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2009年2月

朝食(前編)

朝食はどうしても摂らなければいけないのか?

これは悩ましい問題です。ある町で小学生の父兄に生活習慣病についての話をするように依頼されました。そこは、町を上げて子どもたちに朝食を摂らせる運動を熱心に繰り広げている地区です。

「朝食を食べなければならないという義務感から自分を解放しよう」・・・健康のために朝食は摂らない!という生活を続けているわたしにとっては、「BOOCSダイエット」(朝日文庫)の藤野武彦先生のこの提案は簡単に理解できます。たしかに糖質を摂らないと脳にブドウ糖が行きませんから、脳の栄養失調をまねいて午前中ぼ~としている子どもたちが多い、というのも良くわかります。京都などで昔から食べられている「おめざ」はまさしくそんな一品でしょう。

でも、子どもたちが朝食を食べたがらない理由は、きっと食べたくないからだと思います。ダイエットのためというよりも、おいしくないからでしょう。なぜおいしくないのかというと、まだ頭も身体も起きてないからでしょう。そう考えると、栄養面の理由で朝食を摂るべきだと論ずる前に、頭と身体が朝食を摂る体勢になることが先決です。なぜ起きていないのか?答えはたぶん簡単です。きっと夜更かしするからです。「朝からしっかりご飯を食べる」というのは早寝早起きの習慣の下での常識です。昔、わたしが子どものころの夕食の時間は遅くても7時ころでした。子どもは9時にはテレビをやめて床につくものと教育されていました。毎晩、長い夜を寝疲れするほどに寝て過ごしたら、いやでも朝は腹が減って早くに目覚めます。それならきっと粗末な朝食でもおいしく食べられます。朝食を習慣化させたければ、まずは夜更かし習慣をどう解決させるかにかかるのだと思います。

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GI値と白米

昨年行われた日本心臓リハビリテーション学会のシンポジウムで食後高血糖管理の話がありました(京都大学 津田謹輔先生)。

GIはGlycemic index(グリセミック指数・血糖上昇指数)の略で、血糖の上がりやすさの指標です。同じ量の炭水化物でも血糖が急に上がったりゆっくり上がったりするものがあり、問題の「食後高血糖」を起こしやすいかどうかの指標として評価されています。1981年にJenkins(ジェンキンス)博士が提唱した考え方です。

GI値=(食品摂取時の血糖面積)/(基準食品摂取時の血糖面積)

基準になる食品(普通は「ブドウ糖」)が2時間の間に上昇させる血糖値の山の面積を100%にしたときに、ある食品の血糖値の山の面積が何%にあたるかということです。白米72とか、にんじん92とか、牛乳34などで、このGI値が低値なほど血糖の上がり方が緩やかになり、食後高血糖を起しにくいことになります。大豆食品であるソイジョイのCMにある「SOYJOYは低GI食品。」というキャッチコピーがまさしくこれ(大豆はGI値15)で、低GIの食品(0~55)を選ぶなら糖尿病も改善するといわれています。

さて、そんなGIの考え方ですが、日本での基準はブドウ糖ではなくてごはんであるべきだ、という考え方に私も賛成です。で、基準食品をごはんにしたらどうなるかという研究がなされたのですが、とても興味深いことに、ごはんを同じ人が同じ量だけ食べてみても、血糖の上がり方にかなりのばらつきがみられたのだそうです。つまり、ごはんをよく噛むほど、あるいはゆっくり時間をかけて食べるほど、血糖の上がり方は緩やかになるのです。何を食べるかではなく、どうやって食べるかで結果が違うというのは、とても面白いなと思いました。

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研修会の食事

先日あった某研究会の懇親会で、ある著名な先生が、「『和食と米飯を見直す』というテーマの研修会に行ってきたのですが、なんとその後の昼食バイキングでは若い参加者の多くがパンとコーヒーを食べていたのです。とても驚きましたが、現実とはそんなものです。」とスピーチされて参列者のみなさんを笑わせました。

わたしは以前、あるセミナーで「コーラがもたらす健康被害」についての感動的なお話を聞いたことがありますが、講演の後にロビーに出たら、我先にと自販機の前に並んで美味しそうにコーラを飲んでいるおばさんたちを見ました。よく見ると、それはまさしくさっき講演を聞きながら涙を流していた人たちでした。ことばで感じるものなんて、結局は他人事なんだなと痛感したのを覚えています。

最近はかなり改善しましたが、以前は総合健診学会や人間ドック学会のランチョンセミナー(昼休みに各メーカーが行うセミナー)のお弁当が異常に豪華でした。医療関係者(特に医者)の弁当付き説明会は超豪華弁当のことが多いのは事実ですが、さすがに健康を考える学会の弁当でこれでは、まるで反面教師だなと思って閉口したものです。

あるメタボリックシンドロームの講演を頼まれたとき、昼食の準備もしますと云われました。こんなとき準備されるお弁当はとても豪華なことが常なので、「わたしは昼はあまり量を食べないから」と断ったら、わざわざ上にぎり寿司を注文されて、返って恐縮したこともあります。

うるさい偏屈じじいになりたくはないですが、本音と建て前に生じる差がもう少し小さくなることを念じて止みません。

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腹囲測定が始まった!

うちの職場の職員健診は、一般の受診者が少なくなるこの季節に行われます。平成20年度から始まった特定健診(通称「メタボ健診」)の花形である腹囲測定が正式に始まりました。

診察をしたときにときどき職員さんに感想を聞きますが、多くの人が誤解しています。「妙なところで測るんですよ。なんか下の方で。」「はい。臍の上を測るのが決まりですから。」「いや、臍の下で測ってます。」「あ、いやそう言う意味ではなくて、『臍の高さ』で測るんです。」「わたしのズボンはウエスト82cmなのに、91cmと云われたんですよ。」「ズボンのウエストとは全く違いますよ。」・・・医療従事者だからそれくらいのこと当然知っていると思っていました。そりゃ、事務の人が知らないのはまだ分かりますが、納得がいかないという渋い顔で首をしかめているドクターを見ると、この病院は大丈夫かな?と心配になります。逆にいえば、まだまだ一般の人が知らなくてもやむを得ないのかもしれませんね。啓蒙不足は否めない事実です!

さてわたしの健診もあと2週間後です。今、必死で悪あがきしていますが、きっと85cm以下にはなりません。高血圧の治療をしていますから、たとえ「わたしの内臓脂肪はCT検査で少ないことを確認しているんだ!」と主張したとしても、きっと指定された保健師さんに拉致されることになるのでしょう。どんな指導をしてくれるのか、ちょっと楽しみです。

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おれがおれが

「大分の人はみんな優しかもんな。熊本のモンのごつ、『おれがおれが』て人を押しのけて出しゃばる人は大分には少なかですもんね。人間が上品ですもん・・・。」

よく参加させていただくゴルフコンペのメンバーの一人が、先日の宴会のときにわたしにそう話しかけました。わたしが彼からみるとそんな風にみえるということかしら。それは「上品」というのではなくて「優柔不断」とか「自主性がない」とか、そういうのではないのかしら?とついつい思ってしまいますが、少なくとも外から見た大分はそんな感じ方なのでしょうか。

熊本出身の運動選手、松野明美・古閑美保・上田桃子を見ていると、たしかに一流になるには「わたしがわたしが」でなければならないのかもしれません。「おれがおれが」は自己主張が強い人と思われ勝ちですが、一方でリーダーシップがあってお節介、集団をグイグイ引っ張っていくタイプとも考えられます。そういう点では、まさしく「おれがおれが」のイメージに合う人は大分より熊本に多いような気はします。「大分県民は個人主義者が多い」という意見を聞いたことがあります。「他人のことには干渉しないから、自分のことにも干渉しないでくれ」というタイプです。以前大分駅前からタクシーに乗ったときに、大阪から来たばかりだという運転手さんがそんな大分県民性をずっとぼやいていました。・・・考えてみると、わたしもきっとこんなタイプだな、と思わないでもありません。・・・世の大分県民の皆さんはどうお感じでしょうか?

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大分

大分市に生まれて、高校を卒業するまでずっと大分で育ちました。のどかな田園風景の中に1学年2クラスしかない小さな小学校があり、校庭には大きな楠の木が生えていました。そんな海に近い田舎の地に父が家を建てたのは、わたしがまだ3歳くらいのころでした。今も残っている実家の家は、高校2年生のときに建て直したものです。

ふるさとの「大分」はあまり好きではありませんでした。取り立てて取り柄がない土地のような気がしていました。大学から熊本に住むようになって、一層劣等感を感じるようになりました。熊本は、街の大きさも然ることながら、生き方にメリハリがあり自信をもっている人が多い印象でした。自己主張をあまりしないのが大分の県民性なのかもしれません。大分には「革新県」のイメージがありますが、文化については行政主導のいつもトップダウン方式のような気がしていました。現場から自然発生的に生まれてきたものではない、よそ者文化の植え付け方のような気がして、いつも反発していました。

いろいろと深い縁があって、最近は良く大分に帰ります。「そんなに大分は良いかい?」「愛人でもいるのかい?」と云われながら、足繁く行き来するようになりました。いつしか大分の文化が好きになりました。それが行政トップダウンであれ自然発生であれ、そこに根付いた文化が人々の足元にしっかりと根を広げてつながり合っている印象を受け、とても羨ましく感じます。そしてふと気付くと、わたしはどこにも属さない根無し草の様相で、なにか一気に凹んでしまうのであります。

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それぞれの時間

先日、妻と待ち合わせをしました。

「12時30分に○○の前で!」・・・他の用事で出ていたわたしは30分ほど歩いて12時20分に目的地に着きました。「良かった。何とか時間に間に合ったね。」と独り言を云いながらほのかにかいた汗を拭きながら待つことにしました。でも12時30分になっても待ち人は来ません。ちょっと寒くなってきたので、一度脱いだセーターを着込みました。

「お待たせ~。ちょうど良かったね!」と云いながら義母と一緒に妻が自家用車で到着したのは12時40分でした。わたしはそのまま車に乗り込んで目的地へ。この20分間のズレはわたしたちの間では別に話題になりません。なぜなら、いつものことですから。わたしは目的の時間の10~15分前に照準を合わせます。いつも余裕をかませる時間配分をするので遠距離になると思いの外順調にいきすぎて、1時間も前に着いたりしたこともあります。一方、妻の家系は目的の時間の10~15分後に照準を合わせます。ヘタをすると待ち合わせ時間に家を出たりします。つまり、わたしの云う「12時30分」は「12時15分~12時30分」のことであり、彼女の云う「12時30分」は「12時30分~12時45分」のことなのであります。

標準時のズレが初めから分かっているのですから、神経をとがらせる必要はありません。むしろ、わたしが初めから15分くらい照準を遅らせて行動すると良いのでしょうが、これができないんです。性分というヤツでしょうか。だから長く待つのが常ですが、時間潰しの準備さえしておけば別に苦痛ではありません。意外に充実した時間を過ごせます。

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大麻とタバコの問題

大相撲力士の大麻騒動。京大生の大麻所持。いまだに続いています。ラグビーの日本選手権ではとうとう東芝が不祥事を理由に出場辞退してしまって、寂しい限りです。

お相撲なんて、あれだけ問題になっている最中にどうして吸っちゃうんだろう?とか思いますが、でも飲酒運転による事故もいまだに後を絶たないわけで、まあやっちゃうバカはどうしようもないんだろうなと思います。

ただ、以前(2008.11.13)も書きました(http://satoritorinita.cocolog-nifty.com/satoritorinita/2008/11/m-0da2.html)が、大麻事件の話になるとムカムカします。大麻事件を扱った報道番組や討論番組がこれだけたくさんあるのに、とても良識のある文化人や怖いものなしの毒舌タレントが出ているのに、そして彼らが口を揃えて「大麻は犯罪だ」と非難しているのに、どうしてタバコの話題に一切触れないのでしょうか?先日「『大麻はタバコよりはるかに安全だ』とか云って正当化する意見は詭弁だ!」とある弁護士さんが顔を真っ赤にして話しているのを見ましたが、でもそこまでなのです。違うでしょ!「『大麻はタバコよりはるかに安全だ』ということは、国が認めているタバコはもの凄い毒物だということを証明しているようなものなのだから、この機会にタバコも取り締まることを検討したらどうか?」という人が一人くらいいるのが当たり前でしょう。

現代社会はスポンサーでもっています。あるネットビジネスがバッシングを受けたときも影には影響を受けた化粧品メーカーが糸を引いていたと噂されました。タバコ産業はもっと深く政治家が関わっていますから露骨です。それは十分分かっているつもりです。それでも、一人くらい良識を貫くタレントがいそうなものだと思うのですが・・・考えが甘いのでしょうか。

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電子タバコ

電子タバコというものの存在自体は何となく聞いたことがありましたが、先日のゴルフで一緒に回った社長さんが使っていて、初めて実物を見せてもらいました。

専用カートリッジに液体が入っており、それに噴霧器になっている本体と充電した電池とをつないでセットすると、あたかもタバコのような形になります。これを吸い口から吸うと水蒸気の煙が出ます。なかなか優れものです。ニコチンがカートリッジの中に含まれていますが、一酸化炭素やタールなどの発がん性物質が含まれていませんし、火を使わないから火事にもなりません。ニコチン含有量を少しずつ減らしていくと禁煙にもつなげられるというわけです。一方、煙は出ますがただの水蒸気ですから臭いはしません。副流煙の心配もなく、周りの人にも不快を与えません。それなりに高い買い物ですが、それだけの価値はありそうだと思います。禁煙に興味のある人には朗報かもしれません(http://cris-kansai.jp/)。日本製の電子タバコ「TaEco(タエコ)」というのが日本では売れ筋のようです。

さて、くだんの社長さんですが、ついこないだまで禁煙なんか絶対しない!と云っていました(http://satoritorinita.cocolog-nifty.com/satoritorinita/2008/01/post_1375.html)ので、ちょっと可笑しかったですが、でも何かが変わって行動に移したのだとしたら素晴らしいことです。かわいらしい娘さんが何か云ったのかもしれません。数回に1回、タバコの臭いがしました。キャディさんが「これって臭いもするんですか?」と目を丸くして驚いていました。「今はホントのタバコ吸ってるんでしょ?」と同伴のメンバー。「やっぱイライラするときは本物吸わないとね」・・・ま、それでも全然良いと思います。

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「いい医師とは」

日経メディカルオンライン(2009.2.13)に載っていた「東大医学生の“いい医師”の定義に背筋凍る」という記事に目がとまりました。書いたのは医業経営コンサルタントの高月清司(こうづききよし)という人です。

2月4日に亀田総合病院で行われた「明日の臨床研修制度を考えるシンポジウム」の冒頭で、ある東大医学生が「いいお医者さんとは、うまい、つよい、えらいの3つの言葉で言い表せる」と云ったのを聞いて、「うそだろう?」と耳を疑ったというのです。筆者が医療訴訟の現場で感じる、必ず患者とトラブルを起こす医師のイメージこそ、その「うまい、つよい、えらい」で言い表せるからでした。筆者の云うとおり、「いい医師」は「患者にやさしいお医者さん」だというのが一般社会の常識的感覚だと思いますし、患者の視線でモノを考え、患者の言葉で話すことができ、患者の家族に配慮できる医師なら、医療ミスを犯しても訴訟にはならない、という意見も全く同感です。一時期(今でもたくさんいますが)、病気になったらできるだけその病気の権威でできるだけ地位が高い医者にかかりたい、という風潮がありました。今、わたしが病院受診のことでアドバイスを求められたら、必ず「権威とか地位とかを気にせず、あなたとウマが合う人を捜してください。一生付き合う人なのですから、気兼ねしてガマンしていては治るものも治りません。」と答えています。

発表された東大医学生にその場で質問をし、「つよさの中に秘めた優しさ」など、大変満足のいくお答えをいただきました、というフォローのコメントが最後に付いていましたが、おそらくその質問がなければ筆者と同じように感じた人は少なくなかったでしょう。それを聞いた他の医者たちはどう感じたのか、ちょっと興味があります。

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らくらく心電図トレーニングDS

注文してもう3週間。忘れかけていましたが、先日無事に届きました。かなりの人気で初期予約完売のため重版しないと足りないようです。

「らくらく心電図トレーニングDS」

これはDSを使って医療従事者が不整脈を勉強するソフトです。副題は「DSソフトで心電図漬け これで心電図診断のプロになる」・・・まだ一度しか使ってみていませんが、初めて心電図を学ぶ初心者からかなりのプロフェッショナルまでが利用できるようになっているようです。フィードバック学習ができ、ランダム出題で選択肢は毎回変化する、と書いてあります。初版は「不整脈」シリーズのようですが、解説書に書かれた不整脈の用語はかなり専門的に整理されています。これはなかなかの優れものだと直感しました。ちなみにわたしく、初級編10問で2問も間違えました。ちょっと悔しいです。

世間で話題になった(もちろんわたしも利用した)「脳トレ」(脳を鍛える大人のDSトレーニング)とは基本的に違って、明らかに教育用ソフトです。・・・心電図が苦手だった人は是非使ってみてください。きっとこれが一定の評価を受けるようになったら次のシリーズや他の分野の医療教育ソフトが続々と出るだろうと推測できます。楽しみです。

ニンテンドウDS恐るべしです。ただ、医療用だからとはいえ、願わくばもうちょっと安い方がいいですね。

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肥満細胞

「肥満細胞」は脂肪細胞とは別ものですよね?

ある看護師さんに質問されました。「肥満細胞」?何か昔覚えていた記憶。それと別につい最近聞いた記憶。・・・自分の記憶細胞がどんどんなくなっていく昨今、耳慣れているようで知識を整理できない単語が出てきました。こんなときは迷わず検索!直ちに答えを出してくれました。

『肥満細胞(ひまんさいぼう)は哺乳類の粘膜下組織や結合組織などに存在する造血幹細胞由来の細胞。マスト細胞 ( mast cell ) ともいう。ランゲルハンス細胞とともに炎症や免疫反応などの生体防御機構に重要な役割を持つ。・・・』(Wikipedia)

そうです、そうです。免疫学で学びました。アレルギーの代表的な細胞です。リンパ球のB細胞というものから作られたIgEが肥満細胞にくっ付くことでI型アレルギー反応が起きて、ヒスタミンを出すからアレルギー性鼻炎が起きるのです。これからシーズンの花粉症で本領発揮する細胞です。漠然とですが、「顔を」少し思い出してきました。

で、実は最近お目にかかった「肥満細胞」はちょっと別ものです。イヌやネコに起きやすい「肥満細胞腫」というものです。イヌの皮膚悪性腫瘍の代表でそれなりに多い病気です。人間のそれと同じ「肥満細胞」が腫瘍化するわけです。昨年、義母と住んでいるパピヨンがこの病気のために手術しました。うちのワンも先日これではないかと心配しました。免疫系の細胞が腫瘍化するというのは、やはり化学物質や食べ物といった現代社会の弊害なのでしょうか。

・・・ところで、何も考えずにすぐ検索は、どうよ?と自問自答。物忘れと老化に一層拍車をかける結果となったりして・・・。

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肥満治療のカリスマ

先日行われた熊本生活習慣病研究会で特別講演にお招きした京都市立病院の吉田俊秀先生の熱いお話を聴きました。毎日70~100人の肥満外来をこなしながら93%の減量成功率を誇っている吉田先生の話を総合的に評価をするなら、「ほとんどわたしが毎日やってることと変わりないな」でした♪

例によって、講師の語録から気になったフレーズを記録しておきましょう。

●肥満になる原因をみつけて納得させてからでないと、肥満治療は始めない。●「肥満症」を「健康な肥満」にするための治療であり、標準体重を求めているのではない。脂肪細胞が5%減れば、アディポサイトカインはほとんど正常化する。●アルコールは必ず内臓脂肪を増やす。●ダイエットの一番の敵は「小さなストレス」!大きなストレスはやせ細させるが小さなストレスは太る(必ず甘いものやアルコールに走る)。●イヤなことを云われたら、①その場を離れる→売り言葉に買い言葉、即答を避ける!②相手の鼻を見て聞く。③常にポジティブ思考!●3ヶ月間頑張ったら、後は「普通の人」と同じ様に食えるようになれる!「前と同じように」ではない。「普通の人」である。●小さな声で「頑張ります」では頑張らない。大声で「頑張ります!」と云わせること。

アルコール・・・のクダリには思わずため息がでました。興味のある方は、先生の「夜キャベツダイエット」を試してみては?

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梅酒

酒を飲みに行って、ときどき梅酒を注文するようになりました。梅酒なんて酒じゃない!と思っていましたが、友人が頼むので一緒に注文したのがきっかけでした。・・・美味しかった。そして、梅酒は種類が多いことも知りました。焼酎からも日本酒からも作れること、その質はピンキリだということも酒飲みの知り合いたちに教えてもらいました。

わたしの実家には、庭作りが好きだった父が植えた古い梅の木があります。季節になるとたくさんの梅の実がつきます。は、教師の仕事を退職して胃がんで死ぬまでの短い期間に、その梅の実を使って梅酒を作っていました。でも、残念ながらそれを飲んだ記憶がありません。ちょうど大学時代で実家から離れていたからかもしれませんし、そんな甘ったるいモノなんか飲まない!と突っ張っていたからなのかもしれません。

酒飲みだった父も母の作った梅酒はあまり飲まなかったと記憶します。母が亡くなったとき、母が作った梅酒を壺5、6個分捨てたのを覚えています。亡くなったのが5月ですので、あのときの梅は、その前年(まだ入院する前)のものだったのかしら?20年ほどしてが亡くなった後、家の片づけをしていたら納戸の奥深くに山積みされた壺がみつかりました。もはや主の居なくなった家には必要のないものだと判断して壺を処分しました。何か、深い思い出の残った存在が消えていく感じがしました。

母の作った梅酒はどんな味だったんだろうか?飲んでおけばよかったなと今になって思います。そして今、人に貸している実家の庭の梅の木はもう実を付けなくなったのだろうか?・・・やっと花が付き始めた我が家の小さな枝垂れ梅を見ながら、そんなことを思いました。

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SVR理論

心理学者マースティンという人の「SVR理論」(1972)というものをご存知ですか?

初対面の男女が親密になるまでには3段階の発展段階があり、各々の段階において2人が重視する内容や関係にズレが出てくると、その関係を続けにくくなったり、たとえ結婚しても早々に離婚してしまうというのです。逆にこの3つのステップをきちんとこなしていけば結婚に失敗は少ないと括っています。

●第一段階=刺激(Stimulus)ステージ:出会いのとき、人は身体的、行動的特徴や社会的地位に心を惹かれる。外見(容姿や地位など)の<刺激>がその後の進展を決める。

●第二段階=価値(Value)ステージ:「初期の接触」段階では<価値観>が似ていることが重要になる。趣味や好み、意見の一致などの共通点が見出されると心が惹かれてもっと親しくなりたいと願うようになる。

●第三段階=役割(Role)ステージ:さらに親密になると共同作業・共同行動の場での2人の<役割関係>が重要になる。お互いにお互いを補い合う関係になる。2人の課題にしっかり向かい合える関係になれると真の親密な関係になれる。

聖バレンタイン・デーなので、ガラにもなくこんな記事にしてみました。先日、妻が職場の上司からこの理論を書いてある本のコピーをもらってきました。「うちは第二段階が抜け落ちていたのよね、きっと」と云いました。・・・なるほど。

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「ニンジンから宇宙へ」

これもわたしが「変わり者の医者」になるきっかけになった本です。7年ほど前に友人から薦められて読みましたが、生きとし生けるものの生命力の大切さと深刻さを痛感した記憶があります。久しぶりに書棚から出して読んでみたくなりました。

書いたのは大分県野津町の「なずな園」というところで農業を営んでいる赤峰勝人さんです。生きるべきものが「生きていない」ことを嘆いています。「今の地球で、いちばん壊れているもの。いちばん、修復しなければならないもの。それは、循環です。」「循環しているのは何でしょうか。そう、「命」です。命のエネルギーが循環しているのです。」「この宇宙の中で、循環していないものはすべて間違っている。」・・・皆さんは、これを読んで何を云っているのかわかりますか?・・・こんなことはわたしたちが医学教育を受けた昔、自然界では当たり前の常識だった気がします。「食物連鎖」ということばを知らない若者が思いの外多いのに愕然とします。わたしが学生のころ、自然界はこの食物連鎖があるから成立しているのであり、どこで切れても生物のバランスは必ず壊れる、と教わりました。これこそ「循環」の最たるものでしょう。

でも今、循環などしていません。不衛生だからという理由で水洗トイレにした時点から連鎖はありません。自然の浄化力も消失しました。だから食べ物は生きていません。主成分を元に「効率のよい食品」を工場で作るようになって、見た目が同じ様に見えても私たちが昔食べたことのあるものとは全く違うことを実感します。「塩」は塩化ナトリウムとイコールではありません。塩化ナトリウムと違って自然塩では高血圧にならないとまで云われます。雑草はムダな草ではありません。草は土の中からカルシウムを集める仕事をしています。人間のカラダも含めて、自然界にムダなものなど存在しないのだということをこの本で教わりました。

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食べ物は生き物、生き物は命

標準的な「医者の常識」で生きていたわたしが、食に疑問を抱き始めたのは10年くらい前のことです。常識や定説には必ず逆説があり、そちらの方が納得がいくことも少なくないことを知りました。

西日本新聞に連載されて、本としても発行されている「食卓の向こう側」という特集があります。2003.12.17に<プロローグ こんな日常どう思いますか?>という問いかけから始まったこの連載も昨年12月には第12部に突入しています(まだ続いていることに感動です)。わたしは、数年前に職場のスタッフに借りて初めて読みました。食に対する取材陣の熱い想いがひしひしと伝わってきます。かなりのことは知っていたつもりのわたしですら耳を疑いショックを受けた内容はいくつもありましたが、それでも、この現実を肯定できる自分の感性に安堵しました。

最近の食は「呆食」=好きなものだけを食べているバカ/家庭の食卓はファミレスではない/お母さんが食べるものでオッパイの味は変わる/無くなってしまった旬を取り戻せ/米食・牛乳=できあがった固定観念はなかなか変えられない/「食事はただ肉体に栄養を補給するだけではなく、心を育てる糧でなければならない(道元)」・・・講演に使った哲学的な語録は数知れません。中でも一番好きだったことばが「食べ物は生き物、生き物は命」!生きてないものばかりを選んで口にしている現代人に生きている細胞ができるはずがありません。成分表の添付された「工業製品」を食べても命のエネルギーを吹き込めるはずがありません。ちょっと過激ですが、そんな当たり前のことを皆が忘れていることに強い危機感を感じる者のひとりです。

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マンガ

わたしの尊敬する恩師は、常に情熱的で学問に貪欲で常に患者さんの立場に立ち、そしていつも部下や病院の5年後10年後を見据えた提言をする人でした。カリスマ中のカリスマですが、世間のカリスマにありがちなワンマンプレーではなく、部下や周りの人間の幸せを常に考えている人でした。止まることを知らず、だから人生のサイクルが普通よりはるかに早かったのだと思います。生まれてからこの方、わたしが関わってきた人の中で、この人はやはり全く別格であったと思います。

ただ、意外にもそんな革新的な彼が、頑なに拒んでいたのがマンガ本です。わたしたちはよくマンガ誌を回し読みしていました。「大の大人が、しかも医者の君たちが、マンガなんか読むなんて信じられん!」・・・彼はいつも強い口調で叱責していました。「今は歴史書や哲学書もマンガの方が分かり易いモノがたくさんあるのですよ」と進言しましたが、全く聞く耳を持ちませんでした。マンガは子どもの読み物・・・他の事に関しては、あれだけ柔軟で発展的な考え方をしている人なのに、その決め付けを最後まで曲げませんでした。今考えても、あれだけは不思議です。

それはともかくとして、本当に最近のマンガ本はセンスがあって大人が読んでも面白いと思います。某病院の当直中にバカボンドやピンポンの全集を読んでいたら、いつの間にか夜が明けたことがありました。友人は「神の雫」を読んでワインに嵌りました。マンガは決して暇つぶしで読むものではありません。ただ、正直なところ最近の自分はあまりマンガを読みません(大人のマンガも含めて)。なんか、妙に面倒くさいのです。小説を読む方がはるかに楽です。これが「オヤジの証明」というものならさびしい限りです。

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エビデンス

先日行われた九州予防医学研究会で、「肺がんに対する(低線量)CT検診」の意義についての講演を聴きました。

今や、肺がんは胃がんを越えてがん死亡のトップになりました。CT検査は胸部レントゲンでは見つけられないような小さな肺がんを見つけ出すことができます。最近は肺の端の方のがんが増えていますが、これは症状がないためつい発見が遅れ、その点でもCT検査は有効だと思われます。うちの施設でも、肺がん検診としてのCT検査を受ける人は少なくありません。被曝のことを考えて通常のCT検査のときよりもかなり低い放射線量で撮影をします。

ところが、実はこの低線量CT検診は必ずしも肺がんの死亡率を低下させるかどうかはっきりしていないのです。この検査で1~2cm程度の小さながんを早く見つけ出したとしても、統計学的には受けなかった人と死亡率に差がないというのです。なのに、病気でもないのに放射線を浴びて被曝するのは、デメリットだけしかない可能性も否定できません。だから、人間ドックなどで肺CT検査をするときは、「必ずしも死亡率を下げないことや被曝することで健康を害する可能性もあることをきちんと説明した上で、それでも受けると云う人にだけこの検査をしなさい!」と国のお役人はうるさくそう云っています。

2年ほど前、国立がんセンターの呼吸器外科の先生の講義を受けました。彼は、「肺がんで死なない唯一の方法は、『タバコを吸わずに年1回肺CT検査を受けること』のみ」と云い切りました。つまり、確率論から云えば肺CTは決め手がない。でも一人の人間が生きようと思ったとき肺CTしか確実なことはない、とこういうことです。自分ならどうするか?自分で選択するしかありません。

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わかっちゃいるけど・・・

「『わかっちゃいるけどやめられない!』があるから人間は倒れないでいられる。」

というのはまさしく真理だなと思います。メタボの生活療法はいつもこの煩悩との戦いです。「わかってるんですけど、つい食べちゃうんですよね。」・・・そういう言い訳はつまり「本当はわかってないのだ!わかった気になっているだけで、もし本当にわかってたらするはずがない!」と、わたし達健診スタッフはそんな皮肉っぽいことばで叱咤激励しています。

でも、これは完全に逃げ道を塞ぐことばです。日本国民はいわば一億総儒学者、あるいは総修行僧です。子どもの頃から見事に教育されていますから、あるべき姿から外れると、「自分はダメだ」「根性がない」と勝手に悩みます。最近の若い子達は新人類だから違うと云われますが、「関係ねえよ」とうそぶいている彼らも内心「ヤバイ」と思うのであります。日本の教育は本当に素晴らしい(=恐ろしい)と認めざるを得ません。

わかっちゃいるけどやめられない!・・・そんな煩悩に対してガマンしてガマンして「頑張る」日本国民。頑張った末に成果が出たとき、何が起きるのでしょう?きちんと悟りを開けたのでない限りは、最終的にココロが壊れる危険性があるように思います。で、わたしは、おかげさまでまだ壊れていません。悟ったのではなく、きっと壊れるところまで突き詰められないのでしょう。

先日宴会のあとに、久々に締めのラーメンを食べました。「メタボの道まっしぐらですよ」と保健師さんにはお目玉を食いましたが、やっぱり締めのラーメンは格別に美味しい♪

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脳疲労

藤野武彦先生の「BOOCSダイエット」にちょっと嵌りそうです。3年前に「健康のためには朝食を取らない」の小山内博先生の理論に嵌って以来、久しぶりに「面白そうだ」と思う理論に出会いました。こういう人たちの著書の特徴は、とても文章がわかりやすいということです。分厚い本なのに気が付いたら一気に読み上げてしまうのは、内容も文章もわかりやすいからだと思います。

BOOCS法とは脳疲労解消法。ですから、この「脳疲労」の理論を理解してしまえばいいことになります。貝原益軒の「養生訓」のごとく、「節制こそが人の道」というのが日本人の好む人間道でしょうが、ストレスだらけの現代社会ではそうはいきません。「わかっちゃいるけどやめられない!」でやっと持っているバランスなのです。無理してやめたら、良くなるどころかバランスがバラバラになる。「ストレスをつくる生活改善は改善にならない」「生活習慣の乱れを直すのではなく、生活習慣の乱れを作る原因を直す」という理論。・・・ん~わたしの文章がわかりにくいですね。

「一日一快食:ワクワクした空腹感を感じそのときに食べたいものを満足行くまで食べる」・・・この理論をダイエットに頑張っているすべての人に捧げたい。でも、我慢しながらギリギリで頑張っている皆さんに熱く語ってみたものの、「それを今のわたしにさせたら今までの努力が水の泡。前よりずっと膨らんでしまうこと請け合い!」と云って聞き流されてしまいました。小山内先生の理論もそうですが、面白いのに意外に普遍化しないのはなぜなのでしょう?する人が信じ切れずに中途半端にやっているか、指導者たちが眉唾物の理論に聞く耳を持たないのか・・・?

ちなみに、わたしも試してみたいのですが、すでに今やっていることがBOOCSの「二原理三原則」に合致してしまっているから、今さら変えるものがないんです。

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甲子園

わたしの出身高校が春の高校選抜野球に出場します。後援会や野球部OBは何十年ぶりかの甲子園出場に躍起になっているようすですが、わたしの気持ちはあまり高揚しません。

わたしの人生の思い出の中で、残念ながら高校時代だけがすっぽりと抜けています。学校や校区中に名の知れた優等生でありながら、影で同級生に陰湿ないじめをしたり親の金を盗んだりしていた小学校時代。街中にある某附属中学に進学したがために、田舎者の劣等感にさいなまれよそ者感覚を自分の中からぬぐい去れないまま、友にココロを許すことができなかった中学時代(それでも中学時代の友人たちとのつき合いが今でも深いのは不思議です。父の葬儀や相続の手続きなどのときには一番力になってくれました。「友人」っていいなと思いました)は、妙な虚勢ばかりを張って生きていた気がします。

「高校に上がったらクラブ活動せずに勉強しなさい」といわれた高校時代ですが、結局電車(現JR)通学の帰宅部は、途中どこに寄るでもなく、家に帰ってから遊ぶ友人が居るでもなく、かといって勉強するでもなく、ただただ一人漠然と生きていました。よそ者感覚は中学時代の比ではなかったように思います。「幼なじみ」とか「高校からの悪友」とかいう青春ドラマのそんな響きに憧れながら、良きにつけ悪しきにつけ、高校時代の三年間に想い出が何も残っていないのは、もったいないばかりです。

そんなこととは無関係に、春の選抜、是非旋風を巻き起こしてほしいと思います。

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聞く耳

毎日読んでいる好きなブログがあります。以前「マザーテレサのことば」を紹介したブログです。先日、またとても心に残った文章がありました。

   そんなこと知ってる

   と思った途端、新しいことはなにひとつ入ってこない。

   知ってると思った途端に好奇心は消える。

   そのとき自分は傲慢。

本人の許可も得ずに転載していますが、この4行を読んだ瞬間にグサリと胸に何かが刺さり、見事にはまりました。人の話を聞くとき、「聞く耳」を持てなければまさしくそれまで。聞く耳を持とうと思って聞き始めても、「ギャンことくらい、分かっとっタイ!」と思ったら、もうその後にその人が何を話そうとほとんどアタマの中を素通りしています。そんなことはありませんか?わたしはきっといつもそうです。相手が目上の人や偉い人なら尚のことです。学会に行っても、「これは知っている」と思った瞬間からアタマが他に移っていくのがわかります。

これはそのまま逆にも当てはまるのだということを忘れないようにしたいものです。わたしが人に説明するとき、分かり切ったこと、毎年聞かされていること、そんなフレーズがわずかでも相手のアタマをかすめたら、相手が再びわたしのことばにアタマを戻してくれる可能性は極端に低くなるのだということです。

とても深いことばとして肝に銘じておこうと思いました。

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新美南吉童話集

わたしの新美南吉のイメージは、「端正な甘いマスク」。29歳で亡くなっていることもあって何か軟弱な優男の印象があり、実はあまり興味がありませんでした(わたしは面食いですが、元気が良いことが必須条件なのです)。もっとも、「童話なんて子どものお遊び」という先入観があったからかもしれません。

先日NHKラジオで新美南吉の紹介(以前「家守綺譚」の紹介をした番組)を聴いて、急に読んでみたくなり、代表作14編を集めた小さな文庫本(岩波文庫)を手に入れました。少々不思議な感じがしました。「童話」って子どもたちに読ませる教訓を交えた寓話だと解釈していましたが、新美南吉のそれの多くは童話というよりも小説、あるいは随筆のようなものです。子どもより大人の方が感じるものが多いように思いました。

ごん狐」や「手袋を買いに」はこんなにタンパクな文章だとは思いませんでした。むしろ世間にある解説文の方がはるかに劇的にオチを紹介しています。そっちを読んでなかったら、「だから何?」と云いたくなるようなメリハリのない文章でした。「牛をつないだ椿の木」は国語の教科書か何かで読んだことがあります。子どものころ、「なんと道徳的な話だろう、世の中そうは甘くないぞ」と思った記憶があります。不思議なものです。同じものを読んで、今は「自分のことばかり考えている人生を送っても徳はないな」と思うようになった自分があります。「百姓の足、坊さんの足」「花のき村と盗人たち」は本当に「心の純粋さ」っていいなと感じました。子どものころに感じてほしい感覚をむしろこの歳になって切々と感じるようになるというのは、やはり人生経験でしょうか。

今だから、読んで感じられる、そんな本のように思いました。長くなったので、一番好きだった「屁」と二番目に好きだった「狐」の話は止めておきましょう。読んでみたくなった方は、この機会に是非。出合いは縁です。

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認知症になりにくい人

ある医学誌(Neurology 2009;72)に「社交的でストレスを受けにくい人は認知症になりにくい」という報告がありました。以前から、神経質・几帳面な人は呆けやすく、社交的・外向的な生活をしている人は呆けにくい、というのは云われてきていましたので、これを実証した論文のように思われます。

「外向的」「精神的に穏やか」は認知症発症リスクを下げる因子、「内向的・社会的孤立」「神経質」はリスクを上げる因子だそうです。「外向的だが神経質」は「外向的で穏やか」の2倍のリスク、あるいは「内向的でも穏やかな人」はリスクが下がるのだとか。だから、ストレスの多い現代社会ではいつも冷静さを保ち感情を安定させましょう、日頃から社交的な生活を送り楽観的になりましょう、と云うのです。

手足が短いと認知症リスクが高い」という論文が出たこともあります。「友人が多いと血圧が下がる」という論文もありました。

以前も書いたことがありますが、こういうのは結果として知ったところでどうしろと云うのでしょうね。人付き合いが苦手な人にとっては「社交的な生活」を意識するのは本当にストレスです。こころが休まりません。神経質・悲観的な性格をもっとずぼらにして楽観的にさせようと頑張ったところで、そう180度変わるとは思えません。まさしく認知症第一候補のような性格のわたしにとって、それはとても残念な結果を教えてもらったにすぎません。変えられない自分が不甲斐なくて、「いらん世話じゃ!」とちょっと毒づいてみたくなりました。

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ジャマイカ精神

「巨人性うつと阪神性不安」(石蔵文信著)は、文章がとても面白い。巨人ファンと阪神ファンのファン心理の特徴をうまく捉えて、「あるあるあるある」と机を叩きそうなエピソードのまぶし方が絶妙で、さらに関西人特有の軽いタッチの割り切り方が心地よいのです。わたしもこんな文章を書いてみたいな、と思うのです(内容よりも文面に憧れる、って医者としてどうよ?)。是非とも、うつで悩んでいる皆さんやパニック障害・不安神経症で通院している方は読んでみてください。「そうそう!わかる!」と妙に元気良く相づちを打てると思います。

ご多分に漏れず、わたしは典型的な「巨人型うつ」パターンです。巨人には何の興味もないのですが・・・。ちゃんとできて当たり前。成功はしたけどちょっと気になる部分があると何故そうなったかを解決させないと落ち着きません。その一方で、「阪神性不安」=ガスの元栓は切ったかな、電気は切ったかな、待ち合わせの時間は間違いなかったかな・・・まさしく「強迫性障害」と「心配性」のちょうど境目あたりで生きています。

そんな本の最終章(9回:野球のイニングのように9章に分けられています。延長戦は想定されていないようです)に「ジャマイカ精神で行こう!」という文章がありました。ジャマイカ人のようにのんびりと?・・・わたしも石蔵先生と同じことを発想しました。でもそうじゃなくて、あまり几帳面に構えすぎず、あまり不安になりすぎず、「じゃ、まー、いいか」と少し肩の力を抜きましょう!というのです。・・・「どっかで使えるぞ、このオヤジギャグ的発想!」ということで、とりあえずここにメモをしておきました。

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人間は定位置にいないと落ち着かない

「巨人性うつと阪神性不安」という本を読みました。男性更年期外来をしている心臓屋の医者(大阪大学石蔵文信先生)が書いた、とても楽しい本です。

読売巨人軍(とそのファン)は、常に勝つことを義務付けられている(と思いこんでいる)。幸せ慣れした人は突然の不幸に弱く、些細なことに傷つく。つまずいたことのない人は転び方がわからずに大怪我をする! それが「巨人性うつ」なのだそうです。「つまずいたら、つまずく前のように走ろうと無理をしてはいけない。少し症状が良くなると、すぐ元のように働こうとする。そして、ぶり返して元の木阿弥になるのである。」・・・典型的なうつ病の経過を、見事に巨人ファンの心理を通して解説しておりました。

一方、阪神です。実はこの本が書かれた2003年、阪神は18年ぶりの優勝を果たします。「いつも負けているのに今年は優勝するかもしれない?」・・・そんな絶好調の真っ只中での阪神(とそのファン)の心理です。慣れない幸せに恵まれると落ち着かない、不安でたまらない。今日は良いけど明日から全部負けるかもしれない。この幸せの先にもっと大きな不幸があるかもしれない!といつも不安に思うのです。これが「阪神性不安」です。不安になると過去の失敗ばかりに気をとられて「また失敗するのではないか」と悪い予感にとらわれる。これを避けるには過去の良いことばかり思い出せばいい。「バース、掛布、岡田のバックスクリーン三連続本塁打」・・・関西では年中このシーンばかり流れるらしい、と書かれていました。超楽勝だと思われた昨シーズン、阪神はウソのような大逆転で優勝を逃しました。この本を読みながら、阪神ファンにまたまた完全なるトラウマの伝説を植え付けることになったんだろうなと思いました。

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新型インフル

10日ほど前に重い風邪を引きました。朝にノドがおかしいと思ったら夜には鼻詰まりと咳が出始め、翌朝にはノドの痛みも加わりました。いつになく早い進行でしたが、それでも発熱がありませんでした。最高でも37.4℃でした。頭痛も関節痛もありませんでした。職場ではインフルエンザが蔓延っていましたが、急激な発熱や強い頭痛はA型インフルエンザの初発症状としては必須のはずです。そう思って病院に行かずに頑張っていました。ところがわたしの発病から2日後に妻が同じ症状で発症、そして彼女はその2日後の朝に急に高熱を出しました。検査の結果、彼女のそれはA型インフルエンザでした。

結局わたしは検査をしませんでしたからインフルエンザだったかどうかは分かりませんが、実はわたしのような微熱でインフルAの診断をもらった人がうちの職場にはちらほらいます。予防接種のせいだけではなく、どうも今年のインフルエンザのパターンはいつもと違うのではないかと思います。

今年の流行はソ連A型ですが、ソ連A型はもちろん今回のワクチンのターゲットの中に含まれていました。なのに、どうしてこんなに流行してしまったのでしょうか。しかもその多くがタミフル耐性で、リレンザの方が有効でした。何かが例年と違っています。新型インフルエンザのパンデミックがいつ起きるのかと世界中が慄いていますが、知らない間にすでにインフルエンザはマイナーチェンジして進化してしまっているように思います。一見とても怖いことのように思いますが、こうやって新しいタイプのインフルエンザに感染することによって、勝手に各々のカラダに免疫ができます。だから、パンデミックを起したとしても意外に大したことにはならないのかもしれません。

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