みに入って行かないこと、です。発熱者や咳が出ている人はマスクをするのがエチケット・・・結局いつもの季節性インフルの対策と何ら変わりません。そんな中、新型インフルには特殊な事情があります。実は迅速診断キットの陽性率が低いのです。発症早期には40~60%しか陽性反応が出ません。なので検査結果にとらわれず(検査は必須ではありません)、臨床的にインフルを疑ったらすぐに内服を始めるように指導されています。つまり熱が出たので病院に行って、「検査したら陰性だったからインフルじゃない!」というのはまったくナンセンスだということを知っておいて下さい。もっとも、これだけタミフルを予防投与されていたら、耐性株ができるのは時間の問題のような気がしないでもありません。

とにかく流水だけで良いのでこまめに手洗いをいたしましょう。

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あ~忙しい

朝のトイレの中で、「えーと今日しなければならないことは・・・」と頭の中でスケジュールを整理するのがわたしの毎朝の日課です。通勤途中にも、「あ、あれもしておかなきゃ!」とか「あれを検索して、あれをプリントアウトして・・・」とかいう内容が突然思い浮かんだりします。もっとも、職場に着くころには内容を忘れていて、結局思い出せないということもめずらしくありません。

ふと、循環器内科の医師として救急現場で働いていたころのことを思い出しました。毎日持って歩いていた手帳に、その日にしなければならない内容を箇条書きしていました。入院サマリーが誰と誰と誰とが残っていて、退院のムンテラ(退院にあたっての入院中の総括やこれからの注意点などを説明)が誰と誰で、誰々の紹介状を書いて、検査の説明が誰で、入院する予定の人が何人で、ルーチンの検査担当が何時からで、検査結果の読影が何件あって、学会の資料チェックがいくつあって、何時からは医師会の勉強会で・・・若い頭ではあっても、さすがに覚えるのは不可能なほどのボリュームでした。手帳に書き並べた一覧はできた順に消していくのですが、後ろの方にどんどん新しい仕事が継ぎ足され、結局し終えられないままに翌日に繰越しになるのが常でした。よくもまあ、あれでうつ病にもならずに頑張ってこれたものだと、我ながら感心します。

先日、うちのスタッフが上半期の仕事の進捗説明をするのを聞いていましたが、ガマンしきれず途中でアドバイスをしました。あまりにも多くのタスクが秩序なく並んでいて、話があっちに行きこっちに行きするのを聞いていると、きっとこの人は自分の抱えている仕事の全容を把握できていないに違いないと感じたのです。まずは仕事を箇条書きにして整理して、その各々に進捗のグラフでも書いて、何よりもあなたの頭の中をスッキリさせないと、何も前に進まないと思いますよ、と。

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あ~腹減った!

「あ~腹減った!」・・・来月の講演会で使おうと思ってスライドにした標語です。

最近、きちんとお腹が空いていますか?「あ~腹減った!」・・・実は、ここ1、2ヶ月、こころからこんな気持ちになることがなくなった気がしているのです。そしてそれに平行するように、どうも最近お腹や背中に無意味におニクが付いてきて、妙にカラダが重くなった気がします。みなさんはいかがでしょうか?

実は最近、朝起きてからも、昼食前も、そして夕食前も、あまりお腹が減らないのです。気持ちよく空腹感を感じることができていたころ、体調だけでなく、こころもとてもスッキリしていたように思います。少しぐらい心配事があっても気にならず、何をするにも快調でした。わたしは、そんなときにはいつも腹が減っています。「腹が減った」という実感があり、その実感がまた充実感をもたらしていました。あまり腹が減らないときに限って、「そろそろ昼だから何か食べなけりゃ」と思います。何かに熱中しているときは気にもならないのに。腹が減ってもいないのに、時間が来たからモノを食う、というのは決して健康的なことではありません。最近、何をするにも億劫なのは、この空腹感のない毎日と何か関連があるのかもしれません。

いつもユニークな文章でわたしを感動させてくれる石蔵文信先生の最新作「できる男は2食主義」(メディカルトリビューン)にもあるように、食事にこだわらない生活、食事が生活のリズムの基調を作っているのではない生き方が、一番生きがいのある生き方をしているときのリズムなのだろうな、と思うようになりました。

あれ?最初に書きたかったこととは全然違う内容になってしまいました。ま、いいか。・・・今日はこの辺で。

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とりあえずビール

仕事から帰り着く。服を着替えて一息。・・・何はともあれ、とりあえずビール!・・・冷蔵庫から缶ビールを取り出して開ける。「シュパ~」・・・いつ聞いてもいい音である。

この習慣が止められません。いや、ここまでは良いのですが、「とりあえず」のその次に手を出したところから泥沼な夜が始まっていくのです。それも毎晩。どうして、次を取りに行ってしまうのだろう?飲む前は「今夜はこの1缶で止めよう」と思っているのに・・・。それが2缶めのビールのこともあれば、日本酒のこともあり、焼酎ロックのこともあり・・・そんなものがいつも家にあるからいけないのでしょうことは重々分かっているのです。でも・・・最近、煩悩に負けることが頓(とみ)に多くなってきました。

昔、コップ1杯運動をしてみたことがあります。酒の内容も濃度も問わず、とにかく晩酌としてコップ1杯だけアルコールを口にします。飲み終えたら、そのコップにお茶をつぎ込むのです。すると、心は物足りないのだけれどとりあえずカラダはアルコールから離れることができました。なんと数週間後に体重が10kg減りました。脅威のダイエット法です。酒が減ったから酒の肴も一緒に減った結果でしょう。凄いな!と思いました。減ったことに驚いたのではなく、そんなにたくさんの飲み食いが隠れていたことに驚いたのです。

わかってるんですよね~。でも今は、日々のことごとくに負けてしまう自分がいるのです。「おとこはなかなか『する』と云わない。」・・・どうやったらモチベーションが上がるのでしょうか。

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降格

わたしが入れ込んでいるサッカーJ1の某チームが、健闘空しくJ2へ降格することになりました。昇格して7年、今年が一番充実した試合を繰り広げて、観ていても面白い試合展開ばかり。上手くなったなあと感動しました。でも、勝てなかった。勝てないと、いろいろな軋轢が生じ、社会的な批判にさらされ、金の問題云々のウワサや疑念が先行し、純粋に選手たちに夢を託して応援を続けるサポーターを重い気持ちにさせました。もっと本来のプロスポーツ選手のパフォーマンスだけを観ていたいのですが、現代社会はそれを許さないのだなと痛感しました。

J1に昇格した年、スターのいない田舎チームは最終節に引き分けてやっと残留を決めました。3年目は夏の段階で降格100%決定と覚悟しました。あのときが一番寂しくて辛かった気がします。救世主の監督が天から降ってきて奇跡の残留を果たしました。5年目も夏の時点で降格濃厚でしたが、今度は救世主の3選手が風とともにやってきて残留を決めました。そして7年目の今年。・・・2年ごとに危機と奇跡がやってくるこのチームには本当に心配を掛けされ通しでしたが、必ず救世主がやってきてミラクルを起してくれるのでした。・・・でも、今年はダメでした。いつかは来ることなのでしょうが、それが来てしまうとやはりずっしり重いものがあります。

自分が何をするでもなく、自分が資金投資した会社が潰れたのでもなく、日常生活は変わりなく進んでいくものなのに、まったく新しい世界への不安が押し寄せてきます。きっとこれもまたわたしには意味を持った大きなご縁なのだと思うことにしました。そういう経験のない人にはまったく縁のないことでしょうが、サポをしていて良かったと思える日が必ず来ることを心から祈念して、これからも応援を続けたいと思います。

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くだもの嫌い

深まりゆく秋、真っただ中です。食欲の秋、美味しいくだものが巷にあふれています。ついつい食べ過ぎてしまう季節です。

先日ゴルフに行ったら、お土産として帰りに地元産のみかん一箱(10kg)をいただきました。さすがに夫婦二人で処理するには多すぎるので、「いつも戴き物をするお隣さんにおすそ分けしたら?」と提案しました。そうしたら、「あそこのお嬢さんたち、くだものがあまり好きじゃないのよね」と妻の連れない返事が返ってきました。

子どもというものは、やさいは嫌いだけれど総じてくだものは大好きなんだと思い込んでいましたが、最近の子どもたちはくだもの嫌いの子が少なくないのだそうです。うちの職場で、この話をしてみましたが、「確かにあまりくだものは食べませんね」と云われました。もらい物があったら勿体ないから食べるかもしれないけれど、わざわざ買ってまで食べないかもしれない、と。

どうしてなんだろうと考えました。味が云々というのではなくて、単に皮をむいたりするのが面倒くさいからじゃないかしらと思いました。しかも、手はべちゃべちゃになるし・・・。その前にまずお母さんたちがりんごや梨の皮をむく作業自体を面倒くさがっているのではないしょうか。もしそうだとしたら、何と勿体ないことか。アイスクリームやケーキなんかより、味覚を刺激する力ははるかに強いはずなのに・・・。ビタミン類や食物繊維を補充するのに、くだものに勝るものはないはずなのに・・・。結局、お母さんやお父さんがくだものを食べず、子どもたちは初めからお菓子やジュースから漂ってくるフルーツの匂いと味を本物と思っているのではないかと思うと、とても空恐ろしくなってきます。

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格言集

健康の講演をするときにわたしはよく標語を作ります。

「三つ子の魂、いつまでも。」とか、「食べない努力より作らない勇気!」とか、「ゾウはネズミを食わない。」とか・・・。このブログタイトル「やせればいいってもんじゃない」もそんな中のひとつです。以前、そんな標語に挿絵を描いてくれないか?と、あるスタッフに話を持ちかけたことがありました。色紙のように絵標語にしてスライドを作ろうかと思ったのです。わたしは彼女を「画伯」と呼びます。絵が上手いとか下手とかいうのではなく、その感性がわたしにないものなのです。それでそんな依頼をしたのですが、お互いに忙しくてそのままになっていました。

「先生、あの挿絵を描いてみようという気がしてきたんですけど、格言集はまだありますか?」・・・突然、彼女からそんなメールが届きました。わたしもすっかり忘れていたことですが、画伯が閃いたときに描いてもらわないと次はいつになるかわからないので、標語を集めた「格言集」のファイルを昔のフォルダから何とか見つけ出してきました。

ただ、それをあらためて眺めてみて、何か心がときめかないのです。「どうです?いいことばでしょ?」・・・当時はかなり気に入っていたのに・・・時がことばをそんなに色褪せさせてしまったのでしょうか。それとも自分の心が色褪せてしまったのでしょうか。どちらにせよ、わたしは到底「相田みつを」にはなれないな、と思いました。

でも、彼女に挿絵は描いてもらいたい。何か健康のための簡単な読本が作れたらいいな、と思うから。大急ぎで、それ用に新しい標語を考えてみましょう。

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慈しむ姿

我が家にいる2匹のワンコは、なんかちょっとしっくりいってません。11歳半のオババと来月やっと1歳になる子犬の2匹ですが、この子犬(といってもすでにオババよりはるかにデカイ)が跳ね回って遊びたがるのを、オババが<ウザイ!>と感じているようです。自分が一番でありたいのに負けるのが癪にさわるのかもしれません。彼女も機嫌がいいときには一緒に遊んでいるので、仲が悪いわけでもなさそうです。

我が家には、昨年秋に14歳弱で亡くなったインディという名の雄イヌがいました。彼は、本当に心やさしい男の子でした。せっかく冒険家インディ=ジョーンズにちなんで名前を付けたのに、男の子のクセにいつも弱気で(冒険するのは、若い人間のお姉ちゃんに尻尾を振るときだけでした)、できる限り争いを嫌いました。オババは彼の娘です。彼女は、今自分がやられているような、あるいはそれ以上の仕打ちをインディくんにしていましたし、なんでも自分が一番!と主張していましたが、彼はそれを全部許していました。彼女を見るインディくんの眼差しのなんと柔らかいことか。父だ、娘だ、なんてわからないと思うのだけれど・・・。

「インディはやさしかったよね」・・・毎日くりひろげられるオンナの闘いを眺めながら、よくインディくんのことを思い出します。

昔はそんな弱虫インディくんをちょっとバカにしていましたが、彼のやさしさをずっと眺めるうちに、自分も「インディくんになりたい」と思うようになりました。彼の姿には神々しささえ感じます。きっと彼が我が家に来たのには意味がある・・・それは、本当の慈しみの心をわたしたちも持てるようになりなさい、ということだと思うのです。居なくなって1年が経ち、やっとそのことに気付いてきたような気がします。

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星占い

新聞やテレビの星占いはそれなりに好きです(雑誌のは月極めですが、新聞や雑誌は毎日なので)。・・・星占いなんて信じない、という人は今日は読まないでください。

最近は携帯サイトでも毎日占い結果が出てきます。そこで、もし自分の占い結果が、テレビと新聞でまったく正反対だったらどうしますか?

1.良い内容の方を信じる
2.悪い内容に影響を受けやすい
3.結局、可もなく不可もなくの日だと思う
4.今日は、何も信じられない日だと思う

どれでしょうね。むかし、地元新聞の新聞記者をしていた友人が「中央から配給されてきた占い結果の掲載すべき日付けを時々間違えることあるんだよね」と云っていた姿が、妙にトラウマのようにわたしの脳裏に焼きついています(20年以上前の話ですのであしからず)。それを考えると、どうせ占いを信じるなら良いことだけ信じたらいいんじゃん?という気はしますが、そう単純ではないのがわたしたちの心理です。

何でも影響を受けやすいわたしは、たぶん、ゆらゆら揺れる一日を過ごすのだろうと思います。もちろん、自信に満ちていた大学生のころは何でも1.でした。自信がなくなっていたころは2.でした。で、今のわたしは日によって違う心理状態の中で、結局無難な形でほどほどに意識しようとしているような気がします。自分が、できるだけ傷つかないように工面する経験値が上がったのでしょう。

やはり占いはうまく使わないと損。勝負の日(わたしにもいろいろあるんです)の朝に悪い運勢を見かけたときは、普通のことが普通に起きてもラッキーと思うようにしています。そう思っているだけで、その日の運勢自体があまり気にならなくなるものです。

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得な生き方

民主党政権に代わって、これからどうなるわからないメタボ健診ではありますが、これの普及のおかげで多くの人たちにメタボリックシンドロームの考え方が広がってくれたことは良いことだと思います(まだまだ間違った理解の人も多いことが悩みの種ですが)。

こうなると、生活習慣病に関連するいくつかの異常を持った人たちに対して、わたしたち医療従事者は、「このまま行ったらとんでもないことになりますよ!」「今、運動不足や間違った食事の仕方を正さないと手遅れになりますよ!」と、ほとんど脅しのような<生活指導>をしがちになります。でも、それは基本的に大きな間違いだと思います。「生活習慣病は、乱れた生活習慣をしているあなたの責任で起きた病気ですよ」・・・内心、そういう気持ちで指導していないでしょうか?でも、本当はそうではありません。生活習慣病はあくまでも「体質の病気」なのであり、同じ食生活や運動量でも病気になりにくい人となりやすい人の差が歴然と存在するのです。

生まれもってに何も食べなくても生き延びていける体質を持っている。なのに現代社会はその体質が生かせない時代。だから、そんな体質の人は現代社会を生きるのに向かないタイプだ、というだけにすぎません。そんな体質を持っていることを本人に教えてあげて、これからの人生を生きていく上では、今のうちに生活を変えておいた方が断然得だ!ということをアドバイスしてあげればいいことです。本人だけではなく、家族の多くが関係する体質だから、若いうちに習慣づけてやった方がみんなが楽な人生を送れるんだ、ということをわかってもらえるように話すことが大切だと思います。

わたしはいつもそういう気持ちでお話しています。

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初心を想う

機会があって、古い友人にわたしのブログを紹介しましたら、ありがたいことにヒマを見つけてバックナンバーを読み耽ってくださっていると聞きました。

「最初から読みたいんだけれど、どうしたらいいんですか?ワンクリックくらいの簡単な操作でむかしの記事が見れますか?」・・・先日、そんな質問をいただきました。そんな複雑な操作は要りません。単なる一枚の巻物になっているだけですから、トップページを一番下まで引っ張ってスクロールすれば2007.12.28の第一回目が出てきます。

せっかく思いついたことばを文字に留めておくだけでなく、多くの人に読んでいただきたいと思ってブログを始めました。もともとは年4回の広報誌の投稿だけでは書きこなせない思いを、忘れないうちに書き留めようと焦っていましたので、こぼれ落ちるように書きました。そのうち医者であることを忘れて自分の人生のカミングアウトを始めるうちに自分や家族をみつめる機会ができました。今、この文章を読んでいただいている皆様はなにかのご縁でたまたまたどり着いた方も多いはずです。そんなとき、できたらブログを始めたころの想いを読んでいただきたくて、わざわざ重くなるのを覚悟で999件までトップページに載せられるように設定しました。

久しぶりに、初めから読み直してみました。最近は若干惰性で書いている感が否めず、そんな自分にときどき自己嫌悪し、ときどきこっそり過去記事を推敲したりしているのですが、当時の文章を読むと自分でも心が深くなっていきます。自分がむかし書いた文章を読んで思わず涙するって、どうよ?退(ひ)いちゃうよね~と云われそうですが、でも是非最初のころのわたしの思いも、時間があったら読んでみてください。

もう一度、初心に戻って、感じるままの文章をこれからも続けることにいたします。

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静かな夜

わたしがテレビを点けなくなったのはいつ頃からでしょうか。最近、ひとりのときには、よほど見たいスポーツ番組がない限り、ほとんどスイッチを入れません。一方、うちの妻は、起きたらすぐにテレビのスイッチを入れます。だから、家に居る間中必ずテレビが点いています。テレビ番組に面白いものがないと思ったときには、録画していた韓流ドラマを観ています。音がしないと落ち着かないのだそうです。

先日、妻が数日間旅に出ました。わたしは我が家のワンたちと一緒にひとりで留守番をしました。・・・それは、とても静かな日々でした。<ブーン>という熱帯魚の水槽の音が家に響きます。ソファの陰で居眠りをしている老犬の溜息と寝返りをする音が聞こえてきました。空気清浄機が突然動き始めたりします。日頃聞きとることのないそんな音をバックに、ときがゆっくりと流れていく気がしました。

若いときはまったく気になりませんでした。まるで聖徳太子のように(は、ちょっと言い過ぎか)テレビを見ながら、論文や手紙を書き、本を読むこともできました。でも、今はダメです。テレビの音が流れている限り、読んでいる本は字面だけ追いながら何度も同じページを行ったり来たり・・・まったくアタマの中に入ってきません。ブログの文章ですらグチャグチャです。作家が執筆活動のために温泉宿に缶詰になるという話を昔から良く聞きますが、そりゃきっと捗(はかど)るだろうな!と思わないでもありません。

ただ・・・玉に瑕なのは、ゆったりとした時間は、眠くなる。微睡(まどろ)みの時間を楽しみながら、結局読みかけの本のページは前に進まず、書きかけの原稿は始めたときのまま・・・だったりするのです。「それもまた楽し!」と自己弁護。

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糸井重里

先日あったゴルフコンペで、一緒に廻ってくれたキャディさんが、私を見ながら云うのです。

「お客さんは『糸井重里』さんに似ていますね!」

「へ?」・・・一瞬、耳を疑いました。そんなこと初めて云われたからです。わたしは若いときからずっと『ベンガル(東京乾電池)』似だと、思っていました。それは自他ともに認める事実でした。他にも『小錦』だとか『石原裕次郎』だとか『若貴のお兄ちゃん』だとか『風間杜夫』だとか云われてきましたが(全然統一感がないといえばないんですが)、でも『糸井重里』は初めてでした。

予想だにしない名前だったのに、「ねえ、『糸井重里』に似てますよねえ?」と同じ組のメンバーにキャディさんが聞いた返事は、「・・・ああ、ホントねぇ。確かに似ちょる!」・・・その返事にまたまた驚きました。納得いきません。帰ってから妻に聞いてみました。「あ、なるほど。それ、何となく分かるわ」げな。若いときからずっと顔を合わせてきた人に云われるとなると、そりゃ認めざるを得ないのでしょうが、でも、そうなんかなぁと、まだまだ不満です。別に糸井さんが萎(しお)れたジジイだとか、嫌いだとか云う話ではありません。彼は、ジャンルがまったく違う(と思われる)骨格の御仁なのです。

考えました。しゃべり方かな?とか、胡麻塩頭になったからかな?とか。・・・でも、単にわたしが歳をとってきて、カラダ全体が萎(しぼ)んできたからなんじゃなか、という結論に達しました。そう思うと、返って妙に感心しました。この際、あの文化人的コピーライトの発想も一緒に似るようにならないかなぁ、と思うのであります。

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女郎蜘蛛

庭の落ち葉を掃いていたら、あちこちで蜘蛛の糸があたまに絡んできました。

鬱陶しいなあと思いつつ、目を上げてみたら、驚くほどあちこちに蜘蛛の巣が張られています。庭中の木々に糸が絡まっています。冬が近づいたせいなのでしょうか?「うちは蜘蛛屋敷か!?」と慄(おのの)いた次第です。

ものすごく繊細に張られた大きな巣の真ん中には女郎蜘蛛のような大きくて鮮やかな色をした蜘蛛が鎮座しています。腕を組んで胡坐(あぐら)をかいているように見えます。そのすぐ横には、形が中途半端ながら曲がりなりにも獲物は捕まえられそうな巣を構えた、ちょっと不器用な小さな蜘蛛もおりました。ちょっとオドオドしているように見えます。よくみると、庭木の枝の先から電線にまで糸を伸ばした蜘蛛の巣もできています。我が家の二階のベランダの壁にも伸びています。ああいう上向きに伸びた蜘蛛の巣はどうやってできるんだろうな?などと考えながら眺めました。

電線や家の壁にまで広げた蜘蛛の巣の方がダイナミックで、新境地を切り開いているんだろうな、などと最初は考えていましたが、もしかしたら逆?天空に糸を伸ばしていった連中は実ははぐれ者で、一番の特等席をあの女郎蜘蛛が奪い取り、その周辺から場所取りが始まり、最後に弾き出されて行き場がなかった連中が、上に伸びるしかなかったのでは?第一、あんな天空にか細い糸を張っても、獲物は簡単には捕まらないっしょ。

なんとなく弾かれ者が不憫になって、特等席の女郎蜘蛛の芸術的な巣を端から全部切ってやりました。さすがに慌てているようでしたが、やはりチンピラの動きとは違って、それなりに落ち着いておりました。

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星の王子さま

先日阿蘇に行った帰り、2つのコブ状になった小さな丘が車窓から見えました。

「まるで、サン・テグジュペリの『星の王子さま』みたいやね」・・・ふと思いついてそう云いました。
「それって、あの帽子の話?大蛇(うわばみ)が象を呑み込んだ姿ってやつ?すごいもの連想したねぇ」と、助手席の妻が答えました。

「そうそう。『星の王子さま』といえば、盲目の人たちと象の話だよね」
「え?何それ?『星の王子さま』は砂漠に飛行機が墜落する話だよ」
「目の見えない人が各々象の違う場所を触って、各々違う意見を云うんだよ。これは壁のようなものだとか、これは木の幹だとか、これはロープだとか・・・」
「そんな話全然知らないよ。『星の王子さま』といえば、バオバブの木とバラでしょ?星を離れるとなると我儘なバラの世話をできない。でも「わたしは大丈夫だから行っておいで」ってバラが云うんだよ・・・」

「全然知らない、そんな話」
「私こそ、あなたの云ってるような話聞いたこともないよ~」

その話題はそれで終わりました。『星の王子さま』(サン・テグジュペリ)・・・有名なお話なのに、たくさんの翻訳本がでているというのに、どんな話か実は全然知らないのでございます。今度、文庫本を一冊買って読んでみよう、と誓いました。

わたしの思い出した「象と盲人の話」は『星の王子さま』とは全く関係ないみたいです。あれは仏教の話。「群盲象を評す」というやつです。でもわたしは、<サン・テグジュペリ><星の王子さま>で必ず連想してしまいます。一体、わたしの頭はどこで混線したのでしょう?

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ちょっとだけ違うことば、まったく違うニュアンス

ある健康番組に出ていた若いお母さんが云いました。その日のテーマは、クーラーの中のカビの健康被害について、でした。

「うちの子のお友達がよく我が家に遊びに来るんですけど、そのお友達がうちでよく変な咳をするんです。だから、大丈夫かなと思って・・・」

そのお友達がうちのクーラーのカビを吸い込んだんじゃないか?と、そのお友達の健康を気遣っているのかと思いきや、全然違うんですね。たまに来るお友達があんなだから、ずっと住んでいるわが子は大丈夫だろうか?・・・そういう「大丈夫かな」なんですって。「今どきのお母さんはみんなそんな感覚なんだよ。他人よりまずわが子!」と吐き捨てるように横から補足するのは小児科クリニックに勤めるわたしの妻。

「ルック!○○、いつも見てま~す。毎晩、○○を見ると一日が終わった気がしま~す!」・・・ある若者がテレビ番組のPRインタビューで答えていました。後ろ向きに座ってうちのイヌのブラッシングをしながら聴いていたわたしは、思わず「ぷっ!」と吹き出してしまいました。

「それを云うなら、『○○を見ないと、一日が終わった気がしません!』だろ!」

おまえ、全然違うこと云いよるんぞ、分かっちょるんかしら?・・・というか、本人が恥をかくことなのだから、インタビューを収録したテレビ局の人、なんで誰も注意しなかったんだろう?「それもまた面白し!」っていう、逆手の意図なんだろうか?

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エコナ騒動に思うこと

特定保健用食品(特保)として有名な花王の「エコナ」に含まれる「グリシドール脂肪酸エステル」が「グリシドール」という発がん性物質に分解される可能性がある、ということがヨーロッパで指摘されたために販売を中止しています。「安全性に問題はないとみているが消費者の健康意識も考慮して販売を自粛します」と花王側は説明しているとか。

体内に脂肪を溜めにくい調理用油としてお国がお墨付きを出した食品のこの騒動は、基本的にあまり興味のない話なのですが、それでもいろいろと考えさせられます。

「○○に良い物質!」・・・学者さんたちは、そういう物質をみつけてうまく抽出し、そうやって<無駄のない理想的な食品>を作り上げるのに躍起ですが、美味いところだけ取り出して返ってバランスを壊すということは間々あることです。むかし、塩イコール塩化ナトリウムだと云って工場で化学反応を起させて作った食卓塩が蔓延りましたが、それが間違いだということを多くの文化人は知るようになりました。あるいは、毒物Aと無毒物B、Cが共存していて、毒物Aを取り除いたら、B+Cで毒物Dができてしまった、ということもよくあることです。つまり、自然界で複雑に入り組みながら出来上がっている物質を妙に弄(いじ)ると予想だにしないものができあがることもある、ということです。自然界のものには絶対に「無駄」がない、というのはとても大事な事実です。

その一方で、もうひとつの思いが浮かんできます。「発ガン性」ということばに過敏すぎるのではないでしょうか?。必ずがんになるとは云ってないし、必ず発がん性物質になるとも断言していないのです。どうせ食用油なんて使わなくても困らないのだから、気になるならあまり使わなきゃ良いことです。あるいは初めからオリーブオイルにすればいいこと。「こんなものを食べると動脈硬化を起して心筋梗塞になるよ!」と注意しても無視するくせに、「微量の発ガン性物質が入っている」と云った途端に食べるのをやめる、ってホントに現実が分かってないよな!と、ついグチりたくなります。

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不安。

我が家もまた、ワンコ2匹と熱帯魚とバラの鉢植え群を除けば、妻と二人暮らしです。

ときどき不安になることがあります。それは突然襲ってきて、アタマとカラダの中をザワザワとかき乱していきます。「ひとりぼっちになること」の不安です。二度の流産を経て、結局私たち夫婦には子どもができませんでした。わたしの姉一家は三重県に住み、妻はひとりっ子です。妻とわたし、旅行中の事故か大天災にでも遭わない限り、どちらかが先に逝くでしょう。「自分が後に残ったとき、独りで生きていくことの強い不安感がときどき押し寄せてくるのよ」と、あるとき妻がわたしと同じような心を明かしました。わたしを実家の墓に葬った後、自分はどうなるのだろう?とも思うのだと云います。

理想はやはりわたしが少しでも後まで生きていることなのでしょう。彼女の希望である南の島への散骨も、わたしが残っていないとうまくいかないかもしれませんし・・・。あの狭い墓の下で、わたしの両親に見張られながら四面楚歌のような状態になるのは死ぬほど(?)辛い。だから散骨してくれ!と彼女が云うのです。

こういうことを考えていると、あるいはそんな話を夫婦で冗談交じりに話していると、本当にいたたまれなくなることがあります。それぞれに仲の良い友人は居ますが、それぞれの生活の中で友人は友人でしかなく、きっとわたしたちは友人に頼ろうとしないでしょう。だからもっと助け合いの仲間を作るべく社会に出ましょう!そんな打算的な生き方を要領よくできるタイプが夫婦のどちらにもないのが、また悩みの種なのです。

で、結局、まあ何とかなるさ~ケ・セラセラ~ということで、時が過ぎていくのでありましょう。そのときが来たら、どなたかどうぞお助けの手を!

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残された人生

「夫は、去年の12月26日に亡くなりました。」

毎年、寄り添うようにして人間ドックを受診してくれるある開業医のご夫婦がおられましたが、今年は奥様だけが受診されました。やつれきった奥様の姿が、この半年間いかに大変だったかを物語っていました。個人開業の院長が亡くなったのですから、最愛の夫を亡くしたことに打ちひしがれている余裕はありません。今まで何も知らなかった膨大な事務処理のために不眠不休の日々を送ったのだと、受診結果の説明の時間に切々と語ってくれました。

「何しろ、いつも一緒でした。しかも毎月のように二人で山に登りました。お正月は外国の山に二人で行くのが決まりでした。彼はいつもタフで、しかもとても物知りで心から尊敬できる人した。・・・だから、一人残されて途方に暮れています。それでも感傷に浸るヒマもありませんでした。地獄のような日々でした・・・。」

頼もしい伴侶にすっかり頼り切っていたこれまでの人生が伺えます。そして一人残りました。一人で山歩きをする気にもなれず、食べたくもない食事を無理矢理口に押し込んでいいる日々だったと云います。

幸い、健診結果はほとんど問題ありませんでした。軽い弁膜症も耐糖能異常も昔と変わっていませんでした。彼女もその結果を聞いて、ちょっとニコッとしました。でも、彼女の人生はこれからなのだと思います。やっとすべての処理が一段落した今、急に気が抜けて何をする気力も湧かなくなるかもしれません。喪失感と不安感はこれから押し寄せてくるのかもしれません。わたしたちは相談をしました。「もう一度だんなさんと歩いた思い出の山に登ることにしませんか。でも、今の体力ではムリです。来年の春に登ることを目標にして、これから少しずつ体力をつけましょう。」・・・これからは、すべて自分の力で生きていく人生ですが、きっとだんなさんが見守ってくれるから大丈夫です。来年、いい知らせをお待ちしていますね。・・・そう云って別れました。

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健診の使命

くどいようですが(文頭から<くどい>もないもんですが、これまで何度も書いてきたこのなのでこうしてみました=蛇足)、健診は病院受診とはまったく違います。もともと「自分は病気ではない(と思っている)」人が受けるものが健診です。

同じ採血結果であっても病院でする採血と健診で受ける採血は違うものです。病院の採血は、「異常がない」ことを確認することが目的です。一方、健診のそれは「正常である」ことの確認です。「結局同じことじゃないか!」と云う人がいます。全然違います。主眼がどっちにあるかで結果の評価は全然違うものになるのです。

たとえば、動脈硬化に加速度を増させる「食後高血糖」はどうでしょう。「異常か?」と云われれば異常ではありません。だから病院では下手をするとOKと云われます。でも「正常か?」と云われればまったくもって正常ではありません。だから健診ではこれを問題にして生活改善を促すのです。

「がん」の場合は、健診の目的はあくまでも早期発見です。進行がんになったら健診の負けです。でも、それ以外の生活習慣病では早期発見が目的ではありません。どんなに軽くても、病気になってしまったらすでに健診の負けです。グレイゾーンを白色にするのが健診の使命だからです。

どんなに「くどい!」と云われようとも、何度も何度も強調したいことなのです。受診者も医療者もどうしても納得してくれようとしないじれったさに、最近ちょっと自嘲気味ですが・・・。でもグレイはそのまま放っておいても白色にはならないものなのです。

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左右対称はキライ

実家の墓参りに行きました。生憎(あいにく)熊本から花を持っていく余裕がなく、墓の近くのスーパーの花屋で調達しました。こういうとき、わたしは対になる花の種類を必ず違うものにします。一方にピンクの花を選んだら片方は紫だったり黄色だったり・・・。

きっちりと左右に同じものが填(はま)ってないと落ち着かない性格だったわたしが、いつからそうなったのかは忘れてしまいました。ただ、左右対称は面白くない。こじんまりと安定するけれど特徴が出にくいと思うようになったころ、そんな面白くない、特徴のない自分がイヤになって、何とか自分を変えてみたいと思ったことを思い出します。決して奇をてらうのではなく、「こう落ち着くのが当たり前」と思われている既成概念を、本当は変えられるのではないか?もっと面白く活かせるものができるのではないか?いちいちそう考えるようにしてみたのです。いつも一度は必ず違う角度からもモノをみてみようという姿勢をとるようになったら、見えてくる世界がどんどん大きくなってきました。

陳腐はキライ!

シャイなわたしは、決して目立ちたいとは思いません。でも、「当たり前」のものを「当たり前」で終わらせるのはイヤなのです。

だって、お墓にお供えする花は、左右対称じゃなくてもちゃんと落ち着くものなのですから。

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言い訳

ある日、福岡の親戚が訪ねてきたので、近くの寿司屋に出前を注文しました。熊本では有名は老舗の寿司屋です。

20分ほどして持ってこられた料理は一品だけ足りませんでした。早急に持ってきてくれるようにその場で連絡してもらいました。その品が親戚の注文したものだったのです。ところが待てど暮らせどやってきません。電話をしても文字通りそば屋の出前状態のつれない返事です。お客さんの料理が来ないのにわたしたちだけ食べるわけにはいきません。さすがに堪忍袋の緒が切れました。「もういい!バカにしているのか?もう持ってこんでいい!」といって電話を切りました。家の中に重い空気が充満しました。状況から想像するに、バイトのお兄さんが近くまできて場所がよく分からずうろうろした挙句に戻っただけだと思うのです。それらしいバイクの音が家の横を通り抜けましたから。

小一時間してから店の人が菓子折りを持って詫びにやってきました。ただ只管(ひたすら)頭を下げます。
「遅くなった理由を教えてください。」と切り出すと
「何も言い訳は申しません。全く私どものミスでございます。」
「怒っているのではありません。ただ理由を知りたいだけですから本当のところを教えてください。持ってきた人が道がわからなかったのではないのですか?うちは道が入組んでわかりにくいから・・・。」
「何も言い訳は申しません。どうも申し訳ありませんでした!」

・・・この異常なまでの一点張りの返事はなんなのでしょう?これがこの店のマニュアルなのでしょうか?それとも経験上頭だけ下げておくのが一番丸く収まるという考えなのでしょうか?誰が考えてもこの対応はまとまるものをまとまらない方向に向かわせるだけだと思うのですが・・・。もちろんわたしは、持ってきた菓子折りをつき返して追い返しました。その後一度もこの店から寿司はとっていません。

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ボスのメモ

休憩室でナースが話しているのを、弁当を食べながら聴くでもなく聴いていました。

学会の発表原稿のチェックを上司にお願いしたらいくつか訂正の指示が返ってきた。帰ってから訂正しようとしたら、どこだったかわからなくなったので全然違うところを変えてしまった。でも、上司の方もどこの訂正を指示したか良く覚えていなかったらしく、結局そのまま合格になった。

というものです。聴きながら、先日13回忌を迎えたわたしの元上司のことを思い出しました。忙しい職場でしたが学会活動も盛んで、大きな学会に毎年各自必ず2演題以上を出すのがルーチンでした。ボスとその打ち合わせをするのはいつも早朝です。7時からのカンファレンスの前なので5時半ころに約束をさせられたりしました。

今回はどんなテーマにする?どうアプローチする?こういうのはどうかと思うんだけど・・・「アイデアが勝手に湧き出てくるんだ」と云っていた彼らしく、研究テーマのアイデアは次々と出されてきました。彼の最大の特徴は、具体的に話し合いながら自らの考えをまとめていくかのように事細かに原稿用紙にメモをすることでした。目的や対象、その方法、そしてこれからのスケジュールなど・・・この限られた時間の中でそんな細かいことまで書かなくても、と思うようなレベルまで書きました。そして最後に「1部コピーしてボクに頂戴」と云って、その数ページに及ぶ厚いメモを渡してくれるのです。

ところがこのメモがすぐに本領発揮しはじめます。いざ始めようとしたとき、「さて何を何のためにするんだったか?」ちょっと不安になります。なにしろ似通った内容の研究を同時進行で複数進めていくのです。そんなときにこのボスの書いたメモを読み直します。即座にスッキリと頭の中が整理されます。ときどき行う中間報告のときにもそのメモを基に話しますので、冒頭に書いたナースのようなことは起きません。

彼のあの手書きメモこそが、わたしたちの学会発表の原動力になっていました。

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紹介状の行き先

健診結果でさらなる精密検査を勧めたり早く治療を受ける方がよいと判断したときに、医療機関への紹介状(診療情報提供書)を発行します。

もともとかかりつけのクリニックや病院がある人は、割と気軽にその紹介状を持って受診してくれます。ところが、日頃あまり病院にかかったことのない人にとって、「病院を受診する」という行為は想像以上に敷居の高いことのようです。

まず、「どこに行ったらいいか?」・・・わたしたちは受診する病院名を指定しません。「専門医ならどこでもいいですよ。お近くでその科を標榜しているところを探すか口コミで聞いてください」・・・この「どこでもいい」ということばほど不親切で厄介なことばはないな、とたしかに思います。「そんなこと云われたってわかんねえよ」と思案しているうちに、時は過ぎていきます。で、いざ行ったとして「受付で何と云ったらいいの?」・・・わたしたちは病院受診を簡単に考えています。「受付にこの紹介状を出せばいいだけだろ」と思っています。ところが、勝手を知らない未知の場所に、自分のカラダを人質にしてもらいに行くような行為ですから、それは一大決心がいるのだ、ということもよく分かります。なぜなら、かく云うわたしも病院受診は苦手だからです。

「○○病院に△月●日に行ってください。予約を取っておきましたから」・・・こう云ってもらったらどれだけ気が楽か。行かないで済むなら行きたくないところなのですから。現在そんなことができるのは自施設の病院があるところだけでしょうけれど、これから地域のクリニックや個人病院と連携してそういう手厚いフォローができるようになれば、健診後の精密検査受診率は大幅にアップするのではないでしょうか。

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主観の入る検査

人間ドックの検査には、判定に担当医の主観が入るものが少なくありません。例えば、眼底検査・・・昨年は「軽度動脈硬化あり」だったのに今年は「異常なし」になったとか、あるいはその逆だとかいうことはよくあります。判定の定義そのものが半定量的(つまりは主観的)な上に、年齢や他の病気の有無や喫煙の有無などを考えて判断することになれば、判定する医者各々の経験や医療観が絡んでくるのは当然といえば当然です。

それは胸部レントゲン検査や胃内視鏡検査、あるいはわたしが担当している心電図検査にも云えることです。そこにある所見が出たり消えたりするわけではありません。そこに見えている絵(所見)に意味があるかないかの考え方の差が出るのです。

それを「いい加減だから信用できない」と云う人もいます。たしかに何も変わっていないのに「異常なし」だったり「異常あり」だったりするのは困惑するでしょう。心電図検査などは数学的な判定基準があるのだから機械が勝手に所見を出します。それをそのまま答にするならそんなバラツキはないはずだ!これは医者の見落としではないか?と疑念を持たれたこともあります。

検査結果の判定が機械的ではないからこそ良いのだとわたしは思っています。機械的な評価をすれば良いのであれば機械メーカーが作ったロボットが白黒つければ良いでしょう(世の中に「異常」ということばが大量に溢れてくるでしょうけれど)。でも、そこに専門医の経験値が加わるからこそ、その検査の「絵」に実体(命)が生まれるのではないかと思うのです。もちろん、がんの見落としがあったのでは本末転倒ですし、「異常なし」が一転して「要精密検査」になるのはあまりに考え方が違いすぎますが・・・。

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肝油ドロップ

「肝油(かんゆ)ドロップを知っている人?」・・・中村丁次先生がセミナーの講話中に左手を上げながらそう聞きました。

「意外に居ますね。これを知っているかどうかで、歳が知れてしまいますね~」・・・先生はニヤリと笑って話を続けました。もちろんわたしもしっかり手を挙げました。

わたしが子どものころ、夏休みになると必ず肝油の缶を買わされました。真面目なわたしは、それが何のために必要なのかなど何も知らずに、それでも毎朝きちんと食べていました。もちろん、肝油は<サプリメント>です。学校が有無も云わさずに買わせて食べさせた<サプリメント>です。メインはビタミンA・・・不足すると「夜盲症(とり目)」になります。この肝油のおかげで、日本人には一人も夜盲症が居なかったのだと、中村先生は強調しておりました。ビタミンD欠乏症の「くる病」の予防効果も肝油にはあると聞いています。おぼろげな記憶では、「一日2粒を推奨するが1粒でも可」ということで、金に余裕がある家はたくさん買っていたような気がします。

栄養状態の良くなった現在では、もちろん学校が一律に斡旋することはなくなっていることでしょう。ただ、<サプリメント>が普及しています(ご他聞に漏れずわたしもいくつか飲んでいます)ので、ちょっと注意してください。現在、すべての栄養素に「欠乏症」と「過剰症」があることがわかっています。「すべての栄養素」です。「これは摂りすぎても余ったものは出て行くから心配ない」と思って、<サプリメント>を一度に大量に取りすぎることのないように、指定された用法用量を必ず守るようにしてください。

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<食べること>の雑学

先日、あるセミナーで中村丁次先生(神奈川県立福祉大学)のお話を聴きました。面白いと思ったことを書き並べてみます。

「人間は、生きていくための栄養素を摂るためにモノを食べているのではない!」

   栄養学者の究極の目標は、「朝1つだけ摂ればもう後は1日何も食べなくても大丈夫で、無駄なものが一切ないから便も出ない」という食物を作り上げることでした。そして、それは現実に出来上がりました。アポロ宇宙船の乗組員が摂った「宇宙食」です。ところが、その完全食は不評でした。こんなものを食べていたら「食事がストレスになる」といって乗組員の間から反対運動が起きたのです。つまり、人間が食事を摂る最大の目的は、「おいしく楽しい食行動」そのものであって、「栄養を摂って健康に生きる」ことではないのだということがはっきりしたのです。

「『モノを噛めば噛むほど胃液がたくさん出て消化が良くなる』というのは本当ではない!」

   味も何もないチューブをひたすら噛んでみても、出てくる消化酵素はほとんど増えてきませんが、味(特に好きなものの味)がついたものを噛んだら、途端に大量の消化酵素が出てくるのだそうです。つまり、ただ「噛む」という物理的な行為だけではダメだということになります。また、口から食べることができずに胃チューブを入れたり胃ろうを造って栄養を摂っている患者さんたちの場合、味覚を刺激することのない限り、たとえ十分な栄養素が入ってきたとしても体内は消化吸収の準備(キャッチアップ)をしないのだということを知っておきましょう。

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こんなにがんばっているのに!

メタボの健診が進む中で、多くのマジメな皆さんが悩んでいることがあります。以前もここに書いたことです。

「食事は野菜から食べ、ごはんはできるだけ時間をかけて良く噛んで、夜9時以降にはできるだけものを食べないのが大事です。」
「わたしはここ2年以上、毎日そうやってきましたし、朝夕の散歩も欠かしません。なのにどうして糖尿病と脂質異常症が良くならないのでしょうか?」

マジメな人ほどこのジレンマに悩まされます。でも、それは「『病気になるのは自分の生活態度が悪いからだ』と思い込んでいるところに根本的な誤りがあるのだ」ということを理解していただかなくてはなりません。よっぽど乱れた人生を送ってきたのであれば自業自得ですが、生活習慣病は体質の病気ですから、模範的な人生を送っていても罹る人は罹るのです。むしろ、そういう人生を送っているから今より悪化しなくてすんでいるんだ、と自分を納得させていただく必要があります。そういう方々のかかえている問題は、「やせれば治る」というメタボの問題とはまったく違う次元のもので、いうならば、「太ると悪化するけれど、やせても治るとは限らない」ということなのです。一言で云ってしまえば<現代社会に向かないタイプ>・・・だから、やることをやってもうまくいかないなら早いとこ病院に行って薬をもらった方が、ずっと質の良い人生を送れる権利を持っている、といえましょう。

ここのところを割り切れるかどうかが、思いの外大変な様子ではありますが・・・。

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芸術家と職人

東京に居たころ、妻が通っていた新大久保のステンドグラス教室では、とても繊細な小さなパーツと小さなノリしろ(というのかしら)でとても細かい作品を作っていました。熊本に帰ってきて、自宅近くにあったステンドグラス教室に行き始めたら、作風がガラッと変わりました。のりしろも大きいしパーツも大小さまざま。結果として大味だけれどダイナミックな作品が増えてきました。「そんな細かいことにこだわっててもしょうがないよ」とその教室の女先生は豪快に笑っていたと聞きます。

「まあ、性格だけじゃなくて、同じような芸術作品でも、職人としてこなすか、芸術家にこだわるか、その差が出てくるんだと思う」と云うのが妻の分析でした。どっちが職人で、どっちが芸術家なのか良く分からないといえば分からないのですが・・・何となく<言い得て妙>という感じで聞いていました。わたしは、相手が満足できる仕事をする(作品を作り上げる)人が「職人」で、まず自分が満足できる仕事をする(作品を作る)人が「芸術家」だと区別しています。

そう考えると、医療の場はまさしく職人の集まりです。うちの病院のような高度先進医療を積極的に追求している現場では、<ゴッドハンド>のような名人芸の医者はたくさんいます。患者さんの命を救うという作業をするのですから、「職人の中の職人」といえるでしょう。それなのに、現場はとかく自分の満足を満たそうとしすぎているのではないか、ということが問題になりました。患者さんにとって、そこまでする必要性はないと思えるところまで手を出しているというのです。そういう反省から、現在ではそこに病変があっても臓器に大きな影響を受けない限り簡単には手を出さない、という考え方が主流になっています。

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ムリっ!

最近流れている、ある住宅会社のCMが気に入っています。部屋でうたた寝している女性(上野樹里)の前に、テレビの中から羊の子どもが飛び出てきます。

「ひろ~い、人間にはもったいなくない?」
「もったいなくない・・・。」
「あ、そうだ、親を呼ぼう!」と携帯を取り出す彼。
「なんで?」
「心配するから。呼んでいい?」
「・・・ムリっ!」

この、「・・・ムリっ!」が好きなんです。元々準備された台詞であれ、アドリブであれ、全くわたしの発想の中に存在しないことばだったので、ビビンと響いてしまいました。一般のオヤジであるわたしが考えるなら、それが日常会話であれ、脚本家として書くのであれ、「呼んでいい?」の答えは「ダメ!」か「勘弁して!」であって、「・・・ムリっ!」は絶対出てこないなと思うのです。これが今の若い子たちのことばの発想なんだろうな、と素直に感心します。ここで上野樹里に云わせるなら、やっぱり「ダメ!」より「ムリ!」の方が良いよな。

もう少し、ボキャブラリーを増やす心の旅に出かけたいものだな、などと思いながらこのCMを見ているのであります。

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心の傷

以前も紹介したことのある医学雑誌MMJの「からだの歌 こころの歌」の九月号にまたひとつ気になる句が載っていました。今回のお題は「傷」。

何事も無かったように
   かさぶたが閉じゆくように日常続く (川本千栄)

解説にはこうあります。
「・・・作者は、心が深く傷ついた経験をそっと詠っている。傷口を覆ってかさぶたが閉じるように、心の傷もふたをされ、日常は続いていく。けれども、「~のように」の繰り返しにはどことなく屈託が感じられる。皮膚の傷はかさぶたができて治っていくが、心の傷は覆い隠そうとしても、思いがけないときに再び血を噴き出して、痛み始めることがある。」

この句を読んだときに、わたしが感じた「寂しい感じ」の理由を、解説は見事に云い当てていました。何事もなかったかのようにきちんと癒えてしまえるなら何も申し分ないけれど、完全に治りきれない傷をかさぶたで隠しながら生きている自分が居る。そんな自分に対する苛立たしさと、いつ再び傷が口を開けるかという不安感とが、この淡々とした句には感じられました。

産業医としてのわたしの仕事の中で、メンタルケアの占める割合がどんどん増してきているような気がします。彼らを見、彼らと話していると、多くの場合にこの句を読んだときとまったく同じ淡々さを感じるのです。彼らの気持ちをうまく代弁した句だと思いました。

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植木鉢の中の雑草

先日、庭の草刈りをしました。我が家の庭にはたくさんのバラの花が植えられていますが、植木鉢に1本ずつ植えられたバラの木もたくさんあります。そんな植木鉢の中にびっしりと生えた雑草を抜きながら、考えを巡らせました。

植木鉢の中はとても小さな世界です。日照りが続くと、地植えの木と違って水をやらない限り自分で水を手に入れることはできない世界です。たまたまそこに生を受けた雑草たち。その小さな世界の主であるバラの木とともに、宿命的にここで儚い一生を終えるわけです。かわいそうになあ。地面で伸び伸びと生きている仲間たちと違って、人間の加護がなければ絶対生きていけない雑草なんて、きっと不本意だろうなあ。

と思う反面で、彼らがちょっと羨ましくもあります。地を這っている雑草たちは自らの力で水分を得る努力をしなければなりません。光合成だけでは生きていけません。でも植木鉢の中の雑草たちは、自分で努力しなくてもニンゲンが忘れない限り確実に水をもらうことができます(もちろん主であるバラがもらう分のおこぼれですが)。ニンゲンやイヌやネコたちが踏み散らすこともなく、天敵も居ない快適な環境で生きています。きっと、だから植木鉢の中の雑草たちはあんなにデカく成長しているんだろう。そう思うと、そんな人生も悪くないかな・・・と思うのです。

人間、ちっちゃく生きちゃダメだよ!<井の中の蛙、大海を知らず>みたいなちんけな人生を歩んじゃだめだよ!そう云われ、そう思って生きてきましたが、大海を知ったから自分がちっぽけだと云うことに気付くのであって、知らないままに自分が自信を持って一生を全うするなら、そっちの方が「良い人生だった」ということになるのではないか?自分の人生、人と比べて大きいとか小さいとか考える意味はあるのだろうか。・・・そんなことを考えながら、根こそぎ抜き取ってやりました。

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ニンジン嫌い

蒸したニンジンを食べました。蒸しニンジンは、とても甘くて美味しい味でした。煮たり焼いたりするのと違って、蒸し器で蒸すと野菜の持つうま味が全部残っています。取りたて野菜はもちろん美味しいですが、そうでなくても蒸し器のニンジンは思いの外美味しくて驚きました。わたしはニンジン嫌いではありませんが、「ニンジンが大きらい」という人でも、きっとこれを食べたら「美味しい」と云うだろうなと思いながら食べました。

ただ、じゃあ<ニンジン嫌いの人>が、これから好んで蒸しニンジン料理を食べるかと云ったら、きっと食べないだろうなとも思います。そこに蒸しニンジンがあって、「食べてみろ」と云うから食べてみて、「意外と美味しいね、これは食べられるね」と思った。かもしれないけれど、わざわざニンジンを食べようとはしないでしょうし、作ろうともしないだろうと思うのです。「どうしても食べなきゃいけない」と云われたときにはこういう方法があるな、という選択肢にすぎないのです。

わたしにはほとんど嫌いなものがないので実感が湧きませんが、特に食べ物は、一度嫌いになったものは基本的に一生嫌いなんだなと思います。ニンジン嫌いな人も、ピーマン嫌いな人も、しいたけ嫌いな人も、結局子どものころに美味しくないものを口にしたせいなのでしょうか。「別にそんなもの食べなくたって困らないし・・・」という人たちは、せっかく食べられるしせっかく美味しいのに、と思うと残念でしょうがありません。そんな人たちは親になってもわが子にそれを食べさせようとはしないのでしょう。・・・ん~考えただけで勿体ない。

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窓に並ぶ小人たち

<妖精がみえる>というひとが意外にたくさんいます。「オーラの泉」の最終回でそんな話が出てきたときに、思い出したことがあります。

「あそこの窓に小人が並んでこっちをじっと見ているのよ」・・・個室に入院していた初老の女性が何度も見回りのナースに訴えるので、病棟でちょっと話題になったことがありました。重症の心臓病患者が昔から多く入院している病棟でしたので、亡くなった患者さんの幽霊の話はあまりめずらしいことではありませんでしたが、「小人」の訴えは初めてでした。「ICUシンドローム」という病態があります。手術や急性心筋梗塞などで長時間拘束された後などに、幻覚や妄想に悩まされ、不穏状態になったりするのです。個室に拘束されていたこの女性も、きっとシンドロームにかかったんだろう、というのがスタッフの大半の意見でした。

ある日、主治医のI先生が回診をしていたときに、突然彼女が「先生、今あそこから3人の小人がこっちを見て何か云っている!」と叫びました。指差された方向を見ても特に何も見えません。「あまり心配要らないみたいですよ」と彼はなだめようとしましたが聞き入れません。「先生、ほらあそこ!」・・・彼がもう一度見直してみたら・・・いました、たしかに3つの頭。・・・それは、窓枠に停まってこっちを見つめる鳩たちでした。小人だと思っていたのは鳩たちの顔だったのです。この病室のすぐ外に、鳩の巣ができていました。今はほとんどありませんが、以前は病院に良く鳩が巣を作っていたものです。

そんな笑い話があったのはもう15年以上前のことです。でも・・・もしかしたら、彼女が見たものはたまたま窓の外に居た鳩ではなくて、その手前に浮いていた<妖精>だったのかもしれない。そんな気もしてきました。

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5分早くなった!

自転車通勤を始めて1年になります。職場まで6~7km、約30分をかけて通勤していましたが、その所要時間が最近5分ほど短くなりました。

朝の街乗り自転車は、一生懸命こいでいる割に意外に時間がかかります。信号機であったり交差点に突っ込んでくる車であったり逆走高校生軍団であったりと、闘う相手が多いからです。とくに高校生たちは我が物顔で逆走するだけでなく、何人も横に広がって向かってくるので気が気ではありません。彼らには「一列になる」という発想がないようで、すれ違う時にはただ互いの距離を近づけるだけ・・・若いからできる技だ!と、いつも舌打ちをしながら走っていました。

ここ一ヶ月、そんなイライラがほとんどありません。障害物があまり障害物と感じられなくなってきたのです。すれ違う高校生たちの数も、車の数も、ほとんど変わりはありません。変わったことといえば、<闘わなくなったこと>でしょうか。意地になって守っていた「自転車は左側通行!」にこだわらないことにしました。信号機が赤なら反対側に渡ればよい。「反対側走ってるんだから、おまえらが避けろ!」と意地で張り合っていた陣地争いもやめました。「交通ルールを守れない若造に媚びを売れるか!」と闘っていたころと違って、彼らのルールの流れに従ったらどうということなく隙間ができました。とっても楽な通勤です。

これは、人間つき合いのすべてに通じる真理だな、と思いました。<力を抜いてちょっとだけ引いてあげることは必ずしも敗北にあらず>というところでしょうか。

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手摺り

ちまたに広がる新型インフルエンザ対策として、手洗いやうがいの励行を指示されています。自分のカラダを守るためにできるだけ水洗いだけしかしない、という偏屈医師のわたしですら、最近は良く石鹸で手を洗っています。

臨床現場にいないわたしにとって、しかも家庭に子どももいない状態で、感染者に濃厚接触する可能性はきわめて少ないんじゃないかと踏んでいます。出張や映画鑑賞やスポーツ観戦で人ごみの中に入ることは多いのですが、それでも濃厚接触するとは到底思えません。ただ、ひとつだけ気になっているのは「手摺り」です。手摺りとドアノブは誰がいつ触ったか分からないものですから。・・・ドアの取っ手はやむを得ないとしても、病院の階段の手摺りやデパートや空港のエスカレーターの手摺りは、触らなければ触らないで何とかなるのではないか!・・・そう思ったわたしは、出張のときや日頃の仕事のときに意図的に手摺りを触らないように試してみました。

ところがこれが、年寄りになってくると案外大変なのです。「危険ですから手摺りにつかまって・・・」というアナウンスが流れている理由が良く分かります。手摺りに頼ることなくエスカレーターに立っているだけでめまいがしてきたりします。特に高所恐怖症のわたしは、長いエスカレーターに立って昇っていくだけでドキドキし始めます。職場の階段をのぼっているとバランスを壊して後ろに倒れそうになったり・・・マジで、怖かったことが何度あったことか。

年寄りの冷や水はほどほどにして、やっぱりまじめに手洗いを励行する方が得策かもしれません。

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デジタルの落とし穴

「これだけ毎日運動をして5kg以上痩せたのに、内臓脂肪が増えているなんて、絶対おかしいですよ!」

うちの健診センターの生活習慣病改善のプログラム会員さんは、3ヶ月ごとに腹部の内臓脂肪CT検査を受けることができます。先日、ある女性会員さんが3ヶ月めの検査を受けましたが、その結果をみて、指導に当たっていたスタッフが検査結果に疑問を抱きました。3ヶ月前のCTと明らかに形が違うというのです。しかも開始前に73cm2だった内臓脂肪面積が107cm2に増加しているのです。結局、数日後にもう一度CT検査のし直しをしましたら、72cm2でした。・・・これで、みなさんは納得したようです。でも、どっちにしても全然減っていませんけどいいんでしょうか?

実は、たぶんどっちの結果も間違いではないと思います。彼女が運動をして体重が減ったことは事実です。腹囲も6cmも縮んでいます。何が変わったかというと、一目瞭然です。皮下脂肪が200cm2から150cm2に減っていました(取り直した画像では164cm2)。わたしには今回の2回のCTはどちらもほとんど同じに見えます。CTは臍の高さの1断面です。だから息止めのタイミングや腸管の位置関係で残念ながら簡単に数値は変わってしまいます。また、CT検査の絵はCT値というもので決まります。そこに筋肉の絵があるのではなく、筋肉に相当するCT値の部分を「筋肉だろう」と想定する、脂肪に相当するCT値の部分を「脂肪だろう」と想定する。つまり、そこに脂肪として色付けられている部分が本当に脂肪とは限らないのです。

良く理解できないかもしれませんが、つまり107cm2も72cm2も同じなのです。デジタル表示された数字は妙に一人歩きしがちですが、そんなものなのです。この女性の3ヶ月間の事実は、単純に「内臓脂肪量は変わらずに皮下脂肪量が劇的に減った」ということ。それでいいじゃないんでしょうか?数字にあまり目くじら立てませんように。

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「虹色おいさん」

くまもと水事情からいつの間にか「塩九升(しょくじょう)通り」に思いが馳せました。大分市の中心街の東の端、長浜神社近くの通りの名前です。田舎者のわたしは、数年前に初めてこの一風変わった通りの名前を知りました。長浜神社のお祭りを「長浜さま」といい、街中の人たちには昔から馴染みの祭りです。「長浜さま」は夏の訪れを告げる夏祭り。先日行われた熊本の「藤崎宮例大祭」は秋の訪れを告げる祭りです。

そして水といえば、河童(かっぱ)。「塩九升(しょくじょう)通り」「水」「河童」・・・どうしてこんな関連のなさそうな名前が今になって連想されるのだろうかと考えていたら、やっとわかりました。それは、平成17年から18年にかけて2ヶ月ごとに発売された小説、「虹色おいさん」です。7人の仲間とその家族がさまざまな人間模様を織り成す全7巻のお話。河童のおかげで(?)時々子どもの時分にタイムスリップなんかして・・・書いたのは地元大分で活躍するフリーライター吉田寛さん。評価的にはどうだったのか知りませんし、地元限定の発売ですのでどれくらい売れたのかわかりませんが、わたしは発売を待つようにして読み耽りました。そこにいる仲間たちが心から羨ましかったからです。子どものときからずっと一緒に生きてきた仲間たちが、大人のおいさんになってもずっと同じでいるって、良いよなあ。中学に上がるときに地元を離れたわたしは、ずっと<よそ者>感覚で生きてきました。中学時代の同級生たちと今でも一緒に飲みますが、やはりわたしの心が今でも<よそ者>で(彼らはそんなことないって云うんですが)・・・「虹色おいさん」の世界はわたしの憧れです。

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藻器堀川(しょうけぼりかわ)

くまもと「水」検定公式テキストブックの65ページに「藻器堀川(しょうけぼりかわ)」というのがあります。もう熊本の生活も長くなりますが、わたしも初めて聞いた名前です。長嶺町に水源があり、保田窪本町から帯山西小学校、渡鹿、水前寺駅南、水前寺公園(水前寺成趣園)鳥居下と続いて、電車通りをくぐって江津湖へそそぐ約8kmの儚い流れなのだと書かれていました(ローカルな話ですみませんが、わかる人にはわかる地名です)。妻の話では、昔はかなりの暴れ川だったそうです。

わたしが食いついたのは、実は名前の由来になった「藻器(しょうけ)」ということばです。「しょうけ」・・・ばあちゃん子だったわたしが農繁期にばあちゃんと二人で田舎に帰ったとき、よく聞いた単語です。「そこん、しょうけん中にとうきびがあるけん、食べちょきよ」(そこの、「しょうけ」の中にトウモロコシがあるから食べておきなさい)・・・「しょうけ」とは「しょうけ」。ん?何なんだろう?と思って調べたら、正式には<竹で編んだザル>のことらしい。妻は「しょうけ」ということばを知りませんでした。都会っ子だからなのか?それとも大分の方言なのか?と悩んだことがあります。

「藻器堀川」の場合は、水が川底にザルのように染み込んでしまうからとか、国分寺の塩桶を洗っていたからとかいう説があるのだそうです。「しょうけ」は<「塩受け」からの転>って載ってますから、「塩桶」つまりそのザルで塩を漉くって洗ったのだろうかしらとか想像します。貴重品だった塩に関連することばは、やはり水の世界にはついて廻ります。塩といえば「塩九升(しょくじょう)通り」・・・これは大分です。長浜様です。

ちなみに、簀(す)のように編まれた桶=簀桶(すおけ→しょうけ)という説もあります。

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くまもと「水」検定

熊本市は上水道のほぼ100%が地下水です。街のど真ん中に悠然と白川が流れ、街は川に沿って<無秩序に>広がっています。碁盤の目のように区画整理された大分市出身のわたしは、いまだに方向がわからなくなります。一方、我が家の近くに横たわる人口湖の江津湖は、加藤清正が作ったもので、加勢川となって最終的には緑川と合流します。まるで街全体が川の巣の上に乗っかっているかのようです。

先日、知人に誘われて、くまもと「水」検定を受けるための公式テキストブックを買いました。あまり興味がなかった熊本の水事情ですが、テキストを読み進めるにつれて、意外にもどんどん嵌(はま)ってしまいました。

初めて熊本に来たのはYMCAの大学模試でした。洗馬橋駅近くの川に面した旅館に泊まりました。あれが坪井川だったのかと遠い昔を思います。大学生時代を過ごした下宿屋は子飼橋の近くでした。その河川敷に唐十郎の紅テントがやってきたのは入学間もない頃でした。それを観て演劇部に入部した友人は、結局今でも東京で芝居を続けています。白川には何本もアーチ橋が架かっています。酔っ払うと必ずそのアーチをよじ登ってしまう登山部の友人は、ハラハラして見つめるわたしたちを尻目にそのまま何もなかったように反対側に降りていくのが常でした。坪井川近くのアパートの1階に住んでいた友人は、大雨の翌朝、起きてベッドから下りたら足元が水浸しで驚いた!と良く話していました。熊本城近くの病院で働いていたときの大雨では井芹川が氾濫し、路面電車は折り返し運転をしました。休日出勤していたわたしが大急ぎで帰ろうとしたとき、車のブレーキが全く利かずに怖かったことを思い出します。水前寺公園から江津湖畔、そして江津塘(とも)は、妻の実家に通じる道筋です。

・・・わたしの青春時代の思い出の多くが、川と水に綴られています。今度ゆっくり川巡りの散策をしながら昔を想ってみたい、という気分にどっぷり浸ってしまいました。

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未受診

健診の問診を確認していると、「脂質異常症 未受診」「糖尿病 未治療」などと書かれているのをよく見かけます。なのに「高血圧 内服治療中」とも書いてあったりします。こういう記載があると、見るたびに「何言ってんだか?」と一人突っ込みをしてしまいます。

まずは本人に対して。おそらく健診などで「脂質異常症ですので治療してください。」とか「糖代謝に異常を認めますので・・・」とか指摘されているのでしょう。なのにどうもないから病院に行かず紹介状も捨てて好き放題しているというのなら、「あなたの人生、勝手にしたら?!」と無責任で冷たいわたしはすぐに突き放します。でも、この人は高血圧に対して「内服治療中」とあります。それなら、脂質異常のことも糖代謝異常のことも高血圧の主治医は知っているわけです。当然、運動しなさい!食事に注意しなさい!とうるさく云っているでしょう。それをすることが「治療」だ!ということを、そろそろみなさん分かっていただきたい。・・・「薬を飲まないと治療じゃない!」と云い張る人はまだしょうがないかなと思いますが、「未受診」はないでしょうよ。「わたしのかかっている先生は『高血圧の先生』であって『脂質異常症』の先生にはかかってません!」・・・そう云い切るご高齢の方は確かに居るのです。もう少し、「医療機関」というものを「身近な身辺お世話係」の感覚になってもらいたいなあと思うばかりです。

そして、この問診記録を記載した医療者(保健師さん)に対して。この医療者自体が、<治療=薬>の古い病院感覚を振り払わないと、受診者の方が<運動=治療>だと思うようにはならないだろうな、と思います。ちょっとばかり暗澹(あんたん)たる気分になってしまう偏屈ジジイなのであります。

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シルエットの葛藤

「やっぱりこのカラダは、膨らんでる~!」

数年前に、人に勧める生活療法を自分でいろいろ試してみていたら勝手に体重が10kg減りました。生活習慣病やメタボの講話を依頼されている身としては、大変好都合な経過です。「やせられない」は「やらないだけさ」と強気に反論できるからです。・・・でも、最近フロに入る前に洗面所の大鏡に映る自分のシルエットを眺めるにつけ、何となく大きくなった気がするのです。<いや大丈夫。だって手首は変わってないから胸板が厚くなっただけさ>陰のこころがつぶやきます。確かに手首を握ってみる限り1年前と一緒だ。でも、脇腹にはもうちょっとクビレがなかったか?・・・<いやいや前からそんなものよ>。でも、横向きに見るとこの腹はもっと引っ込んでたろ?・・・<大丈夫!ほらこうやって腹筋に力を入れて引っ込めたらこんなに細くなる!>陰のつぶやきは続きます。屈んだときにできるこの肉の醜いえくぼのような皺は前にはなかったろ?・・・<それは老化だから。皮膚の張りが減ってきたのはしょうがないから>

陰のこころが一生懸命否定するのだけれど、やっぱりこれは膨らんでいます。昼休みのフィットネスができなくなり、夕食の前の酒とお菓子が野放しになり、もともと高校時代に90kg超級だったわたしのからだが戻っていかないはずはないのです。でも、きっとリバウンドするときの感情ってこんな感じなんだろうな、と思います。「毎日管理していたらこんなに太るまで気付かないなんてことはありえません!」と、リバウンドして再受診してくる方に苦言を呈しますが、徐々に増えていくカラダを毎日眺めながらこんな葛藤を繰り返しているってこと、あるよね~。

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ロコモ検診

モロッコではありません。『ロコモティブシンドローム(運動器症候群)』です。

膝や腰の関節を痛めている人は思いのほか多く、あるコホート研究(大規模疫学研究プロジェクトROAD)によると、40歳以上で膝関節や腰椎関節を痛めている、あるいは骨粗しょう症のどれかひとつ以上罹患している人は4700万人います。これは男性の84%、女性の79%にあたるのだそうです。高血圧の推定患者数は3500万人ですから、それよりはるかに多いことになります。

この事実、意外ではありませんか?わたしは自分が膝も腰も痛めているので良く分かりますが、こういう運動器(骨や関節や筋肉)の複合的な機能不全を「ロコモティブシンドローム」と呼びます。ちょうどメタボリックシンドロームと同じように、自覚症状がほとんどないまま進行するのがロコモティブシンドロームですので、早い時期に自分がそれに該当することを知って、介護予防と改善に努める必要があるというものです。

東大整形外科の中村耕三教授のいう、「運動器の健康は空気のようにいつまでもあるものではない」ということばは、とても当を得た良い言葉だと思います。だから介護予防という意味ではなく、人生を快適に過ごすために今のうちから日々からだのトレーニングをしましょう!という考え方は、まさしくメタボの対策と同じです。そのために健診で運動器チェックも入れる検討も始まってきたと聞きます。自分がロコモ(と呼ぶようになるんだろうか)かどうかを自己診断するのが「ロコチェック」。それでロコモに該当する人にはロコトレ(ロコモーショントレーニング)を指導し勧めていくのです。

メタボと同じようにロコモの考え方の普及はまだまだ紆余曲折ありそうですが、是非とも元気でいつまでも動けるカラダ作りに取り組んでもらいたいと思います。

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人間ドックの説明時間

日本人間ドック学会総会の翌日に人間ドック認定医研修会が東京でありました。

その中で、ある若い先生が質問に立ちました。彼曰く、

「わたしは数年前からある地方都市の病院で人間ドックに従事しています。人間ドックでは『受診者全員に、その日のうちに結果の説明をするのが原則』と云われていますが、それでいつも疑問に思っていることがあります。認定施設報告などを見ていると、受診者数が月に1000人とか何千人とかの施設ばかりですが、これを単純計算すると毎日50人以上来ることになります。人間ドックの結果を説明するには最低でも15分はかかります。わたしは午後からずっと話し続けていますがさすがに10人が限界です。毎日50人の人に結果の説明をする、というのは現実問題として可能なのでしょうか?」

それを聞きながら、わたしは彼にすごい魅力を感じました。そうです。「人間ドックの結果説明には最低でも15分はかかる」のです。「異常のない人は簡単に済ませることにしましょう」というときの「簡単に」の最低線が15分なのです。そこのところが分かっていない医者が多すぎはしないだろうか?と常々不満でしたから、彼のことばに力を得ました。

彼の云うとおり、1人の医者がずっと説明を続けても10人が限界。だから、50人が受診するなら5人以上の医者が必要。そういうことであり、質問を受けた日野原先生もそういう回答をされました。最初に受診者人数ありきだからおかしなことになるのであり、説明できる医者やスタッフの数からその施設で受け入れられる上限の受診者数を割り出すのが当然です。だからこそ、彼が切望するように、人間ドック学会認定施設の条件には、小さいけれどこんな熱意のある先生がいる施設も入れるように配慮してあげてほしいと思いました。

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冷却時間

わたしの職場で定期的に発行している広報誌にコラムを書かせてもらっています(このブログにも勝手に転載しました)。ありがたいことに、読者の皆さんには意外と好評らしく、内容も任せられたままに毎回好きに書かせてもらっています。

実は次の広報誌の原稿締め切りは8月15日ころだと云われていました。「マスク小僧たち」(2008.6.25)をモチーフにしてコミュニケーションの話を書こうと数ヶ月前から考えていました。ところが、eGFRの基準値論争が起きたとき(「健診医の仕事」2009.8.13)、急に考えが変わりました。全体がガン予防の方向に向かおうとしているセンターの方針が面白くなかったのも手伝って、病気の考え方~一次予防のあり方について、この機会に自分の想いをコラムに書きたいという気持ちがムラムラと湧きあがってきました。「検診と健診」(2008.3.18)や「3Dアート」(2009.8.14)や「船の舵取り」(2008.6.22)や、元になる心はこのブログの中にたくさんあります。ですから、文章は一気に書きあがりました。

ところが、何かと忙しかったのでしょう。いつまで待っても編集委員から原稿の催促がきません。そんな中で、先日何気なくその原稿を読み返してみました。愕然としました。文章にはメラメラとした怒りが感じられたのです。健診とはこういうものだ!どうしてみんなはそんな古い考え方しかできないんだ?だれもわかってない!・・・そんな想いだけが表に溢れ出ていました。読んでみるに付け魅力のないしらけた文章だと思いました。発行が遅れたのはラッキーだったかもしれません。勢いでこんな文章を出さなくて良かったと思いました。早速、その原稿を破棄して、大急ぎでまったく違う文章を書き直しました。

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AO入試

学会で上京していたとき、ホテルで読んだ読売新聞に「AO入試」ということばがでていました。全く聞きなれない用語です。私たち夫婦には子どもがいませんし、仕事も関連がないので、大学入試のことなど全く知りません。なにしろ「センター試験」ということばすらよく理解していません。

ですから、もちろん「AO入試=アドミッションズ・オフィス入試」なんて、一層何のことかわかりません。なんでこんなところで意味の良く分からない英語の、しかも略号を正式な使い方にする必要があるのだろうか?天下の読売新聞のど真ん中に<AO入試>を見出しに使っているということは、特殊な一部の用語ではないのだろうな、などと感じながらちょっとだけ読んでみました。むかし、亜細亜大学の「一芸入試」が話題になりましたが、あれもそんなAO試験のひとつだとわかって少し理解しました。でも今は大学入試の半分くらいがこのAO入試を取り入れているという記事には、本当に驚きました。

大学の教育理念に、受験者の個性や適性や志望理由を照らし合わせながら合否を決めるというのは、両者にとってとても理想的だと思うんですけど、どういう選択基準を持つのだろう?とか、そんな方法で入学した学生諸氏は、総じてちゃんと勉学に励んでその大学の特性に合った大学生生活をきちんと全うできているのだろうか、などの疑問が、何となく浮かんできます。

大学入試って、全然興味も縁もなかったのですが、知らない間にまったく変わってしまったんですね。凄いなあ。

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NIPPON DATA

第50回日本人間ドック学会の特別講演では、もうひとつ「NIPPON DATA」のお話もありました(上島弘嗣先生)。

NIPPON DATAとは、National Intergrated Project for Prospective Observation of Non- communicable Disease And its Trends in the Agedの略で、厚労省の命を受けて2回だけ(もともと1回だけの予定だったそうですが)行われた(NIPPON DATA80と90)コホート研究です。でも意外に知られていないのではないでしょうか。循環器疾患に関する疫学的な研究ですが、「そんなこと当たり前」と思われていたことについて、実はきちんと日本人で証明されたデータがないものがたくさんあったのです。そんな「当たり前」のことを、日本人でも「当たり前」に間違いない、という証明をしたものなのです。

これは地味な仕事ですが、とても大切なことです。たばこは本当に心臓や血管に悪いのか?高コレステロール血症は本当に心筋梗塞や狭心症を起しやすいのか?・・・NIPPON DATAの結果があるからこそ、健康に対する指導をする場合も、あるいはクスリを処方する場合も、しっかりとした根拠を示すことができるようになったといえます。

出てきたデータは莫大です。その結果に対してきちんとした考察を加えなければならない、ということを上島先生は強調されました。例えば、「禁酒した人は死亡率が高い!~酒をやめない人より酒をやめた人の方が多く死ぬ!」という結果があります。これは、やめなければならないくらい重症な人が禁酒した群に多かっただけかもしれない、ということだったりします。あるいは、「タバコを吸う人は吸わない人より3.5年も早死にする」というデータは、「なんだ高々3.5年しか縮まらないのなら吸っててもいいか」という喫煙継続の根拠になったりするものです。

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久山町研究の衝撃

第50回日本人間ドック学会学術集会の特別講演で、九州大学の清原裕先生の久山町研究の最新情報を聞きました。

久山町研究のことは、以前「トリアス久山」(2008.1.24)で書きましたが、日本の生活習慣病の疫学的な根拠はほとんどすべてこれが元になっています。特に日本の高血圧治療と脳卒中の改善の歴史はまさしく久山町研究の果たした成果だと云われています。そんな中で、一番怖いのは今や「高血圧」ではなくて「糖代謝異常」、つまり糖尿病や境界型糖尿病、食後高血糖などだそうです。

高齢者の約40%が認知症になります。だから健康で元気に長生きしたら40%の人がボケることになります。で、そのボケる人の多くが糖代謝異常だといいます。高血圧も脳血管性認知症(脳動脈硬化による認知症)の原因になるのだけれど、それより糖代謝異常の方がはるかに多い。ということは、高血圧のわたしと糖尿病家系の妻がこれから二人揃って長生きしたとしたら、何と、先にボケるのはわたしではなくて妻の方かもしれないということになります。驚きです。そして、糖代謝異常はもうひとつ、がんの発生要因としても有意だということがわかりました。脳卒中も、実は高血圧に関連するラクナ梗塞(小さな血管の梗塞)は高血圧治療とともに減少しているのに、アテローム血栓性梗塞や心源性塞栓症はまったく減っていません。これは原因となる糖代謝異常やメタボが増えているからです。

今、日本人は高血圧症による血管病管理よりも代謝異常に対する管理の方がはるかに大切である、ということを教わりました。「病気でもないのに大げさに云い過ぎる!」と揶揄されるわたしにとってはとても大きな励ましに聞こえました。

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酸化ストレス

今を「動脈硬化」の時代にさせてしまった最大の犯人は「酸化ストレス」です。活性酸素、あるいはフリーラジカルといわれているものが血管を錆びさせる元凶ですが、実は酸素を吸えば酸化します。人は酸素がないと生きていけませんが、酸素を吸っているがゆえに老いていき病気になるのです。健康のために運動をすると、それだけ活性酸素は出てきます。普通はその活性酸素を消してしまう抗酸化物質もたくさんあるから問題ないのですが、現代人は酸化ストレスが異常に増えている一方で抗酸化物質は逆に少ないのです。

「動脈硬化はどうやって起きるのでしょうか?」~わたしはメタボの講演をするときに必ずこの話をします。

血液中にあるLDL(悪玉)コレステロールは、酸化ストレスで簡単に変性して「酸化LDL」になります。酸化LDLは動脈の表面(内膜)をすり抜けて壁の中に入っていきますが、この酸化したLDLは本来のLDLとは顔が違います。顔が違うものは変質者ですから、生体はこれを異物と判定します。異物は速やかに排除しなければなりませんから、血液中にいる「単球」と呼ばれる白血球を壁の中に呼び寄せるのです。呼び寄せられた単球はマクロファージというものに姿を変えます。マクロファージは、とにかくターゲットをトコトン食い尽くします。そして食い尽くされた酸化LDLは泡状に変性してプッと吐き出されます(泡沫細胞)。これが動脈硬化の始まりです。「プラーク」と云いますが、これがある程度増えたところで突然壊れる(プラークの破綻)と急に血液の流れがよどみ、固まって(血栓)流れをせき止めてしまうと、組織が腐れ始めます。脳梗塞や心筋梗塞などがそれです。

現代は、酸化ストレスがとにかく多くなりました。LDLコレステロールの多く含まれた食べ物ばかりを貪り食っています。なるべくしてなった「動脈硬化」の時代なのです。

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アミノ・インデックス

第50回日本人間ドック学会でちょっと聞きなれない用語を知りました。

-「アミノ・インデックス」-味の素(株)が研究、開発した新しい技術のようです。タンパク質を構成するアミノ酸は生物の代謝ネットワークの中心的存在であり、アミノ酸の濃度がその代謝の交通量を示しています。このアミノ酸の濃度パターンを「アミノグラム」と云い、本来それは常に一定に保たれています。ところが、身体の中で何かの異常が出てくると代謝に微妙な変化が出てきます。そうすると当然アミノグラムにも変化が出てきますから、この現象をうまく使って、病気に特徴的ないくつかのアミノ酸濃度の組み合わせを統計的に解析しようというものです。

つまり、ある病気や病態のときに特徴的に増えるアミノ酸と減るアミノ酸を見つけます。ひとつひとつのアミノ酸を解析してもなかなかひとつの病気に特異的な異常はみつかりませんが、これら増えるものと減るものの組み合わせで解析してみると、正常群と病気群に明確に分けられるかもしれない、という研究です。

理屈はとっても生化学的かつ数学的で、まさしく理系の頭でないと付いていけません(ちょうどわたしの対極にあります)が、とにかく、採血してアミノ酸解析をするだけで、たとえば早期がんを見つけたり、耐糖能異常(糖尿病)や内臓脂肪蓄積の有無を判定したり、あるいはメンタル異常(うつ)をスクリーニングしたりできるとしたら、ものすごく画期的なことだと思いました。

「血中のアミノ酸は身体のことを知っている」~キーレクチャーをした味の素(株)の安東敏彦氏のことばが期待を膨らませてくれます。

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やっぱり危ないんじゃないかな

先月のある週末の昼間に、熊本で凄惨な列車事故がありました。ある二十歳前の若いお嬢さんが小さな踏切で列車にはねられたのです。1時間に数本しか走らないローカルの電車に自転車に乗ったままはねられ、即死しました。

実は彼女は近くのアイスクリーム屋さんにおつかいに行く途中でした。そして彼女は、自転車で行くにあたっていつものようにi-Podを聴いていました。そうです。彼女はイヤホンで音楽を聴きながら快調に自転車を走らせ、たまたま(わたしの言葉で云えば「宿命的に」)小さな踏切を渡ろうとしたのです。イヤホンは、電車が近づいてきたことに気付くのを決定的に遅らせました。スポーツインストラクターをしていた彼女は、春に他県から熊本に来たばかりでした。

自転車通勤をしていると、イヤホンで音楽を聴きながら自転車を走らせている若者をたくさん見かけます。わたしが後ろから近づいていることなど気付くはずもありません。周りに人一倍注意を払っているようにも見えません。危ないな!と思ったことは2回や3回ではありませんが、きっと若い彼らはきちんと反応できる自信があるのでしょう。でも・・・やっぱり危ないんじゃないかなぁ? わたしはよく歩きます。宴会の後に2時間近くかけて歩いて帰ることも珍しくありません。学会などで他の都市に行ったときは30~40分程度の距離なら必ず歩きます。そんなときにはよくi-Podを聴きながら歩きました。ちょっと若者と同じことをしてみたいから・・・でも本当に全く外界から遮断されます。それはとても心地良い世界です。でも、外界の真っ只中を移動しながら外界と遮断されることの重大さも実感しています。だから最近はあまり聴かなくなりました。

何か、運転中の携帯電話操作よりはるかに危ない行為のような気がしてなりません。高々10~20分程度の自転車移動にも音楽聴かなきゃダメですか?

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デジカメ

キー・スライドがスクリーンに映し出されると、真っ暗な学会場のあちこちで、数年前まであまり見かけなかった異様な光景が繰り広げられます。

突然、客席から5つも6つものデジカメがニョキニョキと湧き出てきて、そのどれもに同じ画が写って白く光っているのです。最近の学会では、参加者はすぐにデジカメや携帯のカメラを使って他人の発表スライドを撮影してしまいます。目の前の人たちが、黙ってすーっとカメラを掲げる姿はやっぱり異様で、いつ見ても慣れません。

便利になったものだなと思いますが、わたしは今でも相変わらずメモ用紙にボールペンで書き写します。まあ、デジカメ操作に慣れていないので、準備して構える前に次のスライドに移ってしまったりして、上手く使えないだけと云えなくもないのですが(昔、わたしのボスがワープロを使いたがらなかったのと同じだな、と思います)・・・。

そんな時代遅れのオヤジですが、オヤジの僻(ひが)みというだけでなく、この若い先生方を見ていつも思うことは、あの画像をちゃんと後で見直すのだろうか?ということです。写真を撮ることに一生懸命のようですが、録音はしていないはずです。スライドを後で眺め直すとしても、それでちゃんと内容まで思い出せるのだろうか?と、老婆心ながらちょっと心配になります。試験勉強のために友人のノートを必死でコピーしたのに、もうそれで満足してしまうのと同じになりはしないか、と。自分なりに注釈などをアレンジして、エキスだけをメモしているわたしですらあまり見直しませんが、それでも一度内容を理解した上で「書く」作業をしている分だけ思い出しやすいと思っています。試験対策にコピーするならわたしのメモをどうぞ!と云いたいくらい。

こんなことを書いてみましたが、読み返してみるとやっぱりこれはただのオヤジの僻み・・・かな。

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洋式便器vs立小便

「男子は洋式便器のどこを狙って小便すべきか」

ある知り合いの医師がそんなコラムのコピーをくれました。何でそんなものをくれたのかよくわかりません。トイレでアンモニア臭がするのは、もちろん便器に当たって飛び散ったおしっこが壁や床にくっつくからです。そのコラムは、わざわざINAXの工場にまで取材に行っていました。おしっこの飛び散りについてはすでに7~8年前に研究が済んでいるそうです。一番飛び散りが少ないのは、便器の手前の縁ギリギリのところで、もっとも多いのは奥の部分。結局「立って小便をする場合はトイレの水面を狙うことをお勧めします。・・・和式トイレも奥の水が深い部分を狙うのが一番いいでしょう」とのことです。ただ、一番良いのはやはり「座ってする」だそうです。そもそも洋式便器は男性が立って小便をするためのものではない・・・たしかにそのとおりですね。最近、勢いも落ちてきたし、排尿後失神も心配だから・・・そんなことを考えても「小便は座ってする」が一番かもしれません。

ちなみに、立ち小便専用の縦型便器の場合は「下から4、5cmの壁を狙う」が正道らしいです。ターゲット付き(ハエの絵とか的の絵とか)なら、ちょうどその位置にマークがあるのだそうです。そしてさらに「一歩前へ!」・・・公共の便器の前によく書かれている日本全国共通の標語です。最近うちの病院の小便器にマークがつきました。飛び散り防止のために誰かがつけたのでしょう。ただうちの病院の便器は上のヘリが飛び出ている(蓋がある)ので、便器の前に立つとマークが見えません。一歩前に出ようものならなおのことです。見たかったらかなり離れないと・・・あれはどう考えても逆効果でしたね。

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ゆるやかな朝食タイム

日頃から朝食をとらない習慣のわたしですが、先日学会で上京した際には旅行パックに朝食が付いていたので食べてみました。以前は食券をもらっても頑なに拒んでいましたが・・・最近ちょっと卑しくなりました?

学会場に出かけるまでにはまだ十分な時間がありました。せっかく時間があるので朝食をゆっくり食べようと思いました。出された魚料理の量も手ごろでしたし・・・。わたしの隣りの席の男性は朝刊を読みふけっています。反対側の席の男性はコーヒーを飲みながら何か思索しているように見えました。わたしも、そんなゆったりとした朝の時間を過ごしてみようと思いました。ところが、日頃からそんな習慣がないわたしには、これがなかなかむずかしいのです。ぼーっと窓の外の街を眺めたり、遠くの席に座っている人を観察したり、そんなことをしながら時間を潰そうとしましたが、かえって苦痛になってきました。「このタマゴ焼きはおいしいなあ」などとひとりで感動しながら一切れのタマゴ焼きを味わってみることの、なんとむずかしいことか・・・結局10分後には自室に戻っていました。

ひとりで食事をとることは、身体のためには良いことではないのかもしれません。もっと「ながら食事」をするのが健康的なのでしょう。でも、わたしは他人にペースを合わせて食事をするのが苦手で、基本的にひとりで黙々と食べ余韻に浸ることなくさっさと席を立つのが常です。その場が混んでいたらもちろんせわしなく出て行きますが、ゆったりと空いていてもかえって落ち着きません。

隣りの席の男性が新聞をたたんで席を立ちました。彼のようなゆるやかな朝食タイムの過ごし方に、いつまでも憧れ続けるだけのオヤジでした。

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体温

今年の春に出現した季節に関連しない新型インフルエンザは、思っていたよりはるかに速い速度で地球を恐怖に巻き込んでいます。

ちょっと喉元がモゾモゾする今日この頃、今までなら、「急な秋の到来で寝冷えでもしたかな」と軽い気持ちでいられたのに、今年は「もしや新型インフル?」と考えるのが医療従事者の義務であります。だから、面倒くさいなあと思いながらも今まで測りもしなかった体温などを測って、隔離されなくても良い身体かどうか確認したりなんかします。

そういえば、体温って測りませんね。血圧も測りません(「高血圧症だから仮面高血圧の評価のためにも定期的に血圧を測ってください」と人には云うけど)が、それ以上に体温なんて自覚症状が強い時でもなかなか測りません。しかも、空調完備で自律神経活動をボロボロにしている現代社会では、この自覚症状というのがまた当てにはなりません。毎日血圧を測る人でも、毎日体重を量っている人でも、女性の基礎体温測定を除けば、きっと毎日体温を測っている人はほとんどいないと思います。だから、毎日体温を測ってみると、女性の生理周期とは別に、男女を問わず思いがけない体温の変化があったりするのかもしれません。

最近の若い人は低体温の人が多いようですが、「平熱」というやつを知らない人が多すぎます。あるいは「自分の平熱は36.8℃だ」と云いながら、よく問いただしてみるとそれは小学校のころのものだったり。具合が悪いときにだけ体温を測っても、それが自分にとって高いのか低いのか判断することができません。今が良い機会ですので、どうもないときの自分の体温を測っておきましょう。

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風船腹の成果

うちの施設にある生活習慣改善プログラムの会員Aさんは、遠くからでもすぐわかるような大きなお腹=「太鼓腹」というより「風船腹」の持ち主です。当初「腹水かと思った」と保健師に云わしめたそのお腹は、腹部CT検査をしてみたらほとんど全部が内臓脂肪でした。

それから数年、なかなか風船の大きさは縮みません。半年ごとにメディカルチェックをしますが、体重が減り、皮下脂肪が減っても、内臓脂肪だけは変わりません。「どうしてわたしの腹は縮まらんのですかね?」・・・チェックの度に二人でため息をつくのが常でした。週に何度もフィットネスジムにやってくるし、最初は渋々だった奥さんも食事制限を積極的にしてくれ始めました。あれだけ大好きだった晩酌も止めてみました。でも腹囲は変わりません。風船は大きくならないけれど小さくもなりませんでした。

ただ、半年前からちょっと変わってきたことがあります。血圧や血糖や中性脂肪や肝機能や・・・採血の値がどんどん正常に近付いているのです。血管年齢や心肺機能も改善しています。内臓脂肪量が変わらなくても、採血データはちゃんと改善してくるので、本人はそれなりに満足気ですしモチベーションを落とすことなく頑張って通ってきています。メタボ系の身体でも、必ずしも内臓脂肪が減らなくても、生活を改善させる努力は実を結ぶものだと実感した次第です。医学的ではないのだけれど、「もともと同じ体積の中にグリグリと硬くなるまで詰め込まれていた内臓脂肪が、今徐々に柔らかくほぐされてきているのかもしれませんね」と話したら、彼は、「分かる気がする」といってちょっと笑いました。

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日本語の誤解

健診の日常業務で受診者の診察をする際に、問診をしたナースから検査に対する医師の指示依頼書が添付されることがあります。

「妊娠中 甲状腺機能低下あり  胃内視鏡検査で注射薬を使用して良いか指示ください」

その書類にはそう書いてありました。部屋に入ってきたのは、38歳の女性です。ハタと困りました。「婦人科じゃないんだから、妊婦に薬を使っていいかなんておれには判断出来ないぞ!」・・・内心焦りながら、診察をしました。甲状腺を触診しながら、「甲状腺ホルモンは内服しなくても大丈夫なのですか?」と質問しました。甲状腺機能が一定以上低下しているならば甲状腺ホルモンを補充するのが常だからです。ところが、その女性からは意外な返事が返ってきました。

「いいえ。妊娠した時だけ甲状腺機能低下症だと診断されましたけど、今は正常だそうです。」「え?今は妊娠中ではないのですか?」「いいえ、妊娠はしていません。」

やっとすべてが分かりました。ナースのメモは、「妊娠中(に)甲状腺機能低下症(になったこと)あり」という意味だったのですね。そういう気持ちで読んだら、なんら矛盾しない普通の日本語でした。思い込みは本当に怖いものです。今回は、逆方向の思い込みでなくて良かったと思いました。

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本当の心電図所見

数年前、たまたま救急外来に用事があって行ったら、これから緊急手術になるという救急患者さんの心電図がありました。うちの病院ではそれを一度循環器内科医が確認してサインするのが習慣です。担当の循環器内科医は違う急患さんに対応中でしたので、気を利かせてわたしが読んであげました。

<完全右脚ブロック、手術可能>

そしたら、それを後ろから見ていた若い先生が声をかけました。「先生、ちょっと良いですか?」・・・春からうちの病院に来はじめた研修医の先生だそうです。「この心電図は本当に『完全右脚ブロック』でいいんですか?このQRS幅とRSR'のノッチの形が・・・これは定義にあてはまらないのではないのでしょうか?」

彼は心電図診断の定義について述べ始めました。面倒くさいなあと思いながら、ちょっとタジタジしながら、それでもできるだけ平静を装って答えました。「そうそう。正式に云ったらこれは『心室内伝導障害』でしょうね。でも、それじゃあもらった相手が何のことか分からないでしょ?『伝導障害があって、それが左脚ブロックパターンじゃなくて右脚ブロックパターンであり、だから心機能に問題がなさそうだということを伝えれば、救急の現場ではそれで十分なんだよね。かえって幅が広すぎる『心室内伝導障害』の表現をするより臨床現場では親切だと思うよ。」・・・半分本音、半分ハッタリの返事をして応答を待ちました。ちょっと不服げでしたがとりあえず彼は反論をしなかったので、さっさとER室を退散しました。いらんことするもんじゃないね。

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納得してないんです。

テレビでお笑いタレントさんがあるエピソードを話していました。「犬の散歩中に、その犬の尻尾を引っ張って離さない女の子がいた。その子のお母さんは『○○ちゃん、そんなことしたらワンちゃんがかわいそうでしょ?』と云うばかりで、子どもは面白がってやめる気配がない。いつまでも止めそうにないので、そのタレントさんがその子の三つ編みの髪を引っ張って『こんなことされたらイヤやろ?』と云ったら、途端にその子のお母さんにひどく叱られた!」というのです。

「そうなんよ。最近のお母さんは、『子どもは話せば分かる』と思っているのよ。」と一緒にテレビを観ていたが、急に強い口調で云いました。

「もうちょっと待ってください。この子はまだ血を採ることを納得していないんです。」・・・小児科を受診して採血室にまで来てからそんなことをいうお母さんが少なくないのだとぼやきます。「こんな小さな子どもが注射に納得なんかする訳ないやないか!自分の子どものころを考えたら分かりそうなものなのに・・・」と思いながら、良い頃合に「ハイ、いいですか。そろそろ採りますよ!」と有無もいわさず押さえ込んで採血するのが常だとか。「話したって分かるもんか!」が彼女の持論です。

子育てについて、何かの理解を間違っているのでしょう。くだんのお笑いタレントさんの件も、彼がその子にやったことは、本当はその子のお母さんがすべきこと。わたしたちが考える限り「当然」と思うそんなことが、どうも通用しない昨今なのですね。オジサンには当惑することだらけです。

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ホテル

先日久々に東京に出張しました。旅行社のパックに付いているホテルなのでいわゆる格安ホテルではありませんでしたが、やっぱり東京のホテルはお風呂が狭いです。ひいきのJ1サッカーチームを応援するために毎月泊まる大分のWホテル(ここも決して広くない)と比べても、決定的に狭いと思います。

それでも、別に誰かと一緒に入るわけでもなく、この季節ならシャワーで十分なので、今まではあまり気にしたことはありませんでした。ところが先日は、初めてその狭い風呂でちょっと閉口しました。いつものように朝風呂に入りました。ちょっと動いたら背中が壁に触りました。超冷たい!ヒヤッとして心臓が止まるくらい驚きました。これだけ狭いのだからもちろん今までだって触ったことは何度もあったのに、こんなに驚いたのは初めてかもしれません。シャワーなので、立ったままで足の指の間を石鹸で洗おうとしました。片足立ちが安定せず、すんでのところで前に転びそうになりました。滑るバスタブですから転んで頭を打ったら・・・と思ったらゾッとしました。

若い頃とまったく同じ広さのスペースなのに・・・明らかに狭いのです。それを実感するのです。これが「歳を取った」ということなんだろうなと思いました。きっと若い人たちには全然理解できない感覚でしょうか。もう若くはない自分に愕然とし悔しがることよりも、むしろ一人で泊まるホテルなのだからこれからしっかり気をつけなきゃ、と自分に言って聞かせることを自然と選んでいる自分にちょっと驚き、ちょっとシャクでした。

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「20世紀少年」に重なるもの

昨日、「20世紀少年」最終章を映画館で観てきました。

全然興味はなかったのに、数日前に第二章と一週間前に第一章をテレビで観せられて(他に面白いものがなかったからという理由だけで)、最後が気になってしょうがなくなったからです。テレビ局の目論見にものの見事に嵌(はま)った感じです。

「くだらない!」と思う御仁もたくさんおりましょうが、わたしはこの話は総じて好きでした(原作マンガを読んでいませんが)。わたしの世代にドンピシャだったということも理由にないわけではありません。秘密基地、作りました。当時のいろいろが思い出されますが、きっとクラスメートの1人くらいは存在を忘れてる人がいます(自分がそれだったりして)。わたしもみんなで想像しながらあんな空想マンガを毎日書いていました。あれはどこにいったかなあ。

そんな思い出がある一方で、小学校時代の「ともだち」との付き合いは中学校に上がるときに途絶えました。中学校で地元に進学していないのです。高校や大学で一緒になった人もいましたが、結局お互いに尻込みして話すことは二度とありませんでした。自分の問題ではありますが、それはさびしいものでした。

ただ、昨夜はこの映画を観るべき日ではなかったのかもしれません。あまりに気持ちが悪いのです。昨日は衆議院選挙がありました。民主党圧勝の様子はまるで映画の中の「民友党」のように見えます。鳩山さんの演説に集まった聴衆はエキストラではありません。驚きよりも怖さを感じます。昨日は24時間テレビもありました。国民全員を巻き込むお祭りがまたまた映画とダブります。なんと、今の時点で募金が2億5千万円もあったそうです。何かがおかしい気がしてなりません。そして映画館は子どもたちで溢れていました。新型インフルエンザが蔓延する中でこんな無防備な(わたしもその一人)人ごみが何事もなかったかのように広がっているのでした。

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携帯電話

信号が赤になったので車を停めました。脇道から猛スピードで飛び出してきた大型トラックの運転席には、携帯電話を片手に楽しげに笑いながらハンドルを切っているお兄さんが見えました。その対角の歩道には、一心不乱に携帯メールを打ちながら自転車を走らせる女子高生もおりました。

最近よく見かける光景です。一体、法律ってなんなんだろう?運転中に携帯電話を触ると交通違反=6000円の罰金と違反点数1点というのが決まったのはいつだったでしょうか?もう5年も前の話です。どう考えても意味のない「ハンズフリー・グッズ」が良く売れました。始まったときにはかなりの数の運転手が捕まりました。でも、いつの間にかだれもが平然と携帯片手で運転しています。もしかしたらパトカーとすれ違っても、追いかけられないかもしれないと思うこともあります。

「自転車運転中の携帯電話使用禁止も定められました!」・・・先日出席した運転免許更新の講習会で、交通安全協会の講師は誇らしげにそう云いました。「でも」・・・わたしは手を挙げて質問したかったけれど、話好きな彼は時間をかなり超過していてみんなイライラしていたのでやめました。そんな規則を作ったといったって、きっと高校生たちのほとんどはそんなこと知らないんだと思います。講習会から帰る道すがらでも携帯少年の自転車を見かけました。

実のない法律が存在するのはしょうがありません。ただ、実体がない法律だということを、警察や交通安全協会の皆さんは素直に認めておいていただきたいです。少なくとも、実質は何も変わってはいないということを。でも、かといって狭い道の路肩で、大きな車に急に停まられるのも、それはそれなりにとっても迷惑ではあります。

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いっぱい食べても脂肪抑える化合物発見

いっぱい食べても脂肪抑える化合物発見http://www.asahi.com/science/update/0828/OSK200908270148.html

朝日新聞にこんな記事が出ていました。

京都大学のグループが「細胞内で脂肪の合成を抑える化合物」を発見したというのです。食べ過ぎで肥満になったマウスにこの化合物を与えたところ、体重増加や血糖値上昇を抑え、脂肪肝になるのを防いだそうで、糖尿病や脂肪肝などの治療薬開発につながる可能性を示唆しています。

この異常な過食・肥満社会では福音のような話です。ただ、わたしはどうもこの手の開発が好きになれません。現代社会で全人類の目の敵にされている「脂肪細胞」ですが、本来この「脂肪細胞」が動脈硬化を抑えて糖尿病を予防する仕事をしています。食べ過ぎて脂肪細胞が大きくなりすぎて、そのために本来の仕事ができなくなった。でも食べる量を減らすのは辛いから、それじゃあ、増えないようにする物質をみつけよう、という発想はどうしたものだろう?そんな欲求を満たすためだけのために、本来の生物のもっている機能をいじるようなことをしても本当に大丈夫なのだろうか?綿々と精密に組み合わされて作られてきていた生物の細胞機能が人間の都合に合うように姑息に操作されてしまうのは、遺伝子操作と同じように、何かとんでもないしっぺ返しを食らわせられるのではないのだろうか?心配性のわたしにまた心配の種がひとつ増えました。是非とも、重篤な病人に限定した福音のレベルで抑えてほしいと切に願います。

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目標達成術

メディカルサポートコーチング(奥田弘美先生)の今回の講義のメインはこっちでした。

「マイゴール(自分の目標)」を設定し、それに対してメリット・デメリットを書き並べ、さらに具体的なゴールした姿をイメージしてビジュアル化する。次に具体的に何をしたら達成できるかを書き並べた上で、何からするかを決めていくのです。他のコーチングのセミナーでも、あるいはあるネットビジネスの研修会でも同じようなことを教わりました。これはコーチングの基本的な手法ですので、とてもいい方法だとわたしも思います。ただ、やはりわたしは、こういう研修の場だから、あるいはどこかに相談に行った先だったり、グループでやっているときだから、できるのだと思ってしまいます。だれからも「書いてごらん」と云われないのに、だれも見ていないのに、自分だけで「書く」という作業が習慣になっていないのです。自分に素直になって自分の心の中で「自分を見つめて考える」ということは割合抵抗なくできることです。なのに、それを文字にして形にするという行為が、どうも気恥ずかしいのです。

それでも今回は「演習」でしたので自分でもやってみました(もちろん、「やれ」と云うからやるのですが)。「まず『私の達成したいこと』を書いてください。何でも良いです。」・・・先生は軽い口調で云いました。ハタとペンが止まりました。そうだった!まず第一に、私は「自分の達成したいこと」がはっきりしないのだった!書いては消し書いては消しした挙句に、やむを得ず、「酒をやめたい」と、アル中のオヤジらしく殊勝なことを書いてみました。メリット・デメリットも書き並べました。・・・そして最後に、「とりあえずやること」として「帰ったらすぐ犬の散歩に行き、家に戻ったらすぐに大量のお茶を飲む」と書きました。「いつからしますか?」の問いには「あしたから」・・・。

「今夜からする!明日朝になったらもう今の心は半分になってますから、必ず『今夜から』何かをしてください!」・・・日頃の講演で、いつもそう話している私ですのに。

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「人は聴いてもらえないと動かない」

ブラッシュアップ研修会では『メディカルサポートコーチング』の話もありました(精神科医、奥田弘美先生)。

「応用編」がメインでしたが、やっぱりわたしの頭は「基礎編」で停滞します。すべては「聴くこと」から始まる。「耳」プラス(+)「目」と「心」と書いて「聴」とは、まあよく考えたものです。先入観を持たずにとにかく聴く。うなずいて相づちを打ち、オウム返しを繰り返す・・・2年前の情報管理指導士の資格取得のための研修会でも教わりました。そして反省しました。でも、やっぱりできていないなあ。途中で一切口を出さずに聴くことも、オウム返しも、理屈で分かっていてもできていないなあと、またまた反省です。まあ反省は何度しても良いことです。その都度リスタートのきっかけになりましょう。また今日から意識のし直しですね。

そんな中で、今回わたしのこころに残ったスキルは「ペーシング」です。「ペーシング」、つまり相手にペースを合わせること。同じ視線、同じ声の調子、同じ声の大きさ、同じ速さ、同じ雰囲気・・・これを合わせて調和したときの心地よさは自分でもよくわかります。わたしはつい早口になってまくし立てるクセがあるので、時々リセットさせて、ゆっくり、落ち着いたトーンで意識的に話すようにすることがあります。ところがこれがあまり奏功しないのです。「暗い」とか「態度が悪い」とか云われ、どうも評判が良くないのです。これは、そんなTPOをわきまえていない、いわば「KY」の典型なのだと云うことが理解できました。

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LDLコレステロールの位置

先日、人間ドック健診情報管理指導士のブラッシュアップ研修会に行ってきました。単位取得のためではありますが、実際の特定健診・特定保健指導に携わっている人たちの研修会なので、「ただ出るだけ」的な出席者は少なく、講義もおもしろくて、割といい時間を過ごせたと思います。

特定健診の必須項目に入ってない高LDLコレステロール血症や、慢性腎臓病(CKD)の元になるクレアチニン値の問題、あるいは肝機能障害の有無など、実際にやればやるほど問題点はどんどん表に出てきます。それに不満を持ちながら、最悪のシステムだと批判しながらも、きちんと活用して実りあるものにしようと、日本中の現場はみんな本当に頑張っていることがわかって心強く思いました。

メタボリックシンドロームは、もともと「LDLコレステロールは正常で、中性脂肪やHDLコレステロール異常のある人」でした。ところが、いつの間にか後者だけが取りざたされてしまいました。だから、特定健診(メタボ健診)の必須項目(中性脂肪、HDLコレステロール)に従って特定保健指導の対象にされている人の中に、すぐにクスリを飲まなければならないような高LDLコレステロール血症を合併する人もかなり含まれています。こういう人は、保健師さんや運動指導士さんのお世話になる前にまずは病院を受診しなければならない人たちです。ヘタをすると、やせるために運動をしている最中に心筋梗塞や脳梗塞になる危険性があるからです。ところが、今のメタボ健診の条件では、必ずしもLDLコレステロールを加味しなくてもいいのです。医療の素人である保険者が、「してくれ」といえば基本的にはしなければなりません。怖い話だと思いませんか。

でももっと怖いのは、今回の選挙です。マニフェストによると、民主党が政権をとったらこの膨大な金をかけて始めたシステムがなくなるかもしれません。馬鹿げています。

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LDLコレステロール直接測定法

LDLコレステロール(LDL-C)、通称「悪玉コレステロール」を知っていますか。

現代社会の病気、特に動脈硬化をもたらす生活習慣病の主役を演じるのがこのLDL-Cです。日本人のようにHDL(善玉)コレステロール(HDL-C)が多い人種では、世界が騒いでいる総コレステロール(TC)ではなくてLDL-Cの高値こそが問題なのだということで、2007年に日本動脈硬化学会が「動脈硬化性疾患予防ガイドライン2007」を発表したときに、管理目標の指標をTCからLDL-Cに変更しました。テレビのCMで徳光さんが「LDLコレステロールが・・・」というのを聞いたことがあると思います。最近はあえてLDLということばを広げようとしているようです。企業によってはTCを検査項目から削ったところもありました。

ところが今、そのLDL-Cを直接測定する方法に疑問符が投げられています。第41回日本動脈硬化学会総会のシンポジウムで発表された内容によると、現在LDL-C直接測定法を臨床応用できている8つの方法の間にバラツキが大きすぎて、精度面で問題ありということです。検査の方法によって数値に差が出てくるようでは、出てきた数字に意味がありません。学会としての結論は、今のところはできるだけ間接測定法(Friedewald計算式)で計算した数値を優先した方が良いということです。そうなると自ずとTCを測定しないとLDL-Cの値は出てこないことになります(LDL-C=TC-(HDL-C)-TG/5)。

ちなみに、だからこそ以前ここで書いた「non-HDL-C」を指標にするのが良いのではないかという意見も現実味を帯びてきているようです。まだまだ混沌としています。

ただ、動脈硬化の主役がLDL-Cであるということには変わりはありませんので、しっかりと食事療法に励みましょう。

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おまんじゅうの食べ方

軽い糖代謝異常を有するわたしの義母は、それなりにきちんとした食事療法をしています。定期的にスポーツジムで運動もしていますし、夜7時に夕食を摂って以降は何も口にしないということをしっかり守っています(と、本人が云っています)。

そんな彼女の現在の最大の命題は、お客さんや友人が持ってくる差し入れのお菓子とどう戦うか?です。洋裁の仕事をしている義母の人付き合いはとても広く、家に来客が絶えません。彼女の世代の女性は、当然のごとく手ぶらで来たりはしません。もってくる菓子は甘いものばかり。そして独り暮らしだというのに、体裁を整えて包装された菓子箱のなんと大きいことか。加えて、糖尿病家系の人間のサガとして、甘いものはキライではないのです。

さてさて、そんな条件の女性は世にたくさんいるはずですが、甘いもの、特におまんじゅうを食べるとき(「食べない」の発想は無理だから考えてはいけません)、できるだけ食後高血糖にならないですむ食べ方はないのでしょうか?先日、うちの管理栄養士さんに聞いたら、「食間に食べず、食事に続けて食べる」が一番だ、という答でした。そんなのはダメです。欲しくなるのはおやつ時の小腹が空いている時間帯なのですから。しかも、「ごはんの後のケーキは別腹」というのは、日常茶飯事の常識ですからあまり意味がありません。○○のお茶と一緒に食べるといいとか、△△と食べあわせるといいとか、そういう怪しい健康番組に出てきそうな、そんな下世話な朗報が何かないものでしょうか。

10月に生活習慣病の食事についての研修会があるようなので、そのときに質問してみようかな、と考えているところです。

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日々勉強

先日、中学時代の同窓会がありました。

その二次会で、地元で開業医をしている友人が、「勉強はあんまり関係なかったね」と云いました。彼の云いたかったのは、「学生時代の成績と社会人になってからの成功とは関係がないね」ということだったのかしら、と勝手に解釈しました。

ただそのことばを聞きながら、「いやいややっぱり勉強は大事だと思うよ、Fくん」・・・そう云いたい心境でした。学生時代の成績云々はどうでもいいことだとしても、やはり医者になってから(社会人になってから)は明らかに勉強した者勝ちだと実感します。日々勉強です。医業だけでなく、今の社会は勉強に勝るものはありません。経験も勉強ですし、極める遊びもまた勉強です。獲得した知識と経験に満足していたら、そんな輩はいとも簡単に取り残されてしまいますのです。

「もっと若いころに勉強しておけばよかった」という後悔は、たしかに少しはありますが、そんなことよりも、今現在、面倒くささにかまけてどんどんずぼらに生きている自分が気になっています。そんな何もしないままに過ぎゆく日々に、本当は相当な不安と焦りを感じているのです・・・。それを再確認させてくれた友人でした。

と、こんなこと書いているヒマがあったら、勉強しなさい!

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覚えているもんか!

健診であれ、病院受診であれ、「既往歴」というのを問われます。自分の病気史をきちんと紐解いて教えろというわけです。数日前に秋の職員健診がありました。その案内書に「今回はシステム更新に伴い前回までにお伺いした内容の表示が出来ませんので、当日受付にて改めて『本人既往歴』『家族歴』のご記入をお願いします。」と書いてありました。

バカ云ってはいけません。そんなもの覚えているわけがない。前にも同じことを書きました(2009.1.4「既往歴の記憶」)。ない記憶をたぐり寄せながら何とか病名を思い出しました(それでもかなり落ちているでしょう)が、年齢を思い出すのは不可能です。「子どものころ」か「若いとき」か「最近」かの区別くらいではいけないのでしょうかね。そうじゃないと無理ですよ、と駄々をこねてみました。社会保険庁の「ねんきん特別便」の職歴調査ですら一応わかっている職歴が書かれているからこそ断片を抜き出せるのです。

自分の病気の歴史なんだから当然覚えているでしょう!という顔でわたしをにらむ保健師さん、そりゃあなたは生きてきた歴史が短いから記憶が鮮明でしょう。そんなあなたにはきっと理解出来ないことでしょうけれど、覚えていないものは覚えていないのです。ということで、今年、わたしは自分の歴史を改ざんいたしました。

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わたしはそれです。

「『萎縮性胃炎』は"胃が歳をとって細胞がしわくちゃになった"という意味ですので、是非とも胃の負担を取ってあげてください。『食べ過ぎない、飲みすぎない、イライラしない、よく噛んで食べる、夜遅くにモノは食べない、食べてすぐ寝ない、禁煙する』・・・」と説明していると、相手はそれを奪い取るように、すかさず答えるのです。「ああ、わたしは『イライラしない』だわ!」と。

だれも、「これらの中のどれかひとつを選びなさい」とは云ってません。どれもこれも全部が必要なのです。頭を掻きながら、「全部当てはまってますね」と云う人は割と冷静に自分を分析できている人だと思います。それに対して、ほとんどが当てはまっているはずなのに、その中のひとつを取り出して「それだ!」と主張する人は、自分に自信があるのではなく、どうも自分自身が分かっていないことが多いように感じます。

「生活習慣病の治療の基本は、『無駄に動く、無駄に食べない(作らない)、タバコを吸わない』です」と云うと、「わたしの場合は運動不足ですね」と自己解析する人もいます。そんな場合、わたしは、「自分で解析するのとは違う方に真の問題があるもの」という感覚で話を聞くことにしています。「それ以外は自分はできている」という主張ではなく、それ以外の部分は「触れたくない」という気持ちの表れのように感じるからです。

ちなみに、多くの皆さんが勘違いされますが、「そんな生活をしていなかったから萎縮性胃炎になった」のではありません。そういう弱った胃の状態になっているから、これからはそんな生活に心がけて「胃をいたわってやってほしい」、といっているのです。

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「いっぱいごめん いっぱいありがと」

認知症のお母さんをもつ友人の話を書きました(2009.8.8)。その友人が、先日「本屋で引き寄せられるようにして見つけた」という絵本を貸してくれました。

いっぱいごめん いっぱいありがと (岡上多寿子 木耳社)

"認知症者の母とともに"という副題のついたA4横のその絵本は、この上ないやさしさに満ちていました。認知症になっていく母、母が母でなくなっていくことへのとまどい、母への感謝の気持ちと自身の懺悔と・・・75編の詩が自作の挿絵に添えられた数行の筆文字のかたちで書かれており、それが実の母娘のすがたを素直に表しています。わたしはを若くして胃がんで亡くし、ひとり暮らしだったも突然この世から居なくなりましたので、幸か不幸か晩年を一緒に過ごす親がおりません。それでも本屋で絵本を手にとって熱いものが溢れてきたというわたしの友人のことばがよくわかります。今、認知症の親御さんと過ごしながらこころとカラダを疲れさせ続けている多くの方々に、このやさしい文字と挿絵をながめながらひと休みしてもらいたいなと思いました。

・一緒にいたけど独りきりだったかもしれない 母さんの目が淋しそうだった

・本日私は 鬼と人との間でした

・見るでなく 前をながめつ ろうろうと歩く母のうしろから「何想う 何処へゆくのか」問いもせず あと一時間つきあおう

・晩年の母の生るを乱した私

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意外に噛んでない

数年前、夕食のおかずを半分にしてみました。わたし自らが提案したことですが、外で何も食べてきていないということを妻に信じてもらうのに半年かかりました。「あなたにはありえない!」と云われました。あのころ、半分になったおかず(もちろんごはんも半分)を口に入れながら、良く噛みました。噛まないと目の前のものがすぐになくなるからです。飲み込みかけたものをもう一度口に戻して噛み直したこともあります。

だから、今でも弁当をたとえ5分で食べても、ちゃんと噛んでいる自信がありました(「噛む時間なんかありません」2009.7.26)。

先日、消炎鎮痛剤の影響で逆流性食道炎になりました。一日中胸焼けがひどく、ものを食べると痛みさえ感じるようになりました。昼食のために持っていくのは、いつも5分で食べ終えることのできる小さな弁当箱です。いつものように弁当箱を開けましたが、やはり痛くて飲み込めません。なかなか飲み込む勇気が出ないため、いつまでもいつまでも噛み続けました。

このとき、再認識しました。これまで自分は噛んでいるつもりでいましたが、いつの間にか全然噛まなくなっていました。世間の人より噛んでいるかもしれませんが、でも自慢するほど噛んではいません。「噛む」って、こういうことだな、と思い出しました。それをしっかり再認識することができたのは逆流性食道炎のおかげだと思います。

でも、食道炎も良くなって、またちょっと噛まなくなってきたかな、と反省。

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自然(じねん)性の人

稲盛和夫という人が、京セラやauを創業した人だということはもちろん知りませんでした。「稲盛和夫 名言」と検索するだけで30000件以上ヒットしたところをみると、知らない方がおかしいのかしら。

前述の『へこたれない』(鎌田實・PHP研究所)にも彼の名言が載っていました。

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(彼は)六十歳からの二十年は死への準備に充てるべき期間と明言した。「生まれた時よりも少しでも良き心、美しい心になって死んでいく。これが大事なのです。人を見ていると、どんなにまわりが燃えさせようとしても、不燃物のようにまったく燃えない人もいます。ちょっとこちらが刺激してあげれば、燃えることができる人もいます。そんな人は可燃性の人。でも大事なのは、自然性の人。自分が、自ら燃えることのできる人。燃える人間になってほしい。」彼は常に人のために生きることを忘れない。いつも燃えながら生きている。すごいなと思った。・・・(略)

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不燃性の人、可燃性の人、自然性の人・・・とても分かりやすい説明だと思いました。でも、本当はだれもが「自然性」の要素をもっているに違いないと思います。もちろん、本当は「可燃性」なのに他人が火をつけようとすると途端に「不燃性」になる人もいます(簡単に云えば、わたしのような天邪鬼な人)。自分が自分自身を見つめる中で、これをしてみたい、と思った何かがみつかったとき、人は大なり小なり燃えるはずです。あとはそれが小火(ぼや)で終わるのか、メラメラと燃え上がる炎になれるのか、そこが問題なのでしょう。やはりせっかく着いた火ならきれいに燃え上がらせたいものです。もっとも、燃えすぎて大火になりすぎるのは考えものですが・・・。

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母乳信者の誤算

小児科クリニックに勤務する妻がテレビをみながらぼやきました。テレビでは、ある産婦人科病院で新米お母さんが我が子に母乳を飲ませる教室を開催していました。

「何でも『母乳、母乳』!って云ってるけど、実はそれなりに考えものなんだよね。保健師さんによっては、ミルクは毒物だから絶対飲ませちゃダメ!母乳あるのみ!って指導する人までいるのよ。困ったものよ。」

母乳には赤ちゃんが必要とする栄養素が、バランス良く過不足なく含まれている。そして母乳には病気に対する免疫力がたくさん備わっていると云われます。

ところが、最近の若いお母さんときたら、決して栄養が十分とは云えません。だから母乳だけで育てると、赤ちゃんに十分な栄養が行き渡らない危険性もあることが報告されています。そしてもうひとつの誤算は免疫の問題。今時の若いお母さんたちは子どものころに本当の病気にほとんど罹っていません。わたしたちは、風疹(三日はしか)・麻疹(はしか)・水痘(水ぼうそう)などに普通に罹っていましたが、最近はワクチンをきちんと打っているために、罹らないままのヒトが少なくないのだそうです。ワクチンで作り上げた免疫力は、本当に罹ったときにできる免疫力ほど強くないのです。つまり、お母さん自体に大した免疫力が備わっていなかったりします。

たしかにミルクは毒物です。アレのためにアトピーになり、喘息になり、栄養過剰になり、骨を弱くします。それでも、それでなくてもあまりおっぱいが出ないお母さんが少なくないのに、あまり万能ではなくなっている母乳神話に完全にしがみつくのは、もしかしたらあまり現実的ではないのかもしれません。

昔の常識は、机上の空論としてうち崩されていくんだろうかなあ、と思いました。

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お金持ちじゃなかったんだ

「借金してでも、家を売ってでも、絶対大学に行かせてやるから金のことは心配要らん。安心して勉強しろ。」

わたしが高校生だったある日、父がマジメな顔をしてわたしに云いました。少し酒に酔っていたかもしれません(今のわたしと同じように、彼はいつも酔っていたような気がします)が、でもいつになくマジメな口調でした。

これは意外に堪えました。親としての思いやりだったのだろうと思いますが、急にそんなことを云われて芯から面食らいました。うちは大金持ちではないけれど、少なくとも中の上クラスの金持ちで、とりあえず贅沢しなければ金には困らない家庭だと思っていたからです。今はどうだか知りませんが、当時の学校の先生の給料はそれなりに高給でした(と思います)。それが2人です。単純に×2です。すでに東京の私立大学に通っている姉が居たとは云え、もうひとり大学に行かせるのに、『家を売ることも吝(やぶさ)かではない』はさすがに予想だにしないことばでした。きっと彼なりの計算をするとこれからとんでもない金がかかると思ったのでしょう。特に医学部なんか入った日には・・・そうか、たしかに私立医大に行かせてもらえるような金はなかったのかもしれません。とにかく、彼が息子を思って気を遣って云ってくれたのであろうと思われるあのことばは、ホントにショックでした。

ちなみに、わたしが大学に入学してすぐに退職した母の退職金の利子だけでわたしは月々の生活をまかなっていましたし、アルバイトすることもなく青春を十分堪能しました。国立大学の学費が年間14万円くらいに上がったばかりのころのはなしです。

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妙な夢。

先日、ちょっと変な、ちょっとイヤな夢を見ました。

新しく赴任した病院の当直表のようなものありました。スタッフのだれかが忘れて行ったようです。何をみるというわけでもなく何となく覗いてみました。私の名前がありました。よく見ると、その私の名前の横に、小さな走り書きがありました。

『○○先生は本当に信頼できるのか?疑問!!』

どういうこと?オレが何かした?いや、オレが何かしなかった?仕事でもサボった?何かいい加減なことでもした?だれが書いた?「何じゃこりゃ?」と怒ることよりも、むしろもの凄い勢いで不安感が押し寄せてきて、めまぐるしく頭を巡らせる羽目になりました。誰かが自分のことをそういう目で見ている。何を誤解しているかわからないけれど、自分をそういう目で見ているヒトが近くに居る。そう思うと、疑心暗鬼になります。妙な胸騒ぎがしたとき、目が覚めました。

イヤな夢でした。でもこれはわたしが見た夢ですから、きっとわたしのこころの中を表しているのだろうと思いました。その漠然とした不安には、覚えがあります。仕事をしている最中だったり、スタッフと世間話をしているときだったり、あるいは宴会で病院幹部と談笑しているときだったりにそれは突然襲ってきました。相手の目が笑っていません。「何を云ってるの?」とあざ笑っているように見えます。完全アウエイです。自分の存在がなくなっていく感覚になります。おそろしい感覚です。

やっぱりわたしは病んでいるのかしら。

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3Dアート

焦点をぼやかしながらぼーっと眺めていると、突然その中に立体画像が浮き出てくる絵があります。3Dアートとかいうやつです。「裸眼立体視(ランダムドットステレオグラム)」と云うんだそうです。

初めて目にした15年くらい前にはなかなかうまくいかずに苦労しましたが、最近は隠れた世界を簡単に目の前に展開させることができます。訳の分からない幾何学模様の中に、突然ハートマークの山やらせん階段が迫ってくる感覚は、経験したことのある人にしかわからない感動です。

わたしは、生活習慣病を持つ受診者のだれかが「あ、そうか!」という閃きを感じて、その後の生き方を変えてくれるきっかけになってくれればいいなという思いで、いつもアドバイスをしています。健診を受けるということがそのきっかけの場になればいいなと。自分でも経験したことのあるその感覚は、ちょうどこの3Dアートに似ているなといつも思っていました。一生懸命に凝視しつづけるだけではその感動の世界は姿を現しません。でもいろいろと模索しながらいろんな角度からながめていると、それはあるとき突然浮かび上がってくるのです。「わあ、これか!これがみんなが騒いでいた世界なのか!」・・・このとき、川の向こう岸で楽しんでいる皆さんの世界の中に突然ワープすることができるのです。

「なんだ、簡単なことじゃないか!」・・・経験したヒトが必ず思うその感覚は、経験できたヒトにしかわからない感覚なのです。それをできるだけ多くのヒトに味わってもらいたい。意外に殊勝なわたしです。

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健診医の仕事

eGFRの評価を始めて4ヶ月あまり、先日医局の会議にちょっと遅れて参加したら、それが問題になっていました。あまりにも異常値としてひっかかる人が多く、意味を説明するのに時間がかかるから判定基準から消した方が良いのではないか、というニュアンスの意見でした。

「何を云ってるんだろう、この人たちは?」と耳を疑いました。異常者が多すぎるのは基準がおかしいからだと云いたいのだろうか?思っていた以上に腎臓の予備能が落ちている人が多いということがわかっただけのこと。だからこそ動脈硬化の危険因子を持っている人の生活改善をもっとしっかりやってもらいたい、と指導するのには恰好の材料だと思っているわたしとは、やはり根本的な健診に対する考え方が違うのだなと再認識させられました。

彼らの思っている「健診」は、やはりいまだに「病気の早期発見」なのだなと思います。わたしが健診に求めている「病気になんかならない人生への修正」との意識のギャップはまったく埋まってないように思います。早期胃がんをみつけたとか、乳がんを小さいうちに発見できたとかと同じ感覚で、「もう病気になってしまったものを軽いうちに指摘できる」というのでは、そこいらの病院の医者となんら変わらないではないか!とついつい熱くなってしまうのです。

ちいさな漁船は目の前に障害物が見えてからでもすぐに避けられますが、大きな艦船は肉眼では見えないようなはるか遠くに障害物を発見した時点ですぐに舵(かじ)をとらなければ衝突は免れないものです。現代人の多くがそんな大艦船の生活をしているのだということに気付いて、早く考え方や生活の仕方を変えてくれたらいいなと思いながら、実りの少ないことをグチることなく口うるさく結果説明をしている毎日です。

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CKDとタンパク質

糸球体濾過量を簡単な計算式で推定できる、推算糸球体濾過量(eGFR)が徐々に世間に浸透してきました。これは、以前書いたことのある慢性腎臓病(CKD)を見つけるための指標です(「CKD」2008.5.6)。

今までの腎機能検査で正常と云われている人の中に、思ったより腎臓の予備力が低下している人が隠れており、その人たちが将来人工透析になったり心臓病や脳卒中になったりし易いので早めに見つけだそう、という発想から生まれた概念がCKDです。

この4月から、うちの健診でもeGFRの計算結果を表示するようになりました。思っていた以上にeGFR値が正常基準の90ml/分/1.73m2より低い人が多いことが分かって驚きました。これが60ml/分/1.73m2より低い人は中等度CKDとして腎臓病専門医の指導を受けることが勧められていますが、今まで「正常」だった中にたしかにそういう人がいます。それが低いからといって特別な治療があるわけではありません。●水分のとりすぎと不足は有害である。●塩分制限の基本は6g/日未満。●肥満の是正に努める。●禁煙は必須である。●中等度以上低下したらタンパク質制限(0.6~0.8g/kg/日)が有益。●エネルギーを取りすぎない(30~35kCal/kg/日)。●酒を飲み過ぎない。●血圧は130/80mmHg未満に保つ。・・・これが正式に勧められるCKDの治療方法です。つまりは生活習慣病の是正ですが、それをより厳密に厳しくすることを強いているのです。

わたしは脱水に注意することと無意味にタンパク質を摂りすぎないようにすることを強調しています。現代人は思っている以上にタンパク質を摂りすぎています。脂肪燃焼に有効な○○酸、アンチエイジングの美肌効果に△△、ダイエットに低脂肪高タンパクの□□、たまった疲れを取る●●・・・健康ブームのおかげで、「カラダに良い」という謳い文句に釣られて無意味にタンパク質ばかり摂っていますが、腎臓に一番負荷をかけるのがタンパク質だということを忘れてはいけません。

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『おかげさん』

木の芽が のびるのは やわらかい から    

                          みつを

我が家に、ベストセレクション『おかげさん』(相田みつを作品集 特別限定版)という名の日めくりカレンダーがあります。一日一枚の日めくりは、それぞれに彼の直筆の書が印刷されている31枚のみです。つまり毎月毎月初めに戻って繰り返すのです。だから、同じものを毎月見ています。特に毎朝それを繰りながら読み返すわけではありません。ただただ、カーテンをあけるついでに日課の作業として繰り返しています。日によっては何日も忘れられていることもあります。

先日、ひとりで弁当を食べていました。いつもは妻が座る席に座ってふと目を上げたとき、それは何となくわたしの目に入ってきました。

「木の芽がのびるのは やわらかいから」みつを

繰り忘れた何日か前のページでした。これまでに何度も読んだことのあることばでした。こういうことばは、それがどんなに深いものであっても完全に弾き飛ばしてこころに入ってこないことがあるかと思えば、何気なくすっと入り込むときもあります。あるいは何の抵抗もなく素通りしてしまうときも・・・。そのときは、どうしてこのことばがこころを捕らえたのでしょうか?

いいことばだなあと思って、しばらく箸を止めて眺めてしまいました。

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より高い理想を求めて?

3ヶ月間の生活改善プログラムで採血データがまずまず改善したある男性がいます。内臓脂肪量が、基準値以下にはなっていないものの明らかに減少しました。採血データも若干正常より高いものが数個あるものの軒並み前より改善していました。ですので本人はそれなりに満足して喜びました。

でも、実際は、週に1回フィットネスジムに来るようになった以外は運動量は前と同じ。夜のアルコールも止められず食事も毎晩たっぷり摂っている、とのことです。週1回の運動ぐらいで採血データや検査データがここまで良くなるとは思えませんから、無意識のうちに前より活動量が増えていたり、前より料理のカサが少し少なくなったりしていることは容易に推測できます。なかなか良い感じなので、「今を維持させましょう」と云って励ましました。

ところが、担当保健師さんが満足しません。「まだガッツリ食べているんですよね。お酒ももう少し減らせるんじゃないかと思います。」と、さらなる生活改善のための介入に意欲的です。「せっかくがんばり始めたのだから後一息がんばらせたい!」という彼女たちの声を聞きながら、熱心だなあと感心しました。でも、そこまでしなくても今それなりの成果が得られているのです。なのに、「生活改善」の名目でもっともっと紳士淑女たれと責められる。そこまで模範的な生活に矯正させることが、そのヒトの人生に本当に必要なんだろうか?

この仕事をしているといつも突き当たる疑問なのです。

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特定保健指導

保健師さんが、健診結果の束をもってやってきました。「これから郵送するんですけど、先生見てくださいよ。みんなすごいんですよ!」喜々としてそう話し始めました。

そこには春の健診で「積極的支援」という特定保健指導を受けることになったみなさんの、6ヶ月間の努力の成果がありました。どれも見事に改善しています。5~10kg近く体重が減っているだけではなく、問題だった検査データも軒並み良くなっています。これは盲目的なダイエットではないことの証だと思います。とやかく云われている特定保健指導ですが、きちんと取り組めば、より安全で効率的に生活改善効果をもたらせる良いシステムだと思います。

「ただ、」・・・イケズなわたしは、ついつい釘を刺してしまいます。「ここまでは、真面目に取り組みさえすれば、どこでもだれでもできるのよね。問題はこれから・・・!」

がんばらなければならないショッキングなデータが目の前にあり、いつまでに達成させるぞ!という具体的な目標さえあれば、ヒトはだれしもがんばれます。でもその結果発表の日がやってきて、達成感に安堵したその時点からモチベーションが保てなくなるものです。結果として1年後には元に戻るかむしろ前よりひどくなる、これが「リバウンド」です。せっかく良くなったデータを維持させるにはどうしたらいいか、それは日本中の健診世界の命題です。なぜできないかといえばモチベーションが続かないから。なぜ続かないかといえばうるさく云う人がいなくなるから。なぜいなくなるかといえば、予算がないから。・・・この鎖をどうやったら切れるか?どうか保健師のみなさん、せっかくつながった縁ですから彼らを真の勝ち組にしてあげてください。わたし個人の意見では、誰もに通用する普遍的で効率的な策を練ろうとするからうまくいかないのでは?と思います。成果を出したあとには、オーダーメイドの介入しかないはず。人海戦術でいいからひとりひとりに合ったモチベーション作りを手助けしてあげてほしいなと思います。

「楽しくなければ人生の無駄使い!」という歌詞が、サンバおてもやん♪の中になかったかしら。まさにそれだね!

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誰の満足が大切なのか

友人のお母さんが認知症になりました。介護保険サービスを利用して、ある施設で週末にショートステイをお願いしているそうですが、先日大きなたんこぶを作って、施設の人に抱えられながら帰ってきました。行くときはひとりで軽やかに歩いて出ていったのに・・・と家族は驚いたそうです。こんなことは今回で2回目なのに特に詫びを云うでもなくさっさと帰っていった職員さんの対応に不安になった友人は、危機管理について組織としての考え方を聞かせてほしい、と申し出ました。それを受けて家を訪れたのは2人の現場担当者だけで、言い訳をくり返した挙げ句に急用で早々に帰っていった、とあきれ顔で経緯を話してくれました。

こういうトラブルの場合に、担当部署の責任者と現場担当者が来るのが普通だと思います。今回のように、現場の人間に押しつける形の企業がありますが、つまりこれが施設の姿勢なわけで、簡単に云えば「レベルの低い」施設だと云えます。

その話を聞いていたわたしたちは、ついヒートアップしてしまい、「新聞社に投書しろ」とか「経営者に責任の追及をしろ」とか「とにかくさっさとやめさせろ」とか気色ばんで意見を云いました。それに対して、「ただね、母は違う場所に行くと不安がるし、施設の担当者の人とも仲良くやっているのよね・・・」という友人のはなしを聞いて妙に納得しました。友人の人脈を使えばもっと良い施設を紹介してもらえるでしょうし、施設にクレームを叩きつけてもらうことはできるのかもしれない。そしてこの施設は明らかにレベルは低い。・・・でも、当の本人はそこが気に入って、行くことを嫌がってはいないのです。ケガをするのは勘弁してほしい。でもそれを除けば、家族や周りの人間の不満よりも本人が満足できる方法を選びたい・・・それは野次馬的な自分たちにはわからない、家族ならではの悩みだと思いました。

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死の迎え方

内藤いずみ先生の『最高に幸せな生き方死の迎え方』(講談社)の話でもうひとつ書いておきたかったことがあります。

往診先の患者さんに死期が近づいてきたころ、とても穏やかないい顔になっていました。声をかければしっかり返事をするけれど一日中うとうとしている状態です。モルヒネの使用量から考えても、それは薬のせいではなく命の炎が小さくなってきていることだということを家族に告げます。 『・・・いま「死」は日常生活から隔離されたところで起きていて、間近で人がどんなふうに亡くなっていくのかをみんな見ていないから、そこまで言わないとわかってもらえない。・・・(以下略)』

身近で死に行く人を見たことがないから、在宅で最愛の人たちを看取るのを怖がるというのも理解できます。実をいうと、医者や看護師ならそんなことはないかというとそうでもありません。若い医者たち、とくに大きな病院や大学病院で研鑽を積む医者たちは、かえって自然の流れとして死んでいく姿を見たことがないかもしれません。できる限りの点滴をし最期までできる限りの蘇生医療を施すからです。病院に居合わせた以上はそうすることが義務だからです。人生の中で死に方を考える機会が本当に少なくなったなと思います。

『・・・人間は誰しも生まれたときから、死に向かって歩んでいる。末期がんの患者さんは迫ってくる死を見つめながら生きているが、私自身、死への途上を歩いているという意味では患者さんと同じ立場にいる。これは世界中の誰一人、例外のないことだ。 平等に死にゆく存在として、人間は誰もがどう生きるか、生ききるかということを問われている。最期まで人間の尊厳を失わず、誇りを持って生きるためには何が必要か、それを考えていったときに、おのずとホスピスの考え方が生まれてくるのだと思う。』<「痛みのないことが幸せ」>より転載

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内藤先生

鎌田實ストーカーシリーズ第二弾。『最高に幸せな生き方死の迎え方』(内藤いずみ、講談社)を読みました。甲府の小さなクリニックで「在宅ホスピス」をがんばっている内科おんな先生が書いた奮闘記、というより現代医療や社会通念の壁へのもどかしさに対して叫んでいる戦士の声のような気がしました。

「人工呼吸器を取りつけるとき、『どうしますか?』と聞いてくださる先生はあるいはいらっしゃるかもしれませんが、それを取りつけたら最期のお別れの言葉が言えないかもしれないということまでは話してくださらない」と、順子さん(遠藤周作さんの奥さん)は言う。ご家族にとっては、苦しい息が一時間延びるよりも、最期の言葉をしっかり受け取ることのほうがよほど重要であるかもしれない。(<医療知識のギャップ>から転載)

自分の医療人生を思い返しても、そんなことを話してあげたことはなかったかもしれません。というよりも、本人とは時間が許す限りお話をしたかもしれないけれど、ご家族と長い時間話したことのあるのは数人しか居ません。

「・・・ゴッドハンドは大切。でも一人の患者をみたとき、それを臓器の集合体だとしかみえないのだろうな、あるいは研究対象物にしかみえないのだろうなと思える医者が、なんと多いことか。・・・」

内藤先生の思い、鎌田先生の思い、何とかもっと若い先生たちの中にそんな思いの人がたくさん生まれてきてほしいと思います。医者としての経験と人生の経験を重ねていくと、そういう考え方が大切だと云うことは当然のようにわかる(それでも分からないヤツは医者とは呼ばないことにしています)けれど、若くしてそう思い行動を起こせる先生がもっと出てきてほしいと思います。内藤先生はそんなひとでした。

それでも、「在宅ホスピス」が一番!と意見の無理強いをしないところがまたいい。

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あのね

鎌田實先生の隠れストーカーのわたしは、そっと先生のブログを覗き、先生が勧める本をこっそり読んでみたりするのです。

『あのね~子どものつぶやき』(朝日文庫)は朝日新聞のコラム「あのね」に載ったものをまとめた本です。基本的に大人が書いているのでちょっとデフォルメして書いたのかなと感じるものもないわけではなかったけれど、やはり子どもたちの目はスルドイ!そして残酷きわまりない!そう思いながら一気に読み上げました。わたしが好きだったものを数首紹介します。

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しかりながら母が、「お母さんに、何か言うことがあるでしょっ!」「・・・・・あそぼ」 ごめんなさいと言ってほしかった。

お風呂で一人、頭を洗いながら独り言。「妹は、いつまでたっても妹・・・・・・」

台風の暴風雨を祖母と見て、「ばあちゃん りっぱな 風だったね」

いつもビリの運動会で3位。「いつもの走りと違ったみたいね」と言う祖母に、「あんなに 急いで走ったのは はじめて」

踏み切りで上り列車が通ったあと、すぐに下り列車。「わすれもの したんじゃろう」

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先日あった研究会で、ある先生が知人の医者の話としてこう云いました。「子どもは、親の云うことは聞かないが親のすることはマネをする。子どもは、先生の云うことは聞かないが、先生のすることはマネをする。」~これまた蓋し名言!

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指紋認証

会員登録をしているある医療ページを開けようとしたら、ログインパスワードを聞かれました。覚えてねえぞ、そんなもん!と思いました。クレジットカードの暗証番号を入れるときも、ハタと手が止まることが多くなってきました。

セキュリティの重要性がさけばれるようになり、いろいろな登録をするたびに暗証番号やパスワードを決めさせられます。いろいろ思いつきで決めているとそのうちどれがどれだったか分からなくなりそうで、全部を同じものにすると危険だと云われ、やむを得ず会員番号とパスワードの一覧表を作ったら本末転倒だとおこられました。さらにいつも同じだと何かのはずみで盗まれるから、クレジットカードやキャッシュカードの番号は定期的に変えるように勧告されています。それは理論的には大変良く分かります。そして、そんな勧告をしたのにもかかわらず変えずに事件が起きたらそれは本人の責任だからね!と云うための策だということも一目瞭然です。でも、とてもとても。それでなくても覚えられないのに、ちょこちょこ変えていたのでは、必要なときにどれがどれだったか思い出せる自信などありません。

その点、最近でてきた「指紋認証」や「声紋認証」はなかなかありがたいかもしれませんね。これだと何も覚えなくてもいいし・・・。あ、いかん!こんなものが普及したら、一層何も覚えなくなって、ボケの始まってきたわたしなんか一気にボケボケになっちゃうかも!今や、携帯電話のおかげで、他人どころか自分の電話番号すら覚えていませんもの。

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自分の生き方

林田正光氏は48歳で胆管狭窄症に黄疸を併発し、治療に時間がかかったために、前に勤務していたホテルでずっと築き上げていた地位を剥奪されました。大学も出ず英語もパソコンも得意でない彼は、「世の中ってそういうものだと割り切ることができた」と云います。でもそれは諦めでもへこたれでもなかったのです。彼には叩き上げのホテルマンとして顧客サービスをていねいにやってきた自信がありました。それが彼のその後を決めたのだと思います。

何年か前、当時の上司がわたしに云ったことばはショックでした。「わたしは、キミが今以上の役職につけるように推薦することができない。なぜなら、キミには何の肩書きも専門医資格もないからだ。今の病院のトップは、まず客観的な肩書きを評価基準として求めるようになったのだ。」・・・「それではしょうがないですね。」と笑いながら部屋を後にしましたが、その日の自分の行動をあまりよく覚えていません。わたしが若かったころ、「つまらぬ肩書きや地位ではなく、いかに切磋琢磨して患者治療に取り組んだかが評価されるべきだ!他でどれだけ偉かったかなど意味のないことだ!」と云い切った病院トップの意気込みに「ここは凄いところだなあ」と感動したことを、なつかしく思い出していました。

その後、意外にもろかったわたしのこころとカラダは、ご他聞にもれず不眠症からうつ病へ、胃潰瘍や円形脱毛症やと起しました。自分はこの組織に必要な存在なのか?自分はここにいる意義があるのか?夜中まで考え込んでいたそんなころ、ふっと「自分は何のために医者になったのか?」を思いました。「そうだった。自分はただ患者さんを良くしたいと思ったから医者になった。わたしほど患者さんのこころを代弁しようとする医者はそうはいなかったはず。・・・組織の管理者なんかにならないで済む分、自分のやりたかった医療をこれからも好きにやれるのではないか?それはラッキーなことではないか?どうせ道が限られているのなら、怖いものはないから気兼ねなくやらせてもらおうか。」

とても楽になりました。もちろん今でも周期的にうつの嵐がやってきます。それでも、昔よりずっと余裕のある人生を送れているような気がしています。

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断らない救急

開業前のリッツ・カールトン大阪に営業支配人として採用され、その後営業総括支配人になた林田正光氏のくだりも好きです。林田氏は、今もそのころの経験を生かして全国を飛び回って活躍しているそうです。

ホテルの評価が上がると満室のことが多くなる。お客様の予約を受けられないとき、「あいにくご予約は一杯でございます」といって切るのでは普通のホテルであり、彼は、「私どものホテルは一杯ですが、明日のご予約ですから、もしお困りでしたら、近くの同ランクのホテルの空き状況と料金を調べてご連絡いたします。いかがしましょうか。よろしければ、私どものほうでご予約の手配もさせていただきます。同業ですので割引できないかも伺ってみます」と答えるようにしているといいます。

何もそこまでする必要はないだろう、と思いますか?彼のモットウである「NOといわないホスピタリティ」を常に念頭に置き、実践していたヒトを他にも知っています。わたしを今の職場に引っ張ってきてくれたわたしの恩師です。「断らない救急」をモットウに、救急患者依頼の電話はどんなものでも必ず受けなさいと云われました。今ではめずらしくありませんが、20数年前の異端児の発想は、病院の中でもかなりの軋轢がありました。今は「断らない救急」の申し子のような顔をしている病院管理者の先生方も当時は「スタンドプレイだ!」と云って目くじら立てて反対していました。「相手の先生は困っている。助けを求めている。それを門前払いするな。それがたとえ心臓に関係なかったり大したものじゃなかったとしても良いじゃないか。それは患者さんにとってはありがたいことだ。紹介してくれた先生に恥をかかすな。すべてを受けることで信用が生まれる。困ったときには頼りになる病院として、先生にも患者さんにも信頼のつながりが出来るんだ」~それが彼の口癖でした。そうやって評判があがると、とうとうベッドが足りなくなってきました。急性心筋梗塞を始め、循環器救急の病気はどれも命に関わる重大なものばかりですから時間との勝負です。うちに空きがないから、と断るわけにはいきません。わたしたちは、近くの心臓救急を行っている病院に連絡を取りました。わたし自身、病院のドクターカーで患者さんを迎えに行き、それをまだ余裕のあった大学病院に連れて行ったこともあります。今はたくさんの高度医療をする病院ができましたからそんなことはなくなりましたが、信用と信頼というものはそんなこころからやっと生まれてくるものなのだということを、わたしは今は亡き恩師からそのときに教わりました。

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『へこたれない』

人は悩んで悩んで悩んで生きる。/精いっぱい悩み終わったら、ふっ切っていい。/悩んできた自分を褒めてあげよう。そして、自分に言い聞かせる。/もう、これからは、悩まない。

少し時間ができたので、敬愛する鎌田實先生の『なげださない』(PHP研究所)を読みました。またまた書き留めておきたいこころに残ることばがたくさんありました。二分脊椎症を患い、将来神経障害を起すことを覚悟したときから心の準備を始め、車椅子生活になってからも旅行をしながら前向きに生きているある女性を紹介した文章の一節です。ここまで達観できる人はそう多くないのではないかと思います。でも、こう生きれたら良いなと、きっと皆が思っていると思います。そう生きれるように、前向きに生きましょうよ。と、そう云っているように思いました。

もうひとり。生存率5%の肺小細胞がんを克服したある男性のことばも良い。

「外へ出て人と話をすることと、笑うことを心がけました。もちろんタバコも止めましたが、タバコが肺がんの原因だなんて思わないようにしました。今まで吸ってしまったタバコのことを悔やんでも仕方がない。自分の生き方が原因だと思いました。生き方を変えました」~過ぎ去ったことはクヨクヨ考えない。悩まなくていいのだ。・・・(略)

過去を後悔するのではなく、病気をきっかかけに、これからの行き方を考える前向きな生き方ができるようになる人たちには、一体何があるのだろう。わたしもいつか、そんな生き方が出来るようになるのでしょうか。

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「早起きは三文の得」ではなくなった?

米国の高校で10年くらい前から始業時間を遅らせる学校が増えている、という記事が医学雑誌MMJ(July 2009,vol.5,No.7)に出ていました。もっとも、遅らせても午前8:15始業ですから、そもそも早すぎだろ!という気がしないでもありませんが・・・。

始業を遅らせると、授業に積極的になり、居眠り・遅刻・欠席が減り、さらにカウンセラーへの相談者やうつ症状を訴える生徒も減ったとのことです。学業成績向上にもつながっているとかいないとか。たしかに夜更かしグセの高校生たちにとって、朝まだ頭も起きてないのにイヤイヤ登校することが減るのですから、この結果は「さもありなん」と納得できますが、これを少し科学的にアプローチしていました。

10~17歳の学生が最適な覚醒を得るために必要な睡眠時間は平均9.25時間(Sleep 2002;25:606)。ところが面白いことに、ヒトの体内時計が思春期になると変化して、睡眠導入が小児期より1時間遅れるのだそうです。だからその分、朝の覚醒時間も遅れることが明らかになったと書いてありました。実際に睡眠概日リズムマーカーのメラトニン量を測定すると、思春期前の子どものメラトニン分泌開始が午後9時半ころなのに対して、思春期になると午後10時半になるといいます。メラトニン分泌は眠たくなる1時間前に始まるので、つまり思春期の子は午後11時半以降にならないと生理的に入眠準備ができていない、とBrown大学の研究は語っているのです。

こんな夜更かしが正当な理由付けとしてまかり通るなんて、時代は変わりましたねえ。

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『病気にならない本』

「皆さんこんばんは!!」「『禁煙は愛!』でしょ!!」

ちょっと場違いなくらいのパワーで声が枯れるまで講演していただいたのは、江藤敏治先生(宮崎大学准教授)。先日行われた、第8回熊本禁煙研究会でのことです。江藤先生は宮崎ではむしろテレビのパーソナリティとしての方が有名な人だとか。熊本禁煙研究会はいつもとてもユニークな先生をお呼びしてくれます。金曜の19時から始まる研究会ですが、いつも最後まで居眠りするヒマがありません。活力のある講演のしかた自体がわたしには勉強になりました。

さて、そんな江藤先生が本を出しました。印税分を割り引かせてでも学生たちのために安く発行させたのだそうです。『病気にならない本-予防医学へのいざない-』(大学教育出版)です。あんなに話はうまいのに、なぜかPR自体はあまりうまくなく、この場に持ってきたらサイン入れてもらってすぐに買うのにな!と思いながら、Amazonで購入しました。

内容は、とってもオーソドックスでした。もっと破天荒で大小さまざまな文字があちこち飛び跳ねているような本を想像したので、逆にちょっと驚きましたが、学生講義の教科書ですからさもありなんです。ただ、冒頭に先生が書いているように、「・・・いろいろな分野の専門家がそれぞれの領域でその専門性を突き詰めるのは当然必要です。しかしながら、それと同時に各分野を総括して一個人を見渡す領域も必要であり、むしろ人を診察する場合そのような眼力が特に重要となってきます。人間は機械のように精密ですが、ただパーツが寄り集まっただけのものではありません。・・・」~この思いを教科書にして、これから医者になる医学生たちに、そして多くの一般社会人の方に、「予防」こそが「医療」だということをしっかり伝えていただいていることに、感謝します。

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老人腹

運動する時間がなかなか取れなくなったわたしですが、手足の太さにはあまり変化がありません。義母などは会うたびに「やせた、やせた」と云いますが、これはやせたのではなく筋肉が萎んでいっているのだと思います。それは男性の老化の典型のような気がして、まったく気に入りません。

一方で腹だけが何となく出てきてしまいました。風呂に入る前に洗面所の鏡の前でポーズをとってみても、脇腹のプヨプヨした脂肪はいつの間にかわたしのカラダから「くびれ」という単語を消し去っていました。おかしいなあ。1年前はこうじゃなかったぞ!2年前はもっと締まっていたぞ!と、ニンゲンはどうしてこうも過去の栄光に浸りたがるのでしょうか。この歳になると、腹筋の周りの脂肪は簡単につきます。脂肪は、腹筋に力が入らなくなった瞬間から貯まります。でも腹筋は意識していないと使いません。椅子に座って背筋を伸ばしているあいだは使いますが、背もたれに触れたり、ちょっと猫背になったり、あるいは机に肘を置いた瞬間から、まったく使わなくなります。これはなかなか厳しいものです。

でも、じいさんのカラダにはなりたくないのだ。いい歳をしてバカみたい!とお思いかもしれませんが、いやいやこれこそがアンチエイジングです。これだけはいつまでもジタバタしていたいのです。とりあえず、いつもいつも、オードリー春日かタイガーウッズの姿勢を意識したいと改めて誓い直す今日この頃でございます。

ただ、最近もうひとつ気になる箇所が出てきました。「ほっぺた」です。垂れてます。太ったのではなくて、垂れてます。半年前には気づかなかったから、最近急に垂れてきました。ヤバイです。じいさんのほっぺたです。これはどうしたらいいんでしょう?とりあえずいつも笑っておくしかないと思います。毎日無理矢理に笑うことにいたしましょう。

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夏用スーツ

講演をする機会が増えたので、2年前に夏用スーツを新調しました。東京にいた頃にダブルのスーツを買って以来なので、奮発してオーダーメイドで作りました。

せっかくやせたのだから、「シルエットのかっこいいのを作りましょう」と云われましたが、どうもそういうのが苦手なので(いや、実はすごく憧れなのですが、子どものころから肥満児だったわたしは、服を買いに行ったらデザインよりもまず体に入る服があるか探す習慣でしたから、「オシャレ」というものに縁のない人生だと諦めておりましたのです)、モジモジしていたら服屋さんがどんどん話を進めてしまいました。

濃紺の上品なストライプ柄に、よく見るとボタン穴縢りの糸がピンクだったり、ボタンを青や赤の糸で止めたり、あるいは袖口の裏地だけ真っ赤だったり、胸ポケットの裏地を引っ張り出すとピンクストライプのポケットチーフになったり・・・これがなかなか、遊びごころ満載でかっこいいのです。着ているだけでちょっとウキウキします。

わたしたちの年齢になると、年齢より若く見えるか、年寄りに見えるか、とても大きな差が出てきます。「いい歳をしてそんな子どもみたいなことをして!」「普通のサラリーマンだったら仕事でそんなもの着たら信用を失うぞ!」と目くじら立てる人もいるかもしれません。でもむしろ、この歳だからこそ、「この遊びごころをフォーマルで着たい」とまだ思える自分の考え方を自慢しても良いのではないか?と思うております。

ただ残念なことは、暑すぎて、あるいはクールビズで、上着は持って歩くだけのことが多いということです。隠れた遊びごころを見せびらかすチャンスがなかなか来ません。

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40歳は初老

昨年に続いて今年も40歳の公務員に対する講演をしました。

その一週間前には、これも恒例になっている50歳の公務員に対する講演もしましたが、やはり40歳は圧倒的に若いです。50歳の皆さんを相手にしながら、「どれ見ても、まだまだオレの方が若く見えるな」とこっそり思っていましたが、さすがに40歳の皆さんを見たら、くやしいけれど「まったく勝ち目がないな」と降参しました。

同じような生活習慣病の話をしながら毎回自分で痛感することは、今やそれは予防の概念ではなく、若いころから修正しないと手遅れになる時代だということです。それは大きな艦船が遠くの障害物を避けるためにかなり手前から方向転換を始めないと間に合わないのに似ています。厳しい時代ですが、実感がないのが辛いところです。

それはそれとして、「男の人生は『厄明け』から、女の人生は『閉経』から始まる」というのは蓋し正論だなと思います。わたしの場合も厄明けが大きな節目でした。小脳梗塞になったのも、うつ病になったのも、交通事故にあって脊椎ヘルニアになったのも、父が急死したのも、全部40歳代のことでした。一方で、ゴルフを始めたのも、バスケットボールを再開したのも、サッカーのサポーターになったのも、40歳代でした。もう帰っては来ない40歳代ですが、この10年間にここまでいろいろなことがあるとは思ってもいませんでした。人生で一番輝いている時代。でも人生一番疲れている世代。それが40歳代だと云えましょう。

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「噛む時間なんかありません!」

先日、こんな不思議なことを云う女性がおりました。

待ち時間が長かったのか、何となく初めから機嫌は良くはなかったようで妙に無表情な方でした。こういう方とお話しするときにはことばの一つ一つに注意を払いながら話すことにしています。今回は健診で行った胃内視鏡検査の結果の説明でした。所見はほとんど問題なく、ごく一部に軽いびらん性胃炎(胃の表面が少し炎症で荒れている状態)を認めるのみでした。

「ほぼ問題ない胃です。少しだけ荒れているので胃をいたわってあげる意味で、『食べ過ぎない』とか『イライラしない』とかいうことに注意してください。」と云うと、「『イライラしない』は無理です!」と強く否定されました。「まあそう云わず、意識だけでもしてみてください。」とやんわりと進言しておきました。

「結局、『市販の胃薬を飲めば良い』ということですね。」・・・帰り支度しながらその女性がそう総括するので、「いやいや、薬は要りません。代わりにできるだけ良く噛んで食べてくださ・・・」「無理です!わたしは忙しいので噛む時間なんてありません!」~わたしのことばを遮って、そのことばが即座に出てきました。

「いや、忙しくったって噛めますよ!わたしなんか昼飯は5分で食べてしまいますけど、ちゃんと噛んでますもの。早食いだって噛めます!」・・・カチンと来てしまったわたしはついそんな反論をしてしまいました。表情を変えるでもなく帰っていくその女性をながめなら、感情を抑えきれなかった自分に自己嫌悪でした。

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たましい

山道を運転していると、ときどき道路脇や道の真ん中に小動物の亡骸(なきがら)が転がっているのを見かけます。山の中なのでイタチやタヌキなどが多いようですが、まったく原型をとどめていないことも少なくありません。

散歩だったのか何か用事だったのか、きっと何気なく出かけて、突然車に叩きつけられたのだろうと推測します。魂(たましい)は突然カラダを離れてしまって、何が起きたのか理解できていないでしょう。ぶつかる瞬間、あるいは魂が抜け出る瞬間、彼らは何を考えるのだろう?人間と同じ様に、走馬灯のように今までの短い人生(動物の場合は何ていうのだろう)がフラッシュバックされる時間はあるのだろうか?第一、彼らの脳はそんなフラッシュバック機能を持った脳なのかしら?思いがけない衝撃に、成仏できない魂がその辺りを彷徨(さまよ)っている、っていうのもまんざら分からないでもないな・・・などと、連休の渋滞の阿蘇路で前の車をボーっと眺めながら考えていました。

魂が消える瞬間(それが病死などのようにある程度準備された場合であっても)、ロウソクの火が消える瞬間と同様に、その一点は一瞬です。この一瞬にとてつもなく大きなエネルギーが現世から消えてしまうのです。その流れには、人間も小動物も違いはないように思います。まるで抜け殻をうち捨てるように道路脇に放置されている亡骸が、踏み裂かれ、朽ち果てて風に吹かれる姿を「哀れだ」と思っていましたが、むしろ自分のたましいが宿っていた抜け殻がきちんと自然に戻ってくれることに妙な安堵感を覚えるようになってきました。

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ことばは聴診器より大切

日経メディカル500回記念号の「あの人はその時、何を語ったか」に、わたしの敬愛する日野原重明先生(現聖路加国際病院理事長)の記事が載っていました。1985年2月号に掲載されたものです。

『医者はせっかちで、説教から始める。「あなた、こういうことしちゃだめですよ」と言う。そうでなしに、患者に質問させる。高血圧だといったら、「あなたはこの病気についてどんなことが聞きたいか、食事のことでも何でも」というふうにまず聞くことが大切です。最初からこうしなさい、ああすると悪いなんて立て続けに言っても、当人は何も覚えてない。自分の質問に対して答えたのは覚えている。先生が勝手に言ったことは覚えていない。』~蓋し正論、まことにもって耳が痛いお話です。

<患者指導の要諦を一言で言えばどうなりますか?>という質問に、『本当のことを言えるような人間関係。体のことも、心のこともね。』・・・当たり前のことであり、とてもむずかしいことです。<ちゃんと薬を飲んでいるかを正直に告げてくれるか?>という問いに対して、『正直に言うような関係をつくればいい』と即答。わたしもその通りだと思って患者さんと接してきました。正直に話しているかどうかは、自分が正直に接していればわかるものです。

『それには言葉が大切です。同じ言葉でも、大げさな言葉を使わないで、非常にリファインされた言葉、その人に合った言葉で対応する。だから医者というのは役者なんだよ。相手次第で、表情なり言葉なり変わるわけだ。だから、ボキャブラリーをたくさん持っていないとだめですね。』~『聴診器とか心電図とかいうと、大切にするでしょう。言葉はそれ以上に大切なものです。』・・・日野原先生の口からこぼれ落ちるように発せられることばは、やはり昔から深いことばばかりです。

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皆既日食

子どものころの奇妙な記憶があります。天気の良い夏でした。昼より前だったと思います。いつものように汗だくで遊んでいたら、急にあたりが暗くなり始めました。曇ったわけでもなく、夕立でもありませんでした。何が起きたのかよく分からなかったのだけれど、それは急にやってきて、数分でまた何もなかったかのように元に戻っていきました。自分の中では何か不安なドキドキする出来事でしたが、なぜか自分の周りの大人たちは全く意に介さない感じで平然としていた印象があります。そのまま誰に聞くでもなく、わたしはきっと大したことではないのだろうと思うことにしましたが、実は今でも良く理解できていない不思議で奇妙な経験でした。

昨日、46年ぶりに日本を通る皆既日食がありました。嫌がらせをするような梅雨前線がわざわざこの日だけ一気に南下してきましたが、わたしも雲の間から三日月型の太陽を見ることができました。まあ、若干騒ぎすぎの感はありましたが、それでも夜にテレビの特番を見ていると、それは人生観を変え、歴史を変える大きな出来事であったことを痛感しました。

そんな中、ふとあの子どものころの遠い思い出は、もしやその皆既日食ではなかったのかと思いました。コースの主体は北海道の方だったそうですが、九州の片田舎の小さな少年が経験したあの出来事もまた、日食そのもだったのではないかと思います。

次の天体ショーは26年後だそうです。ちょっと微妙な年齢になりますが、もう一度経験することがあるとしても、また子どものころのあの思い出が浮かんでくるような気がします。それにしてもどうしてあのとき、大人たちは何も騒がなかったのだろう?騒いでいたけれど子どもだったわたしに理解できなかっただけでしょうか。いまだに不思議です。

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健診任せ?

健診の心電図である種の不整脈や波形異常が見つかった場合、あるいは運動負荷心電図で異常が見つかった場合、わたしたちは念のために専門医で精密検査を受けることを勧めます。そんな方々の中に、受診した医療機関から、「所見はたしかにありますが、特に治療の必要はなさそうな所見なので経過観察してください」という返信をいただくことがあります。翌年に本人に聞くと、「あとは毎年の健診や人間ドックで診てもらってください」と云われた、というのです。

この手の返事が一番困ります。一体、健診で何を診ろというのでしょう?健診で行う検査は、安静時心電図や一部で負荷心電図をする程度です。それで異常があったから紹介したわけで、それを毎年続けたところでほとんど何もわかりません。不整脈に危険性があるのかどうかはホルター検査でしょうし、心肥大の進行の有無は心エコー検査でしょう。それらを見ないと大丈夫かそうでないかの判断はできません。「健診で何かあったらまた来てください」というのならまだしも、この場合はつまり、「無罪放免ではないけれど、面倒くさいからこんな程度のことを自分のところで診たくない。だからそっちで何とかしてください。」という門前払い的な意思表示のように見えます。

こういう返信をされる先生は、基本的に健診でどんなことをするのかあまり理解していません。だから健診でフォローできるのかどうかなど考慮して云っているのではないでしょう(わたしも昔臨床現場に居たときにはそうでしたから)。困ったものだと思いながらも、ハザマにいる受診者の方に今後の方針をどう説明しようかと思案する日々です。

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早歩きしないとダメ?

「きのう、フィットネスジムで運動体験をしたんです。そのときに運動指導士さんにいろいろ教えてもらいました。わたしは毎日30分歩いていますが、あんなんじゃダメだということがわかりました。10分でも良いからもっと早歩きするといいんだそうですが、わたしには体力がなくてきのうも数分しか出来ませんでした。だからわたしはやせないんだわ。」

宿泊ドックを受けたある女性がそう嘆きました。彼女の年齢は72歳。たしかにちょっと小太りで、軽い糖代謝異常がありますが、それなりにコントロールできていると思いました。エネルギー効率を考えると、たしかに早歩きしないと脂肪は燃焼に転じにくいので、ただの散歩ではダイエットにつながらない、というのは本当です。でも、この女性に果たしてそれは必要なのだろうか?という疑問が生じました。「なんでもかんでもやせればいいというわけではない!」~このブログのタイトルにしたことばですが、まさしく彼女はそんな人のひとりのような気がしました。この年齢の女性はむしろダイエットした方が寿命が縮むというデータもあります。もちろん、筋肉が落ちると老化につながりますからしっかりとした運動を続けることは大事ですが、今でも30分もウオーキングしているのならばそれを続けることで十分なのではないでしょうか?この歳で、黙々と必死の形相で早歩きする姿はちょっと異様です。むしろ季節の変化を愛でながら風を感じて歩いてほしい!というのがわたしの持論です。

どうか無理をしませんように。やりすぎに注意して、もっと人生を楽しんでください、と助言しました。ただし彼女の息子さんとお孫さんは太りすぎ・食べ過ぎです。彼らには厳しく接してほしい、とも話しておきました。彼女の持っている生き延びる遺伝子(倹約遺伝子と糖尿病の体質)をしっかり引き継いでいるようですから・・・。

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喘息コーチ

わたしが個人的にゴルフを教えてもらっている男性がいます。

彼から、「最近なかなか治らない頑固な咳に悩まされている」と相談を受けました。生半可な市販の咳止めを飲まずに、呼吸器の専門医を受診することを勧めました。

それに従って受診した彼は、諸検査の末、『気管支喘息』の診断を受けました。多くの内服薬が処方され、1週間後に再診するように指示されました。ところが、一回内服したら、翌朝は目が腫れ上がって開けられないほどになり、からだがだるくてどうしようもなくなったため、怖くなって処方薬を飲まないでおいたそうです。

定期的なゴルフのレッスンを受けたのはちょうどその頃です。かなり苦しそうな咳をしていました。話を聞くと、結局そのまま放置している、と。「飲まないほうが良いですよね?」「他の病院に行った方が良いんでしょうか?」と心配気です。「最初に行った病院で『飲んでみたらこんなことがあった』と云ってください。それで内服薬を変更するはずですから」と助言しました。前にも書いたことがありますが、ある症状で病院に行ってクスリを貰ったのだけれど、それを飲んで副作用が出たとか、返って調子が悪くなったとかいう目に会ったとき、そのまま止めてしまってほったらかしたり、心配になって他の病院を受診する人が少なくありませんが、これは大きな間違いです。こんな場合は、そのクスリを飲まないで処方された病院に行き、事情を話してほしいのです。その情報から医師は処方の修正をします。本当の治療はこのときからです。医者が名医かヤブ医者かはこのとき以降の処方で決まると云えます。

「じゃあ、1週間後にもう一度行ってみます」と彼が云うので、「ダメですよ。明日必ず行ってください」と念を押しました。そんな彼から連絡がありました。クスリを変えてもらったら、ウソのように咳が止まったそうです。名医だったようですね。

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慣れることの有難さ

わたしの応援しているプロサッカーチームの監督が成績不振の責任をとって更迭されました。4年前、瀕死の状態のチームを生き返らせてくれた神様のような存在でしたので、その話を聞いたときには頭の中が真っ白になりました。もはや何もかもが終わりだ!と悲観しました。ところがある事情でそれが10日間延期されました。もしやこのまま?という期待は残念ながら外れましたが、でもこの10日間があったおかげで、わたしのこころはとても静かに運命を受け入れる準備ができました。ずっとそのことばかり考えているうちに、こころが慣れたのだと思います。そして冷静に現実をみつめる時間を戴いたことに感謝して、新しい体制にこころを向けることができています。

わたしの敬愛するボスが脳腫瘍になったのはもう12年も前です。突然の出来事で、現場は混乱しました。彼なくしては自分たちの組織は崩壊する!と思いました。彼はその後手術を受け、一度現場に復帰しました。「半身不随になってまで生きたくない。男としての美学だ!」というのをみんなで説き伏せて手術をしてもらいました。「あなたが存在しているだけでもわたしたちの支えなのです」と。結局帰らぬ人になりましたが、その期間のおかげで職場のシステムの作り直しだけではなく皆のこころに準備ができました。あの半年間にわたしを含むスタッフ全員が突然成長したと感じました。

昨年9月に亡くなった愛犬の場合もそうでした。彼はわたしたち夫婦の「こころの準備」が出来るまでちょうど1週間だけ、逝くのを待ってくれました。おかげで、こころ安らかに彼を送ることが出来ました。

運命は何も変わっていないのに、パニック状態から静かに受け入れのこころに代われるのは、きっとニンゲンが生きるために前もって備えておいた逃避能力のひとつなのだろうと思います。

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無料?

うちの健診センターで、保健師さんたちがいろいろな企画を積極的に発案して頑張っています。

先日も、館内放送を何度も流していました。一週間にわたってメンタルケアの教室やカウンセリングや展示の企画をすることを告知していたようです。流れているアナウンスを聴きながら、「良く頑張っているな」と心強く思いました。

ただ、「・・・どうぞ、ご遠慮なくお越しください。」と云うことばで終わってしまった館内放送を何度も聴きましたが、「で、お金は?」と、ついひとり突っ込みをしてしまいました。何度聴いても、参加料(入場料)については一言も触れていなかったからです。きっと無料なのだと思い、きっと無料だから云わなくていいと思っているのかな?とも思いましたが、でも、もしかしたら何百円か木戸銭を取るつもりなのかもしれないとも思いました。

きっと、放送を聴いた受診者の皆さんの多くがやはりそう思ったのではないかと思います。こういうありがたい企画は、一般的には料金をとって然るべしです。「あ、面白そうだから行ってみようかな」と思うものの、「値段がわからないからなあ」、と二の足を踏んだ人は絶対居たと思います。うちの施設は昔からそんな「下品」なことは云わないでスマートに表現しよう、という風潮がありますが、云わなければわからないことはたくさんあります。やはり野暮でもいいから「参加は無料です。」と云ってほしかったです。

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積極的支援レベル

悪名高い「メタボ健診」も、とりあえず始まって1年がたちました。賛否両論ありながら、喧々諤々ありながら、それでもそれなりに定着するものなのですね。最近は、健診のときに「腹囲測定をします」と云っても誰からも拒まれることはありません。

ただ、まだ特定保健指導のことをきちんと理解していない人が多いように思います。健診結果から「積極的支援レベル」と「動機付け支援レベル」と「情報提供レベル」、および「受診勧奨レベル」に分けられるわけですが、その中で最大級の特別扱いを受けるのが「積極的支援レベル」です。保健師さんたちと一緒に具体的な目標を立て、その後何度も定期的に保健師さんから激励の連絡(メールや電話など)を受けながら生活改善に取り組むのです。あまりに悪くて早々にクスリを飲まなければならない人や、すでに服用をしている人は残念ながら対象になりません。そんな人は病院の先生から指導を受けなさい、ということになります。

これまでに何度も書いてきましたが、メタボ健診は、「誰でもやせなければならないのではなく、とにかくやせればいいのでもない」ということを忘れてはなりません。複数の危険因子を持っている上に内臓脂肪がたまっている人(つまりメタボリックシンドロームの人)はやせれば病気がよくなる可能性があるのですが、何も問題ない人や内臓脂肪がたまっていない人はやせたところで何の意味もありません。そんな努力をする前に早く病院でクスリを貰わないと危ない可能性もあります。だから、メタボ健診で動機付け支援や積極的支援にひっかかった人はむしろラッキーです。そのふるいわけのために「メタボ健診」が存在するのだということを忘れないでおいてください。

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禮子さん

人間ドックを受けにきたある女性に結果の説明をしました。

彼女は、診察室に入ると結果報告書を指差しながら、開口一番、「この字、まちがっています。」と云いました。怒っている感じではないのだけれど、でも強い意志を感じる口調でした。彼女の名前は「禮子」さんですが、印刷物には「礼子」と書かれていたのでしす。メインの報告書は「禮子」となっていましたが、いくつかの検査伝票に「礼子」と書いてありましたので、もしかしたら検査室のパソコンの辞書に「禮」がなかったのかもしれません。

「礼」の旧字体が「禮」です。「害」と「碍」のように若干意味がずれているのとは違って、おそらく「禮」も「礼」も意味は同じです。「治」を「二」と書いてあるとか、「斉藤」を「斎藤」と書いてあるとか、そういう間違いは「間違い」なのだけれど、わたしたちは、意味が同じなら新字体も旧字体も同じものじゃないか?と思ってしまうところがあります。

でも、考えてみると、「名前」は「記号」ではありません。他人は、一人の個人を他の人と区別するために「名前」を使います。そういう意味では「A-267897号」でもまったくかまいませんし、「禮子」も「礼子」も同じことです。ところが、本人にとっての自分の名前は自分自身ですし自分の歴史です。親が想いを込めて決めた名前は「礼子」ではなく「禮子」なのですから、「禮子」と「礼子」は全くの別ものです。それは姓名判断の画数の違いレベル以上のものだと思います。

ということで、説明を終えた後にスタッフに変更するように伝えましたが、さて、皆さんにそんな意図は伝わったでしょうか?

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厳しい上司がいる。

「うつ病記」の著者はやしたけはるさんは復職後に二度目のうつ病にかかりました。

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「厳しい上司がいる。」

云っていることがキツイと思う。同僚が叱られる光景をみて、イヤだなと思う。指摘を修正するとまた違うところで叱られる。自分の番になるのはイヤだなと思う。でも、とうとうその順番が回ってきた。

以前ももっとひどい言葉を云われたこともあるし上司の性格は理解しているつもりだ。一度長期休業をしているので、うつ病で二度も長期休業すると色々あると思ってがんばっていた。

ある日、別件で機嫌の悪かった上司から理不尽なことで怒鳴られて、自分の「うつ病サイン」が赤信号になったことを悟った。上司の命令を無視してそのまま病院に行った。

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こんな上司が自分の周りにいたらわたしもイヤだなと思いながら、マンガを読みました。でもよく考えたら、自分がまさしくそんな上司なんじゃないだろうか?「仕事は遊びじゃないぞ!プロならプロらしい厳しさを持て!」「おまえは給料ドロボウか!?」「バカじゃない?」そんなことばを平気で発していたのは、まさしくわたしの姿でした。当時のわたしを知っている人は、今でも出会うと目線を逸らします。よっぽどイヤな男だったのだと思います。

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うつ病記

ある薬品会社が企画・発行した小冊子のマンガ「うつ病記」(はやしたけはる著)を以前たくさんいただきましたので、あちこちに配ってまわりました。今回、ちょっとだけメンタルヘルスの講義をすることになったので、久しぶりに引っ張り出してきて読みました。以前読んだときよりも共感する部分が多くなったのは、それだけ同じような場面を現実に経験してきたからなのかもしれません。

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仕事が忙しくなった。かかえていた仕事が遅れてきた。会社に行く足取りが重くなった。

→なかなか眠れない。仕事の夢を見る。うなされる。頭痛が続く。めまいがする。食欲がおちる。胃が痛くなる。吐き気が続く。集中力がなくなる。

→ 『責任感とプライド』が邪魔をしてギブアップできない!

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病院に行った。「過労だ」と云われた。

→体調管理のために九時五時の仕事になった。複雑な仕事は他の人に回した。みんなが残業する中、自分だけ帰る。なぜか考えが上手くまとまらなくなった。楽になったけど、ボーっとする時間も増えた。

→ 『私の存在意義』って何だろう?私は今、何をしているのだろう?

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著者はこうやってうつ病になりました。今のわたしも、この中のある地点で同じようにして佇んでいる気がします。

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サザエさん

昨夜のテレビの「サザエさん」で、サザエさんが水着になった姿が出ていました。買ってきた水着がやっと入ったのなんのと云っていましたが、でもサザエさんはとてもスマートで驚きました。というか、24歳の一児の母親としてはちょっと痩せすぎかもしれません。

そういえば、サザエさんのお宅はみんな痩せています。九州出身の波平さんはちょっとお腹が出ているかもしれないと思っていたけれど、単に丸顔なだけかもしれませんし、静岡出身のふねさんの兄弟もみんな丸顔なんですがやはりスタイルは良さそう(「サザエさん家系図」参照)。天神の岩田屋でお見合いした大阪出身のふぐ田マスオさんの家系も太っていないみたいで、どうもサザエさん一家の遺伝子はメタボ系には縁がなさそうです。怪しいのはノリスケさんだけかな。

東京というところは生粋の江戸っ子(たい子さんが東京っ子)と地方出身者の混在する土地ですが、もともと倹約遺伝子(何も食べなくてもきちんと生きていける遺伝子)が多いのは、東京出身者なのでしょうか?それとも地方出身者なのでしょうか?マンガを見ながらそんなことを思いました。少なくとも、サザエさんのお宅は世が世なら、あるいは天変地異が突然起きたならば、最初にくたばるタイプの家系の代表のように思います(もちろんカツオ君は要領よく誰かに助けてもらえそうな気もしますが)。

それに対して、花沢さん家はもしかしたらメタボ系かな(あそこは生粋の江戸っ子なのかしら?)。まあ、食べられなくなっても絶対たくましく生きていける家系だから、安心かもしれません。でもどうして「不動産屋さん」はみんなお腹が大きいというイメージがあるのかしら。

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幸せってなんだ?

「ばぁかおまえ、これはもの凄く良いヤツなんぞ!」

わたしの父は、そう云っていつも誇らしげでした。ランドセルに始まり、木琴や書道の道具や技術家庭の道具や・・・同級生たちと同じものを持たせてもらえませんでした。小学校に上がるときに買ってもらったランドセルは何かの高級皮製だとかで柔らかくてペッチャンコでシワシワでした。友だちのランドセルは固くて大きくてテカテカ光っていて、テレビのCMで見るのと同じでとても羨ましかったのを覚えています。「あれは安モンの偽モンぞ。おまえのは本物ぞ。」・・・わたしが不満をいうと、父は必ずそう云っていました。

そうじゃないんです。高級品かどうかより友だちと同じものがほしかったんです。学校で安く一括購入する木琴や書道具を大部分の同級生は使っていました。先生もそれの使い方を基本にして指導しました。学校に行くときに一人だけ皆と違うものを持っていくのはシャイなわたしにはとても辛かったのです。

先日、渡辺淳一氏の「鈍感力」の講演の中で、似たような話がありました。ある日、渡辺氏は二十数名の仲間と一緒に一泊二日のゴルフツアーに行きました。夜泊まった旅館の食事でみんなが腹を壊したのに、ただ一人腹を壊さなかった男がいたそうです。彼が渡辺氏にそっと聞きました。「なぜわたしは腹を壊さなかったのか?」・・・それに対して、「それは分からないけれど、君の腹は細菌なんかよりずっと強かったということなんだから、自慢してもいいんじゃないか?」と答えたら、「わたしもみんなと同じ様に腹を壊したかった」と彼はつぶやいたと云うのです。

「分からないものです。幸せってなんなんでしょうね?」と渡辺氏は話を〆ました。でもわたしは、そのただ一人腹を壊さなかった彼の気持ちがとても良く理解できます。

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それはできん。

先日、ある女性に健診結果の説明をしました。彼女はわたしと同い年です。

「コレステロール、特にLDL(悪玉)コレステロールが高くなったので食事に注意しているのだけれどなかなか下がらない。あとはどんなものを食べたら良いのか?」というのが彼女の悩みでした。

「『トランス脂肪酸が悪い』というのでマーガリンも全部バターに換えたんです。」と云うので、「LDLコレステロールのことをターゲットにするのなら、この際バターも止めてみたらいかがですか?」とアドバイスしました。そしたら、「それは無理です。わたしは毎朝パンを食べますから。」とスッパリ切られました。「別にバターにこだわらなくてもいいんじゃないですか?わたしなんか、食パンはいつも焼くだけで何も付けませんけど、おいしいですよ。」と答えたら、途端に顔を顰(しか)められました。「そんな味のないもの食べられません!」だそうです。

彼女の場合、LDLコレステロールの値はさほど高すぎるというわけではなく、他の危険因子も特にないので、おそらくコレステロールの値をあまり気にしなくても大丈夫だと思います。ただ、こういう話をするとき、相手の思い込みと聞く耳を持たない頑(かたく)なさに閉口することが少なくありません。彼女は、健康に注意している、できることは何でもしている、と断言していますが、「パンにはバターがなければ食べられない」という考えを変える気はなさそうです。わたしは、焼いたパンとスープだけ(またはサラダだけ)でとても美味しいと思うんですけど・・・ちょっと試してみることで、今までの濃すぎる味覚を変えられるいいきっかけになるかもしれないのにもったいないなあ、と思いました。

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キャロット・ジュース

某老舗デパートのお中元商戦で、限定商品を扱っていた番組を観ました。

なんたらキャロットという(まあ外国の「ニンジン」だろうかな)野菜のジュースをお中元用に売っているのです。試飲会を催したり、店員さんがPRしたりなどで、目標の100セットを大きく上回った売り上げを見せていました。

「大嫌いなニンジンなのに、これは飲める。」「こんなに濃くて甘いのに糖がまったく入ってないのはすごいね。」などと、試飲をしたオバ様方がこぞって買っておられました。メーカーのスタッフも、「一度飲みさえすれば、必ず買ってもらえる自信がある」と豪語していましたが、まさにそれを実証した売り上げ数だったのでしょう。

でもどうなんだろう。健康ブームではあるけれど、思いの外美味しいのかもしれないけれど、それを飲み続けるものなのでしょうか。「ニンジンが苦手だけど、これは入っているのに全然気付かないからわたしにも飲める(食べられる)」というようなものがあったとして、それをわざわざ自分で買って何度も飲みたいと思うものなのでしょうか?

「これは食べられる」を、「だから毎日食べる」と勘違いしてはなりません。数ある中からあえてそれを選ばなくても何も困らないのですから。わたしが「バナナの天ぷらは苦手だ」と云っていたら、数年前、ある居酒屋でバナナの天ぷらを食べさせてもらいました。それは思いの外とても美味しくて驚きました。でも、その後あえてバナナの天ぷらなんか注文していません。そんなものでしょう。「とても良い娘」であっても必ずしも結婚を申し込むとは限りません。数ある中からあえてそれ1つを選ぶ、というのは、考えてみるととても奇跡的なことなのだと思います。

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やっつけ仕事

ある病院とテレビ局の共同企画で、渡辺淳一氏の講演会がありました。

急性胃腸炎で食欲がない、体調が悪いという彼は、15分か20分くらい話したあたりから時計を気にし始めて、半分過ぎたところで、「まだいっぱいあるなあ」とぼやき、それでもツギハギの「鈍感力」の話をきちっと1時間話して、終わりました。「仕事をキャンセルしようと思った」というだけのことはあります。まさしく「やっつけ仕事」だと思いました。私の方が上手く話せる気もしました。でも、そんな力の抜けた世間話のような1時間を、ちゃんと聴衆を笑わせながら、そっと医学的なエキスを交えながら、きちんとこなすあたりがプロなのかもしれません。

私だったら、与えられた1時間を有効に使おうをするあまり、あれもこれもと話題を詰め込み、早口で畳み掛けるような話をしてしまいます。それでは聴衆はかえって消化できずに不満足になる気がします。別に教訓を伝えたいわけではないし、勉強になることを教えたいわけでもありません。それなら、笑ってるうちに「何か」が残る、だけでも十分です。渡辺さんは決して話が上手いと云えませんでしたが、「やっつけ仕事」でもこれだけ聴衆の心を捕らえられるから偉いなあと思って帰路に着きました。

そんな「やっつけ仕事」の中で、覚えている文を書いておきます。詳細はご想像を!キーワードはもちろん「鈍感力」。

●長生きで元気のいい爺さんたちに共通の特徴は、「人の云うことをほとんど聞いていない」こと。

●「鈍感力」のある子どもになるには、おおらかなお母さんに育てられること。

●世のお父さんは、朝起きてきたお母さんに、「おはよう。今朝は一段ときれいだね」と云いましょう。ウソでもいいから。顔を背けながらでもいいから。

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甥のうつ

甥が会社を辞めました。

今年4月に新卒で就職したばかりでしたが、新人研修を受けているうちに、朝になっても職場にいけなくなってしまいました。

彼は次男坊です。長男はどちらかというと融通が利かない頑固な性格ですが、次男は子どものころから考え方に余裕がありストレスに強い人間だと思われてきました。あまり大酒は飲みませんが友人も多く、明朗快活な男だと思っていましたし、物静かで人格もよく、人望も厚いし、温厚な性格・・・申し分のない若者だと、本人も両親も自信を持ってそう思ってきただろうと思います。

ですから、今回のエピソードは、思いもよらない大事件だったに違いありません。自分でも自分の身体の変化を予想できずに面食らったでしょう。「○に限ってそんなことはないだろう」とわたしも思っていたくらいですから、母親のショックは大きかっただろうと想像できます。

まだ始まったばかりだったのだからもう少しガマンしても良かったのではないかという意見もありますが、自分に合わないと思った仕事なら早いうちに修正できてよかったのかもしれません。ただ、自分に自信があった(息子に自信があった)だけに、どんな仕事に就くにしても次の仕事を始めるときには、うまくいくだろうか、また同じことが起きるのではないだろうかという大きな不安に苛まれることでしょう。

まだまだ若い彼に、幸あれ!

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俯瞰図

きのしたさんに戴いたコメント(2009.7.6「叱咤激励といじめ」)を読みながら、きのしたさんへの返事が長くなりそうになったので、本文にも追加しました。

俯瞰図のお話、私には良く理解できます。一般には地図で教わる「鳥瞰図」と同じ感じですのでそっちの方が分かり良いかもしれませんね。私はできる限りそういう目で人生を考えてみようと思ってきました。医療の現場だけでなく、日常の生活でも、いつも俯瞰の位置から全体を眺めて冷静で中立な立場で物事を判断するように心がけてきました。

ですが、逆にそれはそれでまったく面白くない人生です。ご存知の方はご存知のように、わたしが贔屓にしているプロサッカーチームの試合(大苦戦中)を応援する場合、わたしはいつもバックスタンドのやや上の方から観ています。いわゆる俯瞰の位置で、そこからは全体が見えて楽しいのです。解説者になった気分です。そこからは、テレビでは見せてくれないグラウンドの片隅の選手の動きや、ボールを持つ選手に対して遠くで手を上げる選手の動きなど、手に取るようにわかります。何が悪かったか、何が良かったかを分析するのに最適な位置です。

でも、実はゴール裏や最前列にいる方がもっとワクワクできることも知っています。全体の流れは分からないかもしれませんが、贔屓の選手が自分たちに向かって走ってくる光景に興奮したり、ピッチに立つ選手と同じ様な目線で、重なり合った選手たちの臨場感たっぷりの動きを見ることができます。同じ試合を、俯瞰の位置とゴール裏の位置と同時に経験できたらいいなと思っている人は多いことでしょうが、それは絶対できません。それに対して、人生ではその「同時」ができます。俯瞰の位置からの客観的で冷静な目と、当事者の目で見る主観的で素直な感情とを同時に分析対象にすることができるのは、当たり前のことではありますがとても素晴らしい特権だと思います。

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叱咤激励といじめ

アドバイスの送り手は「叱咤激励だ」「愛のムチだ」と云い、受ける方は「いじめだ」「嫌がらせだ」と感じる。そこから軋轢が生じ、うつが生まれます。

「叱咤激励」と「いじめ」は、一体どこが違うのでしょうか。わたしは、それは「愛情」なのだと思っています。大学の運動部や相撲部屋に伝統的にあった後輩への「愛のムチ」には「愛情」はありません。いたぶることを楽しんでいます。戦時中の軍隊時代からの伝統なのかもしれません。ただこれらは、未熟者が未熟者を指導する図なのですから、お遊びでしかありません。

社会に出て間もない若者に「最初にガツンと云って聞かせておかないと付け上がる」と思いながら教える云い方と、「最初は失敗も当たり前。分からないだろうからできるだけわかり易く」と思って話すことばは、同じことを伝えるとしても全く違うことになるのは、火を見るより明らかです。受ける方も、相手を苦手だなと思って聞くか、信頼感を持って好意を抱いて聞くかでは、まるで違う印象になってしまうものです。自分がイライラしていて、その気はなかったのについ辛く当たってしまうこともあるでしょう。そのときに、「悪いことをしたな」と若い部下に素直に詫びる心を持てるような上司なら、受ける方は決してひねくれたココロには陥りません。お互いがお互いを尊重できる関係になるには「愛情」が必要不可欠なのです。

●受け手への愛情はあるか。●送り手の心に余裕はあるか。●それによって具体的にどうなってほしいのか。

○受け手に心の準備はできているか。○送り手を信頼しているか。○それによって具体的にどうなりたいのか。

・・・結局は、気持ちの相互関係の問題なのだと整理できます。

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体育会系の職場

日本の企業は、大なり小なり体育会系のノリで大きくなってきたと云っても過言ではありません。根性とやる気をバネにして、先輩に理不尽な怒られ方をすることがあっても、「愛のムチ」でしごかれ続けても、それでもそれに耐えて、自分を犠牲にして頑張ってきたからこそ成り立ってきたのだと思います。

むかしながらの定形型「うつ病」は、真面目で几帳面な性格の人がかかりやすいのが特徴です。また新しい形の非定形型「うつ病」が若者の間で増えていますが、寂しがり屋で自己愛が強く、他人への不信感が強い特徴があります。どちらのタイプであっても、この「体育会系の職場」ではかなり辛いところがあります。

なぜなら、「体育会系の職場」では、●みんなそうやってきたんだ。●甘ったれているんだ。●気合があれば乗り切れるはずだ。●最近の子は怒られ慣れていないから壊れる。●付いていけないヤツは辞めればいい。・・・おそらく、現場の管理者の多くがそう思っていますし、自らがその環境の中で育ち成長してきたという誇りと自負があるのです。これを変えようとするのは、よほどの事件が起きるか鶴の一声があるかしかないと思います。

「うつ病」で復職した彼のはなしを聞きながら、救急現場で常に命を相手に厳しい戦いをしているうちの病院でも十分ありえる内容だと思いました。うちの病院にも同じ様なケースがあっていることを知っていますが、管理者たちが時々こぼすグチを聞く限り、おそらく彼らもまた「最近の子は困ったものだ」としか思っていないように感じます。うちは日本でも有数の先進的な職場だと誇りに思っていましたが、相変わらずの旧態依然とした風土なんだなと思うと、ちょっと寂しい気持ちになりました。

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ゆるせない(後編)

この「怒り」の感情は、うつの状態から回復していく過程で、どうしても生じてくる感情です。少し余裕が出てきた証拠であるとも云えるでしょう。今でも治療を続けなければならない自分や家族への迷惑を考えるとき、「のほほんと平気な顔をして生きている加害者」だけでなく、何の対策も講じることなくそんな「加害者」を野放しに許している職場自体にも、ガマンできないような苛立ちを感じるのでしょう。わたしにも経験があるので、その気持ちは手に取るようにわかります。そのことを思い始めると動悸がし、吐き気がし、床についても興奮して眠れなくなってしまいます。

でも、じゃあ、どうしたらいいのだろう?と、彼に質問してみたいところです。その上司を降格させたり辞めさせたりしたらいいのでしょうか?その上司が彼が思っている程度の人間なら、彼のことを逆恨みしてもっと嫌がらせするかもしれません。彼はかえって働きにくくなるかもしれません。彼はそんな仕打ちに耐えられるのでしょうか。その上司が罰せられても、あるいは指導者から退いても、きっと彼の心はそれだけでは満たされることはなく、何ら解決しないことでしょう。

結局、彼自身がその上司を許してやれる心の状態になるときまで、彼の今の苦しみは続くことになります。でも、今の彼には信じられないかもしれませんが、その日はそう遠くない将来にやってきます。自分がこだわっていたことが大したことではないことに気づき、他人を気にしていたこと自体がくだらなかったと思えるときが、今回の「うつ病」から卒業できるときなのだろうと思います。「時が解決する」というのは真理です。それを得るために焦らずゆっくりとした時間を費やしてもらいたいと思います。

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ゆるせない(前編)

わたしが産業医をしている企業のある若者がうつ病になりました。就職後、上司の厳しい指導についていこうとするうちに体調がおかしくなり、動悸がひどくなって仕事に行けなくなりました。とうとう彼は病院を受診し、「うつ病」の診断書とともに休職しました。そんな彼が数ヶ月前に復職しました。それなりに順調に回復し、現場復帰できています。

産業医として関わっているわたしは、先日彼とゆっくり話をしました。一通り彼の思いや近況を話してもらったあと、「もう言い残したことはないの?」と聞いたら、しばらく口ごもったあと、やっと重い口を開けました。

「自分がこんな形で復職できたことはとても幸せで有り難いことです。でも、たとえどんなに反省してもらったとしても、やはり、自分をこんな身体にし人生をボロボロにさせた上司が、何のペナルティも受けないことに納得がいかない自分があります。彼のやったことは「いじめ」であり、同じことが行われて自分と同じような目に遭う若者がこれからも出るとしたらそれは「犯罪」ではないかと思うと、どうしても彼を許せないのです。」・・・ずっと静かに穏やかだった彼の顔色が蒼白になり急に涙をボロボロ流し始めました。

明らかな感情失禁状態なので、その話はそこで終わることにしました。

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徹底的に?

「わたしの身体を徹底的に調べてみました。ありとあらゆる検査をしてみました。」というオジさんが時々います。「徹底的に」とか「ありとあらゆる」とかいうことばは、まあ本人の心意気を示しているだけなのだろうなとは思うのですが、でもやっぱり何か違和感があります。

ニンゲンの身体を「徹底的に」調べる、ってどういうものだと思っているのでしょうか?健診や人間ドックは、もちろん何も徹底的ではありません。むしろ何もないことを念頭に置いて、グローバルな項目をさらっと表面的に流しているにすぎませんから、よっぽどの異常でもない限りひっかかりません。病院では、何か訴えられている症状に対して想像される病気があるかどうかを調べますので、ターゲットはかなり絞られているでしょう。「身体中を徹底的に」などありえません。神秘な世界の集合体である「身体」をバカにしているのか、医療の検査器具を過信しているのか、あるいは「権威ある」医者の云っていることばを鵜呑みにしているのか。

わたしはとても意地悪なので(というより、とても性格が悪いので)、そんなオヤジが誇らしげにしていると、ついつい苛めてみたくなります。このプライドを弄ってみたらどうなるのだろう?と思ってしまいます。「それは大した検査ではありませんよ」とか「それじゃあ、ほとんど何も分かりませんね」とか、平気で云ってみたり・・・きっと、いけ好かない、態度の悪い医者に見えていることでしょう。

だれが最初にこんなことばを云い始めたのでしょう。きっとどっかの有名な文化人か芸能人か政治家なのに違いがありません。ニンゲンの身体を調べるために、隅から隅までありとあらゆる検査をするなら、体力的なことも考えると(非人道的ですけれど)、3ヶ月くらいかけたらそれなりのレベルはできるものなのでしょうか?

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「右」と「左」

「右」と「左」の書き順も面白い対比です。「右」は「ノ」から書いて横棒が長い、「左」は「一」から書いて「ノ」が長い。子どもたちを悩ませるこの2つの文字の違いもまた子どものころに面倒くさがらずにきちんと教えてあげてほしいものです。

由来は象形文字から来ていますから、知ってみるとそれなりに面白いし、書き順が決まった理由も理解しやすいと思います。

一方で、「覚え方」を検索してみるとこれまた面白い。「ノ」「一」と続けると右回りで、「一」「ノ」と続けると左回りだ(これは子どものころ聞いたことがあるかもしれません)とか、「ノ」は右側から書き始めるけど「一」は左側から書き始める、とか・・・。なるほどねえ、と思わず唸ってしまいました。じゃあなぜ「さゆう(左右)」と「みぎひだり(右左)」の言い方の違いがあるのか?・・・書き順をきちんと覚えましょう!ということを書きたくてちょっとネットを検索していたら、そんないろんな世界に入り込んでしまいました。何事も深く入っていくと面白いものです。

ところで今、「漢字の書き順」はあまり問われなくなってきているそうです。「~でなければならない」という根拠がないから、他の説もあるから、などの理由だと聞いています。そういえばテレビのクイズ番組でインテリ芸能人と称する高学歴のお嬢さん方の漢字の書き順をみると、あまりにユニークで目が飛び出そうになります。きっと彼らは文字を絵(画像)として記憶させるのでしょう。パソコン・携帯世代だからなのでしょうか。まさしく右脳の働きですね。

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「シ」と「ツ」

阿蘇路を運転中、「超安値、ラキー!」という手書きの文字を見かけました。

「ツ」を「シ」と書いてしまう人をみると、心からもったいないと思います。その人に最初に「シ」と「ツ」を教えた人がいけないのだと思います。もしや、教えた人自体が何も分かっていないのかもしれません。彼らは、「シ」と「ツ」の違いは最後の「ノ」を上から下ろすか下から上げるかの差だけだと勘違いしています。だから件(くだん)の「ラキー!」も、単に字が下手なだけだと思っているのではないでしょうか。でも、「シ」と「ツ」は決定的に別物です。この二つにはとても簡単な決め事があります。それができていなければ、「」は「ッ」にはなれない。至極当たり前のことです。

「シ」と「ツ」の違いは、ひらがなを思い浮かべれば理解できます(多くの場合、ひらがなはカタカナの後にできました)。「シ」は「し」なのですから、長短三本の棒を縦に並べ(左端揃え)て初めて「シ」なのであり、「し」を書くのと同じ様に最後に右上に跳ね上げます。「し」を書くときにアタマに点をうつことがありますが、それが「シ」の第一画の点と同じです。同じように「ツ」は「つ」なのですから、三本を横に並べ(上端揃え)て初めて「ツ」であって、「つ」を書くように最後に右上から下に跳ねるのです。

覚えてしまえば簡単なことで、そんなことでこんなくどい文章を書くのもどうかとは思いますが、大したことではないけれど、大したことではないからこそ、大人はこどもたちにきちんとした日本語を教えてあげてほしいと思いました。

そんなことを考えながら運転しているうちに、ふと気づくとすでに県境を越えていました。

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消えていくことばとキー入力

最近、ボキャブラリーの減少に拍車がかかった気がします。思いの外、わたしの脳細胞の消えゆく速度は速いようです。何かを話そうとするとき、あるいはこのブログを書こうとするとき、もっとしゃれた表現をしたいのに出てきません。きっと1年前にはもっとたくさんのことばがボロボロと浮かんでいました。分かり易い云い方を探しているのに、なんかこの辺(アタマの片隅)にあるモヤモヤしたものがはっきりしません。メガネかコンタクトをはめたらスパッと見えそうな、まるで白内障の目のような、そんなモヤモヤで一杯になります。結局、「まあ良いか」と諦めてしまうからいけないのかもしれません。

明らかにここ数ヶ月、パソコンキーの打ち間違いが多くなりました。さほど小さくもない職場のデスクトップのキーボードでも、もちろん携帯電話の小さなキーでも、何度も間違っては打ち直すことをくり返します。同じ間違いを二度も三度もくり返す場合も少なくありません。「手の感覚がおかしくなるのは老化の表れなんだよ」と云われました。微妙な位置がずれてしまうのでしょう。はいはい、老化現象です。分かっています。

もっと本や活字を読むといいのでしょうか?昔やったDSの脳トレをもう一度始めてみましょうか?漢字検定の勉強をしていたころは漢字を毎日書くだけでもアタマがスッキリしました。そんな、いろいろな賦活方法をまた始めておかないとアタマからこぼれ落ちていく脳細胞は歯止めがつかないのでしょう。・・・でも、わかってるのに面倒くさくてできなくなったのは、そのこと自体がもはや末期症状かも・・・。

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モー娘。

わたしの仕事は、心臓ドックや生活習慣病の指導など、特殊な検査結果を説明したり、個別の生活指導をしたりすることです。みっちり説明をしたあとに、話した内容をすべて報告書に記入します。他に仕事はたくさんあるのだから、記入はそのあとにしてほしい、という空気が流れている中で、わたしは、それを説明のすぐあとにします。

なぜなら、すぐに忘れるからです。一人が終わって次の一人に話をしているうちに、一人目の人に何を話したかすっかり忘れています。簡単なメモをとってみたこともありますが、結局書こうとした時点ではそのメモを見ても今ひとつ思い出せません。だから、たとえどんなに顰蹙(ひんしゅく)を買っても、その場で書き上げることにしています。

他の部門を担当している若いスタッフは皆さんあとでまとめて書きます。数日前のコメントをメモを頼りにさらさらと書けている若い人たちは、凄い!と思います。まあわたしにもたしかにそんなときがありましたから、歳をとっただけなのでしょう。

ほんの十数年前、わたしは大好きな「モー娘。」のメンバーを初代から全員ソラで云えました。なのに今はまったく区別が付きません。ゴマキが入ったあと、わたしの識別能力は、石川・吉澤・辻・加護が加わったときまでです。今も似たようなかわいらしいお嬢さんがたくさん並んでいますがどれがどれか良く分かりません・・・お前らに特徴がないんだ!と思うことにしていますが、きっと10年前のわたしだったら簡単に区別できたに違いないのです。

名前を覚えられないだけで、何かものすごく損をしているような気がしてなりません。

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夢と云えば。

大学時代に一緒に演劇をしていた連中が、今も東京で芝居を続けています。昨年、新しい集団にリニューアルして頑張っています。

最近まで、そんな彼らの芝居本番の舞台に自分が立っている夢をときどき見ていました。まったく台詞を覚えた記憶なんかありません。練習した記憶すらありません。でも、たぶん、もうすぐ自分の台詞の順が来るはずです。かなり長い台詞だったような気がします。・・・場面はいつもそんな同じシチュエーションです。でも、わたしは全然焦っていません。台詞覚えした記憶もなければ話の筋もよく分からないのだけれど、友人である演出家が自分を使ってくれたことが嬉しいのか、あるいは仲間と一緒に舞台に立っているのが嬉しいのか、なんかワクワクしています。きっと、その番が来たら勝手に口が動いて勝手に台詞が出る、という確信があるのです。そういえば役者をやっていたころは何かそんな自信に溢れていました。

今から試験を始めます。という夢もときどき見ます。わたしは大学生のようです。演劇ばかりしていて授業をよくさぼったので、この教科の授業に出た記憶なんかありません。もちろん教科書を開いた記憶もありません。試験用紙が配られてきました。もうすぐ試験が始まります。参ったな、何にもしてないのに・・・と思いながら、まるで開き直っているかのように落ち着いています。きっと、何とかなるさと思っています。今までもそうやってきたような気がします。

小心者で神経質なわたしですが、こんな夢を見るところをみると、意外に強気で脳天気なのかもしれません。でも、ここ1年くらい、こういう夢を見なくなりました。

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大雨

年に数回、洪水の夢を見ます。

大雨の中、いつもの道を自家用車で走っています。辺りの田圃はもはや池のように水で溢れそうです。進んでいくうちに徐々に道は水に沈んでいきます。ふと前方をみると、もはや道は田圃との区別ができないほどに冠水しており、車を止めてしばし途方に暮れて立ちつくすことになります。「どうしよう。今ならまだ無理したら何とか向こうまで行きつけるかもしれない。でもどんどんカサが増えてきているみたいだから、もしかしたら流されるかもしれない。かといって小さな農免道路の一本道だからUターンすらできないし・・・。」不安でアタマが一杯になりながら、何気なく後ろを見回してみました。何と!!わたしの後ろは断崖絶壁に変わりその向こうは大荒れの海になっています。いつの間にか、自分だけが取り残されているのです。

夢判断の知識が何もありませんが、どうも良い夢ではなさそうだということは分かります。何者かに追われる夢もよく見ます。拳銃を持っているので捕まったら殺されそうで、住宅街の路地裏や家の中を走って逃げまどうのです。わたしの子どものころの実家の辺りや中学校の通学路辺りがよく舞台になっています。

かなり追いつめられているねえ、とそれを聞きながらある人が云いました。ストレスの表れであることは明らか・・・病んでるねえ、と。そうなのかもしれないな、とそれなりに納得します。そうだとすると、何となく解決できているからそれはそれで良いのかもしれません。洪水に車ごと巻き込まれてしまったことはありませんし、追われて捕まって殺されたことはまだありませんから(あ、一回だけ殺されました。完全に血の気が引きました。死ぬってこんな感じだったんだと思いました・・・あれは、別の意味で怖かった)。

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ひと違い

先日、ある中年の女性が宿泊ドックを受診しました。検査の判読をしているときにたまたまその女性の名前をみつけました。私の知人である開業医の奥さんの名前です。数年前から毎年ご夫婦で受診してくれていました。「あれ、今日奥さんだけ受診するという連絡はなかったんだけど・・・」と思いながらも、住んでいる小さな町の名前も年齢からしてもまず間違いなさそうでした。

ふと目に入った検査情報をみて驚きました。大きな腫瘍がみつかっています。おそらく早々に手術が必要になりそうなものです。今まで何も異常はなかったのに・・・とても心配になりました。ですから担当の専門医に詳しい話を聞きに行きました。あまり良くない所見のようです。・・・何と説明してあげたらいいのだろうかと思案しながら、翌朝、結果説明のために彼女を診察室に呼びました。静かに入ってきた女性は、わたしが想像していた人とはまったく別人でした。同姓同名で、住んでいる町も同じでしたが、まったく違う人でした。「えっ?」と一瞬絶句しましたが、何食わぬ顔をして淡々と結果の説明を済ませました。

後日、話を聞きに行った担当ドクターにひと違いだったことを告げに行ったら、彼はすでに紹介状にドクターの奥さんだと書いて渡してしまったと云います。大慌てで病院に訂正の連絡をとったり・・・大変恐縮いたしました。今回は大事に至りませんでしたが、反省しきりです。わたしは、当人を確認することなく自分の知り合いだと思い込み、事を大きくしてしまいました。たとえすぐに訂正したとしても、誤った情報はこうやって誤りと誤解のままにまことしやかにあちこちに伝わって、とんでもないことになってしまうのでしょう。以後気をつけましょう。

でも、当事者には申し訳ありませんが、全くの別人でホッとしたのも事実です。

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クレアチニンと筋肉

「血中クレアチニン」といえば腎機能を表す物質として有名です。腎臓で濾過されておしっこに出て行くものなので、血液中にクレアチンが多く残っているほど腎機能は低下していることになるのです。ところで、もともと筋肉中の「クレアチン」が代謝して「クレアチニン」になるので、当然筋肉量に比例してクレアチニンは増加します。若いマッチョの方が高いですし、男性の方が女性より高くなるのが普通です。

先日の第52回日本糖尿病学会で「血清クレアチニン低値は2型糖尿病の発症リスクである」という発表がありました(The Kansai Healthcare Study: 大阪市立大針田伸子先生)。40~55歳の糖尿病でない男性のうち、登録時にクレアチニン値2.0mg/dl未満だった人を4年間追跡した研究です。その結果、クレアチニン値が低ければ低いほど糖尿病になる率が有意に上昇したというものです。つまり、筋肉が少ない人ほどクレアチニン値が低くなるのであり、それは基礎代謝量の低下や運動不足の表れだから糖尿病悪化の誘因になる、という考察でした。

至極当然のように書いてきましたが、実は正直なところ、まったく想像だにしていなかった話題なので驚きました。クレアチニンは高値なほど危険なのであり、糖尿病が悪化すれば腎機能が悪くなるのであるからクレアチニン値は上昇するもの。クレアチニン値が低い、などということは臨床上には何ら病的意義はないものだと思ってきました。またひとつ勉強になりました。

「歳をとると腎機能が低下するかわりに筋肉量も低下するから、クレアチニン値は相殺されて年齢が上がっても変わらない」という理論を読みながら、「なるほど」と簡単に納得してしまいましたが、それって、本当に正しいのかしら?

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うるさい

庭の草刈りをしていましたら、隣りの家から子犬の鳴き声が聞こえていました。ずっと鳴きやみません。すると、ご主人の声がします。「うるさい!」・・・それでも鳴きやみません。さらにもっと大きく鳴いています。「うるさいでしょ!!」・・・もっと大きな奥さんの苛立った声が聞こえてきました。

聞きながら、ほとんどうちの家と同じ光景だなと思いました。いつもは静かなのに散歩の準備を始めるとまったく聞く耳を持たずに大騒ぎで吠え続ける11歳のワンと、朝早くから起きろ起きろと鳴きながら大騒ぎする生後半年のワンとに、夫婦で何度も「うるさい!」と大声を出すのが日常でした。

わたしは、そんな光景が急に滑稽でみっともないと感じ始めて、意識して「うるさい」ということばをつかわないようにしました。「うるさい」は、自分の苛立ちをただ犬にぶつけているだけです。そしてそれに応じてくれないことにさらに腹を立てているだけです。大声を上げて怒っている姿が傍に聞こえるのは、そんな自分の苛立ちを皆に見せているだけのような気がしました。「怒ってもしょうがないから」と、吠えても無視することにしました。ワンたちは大騒ぎで吠え続けます。「うるさいでしょ!」妻の大声が聞こえます。そんな喧騒の中、ぐっとガマンを続けていたわたしですが、突然プチンと切れました。スリッパを投げつけ、首根っこを掴んでガンをつけます。一瞬静かになりました。が、またさっきより激しい大騒ぎが始まりました。・・・自己嫌悪です。

今どきのおかあさんが、あるいは若いおとうさんが、小さな我が子をなぐりつけ虐待する姿、あるいはノイローゼになるおかあさん。思うようにいかずに突然「切れる」大人たちの感覚がまさしくこんな感じなんだろう、とそう思いました。

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歯磨きで菌血症

感染性心内膜炎という病気があります。細菌が心内膜に感染して、命に関わることのある病気です。細菌が心臓の弁膜について増殖してしまったら、いぼ状の塊になって(疣贅=ゆうぜい)急性心不全になることもあり、あるいは菌の塊が脳などの臓器に飛んで詰まってしまったり(塞栓症)、もはや手術などの治療でしか解決しないことにもなりかねません。

と、書いてみたところで、おそらくこれを読んでいる大部分の人が他人事だと思っていると思います。でも、循環器の病院にいますとさほど稀なものでもありません。必ずしも心臓に病気を持っている人だけがかかるとは限らないのです。虫歯や歯槽膿漏を放置しているとずっと菌が体内を回っています。菌血症といいます。これが弁膜に付着して心不全になって入院するというパターンは2年に一人くらいは経験しました。だから、うちの病院の心臓外科医は自分の虫歯治療を最優先で済ますように指導されていました。

菌血症というのは、わりと簡単に起きます。物理的なキズが粘膜につけば菌は簡単に入ります。虫歯治療自体でももちろん菌血症を作ります。だから抗生剤を処方されたりするのです。普通は抵抗力が強いから病気に発症しないだけのことだと思った方が良いでしょう。さて、今回の題名の意味がお分かりでしょうか?そうです。毎日する歯磨きでも菌血症は起こるのであり、感染性心内膜炎のリスクになりうるのです。1回の歯磨きで菌血症になる危険性は低いかもしれないけれど、年に1、2回するかしないかの歯科治療より、むしろ毎日2回も3回もこまめにする歯磨きの方が菌血症になるリスクは高くなってもおかしくはない、ということになります。

だからといって、歯磨きをさぼりませんように。一過性の菌血症を恐れていてもしょうがありません。むしろしっかりと健全な生活をして菌に勝てる体力を保つことが大切だといえるでしょう。

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かがやく

もうひとつだけ「風花病棟」(帚木蓬生・新潮社)から。

「宮田さんが言っとりましたよ。わしは最後によか主治医に会うたと」・・・(中略)・・・大学での一年目の指導医の教えを忠実に守ったに過ぎない。面接で話題がなくなったら、本人が一番輝いていた時期のことを聞く。そうすれば、治療は決して悪い方にはいかない-。~精神科医としてアルコール病棟の医師となり、病棟の主のような患者(宮田さん)とのこころの交流を描いた作品=「かがやく」の一節です。

とかく医者は自分に必要なこと、あるいは自分に興味のあることしか聴こうとしません。時間がないということもあります。精神科の場合は十分な時間をとって患者さんと面接をするのが常ですが、それでも話題を振ろうとするときにはどうしても診療に直接関係ある情報を得ようとするものです。そんな中で、「本人が一番輝いていた時期のことを聞く」というのはとても素晴らしい考え方だと思いました。

わたしが「医者」だったころ、わたしも良く診療と関係ないことを聞いていました(カルテメモ)が、あれは相手が話したことをメモしたにすぎません。病院に来たら病気のことを聞いてほしいのだと意気込んでくる患者さんも多いですが、それでも診療にあまり関係ない釣りの話や孫の話をしているときの方がはるかに良い顔をしていました。わたしは精神科医ではありませんが、あの気の毒そうに(待っている患者さんが多いことを知っているので)そっと話す患者さんのこころからの笑顔を引き出せたことはいいことだったと自負しています。

帚木蓬生の「風花病棟」は、1年に1編だけ小説新潮に掲載されてきた、医師を主人公にした短編小説集です。舞台が九州であるものがほとんどだということも親近感を覚え、一気に読み終えました。

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泣ける医者でありたい

「医者になって十年、なんとか患者の気持を汲み取れる治療者になろうとして努力してきたが、二つはなかなかひとつにならなかった。所詮医師は建物の中にいて、雨に濡れる患者を眺める存在だった。たまに雨の中に出て来ても、目だけしかあいていないようなレインコートで重装備し、雨に濡れないようになっていた。」・・・自らが乳がんになり不安の中で治療を続ける女医を描いた小説「雨に濡れて」(帚木蓬生「風花病棟」・新潮社)の最後に書かれた一節です。

「その通りだな」と思いました。

わたしもまた泣き虫医者でした。受け持ちの患者さんが亡くなって、心臓マッサージで震える手で死亡診断書を書きながら何度嗚咽したかわかりません。一緒に戦って、一緒に一喜一憂してきた戦友が居なくなった悔しさと、彼らを侵した病気と運命への憤りでした。医者としての知識や技術を大して持ち合わせていないわたしは、患者さんの気持ちになれる医者、患者さんのココロを代弁できる医者でありたいと思ってきました。同じ状態をみるとき、患者さんの目と医療者の目ではまったく違うところに焦点があり、まったく違う価値観にあることを知っています。手を握って座って話をするとか、服の着替えを手伝うとか、「そんなことは医者のすることではないからやめなさい」「もっとプライドを持ちなさい」と云われ、「くだらない」と吐き捨てたことがあります。自分は医療者である前に人間として患者さんと向かい合いたいのだと主張していましたが、でも詰まるところ自分の自己満足でしかないのだと思います。患者さんの友人であり身内であるのと同じような意識で患者さんを思おうとしていても、所詮は他人であり、所詮は「先生にはわからないよ」ということなのだと思います。

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お葬式に出る

「主治医が葬式や通夜に顔を出すと、何かやましいことがあるのではと勘ぐられる。だからよしたほうがいいと、たいていの医者は思っている。とんでもない誤解だ。家族からは感謝され、こちらの気持にもふんぎりがつく」

帚木蓬生(ははきぎほうせい)の「風花病棟」(新潮社)という短編小説集を読んでいます。その中にある「藤籠」という小説の中の一節です。少なくともわたしが働いてきた環境の中には、葬儀への参列をタブー視する風潮はありませんでした。ただ、受け持ち患者が亡くなったとしても、その居なくなったベッドにはすぐに次の重症患者さんが入り、次の患者さんと死闘を繰り広げることになるのです。平日に礼服を着て葬儀に参列する時間がもらえることは稀でした。

心停止を起こして救急車で担ぎ込まれるたびに生き返っていたIさんは、うちの自宅のすぐ近くに住んでいました。そのIさんが他の病院で亡くなりました。救急で近くの病院に担ぎ込まれて、うちの病院への転院を希望したいと奥さんから電話で相談を受けましたが、移送できるような状態ではありませんでした。仕事から帰ってから通夜に行きました。もう10年近く前のことです。奥さんは今も元気で一人暮らしをしています。

新聞のおくやみ欄を見ていて、外来で受け持っている患者さんの突然の死を知ることもあります。驚きます。Mさんはちょうど日曜だったので、大急ぎで斎場に行きました。奥さんをうちの病院で殺されたと云い、医者も看護師も信用できんと云いながら、なぜかわたしとはウマがあった爺ちゃんでした。いつも車椅子を押してくれていた付き添い婦の女性がわたしを見つけるなり駆け寄ってきて号泣しました。もうちょっと早く見つけたら助かったかもしれない、と自分を責めました。わたしは静かに合掌させていただきました。わたしもまた、わたし自身の区切りをつけるための参列だったかもしれません。

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突然の死

妻の中学校時代の友人の母が昨日の未明に亡くなりました。肺がんでした。

ほんの2週間前まで、元気にガーデニングをしていたという70代半ばの女性でした。その友人の父親は長い闘病の末に正月に亡くなったばかりで、母子2人暮らしなって半年後のことでした。

数日前、妻にメールが届きました。母親が入院したこと。ちょっと腰が痛いと云って病院を受診したらそのまま入院になり、肺がんであることを告げられたこと。すでに全身に転移していたこと。組織型を確認するために気管支鏡検査をする予定だったが急速に悪化して結局検査もできないままになったこと。何がなんだかわからないこと。

医療関係者ではない彼女にとって、この2週間の出来事は何一つ理解できることではなかっただろうと思います。最愛の人がある日突然入院して、何を考える時間もないままに意識がなくなり、みるみる危篤状態になって、何も話せないままに何の心の整理もできないままに逝ってしまったことを、きちんと受け入れるのは大変だろうと思います。それでも、ほんの数日間だけでも時間があったことは、何はともあれ彼女には大切な時間だったことでしょう。そういえば、7年前に亡くなったわたしの父は、わたしの知らない間に(というより誰も知らない間に)一人で逝ってしまっていました。わたしが何も知らずに普通に生活していた同じときに、父は一人この世を去っていったのだと思うと、たとえ受け入れがたい突然の別れであっても、きっと彼女の方があるいは彼女の母親の方がきちんと区切りができただろうと思います。

通夜、葬儀から法要まで一人でやりくりすることになるであろう彼女が、ゆっくりとご両親と改めて対話できる日は、かなり先になることでしょう。ご冥福を祈ります。合掌。

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飽きてきた

どうもいけません。

あなたのやりたいことはないの?と聞かれても、今、浮かべることができません。きっと数年前だったらあったのかもしれません。おぼろげながら夢を語ることができたような気がします。でも、ここ1、2年で一気に失せてしまいました。仕事も人生も、なんかどうでもいいや、という気分になることがあります。それは若いときからときどきありましたが、最近ちょっと多くなってきているような気がして気がかりです。

「たばこをやめましょう」キャンペーンの講話を頼まれました。「メタボリックシンドローム予防」の講師も頼まれました。毎年のことです。ただ、今年はなんかあまり気乗りがしません。なぜかあまり興味が湧きません。飽きちゃったといってもいいのかもしれません。自分が興味が湧かないことについて話をするのは、それなりに辛いことだと思います。学校の先生や講演行脚をする皆さんは、たしかにそれが飯の種だからと云っても、やっぱり偉いなあと思います。まったく気乗りがしないときも体調が今ひとつのときも同じことを同じように話して回らなければなりません。自慢ではありませんが、わたしは、同じテーマの話を3回続けるなら3回とも内容を変えないと続けられません。話している自分が飽きてしまうからです。本物の話のプロは、まったく同じ内容と同じことばを3回も5回も10回も続けられるようでなければならないのだと聞いたことがあります。それでなければ、相手に感動を与えることはできないのだ、と。相手に感動を与え続けることは、わたしには到底できない芸当だなあと最近痛感します。

さ、グチはこれくらいにして、そろそろ講演の準備を始めなければ・・・。

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ヨーヨーダイエット

抗加齢医学会の学会誌にアメリカの専門医テリー・グロスマン先生(コロラド州立医科大学)の「減量最前線」という記事が載っています(Vol.5No.1 069)。

一定の体重を減らすまで「ダイエット」を行った後それ以前の食習慣に戻ることでリバウンドし、それをくり返すのは「ヨーヨー」のようなサイクルだということで「ヨーヨーダイエット」というのだそうです。世のダイエットを試みる多くの皆さんが陥るヨーヨーダイエットからどう脱却するか?

グロスマン先生は「永続的に減量を行うための唯一の方法は、長い間続けることが可能な食習慣をみにつけることだ」といい、ガイドラインを示しております。1.減量を達成したかのように食べる。2.腹八分まで食べる。3.健康的な一人前の分量を決める。4.規則的な時間・回数で食事をする。5.カロリーの種類。6.減量のために炭水化物を削減する。

もっともなことが書かれていてあまり興味がなかったのですが、そのうち「すでに減量を達成したかのような食べ方をする」はちょっと面白いと思いました。つまり、すでに自分の目標の体重に到達した場合に必要と思われるカロリーを初めから摂取する、というのです。90kgの体重を70kgまで減量したいと考えたとき、普通は、20kgを○ヶ月で減らすためには最低何カロリーの食事制限と何カロリー消費する運動を・・・と考えて頑張ります。これは、そうではなくて、今現在70kgの人がそれを維持するために摂っているカロリー量を今から摂る食習慣にするのです。今はあまり運動をしていないけれど将来それなりに運動すると決めたなら、それを考慮してそういう生活をしている70kgの人の食べ方を今からするのです。それって、できそうな気がします。もちろんすぐに成果は出ないかもしれませんが、ずっとするつもりの生活を今から習慣付けるだけですのであまり無理がないように思います。これからの指導に取り入れてみようかと思います。

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何か食べられないものはありますか?

先日、友人に誘われて夫婦で焼き肉を食べに行きました。注文をし終わった後で、店のお嬢さんが「何か食べられないものはありますか?」と聞きました。「それはアレルギーのことですか?」さすがに焼き肉屋でそんな質問を受けたことがなかったので妻はそう質問しました。「それでしたら、エビ、イカ、カニ、タコは食べられません」・・・そう答えられて、メモしていたお嬢さんもちょっと緊張気味でした。

最近、食物アレルギーに対する考慮をしてくれる店が増えてきました。ただ、「アレルギーのある方は店員に伝えてください」と店内に表示した上で客から申し出るのと、わざわざ店の方から個別に「アレルギーはありますか?」と聞いてくるのとでは、責任が違ってくるように思います。もちろん、聞いたからと云って、「アレルギーを考慮して食材を変えます」とは云ってないわけですが、うちの妻のようにエキスやだし汁が入っていただけでのアレルギーが起きるニンゲンは世にたくさんいますので、聞かれないで食べたら自己責任ですが、聞いておいてアレルギーが起きたら、それは店の責任になるのではないかと気になりました。

うちの施設にもレストランがあります。健診受診者のみなさんに問診で「食べ物のアレルギーはないですか」とこちらから聞くかどうかで揉めています。相手から「アレルギーがあるのだが考慮できますか」と聞かれたらできる範囲で対処する、というくらいで良いのではないか、という話に落ち着きそうです。こういう情報は知ってしまったら何もしないわけにはいかないからです。できるなら、できるだけ知らない方がいい。知らないで居たいのです。

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初心に戻る。

「初心に戻る。」・・・「云うは易し、されどするは難し」の典型のようなことばです。

健診センターで健康増進に関わるようになって、他人に云うことだからまず自分で試してみようと思ってやってみたことはたくさんあります。

昼休みに運動をする。食卓に並べる夕食のおかずを半分にする。晩酌の酒をコップ一杯にする。月水金禁酒(宴会を除く)にする。宅配の夕食材料サービスを使う。職場にエレベーターは存在しないと考える(階段だけを使う)。自転車通勤する。朝食を食べない。スーパーやコンビニに車で行かない。仕事帰りにコンビニに寄らない。酒やお菓子の買いだめをしない。禁煙する。1時間半以内で時間があるなら歩いて帰る・・・などなど。そのまま続けてやれていることと、とっくに止めたことなど、いろいろあります。

おかげで見事に体重が10kg減り、筋力と心肺機能がアップし、バスケットボールができるカラダになり、中性脂肪が正常化し、HDL(善玉)コレステロールが跳ね上がり、内臓脂肪が減少し、そして脂肪肝がすっかりなくなりました。

最近、そんな栄光のカラダとは何か違う物体がわたしを包んでいます。自分で試したのだから、やったことをもう一度頑張ればそれなりの効果はあるに違いありません。でもそのためには、常に自分を律し、「決めたことだから頑張る」という信念を維持しなければなりません。当時は面白かったのでやれました。でも、一度達成できると、ニンゲンは弱くなる動物なのだということを悟っています。同じことをするのはちっとも面白くないのです。かなりのモチベーションがないと、同じことをもう一度するなんて考えられません。なぜなら、成功しても当たり前で、上手くいかないと自分がダメだから、とそう感じるに決まっているからです。

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さだまさし

わたしの尊敬する鎌田実先生のブログ「なげださない」の6月6日の記事にあった、さだまさしのシングルCD「私は犬になりたい490円」を買いました。本当に490円でした。

大学生のころ、さだまさしの歌が大好きでした。「現実味がなくて、女々しくて、ことば遊びばかりして歌を弄(もてあそ)んでいるようなやつなんか大嫌いだ!」と、吉田拓郎に傾倒していたクラブの先輩から云い放たれました。直線的な吉田拓郎や長渕剛も好きでしたが、さだまさしの、その女々しいくらいの繊細な表現力がもっと好きでした。今のように、CDやMDやipodやなどというものの時代ではなく、レコードプレーヤーも持たなかったので、カセットテープに録音したり音楽テープを買ったりしてアルバム全曲を聞いていました。失恋したときには、聞いていると涙がこぼれてくるので全部捨てようかと思いましたが、さだまさしとわたしの失恋は関係がないので、もったいないと思い、下宿の押入の隅に仕舞い込みました。

おとなになって、いつの間にかさだまさしを卒業しましたが、アルバムの中の数曲をいまだに口ずさむことがあります。あの繊細な詩からは想像できないくらいの彼の大雑把さと、わたしにないケセラセラの感じが、妙にわたしの興味をくすぐります。

「私は犬になりたい」を早速聴いてみたら、聴いたことのある曲でした。ソフトバンクのホワイト学割のCMソングとしてテレビで流れているからです。簡単にダウンロードできるのにわざわざCD買ったんですか?と云われました。買いましたよ。それが、何か?

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塩のこと(後編)

減塩に対して必ず言い訳されることば、あるいは数人の知識人が口にすることば、「塩分がないと力が入らないから減らせない(減らすべきでない)」というのは、少なくとも高血圧患者にとってはウソだと思います。アタマがそう発しているのですが、実際には減らしても力は入ります。慣れてしまえばどうということはありません。ただ、糖尿病の人がカロリー不足だと云いたげにカラダをワナワナさせて危険そうな主張をするのと同じように、高血圧のカラダは塩分をできるだけ多く体内に入れさせようとします。

高血圧ではない人にとっては減塩は危険かもしれませんが、高血圧の人は元々塩分が少なくても生き延びてきた遺伝子なのですから、大丈夫です。でも、不安だから、きっと限界まで減らすことはできません。それが遺伝子です。「減塩1g/日で血圧1mmHgが減少し、国民全体が2mmHg低下したら循環器疾患で死亡する人数が年間で2万人減るのです。」と三浦先生は減塩の必要性を語りますが、みんながみんな減塩して平均点を下げてもしょうがないと思います。高血圧の人、あるいは高血圧の家族歴の人だけが減塩すればいいのですが、その人たちこそが減塩できないのです。高血圧症のわたしは自分をみていればすぐにわかります。デザートのケーキに何も興味が湧きませんが、漬け物を食卓に並べておけばなくなるまでボリボリ食ってしまいます。

6g/日未満に塩分制限すると有意に降圧できるという欧米のガイドラインに準じて日本でも高血圧患者の食塩摂取目標値を6g/日未満に定めました。白人さんは元々塩辛いのが苦手です。昔から摂っている塩分量がとても多い日本人に同じ基準で減塩を指示しても実現はむずかしいに決まっています。これもまた、高血圧でない人にはわかりますまい。

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塩のこと(前編)

日経メディカル特別号(2009.6)に「日本人の減塩はむずかしい」という内容の解説がありました(滋賀医科大学三浦克之先生)。日本人の平均食塩摂取量が2007年も2003年も1988年も大差ないというのです。日本人の脳卒中が著しく低下した理由は、厳格な高血圧管理がなされるようになったからだと云われています。これだけ高血圧と塩分の関連が取り沙汰され、日本中で減塩指導が厳しくされはじめて久しい中、高血圧管理がしっかりしてきた理由が減塩によるものだと思っていたら、単にさっさと内服をするようになっただけだということなのでしょうか。

わたしの実感では、もうちょっと減塩が進んでいると思っていました。たしかにメタボ騒動で、減量や糖分や脂肪分のことばかりが取り沙汰されて、減塩だけが置き去りにされる傾向はありますが、それでも減塩対策の食品やナトリウムを吐き出す食品がたくさんCMされていますから。

現代の日本人の減塩が進まない理由には、日本人の食事が外食と加工食品にまみれているからだと三浦先生は指摘していました。外食や加工食品に塩分が多いのは明らかです。塩分量を増やすと水分吸着量が増えて文字通り「水増し」されること、塩気はクセになるので塩辛くした方が多く売れること、さらに喉が渇けば飲料水も多く売れることなど、商売する上では減塩食なんか売っちゃまずいのです。最近、外で食事を摂ると、「うえっ、塩っ辛え!」と思うことが多くなりました。歳のせいだと思っていましたが、実際塩分が多くなっているのかもしれません。一方で塩分だらけの食べ物を食べ、一方でいくつものサプリメントを口にする、日本人は不思議な国民になってきました。

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やせるために運動!は考えない方がいいと思う。

「毎日イヌの散歩を1時間以上して、さらに仕事場に自転車通勤しているのに、どうしてやせないの?」・・・うちの妻がぼそっと云いました。「食べてるからでしょ?」と無造作に答えたら不機嫌になりました。やせないのだったら運動なんかしたくないのでしょうが、わたしにそんなグチを云われても・・・。とくに女性は女性ホルモンで支配されていますから、運動だけでやせるつもりならアスリートのような日々を送らなければむずかしいし、ずっと続けない限り必ずリバウンドします。さらに、うちの妻の家系は生粋の糖尿病家系です。この世代のこんな家系の女性にとって、体重が「増えない」ということが即ち「勝ち」だと思うのですが、そんなことでは本人が納得しません。

どうせ、運動だけをしたってやせはしませんが、彼女は数年前、フィットネスジムに通うと同時に食事に注意して、カッコいいやせ方をしました。それまではまったく歩けなかったし運動してもまったく汗を出せなかったのですが、今では近くに行くときには必ず歩くか自転車を選びますし、運動でちゃんと汗が出るようになりました。運動を始めたおかげだと思います。ただ、それを経験したために過去の栄光に浸りすぎ、またあのときのような運動を再開すればまたあのときのようにやせられると思っています。

リバウンドするくらいなら初めから太ったままの方が長生きする、というアメリカのデータはかなり説得力があります。つい油断してやせてしまった。カラダにとっては一生の不覚です。もう二度とやせさせないようにしよう!とカラダは誓うのです。せっかく運動の楽しさを経験したのだから、そして「運動欲がない」動物でありながら今でも運動することを続けているのですから、やせるとかやせないとかそんなことにこだわらなくても良いのではないかとひそかに思います。

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やっぱり朝食は要らない

健康のために朝食を摂らないようになって久しいのですが、何とかしてちゃんと朝を食べさせようとする妻が、弁当のおかずの残りで朝食の体裁を整えて「食べない?」と食卓に並べることがあります。一週間ほど前、何となくお腹が空いていたので、それを食べて出勤しました。そうしたら翌日から毎日朝食が出るようになりました。時々職場に着いてからサンドイッチを買うこともあるのだから、まあ良いかなと思って、それに甘んじることにしてみました。

ところが、数日続けてみましたが、どうも体調がよろしくありません。以前は朝9時頃から湧いてきていた空腹感がまったくなく、そのまま昼食の時間になっても腹が減らず、それでも持ってきた小さなお弁当を食べないわけにいかないので完食。昼下がりに無性に眠くなり、夕方になっても何かが腹に溜まっている感じ・・・そして夕食。

朝、ちょっと食べただけで、ここまで「空腹感」がなくなってしまうとは思いませんでした。そのせいか、何か一日中からだが重く、かえっていつも満たされない感じになります。慣れていないだけだろうかとも思いましたが、よく考えたら、朝食を摂らなければ解決することですからそれを止めればいいわけです。わたしのからだを心配してせっかく料理を作ってくれる妻には申し訳ないが、また朝食を摂らない生活に戻ることにしました。

「空腹感」を感じられないとこんなに辛い、ということを体感できたのは、収穫でした。「心地よい空腹感」は、ニンゲンがニンゲンとして生きていく上でとても大切なことだということが良く分かりました。

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卒業アルバム

先日、高校時代の友人に、同級生のことで質問を受けました。

「竹中のKくんの頭はチリチリだったっけ?」「Tくんという名前の人は高校時代の同級生に居たっけ?」・・・お互いに何とも心許ない記憶を辿り合ってみましたが、おぼろげなモヤは一向に晴れる気配がありません。わたしは自宅の書棚の一番下隅に仕舞っておいた高校時代の卒業アルバムを取り出してみました。「Kくんの頭はチリチリではなくてウエーブのかかったロングヘア」「Tくんはたしかに同じクラスの同級生として卒業している」・・・疑問の確認はできました。

そのまま、ん~十年の長い時の流れを遡(さかのぼ)り、当時はまだ白黒写真だった卒業アルバムをしばらくパラパラとめくっておりました。写真をみるとどれもほとんど見覚えがあります。なつかしい顔ぶれです。でも、写真の下に書かれた名前にまったく見覚えがない、そんな御仁が何人もおりました。「こいつそんな名前だったっけ?」という感じです。記憶のキャパが年齢とともに小さくなって、新しい記憶が入るたびに古い不要な記憶がポロンと転げ落ちるのだなと納得しましたが、結局最後まで数人の名前には記憶のかけらも残っていませんでした。ま、どうせ会うことはないからそれでもいいかなと思ってページをめくりました。

それにしても、みんな若い。何といっても、このシャープなあごの線とつるつるの肌。美人さんは私の記憶以上にさらに美人に、そうでない方も思いの外それなりに、古い白黒写真でも18歳の若い肌が手に取るように分かります。地デジに対応できるのはこんな肌だけだわ、としみじみ思いました。

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下手な説明

先日、職場で会議がありました。

「この件については委員の一人である○○さんに簡単に説明してもらいましょう。」

司会者がある若者を指名しました。その若者の説明にしっかり耳を傾けて聴いていたのですが、最初から最後まで、まったく理解できませんでした。・・・「さっぱり、意味分かんねえよ!」とこころの中で舌打ちして、そのまま聞き流すことにしました。

すると、ある男性が手を上げました。「ちょっと話をまとめてみていいですか?つまり、今の話は、こうこうこういうことで、こうすることになったと、そういう意味でいいのですか?」・・・彼は自分のことばで見事にまとめてくれました。それを聞きながら、「なるほど、そういう意味か!」とわたしのこころを晴れやかにしてくれました。話したことを簡単に要約するのは、本来は司会者の仕事です。でも司会者は前もって内容をわかっていますので、みんなが理解したと思ったのでしょう。彼は話を次に進めようとしていましたから。

こんなことは、きっと大したことではありません。でも、どうでもいいからこんなやつの話なんか聞き流そうと思った私は、きちんと話を整理してその場のみんなの意識を一つにさせた一人の男性の姿勢に感謝しました。わたしだったら、「おまえの言い方じゃ分かんねえんだよ!」と云ったでしょう。彼がそんなことを云わずにそっとサポートしたことで、発表した若者は傷つきませんでした。会議において、一人の人間が分かり良い説明をするかしないかということはどうでも良いことです。でも、みんなの意識が同じ見識で一致できるかどうかが全てですから、こういう心配りがさらっとできる人が組織に居るかどうかということが、とても大きなことだと思います。

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意味が分からん!

先日、あるお詫びの文書をうちの施設で発行しました。本来もっと早期に送らなければならない書類の発送が遅れたことについてのお詫びです。発送書類に添付して受診者の皆さんに送るのだそうです。それを読ませていただいたのですが、正直云って今ひとつよく分かりません。書いてあることに間違いはないし、日本語としても問題ないのですが・・・結局、正式文書としてやむを得ないのかもしれませんが、内容を分かっているわたしたちだから分かるけれど、普通の方がこの文書を読んでも何のことか分からない人が少なくないと思いました。お詫びの文書を添付したという事実があれば良いのかもしれませんが、何か腑に落ちないものがあります。もう少し平易な表現ができるのではないかしら。

一方、数日前、クレジットカード会社から「カードご利用可能枠変更のご案内」という封書が届きました。キャッシングはしないのでいい加減に読んでいたら、何か希望コースを決めて署名をした上で送り返せ、と書いてあるようです。よく分からないので書類を隅から隅まで読んでみました。でも結局よく分かりません。そこには6月17日までに送り返さなかったら規定通りに変えます、と書いてある(ような感じ)。でも理解できていないのにこんな財産に関することを気軽に処理できなくて、今ちょっと閉口しています。実は数ヶ月前に、生命保険会社から「年金受取方法ご指定のお願い」という封書も届いておりまして、これもまた隅々まで読んでもよく理解できないので、そのままです。

日頃から慣れている人たちにはどうと云うことのない簡単なことなのでしょうが、素人からしてみると異次元の内容です。なのに相手は、早々に意思表示をして、それに責任を持つという意味の署名をして送り返せと云います。よく考えたら、とても怖ろしいことだなあと思います。で、世間知らずのわたしは、何もできずに放置しているのであります。

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学位謝礼金

大学の博士号を取得した後に、教授にお礼を渡していたことが複数の大学で発覚しました。指導してくれた教授に対するお礼金だと思ったら、論文審査をしてくれた教授たちへの謝礼金のことのようで、そりゃたしかに一般常識から外れた習慣だと思います。

わたしは、東京で働いていたときに、ある有名私立医大の研究生になって論文を提出して博士号をいただきました。「乙種」の学位(大学院で研究して学位をいただくのが「甲種」)、別名「論文博士」というやつです。学位審査では、提出した論文の要旨を自分でプレゼンし、その後主査・副査の先生方から質問を受けるのですが、もうすでに熊本に帰っていたわたしは、そのためにわざわざ上京しました。待機室で待っていると、大学院生らしい若い数人が話していました。「教授への謝礼はいくらくらいにしたらいいの?」「去年学位を取った○○先輩の話では・・・。」

「げえ!そんなに渡すんか!?」・・・聞き耳を立てていたわたしは驚いて飛び上がりそうになりました。受けるための申請費用だけでもかなり高いのに、さらにそんなに払わないといけないのか!と、田舎者で世間知らずのわたしは正直驚き、不安になりました。わたしはどうしよう?わからないので、勤務していた病院の部長に相談しました。「別に要らないんじゃない。だって、特に指導してもらったわけじゃないんだし。」とっても淡白な返事が返ってきました。「え、ホントにまったく何もしなくていいんですか?」と驚いていると、「お菓子でも持って行って『大変お世話になりました』ってきちんとお礼すれば、それで大丈夫だと思いますよ。」と静かに助言していただきました。

そこの大学は研究生としての学費もとても安く、おかげさまで、日本で一番安い費用で由緒正しい論文博士の一員にさせていただきました。いまだにそれを持っていることで何の得もありませんが。

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糖の細胞記憶

最近、糖尿病に関して面白い結果報告が出ています。イギリスの歴史ある糖尿病大規模試験UKPDSの追跡調査もそのひとつです。

UKPDSは、「糖尿病の初期段階に専門家がきちんと介入して薬も使ってしっかり血糖管理をした人たちは普通の食事療法しかしなかった人たちより合併症が少なかった」という、当たり前といえば当たり前の結果ですが、実はその後を追跡調査してみていたのです。すると、血糖コントロール自体は介入を受けていなかった人たちと同じレベルになったにもかかわらず、心筋梗塞や死亡リスクはその後も有意差を持って低かったというのです。「Legacy effect」とか「glucose memory」とか称されるこの現象は、つまり診断をつけられたらできるだけ早期にしっかりとした積極的治療を始めて、きちんと良好な血糖コントロールを維持させておくことが大切で、そうなれば細胞は高血糖のときの記憶をきちんと次の細胞に引き継いでいく可能性があるということです。

平たく云えば、「血糖管理は、とりあえず最初にしっかり頑張ることが大切だ!」ということになります。これもまた真理であり、だからこそ病気になって早期、あるいはその前段階のレベルで本人に出会うわたしたちのような健診医師が、その重要性を本人にしっかり伝えなければならないのであります。

「強気すぎて受診者の不安を煽る」と陰で非難されているかもしれない(被害妄想であればいいですが)わたしを後押ししてくれる、とてもありがたい結果報告です。

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血糖の正常高値は正常にあらず。

「空腹時血糖が正常高値の人は健常者よりも糖尿病が約6倍も発症しやすい」・・・大阪で行われていた第52回日本糖尿病学会のシンポジウムで札幌医大の大西浩文先生が発表したこの内容は、なかなかセンセーショナルなものでした。

北海道には、九州の久山町研究に匹敵する、30年以上続いている疫学研究(端野・壮瞥町研究)があります。この研究に登録されている受診者を最大16年追跡してみると、最初に受診した時の血糖値が90mg/dl未満だった人が糖尿病になる危険性を1としたとき、なんと90~99mg/dlで2.2倍、100~109mg/dlで6.42倍、110~125mg/dlで14.78倍になるというのです。それもかなり早い時期(例えば100~109mg/dlの場合、5年後ですでに6.76倍の危険性)に。つまり「血糖値は低ければ低いほど糖尿病になりにくい」という結論です。医療関係者の方はご存知でしょうが、これまでの健診では、126mg/dl以上が糖尿病型であり、110mg/dl未満は「正常」でした。昨年変更されて100mg/dl以上を「正常高値」として分けて、注意を促すようになったのです。

「この『正常高値』は厳しすぎる」と医療現場では不評でした。そんな値で引っかけたら異常者ばかりになる!とか、肥満者(メタボ)じゃなかったら心配いらない!とか勝手な手心を加えて説明している医者も少なくないでしょう。先日、ある受診者からクレームがありました。「結果説明が厳しすぎてショックを受けたから来年から受けたくない」というものです。部長は「大した異常じゃなかったのに大げさに説明しすぎたせいだ」とスタッフに説明していました。たぶんその説明をしたのはわたしです。「バカいってんじゃねえよ。あんな異常値を大したことないとか云ってるからみんな病気になるんだろうが!」と内心で思いながら聞き流していました。そんな異端児のようなわたしだから、正式な学会でこんな発表があると自分のやっていることが間違っていないことが確認できて嬉しくなります。

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素人みたいな酒の話

つい最近まで、焼酎の方が日本酒やワインよりカロリーが低いと思っていました。患者さんや健診受診者さんには「数呑みゃどっちも一緒ですよ!」と云ってのけていますが、本当は蒸留酒である焼酎が一番カロリーが少ないと思い込んでいました。

ところが先日、「焼酎とワインと日本酒、同じ量ならどれが一番カロリーが多いのですか?」という質問に管理栄養士さんが答えたのを傍で聞いていて、仰天しました。

アルコール1%当たりのカロリーはもちろん焼酎が一番低いのだけれど、日本の焼酎は日本酒やビールよりはるかに度数が高いので、同じ量(ml)なら結局焼酎が一番カロリー高!そりゃ、考えてみれば当たり前の話です(http://www24.big.or.jp/~nakatomo/alc_karori_hayamihyou.html)。

その代わり、酒由来のカロリーは代謝が早くてさっさと抜けるけれど、糖質由来のカロリーは糖として体内に残り易いわけで、蒸留酒である焼酎の方が日本酒や甘口ワインより体内に残るカロリーは少ない、というのはやや説得力あり。でも、甲種焼酎と乙種焼酎ではどうか?という問いには、(納得いかないけれど)甲種の方がカロリーは多いと書いてあるものが多いようです。

まあそんな蘊蓄(うんちく)をどんなに語ったところで、結局どれも大した差はありません。なぜなら、一緒に食べる酒の肴のカロリーが酒よりはるかに多いのですから。

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ことばの行き違い

「検査は全部終わりました。四階の受付へこのボードをお出しください。」・・・アテンダントの女性が受診者に話しているのを何となく聞いていました。

すると受診者が「ここは何階な?」とすぐに聞き返しました。「ここは四階です。あ、わたしがご案内しましょう。どうぞ。」・・・彼女はそう答えるなり、受診者を連れて歩き始めました。

そんな経緯を傍から眺めながら、きっと彼女には受診者の聞いたことの真意が伝わってないな、と思いました。「あちこちのフロアを上がったり下がったりしてこられたから、今がどこだか分からないんだろう。迷うといけないのでわたしが連れて行ってあげよう!」と考えて行動した彼女のアテンダントとしての行動は素晴らしいと思います。でも、もしわたしがその受診者だったとしても、きっと同じことを聞くでしょう。「ここが四階だと思っていたけど、ここは四階じゃなかったの?」と悩んだから聞いたのだと思うのです。四階に居て、「四階の受付へ」などと云われるとは思わないからです。でも、彼女にしてみると各階に受付があるから他に行かないようにわざと「四階の」と云ったのだと思います。「このフロアの受付へ」と云われれば何も悩まなかったでしょうけれど。

ことばの行き違いというのは、日常茶飯事で起きています。受診者が「あ、彼女は意味を間違えてる」と思いながらも「まあいいか」と思って付いていき、そのまま何も起きなければそれはそれで終わります。ところが、「何云ってるんだこいつ?」とちょっと苛立ってしまって、さらに受付でちょっとしたトラブルがあれば一気に一触即発の空気になるかもしれません。むずかしいものですね。