弔辞
町田の地でたくさんの兄弟と一緒に生まれたあなたが、空路はるばる熊本空港にたどり着いたのはもう14年も前の冬の日のことでした。町田でブリーダーさんの腕の中にいたときにはおっとりとしたのんき者に見えましたが、うちに着くなりずっとウオンウオン泣き続けましたね。犬のしつけは最初が大切。上下関係をはっきりさせるまでは甘い顔をみせてはいけない。真面目な新米パパママはどんなに泣いても叱りつけました。粗相をしたらゲージにいれて震えあがるくらいに叱りました。あなたが異常に臆病で、大きいくせに決して目線を合わせないオドオド犬になったのは、そしてお腹の弱い犬になったのは、まちがいなく私たちのせいです。
家の中にはあなたとの思い出の写真がたくさん飾ってあります。ミュイ天文台への山道で生まれて初めて吐きました。天草の海岸では堤防から滑り落ちて生まれて初めて溺れそうになりました。あそこは足が届くような浅い海でしたけど本当に慌てましたよね。高千穂峡にも行きました。若いお姉ちゃんを見かけたらなりふり構わず走り回りましたね。晩年までずっとお姉ちゃんが大好きでした。おばあちゃんは大嫌いでした。黒い服のばあちゃんがいると遠くからでも吠え立てましたね。一番大好きだったあのお散歩おじさんは、今でも元気にしてるんでしょうか。
ワンのオフ会はどこにでも行きましたね。富士の裾野、河口湖にも行きました。琵琶湖にも大仙にも四国にも行きました。牛窓でも四国でも必ず部屋の中でオシッコを漏らしましたね。家に雷が落ちて以来、遠くで鳴っていてもいつもガタガタ震えていました。頑固なくせに、とても優しい父ちゃんでした。娘を必ず前に出してやりました。彼女が横取りする餌は全部渡していましたね。「おれがおれが」のない、やっぱりあなたは「おっとりおじさん」でした。
一緒に生きてくれてありがとう。心から感謝しています。合掌。
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コメント
先生。木下です。
家族への、身を削るような愛の言霊に、コメント書くことをお許しください。
あるオジサンからこのブログの存在を教えてもらい、日々読ませてもらって、いつも、他人の日記を読める時代の不思議さに、変な有り難さを感じているのですが、今回は涙が出ました。
実は、我が家では先月、13年と半年、共に暮らした彼女が、逝きました。
僕の妹が、当時、付き合っていた彼氏(今では旦那)との間でキャピキャピと戯れに、無計画に、我が家の一員にした彼女でした。
純粋なヨークシャテリアだったので大きくならないってことでした。ソフトボールがラグビーボールくらいに育ち、よく飛び回り、私は猟犬で番犬なのよと誇らしげに吠えては、みんなを守った彼女でした。
でも、家族の中で、僕が帰って来たときだけ、誰じゃー!!と玄関まで吠え走り、僕だとわかった瞬間に失禁するのでした。
はじめの1週間は、名無しの権兵衛。最初の3日間は、やっぱり、マーブルと名付けられ、バカップルの妹たちは、しっくりこなかったようで、今は亡き祖母に名付けてもらおうとお願いしたら何故か『みちる』となり、みちる3日間。彼女が牝であると、牝の先輩である祖母が理解したので改名。
1週間でようやく『チャッピー』が誕生しました。
ただ、それもドッグフードのCMから頂戴したものだったのですが。勝手なもんだ。
思えば僕は、はじめから、変に、冷静に彼女に接して来たように思います。
そんな彼女が逝ったのを知ったのは、妹からの携帯メールでした。家族で山に埋葬してきますと書いていました。今、妹夫婦は子育てで忙しく、実質は長年、僕の母が世話をしていたので、母ちゃんが気を落とさないようにそれだけは頼んだ、と返信しました。僕は仕事中で、草刈りをしている最中だったのですが、なんとなく暫らく辺りを見渡して、山の草をドンドンドンドン刈りました。
家に戻ると、姿はなく、違う家に帰ってきたような感覚でした。今でも僕はその山の場所を聞けません。
こうして文章に書けたのは、先生のブログのおかげだと、漠然と思っています。
チャツに対しても、死してなお想える存在は、貴重な命だったと思います。僕にとっては草葉の陰です。でも陰になってしまっても、想えるってのは、お陰様だと思ってます。
存在と命を大切にするって事を教えてくれる、おかげさま。
ありがとうチャッピー。
ありがとう先生。
投稿: 木下です | 2008年9月12日 (金) 02時45分
木下さん、
コメントありがとうございました。
私のもうひとつのブログで日々の様子をあえて毎日綴りました。彼が急変してもうダメかと覚悟したあと、約一週間の小康状態がありました。その間、常に彼と向かい合い、ずっと寄り添いながら、存在と人生を確認する濃厚な時間をいただきました。神様が私たちにわざとそんな時間をくれたのだと思っています。だから存在はなくなりながらも魂がずっと寄り添っているという感覚があり、あの壮絶な日々が夢の中のように感じています。
チャッビーちゃんもまた家族の大事な一員として生きてきた確かな存在が有ったからこそ、魂がずっと見守ってくれていると思います。
合掌。
投稿: ジャイ | 2008年9月12日 (金) 09時08分