「もったいないおばけ」
職場の広報誌コラムからの抜粋です。今回は、2005年10月号です。長いです。
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「もったいないおばけ」
ノーベル平和賞を受賞したケニア副環境相のワンガリ・マータイ氏が、日本には限られた資源を有効活用するという意味の「もったいない」という言葉があると聞いて深く感銘を受けたそうで、それをきっかけに「MOTTAINAI」運動というエコロジー活動が全国に広がっているのをご存じですか。「もったいない」…たしかに日本人には馴染みの言葉です。食べ残したら「もったいない」、まだ使えるのに「もったいない」、そんな物を買うのは「もったいない」…。「もったいない」の「もったい(勿体)」とは、もともとは「物体」=物の形・物の本来あるべき姿、それから転じて、重要な部分・本質的なものという意味なのだそうです。つまり、「勿体ない」は、「本来あるべきものがない」が語源です。
「そんなことしていると、『もったいないおばけ』が出るよ!」ばあちゃん子の私は、もちろん子供の頃からそう教わりました。お百姓さんが汗水たらしてせっせとこしらえたお米だから一粒でも粗末にできないと、今でも弁当箱の蓋についたご飯粒を残さずに食べる方はたくさんいるはずです。それが日本人の常識であり美徳です。ところがこんな日本人の誇るべき常識が、こと現代社会の生活習慣病では見事にアダになっています。「食べ過ぎなので腹八分目にしなさい」と言われても、残すことへの罪悪感がそれを邪魔します。私たちは残す教育を受けてきていないのです。多くの日本人の心の中に、子供の頃から「もったいないおばけ」がしっかり棲んでいます。中流家庭にあこがれていたうちの父は、注文した料理を残す贅沢こそがスティタスだと主張しましたが、祖母はそんなことを許してはくれませんでした。私の中の「もったいないおばけ」は超一流で、出された物を残すなど一度もしたことがありません。私の豊富な脂肪細胞は、こうやって長い歴史をもって作られてきました。実は、「もったいないおばけ」は心の中だけにいるのではありません。人体を作る細胞の一つ一つの中にDNAとして入り込んでいます。これがいわゆる「倹約遺伝子」です。日本人のような農耕民族は常に飢餓と戦ってきました。少ないエネルギーでもちゃんと生きていけるように無駄なく有効活用できる機能を細胞の隅々までに施しています。食べられなくても生きていける、そんなたくましい遺伝子は、もったいないから少しでも余ったら貯めておく、疎ましいばかりの貧乏性な遺伝子でもあります。この倹約遺伝子を持つ人が、日本人は欧米人よりはるかに多いのだそうです。
私たちは、心とからだの両方に「もったいないおばけ」を棲ませています。自然・社会・先祖への畏敬の思いを培い、生命維持のための奥深い智慧を持つ守り神です。どうもこれと戦っても勝ち目はありません。「残すのがもったいないからつい食べてしまう」という言い訳に似た奢りを、「残すのがもったいないから少ししか作らない」と改めるしかないのだと悟らねばなりますまい。きっとそれこそが人間の本来の有り様=勿体なのでしょうから。ただ、これが、なかなかむずかしい…。
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