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綱渡り

クドイと云われそうですが、「未病を発見して病気にならないようにする」ことを一次予防とは呼びたくない、というこだわりがわたしにはあります。一次予防を表現するなら「未病状態があるのならそれを見つけ出して早く健康状態に戻してしまう」こと、と定義したいのです。「病気にならないこと」と「健康に戻すこと」を同じことだと思うのが、病気の方向しか眺められないタイプの医療従事者のサガだという気がします。

曲芸の中に「綱渡り」というのがあります。バランスを壊さないように調整しながら、天空高くに張られた一本の綱を渡っていきます。「健康」という状態はこの一本の綱を転落することなく歩いて進んでいくことだと思います。体調や環境や年齢や、いろいろな因子の風が揺らしにかかります。それを未然に感じながら、揺れを最低限に保ってすぐに元の位置に戻しながら進んでいけるのが理想ですので、現代社会で健康を保つということがどれほど大変なことかが分かります。「病気にならない」ということは、綱の上からいつも眼下の世界を眺めていることになります。落ちないようにということばかりに注意して進んでいく人生です。「健康に戻す」ということは眼下を見ることなく前を見つめて進んでいくということに他なりません。この2つのことを、それでも結局同じことだ、と言い切れる人がどれほどいましょうか?

でも、それをするのは「医学」ではない、とそういうのでしょう。そんなことのために高い金を払えない。少なくとも医者の給料を払うほどのことではない。そういうのでしょう。

わたしには、やはり相容れることのできない大きな壁になりそうです。

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