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以心伝心

「行間を読む」とか「一を聞いて十を知る」とかいう、日本の武士道に通じるこのような考え方が日本では昔から美徳とされてきました。直接云うと角が立つ。野暮なことをせず、ちょっとほのめかせば相手はちゃんとわかってくれる(はず)。これだけ伝えておけばその先は云わなくてもわかっている(はず)。

でも、この「一を聞いて十を知る」は、下手をすればただの独りよがりの思いこみです。先日宴の席である部長と話していました。私がある意見を云い始めた途端に、「先生の思いはちゃんとわかっていますよ。でもね・・・」急に話を取り上げて彼は持論を展開し始めました。さすがの私もこの時にはプチンと切れて席を立ってしまいました。私の少ない経験では、他人の話を最後まで聞かないで「もう解った」と取り上げてしまう人の多くは思いこみタイプで、油断していると全く違う意見として理解されてしまう危険がある人たちです。

以前、期限付きで出向した際、相手の病院がなかなか後任医師を探してくれないので、私の上司に相談したことがありました。彼は「無骨なことを云って気分を害してもいかん。相手はおとななんだから大丈夫だよ」と云いましたが、相手の病院長は「催促がないからもうしばらく甘んじておいても大丈夫なんだと思った」と後で語ってくれました。

現実はきっといつもそんなもんです。くどくてもいいのでとにかく自分の思っていることはきちんと最後まで語らないと、わかってはもらえないと思った方が無難だと思います。それが無骨でも下品でも、オブラートで包まれた商品が全く違うところに送られるよりは良い。その方がずっと以心伝心の関係が生れると思います。

「皆は語らない。語らなくてもわかるだろう」という生き方だけはできるだけ避けていきたいと思っています。こうやってまたまた煙たい存在になっていくのかもしれませんが。。。

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