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既往歴の記憶(後編)

人生の既往としての真実はたったひとつかもしれないけれど、でも終わった歴史はどうでもいいといえばどうでもいいことです。

ところが、話を聞こうとしている相手はそれを数字として記録に残さなければならないのでそれなりに必死のようです。話で聞く分には曖昧でもいいものが、文字として書く時点で記録になります。53歳を「54歳くらい」と書いても間違いではないけれど、「54歳」と書いたらウソになるのです。最近は電子カルテやパソコン管理が増えています。「54歳頃」は文字列ですが、「54」は数値です。そして、数値の方が文字列よりもはるかに管理し易いので年齢の欄は当然数値を入れるように設定されます。つまり、自ずと「53」なのか「54」なのかを決めてもらわないと入力自体ができないことになります。困ったものです。記録をスマートに管理するために、いい加減な記憶から無理矢理にひとつの数字を決められます。もしかしたら間違っているかもしれない数値が、まことしやかに自分の歴史を作り変える危険性があるのに、です。・・・生命保険に絡まない限り人生にとってどうでもいい事ではありますが(だからこそ)、明らかに本末転倒なことですよね。

最近は、インターネットのアンケートでも同様のことを経験します。買った車の年式は?とか今使っているパソコンを買った年は?とか。次を売るためのマーケッティングの意味が大きいことは容易に想像できますが、それでも「何年頃か?」ではなく「何年か?」の問いに「そんなこと覚えてるもんか!」とひとり突っ込みを入れながら、わたしの様に、その手の質問が出た瞬間に答えるのを止める人は少なくないのではないでしょうか?

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