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納棺師

遅ればせながら、映画館で「おくりびと」を見ました。魂の抜けてしまった抜け殻である遺体をキレイに祀り、艶やかにかつしめやかに送り出す儀式は、「愛おしい人と一緒に生きてきたことの想いを抱きながら、訣別のあいさつをする」、逝く人のためというよりは、残された者が自身の心の区切りをつけるための儀式だと思います。故人(の体)と対面するのは、多くの場合お葬式や通夜の席になるのでしょう。そこにあるモノにはすでに魂がないことは分かっています。生前の面影はすでになく、変わり果てた顔に死化粧を施し、「キレイにしてもらったね」とか「ありがとう」とか、かけがえのなかった存在に優しく最後の語り掛けをして、自分の心に別れの踏ん切りをつけるのです。

闘病生活を続けてきた母の最後の顔は、わたしの脳裏に残る母の顔=もっとふっくらとして静かに優しく微笑んでいる=とは似ても似つかない屍の顔でした。死後一週間たって少し腐乱しかけて見つかった父の身体は誰なのか半ば判明しにくい姿でした。突然死して数時間後の同僚の遺体と対面したときにも、若さを誇った彼の生前の面影は全く残っていませんでした。

「おくりびと」である本木君が施してくれる納棺のための儀式は、生前の姿を想像し、目の前の死体を生前の姿に戻してあげようとする作業です。あそこまでキレイに施した姿を目の当たりにするならば、おそらく残された者たちは今よりもっとたくさんの思い出を頭に浮かばせ、もっと多くを語りかけることができたでしょう。

死を忌み嫌う風土の中では蔑まれた職業と認識されるのもやむをえないかもしれませんが、死体を祀り上げる一方で死体を忌み嫌うということは、よく考えるととても矛盾したことです。「夫は、納棺師なんです」・・・最後に広末が堂々とそう語った姿をとても嬉しく感じました。

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