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2008年2月

旅の心得

「観光旅行に来て、ダイエットのことなんか考えたらイカンですよ!ご当地の名物はきちんと食べるのが礼儀です!もしせっかくの名物を我慢するくらいなら観光旅行しない方がいい!」

数年前、心臓病患者の会のメンバーさんたちと一緒に広島・四国旅行に行ったときに乗った観光バスのガイドさんの言葉です。まだ二十歳代独身のお嬢さんでしたが、彼女の剣道部仕込みの張りのある声と天性の明るさに満ちた言葉は一瞬にして全員を虜にしました。たしかに、ご当地の名物が精進料理のことはほとんどありませんから、せっかく○○が有名な土地に来たのに、ダイエット中だからという理由で制限したのでは旅の楽しみは半減です。どうせ言い訳しながら食べるのでしょうが、どこか罪の意識を感じながらの食事はすっきりしませんね。

4月から始まる予定の特定健診・特定保健指導で、食事に関する保健指導のポイントは、「2日単位で考える」ということです。つまり、ちょっと食べ過ぎたかなと思ったら翌日は質素にすることによってチャラにできる、という理論です。美味しいものを食べるときにはいらないことを一切考えないで、その味をしっかり堪能しましょう。その代わり、旅行から帰ってきたら、数日は禅僧の一汁一菜の体で現実の世界にリセットさせればいいのです。くれぐれも、リセットする前に次のグルメ旅へと旅立つような計画の立て方は避けましょうね。

このガイドさんのタメになる心得シリーズ「酒蔵や観光地で説明を受けるときの心得」:話を熱心に聞くだけではダメ。黙って聴いていないで必ず途中で合いの手を入れます。「は~」「へ~」「ほ~」、そして数回に1度は「なるほど、なるほど!」と頷く・・・これで気分を害する人はいません。調子が出てきて日頃聞けないとっておきの話も聞けるかもしれないし、上手くいったら帰りにお土産ももらえるかもしれません!

たしかに、自分の講演を聞くおばさんの姿を見てもその通りだと納得し、早速、メモしておきました。

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百寿者の定理

一昨日、あるタクシー会社の職員健診に行ってきました。年2回、定期的に運転手さんたちの法定健診を行っています。

無事に終わった後にお茶をいただいていると、社長さんが顔を出されました。80歳を有に越えたであろう彼の足取りは、杖こそついていましたがとても矍鑠(かくしゃく)としていました。実は、7、8年前まで、私は彼の外来主治医をしていました。本当に久しぶりにお会いしました。当時私は狭心症を治療していましたが、それ以外にも肺疾患や腎疾患も持っていた彼の眉間にはいつも縦皺が寄り、苦虫を噛み潰したような顔でため息をつきながら毎日のように外来に来ていました。でも当時のそんな表情が全く見えません。「元気になりましたね」と声をおかけしたら、「地域に貢献できる新しいバス事業を始めてから急に元気になったんですよ」と娘さんの説明。今でも週3回は新会社の仕事に出ているんです、という彼の顔は、見たこともないような晴れやかな笑顔でした。

日本抗加齢医学会http://www.anti-aging.gr.jp/の学会誌に、百寿者(100歳以上の元気な人生を送っている人たち)の皆さんに共通する健康長寿の秘訣は何かという記事が載っていました。1.毎朝体操などの決まった運動を欠かさないこと、2.名刺を持っていること(何らかの肩書きがあること)、3.常に人生を前向きにとらえていること、つまり人生100年を越えてなお常に人生の張りと緊張感を絶やさないことだと結論付けていました。そういえば、かの日野原重明先生のスケジュール帳は3年以上先まで予定が詰まっていると聞きました。

「もう歳だから」とかいいながら、自分で勝手に人生を区切って夢を諦めた人はおりませんか?「歳」は自分の心次第だということを、今回の社長さんの姿をみて痛感しました。

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あなたは病人です!

一方で、全く逆の意見のように見えますが、生活習慣病に対しては「自分は病人である」ということを自覚した方が人生がずっと楽になる、というのが私の持論です。広報誌の連載コラムの中からそんな記事を転載します(2005年7月号「健やかな病人になる」~生活習慣病入門の心得)。

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「あなたは病人ですか?」
残念ながら、多くの現代人は病人です。「私は違うわ」と思っているあなたもきっと病人です。少なくとも私は病人です。今の世は病人だらけです。病気のこと、特に生活習慣病のことは皆さん詳しく知っています。なのに「コレステロールが高い」といいながら、それが病気だとは思っていません。「それを『高脂血症』と言いまして、今夜、何の前ぶれもなく突然に心筋梗塞になって倒れてもおかしくないという意味ですから、家族にはきちんと伝えておいてください。」私は皮肉を込めてそう言います。血糖が高いけど糖尿病とはいわれていないとか、血圧は高いけど薬はいらないから高血圧ではないとか、どうしても病気と認めたがりません。「血糖が高いことを『糖尿病』というんです。血圧が高いことを『高血圧症』というんです。それが予備軍だろうと正規軍だろうと、どうせ同じ事をするんだから無駄な抵抗はやめましょうよ。」・・・私は、健診結果を説明しながら、いつもそう思います。

実体のない「健康」の文字に必死でしがみつきたがるのはどうしてなのでしょう。医学は常に「病気」を相手にしてきました。「健康」は当然あるべきものでしたから「健康とは何か?」などの論議は無用でした。「病気」は常に悪であり退治すべき対象でした。だから「病人」は落第生の証なのかもしれません。一度認めたら最後、まるで修行僧のように食べたい物は食べられなくなり、新興宗教のように黙々とただ歩かされ、挙げ句の果てに毒薬を一生飲まされる。とんでもない!死んでも首をタテには振るまい、といったところでしょうか。

ところが今の世は病気だらけなのですから、「健康」には定義がいります。”心身ともに爽快で毎日を明るく楽しく送れること”と定義してみましょう。そうすると、似非健康人の皆さんが「やばいかな」とか考えながらケーキを食べる行為はバツ。高血圧の私が運動後に気分良く握り飯を頬張るのはマル。脳梗塞で麻痺になった患者さんが頑張って歩けるようになったら三重マル。これはなかなかいけてます。病人なのに健康でいられます。生活習慣病は遺伝病です。同じものを食べて同じことをしても自分だけ病気になる体質ですからもっとゆっくりつき合いましょう。2,3年前から私は高血圧ですし、油断するとすぐ太ります。隠すことなく私は病人です。でもそのおかげで私は動くことと食べることの面白さを知りました。「あなたは病人ですか?」の問いには、迷うことなく「私は病人です。これからも『健やかな病人』であり続けたいと思います。」と答えます。「正常」にしがみついて汲々とするより、病人の人生をうまくコントロールして楽しんだ方がずっと面白い。これからの人生に面白いことがもっと沢山あるはずだと信じています。

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あなたは病人ですか?

ある医学系の雑誌(MMJ)に柘植あづみ先生(明治学院大学)の連載コラムがあります。今回号に「ご自分を病人だと思いますか」-病人イメージと自己像-という記事がありまして、興味深く読ませてもらいました。

消化器の病棟に入院中の「患者さん」の60%は自分を「病人だとは思わない」と答えており、「半分(ときどき)思う」の20%を除くと、「思う」は20%しかいなかった、というアンケート結果でした。病気で入院しておきながら、「自分は病人じゃない」はないだろ!と思うかもしれませんが、胆石は手術すれば治るから病人ではないとか、病人というのは寝たきりのイメージがあって、あるいは糖尿病のように一生治療を受けるのが病人であって、自分はそれに当てはまらないから病人じゃない、とかいうのがその理由だそうです。面白い理論だと思いました。確かにこれを医療現場では「病識がない」といって看護師さんの溜息の元になります。でも、どうしても自分を病人とは認めたくないプライドが人間にはあるのだということを物語っています。病人は「社会の役に立たない存在」というイメージがあるからだそうです。

実は、私は、このアンケートの結果が意外でした。狭心症や心筋梗塞のために緊急入院し、緊急のカテーテル治療やバイパス手術を受けて一命を取り止めた患者さんを何人も知っています。その中には退院後も毎日恐る恐るの人生を送っている人がいます。せっかく元気になったのだからもっとやりたいことを楽しみましょうよ!と声をかけてもなかなか病人の殻から抜け出せない人たちが多い、という印象が私には根強いのです。健診現場でも、病気なのに病人ではないと言い張る人より、大した異常もないのに自分は病人だ!と悲観している人の方がはるかに多い印象があります。

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マイベスト(自分の歩幅)

私が講演の最後に必ず使うスライドがあります。

  ザ・ベスト(=完璧)

  マイ・ベスト(=自分の歩幅)

数年前、縁あって心理カウンセラーの衛藤信之先生(日本メンタルヘルス協会)の講演を聞かせていただき、とても感動しました。その時の講演の中に出てきた言葉です。著書の「心時代の夜明け 本当の幸せを求めて」http://www.mental.co.jp/book.htm  (PHP研究)の中にも出てきますが、とても好きな言葉のひとつになりました。もともとは完璧主義の親に育てられて挫折しがちな子供たちへの応援メッセージ「人は弱い存在で、自分なりに強くなろうと努力するからすばらしいんだ」「この世にThe best(完璧)はないんだ。あるのはMy best(自分の歩幅)。」という意図です。

健康病といってもいいほどの健康ブームの中で、真面目な国民性の日本人はすぐに完璧(The best)を求めます。完璧な結果でないと「自分はダメだ」「やっても無駄だ」と思いがちになります。でも、別に試験を受けているわけではありません。100点満点をもらったところで大した意味はありません。むしろ、自分なりに精一杯頑張った成果に素直に喜び、60点だったとしてもとても楽しい人生だったなら、100点満点を維持するために疲れ切った人生を送ってきた人より、はるかに有意義だったと云えるでしょう。そういうメッセージを込めて、頑張りすぎずに自分の歩幅(My best)で進む人生にしてほしいと思って、講演の最後をこれで締めくくることにしています。

興味のある方は衛藤先生のコラム「えとうのひとりごと」http://www.mental.co.jp/etou.htmも是非読んでみてください。どれも好きな文章ですが、特に「さよなら、お義父さん・・・(2007.8.18)」をお薦めします。あなたも私と同じくらい泣きますよ、きっと。

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肺がん検診

肺がん検診や胸部CT検査を受ける理由で一番多いのが「タバコを吸っているから」あるいは「周りでタバコを吸っている人がいるから」です。健診現場でも、医師や事業推進部門から「タバコを吸っている人には是非とも胸部CT検査を勧めてください」と云われます。

でも私は、肺がんをターゲットにする限りにおいては、タバコを吸っている人がわざわざ胸部CT検査を受けても無駄だと思います。たまたま検査したときに肺がんが見つかればいいですけど、何も異常がなかったとしても1ヶ月後のことはわからないわけです。タバコによって引き起こされる扁平上皮がんや小細胞がんは進行が早いので、年1回のCT検査では間に合わないかもしれません。現時点まで問題なかったということを確認するだけのために受けるにはちょっと高すぎる検査のような気がします。

以前、生活習慣病指導専門職セミナーで、国立がんセンターの先生のお話を聞きました。私が学生だった頃の常識は、肺がんの大部分は扁平上皮がんでした。だから「肺がん≒タバコ」でした。でも今は肺がんの70%は腺がんなんだそうです。腺がんの特徴は、タバコに関係なく、肺の末梢にできやすいので症状(痰や咳)に乏しく、そのかわり進行が遅いということです。なぜか先進国に多いのですが、今のところ、なぜ腺がんが先進国に多いのか確定的なことはわかっていません。扁平上皮がんが減ったのではなく(でも禁煙の風潮でこれから減ってくると思います)、腺がんだけが急増したために肺がんの死亡率が増えてきたそうです。ですから、腺がんの早期発見のためには年1回のCT検査は確かに意義が大きいと思います。

ということは、胸部CT検査などの肺がん検診は、タバコを吸う人ではなく、タバコを吸わない人にこそ定期的に受けて欲しい検査だと云うことになります。

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酒はどうよ?

「脂肪肝ですね!γGTPも高いです。休肝日を作りましょう。」「あなたは糖尿病なのだから、酒はやめてください。」・・・。

はぁ。

保健師さんにガツンと云われて、健診の結果表を眺めながら溜息をついているおじさんたちも多いことでしょう。肥満、高血圧、脂質異常、痛風・・・晩酌習慣のある人は、どれをとっても酒のせいにされてしまいます。100%毒物と認定されている「タバコ」と違い、酒は「百薬の長」。適量はかえって身体に良い、と云われているはずなのですが、「適量」は「ちょっとほろ酔い気分になる直前でやめる」という量です。それは酒呑みにとっては生殺し状態ですから、基本的にそんなこと無理!

確かに酒を呑むとそれ自体のカロリーだけではなく、食欲も増し、気分(交感神経)も高揚します。でも、昔のアル中の人はみんな栄養失調でゲッソリしていました。今のアル中の人はみんな栄養過多で赤ら顔の大きなおなかをしています。結局、酒が悪いと云うよりも、酒の肴が悪いんじゃないか、精進料理を肴にして呑むなら大したことないんじゃないか、というのが、昔から持っている私の持論です。

ま、ノンベがノンベの弁解をしてもあまり説得力がありませんかね。

ちなみに、5、6年前に毎晩の晩酌を小さなコップ1杯(アルコールの種類に関わらず)にしてみたらすぐに5kg痩せました。でも、2ヶ月前から断腸の思いで「月水金曜日禁酒」をしてみていますのに、ちょっと太ってきた気がします。

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中性脂肪

「アッタマにきたんですよ、先生!聞いてくださいよ!」興奮さめやらぬ表情で保健師さんが私のところにやってきました。受診者さんの苦情に対応していたようです。

血中中性脂肪が日頃500mg/dlくらいなのに今回の健診で900mg/dlを超えたため二次精査の紹介状を送った受診者さんから、「急いで近医で再検査したら120mg/dlだった。お前のところの検査の器械は壊れているんじゃないのか?」だそうです。冷静に対応していた彼女も、「なあんも摂生しないし好きなだけ飲み食いしているのに何でこれだけ良くなるわけ?そんなんで良くなるならアンタ本でも書いて出したら売れるよ!」とかなりの悪態をつかれた様子です。その内容を話しながら、またまた興奮してきている雰囲気が伝わってきました。

まあ、中性脂肪の値がこの程度変動することくらい大して珍しいことでもない(ただしたとえ不摂生していても食直後でないのにここまであがるのは普通ではなく、急性膵炎などの危険性がありますが)し、私に云わせれば、近医の検査の時にたまたま低かったわけでしょうから、そっちの方がおかしいかも?って何で思わないんだろうなあ、と不思議でした。「摂生しているのにこの値はおかしいんじゃないか?」というクレームの方がよっぽど理にかなっています。

こんな内容の苦情に、日々対応している保健師さんって大変だなあと思います。こっちから喧嘩を売れませんから(私は良く売りますけど)。相手も、医者が対応したらきっとそんなことは云いません。若いお嬢さんを相手に、それで日頃のストレス発散しているようなものなんでしょう。今夜の宴会のネタになっているかもしれません。そんなわがままな「おとな子ども」の相手をしている保健師さんって、とってもエライなあと尊敬します。でも、そのストレスを酒に向けると自分の中性脂肪値が上がりますから、ご注意を。

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定説には必ず逆説がある

健康に対する情報が巷にたくさん溢れています。特に食については多くの説がまことしやかに主張され、どれが正しいのか悩むことは多いと思います。

平成17年に食育基本法が成立しました。骨子になるものの中には「きちんと朝食はとるべき」「牛乳は理想の食材」「塩は病気の源」など、これまでの定説を踏襲したものを多くみることができます。皆さんはそれを当然だ、と思っているかもしれません。でも、多くの人が認めているような定説には必ずそのアンチテーゼが存在することを忘れてはいけません。私は、定説が確固たるものとして認められれば認められるほど、必ずその逆説を説いた本を探して読んでみることにしています。すると、不思議なことに、意外とそれの方が正論かもしれないと思える意見にたくさん出会います。

たとえば『牛乳神話完全崩壊』(外山利通著)。牛乳がいかに身体に良くないかを説いています。この手の本は大きな本屋に行けば何冊も並んでいますが、子供の頃や妊娠中に「牛乳こそ理想の食材」と教わった常識を覆す勇気がないと読まないでしょう。私は、骨密度の低い人には「まちがっても牛乳は飲むな!」と云っています。必ず怪訝な顔をされます。

たとえば『生活習慣病に克つ新常識-まずは朝食を抜く!』(小山内博著)。2年前に試しに実行してみてから、すこぶる体調が良いのでそのまま今でも続けています。痩せたかったら朝飯は食うな!という理論ですが、もともとは活動前にモノを食べると胃が荒れる、という話です。多くある同じような説の中で、この小山内先生の屁理屈が一番しっくりきました。

こんな逆説を皆さんに試してほしいと云いたいわけではありません。でも昔の偉い先生が語ったからと云って必ずしもその固定観念が正しいとは限りません。興味があったら読んでみてください。納得できたら試してみてください。こういう説を知っておくと、質問されたときに幅が出るだけではなく、自分の頭が柔らかくなることに気付きます。

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辻説法

数年前、地元NHK制作のTV番組の中の小さな健康コーナーにゲストで呼ばれたことがあります。その担当の若いアナウンサーの方と打ち合わせをしている時に「先生は日頃どのような仕事をしているのですか?」と聞かれたので、「辻説法みたいなことばかりしています!」と答えました。そうしたら、「『辻説法』って何ですか?」と聞き返されてしまいました。若いとはいえNHKのアナウンサー、そんな彼女に「聞いたことがありません」と云い切られたのは、ちょっとショックでした。「辻説法」なんて確かに使わなければ知らないかもしれませんが・・・雑誌などで見たことがないものでしょうか。

某TVのクイズ番組で、あまりに簡単な問いに答えられず、正解を聞いても「そんなの聞いたこともない」という若者世代を、いつも笑って嘆いてバカにしていました。でも、彼らが特別なのではなくて、彼らの世代が目や耳から吸収させている常識のボキャブラリーの範囲と量が極端に減ってきているのかもしれません。もしかすると情報量が増えて取捨選択する中で、彼らの興味の幅が異常に狭く偏ったところにシフトしてしまったのかもしれません。やはり若いときは無意味にいろいろなことに興味をもつのが大切なんだと痛感します。

私は若い頃から辞書を引くのが好きです。『辻』は十字路、街頭のこと。『辻説法』は、「通行の多い道端に立ち、往来する人々を相手に仏法を説くこと」と辞書には普通に載っています。

「『辻説法』は『辻説法』たい!」と云いたい気持ちをぐっと抑えて、「まあ、世間話をして金をもらっているようなもんです」とお答えしました。もちろん彼女は首を傾げて苦笑いしていました。

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やめられないからはじめない?

「クスリを飲み始めるとやめられなくなるから、飲まない!」

昔からずっと気になっていた言葉です。これだけ医療情報が溢れるようになったのに、いまだにこの言葉がまことしやかに語られていることに驚きます。一体だれが一番最初に云い始めたのでしょうか。「飲んでも飲まなくても良いけど、どっちにする?」と質問されたと勘違いしているのでしょうか?

たとえば高血圧のクスリ。高血圧症に対して早期からきちんと適正な内服を始めると約30~40%程度の人がクスリをやめられるようになると云われています。でも、飲むべき時期に飲まずに、もう元に戻れないレベルまで引っ張って飲み始めたらやめられなくなるのは当然です。早期のまだ弾力性のある血管であれば戻せる可能性がありますが、血管の壁に強い圧力が長期間加わって血管に硬化が始まってからでは元には戻れません。第一、もし「やめられなくなる」ものだったら、むしろ早くからさっさと飲み始めないと危ないということでしかないように思います。

もちろん、高血圧の治療の基本は、運動療法であり食事療法であり十分な睡眠でありストレス解除(生活療法)です。これらのことを早期からきちんと行うと血圧を改善させることができます。でも、それを行っても十分な降圧ができないのであれば、さらなる修行僧のような人生を上乗せしてもおそらく血圧は下がらないと思います。私は、「クスリは毒物」と割り切っています。ですから飲まないですむなら飲まないにこしたことはないと思います。でも、そんな毒物でも、飲んだ方がかえって生活の質を良くする場合が多いことも知っています。それが健康食品であっても特保食品であっても構いませんが、それをコンスタントに飲み続けなければならない点で云えば変わりはありません。むしろクスリの方がその他の効果(心臓の保護、血糖コントロール、腎臓保護など)を期待できるメリットはあります。もっとも、「飲み始めるとやめられなくなるから飲まない」という人に限って、むしろあまり努力はしたくない(していない)人が少なくない、というのが私の印象です。

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恩師の遺言

私が尊敬する、私を今の職場に呼んでくれた恩師は、若くして脳腫瘍で亡くなりました。彼が腫瘍の診断を受けて入院した3日後、私たちスタッフは順番に病室に呼ばれました。「脳の病気は最後に頭がおかしくなるから、自分の頭がはっきりしている間に云っておきたいこと云っておく。それを済ませたら、私は私の病気との戦いに専念して、そして勝って帰ってくる。」彼は淡々とそう語りました。

「キミの云っていることはいつも蓋し正論。そしてその正論をキミはいつもきちんと実行できる。素晴らしいと思って感心している。でも、世の中には、キミのようにきちんとできる人間よりできない人間の方がはるかに多いことを忘れてはいけないと思う。云われていることに間違いがないからこそ、できなかった相手は逃げ道がなくなる。これから人の上に立つようになってくると、煙たがられるようになり、さらに反感を持たれるようになるかもしれない。それが一番心配だ。これから、他人に指導をするときには、いつも、相手にそっと逃げ道を作ってあげるようにしてみてもらえないか。きっとキミにはそれができると思う。」

それが、私に対する遺言でした。

私はその時から、物事に対する考え方を大きく変えることになりました。人を見る目も自分を見る目もすこぶる楽になりました。無理をすることなく、自然に変わっていけたのは、それが「必然」の時期だったのだと、まるで某TV番組の様なことを思ったりしています。まだまだ恩師の遺言で要求された域には全く達しませんが、あれがなかったら、そして彼に出会うことがなかったら、私の人生は全く違っていただろうと思います(もちろん「必然」ですからあるべくしてあったエピソードなのでしょうが)。

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まったりとした日曜日

さすがにこの歳になると、休みの日でも長くベッドに寝ておくことができません。寝ているのにも体力が要るものです。

若い頃、休みの日は必ず昼前まで寝ていました。一旦目覚めても、起きている時間がもったいなくて必ず二度寝しました。どれだけ寝ても寝過ぎることはありませんでした。

ところが、ある年齢から、急に寝ている時間がもったいなくなり始めました。昼まで寝ているとそれだけで半日を無駄に過ごした気分になります。それだけ無意味に人生を過ごした気がして空しくなっていました。ですから、休みの日でも朝からきちんと起きて、掃除をしたり庭の草刈りをしたり、本を読んだりしました。朝からかなりの量をこなしたと思ってもまだまだ昼前だったりして、とても得した気分になっていました。それができた日は、満足できる充実した日でした。

でも、また最近になって、休みの日はまったりと過ごしたくなってきました。残り少ない人生、そんなに詰め込んでもしょうがないんじゃないかと思い始めてきました。もちろん、体力がないから昼まで寝ていることはできません。だから早朝から起き上がりますが、その後、何もせずにTVの前でぼーっとしているのが妙に幸せに感じるようになってきました。実際には、私のスケジュール表は週末や休みの日から埋まっていきますから、なかなか「まったりとした日曜日」を過ごせませんが、それでもできるだけ1日1行事のみにすることにしています。

そして、今日は、久々の「まったり日曜日」です。次に私のスケジュール表が空いている週末は5月の連休より後です。ぐわあ、考えただけでちょっと凹みます(遊びの予定ばかりなんですが)。

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あなたは糖尿病です!後編

「もともとの体質があるから糖尿病になる」、という話をすると、必ず自分の家系を思い浮かべます。そして、特に糖尿病の親戚が思い浮かばないことで安堵した人が多いはずです。でも、人類がつい数十年前まで大したものも食えずにいつも動き回るしかない生活をしてきたのだということを忘れています。ですから、自分より上の世代を思い浮かべても意味がありません。関係するのは自分の世代か、むしろ子どもさん、お孫さん世代です。日本国民はほとんどみんな糖尿病体質を持っているかもしれないと思っておいた方が無難です。なにしろ、久山町の研究(2008.1.24「トリアス久山」)では、いまや国民の2人に1人以上が糖代謝異常を有しているのです。

さて、糖尿病の話題で、今一番問題になっているのは、実は糖尿病になるかならないかということではありません。ものを食べた直後の血糖が普通よりちょっとだけ高くなる「食後高血糖」が起きているかどうかということです。健診現場でも臨床現場でも、この概念の変化についていっていない医者が少なくありません。実は、動脈硬化の進行は、糖尿病になってからよりもこの「食後だけちょっと血糖が高くなる」という段階に加速度的に進むことがわかってきました。ずっと高い血糖値状態(糖尿病)よりも、高いと低いの差が大きい状態(食後高血糖)の方が血管の壁は傷つき易いのです。そうすると、糖代謝異常の体質を持つ人は、糖尿病になるはるか前から、日頃の食事の摂り方次第で病気を進行させる可能性をもつことになります。もしあなたが「糖尿病予備群です」と云われたことがあるなら、「まだ糖尿病じゃないから大丈夫」などと勘違いしませんように!

厄介なことに、この食後高血糖の有無は、職場の健診ではわかりません。空腹時血糖もヘモグロビンA1c(ここ1~2ヶ月の平均血糖の指標)も正常値のうちから食後血糖は上昇するからです。

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あなたは糖尿病です!前編

健診の世界にいると、自分が当たり前に知っているので、つい皆さんも常識として知っていると思いこんでしまうものがあります。それが意外に一般臨床の先生方も知らなかったりして驚きます。

たまには真面目に病気の話を書きましょう。

メタボリックシンドローム対策と並んで国が重点的に問題視しているのが糖尿病です。糖尿病には、何らかの理由でインスリンを作り出す細胞が完全に壊れてしまった I 型とそれ以外の II 型があります。そして II 型になる要因が2つあります。血糖が上がったときに一緒に出るはずのインスリンが一歩出遅れてしまう体質(インスリン分泌不全)と、出てきたインスリンがきちんと働けなくなった状態(インスリン抵抗性)です。 II 型糖尿病はこのインスリン分泌不全とインスリン抵抗性の2つの要素の組み合わせで発症してきます。

日本人はもともとに分泌不全の体質をもった人が多く、そんな人の生活がちょっとだけ乱れると糖尿病になります。ですから、あまり太っていない糖尿病の人が多いのが特長です。これを順天堂大学の河盛先生は「由緒正しい糖尿病」と称しています。そして最近多くなってきた欧米人のパターン=メタボリックシンドローム系の糖尿病(「由緒正しくない糖尿病」)と区別しています。欧米人の糖尿病の多くは、分泌不全の体質がないにもかかわらず生活の乱れでインスリン抵抗性が著しく増大したために起こりますので、大きな体になってから初めて発症する人が多いのが特長です。

おわかりでしょうか。現代の日本人は、しっかりしたインスリン分泌不全の体質に加えて強烈なインスリン抵抗性を起こす生活をしているのです。ある意味、鬼に金棒です。

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「メタボちゃん」

「メタボちゃん」という言葉が普通に使われる時代になりました。

「○○課の△△係長を知ってる?」「ああ、あのメタボちゃんね!」というオフィスの会話に何ら違和感を感じません。でも、これは明らかに差別用語だと思います。「メタボちゃん」になった彼は、きっと普通の人より怠惰な生活をしたわけではないでしょう。隣りのオヤジさんと同じものを食べ、同じ様に生活していたらそうなったのでしょう。

「生活習慣病」は、元々それになりやすい体質を持っている人に生活習慣の因子が加わって起きるものです。その「なりやすい体質」というのは、云いかえれば「サバイバルの遺伝子」です。飢饉と飢餓の歴史の中でバタバタと倒れていく人々を踏み越えながら生き抜いてきたたくましい遺伝子ですから筋金入りです。何も食べなくても生きていける遺伝子(倹約遺伝子)があるから真面目にエネルギーを溜め込みます。食べなくても血糖値をきちんと上げられるようにインスリンをあまり出さない体質になりました。ナトリウムがないと血圧が保てませんから少量の塩分でも血圧を上げられるように進化しました。

人類の激動の歴史の中で生まれてきた、この「鬼に金棒」のようなまさしく理想だったはずのものが、現代社会では命取りになる爆弾になってしまったわけです。皮肉な事実ですが、とにかく今を生き抜くにはそれを自分の宿命だと思って諦めるしかありません。病気になってもしょうがないと諦めろというのではなく、「食わない方が元気になる体質」だということを認めるしかないということです。うちの家系もまさしくこの貧乏人体質ですから、法事で集まるたびに親戚みんながどんどん膨らんでいきます。そしてみんなでクスリ自慢をしています。

ま、そのうち天変地異がおきたり、どこかで遭難したときに本領発揮してくれるでしょう。

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わたしの主治医

年甲斐もなく、バスケットボールだゴルフだと休日にもじっとしていない私の体は、いつも満身創痍です。基本的に交通事故による頚椎ヘルニア・腰椎ヘルニアの今の状態はあまり良いとはいえないようで、本当はあまり動いちゃいけないらしい(「それじゃあ手術してくれ」と頼みましたが「まだその時期じゃない」と断られました)。ビクビクして生きていても面白くないから専門医の意見を無視して動き回っていますが、さすがに時々整備をしてやらないと持ちません。そんなとき、私は整形外科ではなく、行きつけの整骨院に行きます。

今、通院している整骨院との付き合いはもう3年くらいになります。腰と足の調子がかなり悪くなって動くのも辛かった時期があります。整形外科部長からは「今は安静が基本ですから運動を自粛してください」と云われました。その頃、友人の紹介で初めて整骨院なる未知の領域に行きました。そこは保険が利くのも魅力でした。いわゆる「骨接ぎ」ではなく、ゴキゴキ関節を鳴らす痛い治療でもなく、「ペインシフト法」というその方法はボールペンの先みたいなもので手足の甲を刺激するだけの治療ですが、見事に腰痛と足の筋肉の張りを消してくれました。http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4837610811/250-6756453-0537839?SubscriptionId=1ETH6GFCQ7ZH9T8XAM02

「たぶん、左足の痺れをかばうために右足に常に負担がかかり、巡り巡って体全体を捻らせているので、その腰の痛みは首からきているみたいですよ。」と云い、「大丈夫です。どんどん動いてください。」と付け加えてくれました。

医者である私がこんなこと書いていいのかわかりませんが、整形外科というのは「診断を付けることと、必要なときに手術をすること」だけが仕事だと割り切っています。痛み止めを飲むしか方法がないというのであれば、もっと他にQOL(生活の質)をあげてくれる方法はあります。一度しかない人生なら、動けるうちにもっと楽しみたいものです。

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善玉コレステロールは体に悪い?

コレステロールに善玉と悪玉がある(最近は「超悪玉」も増えています)ことをご存じでしょう。善玉と呼ばれれているHDLコレステロールは、血管壁に溜まった悪玉コレステロールを掃除して動脈硬化を予防してくれるので、多ければ多いほど心血管疾患を起こしにくいと云われています。動脈硬化を抑えるという点ではむしろ悪玉コレステロールよりはるかに重要だという先生もいます。

ところが、先週手元に届いた医学雑誌の中にちょっと気になる報告が載っていました。

腹囲が大きい人、つまりメタボな人は、HDLコレステロールが多すぎると逆に狭心症や心筋梗塞を起こしやすいというのです(Watson KE, UCLA: AHA 2007)。もちろん低すぎても危険。適度でないとダメということです。

また、HDLコレステロールを増加させるある新薬の臨床試験(ILLUMINATE試験)が途中で中止になりました。この薬剤を飲んでHDLコレステロールを増加させたグループの方が心血管系のトラブルを起こす人が多く、がんを含んだ総死亡が有意に多くなったためだそうです。

そんな結果になった理由ははっきりしていません。「HDLコレステロールは動脈硬化を予防できない」と短絡的に云うのは無理があります。ただ、無理矢理に値だけ高めてもあまり意味がないかもしれないことは私にも理解できます。HDLコレステロールは、有酸素運動や質のいいビタミンCを摂ることくらいしか確実に増加させる方法がありません。タバコを吸うほど値を下げます。中性脂肪が多いと値を下げます。イライラするのもいけません。とても道徳的な物質です。日常生活で自分の努力で頑張りましょう、ってことなのかしらと思っています。

ちなみに、私はHDLコレステロールがすごく高値です。フィットネスセンターで運動をするようになってまたさらに跳ね上がりました。で、腹囲は90cmを超えています。てことは、ヤバイんじゃん?

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やせればいいってもんじゃない!

このブログタイトルに選んだ、「やせればいいってもんじゃない!」の本意を書くのを忘れていました。一番短くまとめた、広報誌2007年7月号の記事を転記します。

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     平成20年度から新しい健診(特定健診)が始まろうとしています。国をあげて国民の身体をスリム化させようと、メジャーを持った日本中の保健師さんたちが世のおじさんたちを追いかけ回して「やせろ!やせろ!」と唱えるのです。

     わたしの経験では「やせること」は大して難しいことではありません。ただ、10kgの減量に成功したにも関わらず採血データが全く改善しないかむしろ悪化した人を時々見かけます。アメリカのデータでは減食してダイエットした人の方がしない人より寿命が短くなり病気の率が高くなったという報告がいくつもあります。見た目のシルエットがスリムになっても筋肉が無くなったのでは意味はありませんし、炭水化物を摂らずに細胞が脱水になったり脳細胞が居眠りしたのでは本末転倒です。特にご高齢の方のむやみなダイエットは危ないこともあります。単に体重が減ればいいってもんじゃない。どんなやせ方が良くてどんなやせ方が危険なのか、今回の健診制度の変革は、それを見極める良い機会だと思います。減量の目的が何なのか、それを見失わないようにしたいものです。

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効かないクスリ

頑固な頭痛に悩まされたある女性が脳外科病院を受診しました。CT検査などを受けて特に異常がなかったとのことで、頭痛薬を処方されて帰りました。でも、その後も頭痛が続いて全く改善しません。どこか良い病院を知らないか?という相談を受けました。最近、こういう考え方の流れが多いように思います。

彼女の悩みは、●このまま今のクスリを続けていて問題ないのか?●自分が今どういう状態なのかわからないので不安、という点です。

こんな場合、私は「処方を受けたその脳外科病院をもう一度受診して、『効きません』『どういう病気が考えられるのでしょうか』と云ってください。」と勧めます。

基本的に医者の最初の説明が不十分なのかもしれません。一般に医者はまず一番重篤で危険な病気になってないかを調べます。それに問題なく他に典型的な診断名が付くのでなければ、とりあえず広く効果のありそうなクスリを出します。「様子をみる」というやつです。それだけで半数以上の人は良くなるからです。それでも改善しない人のみ、次のステップに進むことになります。「効かない」ということも医者としては想定の範囲内であるはずです。

もし一回目のクスリで良くなったとしたら、それはもともと大したことがなくて勝手に治ったか、たまたま運良く当たったのか、その程度の意味しかありません。おそらく2回目の受診以降、病名を絞り込みながら次の方策を検討すると思います。質問さえすれば、医者は自分が考えているストラテジー(治療戦略)を話してくれます。面倒でも、2回目までは同じ病院を受診してみることをお勧めします。医者の力は、きっと2回目以降の診療でわかります。

それでも変わらなくて不安だとか、その時の医者の態度が気に入らない、という時こそは、さっさと他の病院に鞍替えしてください。長居も情けも無用です。

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「診察室は不思議な空間」

うちの施設の広報誌に投稿している私のコラムを、時々こっそりご紹介します。今回は2006年1月号のものです。長くてすみません。

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「診察室は不思議な空間(1)」~本当に難解な医者のことば

病院の診察室には俗世間とは一線を画した異質な空気が立ちこめています。中に入るだけで緊張して頭が真っ白になります。私の専門は循環器(心臓病)ですので、外来には心臓のことが気になるさまざまな患者さんがやってきます。

「最近、胸がどぎゃんかあるとです。」

「『どぎゃんか』を、もっと具体的に言ってくれませんか?」

「…動悸のうつこともあるし、…なんさま、きつかっです。」

「『動悸』というのは「ドキドキ」と脈が速くなる感じですか?それとも「ドッキン」と強く打つ感じですか?」「……。」

「『きつい』というのは、「だるい」という意味ですか?それとも「息苦しい」という意味ですか?」「……。」

「それはどれくらい続きますか?」「長くはなかです。しばらくすっと治ります。」「『しばらく』とは、何分くらいですか?」「……。」

まるで尋問のような質問責め、これを「問診」といいます。決して意地悪しているのではありません。医者は問診だけで大方の診断をつけられないと一流とはいえません。心臓病の場合は特に大事です。ですから一言も曖昧にするわけにいかないのです。きびしい面接官の様です。

先日のある朝、運転をしていて急に気分が悪くなり目の前がぼーっとしました。路肩に車を停めてじっとしていたらすぐに良くなりました。「何だったんだろうあれは?」専門医である自分は自分に問診します。「何となくおかしい。胸がどうかあってきつい。」まさしくこれです。この症状を表現するのにこれ以上の日本語はないように思えます。医学書の中にあるどんな用語を探しても、今の状態を表現できることばは他に存在しないように思いますし、他のことばに替えたら、何かが間違っているように思います。日頃の自分の診療風景を思い出しながら一人で苦笑いをしました。

体は、何か普通でない状態が起きたことを、症状として訴えようとします。その表現は時としてきわめて曖昧です。それを一番近い医学用語に置き換えて、体のどの辺りからの訴えなのか探るのが問診です。ですから、簡単におおざっぱな医学用語に当てはめようとせず、患者さんの体と対話する真摯な気持ちを持って細かく聞いてあげる態度こそが、医者として必要であることをいつも痛感します。

さて、尋問の時間が終わって、必要ないくつかの検査を行った後、医者はこう言います。 「特に問題はなさそうですので、様子をみましょう。何かあったらまた来てください。」 ・・・そのことばに安堵して帰路についたあなた。あなたは、この難解なる呪文をきちんと一般のことばに翻訳できましたか。「様子をみる」というのは、何を、誰が、どうすることか?様子をみてどうするのか?いつまでみるのか?「何かあったら」の「何か」とは何なのか?…どうです、答えられますか?

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腹の鳴る音

私が朝食を摂らなくなって2年になります。そのため、毎朝10時頃になると必ず腹がグーと鳴り、この音を聞くと「今日も健康だ」と安心できます。健診受診者の方も食べていませんので診察中に腹を鳴らす人が少なくありません。それに共鳴するように私の腹も呼応しますのでちょっと賑やかになります。「すみません」と恐縮する受診者さんに「いえいえ、元気な証拠ですから」とお答えします。そもそも、この音がちゃんと出ているかどうかを聴診器で聞くのが診察ですから。医者である私はそんなもの当たり前だと思っていますが、会議中やエレベーターなどの静かな場で大きな音がして皆に笑われたことをきっかけに、極度の恐怖症に悩む人もいるようです。どうも躾の段階で、腹鳴は「はしたないこと」「貧乏人みたいでみっともないこと」という、無意味な常識が浸透しすぎているように思います。

先日、「腹が減っているわけでもないのに、急に腹がグーグーなるのですが、何か悪いのでしょうか?」と質問されました。腹鳴は、元気で動きの良い腸管に空気が入って混ざり合った状態で出てくる、いわば空気の通過音です。空気を呑まなければ出にくいですし、水を呑んだら出やすいのも事実です。沢山の溜息をつかなくても、それなりにしゃべっていれば空気はすぐに入ってしまいます。http://www.topics.or.jp/index.html?m1=5&m2=25&bid=11660741364016&cid=1166170786825&vm=1

大部分は、本人が気にしているほど大したものではありませんが、この音に悩まされ、うつ病になっていくケースもありますし、たしかに中にはほったらかしておけない病気(過敏性大腸症候群など)のこともあります。これでかなり精神的に参っている人たちのために、こんな会(腹鳴りで悩む友の会 http://www.haranari.com/what.html)も存在することを初めて知りました。

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褒め上手、聞き上手

うちの病院には、とにかく誰にでも褒め殺しできる部長先生がいます。いつ見ても凄いなあ、と感心します。褒め殺しするためには、まず相手のいうことをしっかり聞き取り、そしてその中に何か良い事を瞬時に見つけ出す能力が必要です。さらに、悪いことがあっても良いことをとにかく強調してあげる技術が要ります。それを自然にできるのがその先生の天分なのでしょう。

保健指導の基本が、この「聞き上手」になることと「褒め上手」になることです。わかっているのですけど、それがとてもむずかしいんです。私の一番苦手とするところです。

同じことを云うとしても、「ここがうまくいってませんね。でも、これができているのは素晴らしいですね。」と云うのと、「これは良くできていますね。でも、ここができていませんよ。」というのでは、全く違うのだと教わりました。

「あんたの言い方は不愉快だ!」と、昨年のある日に受診者さんに云われたことがあります。「あんたに云われんでもそんなことはわかってる。もういい!」とも云われました。ショックでした。それからは、それまで以上に私も言葉を選ぶようになりました。「悪い」を「良くない」と云い、「~すべき」は「検討した方が良い」と云うことにしました。でも、まだまだそれを心から云えているとはいえません。そんな言葉では、抱えている危険の大きさがわからないだろう、と思ってしまうからです。

なかなか悟れません。これからの私の大きな課題です。まだまだ修行の毎日です。

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ロールプレイ

人間ドック健診情報管理指導士(人間ドックアドバイザー)という資格を取りました。今年4月から始まる「特定健診」を前に、実施したあとに行う保健指導のスキルを標準化させるための資格です。

この資格をもらうための研修会で、最後にロールプレイがありました。あらかじめもらっておいた事例に対して、たまたま隣りに座った人と、実際に保健指導を行ってみる演習です。私が受診者役をしました。私に指導するのは関東の某総合病院の保健師さんです。あまり自信がないとは云っていましたが、禁煙指導の講習会にも行ってきたばかりだそうです。

お互いの自己紹介から始まった保健指導は、のらりくらりと攻撃をかわして自己防衛する受診者(私)と、それを聞きながらあの手この手で説得を繰り返す保健師さんとの、まさに日頃現場で繰り広げられているものと同じような攻防になりました。が、徐々に保健師さんがヒートアップし始めました。特に禁煙の話になったら講習会で鍛えてきたであろう説得理論を語り始めました。この頃から受診者である私はほとんど聞き役になりました。そして、「早く終わらないかなあこの話」と完全に聞き流しにかかっていました。そろそろ制限時間だから話をまとめてあげようと、「じゃあ、ちょっとずつやってみようかな」と心にもないことを云って終わりました。

ドッグのように自分からやってくる人は割合行動変容は簡単です。初めから聞く耳をもっていない相手に少しでも耳を傾けてもらえる状態になるかどうかが特定保健指導最大のポイントなのですが、その時の保健師さんの話しぶりをみながら、まるで日頃の自分を見ているような気がしました。自分の姿を客観的に知るためには、ロールプレイってとても良い方法ですね。この研修会で最大の収穫だったかもしれません。

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女は・・・男は・・・

私が、講演の時に良く引用する言葉があります。どなたの言葉だったか忘れましたが、ウイットに富んでいて好きな言葉のひとつです。

女は、「する、する」云いながらなかなかしない。男は、なかなか「する」と云わない。

生活習慣病の是正を考えるときにも、これは面白いほど当を得ているような気がします。

毎日散歩をすると誓いを立てた女性がいます。さて、今日からという日に限って、朝起きてみたら雨が降っていました。翌日はちょっと頭が重くて自粛しました。その翌日はなんとなく寝坊しました。その気はある(?)のに、なかなか始められません。

「週に3回、フィットネスセンターに運動をしにいきます」と宣言した保健師さんがいます。私に出会うたびに、遠くから「今度こそ絶対行きます!」と叫んでいます。まだフィットネスセンターのフロアで見かけたことはありません。

「やめようと思ったらいつでもタバコをやめる自信がある(今はしないけど)。」という人がいます。「運動しようと思ったら続けられる自信がある(今は忙しいけど)。」という人もいます。多分こういう人たちは何もしません。私にも経験があります。「その気になったら絶対出来る」は「その気にならないから絶対出来ない」と云っているのと同じだと思って、間違いありません。

行動変容とは本当に大変なことだと思います。でも、「しません」と言い切っている人よりは前向きなのかもしれません。その気持ちを大事にしたいものです。自他共に、いつかきっとできることを信じましょう。

そして、「必要を感じません」とか「私には無理です」と云い切る人は、たしかに男性に多い気がします。

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軋む非常階段

職場の私の机は1階にあります。そして日頃私が働いているのは主に4階です。職員は職員用のエレベーターで移動できます。「省エネと健康のために階段を使いましょう」の掛け声にしたがって一度トライしてみましたが、2階の途中から息が上がり始めて4階に着いた頃にはヘトヘトになりました。これでは仕事にならないので習慣にできない、と結論つけました。

それを習慣にしてしまったのは昨年3月です。自分の職員健診を前に体重が増えてきたのがきっかけでした。勝手に「エレベーターはお客様と体が不自由な方の移動手段」という定義を打ち立ててみました。そうすると私の使うべき移動手段は階段しかありません。少なくとも小学生や中学生は校舎の3階でも4階でも階段しか使いません。なんで大人が出来まいか!

そういう屁理屈って私とても好きです。基本的にマゾかもしれません。1階から4階まで80段あります。一日5往復をノルマにすると、用がなくても無意味に一旦1階まで降りてくる必要があります。最初は何てバカな誓いを立てたのだろうかと思いましたが、その手段しかないと決めたらどうということなく簡単に慣れました。ただ、一日4往復までは簡単にクリアできますが、最後の1往復がなかなか大変です。夕方に用のない4階診察室に上がって帰ってくることもありました。これもまた、私だけの密かな楽しみです。

ところで、そんな習慣を続けていてちょっと気になることがあります。2階と3階の間で、歩くたびに「カンカンカン」と壁を叩くような音がするところがあります。最初は外で工事をしていると思っていましたが、どうも、階段を踏む振動が壁に伝わった音のようです。欠陥工事?なんてことはないでしょうが、もしかして、基本的にこの階段をこんなに皆が頻回に使うとは想定されていないのじゃないかと思ったりします。非常階段は、常時使っちゃマズイ??

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ウンチが見える人、バラが見える人

「きれいなバラの花が咲いたよ!」

妻はたくさんのバラを丹念に育てています。そんな彼女の弾んだ声が庭から聞こえてきました。その声につられて庭に出てみました。

「なんじゃこらっ!」

私は、うちのワンたちがした大きなウンチが庭の足元にたくさん転がっているのに気づいて悲鳴を上げました。

××という顔をする妻を後目に、私は急いでウンチを拾い始めます。「どうしてこの汚いものを片づけないのだろうか。花どころじゃないだろう。なんでオレがこんなことしなきゃならないんだ?」と不平不満を並べてウンチ処理をしてたら、もう花を眺める気分ではなくなりました。

こんな心境から卒業して、もう何年になるでしょう。

ある時ふと気づきました。彼女には、きれいなバラの花しか見えていないのです。私には、汚いウンチしか見えていないのです。面倒だから処理しないのではなく、彼女はそこにウンチがあってもなくてもバラの価値に変わりがないのです。私はウンチがあるだけでバラの価値がなくなってしまうのです。そう考えたら、物事はとても単純だとわかりました。見えていない人に何を要求しても意味がありません。ウンチは、見えていて気になる人が処理すれば良いことです。ウンチがすっかりなくなったら、私の目にも庭に咲いたきれいなバラの花がしっかり見えてきます。そうすれば、二人とも気分良く同じ「きれい」を共感できます。自分が気分良くなるために、自分が気になるものを処理してしまえば良いだけのことだと悟りました。

うちの妻はいつも前向きです。良いものばかりを見る目を持っています。ついつい悪い面ばかり見つけていく私には到底真似できない、うらやましい性格です。私は掃除が好きです。整理してきれいになるのが好きです。妻はクリエイターとして、きれいなものを作りだすのが好きです。ただ、それだけの違いです。

現実にあるものは一つです。でも、みんなが自分と同じように見えているとは限りません。むしろそんなことほとんどないでしょう。たとえ見えていても同じ様に感じるとは限りません。「信じられん!」と周りの人たちの行動にイライラしている人たちがいたら、そんな目で、自分の価値観を再確認してみてはいかがでしょうか?

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打診は3回?

「打診は、なぜ『トントントンッ』『トントントンッ』と3回ずつに分けるのか知っていますか?」

学生時代の診断学の講義で、高月清教授が皆に質問しました。高月先生は、古くは「高月病」、そして「成人T細胞性白血病」を発見したことで世界的に有名な先生です。

医学部では、病気の講義の他、医者として行うべきスキルの習得をするための演習をします。聴診や打診は内科診療の基本です。私にはほとんど無理ですが、昔は聴診だけで心臓弁膜症の種類と程度を察したものです(今となっては間違いも多かったんだとは思いますが)。でも、最近は、お腹を打診すると「それ、十何年ぶりかでしてもらいました」と云う受診者さんが多くなりました。エコーや採血が簡単にできるようになり、消化器内科を専門とする医者ですら、外来で聴打診をしない先生が増えたと聞きます。打診は、皮膚の向こう側が中空になっているか充実したものが詰まっているかで音が変わることを利用して、肝臓の位置や大きさ、心臓の大きさ、腸の状態などを察する方法です。もちろん、医者は全員、スイカを叩くようなきれいな音を出すことくらいは簡単にできます。

さて、診察で打診するときに医者が叩くのが、『トントントンッ』『トントントンッ』と3回ずつなのは、なぜでしょうか?

高月先生曰く、「調子(リズム)が良いからです!」

固定概念なんてそんなもんだということを、このときに教わりました。現在、私は普通に1回とか2回とか4回とか叩いています。ちょっと痛快です。

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深呼吸

診察のために椅子に対座します。

聴診器を当てると、老若男女を問わず、条件反射のように大きく深呼吸を始める人が少なくありません。「いいですよ」と云うまで延々と続けてくれます。私の友人も、「診察時の深呼吸のしかたが上手いと先生に褒められたことがある」と云っていました。人によっては、良い頃合いに反対向き(背中向き)に座り直そうとしてくれることもあります。

一体、いつ、誰が、こんなことを教育したのでしょうか?子どもの頃、学校の集団健診で怖い校医の先生に診てもらうために並んで順番待ちした時の記憶が最初でしょうか。あるいは、風邪をひく度に行く近所の内科医院で、緊張しながら先生の指示を先取りするようになったのがきっかけでしょうか。良い意味でも悪い意味でも、日本人は子どもの頃からよく教育されているなあ、と感心させられます。青年期、中年期にやらなくなり、そして老年期になるとまた大きな深呼吸を始めてくれます。これは行きつけの先生のご指導でしょうか。

ただ、私の専門は循環器内科です。聴診器で、もちろん肺の音も聞きますが、基本的にはまず心臓の音を聞くのが習慣です。ところが、深呼吸されると肺に入る音が大きすぎて、心臓の音が聞こえにくくなったり、弁膜症や先天性の病気の発見につながる心臓の雑音がわからなくなってしまいます。だから、一生懸命深呼吸しているのに申し訳ないのですが、あえて「息を止めてください」と頼まなければなりません。

できたら、聴診器=深呼吸のすり込み反射は、行きつけの家庭医の先生の前だけにしておいた方がいいかもしれません。

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