枯死卵
わたしたち夫婦は子どもを授かりませんでした。
妻は生理不順が強く、東京に住んだころから不妊治療を始めました。ホルモン剤を服用するたびにゲーゲー吐きました。壮絶な日々でしたがわたしには何もできませんでした。九州に帰ってきて、ある地方の病院に赴任しているとき、妊娠が確認されました。二人で大喜びしました。彼女は定期的に熊本の病院に検診に行きました。一番幸せな時でした。でも、行くたびにエコー検査を受けましたが、いつまでたっても胎嚢だけしか見えませんでした。わたしたちの赤ちゃんは、結局最後までわたしたちの前に姿をみせないままでした。いつまでも母体の中に残しておくのは危険だと主治医に云われ、わたしたちは人工的に出してもらう決心をしました。わたしはこのとき初めて「枯死卵」という言葉を知りました。「枯れて死んだ卵」・・・とても無機質で冷たい言葉だと思いました。まだ生き物として認められない「モノ」だという意味だと感じました。彼女の手術には彼女の母が付き添ってくれました。退院した日、暗くした部屋の中で二人で肩を抱き合って声を出して泣きました。
その数年後、また妊娠反応が出ました。今度はエコーにちゃんと映るまで皆に云わないでおこう、と決めました。受診するたびに二人してヒヤヒヤしましたが、順調に経過しました。「そろそろ見えた?」「何か、らしいものくらいだって。」その繰り返しの中で、一番心配していた事態が起きました。ある日急にお腹を痛めはじめた彼女は、流産を宣告されました。またしてもわたしたちの赤ちゃんはお腹の中に誕生した姿すら見せてはくれませんでした。
わたしには、無の中から命の点が生まれるということがとてつもなく奇跡に近い現象だと思わずにはいられません。二度目の流産の時には二人に涙はありませんでした。何かしらの覚悟をしていたからかもしれません。
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