« 2008年7月 | トップページ | 2008年9月 »

2008年8月

地域医療

地域の病院の医師不足の対策として、熊本大学医学部の定員を5人増やすことが正式に認められたそうです。地方の中核病院の医者不足は本当に深刻な事だと思います。ただ、医者の絶対数が少ないわけではないので、毎年5人多くの医者が生まれたとしても、自治医科大学のような足かせがない限り、地域医療の問題が解決するわけではないのだろうことは容易に推測できます。

わたしが研修医だったころ、「地域医療」などというものに全く興味はありませんでした。医局の先輩医師が市中の病院の診療の手助けをしている話を聞くにつけ、専門領域外の診療をする姿はいい加減に思え、そんな緩い医療は「罪悪だ」とまで思っていました。今ではいわゆるジェネラリストとしての医者の養成プログラムがありますが、わたしのころは研修医時代からすでに完全な専門バカになっていくわけで、中途で大学を離れることは「野に下る」とまで云われていた時代です。自分の専門領域をしっかり極めることがイコール優秀な医者になることだと思っていました。

縁あって早々に野に下り、高度救急医療現場に身を投じることができたわたしは、専門バカに違いはありませんがそれでも大学で頭でっかちになるよりは幸せな人生だったと思います。ただ、その後あちこちの地方の中核病院に勤務する機会が多くなるに従って、こういう地で全人的な医療を続けている常勤の先生方の方が、医者としてははるかに素晴らしいと思うようになりました。こんな感覚になれるにはやはり経験年数が必要なのかもしれません。第一、医者になって数年では、到底実力が追いつきませんから。

| | コメント (0)

ふふん

先日、施設外健診で少し気になることがありました。

ある企業の定期健診を行っていました。大柄な一人の若い男性が、すべてを終えたあとに「私の検査結果に何か変なところがあったのですか?」と心配そうな顔をして質問しました。その場にいた健診スタッフが「何故ですか?」と聞いたら、「さっき隣の部屋で検査したときに、この検査ボードを受け取った方がこれをみて『ふふん』と笑ったからです。」と答えました。「ああ、それは全然心配ありません。気にしなくて良いですよ。」そのスタッフは、笑いながらボードを受け取って、何もなかったかのように自分の仕事を始めました。

以前、フィットネスフロアで受診者と話していたときに似たようなことがありました。出勤してきた運動指導士スタッフが明るく「こんにちは」とあいさつして通り過ぎたのです。その直後から、わたしと話していた受診者の方が急に怒り始めました。あいつは、何故自分の顔を見て笑ったのか?というのです。「あんな初対面の若造に鼻で笑われるような筋合いはない!」と凄い剣幕でした。

どちらも、笑った側に何ら意図はありません。「笑顔で接客」の基本をやっただけです。それでも相手はそれを『ふふん』と鼻で笑ったと感じることがあるのです。それを「クレーマー」だとか「例外」だとか云って、そんなこと気にしてたら何もできない!とうそぶいてしまったら、元も子もありません。その場合は、笑った人の笑い方が下手なのです。そう思って、笑い方の練習をしてもらいたいと思います。それが接客というものだと思います。

前出の若いおにいさん。彼がほんとうにほしかった答えは「何か誤解させる笑い方をしたのですね。気分を害してすみませんでした。」だったのではないかと思いました。

| | コメント (0)

深呼吸のこと

うちの施設での診察が「標準化」されることになりました。独自に作成したマニュアル通りの方法以外はしてはならない(過剰診察、手抜き診察禁止、医師によるサービスの差は作らせない)ことに医局会で決まりました。家のローンを残しているわたしは路頭に迷うわけにいかないので、もちろんそれに従って粛々と診察をしています。

対座して胸に聴診器を当てると、日本人は自動的に深呼吸を始める人が多いという話を以前書きました(2008.2.1)。マニュアルに従って肺の聴診をします。「息を大きく吸ってくださいぃ~、しっかりはいてぇ~」と繰り返しますが、まあ、呼吸の仕方は千差万別です。人の云うことなど無視して自分のリズムで早い深呼吸を繰り返す人(きっと主治医の前ではいつもそうだったのでしょう)、いつ呼吸したのか分からないような小さな深呼吸の人(若い女性に多い?)、あまりにもゆっくりすぎていつまで待っても息をはいてくれない人(若い男の人に多い?)、あまりにも強くはき出すので返って音が聴き取れない人(中年の真面目そうな男性に多い?)、などなど。よく考えたら、「大きく」とか「しっかり」とかいう言葉に対するイメージは十人十色です。自分の尺度で考えた「大きく」や「しっかり」が、各々違っていて当たり前なのかもしれません。

医者が聴き取りたいのは、呼吸の音に左右差がないかとバリバリとかゴロゴロとかヒューヒューとかいう雑音が入らないかくらいです(と思うけど)。慢性気管支炎や間質性肺炎の雑音を確認するためにははいてしまった最後の頃の音を聴くことになります。ですから、わたしのような呼吸器疾患素人医者は、実ははき出した最後の音だけしか聴いていません。申し訳ない。

| | コメント (0)

敷地内完全禁煙

うちの施設が「敷地内完全禁煙」を宣言して2年になります。水際では熾烈な攻防戦が広げられています(敷地の境目では内側に捨てられた吸い殻がたくさん)が、病院スタッフも患者さんも概ね真面目に線引きを守ってくれている様子です。

先日、最新バージョンの病院機能評価を受けたのをきっかけに、この敷地内完全禁煙の強化徹底が始まりました。その一環として、職員の就業規定の中に「敷地内は完全禁煙である」という項目が明文化されました(今まで入ってなかったのが不思議ですが)。「明文化」されても何も変わらないと思っている人も多いようですが、全く違います。これまでは努力目標でしたが、これからは義務になりました。つまり病院スタッフは、就業時間内外にかかわらず病院敷地内で「タバコを吸ってはならない」のです。じゃあ、病院の前の道で吸えば良いのか?ノーです。なぜなら昔から存在する就業規定「勤務時間内は無許可で病院敷地外に出てはならない。」に違反するからです。この規則を真面目に考えると、敷地内では終日禁煙で、かつ勤務時間内は休憩時間であっても一切喫煙してはならないということになります。

わたしたちのように喫煙をしない人には何の影響もありませんが、スモーカーにとっては大変なことだと思います。もともと喫煙所が建物内にあったときにできた規則がそのまま残ったつぎはぎ規則ですから、「建て増し建て増ししていってたら、ドアの向こうが壁だった」みたいになりそうな気がします。この機会に禁煙する人は良いとしても、何か逃げ道になる例外規定を作ってあげないと規則違反者だらけになるんじゃないかしら?

ちなみに、駐車場も敷地内ですので、もちろん駐車場内駐車中の車内喫煙は禁止です。

| | コメント (0)

循環器診療ポケットマニュアル

先日、あるMRさんから「循環器診療ポケットマニュアル」をいただきました。今年の6月30日に最新版(第9版)が発行されたばかりのようです。初版は、わたしが医者になって数年後くらいに初めて発行されています。歴史の古いマニュアルです。

内容は、循環器診療にあたる医者がすぐに参考にできるように、循環器疾患に関連する診断基準やガイドラインや治療法やが1ページ1項目の簡便さで書かれているものです。さすがに1ページに詰め込みすぎて年寄りの目には辛い小さな活字の表もありますが、相変わらず実用的な内容になっていると思いました。

そんな最新版をパラパラっとめくってみて、現代医療がしっかりと全人的診療の方向に進んでいることを実感しました。以前は、まさしく循環器専門医が知るべき専門領域の内容ばかりが並んでいました。ところが、今回の改訂で目を引いたのは、動脈硬化疾患の予防という大きな概念が基本に流れていることでした。高血圧・糖尿病・脂質異常症などの各疾患の最新のガイドラインが並んでいるだけでなく、「メタボリックシンドロームの診断」「動脈硬化症の予防概念」「慢性腎臓病(CKD)の診断と治療」そして「禁煙指導プログラム」といった、直接外来治療に絡まない分野まできちんとまとめられています。

正直なところ、初版の頃のマニュアルはわたしには存在価値のないものでした。循環器専門医である以上、ここに並んでいる程度の内容は常識でしたから。でも、今回の最新版は、わたしたちのような過去の専門医に有用なだけでなく、現在の循環器専門医こそが苦手としている分野をきれいに整理してくれていると感心しました。

| | コメント (0)

リレー質問

演劇部時代の先輩から突然「今まで観た芝居の最高と最低は何か書け」という質問を受けました。記憶力が落ちきっているのでちっとも思い浮かばず苦労しました。自分で何を書いたかわからなくなりそうなので一部コピーしておきましょう。

*****************************
さて、どんな芝居が私に影響を与えたでしょうか?映画なら、最高は「スティング」と昔から答えることにしていましたが、芝居はどうでしょうね。

「最悪の芝居」はたぶんないです。「こんなもん見てられん」と芝居の途中で席を蹴って劇場を出たことはないです。あ、1回ありました。大学時代に母がチケットを買ってくれて大分文化会館でみた、なんか有名なミュージカルでした。主だったキャストが全員サブの役者さんに入れ替えられていて、「田舎だからバカにしているのか?」と思いました。踊りや台詞もミスだらけで、芝居などに縁のなかった母がわざわざ息子のために高いチケットを手に入れたことを思うと悔しかったです。

若い頃はいつも芝居は批評をするものだと思っていました。身内でもプロでも、批判をするつもりの厳しい目で見ていても素晴らしいと思える芝居こそが素晴らしいのだ!と思っていました。そういう意味では、残念ながらまだそんな「素晴らしい芝居」をみたことはありません。でも、東京に住んだ頃から、批判はやめました。芝居は楽しむものだと思うようになりました。できるだけ面白いところをみつけようとしながら芝居を観るようになりました。そうすると、どれも面白いんですが・・・第三舞台、夢の遊眠社、東京乾電池、加藤健一事務所、SET、ナイロン100°Cなどが浮かびますが、「最高の芝居」といえるのは、浮かばないなあ。自分がやっていて一番だと思ったのはやはり「あの大鴉、さえも」ですかね。理由は、無理やり泣かせることもなく、最後に余韻を残しながらいつ終わったかわからないところが、いい(私は、サビで大感動させるような芝居より、さらっと笑わせてさらっと泣かせてさらっと終わっていく芝居が好き)。

| | コメント (0)

有終の美

北京オリンピックが終わりました。悲喜こもごものドラマが今年も繰り広げられました。

今年は何となくいつものオリンピックと違う雰囲気を感じました。柔道や女子レスリングや水泳の二連覇勢はさすがに素晴らしかった。一方で、期待されながら金を取れなかった選手たち、やわらちゃん然り、伊調千春然り、女子水泳陣然り。いずれも勝てなかった悔しさを自分の中で昇華してしまっている印象を受けます。彼らの多くは4年前には勝てなかったことを悔しがりました。悔しさだけをバネに頑張り、試合直前まで「金以外は意味がない!」とまで云っていた人もいました。でも、負けた後のインタビューは押しなべて皆が清清しい顔をしていました。

やれ、金が取れなかっただの、メダルの数がいくつだの、不甲斐ないだのと、マスコミは相変わらずの下衆な煽り方を続けていますが、選手たちははるかに大人でした。日本選手にありがちな「悲壮感」をまったく感じなかったのは何故なのでしょう。その静かな表情が、妙に印象的です。負けて悔いなし!といわんばかりの異常に達観したその姿は、明らかに有終の美を意識している感じです。燃え尽きた感じでしょうか。とてもいい顔をしていました。

そして、大きく時代は変わろうとしているのでしょう。次のオリンピックは、全く違う顔ぶれの日本選手団ができることでしょう。選手の皆さん、お疲れ様でした。とか云いながら、きっと彼らの一部はまたあるときスイッチが入って、燃え始めるんだろうなあ。

| | コメント (0)

ごはんを5杯

中学生のころ、わたしは毎晩ご飯を茶わん5杯食べるのが普通でした。3年生になって部活動を引退してからは、断腸の思いで3杯に減らしました。小学校低学年のころは婆ちゃんが煎ってくれた半斗缶一杯の手作りあられを2日もかけずに全部平らげましたし、小学校高学年のころは夕方にインスタントラーメン2人前で腹を落ち着かせてから夕飯を食べていました。

成長期に一致して、この大きなエネルギーはわたしの身長をグングン引き伸ばしました。ところが高校に上がって身体を動かさなくなってから(ご飯を3杯に減らしたにもかかわらず)見事に横に膨らみました。その経験から考えると、「低炭水化物ダイエット」の方法は、炭水化物ばかり食べていたわたしのようなパターンには有効かもしれないと思います。ただ、今の子どもたちは、炭水化物だけではなくて、脂肪とタンパク質の方もはるかにたくさん摂っています。炭水化物は、身体を動かせば食べた端から消費されますから肉体労働者向けですが、脂肪はすぐに使われずしばらく体内を回ったあとに蓄えに回ります。だから一般的には炭水化物制限より脂肪制限の方が理に適っているとわたしは思います。

わたしの母は料理がとても下手でした。そのためか、姉の料理も決して上手くないと思います(父が亡くなったときの初七日までの間しか食べてみていませんが)。その理由が分かりました。子どものころのわたしが、何でもかんでもガバガバ食ってばかりで味にこだわらなかったからでしょう。こいつは迂闊でした。

| | コメント (0)

砂山

「目の前に小さな砂山があります。てっぺんには旗が1本立っています。この旗を倒さないようにしながら両手を使って出来る限りたくさんの砂を取り除いてください。」

生活習慣の変化を促すとき、わたしは良く砂山に例えます。こんな話をする相手のほとんどは、毎年同じ様な忠告を受けていながらそれができないまま1年を過ごしてきた人です。彼らはどこを触ったのかわからないくらいのわずかな砂を取り除いて「もうこれ以上は絶対無理です!ありえません!」という顔をします。私たちは、その数倍以上の砂を両手でごっそり削り落としてもそう簡単に旗は倒れない、ということを体感してほしいのです。

「ほとんど食べずに頑張っているのに体重が減らないのは何故でしょう?」と云っていた男性職員がいました。彼はある日急性膵炎にかかりました。絶食を余儀なくされしばらく入院治療を受けることになりました。仕事復帰したときには明らかにスリムな身体になっていましたが、そんな彼が「自分がもの凄く食べていたんだということを初めて実感しました」と語ってくれました。大病を患ったのは不幸でしたが砂山削りの感覚を体感できたのはラッキーでした。

わたしたちの施設で生活習慣病改善のためのプログラムに入会する人の中にも「食事を変えるのは無理です」と言い切る人は少なくありません。運動でなんとかするために入会するのだ、と主張します。そんな人たちもいつの間にか食事を削ることを覚えます。一度経験さえしてしまえば、それが大したことではないことを体験できれば、間違いなく何かが変わります。そのために、一度でいいので砂山の砂をごっそり削り落としてみてほしいといつも思います。削り過ぎて旗が倒れたら、そのときにはすぐやり直せばいいんですから。

| | コメント (0)

オーダーメイド医療

朝日新聞の記事の中にも医療最新ニュースがありました。

糖尿病の遺伝子を日本の2チームが発見」というものです。「・・・2型糖尿病にかかわる遺伝子を、日本の二つの研究チームが別々に見つけた。この遺伝子が糖尿病になりやすいタイプだと、発症のリスクが1.4倍になる」のだそうです。

ヒトのDNA配列が完全に確認されて以降、現代医療はオーダーメイドの時代に入ろうとしています。つまり、糖尿病や高血圧だけでなく、心臓病やがんになりやすい遺伝子型を持っているかどうかを遺伝子検査で確認し、なりやすい人には前もってその病気への対処をしようというものです。誰でも同じ紋切り型の治療をするのではなく、各自に合った治療をすることで効率的かつより有効な治療ができるので画期的な方法だ!と医療界が浮き立っている印象を受けたことがあります。

ただ、7年間予防医学の世界に関わってきているうちに、「オーダーメイド医療」の有難味は大してないように感じ始めています。もちろん難病指定の病では、発症以前から進行を遅らせる対処を行えるので福音でしょう。でも「生活習慣病の予防」の観点から云うなら本当に必要な情報なのでしょうか?「この遺伝子を持たない人は毒物を食いまくっても大丈夫だけど、この遺伝子の人は若いうちから健康食を食わないと病気になりますよ」というのなら、みんなが健康食を食ったら良い。堕落の人生が大丈夫な人はできるだけ毒物を食ってあげて、毒物企業の倒産を抑えてあげてほしい、ってか?

いかんいかん。最近この話題になるとすぐに石頭の偏屈じじいになってしまいます。

| | コメント (0)

医療記事

読売新聞YOMIURI ONLINEの科学欄が紹介されていました。

「走る人は老化しない」というアメリカの報告。結論として、「年齢を重ねても健康的に過ごすために何かひとつ選ぶとすれば、(ランニングのような)有酸素運動が最も適している」と書かれていました。有酸素運動ということで良いのなら、ランニング慣れしてない人には走るのは辛すぎるから、やっぱりウオーキングがいいのではないでしょうか。でも、歳をとってからのアンチエイジングを考えるならやはり筋肉トレーニングを避けて通れません。基礎代謝をさげないことを意識しましょう。筋肉を使うということまで加味すると、自転車でのポタリングも良かったりするのでしょう(つい最近覚えたことばなので使ってみたかった)。

一方日本では、「高卒女性に脳卒中の発症が少ない」という厚労省の報告が載っていました。「中卒のグループは運動量が少なく、肥満や高血圧が多いのが特徴で、大卒などのグループは心理的なストレスを感じている人の割合が高かった」と考察しているのですが、こういう報告は何か意味があるんだろうか?と疑問に思います。結果は結果として出てきた事実だから良いのですが、「中卒者は運動し、大卒者はストレスを溜めなくした方が良い」というものでもないでしょう。数年前に、「やせた日本男性は胃がんになりやすい」という発表がありました。「胃の検査を定期的に受けるべきだ」という根拠にはなるかもしれませんが、痩せた男性が太るために高カロリー食を摂っても無意味でしょう。

対策や結果の持つ意味があまりないものまで報告してもしょうがないような気がしながら読ませてもらいました。

| | コメント (0)

モチベーション

モチベーション(目的意識)を高く保つのが成功の秘訣!

何事においてもそれは云えるのでしょうが、生活習慣改善のための生活療法を高い位置で保ち続けられるのはまさしくモチベーションを保てるかどうかにかかってしまいます。先日、うちの施設の生活改善プログラムで頑張っている会員さんと面接をしていて、そのことが話題になりました。

簡単に「モチベーション」と云っても、その目標設定を見つけだすのはこれがなかなか難しいのだというわけです。保健師や運動指導士のような指導者たちは、「これをしたい」「こんなことのできる身体になりたい」といえばそれをかなえられるための最適メニューはすぐ作ってくれるのでしょうが、「何をしなさい」「何をしましょう」という無理強いはしません。「目標は自分で見つけなさい」「夢でもいいから」、と云われますが、今までそんなことを考えたこともない人生で、「夢」を大急ぎで無理矢理見つけだすことほど難しいことはないでしょう。

「老後のために今のうちに趣味をみつけなさい」と云われて、やれカメラだガーデニングだウォーキングだ釣りだパソコンだと始めて見たところで、もともとしたかったわけじゃないのだからあまり面白いとも思わない。でも他にすることもないから続けている。そんな方はきっと少なくないでしょう(わたしもそんな感じかも)。これと同じようなものです。何でもいいとはいえ、夢でもないものを夢に設定するのはちょっとおかしいかもしれません。

せめて、あなたの今の身体なら「こんなことはできる」というような具体的なサンプルくらいは提示してもらいたい、という要望でした。なるほど納得できるご意見でした。

| | コメント (0)

葉酸の功罪

先日、ある女優さんが、自分の息子が口蓋裂だったことを話していました。

妊娠中にお母さんが葉酸不足になると、生まれてくる子どもに口蓋裂や口唇裂(兎唇)、あるいは中枢神経系の先天性異常の発生が増えるということは有名です。だから、欧米では生理が始まった娘には必ずグレープフルーツを飲ませるという話を聞きます。

ところが、一方で、以前は葉酸を取ると大腸がんを予防するといわれていたのに、逆に葉酸を取りすぎると大腸がんの再発が促される、という報告も出てきました。また、てんかんなどで使われる抗痙攣剤を常用すると血中の葉酸量が減るということも分かってきました。

こういうビタミン類は必要量を必ず外から摂取する必要があり、不足しがちなので葉物などからコンスタントに摂らなければなりません。サプリメントで摂るのも決して悪い方法ではないでしょう。ただ、ついつい多ければ多いほど良いだろうと考えがちです。先に書いたように「過ぎたるは及ばざるがごとし」になるということを忘れないようにしたいものです。

| | コメント (0)

小さく生んで大きく育てる

成人病胎児期発症説(バーガー説)をわたしは強く支持します。

若いお嬢さんが、スタイルを気にするあまり過剰なダイエットで皮下脂肪を削りまくっています。そんな若い妊娠適齢期の女性は、妊娠中でも「格好良さ」を求めて十分な栄養を摂らずダイエットに励む傾向があります。ファッション界を中心に、そんな格好いい妊婦さんをもてはやす社会風潮があり、しかも出産を楽にする目的もあって、「小さく生んで大きく育てる」ことがブームになりました。医療界もそれを否定しませんでした。お母さんは妊娠中も颯爽として格好良く、生まれた子どもは小さくてもしっかり栄養を与えるとすくすくと育って大きな体格に成長してくれるからです。

ところが、その生まれてきたかわいい赤ちゃん。小児メタボの可能性を経て、大人になってから糖尿病や高血圧、心臓病などにかかる率が高くなるというのです。何故か?十月十日、胎児として成長していた間中、お母さんのお腹の中がもの凄い飢饉状態だったからです。ひとつの細胞が増えて一人の人間になるためには想像を絶するエネルギーが必要です。でも、お母さんはちっとも栄養を与えてくれません。胎児期に飢餓を経験した細胞は、しっかりと記憶します。ですから生まれてきて食べ物を与えてもらうと必要以上に蓄えます。いつ飢餓状態になってもいいように、です。メタボリックシンドロームになるのが容易に想像できましょう。未熟児で生まれてきた子より普通に低体重で生まれてきた子の方がそうなり易いという事実は、その理屈を強く支持しています。

かといって、動かずに食べてばかりいるお母さんから生まれる「巨大児」もまた同じ様に危ないことを忘れてはいけません。「ほどの良さ」というのは妊婦になる前から習慣付けておかなければ一夜漬けでできるものではありません。

| | コメント (0)

天国

「どんな人生を歩むのが理想ですか?」と聞かれたら、どう答えるだろうか。

「仕事をしないで一生好きなことだけやれたら、天国だなあ」ということばを良く聞きます。わたしはどうなんだろう。別に医者の仕事がきらいではないけれど好きでしょうがないわけでもありませんから、家のローンを払えて生活ができるなら医者を続けることにこだわる必要は感じません。かといって、「好きなこと」ってなんだろうと考えると、悲しいくらいに何もないことを痛感するのです。子どものときから優等生で生きてきたわたしは、いつも何かをしていないと堕落しそうで不安になります。しなければならないことがなくなったとしたら何をしていいのかわかりません。することがないのでこのブログを始めたのですから。

オリンピックの番組ばかりで食傷気味だった中、昨日「人生の楽園」(朝日放送)を見ました。毎回、夢を求めて脱サラの人生を送っている方々が主人公です。昨日見たそば打ちのオヤジさんは、一日中だれも客が来ない日もあると云っています。「男の夢を追うことと家族を養うこととは全く逆のこと」とはその方の師匠が語っていたことばです。彼らが挫折せず夢を追い続けることができるのは、きっと周囲の新しい仲間が助けてくれるからだということがわかります。

やりたいことがあるから今の仕事を捨てる。それが天国とは限らないけど、そんな夢を持っている人はやっぱりとても羨ましいです。

| | コメント (0)

観戦百景

その小柄なお爺さんは、鮮やかなトリニータ青のレプリカ・ユニフォームを着ていました。身体の割にちょっと大きすぎるユニの背中には、きちんとサポーターナンバー「12」が輝いていました。おぼつかない足取りで、一段一段確認しながら観客席の階段を下りてきました。その左手には一段後ろを付いてくる奥さんらしい老婦人の手がしっかりと握られていました。大分トリニータ(J1)のホーム、九石ドームのスタンドでは、こんな老夫婦の姿がたくさんあります。たまたまそこにサッカー場があったのではありません。この日に夫婦で「サッカーを観にきている」のです。夫はしっかりと妻をエスコートし、妻は長年の伴侶とのデートの時間に浮き浮きさせながらも夫の足元を気遣っている。そんな夫婦の絆の強さをしっかりつないだ手が物語っています。「かっこいいなあ」といつも感動しています。

後ろの席から選手や審判にヤジが飛びます。試合の間中怒鳴っている人もいます。周囲に一瞬にしてピリピリした空気が流れます。「今日はちょっとハズレの席に座っちゃったな」と思います。彼らはわざわざ金を払ってきてあれで本当にストレス発散できているんだろうか?大声を上げて発散しているように見えて、ずっとイライラして、ずっと血圧を上げているのじゃないかしら?ちょっと心配になったりします。「うるせえぞ!黙れ!」と怒鳴り返す輩がいたら、そのまま喧嘩になるものなのですが、みんな聞き耳を立てながらも無視して自分の世界にいます。そんな観客の雰囲気もまた好きです。

スポーツ観戦は現場が面白い。東京に住んでいた頃、西武球場に通いながら思っていたことですが、大分のこのスタジアムの住人たちを見るに付け、試合以上に、観客の人間像を見るのもまたとても面白い!

| | コメント (0)

新型うつ病に思う

産業医をしている某企業で、約半年休んでいた職員2人が来月から復職します。

先日、新型のうつ病の話を書きました。最近、ニフティのニュースでも話題にのぼっていたのでもう一度触れてみます。新型うつは、職場ではうつ状態だが、アフター5や休日には普通に活発に動けること、そしてその原因はあくまでも周りの人間や社会であり、休んでも会社や同僚に迷惑をかけるという感覚はない、というのが典型なのだそうです。

今度復職する2人はどうでしょう?2人とも、転勤してきてから症状が出始めました。一人は20年以上やってきた仕事内容とは全く違うので勝手がわからず自分なりに頑張ったけれどうまくいかずに焦り、徐々に心身症症状が出てきました。もう一人は、熊本特有の文化に付いていけず、職場の雰囲気に慣れようと頑張るほど身体が拒絶反応を起こしました。どちらも仕事を放棄したことに無力感を感じ、同僚に悪いことをしたと思い、早く体調を戻さなければと焦りながら、とうとうドクターストップがかかりました。典型的な「メランコリー親和型」だと思います。ただ、他の職員や私の知人の中には、家で問題ないのに職場に近づくと症状が出て、自分では原因が分からず、同僚や会社に迷惑をかけることをとても気にかけて悩んでいる人たちがいます。あるいは「原因は職場の上司だ!」と断言しながら具合の悪さは仕事場でも家でも同じようにひどい人もいます。そういう「メランコリー」と「ディスチミア」の中間型(混合型)の人たちはたくさん混在しているように思います。

定義はどうでも良いのだけれど、とにかく社会が病んでいる!それは辛い事実です。

| | コメント (0)

初めての・・・

仕事柄よくホテルを利用します。水洗トイレはいつの間にかほとんどがウオッシュレットの系統になり、痔の気があるわたしには大変助かります。先日、学会で大阪に二泊したときに、小さい洋式トイレに座りながらふと昔のことを思いました。

初めて水洗トイレを経験したのは、父の勤める小学校の和式トイレでした。日曜の職員室に父に付いていったとき、急に便意を催しました。職員室のトイレが最新の「水洗トイレ」というのになったばかりだというので、その使い方を父が直々に教えてくれました。トイレットペーパーを広げた形で長くとり、それを2,3重に折り曲げながら水の中に落としていきます。便器の中に薄く敷き詰める感じです。練習のために自分でやってみましたが、歪みや皺ができてきれいに敷き詰められませんでした。でも、父がするときちんとムラなく敷き詰めることができました。準備ができたらその上に排便し、最後に流します。ペーパーが敷き詰められているので、便はきれいに流れ去っていきました。

大人になるまで、水洗トイレはトイレットペーパーを敷いてからしないといけないと思い込んでいました。しかもきちんとムラなく敷けないと反則なんだと。洋式トイレが主流になった現在はあまり実用性がないのですが、今思うと、そうやって便器をきれいに大事に使う躾をされたのかもしれません。あるいは父に教えた人がきれい好きだったのかもしれません。人生において、いろんなことに対して必ず「初めて」があります。どんな形でその初めてを経験するか。最初に教わった所作は、普通そのまま自分のやり方になり、人に伝えて習慣となっていくものです。人に云って、ペーパーは敷かなくても良いことを知り、その方法を止めましたが、本当はそのまま続けた方が良かった習慣なのかもしれないなと思ったりします。

お盆に便の話で恐縮ですが、ちょっと思い出したので書いてみました。

| | コメント (0)

おかあさぁん!

週末に、私がひいきする大分トリニータ(J1)の公式戦を観に行きました。私たちのひとつ前の列に4人家族が陣取りました。太ったお母さんとちょい太目のお父さんと両親に良く似た小学生ぽい息子が2人。座るなり、兄ちゃんがハンバーガーを食べ始めました。終わったら揚げ物を食べ始めました(ハンバーガーと一緒に買ったのかな?)。食べ終わったらすぐに次の揚げ物が出てきました。どうも供給源は隣りに座ったお母さんの手提げ袋の中のようです。彼が食べ終わりそうになると、間髪いれずに次から次からドラえもんのポケットのように揚げ物を出してきます。わたしは、しばらく見とれていました。

「お母さぁん。坊やがかわいくてしょうがないんだろうけどさあ、そりゃああまりに危険だと思うよ。」そう云いたくなりました。お母さんが出した揚げ物を、彼が拒みました。やっと終わりかなと思ったら、彼はおもむろにコーラをガブガブ飲み始めました。結局彼は試合が始まるまでずっと食べていました。

「うちの子は、食べ物を出したら気持ちがいいくらいに全部きれいに食べてしまう」・・・子供のころ、両親があるいは私の祖母が、いつもそう云ってわたしを自慢していました。おかげで幼稚園に上がる前から見事にどデカイ熊のような身体をしていました。「出したらすぐ食べ終わるし、出さないとお腹が空いたというし・・・」昔、わたしもそうでしたから、そのお母さんの悩みは良く分かります。でも、今、お母さんが鬼にならないとその子は間違いなく小児メタボになるのです。ただ、子どもと一緒に同じものをつまみ食いしながら、まったく同じ体系になっているお母さんには、その助言は無意味なのかもしれません。

ま、熱烈なトリニータのサポみたいだから、見逃してやるか。

http://satoritorinita.cocolog-nifty.com/satoritorinita/2008/05/post_887d.html

| | コメント (0)

自転車通勤手当

自転車通勤をする社員に通勤手当てを出す企業や自治体が増えそうだというニュースが出ていました(http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-24797/1.htm)。直接の収益につながらない取り組みには金をかけない、労働者は使い捨て、などという前時代的な考え方では通用しなくなりました。これなら大きな企業でなくても取り組めます。予算の少ない自治体でも奨励できましょう。すばらしいことだと思います。

労働者は身体が基本。彼らが病気になって休んでしまうことによる会社の損失は、昔考えられていたよりもはるかに高いことがわかってきました。平成13年から始まった「労災二次健診等給付」のシステムもそんな流れの産物です。まだ明確な病気になってもいない労働者をわざわざ医療機関に行かせて生活改善させるのです。しかも、あのシブチンの労災保険が費用の全額を払います。つまり、そこで金を払ってでも生活を変えさせた方が結果として出費がはるかに安くすむということです。

その「死の四重奏」(http://satoritorinita.cocolog-nifty.com/satoritorinita/2008/03/post_b13c.html)にならないように予防する方法として、自転車通勤は絶対すばらしい方法だと思います。さすがにこの季節は、危険かもしれませんが・・・。うちの病院にもこの通勤手当システムを導入してくれないかしら。禁煙と同じで、良い事だとわかっていてもなかなか踏み切れないもの。やはり新しいことを試みるときはそんなご褒美があると始めやすいものです。

| | コメント (0)

こっち側、向こう側、境界線

「家守綺譚」で梨木香歩にはまり、一緒にたくさん買った本の中から「ぐるりのこと」を読みましたが、残念ながら、この随筆はほとんどわたしの頭に留まってくれませんでした。字面をしっかり追っているのに全く頭に入らずに素通りすることってありますね。

この「ぐるりのこと」を読んでいると、「向こう側とこちら側とそのどちらでもない境界線」の概念が随所に顔を出し、いろいろと思いを巡らせました。断崖絶壁や生死の境のように、ONとOFF、有りか無しかの二者択一が本当に必要なことは現実には思っているほど多くないように思いますが、「それをスッパリ割り切ってどちらかに決められる人間が素晴らしいのだ」という風潮はわたしはとても苦手です。白でも黒でもない灰色、この曖昧なものの存在を無理してどっちかの色に染め直させる必要などあるのでしょうか?真実はひとつなのだろうけれど、灰色というのも立派な真実であり、灰色は白か黒になる途中の一時的な色ではなくてそのままずっと灰色であって何か問題があるのでしょうか?

また次の瞬間にはこんなことを考えました。こっち(自分のもの)とあっち(他人のもの)の区別をしたとき、あっちのことは何も分かりません。死後の世界がどんななのか、断崖を飛び降りたらどうなるのか、相手の心はどう動いたのか、壁の向こうでは何をしているのか、こっちとあっちの境目はすっぱり分かれるのに、その「境目」には何があるのだろう?一度「あっち」を経験してしまうと、「あっち」は「こっち」になり、そうすると分かれ目が分からなくなってきて・・・。

こんな脈絡のない内容がどんどん頭に流れ込んできました。こんなことで頭が支配されているのだから、本の内容が何も頭に入っていかないのも無理はないか。

| | コメント (0)

Hanage(ハナゲ)

「背広を着た縄文人」~縄文から現代における環境変化と人類の病気~という本があります(だそうです)。SRLが発行した非売品らしいので読むことはできませんが、その本を元にした日立の座談会ページがあり、面白く読みました(http://133.145.224.19/products/personalhealthcare/metabolyzer/interview/vol3/index.html)。

興味のある人は直接読んでもらうとして、その話の中に「痛みが定量化できない」という話がありました。痛みがあるから身体は異常を察知し防御態勢に入ることができるわけですが、同じ痛みでも人によって感じ方が全く違います。他人の痛みは分かってやれません。自分の痛みと他人の痛みを比較する基準がないのです。そんな「痛みの単位」として「Hanage」という単位が話題になったことがあります。わたしも何となく聞いたことがあります。鼻毛を1本抜くときの痛みを「1 Hanage」と定義するというものです(http://homepage2.nifty.com/rumor/sonota/hanage.htm)。面白いことに、痛みはS状カーブを描くのだそうで、針で刺したような小さな侵襲でもとても痛く感じるのに、ある程度強くなってくると痛みはほどほどに抑制されます。だから100本の鼻毛を抜いても5 Hanageくらいにしか感じないようにできているのだそうです。この痛みの程度を制御しているのが「アナンダマイド」という脳内物質なんだとか。

この「Hanage」、チェーンメールで広がってしまったデマだったのですが、あまりに良くできていたので都市伝説になったとか。そういえば、いろいろなウイットに富んだ新しい単位のアイデアがたくさん出てきた記憶がありますが、あれがそのころなんですかね。

| | コメント (0)

「背広を着た縄文人」

先日の心リハ学会ではイブニングセミナーで「背広を着た縄文人」の名付け親、丸山征郎先生(鹿児島大学)の話がありました。

人類は飢餓とケガと感染との闘いの歴史の中で、一定期間飢餓状態でも生きていける血糖維持機構を発達させ、乏しい塩分を探して取り込み再利用する機構を作り、脂肪を美味しいと感じるセンサーと一度取り込んだら再吸収する仕組みを作り上げて、強かに生き延びてきました。ケガに対して強固な止血機構があるために出血しても瞬時に止血できます。感染防御の免疫機能も何重にも重なり合った機構になって万全を期す。この劣悪環境を生き延びるための完全武装のおかげで、人類には今があるのです。

ところが、ここにきて「トレードオフ現象」が意味を成すことになります。つまり、システムというのは何かを追求すると一方で何かが必ず犠牲になります。血糖は上げやすいが下げにくい。瞬間的な止血システムは血管壁の傷にも過剰に反応し動脈硬化を進め血栓を作らせ易くなる。少量の塩分でも生き延びる機能は高血圧をもたらす。あるいは、重なり合った感染防御機能は酸化LDLも異物と認識し、また過剰な反応によりアレルギー、アトピーを爆発的に増やすこととなりました。

代謝系の流れについて、これまでわたしがずっと受診者さんに話してきた内容に間違いがなかったことが確認されてとても嬉しかったですが、それよりも、マンモスから生き延びるために瞬時に血が止まるようになったことや、感染に対抗する機能が発達しすぎたためにアレルギーが激しくなった事実に、人間のすばらしさともろさを感じて愛おしくなりました。

| | コメント (0)

三銃士の憂鬱

わたしの研修医時代、CCUには3人のスーパーナースがいました。東京の第一線の心臓救急病院で研修を積んできた彼女たちは、本当に仕事に厳しい人たちでした。CCUは一瞬の判断が生死を分けるシビアな世界です。彼女たちがリーダーとして目を光らせていることで平穏を保っていると云っても過言ではありませんでした。

「先生は患者を殺す気ですか!」・・・妙な処方指示を出しては何度も叱られました。「先生の小ベンにきちんと指導してください!」とわたしの指導医がおこられたりもしました。わたしは心臓救急のノウハウの多くを彼女たちから教わったといっても過言ではありません。とても怖い方々でした。もちろん働くナースたちにはもっと怖い存在でした。畏敬の念を持ちながらも、常に煙たい存在だったようです。

そんな彼女たちの一人があるとき(送別会のときだったか?)ポツリと本音を話してくれました。「煙たがられていることは分かっています。わたしだって、別に好きこのんで憎まれ役になったわけじゃない。でも、誰かがこの役をしなきゃCCUはダメになるのだから。」彼女たちからそのことばを聞いてちょっとホッとしたことを覚えています。孤高の三銃士たちは、各々に結婚という形で現場を離れていきました。

その次の次、あるいはその次の世代くらいのリーダーにとって、彼女たちは「伝説のナース」でした。「わたしは到底彼女たちのような厳しいリーダーにはなれないと思います。第一に、当時の厳しさで臨んだら若いナースたちは付いてきてくれません。そして本音をいえば、わたしはそんな「憎まれ役」を貫けるだけの自信がありません。」若いリーダーたちは堂々とそう語りました。現代社会はどの世界でもそんなものなのかもしれません。

| | コメント (0)

『とんがる』を考える

知人のブログを読みながら、「とんがる」について考えました。

若い頃、「とんがる」ことが正義だと信じていました。「とんがる」ことができない「妥協」は、つまりは「敗北」であると思っていました。あるとき、とんがるのを止めてみたら大きく世界が広がりました(http://satoritorinita.cocolog-nifty.com/satoritorinita/2008/04/post_a433.html)。でも、今になって、「とんがる」ことに再び憧れ、渇望すらしている自分がいることにも気づきます。「とんがる」のを止めると見えてくる世界があるのと同じくらい、「とんがる」ことでしか見えない世界もありましょう。

「とんがる」のを止めて「丸くなる」ことは悟りにも似た素晴らしい大進歩です。ただ、現在社会は「丸くなる」の意味をちょっと取り違えているように思います。「丸くなる」は「相手に対する深い思いやりの心を持つ」ことに他ならず、間違っても「大雑把になる」とか「丸く収める」とかと混同してはならないものです。一方で「とんがる」とは「切れる」とか「怒りっぽい」とかと混同していないでしょうか。「大人げない」という言葉で切り捨てようともしていないでしょうか。領土問題に対する某隣国の国を挙げての態度はちょっと大人げない気がします。あれを「とんがる」とは云わないでしょう。

「組織の中にとんがっている人間がいないと馴れ合いになる」ということばは間違っているかもしれません。ただ、とんがっている人間がいた方が大きな視界の転換にはなると思いませんか?わたしが今もう一度「とんがった」生き方をできたとしたら、きっと若いときの「とんがり」とは全く違う、云うならば「丸いとんがり」ができるに違いないと思うのです。

ただ、それにエネルギーを使うのがだんだん面倒くさくなっている。埋もれるな、自分よ!

| | コメント (0)

ヒポクラテスたち

「ヒポクラテス症候群」という病気(?)があります。医大生(や研修医になりたての医師)がかかり易い病です。「医大生落ち込み症候群」と解説されていますが、わたしの学生時代にそんな和名があったかなあ? とにかくちょっとした身体の異常が、講義で習ったことのある病気の症状に良く似ている気がして、自分は難病かもしれないと悩むのです。吐き気があると胃がんかもしれないと思い、小便が臭いと糖尿病じゃないかと心配し・・・。そういえば、ちょっと逆の意味になりますが、私は精神科の実習で受診してきた患者さんの問診を取った後に「そんなことは私にもよくあることさ」と思っていたら、患者さんが帰られた後で、「あれは典型的な精神分裂病ですね」と教授に解説されてすごいショックを受けたことがあります。

そんな医大生たちを主人公にした映画「ヒポクラテスたち」(大森一樹監督)のことをふと思い出しました。今は亡き古尾谷雅人が主人公だった気がします。斉藤洋介とか伊藤蘭とか柄本明とか俳優さんが個性的だったこともありますが、ほとんどデフォルメされることなく、まるで自分たちの6年生のときと同じような光景ばかりで、完全に自分を同化させてみた記憶があります。

ところで、どうして「ヒポクラテス」なのか、当時習った気がするのですがどうしても思い出せません。ちょっと悔しいです。

| | コメント (0)

医者は結果の報告屋

「わたしはもう10年以上毎年ここで人間ドックを受けています。ここにはわたしのすべてのデータがそろっているから安心して任せられます。」

こんな「信者」に近い受診者さんが何人もいます。たいへんありがたいことだと思いますが、この方々はちょっとだけ誤解しています。健診の検査データは受けた数だけ蓄積されますけど、そのデータをずっと診てくれている人は存在しません。検査データがあればその人の全てがわかると思っている様ですが、そんなものではありません。普通の病院やクリニックでは「主治医」がいます。主治医はカルテとデータを眺めながら、この人はどんな病気で、どんな性格で、どんな仕事をしていて、どんな家族構成でなど、情報の山を「その人」の歴史としてきちんと整理しています。でも、健診センターでは、検査をする人も結果説明をする医者も毎年違います。医者はあくまでも「今」を伝えてくれる報告屋に過ぎません。もちろん毎年顔を合わせるので顔見知りになっている人はいますが、あくまでもその刹那刹那のアドバイスをするだけです。データを全部見せろと云われれば今まで受けたすべてのデータを並べることはできますが、過去のデータを眺めても、この人の歴史は語ってはあげられないのです。つまり、データバンクとして健診センターを使うのは良いとしても、健診の医者が家庭医や主治医の代わりにはなれませんから、是非とも身体(と人生)全体を見守ってくれる「主治医」をお近くに捜してほしいと思います。

ちなみに、病院付属の健診センターだから、そのまま病院にもデータが流れていっていると誤解している人もいますが、保険診療部門に健診の個人情報が自動的に漏れ出ることは、あり得ません。

| | コメント (0)

カルシウムと脳卒中

先日、「カルシウムを乳製品で多くとる人ほど脳卒中になりにくい」という厚労省班研究の報告が発表されました(http://mainichi.jp/select/science/news/20080729k0000e040069000c.html)。

もともと、牛乳の飲み過ぎが身体を蝕むという理屈の方が納得できるわたし(http://satoritorinita.cocolog-nifty.com/satoritorinita/2008/02/post_36d0.html)にとっては、この情報で無条件に世間の大人たちが牛乳を飲み過ぎるようになり、こどもたちが飲みたくない牛乳を無理矢理飲まされるようになるのではないかと、とても危惧しています。動物の危機管理能力は、体内に間違って入った毒物を吐き出すか下痢で出すように機能しています。牛乳不耐症というのもまさしくこの作用です。日本人に牛乳不耐症が多いのもうなずけます。日本の太古に牛乳を飲む文化はなかったはずですから。だから、そんな牛乳不耐症の人に対して、「身体に良いものだから」と云いながら牛乳を飲みやすく調理加工して無理矢理飲ませる意味が本当にあるとはどうしても思えません。

記事によれば、1日に牛乳130ccかスライスチーズ1~1.5枚で効果がある、というのだからこの程度の量にしておいてくれるなら何も文句はありません。でも、「乳製品のカルシウムは多ければ多いほど効果があった」と書いてあるわけで、真面目な日本人は、偏食になるくらいの勢いで乳製品を摂ろうとするのではないかと心配です。この記事の最後に「乳製品の飽和脂肪酸が心疾患の罹患率を高める・・・」と書かれています。脳梗塞にならないけど心筋梗塞や骨粗鬆症やアトピーやになるのなら、やはり本末転倒というものではないでしょうか。

| | コメント (0)

オリーブオイル

脂質異常症が取りざたされる中で、料理をする上で「オリーブオイル」は一番理想の油だと云われています。主成分であるオレイン酸(一価不飽和脂肪酸)が酸化を受けにくいだけでなく、他の植物油のように加工の課程で加熱処理や溶剤抽出をする必要がなく、非加熱で果汁を絞ったままにしておけばできあがるのです。ですから、特保(特定保健用食品)の某植物油などと比べても、はるかに良質の植物油だと云えます。このため、ちょっとクセはあるものの、「油はオリーブオイルしか使わない!」という健康志向の方はとても多くなっているように思います。先日の心臓リハビリテーション学会の講演でもオリーブオイルだけが強く勧められておりました。

ここで天の邪鬼のわたしはふと「オリーブオイルは本当にわたしたちの身体にいいのかしら?」と思い始めてきます。オリーブとブドウは人類が最初に栽培した植物といわれ、オリーブの葉は感染症にも効くと云われています。おそらく太古から人類にとって最適の内容をもつ植物なのだと思います。でも、あくまでもヨーロッパ諸国原産の植物です。日本人の遺伝子の歴史の中に、「オリーブ」というものは記憶されていたのでしょうか?「身土不二」「地産地消」「スローフード」などの考え方が日本でも広がりつつありますが、化学組成が健康にとって理想だからといって、世界中のどの人種にも必ず理想だと考えるのは軽率なのではないかと思うことがあります。元来、体内に入ってくるように想定されていない食材が侵入することは、身体としては異物を入れられるのと同じような拒絶反応を起こしてもおかしくないのじゃないかしら。オリーブオイルを塗ることによるアレルギーは有名ですが、食べる方は本当に無条件に「良い者」なのかしら?

| | コメント (0)

アンケート用紙

先日、うちの妻のところに婦人科健診受診後のアンケート用紙が届きました。A4用紙が入る大きな封筒で、出したのはわたしの勤務する健診センターです。

「ねえ、これどうよ?」一通りを書き込んでいた妻がそう云いました。A4の大きさで出されたアンケート用紙を入れるための返信用封筒がB版の小さな封筒なのです。「どうやって折ったら入るわけ?」とちょっとイライラしています。たしかに国や県から送られてくる調査の返信用封筒もこのミスマッチ封筒が使われます。「ねんきん特別便」の返信用封筒もこのタイプで「バカにしてるのか」という苦情投稿があったのを聞いたことがあります。送る側としてはどんな折り方でもよく厚ぼったくなってもかまわないわけでしょうが、たしかに送り返す側からすると不愉快です。「義務的な調査ならともかく、アンケートというのは『良かったらご回答していただけませんか』というものなんじゃないの?なんでこんなに上から目線の態度なの?A版封筒じゃなぜいけないの?そこまでしても節約したいわけ?」・・・そんなこと私に云われても、ねえ。

送ってきた封筒が大きいのも返信用封筒が小さいのも、送る側の事情です。大量の郵便物を出すに当たって、「折り曲げる」という作業が思いの外手間取るのです。折り曲げずに送れる大きさの組み合わせを選ぶと、結果として相手の気持ちなんか気にしておれないことになります。うちの妻は文句を云いながらも出してくれましたが、こういう人たちはきっとアンケートを返信しません。なぜならこの封筒、封をするためのノリも付いていませんでした。どうせ出したって見返りはないのです。サービス業として、お客様の意見をきちんと集めている気になっている送り主にお伝えします。そういう輩は少数派だから無視しておくことにしてますの?

| | コメント (0)

でもしか先生

大分の教員汚職事件は瞬く間に全国ニュースになり、各都道府県は「調べてみたけど大したものはなかった」と対岸の火事を強調する形で幕引きを図っている感じです。

大分の「でもしか先生」を両親に持っていたわたしですが、大分市のヒラ教員でしかなかった「でもしか夫婦」は、こういう口利きに関与できるほどの実力者には上り詰められませんでした。http://satoritorinita.cocolog-nifty.com/satoritorinita/2008/05/post_c272.htmlhttp://satoritorinita.cocolog-nifty.com/satoritorinita/2008/06/post_549b.html

昔から、試験に合格するには口利きがあった方が有利だというのは「常識」でした。教職に限らず、地方公務員関係の試験では他のどの自治体でもそうだったと思います。でもそれは、試験の成績が低ければ論外で、同じ点数なら地元の実力者の知り合いの方が上に来るのもしょうがないかなというものでした。わたしの同級生たちも、そんな噂の中で議員さんや教職のお偉いさんの知り合いやツテがいないか汲々とし、「そんなのは大嫌いなんだけど、背に腹は替えられないから」と、渋々、おじの知り合いの議員さんにあいさつに行った友人も居ました。

ただ、事実は知りませんが、結果としておそらく口利きは用をなさなかったと思います。なぜなら、受験者のみんなが同じ様に口利きを頼むのが習慣であれば、それだけでは差がつかないからです。だからそのうち権力のゴリ押しだけでは有利にならず、だれかが金を出し、徐々に金券や金が絡むことになったのかもしれません。地方の小さなコミュニティではなかなか出来上がった習慣的悪行にメスを入れるのは難しく、糾弾することは自分の築いてきたキャリアを全て無にすることだから、当事者は大変だっただろうなと思います。今回のような発覚のしかたになってホッとした人は少なくないのではないでしょうか。そんなことに苦しむような立場になれなかったうちの親は幸せだったかもしれません。

| | コメント (0)

« 2008年7月 | トップページ | 2008年9月 »