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食物連鎖

学生時代に「食物連鎖」という自然界の常識を教わりました。「生産者」とか「消費者」とか「分解者」とかいう用語はもう忘れましたが、植物や木の実を虫や小動物が食べ、それを鳥や肉食動物が食べ、それをさらに大きな動物や人間が食べ、その排泄物を微生物が分解して植物の養分になり、そうやってサイクルが出来ることで自然はできあがっているのだという「常識」です。でも、今の世の中、この食物連鎖が成立していないことが「常識」になりました。鎖を切ったのはもちろん人間です。排泄物を自然界に帰すのを「不潔」といい、さらに自然のものを食べなくても代替品(まがい物)が同じものだと云う。食べさせていただいているという心もなくなりました。連鎖がなくなったときに自然界の法則が崩れ去っていくといういとも簡単な常識に皆が気付くのは、どの程度地球が傾いたときなんでしょうか。私はもうそんなに長生きしませんからいいですけど・・・。

鎌田實「あきらめない」シリーズをもう少し続けます。

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「ミジンコと暮らすと、生命のことが透けて見えてくる」「人間が生きていけるのは、他の生きものたちのおかげ。人間は他の命を食べて生きている。最近、この仕組みが見えなくなりだしている。だから、死んでくれる命に心が痛まないのです」。(「命が透けて見える」から坂田明(サックス奏者)のコメント)

アイヌの人々は鮭を神の魚(カムイ・チェップ)と呼んでいた。(中略)海の栄養を運んでくれる不思議な魚だ。人間を潤すだけでなく、森を潤していた。一頭の熊が七百匹の鮭を森に運び、その食べ残しがリスや鹿の餌になり、そのカスが森の樹々の栄養になっていた。(「余命三ヶ月を生きる・神の魚」から転載)

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