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パターン認識

学校の教師をしていた私の父は、子どもたちをいくつかのパターンで区別し整理していました。「このタイプの子どもはこういう性格だからこういう対処をしたら大体上手くいく」・・・パターン認識の確率論に基づいて、いつもスマートに問題を解決させていました。同じく学校教師だった母はというと、いつもパーソナリティを大切にしようとしていました。「そんなときにはな・・・」と父からアドバイスを受けながらも、どうしてもパターン化できないのでとても不器用な対応をしていました。そんなに考えすぎたら、先に行けないんじゃないかと心配したこともありました。父も母もどちらも子どもたちにはとても慕われていた良い教師だったと思います。

「『できるだけパターン化して効率よく対処できるのが教育のプロだ!』と言い切る、父の生き方がきらいだ!」という話を大学時代に友人に話したら、自らも教師の両親を持つ彼が「なんかそれ分かるような気がする。」と言っていたのを思い出します。医者になって、プロフェッショナルとは何かを考えるようになったとき、やはり気になるのはこの問題です。数をこなさなければならない日常の中で、いかに効率よく平等にしかも全員に満足いってもらえる「サービス」が与えられるかが、「プロフェッショナル」の条件であることは認めます。多人数を相手にする健診の現場では、それがもっと明確です。でも、相手にとっては常に一対一の対象です。健診の結果説明ひとつを取っても、全く違う人生背景と社会背景をかかえている各々を十把一括り扱いで相手することは、私にはどうもできそうにありません。

コストパフォーマンスが悪くても、必ずしも平等な対応をしていなくても、やっぱりわたしは母に似て、不器用な頼りにならないアドバイザーとして相手とともに悩むのが性に合っている気がします。

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