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父の死

父の命日は、医師の書いた死亡診断書によると「平成14年6月16日頃」です。

6月23日の早朝、実家の近くに住む伯母から突然電話がかかりました。「お父さんはどこか遠くに旅行にでも行ってるの?」。一人暮らしだった父は毎日牛乳を配達してもらっていました。その牛乳が何日も溜まっていたことから牛乳屋さんが不審に思って警察に通報し、緊急連絡先だった伯母のところに連絡がきたわけです。わたしは、裏の倉庫にかけてあるカギで開けてくれるように頼みました。居間で死んでいた父が発見されたのは間もなくのことでした。父の妹である叔母の判断で司法解剖は行わず、私が現場に着いたときには死体はきれいに安置されていました。外傷がなく、髄液が血性ではなかったため、脳のトラブルや事件ではないと判断されました。父の食卓に残っていたジャスコの惣菜の日付が6月16日だったこと、居間の電灯が付けっぱなしだったことなどから、16日の夜を死亡推定日と判断されたようです。が、告別式で受付をしてくれた近所のおじさんがわざわざ私を呼び止めて「先生は17日にいつものように散歩していましたよ」と云ってくれました。ちょっとボケが出ていた裏のおばあちゃんも「翌朝見かけた!」と主張していました。きっと16日死亡説は間違っているのでしょう。でも、寺が書いてくれた位牌には「頃」が消されており、いつの間にか、「平成14年6月16日」が命日になってしまいました。

特別に発見時の写真と調書を見せてもらえました。死体の周りに散らかった新聞紙が、一人苦悶していたであろう父の姿を物語っていましたが、それでもおそらく長くても1,2時間の苦しみだったのではないかと思います。一人寂しく息絶えたのは無念だったかもしれませんが、闘病生活が長かった人たちに比べれば、いわば「ピンピンコロリ」に近い死に方でした。ある意味幸せだったのではないかとわたしは思っています。

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