大分
大分市に生まれて、高校を卒業するまでずっと大分で育ちました。のどかな田園風景の中に1学年2クラスしかない小さな小学校があり、校庭には大きな楠の木が生えていました。そんな海に近い田舎の地に父が家を建てたのは、わたしがまだ3歳くらいのころでした。今も残っている実家の家は、高校2年生のときに建て直したものです。
ふるさとの「大分」はあまり好きではありませんでした。取り立てて取り柄がない土地のような気がしていました。大学から熊本に住むようになって、一層劣等感を感じるようになりました。熊本は、街の大きさも然ることながら、生き方にメリハリがあり自信をもっている人が多い印象でした。自己主張をあまりしないのが大分の県民性なのかもしれません。大分には「革新県」のイメージがありますが、文化については行政主導のいつもトップダウン方式のような気がしていました。現場から自然発生的に生まれてきたものではない、よそ者文化の植え付け方のような気がして、いつも反発していました。
いろいろと深い縁があって、最近は良く大分に帰ります。「そんなに大分は良いかい?」「愛人でもいるのかい?」と云われながら、足繁く行き来するようになりました。いつしか大分の文化が好きになりました。それが行政トップダウンであれ自然発生であれ、そこに根付いた文化が人々の足元にしっかりと根を広げてつながり合っている印象を受け、とても羨ましく感じます。そしてふと気付くと、わたしはどこにも属さない根無し草の様相で、なにか一気に凹んでしまうのであります。
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