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せっかく・・・

同じ病気で、同じ専門チームの検査と治療を受けたとしても、その人の運命が同じとは限りません。クリニカルパスという流れ作業にきちんと乗って順調に退院できても、必ずしも退院後の生活が同じとは限りません。どんな治療を受けたかということよりも、治療を受けた後にどんな生活ができたかの方がはるかに重要なのに、クリニカルパスは個別のその部分にはほとんど関与していないのだということを忘れてはいけません。若い女医さんが「これでは意味がない」と云った主治医の存在意義は、本当は一番大きいのだと思います。退院の時点で、各々のユニークな生活環境に入り込んでどこまで助言と注意を与えてあげられるか、それは主治医にしかできない最大の見せ所なのに、とても軽視されている気がします。スキルの優秀な「名医」という治療屋さんは多いかもしれないけれど、○○さんの人生が自分の助言にかかっているのだという自負をもっている医者が少なくなっている気がしてなりません。

昔、ある町立病院に勤務しました。とても坂の多い町でした。患者さんの中には、うちの病院で専門の医療を受け、「急死に一生を得た」患者さんがたくさんいます。大きな手術を受け、せっかく元気になって退院してきたというのに、家に帰ってもじっとして動かない人ばかりいました。「せっかく治療したのだから、もっと動きましょうよ。」と云っても「怖くて動けない」と云います。家の前にある30mほどの坂道を上がってもいいのか、家の狭い階段は登ってもいいのか、車の運転ができないが街のスーパーまで食品を買いにいってもいいのか、セックスは普通にしていいのか、細かい注意点はきちんと教わっていませんでした。こんな人生を送るのなら最先端医療を受けた意味はないじゃないか!と愕然としました。彼らに、「私が責任取るから次はここまでやってきてごらん」と宿題を出しながら無理やり動いてもらった経験を思い出します。

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