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意識の違和感

日本人間ドック学会に行ってきました。冒頭で、学会長の講演を聴きました。心臓外科を専門とするその学会長は、「『健診』は健康度をみるものであり、それに対して『人間ドック』はイコール『検診』だ」と言い切りました。彼曰く、「病院は病気になった人への治療をするところ。それに対して、人間ドックは病気の早期発見をするところ。だから、人間ドックには医者や技師の高い「診断力」が必須であり、診断精度の高い、良い検査機器を使うことこそが何より優先されるべきだ」と強調していました。

その話を聴きながら、「ん?」と妙な違和感を感じました。健診と検診の違いについては以前書きましたが、わたしの感覚では、人間ドックは当然「健診」の代表のはずです。でも、彼は「検診」だというのです。これが普通の臨床の医者の感覚なんだと思いました。世の第一線の医者は、受診者が健康であり続けるために助言をすることは医者の仕事ではないと思い、病気を早く見つけ出すことにしか興味がないといってもいい。わたしが、今の職場で同僚の医者たちと話していても、健診に対する意識に何か違和感を感じていた理由がやっとはっきり分かったような気がしました。わたしはやはり医者じゃなくなったのかもしれません。でも、大昔の「医者」はもっと違うものじゃなかったのかしら。

実は「人間ドック」というのは2.26事件のあった翌年、民政党代議士の桜内幸雄・俵孫一氏が健康チェックのために一週間入院したときにできたことばだそうです。「航海を終えた艦船がドライドックに上がり、船底の貝殻を取ったりエンジン・計器の整備をするようなものだ」と記者会見で言い訳したのです。そういう意味から考えると、もしかして「検診」の方が正しいのかもしれません?

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