おやつと間食
今回も、職場の広報誌寄稿コラムの転載です。2006年7月号です。
************************
おやつと間食
いまやダイエットの最大の敵とみなされている「間食」。「これに手を出さなければやせられるのに、今日もまた誘惑に負けてしまったダメな私」なんて、溜め息がどこかから聞こえてきます。間食の否定は健康のための前提条件らしく、学会では間食を摂らせない方法ばかりが議論されています。でも人間の欲求の中で最も基本で大事なものが食欲です。だから「食べる」行為で煩悩と戦わせられるのはとてもつらく、たとえ学会でカロリー制限と寿命に正の相関関係があると発表されても、食べ過ぎない人ほど健康が維持されているというデータを有名な学者が示そうとも、目の前の魅惑の誘いの前ではほとんど無力です。
インターネットを検索すると、「間食=おやつ」と出てきます。昔の農村で、夜明けと同時に起き出て野良仕事をし、遅い朝飯をとった後は夕食まで食事がないので、小腹の空いた八つ時(午後2~4時頃)にうどんやおにぎりなどでエネルギー補給をしたのがおやつの語源です。間食は栄養補給の意味合いが強いので、当時はおやつも間食のひとつだったのでしょうが、全く動かず腹が減らなくても朝昼晩たっぷり食べるようになった現代人には、これ以上の栄養補給は必要ありません。だから「おやつ」は小休止=コーヒーブレイクだと考えるべきでしょう。ずっとパソコンの前に座りっぱなしだったり何時間も会議が続いている人たちにとって、「ちょっとお茶しない?」のお誘いタイムは本当にありがたいものです。糖分補給が脳の疲れを癒してくれますし、世間話(グチ?)をするだけで心のリフレッシュもできます。せっかくのおやつタイムですから、食べることに熱中しすぎず、皆さんと「時間」を楽しんでもらいたいと思います。
栄養補給が重要だと言われている子供たちにとってさえ現代のおやつはただの脂肪蓄積にしかなっていません。おやつの人気一番はダントツでスナック菓子だそうですが、スーパーでカゴ一杯にスナック菓子を投げ込んでいる親子を見つけるにつけ、お母さんがあの子の人生を潰しているんだよなあ、と溜め息を漏らしてしまうのは職業病でしょうか。健康を考慮した菓子もたくさん出まわっていますが、健康に留意し過ぎたお菓子はおやつとしては全く魅力がありません。あのカロリーリッチ・脂肪たっぷりな媚薬のような味と香りだからこそ理性を失ってむさぼり食うのです。もし彼が我慢して一袋だけを選んでカゴに入れることができたなら、わたしは拍手を送ります。今の子供たちにとっての「おやつ」のあるべき役割は、栄養補給ではなくてお母さんとのコミュニケーションでしょう。「ただいまぁ!おなか空いた!今日のおやつは何?」「今日は学校楽しかった?」・・・手作りのおやつで出迎えなさいとはいいませんが、せめて今でもこんな会話をおやつの時間にお子さんとできていますか。
なかなか筆が進まないので、仕事場を抜け出して、某所でコーヒー飲みながらリフレッシュ休憩してきました。ついつい1時間も油を売ってしまったことは内緒にしておきましょう。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- ポツポツとパラパラ(2023.06.02)
- 腕時計(2023.05.27)
- ジョブ・クラフティング?(2023.05.23)
- 汚いコトバ(2023.05.19)
- またまた気力切れ(2023.05.16)
コメント
ある学校だったか予備校だったか、授業の合間にチョコレートを食べるこtごを勧めているという記事を読んだことがあります。
タバコを我慢しながら、明日交通事故や災害で死んだ時のことを考えます。ぼくは、だから、それを口実に、まだタバコをやめていません。もちろん、長い目の中でタバコをやめなければとは思います。でも、一日、或いは1時間ごとの休憩のリラックスや気分転換を考えれば、健康には良くないけれど、精神には効果があるものもあるように思います。だから、今度国が打ち出したメタボのあれこれには、「なにもそこまで」という思いがあるのです。人間の健康を医療機関だけではなく、日常生活の趣味や活動も含めて考えなければ、と、思う。政治にトータルな考え方が欠如しているのではないでしょうか。
もっと余暇を有効に使う方法も、健康と同時に考えるべきではないでしょうか。
投稿: イーダです | 2008年5月31日 (土) 23時17分
イーダさん
いつもありがとうございます。タバコの件は今日から数日連載しますので読んでいただけると幸いです。現在タバコに対する擁護は屁理屈を入れても皆無です。年寄りは好きにすればいいけれど、若い人は早めに他のリラックス法を探した方が身のためだと思います。ただタバコに限らず、「健康のために」などという言葉は無意味だと思います。政府の政策だとかにもほとんど意味がない。彼らの方向付けを待っていたって私たち自身の人生を守ってはくれないことは近年の諸般の事件で周知のものとなりました。
良いと思うことは、周りを気にせずやればいい。悪いと思うことはやらないほうがたぶん自分にいい。可能な限り自分の良識に素直になっておけば、人生そう悪くはないんじゃないかなと思っています。
投稿: ジャイ | 2008年6月 1日 (日) 20時50分