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2008年1月

背筋を伸ばす

診察のために椅子に対座します。

最近は、老若男女を問わず、椅子に前屈みでうつむき気味に座る人が多い印象があります。なぜにそんなに猫背なの?と思いますが、日頃から骨盤周辺に力が入っていないからなのでしょうか。

そのままでは聴診が十分できないので、「もっと背筋を伸ばしましょう」「胸を張りましょう」とお願いします。意味のわからない人もいますが、大部分はトライしてくれます。でも、この姿勢の人は、ほとんどの場合それができません。力は入っている様子ですが、見た目は全く変化していません。「背筋を伸ばす」ということができないみたいです。

立った状態でも背筋を伸ばせない人が増えてきている気がします。「背筋を伸ばす」というとお腹をつきだす人がいますが、全く違います。腹を引っ込めて頭を天空から引っ張り上げられているイメージです。どうでしょうか、背中が伸びたでしょうか?そのままの姿勢で椅子に腰掛けると、座った状態の「腰を伸ばす」ができあがります。

日頃やらない姿勢はとてもきついですが、骨盤矯正の意味もありますので、時々やってみてください。立っている時にも歩いている時にも、気付いたら「背筋背筋」と唱えながら脳天から引っ張られてみてください。

以前書いたパソコンを打つときの姿勢(「パソコンの椅子2008.1.11)もこの状態がベストです。

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健診の診察

現在、私は健診を中心に業務しています。

企業健診や市町村健診に出向いたとき、私は原則として服の上から聴診器を当てます。2~3時間で100~150人を診るために着脱などの無駄な時間を削りたい意味もありますが、半端にシャツをめくり上げたり、服と下着の間を迷路のように入っていったりして聴診器を直に肌に触れさせることにほとんど意味がないと思うからです。むしろそんなことをしていると、女性だと(最近は若い男の子も)恥ずかしがって十分胸が広がらなかったり、雑音が大きかったりして、音をきちんと聴取できないこともあります。

健診はちゃんとブラウスを脱がせないとダメだと主張する医師も少なくありません。また、「手を抜いて服の上から聴診器を当てられた」と苦情が出るから、形だけでもいいからちゃんと服をめくって肌に当ててください、と事務の人から注意されたこともあります。でも、とにかく、私はきちんとした音を聞きたいのです。そのためには、丸裸になるのでなければ服の上からの方が確実だと信じています。世間の皆さんは勘違いしていますが、安物でない聴診器を使うなら、制服や薄いセーターの上からでも心音、呼吸音は十分聴取できます。服を脱いでもらうメリットは、皮膚の色や湿疹の有無、あるいは胸郭の形や動きを確認することくらいです。もともと病気でない皆さんですので、その類の異常はほとんどないか、あるいは隅々までくまなく観察しないと見つからないことでしょう。服の上からの聴診の方が胸を張って大きな呼吸をしてくれますし、心雑音も聞き落しがないように思うのです。

私って、やっぱり、変わり者ですかしらね。

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となりの診察室

病院や医院を受診した場合、施設によって、あるいは診察室によって(つまり医者によって)、診察室の中の雰囲気が全く違うことに気づくことはありませんか。あるいは診察の仕方が違って(例えば血圧を座位で測る医者、臥位で測る医者、測らない医者)戸惑った経験はありませんか?

私たち医者は、他の人が外来診察室で日頃どんな診療をしているのかをほとんど知りません。学生時代、あるいは研修医時代の教授陪席(教授の外来診療に同席してカルテ記載や検査伝票準備などをする担当)の時を除くと、他の医者の診療風景を見る機会は皆無に近いのです。若い頃に見た先輩医師の診察風景を基準にし、それに自分なりのやりやすさや理念に従ってのアレンジが入って、独自の診察室が生まれます。テレビドラマの中に出てくる診察室イメージも場合によっては自分のスタイルに影響することがあるかもしれません。

「先生の診察はとなりの○○先生のとは全然違いますね」と云われたことが一回だけあります。それが良い意味であれ悪い意味であれ、普通はそんなことは口にしないでおくものなのでしょう。気に入ればそのまま通院するし、不信感があれば他に移るのかもしれません。昔、同僚医師に「どんな診察をしてる?」と聞いたことがありますが、「普通だよ」とだけ答えてくれました。何が普通なんでしょうね。

今度外来を受診するときはそんな目で眺めてみてください。

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「昔ながら」を知らない世代

私たちが生活の見直しを提案するときに「昔ながらの生活に戻せばいい」という言い方をします。

昔、日本の食卓といえば「一汁一菜」が基本でした。御飯、味噌汁、漬物。これでは禅寺の修行僧みたいなので、それに干物などのタンパク質の食材が加わる、そんな感じだったようです。私が子供だった頃は、さすがに時々は肉や煮魚がありました。月1回のカレーライスの日は楽しみでした。子どもだった私が肉屋にお使いに行かされたときは、いつも「豚肉100g」でした。父母姉私の4人家族です。私の記憶の中に「牛肉」も「200g」もありません。

私の人生にコンビニが舞い込んだのはいつだったでしょうか?おぼつかない記憶を辿っても、医者になってからだったかもしれません。しかも22時か21時までだったはずです。コンビニは安くないのでスーパーが閉まった後に翌朝まで待てないときだけやむを得ず行くところでした。

車にクーラーがついているのは贅沢でした。世にオートマチックが出たころでも無理してクーラーを付けたら簡単にバッテリーがあがったりエンストしたりしました。アメリカ型の郊外型ショッピングセンターができて皆が車で食品を大量に買い込み始めたのはいつだったでしょうか?それまでは近くの商店街やスーパーまで買い物かごかかえて歩いてあるいは自転車で、が常識でした。

私たちは、「昔ながら」に戻ろう、といわれたときにそんなことを思い出してイメージすることができます。でも、生まれたときからコンビニは24時間開いているもの、夕食は毎晩レストランのようなメニューであり、家には大型冷蔵庫があり、1人に1台のテレビと車がある。そんな世代に「昔ながら」といわれても、きっとわからないんじゃないでしょうか。私たちが「戦時中は・・・」といわれてもわからないように。その世代に生活の見直しを考えてもらうことは、おそらく異星人を相手にする覚悟で、全く違う発想で立ち向かわなければむずかしいだろうと思います。大変です。

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カルテメモ

昔、私は外来カルテに診察結果や問診以外にもたくさんの書き込みをしていました。記憶力に自信がないので、「来週から東京の娘さんの所に遊びに行く」「昨日タケノコ堀りをしてきた」「孫が今年高校受験だ」「夫婦げんかをしてしまってまだ謝ってない」「最近○○という名のイヌを飼い始めた」など、診療中にでてきた日常のたわいない話題をメモしていたのです。次の診療は、「娘さんは元気でしたか?」「もう仲直りしましたか?」などの話から始まります。最初はキョトンとした顔をする患者さんもすぐに何のことかわかって必ず笑顔で返事をくれます。その後で「ところで、調子はどうですか?」となるのが、私の外来の常でした。

医者は、人間を相手に診療するのであって病気を相手にする訳ではないと思っています。残念ながら全ての情報を空で覚えられる才能がないのでメモをしています。つまり、カルテに診療と関係ないメモが多くなればなるほど、その人との繋がりが深くなっていることを物語っています。そして、そういう関係にならないと、相手は決して本当のことや思っていることを話してはくれません。ある病院に何度めかの出向で行った時に「先生がまた来たって噂を聞いたから来てみたよ」と云って久々に受診してくれた患者さんの笑顔を今でも忘れません。

保健所の監査があり、「カルテはメモではない。カルテは公文書なので診療に関係のあるものしか書いてはいけない!」とのお叱りを受けました。それ以降、一口メモの類は禁止になりました。それでも私は無視して書いていましたが、さすがに今のような電子カルテの世界になると、そんな余地は皆無になってしまうことでしょう。

カルテの中から患者さんの顔が消えてしまう。ちょっと寂しい気がしますが、それが時代でしょうか。勤務医ならではの愚痴なのかもしれませんが。

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笑い療法士

「笑い療法士」という資格があることを知ったのは1年ほど前です。

笑いに高い免疫効果があり、吉本グランド花月にお笑いを見に来た人たちの免疫力が有意に上がったことを実証した有名な実験の詳細を調べていたときに、日本医大の高柳和枝教授のことを知り、彼女が代表世話人を務める「癒しの環境研究会」を知り、そして「笑い療法士」を知りました。http://www.jshe.gr.jp/

最近は、医者しか得られない資格とか、医療従事者にしか得られない資格などよりも、高い理念をもつ一般市民がしっかり頑張れば得られるような資格の方が、はるかに価値があるように思うようになりました。

以前書いたケアリングクラウンの資格と同様に、とても魅力を感じている資格です。許されるなら、講習会に行ってみたいのですが、なんか最近ちょっとフットワークが軽くないんですよね。

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タバコを吸う医者

「あの医者は、自分は吸うくせに『おまえはタバコをやめろ』と言う。信用できないから私はタバコをやめない。」という人がいます。

「あの医者はいつも『やせろやせろ』とうるさいが、自分の方が太っているから説得力がない。」という人もいます。

医療関係者は、人の健康に関わる以上、自ら模範になるような生活をするべきだ、というのが最近の医療現場での常識となってきました。施設内完全禁煙の病院や場内全域禁煙の学会場が明らかに増えました。忙しい中に自分の運動の時間を捻出する医者も多くなりました。

でも、だからといって、「それができない医者の云うことは信用できない、説得力がない、だから自分もしない」という理屈が屁理屈であることぐらい、当然分かっているでしょう。医者だって人間。良くないとわかっていてもできないことはたくさんあります。でも、一般の方よりはるかに正確な医療情報を持っています。だから、「自分は出来ないけれど、あなたは健康のために是非してほしい」という想いの言葉だと思ってあげてほしいです。自分のことを棚にあげても助言することができる医者は、とても偉いと思います。

私は、タバコを止めました(職場の禁煙指導担当にさせられたためですが)。運動と食事で体重をかなり落としました(講演ネタのためにやっただけですが)。でも、そんな私が指導したからといって、決して相手が成功しやすいわけではありません。

私の知り合いに「いつも一緒にタバコを吸っていた医者が突然禁煙し、『タバコは体に良くないよ。キミも早くやめた方が良いよ』と云い始めた。その豹変ぶりが不愉快だったから、絶対禁煙しないって決めたんだ」と主張する人がいます。

結局は、禁煙しない理由付けが欲しいだけなんだな、と可笑しくなりました。

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トリアス久山

アメリカ型会員制倉庫店「コストコ」やシネコンが入った巨大ショッピングモール「トリアス」が福岡県久山町にできました。私は行ったことがありませんが、これができたという噂を聞いたときとてもショックでした。福岡にできてもいい。でも、なぜそれが久山町なのか?

日本の疫学研究の中で、この田舎町「久山町」は聖地です。1961年に始まった「久山町研究」は約45年以上たった現在も綿々と続けられ、日本の生活習慣病に関する疫学や診断基準はすべてこの町の町民の動向で決まっていると云っても過言ではありません。アメリカの病気の動向を「フラミンガム研究」で物語るように、日本では久山町研究です。高血圧の基準値が見直され、高血圧の治療効果が確認されたのも、この研究結果を基にしています。つまり、この町の町民がどうなったかがそのまま日本の動向なのです。九州大学に、役場だけでなく、開業医も町民各々もがしっかり協力したからこそ確固たる研究ができたのでしょう。しかもそれは現在進行形です。この町が選ばれ、どうやって成功させたかの秘話がNikkei Medical 2008.1から連載されています。

久山町が研究に適していた理由は、人口の移動が少なくて長く追跡調査できることや年齢・職業構成が日本の平均的な町だったことです。今時、町民が亡くなった場合その8割を解剖し、毎年人口の8割を検診し、99%以上をきちんと追跡しているなんて驚異的ではありませんか。http://www.med.kyushu-u.ac.jp/intmed2/naiyou/hisayama.html

この聖地久山町にこんなものができてしまったら大変なことが起きるんじゃないか。それを私は本当に心配しています。

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日本人は謙虚

「去年に比べて、データがとても良くなっていますね。身体にいいことを何か始めたのですか?」と聞くと、「はい。私は頑張りました!」という受診者はあまり多くありません。

「いや、特別なことは何もしていません。」と答えます。そして、「ちょっと夕食を少なくしてみただけです。」とか「通勤を自転車にしてみただけです。」とか、付け加えます。

私が、「それでここまで良くなるのだから自信をもっていいんじゃないんですか。」とフォローして、初めて笑顔が出てきます。

もともと日本人は自慢するのが上手ではありません。奥ゆかしさこそ美学と教えられています。それに加えて仕事は運動ではないと思っていますので、運動といえば毎日ウエアに着替えて腕を大きく振りながら1時間くらいウオーキングしないといけないと思っています。でも、ゴロゴロせずにいつも動き回っていたら十分に運動だと思います(正式には「身体活動」といいます)。

学会のある講演で、某講師が「日本ではこんな講演会があると、必ず後ろから詰ります。欧米では必ず前から詰ります。」と云いました。蓋し正論だと思います。だから日本人も欧米人を見習え、というのではありません。日本人はそんな謙虚さが国民性なのだから、無意味に自己主張しなくてもいい。でも、自分が頑張ったことを自分でそっと褒めてあげても良いんじゃないでしょうか。そして、こうやって成果が出たら「よっしゃ!」と陰でガッツポーズとってやることがモチベーションの維持に繋がると思います。

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いいものみつけた

メタボリックシンドローム・ネットというHPがあります。フジサンケイグループと多くの医学会などが共同で参加している「メタボリックシンドローム撲滅委員会」が作っているHPです。なかなか充実していますので、たまにはみてみてください。http://metabolic-syndrome.net/

で、指導する立場を離れて、その中に、ちょっといいものみつけました。

日本酒でメタボ退治…痴呆や心筋梗塞、高血圧の予防

http://www.zakzak.co.jp/top/2007_12/t2007121804_all.html

私はもっぱらビールと焼酎派でした。焼酎は芋、ロックよりも生(き)をチビチビやるのが好きです。日本酒はどうしても血管が広がって頭が痛くなるので苦手でした。ところが、どうしたことか、最近、焼酎があまり美味しくなくなりました。代わって、日本酒がおいしいと思うようになりました。同じ様に焼酎党だった私の友人も最近焼酎を卒業しワイン派に変わっていきました。でも、日本人はやっぱ日本酒でしょ?!

http://metabolic-syndrome.net/2007/10/001005.php

↑いろいろ小言のような見出しが並んでいますが、そういうものはヒマなときにみるとして、「酒の肴はタンパク質の多いものが良い」そうです。チーズ、豆腐、枝豆。。。うんうん、いつも私が食うものばっかりだ。よっしゃよっしゃとほくそ笑む。

・・・わかってますって。私のように口が回らなくなるまで日本酒飲んだり、豆腐を毎日一丁食うようなのは論外だってんでしょ。わかってますってば。

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立て板に水

先週、うちの施設で年4回発行している広報誌の1月号が発行されましたので、今回はそれに掲載中の私のコラムのコピーで失礼します。

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立て板に水

   数年前の職員旅行で、ある観光ホテルに泊まりました。各部屋に分かれる前に全員がロビーに集められて、ホテルの特長や施設利用の注意項目などの説明を受けました。そのときに説明してくれた、そのホテルの担当の方の話し方は実に感動的でした。まさしく立て板に水を流すごとく、よどみも無駄もまったくないしゃべりで、それでいて早すぎもせず遅すぎもせず、小さすぎず大きすぎず、聞き取りやすい切れ味のよいトーン・・・それは耳にとても心地よく入ってきました。さすがはプロだと感心しました。ところが、話の終盤になって、ふと妙なことに気づきました。どうも周りの同僚たちも同じことを感じたようです。「結局、大浴場は何階にあるって言った?」「夕食は何時からって言った?」・・・彼が話した話の内容が頭にほとんど残っていないのです。あれだけきちんと聞き取れていたはずなのに、見事に右から左へ流れ出していました。

    私たちは「伝える」という仕事をしています。毎日多くの人に接しながら限られた時間で受診者の皆さんに多くのことを伝えます。私たちもまた、あのホテルの方と同じようになっているのではないか、と不安になりました。「話した」ということと「伝えた」ということとは違います。「伝えた」ということと「伝わった」ということもまったく違います。言った、聞いてない、の争いは世に絶えません。たとえ「話した」としてもそれがちゃんと「伝わった」のでなければまったく意味がないのです。

   先日、20数年ぶりにある患者さんにお会いしました。ある病気で言葉が不自由な方ですが、昔のままの満面の笑顔の彼は、古希を越えたとは思えない弾んだ歓声で迎えてくれました。彼の言葉はお世辞にも聞き取りやすいとはいえません。でも、彼の言っていることは聞き返す必要もなくニュアンスの隅々まで理解できました。彼は、「こころ」で伝えることを常に意識しているんです、と言います。遠い昔、入院した彼の主治医になった研修医の私に、患者-医者のスキルとしての会話ではない、こころの繋がりの大切さを教えてくれました。私たちは、たとえ頭で違うことを考えていてもきちんと必要なことを話すことができます。しかし、正確に聞き取りやすく話すスキルをどれだけ向上させても、おそらくそこにこころが入っていないと真意は伝わらないのだと思います。昼下がりの結果説明などで、口は正確に動いていたけれど今話した内容は伝わっていないかもしれない、と感じる瞬間が時々あります。私は、もし自分が相手だったら、今の言葉でちゃんと理解できるだろうか、そう自分に問いかけながら話すように心がけていますが、それでも時々受診者の方からお叱りを受けることがあります。そのときには決まって事務的になっている自分がいます。仕事としての「伝える」は本当に難しいものだと痛感します。久しぶりにこころの師に会えて、私の医師としての仕事の原点に立ち返った気がしました。

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男子トイレの沈黙

うちの職場の男子トイレには2つの小便器が並んでいます。

小便をしようとトイレに入ります。先客が1人おり、「お疲れさま」といいながら隣の便器の前に立ちます。

それから数秒の沈黙。。。意味もなく緊張感が走るのがわかります。。。やっとチョロチョロと音がしはじめて、場に安堵感が広がります。

この感覚、わかる人にしかわからないかもしれません。もの凄く長い沈黙に思えますが、静かに数を数えてみると10秒まではかかっていません。でも、それはとても長いのです。健診のエコーでは前立腺肥大はありませんと言われてはいますが、この沈黙の時間はやはり歳を感じます。ぎりぎりまで我慢したときにはもちろんすぐに出ますが、そこまで我慢してると漏らす心配も出てきます。

頻度が近くなる上に小便器前の沈黙時間が長くなる冬場は、ちょっとストレスです。これを杞憂というんでしょうけれど。

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ガタがきたと感じる瞬間

若いときには、身体にどんな不調があっても、どんな病気になっても、何らかの形できちんと元の状態に戻れるのが当たり前だと思っていました。

中学時代、眠れない夜に毎晩ベッドで本を読んだのが原因で目が悪くなり、今の私の裸眼視力は0.01程度です。でもこれ自体はコンタクトレンズで解決していました。ここ数年見え方が少し悪くなっていましたので、コンタクトレンズの再調整のために近くの眼科に行きました。ちょうど1年前のことです。乱視の調整をしてみたら、今までがウソのようなクリアな別世界が広がりました。ところが、その状態では試しに差し出してもらった絵本の文字が全く読めません。これが「老眼」なんでしょうが、文字が全く読めない感覚を初めて目の当たりにして、もの凄いショックを受けました。現在、近くの文字は近づけても遠ざけても読み取れないことがあります。目の前に存在しているものを全く理解できない、もう若くはないと自覚せざるを得なくなったこの寂しい感覚。。。ちょっと辛いです。

6年前の交通事故で腰椎ヘルニア・頚椎ヘルニアになったこと。4年前にバスケットボールで膝を痛めたこと。小便の出が良くないこと。。。もう元の状態に戻れないので機能の劣化を諦めるしかないような、「ガタがきたな」と思うことはたくさんありますが、やっぱり目が見えなくなったのが一番堪えています。

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ズボンの補正

うちの施設で行っているダイエットコースで6ヶ月頑張った会員さんの最終メディカルチェックがありました。3ヶ月目でもかなり頑張りましたが、さらにもっとスリムになっていました。運動も食事も習慣づけに成功して、検査成績も大変良好でした。

「服が合わなくなったでしょう?」と聞くと「ズボンのウエストを4cmも縮めました。それでもまだ緩いんですが。」と彼ははにかみました。「わかります。自分を信用できないんでしょ?」と私がいうと、彼は小さく笑いました。

私は3年前にスーツを新調しました。急に痩せた為に、今まで持っていたものが合わなくなったのと、講演などで着る機会が増えたからです。知り合いの仕立て屋さんで採寸しました。私が「これくらいで良いです」と伝えると、「いやいやもっと絞って大丈夫です」と云いながらどんどん細くされてしまいます。経験のないことなのでとても不安でした。今は痩せているかもしれないけどいつ元に戻るかわからないのです。今までにも何度も痩せたり太ったりを繰り返してきました。いつまでもこの状態であるはずがないと思うのが自然です。苦笑いする彼の主張を何とか少しだけ緩めてもらって仕立ててもらいました。

でも、半端に余裕を持たせるよりきちんと体に合ったサイズにした方が良いと思います。一つにはきつくなるのでリバウンドがすぐに分かること。もう一つはせっかく金を払うならできるだけカッコいいシルエットを経験した方が得なこと。だから、今日の彼にも、「姑息な補正をせずに、自分のご褒美として是非とも体に合ったスーツを新調してください」と助言しました。

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腹一杯食うとガンになる

私の書棚から講演の資料を探していたら、「食卓の怪談-新あぶない食品物語」(溝口敦:小学館,1999.4.10発行)が目に止まりました。久々にページをめくっていたら、「腹八分目にガン抑止効果がある」ということをマウスの実験で確認した大阪府立大学食品代謝栄養学教授の話がありました。放っておけばいつまででも食い続ける習性があるマウスにガン細胞を皮下注射して少食とガンの関係を検討した実験ですが、結論を云えば、腹一杯食ったマウス群は全滅し、6割程度の食事制限をさせたマウス群でのみガンの抑制効果がみられたわけです。なぜそうなるかについて、当時は少食ほど抗腫瘍作用物質や免疫系物質が増加することくらいしかわかっていませんでした。少食は抗ウイルス作用物質も賦活させるので、それは、ガンだけでなく他の細菌やウイルスの病気にもかかりにくい体作りにつながると云うことです。

食べすぎが、メタボリックシンドロームや肥満につながって動脈硬化を進めるから不健康だというだけではなく、それが体に良いものであれ悪いものであれ、たくさん食べすぎればガンや感染症につながるという、とても怖くて大きな戒めです。

日本人は「ガン」という言葉に敏感ですから、なかなか減食ができない方への動機付けにはもってこいの話です。ただ、どれだけ怖い理屈を並べられても、「据え膳食わぬは男の恥」(ちょっと意味が違うか)、この程度の脅しでは、目の前に並んだご馳走を残す理由にはなれないのかもしれませんな。

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冷たい聴診器

この季節になると頭を痛めるのが、朝の診察です。

聴診器と自分の手が異常に冷たく、肌に触った瞬間に小さな鳥肌が立つのがわかるので、診察するたびに恐縮します。一応、早々に診察室に暖房を入れてもらい、聴診器をタオルで包み、手を白衣のポケットに突っ込んで暖めるようにしていますが、それでも最初の4人目くらいまでは、お手上げ状態です。しかも最近はパソコン管理なので、どんなに手を暖めておいても、ちょっとマウスを触っているだけですぐに雪男の手状態に戻ってしまいます。

昔、風邪をひいて内科医院を受診すると、必ず先生の椅子の横にストーブがあり、先生はストーブで聴診器を暖めてから当ててくれていました。それでも聴診器の端の金属部分が冷たく(あるいは暖めすぎて熱かったり)、まだらな感触で変な感じだったことを覚えています。

聴診器を自分の懐で暖めたり、手袋をはめたりして顰蹙買わなくても、今の世の中、聴診器や手のひらを人肌に暖めてくれるような保温器くらい簡単に作れるんじゃないのかしら。どっかのメーカーさん、作ってくれないかしら。

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運転手の意識消失

山形の高速バス運転手が運転中に意識消失事故を起こしました。インフルエンザに罹患していた上に風邪薬を飲んでの運転だったとのことですが、乗客の機転で大事に至らずに良かったと思います。今日は沖縄でパトカー運転の警官も運転中の意識消失事故を起こしたそうです。これも風邪が関連していたとか。

ただ、私たちが心配する意識消失の原因は、他に大きく2つあります。一つは東海道新幹線運転手で有名になったSAS(睡眠時無呼吸症候群)です。最近体重が増えた人やいつも眠くて頭がすっきりしない人だけでなく、大きないびきをかく人、朝の頭痛や喉の痛みがある人、寝相が悪い人、悪夢を見る人、頑固な肩こりがある人、インポテンツになってきた人、夜中にトイレの回数が増えた人などは是非検査を受けてみてください。夜中には全く別の世界が存在しているかもしれません。

もう一つはメタボリックシンドロームにも共通する動脈硬化疾患の突然の発作です。良く知られているように、肥満・高血圧・脂質異常・糖代謝異常の4つが揃っていると、「死の四重奏」と云われ、心筋梗塞の発症確率は30倍以上にもなります。何の前触れもなく、運転中に突然心筋梗塞や脳梗塞を起こすわけですから、その怖さは飲酒運転など比ではありません。該当する人は、その怖さをもっと厳しく自覚してもらいたいものです。特にバスやタクシー、電車や長距離トラックの運転手さんたち。

アメリカではバス運転手の意識消失事故が昔から茶飯事です。みんな大きな体をしています。今、日本もどんどんアメリカ並になっています。昔、ある先生が、「タクシーに乗ろうとして、運転手さんがもし太っていたら、自分はこの男に命を預ける勇気があるかどうかを自問してから乗れ」と講演会で語っていました。

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「わたしが子どもだったころ」

「わたしが子どもだったころ『医師 鎌田實』」を見ました(BSハイビジョン)。

私が臨床医師をやっていた頃のたくさんのことを思い出しました。鎌田先生は、自分の考えてきた医療の姿勢に間違いがなかったことを感じさせてくれる、わが師のような先生なので大好きです。

ある老夫婦がいた。白血病で余命短い夫だけでなくその妻にも病名は「貧血」だと告げ、できるだけ心の負担を掛けないように配慮した。妻は、畑を心配する夫を家で養生させながら一人で野良仕事をこなした。1年後に夫は息を引き取った。その数年後、妻は医師に告げた。「どうして本当の病名を教えてくれなかったのか?野良なんてどうでも良かった。もしもうすぐ死ぬとわかっていたら、野良仕事なんてほったらかしてずっと一緒にいて、もっともっといろんな話をしたかった」・・・最近異常に涙もろくなったわたしは、もう流れ出る涙で画面が見えなくなりました。

私が医学部を卒業する1年前、私の母が胃がんで亡くなりました。発見されたときには手遅れ状態でした。私は父と相談し、本人には告知しませんでしたが臨月を迎えた姉には病名を告げることにしました。娘として、もうすぐ母親になる身として、悔いの残らないように母とたくさんのことを話してほしかったからです。6年前、亡くなった父の遺品を一緒に整理をしていて姉がポツンと云いました。「あの時、どうして自分に本当の病名を教えたのか?辛くて母の顔をみることができなくて、病室にいけなかった。行っても長居ができなかった。もっと初孫を抱いて欲しかったし親子の話をもっとたくさんしたかったのに。」

そんなことを思い出して、また涙しました。

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いじめ

昨日のオーラの泉の総集編で出ていたプロボクシング内藤大助選手のいじめ体験。私は、「いじめ」の文字を見るたびに心に引っかかることがあります。

小学校の頃、私がしつこくいじめていたクラスメートが2人います。私は学級委員をしながら裏で陰湿にいじめていました。今の子達のやり方に比べたらかわいいものでしたが、逆に当時だったからこそ彼らは自殺しなかったのかもしれません。彼らは今、どうしているのだろうかと思いながら、本当に悪いことをしたなあと心が痛くなります。

中学に上がって、私はあるクラスメートから毎日のように「いじめ」を受けました。何で私を叩くのか、何で私の持ち物を取り上げて困らせるのか、全く理解できませんでした。彼のことを「かわいそうに」と思うことでその災難を乗り切ろうと思いましたが、結局、寝付けない夜が何日も続きました。

すでに私にはただの思い出になっていましたが、数十年ぶりの同窓会の二次会で、彼に「あの時は悪かった」と言われて、なんともしれない気まずさがお互いになくなった気がします。きっと彼は長い間ずっと気になっていたのだろうと思います。私が小学校時代にいじめていた彼らにも何とか「ごめん」と云いたい気持ちをずっと持っていますが、卒業後に離れ離れになってしまって一度も再会できていません。

実は、その同窓会の二次会で、違う友人から「キミは私をいじめていたのをおぼえてる?」と聞かれました。申し訳ないが、そう云われても全然思い出せませんでした。

「いじめた方は意外に簡単に忘れるけど、いじめられた方は、気にするしないに関わらず忘れることはないんだよね」・・・最後に彼が云った言葉はとても深いと思いました。

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高血圧の遺伝子

日本人は、欧米人(白人)よりも高血圧になりやすい遺伝子を持っている人の割合がはるかに多い人種です。この遺伝子は、言い換えれば、塩分に対する反応がきわめて良好な遺伝子です。人間は塩分がないと血圧を保てず死んでいきますが、長い歴史の中で少量の塩分しかなくても血圧を保てるように進化してサバイバルしてきた人種ほどこの高血圧遺伝子がたくさん備わっています。

私がいつも不思議に思うのは、日本人は塩分に過剰反応しやすい人種で少しの塩分だけで大丈夫なのに、なぜ漬け物やみそ汁などの塩辛いものを好むのだろうかということです。少量の塩分で生きていけるのにあえて塩辛いものをたくさん摂ろうとするのは、「塩が足りなくなったらヤバイ」という貧乏性の遺伝情報が常に駆け巡るからでしょうか?そういえば、糖尿病の気質をもつ人ほど、食べ物の中からあえて甘いものを見つけてきます。あれも「低血糖になったら怖い」という危機感でしょうか。

遺伝子というのは、種の保存のためには「石橋を叩いて渡る」もの凄い徹底ぶりだと思いますが、その取り越し苦労のためにかえって病気になる、実に皮肉で厄介な時代だと思います。でも、きっとまた大きな歴史の流れの中で、自然淘汰が始まり、生き延びるものだけが生き延びて、突然変異を繰り返しながら新しい遺伝子情報ができていきます。人間はきっと、とても強かでしぶとい生き物だと思います。

ま、私は、さっさと淘汰される、その他大勢の中の1人でしょうけれど。

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パソコンの椅子

うちの職場でだれかのパソコンの前に座ろうとすると、どの椅子も決まって異常に低くなっています。一番高い位置まで上げておいても次に座ろうとするとまた一番低く戻されています。

産業衛生上、あるいは人間工学上、きちんと椅子に座った場合、少しだけ上向きにしたパソコンモニターをやや上から見下すようにするのが最良の位置関係です。この坐高の高い私が椅子の設定を一番高いところにしてちょうど合うレベルなのですから、うちの職場の全職員のパソコン椅子は明らかに低すぎます。

モニターを正面かやや下向きに傾斜させ、椅子に浅く座って寝そべるように背もたれに寄りかかり、見上げるようにしてキーを打っていませんか?それは万年肩こりになるだけではなく、目を全開させるので乾燥しやすくドライアイの最大の原因になります。さらにモニターをやや斜めにおいて体をねじった上に意地で足を組んだりして、ほとんどヨガかメビウスの輪の世界でパソコンと対峙していませんか。そんなこと続けてると神経障害や女性なら生理不順をももたらすこともあります。ご注意を!

参考: http://www.aikoukyo.com/mkshokuin5c1d.htm

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運動欲

先日、ある運動生理学の専門家から、「食欲・性欲・睡眠欲などと違って、人間にはもともと『運動欲』というものが存在しない」という事を聞いて、大変ショックを受けました。

「人間は動物である。動物は動くから動物で、動かなくなったら死ぬとき。だから、動くのは当たり前である。」というのが私の持論だったからです。

「動かなくてすむなら動かずにじっと寝ていたい」という考え方の方が本来の姿ですが、残念ながら人間の体は使わなければすぐに退化するようにできています。1週間も入院すると家に帰るときにはフラフラになります。このジレンマの中で、動かないわけにはいかないからやむを得ず動く、となると、かなりのモチベーションを持って意識的に動かない限り運動を始めることも継続させることも至難のわざです。「健康のために運動する」なんて甘いことでは到底続けられません。初めは嫌々でも、とにかく運動することで満たせるようになる他の欲求を探します。友達ができる、若いインストラクターに会える、よく眠れる、娘が褒めてくれる、富士山に登る夢がある、根性のある自分に惚れる・・・自分だけの密かな楽しみを持ちましょう。

保健師さんに本末転倒!と一蹴されそうですが、運動後に仲間と飲むビールが旨いから毎回欠かさず続けている、って、私的には全然オッケーです!

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欧米か!?

健康を語る仕事をする中で、最近気になっていることがあります。

現代人を苦しめるメタボリックシンドロームの背景に「食事の欧米化」があると云われています。でも、本当に「欧米化」なのでしょうか?人間は先祖が生まれ育った環境に一番適応できるように進化して生きています。だから日本人は日本食が一番理想なのに、戦後に欧米食が普及し、何も食わなくても生きていける倹約遺伝子を持つ日本人は脂肪細胞が膨大化してしまった、というのです。

では、欧米人はどうか?いわゆる「欧米食」を食っている欧米人の方がはるかに肥満で悩んでいます。アメリカでは人口の半分以上が肥満です。結局、現代社会に存在しているのはファーストフードに代表される人工的に作られた効率的で安上がりでしかも高カロリーで美味しい膨らまし粉みたいな媚薬なのであり、あれを「欧米食」というのは失礼というものでしょう。

一方、ヘルシーメニューとして欧米で脚光を浴びている「日本食」ですが、これを欧米人がいつまでもずっと食べていたらそのうち病人が増えるのではないかと心配しています。彼らは日本人ではないので、肉を中心にした昔ながらの「欧米食」を食べないとヤバイのではないでしょうか。

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順番

外来をしていた頃、完全予約制を敷いていました。たまたま予定が早く進んで次の診察まで時間があり、待合室には1時間後予約の人だけしかいなかったので、彼を呼んで先に診察を済ませました。その後に時間通りにやってきた患者さんを時間通りに呼び入れたら、その患者さんに叱られました。「予約時間があるから我慢して時間通りに来たんだ。早くなるとわかっていたら私だって早く来ていたんだ」と。

彼の云いたいことはわからないでもないのですが、こんな余裕ができたのはめずらしく、待っていても予約時間まで待たされる確率の方がはるかに高いのです。

人間って不思議です。他人が得をすると自分が損した気分になるというのは人間の性(さが)なのかもしれませんが、自分は実質的にはまったく何も損していないことを見失わないようにしたいものです。できたらいつも基準を自分にしておく訓練をしておいた方が楽です。そうすると、「今なら半額!」と言われて欲しくもない商品を買うべきかどうか悩むこともなくなります。

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年賀状「ホメオパシー」

年賀状では、他にもう一人、「ホメオパシー始めました」というコメントの返信をもらいました。約10年前に開業する旦那について旦那のお里に行った昔の同僚医師です。いつもニコニコしながら論理的に病気と立ち向かう女性でした。

「ホメオパシー」?聞きなれない言葉でしょうが、

『ホメオパシーは同種療法あるいは類似療法と訳されている通り、「症状を起こすものは、その症状を取り去るものになる」という「同種の法則」が根本原則になっており、症状を起こすものを非常に薄めて使うことにより、体に悪影響を与えることなく、症状だけを取っていくという治療法で、安全で体にやさしく常習性を持たない方法(一部訂正加筆)』です。http://nihon-homeopathy.net/index.html

日本は科学的根拠に従った医療(EBM)でないと偽者だという考え方が主流で、ホメオパシーもまた偽医療のレッテルを貼られる傾向にあります。でも、世の中には理屈以上に「治るものは治る」というものは少なくありません。「病名がわかっても大して良くならない治療されるくらいなら、病名はなんでもいいからとにかく治してほしい」私が患者なら絶対そう思います。

ホメオパシーは効果のある人にはきわめて有効な方法だと思います。物事を冷静に論理的に判断する彼女には向いていると思いました。是非、きわめてほしいと思います。

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「寝ない子は太る」

昨日の新聞に「寝ない子は太る」という記事が載っていました。

富山スタディと云われるこの研究は20年前に富山県で生まれた子どもの成長を追跡調査したもの。三歳時の睡眠時間が10時間以上だった子どもに比べて睡眠時間が短いほど中学・高校になっても肥満が多いそうですし、三歳時に早寝する子は小学校になっても早寝の習慣が続き、肥満が少ないのだそうな。そりゃあ、最近の子は夜更かしする上に夜中になってもお母さんは平気でお菓子を食べさせるんだから当たり前でしょう、と思っていたら、そういう要素を除外してもこの結果は変わらないのだそうです。

健全な心身の発達のために必要な睡眠が十分とれないことで、体内ホルモンが危機を感じて、できるだけ吸収率を良くしようと働くのではないかと思いました。

寝る子は育つ。寝ない子は太る。三つ子の魂百まで!子ども達が早寝するためにはお母さんもお父さんも夜更かしするわけにはいきません。大人の自律神経トラブルも実はこの睡眠に原因の一部がある(体内リズムが狂っている)と思われています。

早寝早起き、三文の得!  わかっちゃいるんですけどねえ。。。テレビは夜中になるほど面白くなるんですよねえ。。。。

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朝の合掌

あるTV番組で「毎朝、日頃お世話になっているたくさんの人に感謝し、一人ずつの名前を唱えながら手を合わせている」という某女性アイドルの言葉に感動し、私も毎朝仏壇に合掌しながら「○○さんありがとう、●●さんありがとう・・・」と唱えるようにしています。

合掌中に頭に顔が浮かんでくるすべての人の名前を並べるのだけれど、これが10人くらい浮かんでくる日もあれば誰一人も浮かんでこない日もあります。

浮かんでくる顔の数でその日の自分の心の調子が大体分かります。たくさんの顔が浮かんでくるほど健康だと言えそうです(それが嫌いな人ばかりであっても)が、いくら考えても誰も浮かんでこないときは鬱(うつ)状態の時です。こんな日が何日も続くときは、できるだけ無理やりに誰かを思い浮かべることにしています。そのおかげか、最近は割合多くの顔が浮かんできます。

日頃苦手にしている人や頭にくるような態度を取った同僚などの顔が浮かんだときも「ありがとう」と唱えます。最近は意外にこれが快感になってきています。なんとなく許してあげられそうな気がしてくるからです。私ってかなり悟りの方向に向かってるんじゃ?

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年賀状「ケアリングクラウン」

私の大学時代のクラブの後輩から年賀状が来ました。東京で芝居をしながら看護師をしている(看護師をしながら芝居をしてる、かな)女性です。

彼女の年賀状には、「ケアリングクラウンの修行を始めました!」とありました。

ケアリングクラウン?? ケアマネージャー(介護保険)かなんかのこと???

早速ググりましたら、「ケアリングクラウンは、「道化」の視点を使ったコミュニケーションスタイルです。」とありました。えっ!彼女はピエロ(道化師)になろうとしているの?ま、それもありかな(笑)と思ってさらに読んでいたら、「ケアリングクラウンは、闘病中の人、心身障害者、高齢者など、ケアが必要な人のところに、クラウン(道化師)が訪問し、笑いや楽しさの時間を共有することにより、Well Being を高める活動のことをいいます。」とありました。http://caringclown.jp/

存在そのものはTVでみたことがあるような気がしますが、身近にそんな取り組みをしている人がいることを知るととても羨ましくなってきます。マジでわたしもやってみたい!でも、さすがに九州にいるとなかなか参加できません。

彼女にはとてもジャストフィットな活動だと思います。

すばらしい!

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地デジ対応

先日、知り合いの寿司屋で友人と忘年会をしていたら、地元の某女性キャスターがプライベートで入ってきました。夜中のインタビュー番組で何度も見たことがあります。さすがにとても綺麗で、まさしくオーラに包まれた感じがしました。でも失礼ながらTVでみたときにはもうちょっと年寄りだと思っていましたが、実物の方がはるかに若い印象でした。地デジの画面は想像以上に細かい皺まで写してしまうのですね。

人間の目というのは素晴らしいものだと痛感します。機械というのは高性能になるほどに冷酷にすべてを客観的に映してしまいます。機械が映したものはすべてを余すことなく私たちの脳に伝えます。それよりもはるかに高性能な人間の眼は、みたくないものは見ません。見えていても脳に信号を伝えません。このアバウトな、それでいてオーダーメイドの自分勝手な眼だからこそ、人間は生きていけるのだと思います。

補聴器も然りです。周りから入ってくる音を全部聞こえるようにしてしまう補聴器は脳をぐちゃぐちゃにしてしまうようです。「聞きたいものしか聞こえない」が、健全に生きていく人体に準備された神秘の装備です。 

素晴らしい!

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