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区切りのある恐怖、区切りのない不安

今でも、がん告知は大きな問題です。昔に比べれば積極的告知の風潮は強くなった(うちの病院は原則として全員告知の方針です)のでしょうが、自分の運命を自分自身で整理することの不得意な日本人には、なかなか受け入れにくいものがあります。うちの妻は「がんと分かっても知らせないでほしいし、お母さんががんになっても教えてほしくない」と云い続けています。

進行がんが初めて発見されたら「余命3ヶ月、長くて6ヶ月」などという区切られた運命を予言されます。きっとさほど細かい計算の元で発せられた人生リミットの数値ではないでしょう。でも、区切りをつけられたときから恐怖感や絶望感の波は何度も何度も吹き出してくるのです。自分の人生に後悔を残さないように自らやりたい整理をしてもらいたいから告知があるのだと思いますが、人生はいつか必ず終わりを迎える、それがちょっと早くなるだけさ、とうそぶいてみても、リミットの日が徐々に近づいてくる恐怖感に自分だったら堪えられるだろうか、と考えることがあります。

では、告知をうけなければどうか。徐々に病状が悪化する中で、自分の病気は悪いものではないか?と疑心暗鬼になり、一体いつまでこんな苦しみを味わわなければならないのかという不安感は大きくなるばかりです。身体の辛さ以上に周りのだれもが信じられない心の辛さに自分は耐えられるだろうか?

いつかはやってくるピリオドの瞬間が、いつなのか分かってしまう恐怖と、いつまで続くか分からない不安と、自分はどっちがいいだろうか?

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