可能性とは?
医者の発することばには、当人が思っているよりはるかに重い意味が潜んでいます。「もって6ヶ月でしょう」などと云いながらどうせ明確な根拠のある数字ではありません。ドラマで「あの子は薬がないと1日しかもたない」などというと、なぜか「リミット24時間」と決め込んでいて滑稽です。「23時間50分、あと10分しかもたない!」などとクライマックスで一生懸命ですが、「約1日」は、30時間でも大丈夫かもしれないし20時間もたないかもしれないのですから、まるで時限爆弾のような分単位の緊迫感は意味がないがな、と思います。
医者が、「もう無理だ」と判断する根拠は何なんでしょう?「もはや延命の意味はないから、最後はご家族みんなで看取ってあげてください」と集中治療室から個室に移したら途端に奇跡の快方を迎えることがあります。ガンの終末医療では、医者の思惑よりはるかに長く生き生きと生きる患者さんがいる一方で、予想以上に早く一気に萎んでいく患者さんもいます。
「医者は不安になることしか云わなかった。なんで『わたしに任せておけば大丈夫。』って云ってくれないの?何か頼りない気がした」・・・昔、わたしの姉が長男を小児科に連れて行ったあと、わざわざわたしに電話してきてそうグチを云いました。でも、それはしょうがないでしょう。特に小児科では、間違いのないように、ありそうな可能性は何でも前もって話しておくのが無難です。モンスターペイシェントばかりの中で、「根拠のない自信」など云うはずはないじゃない?
わたしにも外来をしていたころに時間をとって可能性を詳しく話したところ、「あの先生は頼りない。『大丈夫!』って云ってくれないから」そういって、他の先生のところに移られてしまった苦い経験があります。でも、心臓がほとんど動いてないのに「何をしても大丈夫」って云ってあげるほどわたしはその患者さんの人生を抱えこむことはできませんでした。
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