職場の広報誌の投稿コラム転載もあと少しです。今回は2006年4月号です。「人間には運動欲がない」(http://satoritorinita.cocolog-nifty.com/satoritorinita/2008/01/post_ee72.html)ということをまだ知らなかった頃の文章です。
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「予防医学」のディレンマ~「健康運動」はホントに健康なの?~
運動するには持ってこいの季節になってきました。ダイエットのため、健康のため、あちこちで運動で汗を流す姿を見かけます。予防医学では、病気を軽いうちに見つけて早期治療することを「二次予防」といい、病気にならないように健康を維持しようとすることを「一次予防」といいます。運動でいえば、前者を「運動療法」、後者を「健康運動」として区別できます。「これからは『一次予防』の時代です。病気になる前に病気にならない体を作りましょう!」…私はフィットネス部門の責任者として、あちこちでそんな話をしてきました。
でも最近気になることがあります。「健康運動」という言葉には、「しないと病気になるからやむを得ずする」「しなくてすむならしたくない」という明白な意志が感じられるのです。「医学」の対象はあくまでも「病気」、だから「予防医学」は「病気を予防する医学」…結局、病気にならないために何をするか?というのが予防医学の求めている根本だという気がしてなりません。当然のことですが、私たちが求めているのは「病気にならないこと」ではありません。「人生の目標は健康です」という人がいますがそれもナンセンスです。健康であることは前提でなければなりません。そんな中で「運動」は皆さんの生活の中ではどの位置にあるのでしょう。人間の体は、初めから動くためにできています。それが「動物」です。健康のために動くのではなく、動くのが当たり前、動けなくなったら病気になるのが動物の宿命です。そんな理屈はわかっています。でも「健康運動」というのは「健康になるための運動」「健康を維持するための運動」。こんな意味づけをしないと運動することができない現代人が多いことを妙に寂しく感じます。
私は、昼休みにほぼ毎日フィットネスセンターで運動しています。それは別に高血圧の治療のためではありません。健康のためでもありません。特に理由はありませんが、歩きながら考え事をするのが面白いから。というよりただの毎日の習慣だからといった方が良いでしょう。格好良く言えば、昼休みに30分間ウォーキングすることで私の体内のリセッターが働いて、ずれた体内時計を0に戻すという感じです。ある運動の雑誌にウォーキングサークルの人へのアンケート結果が載っていました。運動を始めた動機は「健康になりたいから」「減量したいから」などさまざまですが、「なぜ続けているのか?」の質問には大多数が「楽しいから」と答えています。楽しいから続ける。結果として健康でいられる…私たちの求めている理想はそこに集約されています。なのにこれを「健康運動」といっていいものか、私はずっと悩んでいます。定義からするとこれは決して「健康運動」ではありません。あえていえば「運動習慣」でしょうか。
ま、とにかく、あまり難しいことを考えないでとりあえず外に出てほしいと思います。いかに効率よく痩せられるか、いつ歩くのが一番効果があるか、どんな速度でどんな姿勢でどれくらいの時間をかけて…そんなことに一生懸命になるのもいいけれど、足下にタンポポの小さな花が咲いていることに気付いてちょっと足をとめてみるのもいいものです。
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