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悟りの錯覚

診察の「察」は、科学的な「観察力」と情報のすべてを集めて考える「洞察・推察力」の意味だと教わりました。でも、鎌田先生から醸し出される「察」には、何かもっと大きな力があるように感じてなりません。

わたしもそんな「察」の医者になりたいと思いました。「医者」の肩書きはどうでもいいのですが、そんな「察人間」になりたいと思いました。今の職場に移って数年で、自分がどんどんそんな人間に近づいているという実感がありました。このまま行ったらすぐに悟りきってしまうかもしれない!と思い上がりました。

でもここ2~3年、その心は退行する一方です。人の心や人生を察するには、自分の姿を察する力が鈍っていてはどうしようもない。自分が楽しいことが大事。当時は何をしても楽しかったけれど、今の自分はきっと楽しくないのだろうなと思います(「思います」というところが自分を察し切れていない証拠でしょうか)。先日、ある方から「あなたは何かやりたいことがあるはず。それを勇気を持ってやりなさい」と云われました。きっとそれがあるんだろうなと思いながら、いくら考えてもそれが何なのかわかりませんでした。

そんな中でたまたま出会った鎌田先生の笑顔の写真。「まだそう焦らなくてもいいのかな」・・・そう感じさせてもらえました。もっと感じて、もっと察することを素直に楽しめたらいいのかな、と思います。

鎌田先生のブログ「なげださない」http://kamata-minoru.cocolog-nifty.com/blog/

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