医療訴訟
15年ほど前に、訴えられて証言台に立ったことがあります。「医者をやっていく上ではこんなこともあるよ。まあ人生経験だと思って行っておいで」・・・うちの病院の顧問弁護士さんにそういわれながら法廷に出向きました。
心臓を栄養する血管を冠状動脈といいます。これが詰まると狭心症や心筋梗塞を引き起こします。症状や心電図検査でその異常が疑われたときに最終的に治療方針を決めるために行うのが冠状動脈造影検査です。直接心臓にまで異物を入れる検査ですからそれなりの危険性を伴います。その方は、その冠状動脈造影検査を受けるために入院しました。そして、その検査の途中で容態が急変し不幸にして亡くなられたのです。造影検査をしてみると想像していたよりもはるかに厳しい所見だったことを覚えています。わたしは、その患者さんを受けもった主治医の指導医の立場として、検査の説明をしました。当時、わたしはこの検査の説明に1時間かけていました。普通は20分程度だそうです。でも、病気の説明から検査の進め方、危険性、メリットデメリットなどをきちんと話していたら、当然1時間くらいかかって当たり前だと思っていました。もちろん、この方にも家族を交えて約1時間の説明をしました。ところが、わたしが証言台に立たされた理由は、「そんな説明は一切受けていない」という原告の主張があったからでした。「聞いたかもしれないけど理解できなかった」とか「忘れた」とかいうのではありません。「説明がなかった」と云うのです。
訴えられる側は訴えられたことにだけ反論することしかできません。根も葉もないことを云われても、それが根も葉もないことだということを立証しなければなりません。裁判というのは実に怖ろしいと思いました。そして、それが根も葉もないことだということは、自分が一番分かっているだろうに、どうして平然とそんな主張ができるのだろうか?人間って怖ろしいなと思いました。
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