父の人生
父はいわゆる「でもしか」時代からの教師で、小学校の校長を定年退職したあとは、高い年給で悠々自適な生活をしていました。
わたしはずっと父に反発して生きてきました。いつも打算的な生き方をしていることと、笑わせようということが見え見えの話し方と、生徒をパターン化して分類指導する態度が特に嫌いでした。高校の時に進路を相談する予定だった日、酒に酔って帰ってきた父に「ふざけるな!」と反目したときからずっと冷ややかな眼で眺めていました。父の反対を押し切って結婚式をあげ、やっと家に挨拶に上がれるようになったころには熊本に勝手に家を建て、ずっと父の思惑を裏切って生きてきました。
「あんな男になりたくない」という反面教師的な意識で父を観てきていましたが、当然のことのようにわたしはどんどん父に似てきました。最初はそんな自分が嫌でしたが、徐々にその心は変わってきました。単に素直な表現が下手なだけ、本当は情熱的なのにクールに見せかけようとして不器用なだけ、本当は寂しいのに弱点をみせたくなかっただけ。自分の姿を鏡にしてみると、父の心の中が鮮明に見えてきました。父の昔からの友人には父を悪く云う人はいません。人生に悩んだとき必ず父に相談に来ます。遺品を整理していたら、姉のものよりはるかに多いわたしの写真アルバムがでてきました。全てにコメントが入っています。子どもの頃には日曜日に父の学校で跳び箱や水泳の練習をしたことを思い出します。自慢の息子だったに違いありません。母が亡くなった数年後、「寂しいがのう。黄昏時になるとどうしても涙がこぼれてくるのう」と彼がわたしに呟いた本音、わざと聞き流した息子は親不孝者です。早々に大好きだった妻を亡くし、息子にずっと反目されながら、それでも見栄を張って生きてきた彼の人生は、幸せだったのだろうか?ちょっと問うてみたい気分です。
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