« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008年5月

おやつと間食

今回も、職場の広報誌寄稿コラムの転載です。2006年7月号です。

************************

おやつと間食

いまやダイエットの最大の敵とみなされている「間食」。「これに手を出さなければやせられるのに、今日もまた誘惑に負けてしまったダメな私」なんて、溜め息がどこかから聞こえてきます。間食の否定は健康のための前提条件らしく、学会では間食を摂らせない方法ばかりが議論されています。でも人間の欲求の中で最も基本で大事なものが食欲です。だから「食べる」行為で煩悩と戦わせられるのはとてもつらく、たとえ学会でカロリー制限と寿命に正の相関関係があると発表されても、食べ過ぎない人ほど健康が維持されているというデータを有名な学者が示そうとも、目の前の魅惑の誘いの前ではほとんど無力です。

インターネットを検索すると、「間食=おやつ」と出てきます。昔の農村で、夜明けと同時に起き出て野良仕事をし、遅い朝飯をとった後は夕食まで食事がないので、小腹の空いた八つ時(午後2~4時頃)にうどんやおにぎりなどでエネルギー補給をしたのがおやつの語源です。間食は栄養補給の意味合いが強いので、当時はおやつも間食のひとつだったのでしょうが、全く動かず腹が減らなくても朝昼晩たっぷり食べるようになった現代人には、これ以上の栄養補給は必要ありません。だから「おやつ」は小休止=コーヒーブレイクだと考えるべきでしょう。ずっとパソコンの前に座りっぱなしだったり何時間も会議が続いている人たちにとって、「ちょっとお茶しない?」のお誘いタイムは本当にありがたいものです。糖分補給が脳の疲れを癒してくれますし、世間話(グチ?)をするだけで心のリフレッシュもできます。せっかくのおやつタイムですから、食べることに熱中しすぎず、皆さんと「時間」を楽しんでもらいたいと思います。

栄養補給が重要だと言われている子供たちにとってさえ現代のおやつはただの脂肪蓄積にしかなっていません。おやつの人気一番はダントツでスナック菓子だそうですが、スーパーでカゴ一杯にスナック菓子を投げ込んでいる親子を見つけるにつけ、お母さんがあの子の人生を潰しているんだよなあ、と溜め息を漏らしてしまうのは職業病でしょうか。健康を考慮した菓子もたくさん出まわっていますが、健康に留意し過ぎたお菓子はおやつとしては全く魅力がありません。あのカロリーリッチ・脂肪たっぷりな媚薬のような味と香りだからこそ理性を失ってむさぼり食うのです。もし彼が我慢して一袋だけを選んでカゴに入れることができたなら、わたしは拍手を送ります。今の子供たちにとっての「おやつ」のあるべき役割は、栄養補給ではなくてお母さんとのコミュニケーションでしょう。「ただいまぁ!おなか空いた!今日のおやつは何?」「今日は学校楽しかった?」・・・手作りのおやつで出迎えなさいとはいいませんが、せめて今でもこんな会話をおやつの時間にお子さんとできていますか。

なかなか筆が進まないので、仕事場を抜け出して、某所でコーヒー飲みながらリフレッシュ休憩してきました。ついつい1時間も油を売ってしまったことは内緒にしておきましょう。

| | コメント (2)

三浦雄一郎さんの挑戦

冒険家の三浦雄一郎さん(75)が5月26日にエベレスト登頂に成功したというニュースを読みました。残念ながら前日に76歳のネパール人が登頂したために最高齢登頂記録更新はならなかったそうですが、70歳の時にも一度登頂していますので、自己記録を5歳更新しました。

数年前に、抗加齢医学会の市民公開講座を聞きに東京の池袋まで行ったことがあります。そのときに三浦さんの生のお話を聞きました。講演活動に忙しくていつの間にか超メタボになっていた身体を、もう一度登山できる身体に戻すためにどんなに苦労したかを話してくれました。最初は近くの山歩きでも息が上がったそうです。お父様と息子さん揃っての冒険家一家のその中心として名を馳せた三浦さんですので、本当に情けなかったと思います。ただ、その後にエベレスト再挑戦を目標に立ててからの日常はやはりさすがにプロです。プロとアマチュアの差は、単に身体能力の差だけではなく、高いモチベーションを持ったときの意志の強さと精神的な瞬発力にあるのではないかと感じました。

俳優さんにしても政治家にしても、傍から見て「歳をとったなあ」と感じる人たちがいます。でも、彼らもひとたび高いモチベーションを持ち始めた途端に別人のスーパーマンになります。逆に、表舞台から引いたら途端にしぼなえて、どこぞの爺ちゃんかわからなくなったりします。プロスポーツ選手も然り。

ついつい、「ま、いいか」と諦めがちになっている昨今のわたしに、どなたか意志力を高める極意なんぞを教えていただきたい!

| | コメント (0)

ミイラ取りがミイラになる

7年前、わたしが循環器内科の救急臨床の現場から健診の世界に移ったとき、わたしには絶対伝えたいと思っていたことがありました。「生活習慣病に対して、世間の皆さんがあまりに数字に一喜一憂しすぎている。人間の身体はそんな柔なものではない。ちょっとコレステロールが高くてもそう簡単には心筋梗塞にはならないし、ちょっと血圧が高くても脳卒中になる人はそう多くない。むしろ検査値に囚われすぎてしまって人生をつまらないモノにしないでもらいたい!」ということです。「健診の結果に対して保健師さんが毎年厳しい批判をするので頑張りました!」というある女性が、検査データは素晴らしいのに表情がちっとも楽しそうでなく萎れていました。これでは本末転倒ではないか!それを伝えたかったのです。

ところが、健診の現場にきて、自分が知らなかった臨床データが沢山存在することを知りました。世は自分が思っていたほど甘くない方向に一直線に向かっていることも知りました。たしかに数字に惑わされすぎている人は少なくないですが、本当はもっと気にしてほしいのにほったらかしている人がはるかに多いことも知りました。

健診医になって1年がたったときに、順天堂大学の河盛教授が監修した研修会に参加しました。「生活習慣病放置病!」・・・せっかく健診で病気を見つけておきながらそのまま放置していたために、病気が悪化してからしか私たちの元にはやってこないんです。私たちがどんなに悔しい思いをしているかわかりますか?この状態を作ったのは、あなた方の責任ですよ!・・・彼は我々に熱く語りかけました。臨床現場の代弁をしたくて健診にきたのに、現実には見事に自分の甘さを思い知らされました。

いつの間にか健診センターで一番口うるさい医者になってしまいました。

| | コメント (0)

前向きに生きる

職場のスタッフルームにずっと置かれている小さな青色の文庫本。いつも弁当を食べながらぼーっと眺めていました。「前向きに生きる」という題名と「弱気になってはだめです」という帯の文字が目に入ってきます。昨日、何となくそれを手に取ってみました。

「前向きに生きる」早崎和也著(1999年5月発行・熊日新書)。

あ!わたしの恩師(http://satoritorinita.cocolog-nifty.com/satoritorinita/2008/02/post_46ca.html 2008.2.18)の本だ!冒頭にある※「別れの言葉」は、葬儀の日に流された肉声テープを起こしたものでした。彼の告別式に参列した人以外には想像ができないかもしれません。病気の宣告を受けた数日後に、頭がしっかりしているうちにと自ら録音テープに吹き込んだ、自分の将来の葬儀参列者に宛てたメッセージです。その後は壮絶な腫瘍との闘いでしたが、その合間に日記のように綴られた「生きる」ことへの思いが切々と収められている本です。帯に書かれている通り、「自らの死に直面した時、著者は何を考え、どんな行動をとったのか。」・・・ロマンチストであり人生の美学を貫いた恩師らしく、本当に冷静に淡々と書かれています。

調べてみたら、残念ながらどこの書店も絶版扱いになっていました。もしご縁がありましたら読んでみてください。ところで、どうしてわたしはこの本に今再会したのでしょうか?誰がここに置いたのかも知りません。きっとここのスタッフの多くが著者のことを直接知らないはずです。わたしに再会させるためにここにあったのかもしれません。久しぶりに再読してみましょうか。

※「別れの言葉」(http://www.geocities.co.jp/HeartLand/2989/yourlife.html):あるドクターのHPにこんなページをみつけました。誤字脱字ばかりなのが残念です。かなり急いでいたのか、あるいは書き写しながら涙してしまったのか・・・。

| | コメント (0)

そうめん

「そうめん(乾麺)一把には塩分が2.8g含まれています。」

先日、健診センターの栄養教室で勉強していたとき(高血圧治療中の身ですので自分でもしっかり勉強しなきゃ)、管理栄養士の先生からこんなショッキングな事実を知らされました。大きな梅干しでも塩分は2gです。1日の摂取塩分10g以下、わたしのような高血圧者は5g~7g以下が推奨摂取塩分量ですから、そうめんを1人前食っただけでもうその日は何も食えなくなるかもしれんてことですか!?

もちろん茹でる作業で大部分の塩分は出ていってくれます。しっかり水切りして食べるとかなり違うはずです(それをわざわざ辛目のつゆにたっぷり浸けたんじゃあ本末転倒でしょうけど)。でも、この数字はかなり意外でしょう。塩分制限というと、すぐに塩や醤油を思い浮かべますが、日本人の塩分摂取の主体は加工製品だそうです。ハム・ソーセージ、ちくわ・かまぼこ・チーズなども含有量の多い食材です。それにまたわざわざ醤油をかけたりする人もいます。わたしの日々の生活を棚に上げて申し訳ありませんが、くれぐれもご注意ください。

ところで、そうめんを食べるときにつゆに生姜を入れます。なぜでしょう?実は生姜に利尿作用があるからです。摂取した塩分をできるだけ早く体外に出す効果があります。昔の人はそういう生活の知恵を普通に知っていたんですね。

| | コメント (0)

酒と死亡リスク

飲酒習慣と死亡リスクの関連についての疫学論文がアメリカから出ました( Alcoholism:Clinical and Experimental Research 2008;32) 。これまでの報告と違い、週1回7杯の酒を飲む人と毎日1杯ずつ飲む人をきちんと区別して検討した点が論文の売りらしいです。

「1回に飲む酒の量が多いほど心血管系の病気による死亡率が高くなり、また男性のがん死亡率と女性の全死亡率が高くなる」そうですが、その一方で「飲酒頻度が多い人の方が、たまにしか飲まない人より心血管系の病気で死ぬ率が20%も低かった」というおもしろい結果もでていました。もちろん、「適量の酒は身体にいい」ということを裏付けている話であって、私のように「毎日のように大量に飲む」酒は論外だということは分かっています。

先日、「夕食と晩酌を済ませた後に、『もう夕飯を食ったっけ?』とわたしが2度も続けて尋ねた!」と妻が心配していました。たしかに、酒が痴呆を助長するというデータはよく見かけます。また、痴呆に動脈硬化の因子も十分影響していることは容易に推測できます。100%毒物のタバコに比べれば、まだ擁護される要素を持っている酒ですが、結局「適量」は生殺し(http://satoritorinita.cocolog-nifty.com/satoritorinita/2008/02/post_2da6.html)ですから、たとえ「百薬の長」だと云われても、毎日少量飲む方が長生きすると云われても、やっぱり飲まないなら飲まなくてもいいものなんだと云いきっていい気がします。酒だけ特別扱いする意味はたぶん何もないのだと思います。・・・やはり書きたくない事実なのでどうも切れ味が悪い。

| | コメント (0)

ニワトリのえさ

「毎日毎日、ニワトリのえさしか食いよらんので、力が入りませんよ。」・・・心不全と脂質異常症のため奥さんに食事の厳重管理されていたある男性が、外来で不満気にそう嘆いたことがあります。つい先日も、法事のお説教で、「私はちょっと軽い糖尿の気が出てきて、ニワトリのえさみたいなものだけ食べなさい、と云われました。でも、ニワトリのえさだけで生活するのは当然無理でしょう。」とご隠元さん(和尚さん)が語りました。

彼らが「ニワトリのえさ」といっているのは、刻んだ青野菜やダイコン・ニンジンなどの精進料理ばかりで、肉や揚げ物のひとつも食べさせてもらえない食事の事を指しているようです。それなら最近の我が家の夕飯のおかずはいつもそんなモノです。ボールにたっぷり入った野菜と煮物か冷や奴が基本で、時々焼き魚や煮干しがつきます。それで何か問題でもあります?料理が大好きな妻に料理の腕を奮わせないのは申し訳ないと思いますが、最近は彼女も慣れてきたようで、肉料理や揚げ物料理はすっかり姿を消しました。

「ニワトリのえさ」の何が悪いの?と思います。古来からのニワトリのえさには野菜だけでなく殻になるためのカルシウムもたっぷり入っています。草食動物の理想食じゃないか?と思います。もっとも、最近のニワトリは化学飼料という名の人工の毒物で管理されていますし柔らかくて脂身たっぷりな肉になるように調整されているようですので、極端に抵抗力が落ちてしまってトリインフルエンザなどというチンピラウイルスに簡単に負けてしまうようになってしまいました。毒を盛られて弱い身体にされ、それで仲間が感染したら皆殺しにされるなんて、なんとかわいそうなことでしょう。そういう意味では、人間の世界でもそんな「ニワトリのえさ」にどっぷり侵されてきていることを、しっかり憂慮しなければなりません。

| | コメント (2)

やっかいな判定

心電図所見が明らかに異常の人がいました。心筋肥大、特に「肥大型心筋症」という特殊な病気の存在を強く疑う波形です。毎年同様の所見で「要精密検査」と指示を出していますが受けていない様子なので、やむを得ず今年も同じ判定をしました。実は20年くらい前に専門医で精密検査を受けて「問題ない」と云われたから、という理由で指示を無視している様なのです。

心臓の筋肉は肥大する必要があるときだけ肥大します。例えば高血圧や高度肥満など、あるいはトップアスリートの心臓(いわゆる「スポーツ心臓」)もその類です。唯一心筋細胞が理由もなく肥大するのが肥大型心筋症です。肥大型心筋症が問題なのは命に関わる重症不整脈が突然出現することがあるのと将来心不全になっていく可能性があることくらいです。生活にほとんど制限は要りませんが、時々定期的に心臓エコー検査で肥大の進行がないか確認したり運動負荷検査やホルター検査で危険な不整脈が出ないか確認したりします。心電図は、心臓細胞の微細な電気信号を見ているので、心臓エコー(見た目)に異常が出始めるもっと前から変化を始めます。心電図に異常所見がでて精密検査に行っても問題がなく、その数年後から変化が出始めることは珍しくありません。

さて、この受診者さんです。是非、今の心臓の状態を確認するために専門医の元に行ってほしい。でも、ここ5年以上心電図は変化していませんので、彼を一生懸命説得して病院に行ってもらって、高い医療費を払って検査しても、たぶん内服治療の対象ではないでしょうし、生活制限も指示されないでしょう。でも、突然死する危険性がある以上、健診の心電図を「経過観察でよい」とは判定できないのです。

外来で、そんなことまで話しておいてもらえると、こんなに悩まなくて良いのですけれど。

| | コメント (0)

捨てられる人(続編)

特定健診(メタボ健診)が始まって2ヶ月になります。新しい流れに沿って否応ない振り分け作業が行われ、現場でも少しずつ慣れてきているところです。結果の説明をしていると、今こそしっかり生活指導を受けるといいと思われるのに残念ながら基準の穴から見事に転げ落ちて「捨てられる人」(2008.4.20 http://satoritorinita.cocolog-nifty.com/satoritorinita/2008/04/post_4eb9.html )が、他にもいることが分かってきました。

たとえば血糖です。空腹時血糖(≧100mg/dl)またはHbA1c(≧5.2%)で評価しますが、「両方とも測定した時には空腹時血糖で評価する」という決め事があります。ところが、空腹時血糖が正常の人の中に見事な食後高血糖(境界型糖尿病)パターンを示す人がいることはザラです。先日、腹囲が100cm以上あってかつHbA1c=5.8%なのに、空腹時血糖=98mg/dlのために「情報提供レベル」と判定された人がいたのには愕然としました。

また、肥満、高血圧、高中性脂肪血症、高血糖の全てがそろったある男性(喫煙習慣もあり、もちろん腹囲85cm以上)の説明をしました。残念ながら彼は35歳でしたので、全くもってメタボ健診の対象(40歳から)外なのです。この人の方が、70歳のメタボの人よりはるかに重要なのでしょうが、あと5年しっかり熟成されるまで待て!となっています。

予算の存在する決め事ですので、その基準に文句を云いませんが、せめて保健支援をする側は杓子定規な決め事に固執しないでいただきたい。こういう「重症だけど国は面倒見てあげないから自分で何とかしなさい」と云われている人にこそ、保健師さんはしっかりとこの重要性を伝えてあげてほしいと思います。

| | コメント (0)

哲学者たち

昨日、ある知的障害者施設の定期健診に行きました。昨日は特に「重度障害」の方が多く来ました。わたしは縁あってこの施設の健診に毎年行かせてもらっています。さすがに「重度障害」なので入所者の歴史も古く、受ける側もする側もかなり慣れてきた印象があります。

約20人の入所者の皆さんが一斉にホールに集まってきました。初めてのスタッフはその異様な雰囲気にギョッとしたことでしょう。ニコニコしている顔、怒っている顔、無表情の顔、泣きながら騒いでいる顔・・・わたしは、いつもと同じ顔(相手がわたしのことを覚えているかどうかは知りませんが)の彼らを見るとホッとします。「今年も全然変わってないなあ」とつい呟いてしまいました。彼らに初めて出会ったのは5、6年も前のことです。彼らは歳を取らないのでしょうか?

哲学者のような顔をして一人でブツブツ念仏を唱えたり、ニコニコしながらホールを走り回ったりしている彼らの頭の中にはどんな世界があるのだろう?毎年彼らに会い、彼らと話し、引っ張り引っ張られしながら、彼らの頭(心)の中の世界にほんの一瞬でもいいからわたしを引き入れてもらいたいと思いますが、いつも素通りされます。だから、彼らと毎日付き合っている引率の先生方につい嫉妬の感情を持ってしまいます。

赤いTシャツを着た一人の青年が静かに採血を受けていました。なかなか血管が見つからず何度も刺されましたが、じっと座っていました。ようやく終わって席を立つとき、彼はおもむろに駆血帯を手にとってそっとキスをしました。「かっこいいなあ」と思ってつい微笑んでしまいました。「先生、今日はずっとニコニコしてませんか?」とスタッフの一人に云われました。「うん。だって楽しいじゃない!」

| | コメント (0)

枯死卵

わたしたち夫婦は子どもを授かりませんでした。

妻は生理不順が強く、東京に住んだころから不妊治療を始めました。ホルモン剤を服用するたびにゲーゲー吐きました。壮絶な日々でしたがわたしには何もできませんでした。九州に帰ってきて、ある地方の病院に赴任しているとき、妊娠が確認されました。二人で大喜びしました。彼女は定期的に熊本の病院に検診に行きました。一番幸せな時でした。でも、行くたびにエコー検査を受けましたが、いつまでたっても胎嚢だけしか見えませんでした。わたしたちの赤ちゃんは、結局最後までわたしたちの前に姿をみせないままでした。いつまでも母体の中に残しておくのは危険だと主治医に云われ、わたしたちは人工的に出してもらう決心をしました。わたしはこのとき初めて「枯死卵」という言葉を知りました。「枯れて死んだ卵」・・・とても無機質で冷たい言葉だと思いました。まだ生き物として認められない「モノ」だという意味だと感じました。彼女の手術には彼女の母が付き添ってくれました。退院した日、暗くした部屋の中で二人で肩を抱き合って声を出して泣きました。

その数年後、また妊娠反応が出ました。今度はエコーにちゃんと映るまで皆に云わないでおこう、と決めました。受診するたびに二人してヒヤヒヤしましたが、順調に経過しました。「そろそろ見えた?」「何か、らしいものくらいだって。」その繰り返しの中で、一番心配していた事態が起きました。ある日急にお腹を痛めはじめた彼女は、流産を宣告されました。またしてもわたしたちの赤ちゃんはお腹の中に誕生した姿すら見せてはくれませんでした。

わたしには、無の中から命の点が生まれるということがとてつもなく奇跡に近い現象だと思わずにはいられません。二度目の流産の時には二人に涙はありませんでした。何かしらの覚悟をしていたからかもしれません。

| | コメント (0)

カギをかけるか開けるか

わたしの両親は教師でした。世話をしてくれていた祖母が寝込むようになって叔母の家に移ってから、わたしはずっとカギっ子でした。わたしには4つ違いの姉がいます。彼女の帰りが遅いときなどは一人で留守番をすることになります。学校から帰って一人で留守番をするとき、わたしと姉は全く逆の行動をとります。

恐がりのわたしは、とにかく家中のカギをかけて回ります。知らないところから泥棒が入ってきたら怖いからです。家中の部屋のドアも閉めてしまいます。そして、一番端にある自分の部屋に籠もって遊びます。トイレに行く以外はできるだけその部屋からも出ないようにします。でも姉は、まず家の中の主だったカギを全部開けて回ります。大きな窓のカギも開けます。「そんなことしたら怖いやん。泥棒が入ったらどうするの?」とわたしが非難すると、即座に云い返されました。「泥棒はカギを壊してでも入ってくる。もし泥棒が入ってきたときに、あわててカギを開けようとしても間に合わなくて逃げられないじゃない?泥棒がどこから入ってきてもすぐに逃げられるように開けておくのよ。」と。

不思議と「そんな屁理屈を云って!」とは思いませんでした。うちの姉の云っていることは正解かもしれない、と感心して納得しそうになりましたが、わたしには到底できないことですからその後もカギはかけています。ただ、全く同じ事に対しても発想の仕方には真逆の考え方が存在することを子どもながらに知りました。どっちも、貧乏性の取り越し苦労であろうことには変わりはありませんが。

| | コメント (2)

母がくれたもの

「手遅れの胃がんになる人は検診を受けない人だ。だから自業自得だ!」

学生実習のときに、外科か消化器内科の先生が堂々とそう云い切ったのを、悔しい思いで聞きました。母は、仕事をしていたときも退職してからも検診を欠かしませんでした。「何だか胃の調子が悪い」と云って、検診で胃透視を受けた半年以内にまた市中の病院で検査を受けましたが何も見つけてもらえませんでした。その半年後、娘が出産のために里帰りしてたまたま受診した某公立病院で、勧められてもう一度検査を受けた時にはすでに肝に転移していました。「この市の医療水準はこんなに低いのか!」県外から就任していた当時の主治医は、悔しがりながらわたしに1枚のレントゲン写真をくれました。胃の噴門部にえぐれたがんがクッキリと写っている写真でした。「これから医者になる君は、この写真の意味するものをいつも胸に抱いて、立派な医者になりなさい。」

付き添いでベッドサイドに寝ていたら急に持続点滴のアラームが鳴りました。夜中でした。ナースコールを押しましたがなかなか来てくれません。もう一度鳴らしました。尖りまくっていた当時のわたしの怒りが限界線を越えそうになりました。「大丈夫ですよ。問題ありませんから。」やっと来た夜勤のナースのそのことばに切れました。「大丈夫だろうがなんだろうが、夜中の暗闇の中でピーピーとアラームが鳴り続ける不安感をおまえは理解できないのか!それでもプロか!」・・・母の前で爆発させてしまった自分の身体の震えをしばらく押さえることができませんでした。「そんなに怒りなさんな。看護婦さんも忙しいんよ。問題なかったんやけん、それでいいわ。」母はこともなげに静かに云いました。しかも、翌日は病室に来たナースにわたしのことを一生懸命謝っていたことを後で聞きました。本当に凄い人だと思います。

| | コメント (0)

母のこと

今日はわたしの母の祥月命日です。享年満55歳でした。彼女の誕生日は・・・8月下旬だった気がしますが覚えていません。生きている間は誕生日を祝うのに、どうして亡くなると命日ばかり覚えるのでしょう?わたしがこの世にいることに影響を与えるのは彼女の誕生日であって、亡くなった日ではないはずなのに・・・。

わたしは彼女が大好きでした。両親共働きのために典型的なばあちゃんっ子だったわたしは、農繁期になると親元を離れて田舎に連れて行かれました。ですから家にいるときはいつも母に着いて回りました。彼女は典型的なO型気質で、若干大雑把な性格でしたが、争いを嫌い、決して人の悪口を云わない人でした。小学校の教師をしていました。夕食の後にコタツでテストの採点をしながらすぐに居眠りを始め、ミミズの張ったような線を書き込むのが常でした。わたしはよく生徒たちのテストの採点や成績表(エンマ帳)記入の手伝いをしました。その時に、彼女は、教え子たちのいろいろな長所を嬉しそうに語ってくれました。気になる子どもたちのことも話してくれました。「この子は良い子なのに、ちょっと性格が荒いのよね。どうしたら優しくなるだろうか?」・・・わたしも子どもなのに、まるで大人に話すように、そんな相談をしてくれました。

彼女は若くして胃がんの肝臓転移で亡くなりました。入院中、まだ学生だったわたしは、1~2ヶ月に1度は付き添いの泊まりに行きました。いろいろな話をしました。でも、わたしの人生の相談はできないままでした。彼女がもうしばらく生きていてくれていたら・・・そう思うことはよくあります。彼女があの世から見届けようとしているわたしへの宿題は何なのでしょう?

| | コメント (0)

ホメオスターシス

「ホメオスターシス」は日本語で「恒常性」と訳します。

ガンガン運動して体重を減らそうと思ってもなかなか減りません。せっかく溜めておいた在庫(脂肪)を空にさせようとする反乱(運動)に何とか対抗しなければ生命の危機ですから、生体は栄養分の吸収力をアップさせます。運動すればするほど溜め込む身体ができてきます。

ダイエットをするために食事療法を頑張ってもなかなか思うようにいきません。入ってくるエネルギーが足りないと直接生命の危機に直面します。限られた資源を大事にするため、エネルギーを使わない身体に変化していきます。あるいは筋肉を減らして飢餓に対抗します。

これらはいずれも生体のホメオスターシスのなせる技です。自然界は常に安定したものを求めます。それが自然界の一番基本的な法則なのかもしれません。安定した一定の状態を保つために、常にバランスを取ろうとしています。生体がそのバランスを取るために準備されているシステムの主体が、自律神経系・ホルモン(内分泌)系・免疫系の3つで、これらが常に自分の身体の状態を監視して微修正を繰り返しているのです。「減量する」などという大それたクーデターを企てた場合、いつもと違う方向に傾いたものを元に戻すために即座に対応します。生体が生きていくためにそれはとても良くできたシステムです。ですから、クーデターは生体監視係に気づかれないように少しずつそっとやってやらないと成功できません。

ただし、逆に運動と食事を頑張ってクーデターに成功した折には、今度はこっちの状態が基本になりますから、たまに羽目を外して暴飲暴食してもすぐに身体は元に戻してくれます。クーデターを企む以上は、その次元までは根性で頑張ってください。

| | コメント (0)

弁当屋戦争に望むこと

「ほっかほっか亭」チェーンから離脱したプレナス社のブランド「ほっともっと(Hotto Motto)」が昨日から営業を開始しました。うちの近くはほとんど全部「ほっともっと」に替わりました。これからは「ほか弁」とは略せなくなるんでしょうか。これに「本家かまどや」が加わり、中食産業はこれから競争激化が必至だろう、とニュース記事に出ていました。

独身男性や単身赴任者、高齢独居男性のみでなく、塾通いの小学生や共働き夫婦の一家など、持ち帰り弁当を主食にしている人は、ものすごくたくさんいます。かれらこそが最大の生活習慣病の持ち主集団であり、かれらを生活習慣病にさせている主犯のひとつがこの通称「ほか弁」たち(もうひとつは「コンビニ弁当」でしょう)だと云っても過言ではないと思っています。

以前、職場の売店に売られている「減塩弁当」のひとつを買って食べてみたことがありますが、一口食べたら吐きそうになりました。付属のしょうゆをかけなかったからなのかもしれませんが、不味くて吐きそうになったのは生まれて初めてでした。こんな経験をしてしまうと、「減塩弁当は美味しくないモノ」と決めつけて、おそらくもう二度とどんな減塩弁当も買わなくなるだろうな、と思ったことを思い出しました。同じ材料でもうちのセンターのレストラン・シェフに作ってもらったら全く別物に変われる自信があります。

今回の中食産業の競争激化はとてもいいことだと思いますが、それが一時期のハンバーガー屋の競争のような価格競争に終始するようならいただけません。質の良い油と材料を使いながら(本当は油を使わない方が良いですが)、メタボ対策になり高血圧対策になり糖尿病対策になり、それでいて味が落ちず盛りつけがきれいでしかもコスト削減できる研究でとことん競い合ってほしいと切に願っています。

| | コメント (0)

インスリン抵抗性

血糖のコントロールをするホルモンの中にインスリンがあります。インスリンがなかったら食事する度に血糖が1000~2000mg/dl以上跳ね上がるかもしれません。そうならないのは血糖を速やかに肝臓や筋肉に引っ張り込む仕事をしているからです。一方、夜中に何も食べなくても低血糖にならないのは、肝臓や筋肉から糖を作らせて血中に総動員させる仕事もしているからです。

このインスリンの血中濃度に見合ったほど作用効果が得られない状態を「インスリン抵抗性」と云います。インスリンの指令に肝臓や筋が応答することを「インスリン感受性」と云いますので、「過剰のインスリンがでているのに肝臓や筋のインスリン感受性が低下している状態」と言い換えることもできます。

インスリン抵抗性がどうして起きるのか?単純に云えば、太りすぎと運動不足などでインスリンの働きを邪魔する物質が増えたり、インスリンの指令を受け取る部分(受容体)の数や機能が低下したりするためです。昨日書いたアディポネクチンはインスリン感受性を高めるホルモンの代表ですが肥満によってアディポネクチンは簡単に減少します。代わりにインスリンの働きを落とすホルモンはどんどん増えてくるのです。肝臓や筋肉の中に脂肪が溜まるとインスリンの指令を伝達できません。運動不足は、筋肉内の血流を低下させ酸素不足を招きます。

今日の話はちょっと専門的でしたが、とてもデリケートな調整をしているホルモンが、食べ過ぎと運動不足のために、準備していた仕事をまともにできなくなっているのが現代であるということを理解してください。ことは本当に深刻です。

(参考)http://satoritorinita.cocolog-nifty.com/satoritorinita/2008/02/post_786a.html

| | コメント (0)

運動療法は16週間

「運動療法で十分な効果を得るには、8週間では短く、16週間継続する必要がある。」

昨年の日本動脈硬化学会で、東京慈恵医大で行った研究の報告がありました。評価の指標になったのは、ここ数年一気に脚光を浴びるようになった「アディポネクチン」というホルモンです。アディポネクチンは脂肪細胞の中から分泌されるホルモン(アディポサイトカイン)のひとつで、善玉ホルモンの代表です。動脈硬化を抑制しインスリン感受性を高める作用があります。脂肪細胞は本当は動脈硬化を予防するために存在するといっても過言ではありません。この脂肪細胞が肥大化すると、アディポネクチンは本来の作用を十分出来なくなり、結果として動脈硬化を進行させることになるわけです。アディポネクチンは運動不足で低下し、喫煙で低下し、食べすぎで低下し、ストレスで低下します。そしてその逆になると増加します。ですから、アディポネクチンの量は動脈硬化予防の最高の指標になります。

報告は、1回60分間の有酸素運動を月8回のペースで行った場合、8週目ではまだアディポネクチンに変化が見られないで16週目に有意に増加したというもので、運動療法の効果を見るためには従来考えられてきたよりも長い時間が必要である可能性を示しています。もっとも、月8回(週2回平均)の運動が月12回だったらもっと短くて効果がでるのかもしれませんし、1回90分間だとどうなるのだろうか?という疑問は湧いてきます。ただ、いずれにせよ16週間目に効果が出たら止めていいわけではありません。ですから、いつ頃から効果がでるということよりもずっと続けられる運動のあり方を探すことが大切ではないかと思います。

自分のアディポネクチン値を知りたいと思う人は多いでしょう。でも、まだちょっとだけ高価な検査ではあります。

| | コメント (0)

友人がいれば血圧が下がる

「高齢者において、人付き合いを活発にして友人を作ることは、血圧を下げる点で減量や運動と同等の効果がある。」

白人・アフリカ系・ヒスパニック系の米国人229人を対象にして、「孤独」と「非孤独」で比較した結果だそうです(Psychology and Aging 2006;21:152)。「孤独」の人は「非孤独」の人より血圧が平均で30mmHgも高くなり、しかもその傾向は年齢が上がるほど大きくなるようです。

実は、この研究の対象者年齢の中につい最近になってわたしも入ってしまいました。「この歳でもう高齢者扱いか!」・・・何よりもそのことがショックです。そして、今しみじみと考えてしまいます。わたしには友人がいないわけではないけれど、人付き合いが活発だとは云えないんじゃないか。「孤独か?」と聞かれると「孤独ではない」と云いきれない気がします。妙に不安な夢を見て夜中に目覚めたあと、これからの人生が急に不安になったことが時々あります。こんなこと10年前には絶対なかったな、と思います。昔、仕事に大忙しだった部長が急にゴルフを始めました。「ゴルフなんて定年になってからやればいい」と云っていたのですが「そんな歳になってから始めたって誰も付き合ってくれませんよ」と奥さんに云われたのがとても堪えたそうです。

まだ定年までにはかなりの期間があります。新しい人付き合いかぁ。・・・こんなため息をついていると血圧が上がるわけだ。何となく分かる気がします。それが分かる歳になったのがこれまたちょっと寂しいのですが。

| | コメント (0)

寝ない子は太る(アメリカ編)

アメリカ(ボルティモア)から、「短い睡眠時間が小児の過体重または肥満のリスクを高める」という論文が報告されました(Obesity 2008;16:265)。さらにその報告によると「1時間睡眠時間が増えるごとに肥満リスクが9%低下する」そうです。

以前、富山スタディの話題を書きました(「寝ない子は太る」(2008.1.6) http://satoritorinita.cocolog-nifty.com/satoritorinita/2008/01/post_5d0d.html )。人種が違っても日本のそれと同じような結果が出たことにとても興味があります。子どもが寝ない(寝させない)のは、現代の万国共通の問題点なのだということも分かりました。たしかに良く眠るだけで小児の過体重や肥満が予防できるならこんな安上がりな方法はありませんから有り難いことです。ちなみに、わたしが子どもの頃、夜9時以降の世界を知りませんでした(土曜日以外はTVも9時以降に見させてもらえませんでした)が、わたしは超肥満児(昔は健康優良児扱いでしたが)でした。最近旬のデブタレの皆さんが、「売れてきて忙しくなると太る」と口を揃えて同じ事をいうのが面白いと思います。家に居て暇だと、することがないから寝てばかりいるけど、起きて活動しているとずっと何か食っている、というのです。

子どもの場合は、「成長する(育つ)」と「肥満体になる(太る)」の区別をきちんとつけないと取り返しがつかなくなる危険性がありますので、ご注意ください。

今のところ、睡眠時間の研究ばかりのようですが、睡眠の質はどうなのでしょう。子ども達も大人と同じように睡眠の質が落ちて病んでいるのだとしたら、その方がはるかに問題かもしれません。

| | コメント (0)

作りすぎは主人の晩酌

「食事療法の基本は、作りすぎないこと!運動療法の基本は、ムダを作ること!」

今日も今日とてわたしの持論を展開して生活指導をしています。運動療法については一応皆さん理解はしてくれます(実行するかどうかは別にして)が、食事療法の方はそう簡単ではありません。

●夫の晩酌の肴を作らなければならない。●若いもんがいやがる。●育ち盛りの子どもたちがいるからむずかしい。・・・これが抵抗の三大理由です。

毎晩若者に毒を盛りながら、自ら自分の大事な子どもや孫の寿命を縮めていることに気付かない愚か者め!と云う熱い話は、現場ではよくしますが必ず苦虫を噛み潰したような嫌な顔をされます。わたしの云うとおりにしたら家族に嫌われるだけですから。

ところで、「晩酌の肴が必要だから作りすぎる」という話を聞くたびに、わたしは毎晩晩酌を欠かさなかった父のことを思い出します。彼の肴はいつも「いりこなす」でした。いりこをちょっとだけ炙って焼き茄子に和えただけの料理です。母はあまり料理が得意ではなかったので、いつも父が自ら作っていました。それを肴にチビチビ熱燗を呑むのが習慣でした。それを子供の頃から見ていたせいか、酒の肴にから揚げや大量の油炒めが必要だという概念をどうしても理解できません。でも、たしかに居酒屋に行ったらそんなメニューしかありませんね。夕飯のおかずといえばレストラン料理、酒の肴といえば居酒屋料理、可哀相ですが、現代社会ではそれしか浮かばないのもやむを得ないかもしれません。今となっては、質素で田舎者だったわたしの親に感謝です。

| | コメント (0)

様子をみるために仕事を休めるか

健診の結果、「経過観察」や「再検査」という指示を受けたら、あなたはどうしますか?

このレベルの指示は、する側もされる側も一番厄介です。うちの施設の場合、「経過観察」には6ヶ月後と12ヶ月後があります。「再検査」には3ヶ月後と1ヶ月後があります。今すぐ精密検査をした方が良いというほど切羽詰まってはいませんが、何かあってからでは遅すぎる、ほったらかして大丈夫と言い切る根拠もない所見です。得られた異常所見が基準からどの程度離れているかとか、問題ないかもしれないがもし問題があったら(たとえばガンなど)手遅れになるかもしれない、などの所見に対して大ざっぱなピリオドを刻みます。「経過観察12ヶ月後」というのは1年後の健診を受診すればいいのですが、それ以外の期間指定の場合は、再検査のために医療機関を受診することを求められているのです。

健診は見落としができません。「基準通りではない」ものの大部分は取り越し苦労だと思いますが、だからといって「きっと大丈夫よ」などといういい加減な評価はできません。「大丈夫だと思うけど、念のために○ヶ月後に再検査を受けてみてください」と医者や保健師は簡単に云いますが、そのためには(休暇を取って)仕事を休まなければならないのです。自分が指示された立場だったらどうだろう?そうまでして受診するかなあ・・・。取り越し苦労だと思って検査してみたら重大な病気が隠れていた、という事例はたくさん知っています。そんな私ですらつい二の足を踏むのですから、一般の方が放置していても不思議ではないような気がします。でも・・・。結局、「自己責任」という逃げ道に追い込んでいるのでしょうか。

| | コメント (0)

心房細動

「心房細動」をご存知でしょうか?皆さん、自分には関係ない病気だと思っているようですが、健診で初めて心房細動が発見されることはそう珍しくありません。でも、あまり自覚症状がないこともあり、大部分の場合なかなか自分がむずかしい病気だということを信じてくれません。あるいは、「昔から不整脈があるけど大して心配は要らないと云われている」と云って、相手にしてくれないこともあります。

「心房細動」は普通の不整脈とは違います。電気信号が心房のあちこちから300~600回/分以上の割合で出てきますが、1分間に300~600回/分も脈を打つことはできませんから、何の秩序もなくバラバラの脈を作ります(ちなみに普通の場合は洞結節という決められた場所から50~90回/分くらい出てきて全てがきちんとつながっています)。心房細動には一時的に陥る「発作性心房細動」と、戻ることのない「慢性心房細動」がありますが、いずれの場合も問題になるのは血栓塞栓症と心不全です。特に前者は前触れなく突然起こってしまいます。長島監督が脳梗塞になった原因だという話をすると皆さん理解してくれますが、それでもやはり現実味がない様子です。

現在は、心機能や危険因子の有無によって治療についてのガイドラインがきちんと決まっています。心房細動の治療は基本的には「抗凝固療法(血をさらさらさせる)」ですが、とにかく前触れなく脳梗塞になることが前提ですので、治療が必要な場合は躊躇できません。どうもないからといってクスリを途中で止めることはできない病気です。どうか、健診で専門医受診を勧められたら早めに行ってください!お願いします。

| | コメント (0)

医療不信?

一方で、最近は手遅れになるまで病院に行かずにほったらかしている人が多くなってきたのも気になります。

テレ朝系の「最終警告!本当は怖い家庭の医学」は夫婦で良くみる番組です。こんな重箱の隅をつつくような病気を良く探し出してくるよなあ、と思うときもありますが、むしろ「『ま、いいか』と病院受診を先延ばしにした○○さん。実はこれが最終警告だったのです!」というお決まりのクダリをいつも理解できません。「いやいや、さすがにそこまでなる前に病院に行くでしょ?」というレベルでもほったらかしているからです。でも、たしかにわたしが「どうしたらいいでしょう」と個人的な相談を受ける場合も、最近はさっさと病院に行かないとマズイよ!というレベルまでそのままにしていたり市販薬で対処していたりする人が多いような気もします。わたしが医療人だから常識と思っているだけで、一般的には常識ではないのかもしれません。

病院に行かない理由が、「まだそれほどではないだろう」という判断間違い(これは周りに人生経験者がいないのも大きな弊害かもしれません)や忙しくて時間がとれないというのであればまだマシですが、「信用できる病院を知らないから」という末期的な理由が少なくないのがとても気になります。あなたは「家庭医」というものを持っていますか?子供の頃から自分のことを知っている医者がいる人、あるいは日ごろ気になることがあったときに相談する医者が近くにいる人には、全く関係のない杞憂です。医者を選ぶコツは、名医ではなく自分とフィーリングが合うこと。何かの機会に早く家庭医を作っておくことをお薦めします。

| | コメント (0)

治療不要!?

健診受診者の方が記入した既往歴の項目を読んでいると「治療不要と云われた」という答えを多く見かけます。どうも気に入りません。

たとえば、「胆嚢ポリープがあるが治療は要らない」とか「胸部レントゲンに影があるが昔の炎症のあとだから治療は要らない」というのは良く分かります。その通り、治療は要りませんし、せいぜい定期的な健診を受けておく以外に特に何かをしなければならないこともないでしょう。

でも「血圧が高いけど、まだ治療は要らない」とか「脂肪肝だけど治療は要らない」とか、そんなことを医療者が云うはずはないのです。「まずは食事に注意し運動にも心がけましょう。」と云われたはずです。さらに「タバコは早く止めてください。睡眠も十分とり、ストレスを溜めないことも大切です。」などと云ってくれる先生がいたらきっと名医です。「この1年間よく頑張って糖尿病の治療をしてきていますね。とても良いコントロールです。」と説明すると「私は糖尿病の治療なんかしていません!」ともの凄く強い口調で否定されます。講演会などでも機会があるごとに話してきましたが、「治療=くすり」という勘違いの概念を植えつけたのは誰なのでしょう?世間がそんな概念に浸っているから、「メタボ健診は病人を作る」ということになってしまうのではないかと思います。

日本人は、昔から「医療は施してもらうもの」という感覚にあるように思います。医者を「先生様」とあがめ、医者の処方薬を飲んで云うことを聞くのが病気の治療だと教育されてきた気がします。病を治す(克服する)のは自分自身だ、という自立心も持ってほしいと思います。くどいようですが、生活療法は最も基本にして最大の治療法です。

| | コメント (0)

CKD

以前、食後高血糖がいかに危険かという話を書きました(あなたは糖尿病です!後編:2008.2.16)。どうもない時からいかに早期に病状の進行をくい止められるかが自分の人生を左右し医療費に関わってくるのだという話を書きました。4月に始まった「メタボ健診」も同様です。

そんな中で、食後高血糖と同じレベルで危惧されているのがCKD、つまり慢性腎臓病です。昨年5月に日本腎臓学会が「CKD診療ガイド」を発表しましたが、一般医療者でもその存在を知らない人は少なくないと思います。

「健診でいつも正常と云われているから腎臓は心配ない」とお考えの皆様、とてもショッキングなデータですが、現在CKDの定義に当てはまる人は全人口の18.7%(1926万人)以上いると云われています。つまり5、6人に1人の割合です。実は、健診で「異常なし」と云われている人の中に初期のCKDの人たちが多く含まれているのです。

CKDは進行すると重症腎不全で透析をしなければならなくなるという問題だけではなく、心臓血管系の病気発症、死亡数、入院数のいずれについても独立して危険因子になるようです。もちろん程度に比例してそれらは増加しますが、自覚症状が出てくるはるか前から、危険だということが予測できる因子だということです。それでは、それに当てはまる人はどうしたらいいのか?結局は高血圧・糖尿病・脂質異常症・肥満のある人はしっかり是正に励み(基準値は普通よりかなり厳しく設定されています)、死にものぐるいで禁煙をし、タンパク質をとりすぎない人生を送るなど、やることは決まっています。

厳しい世の中です。

| | コメント (0)

あいさつする病院

職場の広報誌の最新号が発行されました(2008.4月号)。コラムをそのまま紹介します。

**********************

外来が始まるよりはるか前、まだ夜が明けきらない早朝から、病院のフロアは活動しています。救急患者に対応してほとんど寝られなかったであろう守衛さんや事務スタッフが、疲れた顔で「おはようございます」とあいさつをしてくれます。眠そうな顔で早朝出勤してきた病棟スタッフ、フロアの清掃スタッフの皆さん、外回りの環境整備の人たち、あるいはこの早朝にフロアにいる一般の方の多くもまた、顔見知りでなくても自然に朝のあいさつを交わします。そこには昼間の殺風景な光景とはちょっと違うホッとする空気があります。そんな中で、私が密かに楽しみにしているのは、あるフロア掃除担当の青年スタッフのあいさつです。決して元気いっぱいの大声ではありませんが、その優しい眼差しから出てくる静かで澄んだ「おはようございます」には、彼の人柄がうかがわれ、本当に朝から心が癒されます。

禅問答で、相手の悟りの深浅を計ることを「一挨一拶(いちあいいっさつ)」というそうです。「あいさつ(挨拶)」ということばは、それに由来します。「挨」も「拶」も「押す」という意味で、「何度も押し合う」という意味が始まりだそうです。ですから、「あいさつ」は単なる儀礼的な合言葉ではなく、交わすときの言い方や顔の表情の中に相手の心の中を見て取ることができるといってよいでしょう。

廊下ですれ違いざまに「おつかれさま」と声をかけたにもかかわらず相手に無視されたことはありませんか?仕事や年齢の上下関係に関わりなく、何度声をかけても返答してくれない人もいます。そんな相手をみて、あなたはどう思いますか?「何様のつもりだ!もう二度とあいさつなんかするものか!」と腹を立てますか?「あれ?なんで無視されたの?わたしがあの人に何かした?」と自問自答して自信喪失に陥りますか?それとも「きっと聞こえなかったのだ。考え事していたのかしら」とか「返答してくれたけどきっと私が聞き取れなかったのだ」とか勝手に解釈して深く気にしませんか?相手にもよりますが、おそらくどのパターンも経験したことがあるでしょう。私は基本的には自信喪失パターンです。自分と相手との関わりだけでなく、関係ない自分の仕事ぶりや言動にまで思いを及ばせて自分の非を探します。若い頃はいつも怒り心頭パターンでした。それだけ自分に自信があったのでしょう。そして最近は自分がきちんとあいさつできたからそれでいいかな、と思ってあまり気にしなくなりました。そう考えると、返答を待つという行為を通して、「あいさつ」は自分の心の中の状態をも見事に映してくれているといえます。

病院のように複雑な人間関係の大組織の場合、その価値は医者や看護師が優秀かどうかということよりも、むしろいつも明るいあいさつがある病院であるかどうか、そんなスタッフがたくさんいるかどうかということではないかと昔から思っています。毎朝、早朝の外来フロアの風景をみながら、うちの病院にもあいさつが溢れていることを誇らしく思います。

| | コメント (0)

携帯電話

携帯電話から発せられる高周波がガンを誘発するという話は以前から云われており、それだから携帯電話は使わないとかピッチに代えたとかいう人を何人も知っています。あまり信用できる証明がなされていないとか、旧型の携帯電話の話であって新型機種ではきちんと対応してあるから心配要らないとかいう企業側の反論も耳にします。

そんな中、この度イスラエルのテルアビブ大学のSadetzki博士が、携帯電話と唾液腺(耳下腺)腫瘍の関連について、アメリカの疫学の学会誌に投稿し採用されました(つまり科学論文として認められました)。携帯電話を顔の横に当てて使用する多用者は携帯電話を使用しない人に比べて、主唾液腺(耳下腺)に腫瘍が発生するリスクが約50%増加したという報告です。また地方に住む人ほど増加していました。イスラエルはかなり昔から携帯電話を多用している人が多い国民であり、また地方ほど高周波の出力が強くなっていることが特徴です。対抗策は、ハンズフリーの状態で遠くに本体を持って通話し、通話時間や回数を極力短くすることだ、とまとめあげているこの論文は、この携帯文化の中でどの程度日の目をみるでしょうか。

日本人が使う機種は彼らの使うモノよりもしかしたら新しいのかもしれませんが、今や子どものときから携帯をもつ時代ですから、若い世代の生涯暴露量は私たちの世代のそれの比ではありません。DocomoもauもSoftBankもこぞって家族間通話を無料にして子どもと親のコミュニケーションに携帯電話を!とキャンペーンしている最中です。この論文のような事実が一部の健康オタクの戯言ではなさそうだということは知っておいて損はないと思います。かく云うわたしは、電話をかける勇気があまりなく、極力メールで使用する派ですが、携帯そのものは肌身離さず持って歩いていないと安心できない人種のひとりです。

| | コメント (0)

かっこいい

鎌田實先生の「あきらめない」紹介シリーズも今回までにしましょう。

最後に、まだ紹介していない文章の抜書きから、「いいなあ」と思った文章を書きます。

**********************

どこかの大陸を走っているとき、80歳ぐらいの老ライダーと路上ですれ違った。美しく輝いていた。かっこよかった。「まるで少年のようだ」と、彼が声をかけた。老ライダーは答えた。「少年になるまでに80年もかかってしまった」  (戸井十月・作家・ライダー)

・・・・・うーん、声が出ない。・・・・・オシャレだなあと思った。

**********************

「奇跡がおきた。・・・・・まさかと思っていた。しかし、すごいことがおきた。」(「希望の中で生きる」より)という文を読んだときに思い出したのは、「心臓の暗号」(2008.3.26)http://satoritorinita.cocolog-nifty.com/satoritorinita/2008/03/post_dc31.htmlで紹介した、「『自然の法則を越えるような奇跡は存在しない。奇跡とは、自然の法則に関する我々の知識を超えて起こるものを指しているだけだ』(聖アウグスティヌス)」ということばでした。

ことばって、使い方しだいで本当に人生に大きな力を与えてくれる。今さらながら、凄いなあ!と思います。

| | コメント (0)

円形脱毛症

数年前、旋毛(つむじ)を中心にちょっと大きめの100円ハゲ(円形脱毛症)ができたことがあります。皮膚科に行ったら、半年くらい前に何か大きなストレスがありませんでしたかと聞かれました。私には確かに心当たりがありました。上司からある宣告を受けたあと、1日に1~2時間しか眠れないような睡眠障害に数ヶ月悩まされました。組織の中での自分の存在意義を自問自答し、このまま今の仕事をしていていいのか?と悩み抜いた時期でした。

ちょうどその頃、ある企業で一人の若い女性の相談を聞くことになりました。産業医としてメンタルケアの助言を求められたのです。自分がこの世に存在する意味はないんじゃないかという悩みを切々と語る彼女の話を聞きながら、「今のわたしはこの子と同じだ!」と感じました。これが「うつ」なのかと思いました。彼女の姿を見ながら客観的に自分をみつめることができました。だからあまり大きな深みに入る前にうつの螺旋階段から脱出できたのかもしれません。自分の力で達観したからこそ見え始めたことはあります。自分はどんな医者になりたいと思って医学部に入ったのか、忘れていた初心を思い出すことができました。やりたいようにやらせてもらえる機会は有効に使いたいし、もっと他にしなければならないことがきっとあると、今は信じています。

新年度に人事異動がありました。うちの部署にも見ててちょっと危なっかしいかなと感じる人たちがでてきました。今、まっただ中の彼ら、彼女ら。どうか自らの力で踏み越えてほしい。決して存在意義の否定などありえないのだから。今回も、鎌田實著『あきらめない』から好きな文章を抜粋してきました。

***********************

「がんばろう」と言っている間は一本の道しか見えない。その道から逸れてはいけない、落ちこぼれてはいけないという意識が働きつづける。たくさんのストレスを背負う。心が疲れる。ところが、「がんばらない」と、「ない」という積極的な強い口調の二文字をつけて言った瞬間、道は一本ではなく、三つも四つもあることがわかる。

| | コメント (0)

いちご農家の憂鬱

知り合いの内科医が語ってくれた実話です。

昔、ある地方の病院で当直をしていたとき、夜中に大慌ての急患が来たそうです。その町はいちご栽培で有名な町で、急患はいちご農家のオヤジさんでした。彼曰く、

「大変です!さっき、間違えて出荷用のいちごを食べてしまいました!大丈夫でしょうか?」

いちごの美味しいこの季節ですから、この農家のオヤジさんの云っている意味がわからない方は、ある意味幸せかもしれません。

昔、うちの義母が知り合いのぶどう農家に行ったとき、おみやげにぶどうを分けていただけることになりました。「出荷用のぶどうと自宅用のぶどうがあるけどどっちにします?出荷用の場合はそのまま食べないように注意してくださいね。」と云われたので怖くなって自宅用を希望したら、まったく離れた別の畑に連れていってくれたそうです。

わたし的にはかなり前からいろいろな人に教えてもらっていた常識なので別に驚きませんが、農薬の恐怖は中国にだけあるものではありません。社会がそれを求める以上、日本の農家の皆さんも、良心の呵責に耐えながら、やむを得ず農薬をギリギリで使って出荷用作物を作っているのでしょうが、自分たちはどうしても恐くて口にできないのは当然だと思います。見た目がキレイじゃなくても虫が食っていても大丈夫(食っている方が安全)だから、自宅用の畑は別に作っています。おまえは人に毒物を売って平気なのか!と怒る人も居ますが、日本の消費者はムシが食っていたりしたら買ってくれないからやむを得ません。ムシさえも食えないような消毒まみれの農作物を求めるようになってそれを平気で食うようになった現代社会は本当に危なすぎます。せめてしっかりと洗って覚悟してお食べください。

| | コメント (0)

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »