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あいさつする病院

職場の広報誌の最新号が発行されました(2008.4月号)。コラムをそのまま紹介します。

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外来が始まるよりはるか前、まだ夜が明けきらない早朝から、病院のフロアは活動しています。救急患者に対応してほとんど寝られなかったであろう守衛さんや事務スタッフが、疲れた顔で「おはようございます」とあいさつをしてくれます。眠そうな顔で早朝出勤してきた病棟スタッフ、フロアの清掃スタッフの皆さん、外回りの環境整備の人たち、あるいはこの早朝にフロアにいる一般の方の多くもまた、顔見知りでなくても自然に朝のあいさつを交わします。そこには昼間の殺風景な光景とはちょっと違うホッとする空気があります。そんな中で、私が密かに楽しみにしているのは、あるフロア掃除担当の青年スタッフのあいさつです。決して元気いっぱいの大声ではありませんが、その優しい眼差しから出てくる静かで澄んだ「おはようございます」には、彼の人柄がうかがわれ、本当に朝から心が癒されます。

禅問答で、相手の悟りの深浅を計ることを「一挨一拶(いちあいいっさつ)」というそうです。「あいさつ(挨拶)」ということばは、それに由来します。「挨」も「拶」も「押す」という意味で、「何度も押し合う」という意味が始まりだそうです。ですから、「あいさつ」は単なる儀礼的な合言葉ではなく、交わすときの言い方や顔の表情の中に相手の心の中を見て取ることができるといってよいでしょう。

廊下ですれ違いざまに「おつかれさま」と声をかけたにもかかわらず相手に無視されたことはありませんか?仕事や年齢の上下関係に関わりなく、何度声をかけても返答してくれない人もいます。そんな相手をみて、あなたはどう思いますか?「何様のつもりだ!もう二度とあいさつなんかするものか!」と腹を立てますか?「あれ?なんで無視されたの?わたしがあの人に何かした?」と自問自答して自信喪失に陥りますか?それとも「きっと聞こえなかったのだ。考え事していたのかしら」とか「返答してくれたけどきっと私が聞き取れなかったのだ」とか勝手に解釈して深く気にしませんか?相手にもよりますが、おそらくどのパターンも経験したことがあるでしょう。私は基本的には自信喪失パターンです。自分と相手との関わりだけでなく、関係ない自分の仕事ぶりや言動にまで思いを及ばせて自分の非を探します。若い頃はいつも怒り心頭パターンでした。それだけ自分に自信があったのでしょう。そして最近は自分がきちんとあいさつできたからそれでいいかな、と思ってあまり気にしなくなりました。そう考えると、返答を待つという行為を通して、「あいさつ」は自分の心の中の状態をも見事に映してくれているといえます。

病院のように複雑な人間関係の大組織の場合、その価値は医者や看護師が優秀かどうかということよりも、むしろいつも明るいあいさつがある病院であるかどうか、そんなスタッフがたくさんいるかどうかということではないかと昔から思っています。毎朝、早朝の外来フロアの風景をみながら、うちの病院にもあいさつが溢れていることを誇らしく思います。

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