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「健康」と「終末」の医療教育

大学を卒業し大学病院(大学教育の現場)と縁を切ってから、もう相当の時が流れました。大学教育はかなり様変わりしたのかもしれませんが、わたしの感覚では、医学部の教育の中で決定的に足りないのは「健康」とは何かと「老化」とは何かということだと思います。「終末医療」というものもほとんど教わらなかった(今はきちんとカリキュラムがあるのかも)ですが、現在はこれだけで一教室あってもおかしくないと思います。

基礎医学教科として「生理学」や「解剖学」「組織学」などを習いました。「健康」はつまりそういう正常な細胞や組織の集まったものだ、と暗に教わったのかもしれません。「発生学」は習いましたが「老化学」は教わっていないように思います。最近になってやっと「アンチエイジング」が学問として認められ始めているのですからさもありなんです。あるべき細胞に異常を来したものが病気だからあるべき位置に戻すように手助けすること、すなわちそれこそが医者の仕事であると先輩諸氏からいい伝えられてきた気がします。だから「健康」も「老化」も医者の向かうべき方向(仕事)ではない、あるいはそんなものは「哲学」でしかないとそう云うのでしょうか?「終末医療」とはすなわち医療のギブアップ(敗北)だと云うのでしょうか?

今、「健康」が正常細胞の集合体を指すのではないということを疑う人はいないでしょう。「健康とは何ぞや」ということを医学ではなく哲学だ、というのは一部の古い頭の医者しかいないと信じています。「老化学」こそが人間学の究極ではないかと思いますし、人間がいかなる「終末医療」を受けられるかということが、医療の最大の存在価値だと思わずにはいられません。これらを医学の末端だと云い切る古い頭の医者たちはどうせそのうち消えていきます。今、新しく医者になろうとしている若い柔軟な頭にこそ、しっかりとこれらを教育してほしいと、切に願います。

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