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2009年3月

思索の時間

サッカーシーズンが始まり、贔屓にしているJ1チームの応援のために隣県まで阿蘇の山を越えて何度も往復します。ひとりで運転しながら誰にも邪魔されずに見慣れた風景の中を走っているこの2時間半がわたしにはとても充実した思索の時間になります。

いろいろなことに想いが馳せます。間近にひかえた講演のシュミレーションや頼まれた原稿の構想を練ってみたり、その合間に目の前の無謀運転に腹を立てたかと思えば、阿蘇の山々の季節の移ろいをぼぉっとながめながら遠い昔を思い浮かべ、次の瞬間には今夜の宴会のことを想ってみたり、はたまたラジオの会話に勝手に突っ込みを入れてみたり。その内容は全く秩序も節操もなく、時々はひとりでいることをいいことについつい独り言を云ってみたりしています。呆け防止の脳トレとしてはとても大事な時間だと思っていますが、決して建設的なあるいは学研的な時間でないことだけは確かです。

ただちょっとだけ気になるのは、想いの方向が最近は未来ではなく過去に向かうことが多くなってきたことです。これからこんなことをしたいとか、あの仕事をどう展開していこうとか、そういう想いがここ数年あまり浮かんできません。したいことやしなければならないことがないからなのかもしれないけれど、子どものころや青春時代のころのことばかりが浮かんでくるというのは、どうしたものでしょうか。

この時間に自分のブログのネタを思いつくことは良くあります。ただ困ったことに、せっかく内容の概ねをアタマの中で書き上げていたというのに、目的地に着いて友人に会ったころにはすっかり内容を覚えていないこともまた日常茶飯事なのであります。まるで夜見る夢のよう・・・。

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仲間たち

先日、今年度の〆の宴会がありました。わたしが今の職場に来て、最初に管理を任せられた部署の宴会でした。

当時、わたしは40歳代前半でした。スタッフたちは20歳代中盤でした。歳の差は約20歳。でも、わたしは何の問題もない歳の差だと思っていました。上司という感覚がなく、心もカラダも「仲間」として接してきたつもりでした。「仲間」は一緒に何もかもをゼロから作り上げていって、何をするのも面白かったように思います。

ところが、いつの間にか月日が経ちました。ふと気付くと、そこに無視できない歳の差を感じ始めていました。「あんたらは若いもんね」が口癖になってきました。今は直接の管理をする立場ではなくなってしまったからかもしれませんが、自分がたいそう年寄りのオヤジさんになった感じ。彼らは昔のままなのに・・・今も昔も同じ20歳の歳の差なのに、何か前よりはるかに遠くなったような気がしました。わたしは心身ともに無理がきかなくなっています。何をするにもつい守りに入るようになりました。

きっとわたしの中だけの問題なのでしょうけれど・・・「仲間」が「部下(他人)」になってしまったような感覚は、やはり思いの外寂しいものです。ちょっとだけ感傷的になってしまった、先日の宴会でした。

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花冷えの思い出

ご多分に漏れず急な花冷えが続いています。その前が暖かすぎたので体感的にはちょっと花冷えの域を超えているかもしれません。だから桜満開の春の景色なのに厚手の上着は手放せません。

この季節にいつも思い出すのは、別れと新しい生活、引っ越しと薄ら寒い新しい住処のことで、ちょっと甘酸っぱくてうら寂しい感情の残り香が心の片隅に残っています。

東京に引っ越したのは遠い昔、結婚1年後の春3月でした。二人とも初めての東京生活に緊張していました。紹介してもらった人と前もって不動産屋巡りをして、緑の多い石神井に、できたばかりの新築のこぎれいなアパートを見つけました。熊本のアパートを引き払い、各々の車を処分し、大分市役所で戸籍謄本などの諸々の書類を発行してもらい、墓参りを済ませてから片道だけの航空券を買って九州を飛び出しました。新居には荷物が翌日届きました。Y運送業者のパック便は引っ越し前にあったとおりの状態に戻してくれるのが売りでした。そういえば、本棚の中の本が全部左右逆になっていて揉めたことを思い出します。「逆だ!熊本で入れた奴が間違えたんだ!逆に入れてくれ!」と主張するのに「いえ、決まりですから」といって頑なにわたしの希望を拒んだ、山形出身の運送屋さんは、今は何をしているのかしら。頭に来たので、彼らが入れている端から全部払いのけて入れ替えてやった、血気盛んなころでした。

小物を入れた箱をまだ開けきらないまま夕方になりました。東京の日没があんなに早いモノとは思いませんでした。一気に気温が下がっていきました。やはり北国は寒かった。電気カーペットがあればこたつは要らないだろうと高をくくっていた私たちは、思いがけない肌寒さと知人のいない心細さで潰れそうになったことを、今でも思い出します。

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タバコとハンバーガー

BMB2008という、分子生物学と生化学合同のみるからに難しそうな学会が神戸で行われ、そのレポートもMedical Tribuneに掲載されていました。

ベンゾ[a]ピレン(BaP)という物質は喫煙の主成分らしいのですが、それがハンバーガーなどの加熱食品に大量にふくまれていると云うのです。それでもってこの物質を動脈硬化モデルマウスに食べさせると動脈硬化が進行し、さらに動脈硬化誘発食(高コレステロール+高脂肪食)を同時にとらせるとその進行度が増します。BaPは免疫で重要な働きをする胸腺を萎縮させますが、動脈硬化誘発食を同時に投与するとそれが一層ひどくなり、動脈の中性脂肪の蓄積も増加させるのだそうです。

要するに、脂質代謝異常によって作られた動脈硬化巣がBaPによってさらに増悪することが示されたわけで、欧米型食習慣に伴う動物性脂肪や加熱食品を大量に取りながらさらにタバコを吸っていると動脈硬化は加速度を増すことになるよ、ということのようです。BaPがあると大動脈で代謝を活性化させやすくなり、動脈硬化メカニズムを誘発する恐れがあるのだとも書かれていました。

タバコの主成分とハンバーガーの成分が同じだという事実には驚かされましたが、それでなくても現代人は食事の欧米化でかなり大量のBaPを取っているのだということを分かっておかなければならないでしょう。

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健康補助食品

サプリメントに関わる検討が最近医学界でもやっとなされ始めてきました。偏見をもっている医者もまだまだ多いですが、利用者が想像以上に多くなっている現在、それを無視できない状況ですし、その知識がないと患者さんの質問や相談にものれなくなっていくことになります。

サプリメントは「健康補助食品」という括りですが、疫学調査の結果、最近の中高年のサプリメント利用者はそれを「補う」目的ではなく、「病気の予防や改善」の目的で使っているのだといいます。ですから、昔のようにサプリといえば「ビタミン剤」「滋養強壮」と思われていた時代とはまったく趣きを異にしているわけで、たしかにグルコサミン・ヒアルロンサンと関節痛、アントシアニン(ブルーベリー)と目の健康など、特定の目的に飲んでいる人が多いようにわたしも感じています。

利用者が単なる栄養補充ではなくて病気の改善(というより本人たちは「治療」として)のためにサプリメントを利用しているにも関わらず、大部分の人がそれを医者に申告していないという事実は以前にもここで書いたことがありますが、今回、日本病態栄養学会とやらのシンポジウムで愛媛大学から報告されました。「糖尿病患者の約40%が健康食品を摂取しているにもかかわらず、主治医に報告している患者は20%に満たない」というアンケート結果の報告です。患者心理として、「できたら薬を減らしたい。でも、先生に云うと止めろといわれそうだから」とか「薬じゃないからいちいち話す必要はないと思うから」とかなのでしょうか。

これからは、医療者側から「カラダに良いもの、飲んでませんか?」と聞いてあげて、きちんとアドバイスしてあげるのがエチケットなのかもしれません。

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日本統合医療学会

伝統医学、相補・代替医療を統合して「患者中心」の医療を推進するため、2つの学会が統合されて「日本統合医療学会」というのが発足しました。その学術大会のレポート記事を、Medical Tribuneで見つけました。

とても悦ばしいことだと思いました。近代西洋医学体系のみを重んじる現代医療にとっての頼みの綱はEBM(Evidence-based Medicine)ですが、これが一人歩きしすぎたころから大きなひずみが生じ始めてきたと思います。EBMは医療者が訴えられないように編み出した隠れミノであって、わたしには単なる統計学でしかないように思えます。証拠がない医療は「経験主義のまやかしだ」という考えが、経験による医療を魔女狩りのように完全排除させて、統計学的に一番優れた方法だけを公認することを正義だと勘違いしているのではないかと思うのです。医療が普通の科学と違うことは、相手が人間であり、「全て」の人間が恩恵を受けなければ意味がないという点です。「統計学的に有用とされた方法で上手くいかない人は、しょうがないから諦めなさい」というわけにはいかない世界なのです。そしてもうひとつ科学と大きく違うことは、科学的に解決するかどうか(診断がつくかどうか)ではなく、患者さんの生活や価値観が満たされるようになる(満足できる)かどうかが最も重要なことだということです。端的に云えば、原因がわからなくてもすっかり治ればそれでいいわけです。だからこそ、西洋医学的に解明できなくても統合的に解決できるものがあれば積極的に試みてみることは、これからとても大切になってくるだろうと思っています。

幸い、「EBMの抱える矛盾に対し、最近では対話、傾聴、行動観察を通じた質的調査が試みられ、患者や家族から表出される物語に着目して全人的医療を目指すnarrative-based Medicine(NBM)で補っていこうとする動きがある。」そうで、もっともっと人間を人間としてみる医療の分野が広がっていってほしいと思います。

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完璧主義

わたしの印象では、無意味に数字にこだわるのは医療従事者に多いような気がします。特に、検査技師さんと看護師さん、そして時々医者。

数字の意味をちゃんと分かっているのに、どうしてそんな意味のない数センチを気にするのか?あきらかに検査値が正常範囲なのに「上限に近い」と云ってそんなに気にしているのはなぜなのか?・・・わたしにはどうしても理解できませんが、いろいろな重症患者さんや思いがけずにミゼラブルな経過をたどった患者さんの姿を何度も目の当たりにしているから、他人のことなら冷静でいられてもついつい自分のことだと不安になってしまうのかもしれません。でもそれでも、医療従事者がそんなこだわりでアタフタするのはわたしにはいつまでも理解できないことでしょう。

健診を受けたら、今年初めて「やや異常」というのが出た!と大騒ぎしている若者がいました。そんな彼には、「受けた検査項目が増えてしまったからだよ」と教えてあげましたがなかなかピンとこないようです。若者が受ける検査と、ある歳以上になって受ける検査ではその項目数が全く違います。歳とともに受ける検査項目の数が増えるのですが、検査が増えれば当然「異常」といわれる可能性は増えます。単に検査項目が少なかったから「異常なし」だっただけの話です。今時、完全無欠の検査結果であるのは至難の業です。「やや異常」は「異常なし」と同義語だと認識しているのは、健診関係者だけなのかもしれません。

日本人は、男も女も若いのもお年寄りも、本当に「完璧」が好きです。「異常値」は「標準の値ではない」というだけのことで、ちょっと背の高い人に文句をつけているようなもの、ただのコンピューターの嫌がらせですと説明するのですが、なんか納得してくれません。困ったものです。

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数自慢

先日、久々に自分のお腹の傷口をながめて「昔、十何針縫ったんだ!」と傷口自慢をしているオヤジさんをみました。昔ほどではありませんが、今でもそんな数自慢が好きな人は少なくありません。どうしてそんなに数にこだわるのでしょうか?

健診の説明をしていても、「胃にできたポリープの数が去年は○個と云われた」とか、「腎臓ののう胞の数」とか「腎結石の数」とか、みなさんよく覚えておられます。

でも、それはたぶんほとんどの場合あまり意味はありません。たとえば5cmの傷口を縫うとして(その傷の深さや場所にもよりますが)、緊急で外科医が縫うなら6,7針かもしれませんし、形成外科医が小さく縫えば15針もするかもしれません。大ざっぱに乱暴な云い方をすれば、同じ大きさの傷でも何針縫うかは担当した執刀医の気分と性格の問題でしかない可能性も大いにあります。

胃のポリープの大部分は良性ですしヒダの間に隠れたら見えません。腹部エコーはただの影を見る検査だからあってもなくても見えないことはよくあります。要するに、検査した人はそのとき見えた数を伝えているだけですから、伝える人(医療者)は伝えられる人にそれほど重要な意味を持って伝えているわけではありません。たしかに大腸ポリープは大きさが悪性度の指標になります。でもたとえば「去年は3mmだったけど今年は4mmと云われたから心配だ」という人は取り越し苦労です。なぜなら、検査中にポリープの横にノギスか定規を当てて計測しているわけではないのですから、あの数字は施行医の単なる経験的な目分量です。・・・ことカラダの健康に関わる数字の場合は、意味のあるモノと意味のないモノが歴然とあることをしっかり知っておいたほうがいいと思います。

まあ、前述の大きなメタボ腹の傷口をポンポン叩いていたオヤジさんは、ただ「大怪我だった」ということを自慢したかったのでしょうから、笑顔で聞いてあげました。

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テレビ

あなたは、家に帰るなりテレビのスイッチを入れないと落ち着かないタイプですか?

昔のわたしはいつもそうでした。妻は今でも家に存在する限り必ずテレビのスイッチを入れます。朝など、家の中でテレビの音が聞こえ始めたら彼女が起きてきたことを示します。家にいる間中、何をみるでもないのにテレビをつけないと心が落ち着かないというのは現代社会人のひとつの習慣のようですが、それが不安神経症のひとつである場合もあると聞きました。

さて、最近、わたしは一人のときはテレビをつけなくなりました。朝も仕事から帰ってからも、よっぽど見たい番組がない限りスイッチをいれません。静かな部屋でパソコンのスイッチを入れます。そうすると持ち帰った仕事も手紙も依頼された原稿も、あるいはブログ書きも、ものすごくはかどります。たまには静かな部屋で本を読みます。すごい勢いで内容が頭の中に入ってきます。昔はテレビの音がバックグラウンドミュージックのように感じてむしろ聞こえた方が仕事がはかどっていましたが、今は単なる雑音として聞こえ、かえって作業の邪魔をするようになりました。昔は聖徳太子だったかもしれないわたしの頭が歳とともに超凡人になってしまったのでしょうかしら。

テレビのスイッチを入れないと落ち着かないとか不全感があるなどといった感覚はまったくなくなりました。でもその代わりに、最近のわたしが朝起きて最初にすること、あるいは職場に行って最初にすること、そしてもちろん外から家に帰って最初にすることは、「パソコンのスイッチを入れること」です。これは、無意識にテレビのスイッチを入れるのと何ら変わりはないのじゃないかしら?今、パソコンから離れることはできそうにありません。仕事の逃避をするときもパソコンです。・・・テレビ依存症がパソコン依存症になっただけだったりして。

お~こわっ!

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募金

拡張型心筋症の青年が海外で心臓移植を受けるため、ボランティア募金を行っていました。これに似た募金は全国で前から繰り広げられています。プロサッカーチームのサポーターをしていると、最近は良くこういう話を聞きます。

拡張型心筋症というのは、心臓の筋肉が徐々にその力を失い動悸・息切れなどを起し始める難病で、最近は内服薬で正常機能近くに回復できる人も少なくありませんが、やはり最終的に動けなくなって苦しみながら亡くなる人が多い、とてもミゼラブルな病気です。ただ、ここに「心臓移植」という選択肢が出てきました。心臓移植が成功すれば再び元気な人生を送れる可能性があります。本当にそれは、画期的な朗報です。でもその一方で、その選択肢ができたがために返って多くの人が悩み苦しむことになったのかもしれません。わたしは生命の尊厳をあまり冒したくないと思う医療人の一人です。当事者ではないからあまり軽はずみなことは書けませんが、できる限り宿命を大事に受け入れたいとも思います。

過激なことを書きましたが、可能な限り可能性にかけることはそれで良いと思います。でも、国内でなぜ心臓移植ができないのかというと、多くの日本人が「臓器提供意思表示カード」にきちんと○印をつけていないからだと聞きました。「ある難病青年がいるからみんなで助けよう!」との呼びかけには直ぐに同意するのに、自分(あるいは家族)が死んだときに「その臓器を提供するのはお断りだ!」というのは、どうしたものでしょうか?それが国民性だと云われればそれまでですが、ここのところがわたしにはどうしても受け入れられないのです。

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大根おろし

焼き魚とそれに寄り添う大根おろしは、わたしの大好物です。

先日、夕飯の準備をしていた妻にその大根をおろす作業を頼まれました。ご丁寧に、「ちゃんと手を洗ってね!」と忠告されながら。ですから、「石鹸で洗ってもいいの?」とわたしも念を押します。「ちゃんと洗い落とせば大丈夫でしょ。」・・・うざいと云いた気に彼女の声のトーンが明らかに落ちました。

日頃から、できるだけ石鹸で手を洗わないように心がけています。特に薬用石鹸は必要ないときには絶対使わないようにします。抵抗力の落ちた重病人やご高齢の患者さんがいるところで働くこともなくなりましたので、それを使うのは、コンタクトレンズを入れる前とかワンのウンチの処理をしたあととかくらいでしょうか。それは、もちろん自分の身体を守るためです。コンビニでくれるウエットティシュや診察室にある消毒液は本当に強力な殺菌作用がありますから、どうかみなさんも使いすぎにご注意ください。

さて、普通にパソコンで仕事をしていたわたしですので普通に水洗いするだけで大丈夫なのに、素手で大根を握るのに妙に躊躇してしまって結局は石鹸で手を洗ってしまいました。あとでさらにしっかり水洗いして無事に大根おろしを作りましたが・・・今回は考えすぎた分だけちょっと気持ち悪かったです。けどまあ、焼き魚もおろし大根もとても美味しうございました。

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カラダの声が聞こえる

人間ドックに来て結果説明を受けるときにわたしを指名してくれる方が数人います。昨日もそんな75歳の女性が来られました。もう割と長いお付き合いになります。

いくつかの持病を持って近くの開業の先生のところに通院している方ですが、とても元気です。人間ドックの項目でいえば特に悪いところも見当たりません。治療中の高血圧や肝臓病や甲状腺機能も良好です。それどころか、骨密度(値としては骨粗しょう症ですが)や心臓ホルモンの値などは年々改善しています。値自体は微々たるもので医学的には誤差範囲内の変化かもしれませんが、年々歳をとっていくことを考えたらこれはやはり明らかに身体が若くなっている証拠だと思って、本人に伝えました。ちょっと微笑んで「嬉しいです」と答えました。

わたしが胃カメラの写真を説明している途中、彼女がおもむろに口を開きました。「最近、自分のカラダの中から発せられる声がきちんと聞こえるようになってきましたよ。昔はこの声に気付かなくてカラダを痛めつけてばかりでした。」・・・思いがけず深いことばが返ってきました。「自分のカラダの声が聞こえる」ためには、しっかりと自分のカラダと対話をする習慣が必要です。ちょっとやそっとのことでは中々実感としてこのことばは出てこないだろうと思います。自分に素直になれたとき、すっと聞こえてくるものなのだろうな、それが「悟り」というものなのだろうなと思いますが、残念ながらまだまだわたしにはあまり聞こえません。いつも耳を澄ませているつもりでいるのですが・・・。

また来年、お互いにますます元気な姿になって再会することを約束しました。

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ヤーコン

うちの施設で健康増進のための取り組みをしている一人の男性が6ヶ月目のチェックを受けました。始めたときには糖尿病や脂質異常症や脂肪肝で、お腹には基準をはるかに超える大量の内臓脂肪を抱えていましたが、今回どれも見事に正常値になりました。ブラボーです。ところが、問診票の片隅に「健康のためにこの会に入っているのに毎晩浴びるように酒を飲んでいる父に対して、どう協力したらいいのかわからず悩んでいる」という娘さんからの伝言が書かれていました。本人も毎晩焼酎を飲み過ぎることを反省しています。今日こそは1合でやめるぞ!と固く思うのではありますが飲み始めるといつの間にか負けてしまうのです。ただ、それと裏腹に検査結果はとても良くなっているのです。何か問題がありましょうか?これはまさしくわたしの日常と同じでありまして、残念ながら何もアドバイスしてあげられませんでした。転倒して怪我などしないように、とだけ伝えました。

そんな彼がヤーコンなる野菜を自分の菜園に作って毎食少量食べています。煎じてお茶にもしています。原産は南米アンデス地方の菊芋のような野菜です。栄養価が低い一方でフラクトオリゴ糖が含まれるため整腸作用やら脂質異常・血糖・血圧の正常化作用やらがあり、フラボノイドなどのポリフェノールも含まれているのだとか。有名な健康野菜のようです(外国産の食べ物に興味がないためでもないですが、わたしは全然知りませんでした)。これを毎日食べているからこんなノンベでも結果が良くなったのかもしれません。でも、とにかく何であれ、新鮮な野菜をそのまま丸かじりできる贅沢に勝るモノはないような気がします。

たしかに、こんなことするよりお酒を減らした方がはるかに簡単じゃない?と娘さんは思うのでしょうね。わたしたちアルコール中毒はそんな一筋縄じゃないのですよ。だって、中毒だから。

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よだれ

わが家には、来月11歳になるメスのワンがいます。家の中では若干4ヶ月になったばかりのメスのワンと対等に遊び、ひとたび散歩に出ると11歳とは思えないような強い力でぐいぐい引っ張って行きます。

そんな彼女が、ごはんの時間になると自分を抑えきれなくなります。彼女の食事は子どものころから一日2回のドライフードのみです。元気がいいとはいえやはり年寄りですからドライフードは老犬用になりましたし、腎臓を悪くさせないようにあまりタンパク質をあげないでくださいと病院の先生に云われているので、最近はわたしが酒を飲みながらこっそり手渡ししていた冷や奴やピーナッツも禁止させられました。ごはんの時間、自分の皿の前に座って「待て」をするときにボトボトこぼれる涎(よだれ)はいかんともし難く、尻尾を振り切れんばかりに振り回しながら待つ彼女のキラキラした目からは、ものすごいワクワク感が伝わってきます。もちろん「ヨシ!」と云った瞬間から食べ終わるまでに何分もかかりません。先日腸炎を起こしたばかりでしたからしばらくサツマイモを加えてあげましたが、一層大量の涎でベトベトになりました。

「そんなものイヌだから当たり前!」などと一蹴しないでください。先日(2009.3.3)の「ごはんは楽しみですか?」でも書いたように、現代人でこんなワクワクした空腹感を味わえている人はそんなに多くはないと思います。正直云って、そんな彼女の毎日が、ちょっとうらやましいのです。

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墓参り

彼岸の入りを前に、実家の近くの高台にあるわが家の墓に参ってきました。昨年は父の7回忌、一昨年は母の25回忌でしたので、今年は特に大きな法事の予定はありません。1月に伯父の葬儀の時にちょっと寄ってきて以来でしたので、小一時間かけて草むしりやら墓石磨きやら、めずらしくまともに墓掃除をしてきました。父と母の骨が埋められている赤土の上の草はなんとかきれいに抜くことができました。

うちの墓は、26年前に母が亡くなったときにわたしの名前で父が建てたもので、「吉相墓」というものらしい。吉相墓の何たるかをわたしはあまり詳しく知りません。7年前に父の骨を埋葬する時に墓石屋さんを呼んで大がかりな埋葬をしました。最近のお墓のように墓のウラに納骨スペースがあるのではなく、遺骨は土を掘ってそこに埋めます。長い歳月の間に骨は土へと帰りますと云われ、たしかに掘り起こしても母の骨らしい破片は見あたりませんでした。このとき、粛々と父の骨は土に帰っていきました。「当時は吉相墓がちょうどブームだったんですよね」と、墓石屋さんがちょっと自嘲気味に云いました。先祖との関わりや親子の関わりを大事にするという本来の考え方よりも、「先祖のたたり」とか占いとかのいかがわしい話題がマスコミを騒がせたために、「吉相墓」ということばにあまり良いイメージがないのかもしれません。

穏やかな春の日差しがふりそそいでいました。めずらしく風もなく静かな空気でした。残念ながらこの地にわたしたち夫婦の墓を建立してくれる子孫はいません。わたしの両親と一緒に生活したことのない妻が、自分が亡くなったときにできるなら南の海に散骨してほしいと云った、その気持ちはわからないでもありません。そんなことを思いながら、今年はいつもよりちょっと長めに手を合わせてきました。

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全休符

先日、テレビのあるクイズ番組で「五線譜に『全休符』の記号を書いてください」というのがありました。

「全休符」です。「全音符」はまだ何とか思い出せます。でも「全休符」は、不本意ながら何のことか全く浮かびもしませんでした。何かカモメが飛んでいるような形の「四分休符」はなんとか覚えています。どっかの草の実のような形の八分休符というのもありましたね。でも、それ以上は無理。「全休符」の存在を一生懸命思い出そうとしましたが、わたしの記憶の淵にカケラも残っていなくて、完全にギブアップでした。

ところがこれを出演者は簡単に答えていきます。「全休符」の形だけではなくそれを五線譜のどこに書くのかまで正解しないといけません。なんでそんなもん覚えているのよ?と思います。歌手や音楽関係者ならともかく、お笑いや俳優さんには縁がないでしょう。記憶のキャパが限られている上に徐々にキャパの大きさが小さくなるこの歳になると、そんなムダなことを覚えていると他に覚えるべきものが記憶の箱からこぼれ落ちてしまうのです。と言い訳なんかしたいところなんですが、その番組で私よりかなり年輩の俳優さんまでもが正解したときには、マジでへこたれました。

・・・ちなみに、正解はこれ (http://musical-grammar.com/pause005.html)。

昨夜は、「リピート」なる楽譜記号が問題に出ました。・・・これまたさっぱり!頭は使わないとどんどん記憶のキャパを少なくしていくんだろうなということを実感しています。わたし、マジでもう一度脳トレを再開しようかしら。

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北風と太陽

藤野武彦先生の「BOOCSダイエット」(朝日文庫)の序章に、イソップ童話「北風と太陽」の喩えがあります。

従来のダイエット法はいわば「北風型」だそうです。つまり、脂肪というマントを早く脱がせようと、逆風になる北風(食べるな・運動しろ)をピューピュー吹き付けるのだけれど、それが強くなればなるほどマントの胸をしっかりかき合わせてマントの中で我が身を縮める一方です。つらいことや嫌なことばかりを強要するダイエット法では、旅人である肥満者は決してついていけない・・・これはとても良い喩えだなと思いました。マントを脱がせたいなら、太陽の暖かな光で旅人を照らし、暑くさせさえすれば自分から勝手に脱ぐものだ・・・これが「脳疲労」を取り除くBOOCS法だというのです。

わたしの最近のマイブームではあるけれども、別にBOOCSのPRをしたいわけではないのでそのことは置いておきますが、とにかくこの「北風型ダイエット指導」の在り方については反省したい点が多々あります。このまま放っておくととんでもないことになるぞ!今、煩悩と戦って何かを始めないと手遅れになるぞ!と背中から鞭打って、嫌々立ち上がろうとするのを抱え上げて牢獄にたたき込む。「おまえのためだよ」「あなたのためよ」・・・どこかのCMのようなそんな呟きを耳元でずっと囁いてきたのかもしれないなあ、とつくづく思うのであります。

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高HDLコレステロール血症

ある企業の採用時健診結果の評価を頼まれました。データを転記して送られてきた診断書には、LDL-C 100mg/dl、HDL-C 136mg/dl、TG(中性脂肪) 92mg/dlと書かれていました。

HDLコレステロールは善玉コレステロールと云われ、動脈硬化抑制効果のあるコレステロールです。ですから、一部の家族性疾患(*)を除いて、HDLコレステロールは多ければ多いほど動脈硬化になりにくいといわれます。100mg/dl以上のものを高HDLコレステロール血症といい、日本には1000人に1人くらい存在すると文献には書かれていました。わたしも運動を始めてからかなり上昇を続け、職員健診では91mg/dlでしたからもう少しで高HDLコレステロール血症の仲間入りができます。

さてここで問題の健診結果です。HDLコレステロール136mg/dl・・・高HDLコレステロール血症ですが、さすがに136はかなりの高値です。高値すぎます。HDL-C 92mg/dl、TG(中性脂肪) 136mg/dlの方が自然です。「書き間違いじゃないですか?」と確認しましたが、「再検査したけど間違いありません」と回答がきました。最近はTC(総コレステロール)が判定基準から外れたためにあえて調べない企業が増えてしまいました。このTCさえあれば、書き間違いかどうかは簡単にわかります。<TC=HDL+TG/5+LDL>という式があるからです。前者ならTC≒254ですが、後者ならTC≒219です。まあ、間違っていようがいまいが採用するかどうかには直接関係ない話ですので、そのまま評価させていただきました。

(*)原発性高HDLコレステロール血症(コレステロールエステル転送蛋白の異常または欠損がある家系の場合、冠動脈疾患のある人が多いという報告がある)

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からだの歌こころの歌

定期的に送られてくるMMJという医学雑誌があります。わたしはその中にある「からだの歌こころの歌」というコーナーが好きです。病気をテーマにした短歌を紹介するコーナーです。今回(2009.2号)のテーマは「認知症」でしたが、今まで以上に感じるところの多い歌でした。無許可ですが転記してしまいます。

●日の暮れて祖母の願ひは 「これみんな食べたら家に帰して下さい」(佐々木千代)

●あんた誰 口拭かれつつ吾に問ふ 祖母の笑顔の百歳ぞよし   (佐々木千代)

●祖母には祖母の正論があり呉服屋へにんじん買いにゆくと言い張る(後藤由紀恵)

●ものを忘れ執着心も薄れゆき こゑの可愛い老女となれり  (河野裕子)

●安らかにわたしの母は死んでほしい 私を忘れてしまつていいから (河野裕子)

わたしは、後藤由紀恵さんの歌が特に好きでした。

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国語博士

公式文書や製本された本でも、段落が変わったときに一字下げしていない文章がたくさんあります(わたしのブログは気まぐれで行替えしているので字下げしないことにしましたのでたぶん「悪文」の代表です)。きっと原稿をワープロやメールで書いているためなのではないかと思います。あるいは文の最後が「。」「!」「?」で終わっていない公文書も最近目立ちます(「。」の後に( )があるとか)。学術的な学会誌や小中学校の教科書くらいにしかきちんとした日本語表記はなくなったのではないかと思うと、ちょっと悲しくなります。

若くして亡くなったわたしの母は、国語の教師でした。中学で教師をしていた頃は国文法ばかり教えていました。そのためか、当時まだ小学校低学年だったわたしは文法のスパルタ教育を受けました。たとえば国語や社会科の教科書、あるいは書棚に並んでいる有名な小説家の本を指し、そのたまたまた開けたページの「ここからここまでの文章をノートに書き写しなさい。その文章をすべて文節に分け、次に単語に分けた上で各々の品詞名と動詞なら何形かを書き込みなさい」と、突然云われるのであります。授業用に準備されたものではないので大変そうに見えますが、その分、正解するととても嬉しくて面白かったことを覚えています。サ行変格活用(サ変)→「さ、し、する、する、すれ、せよ、しろ」。下一段活用→「け、け、ける、ける、けれ、けよ、けろ」。ついでに、形容動詞→「だろ、だつ、で、に、だ、な、なら」。・・・子どものころに覚えたものは、これだけ健忘のひどくなった今でも意外に忘れないモノのようです。でも、ちょっとだけあやふやになってしまった文法をもう一度勉強し直してみようかな、と思う今日このごろです。

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日本語文法

「最低限の日本語文法の常識を持っているまともな人を担当にしてくれないなら、他の会社を探します!」

うちの施設で定期的に発行している広報誌の編集・製本を依頼していたS社の担当者が、渡した原稿の文章をめちゃくちゃに書き直してしまってわたしの逆鱗に触れました。文章の専門家ではないスタッフの文章はお世辞にも上手いとは云えないものでしたが、わたしが可能な限り「てにおは」の手直しをして提出しました。ところが、できあがったゲラを見て愕然としました。担当者があちこちいじり直した挙げ句に、わたしが手を入れる前の文章よりはるかに悪文に壊してしまっていたのです。いわゆる「フィーリング」で書いてあるその文章は日本語になっていませんでした。この人は日本語文法をまったく知らないのではないか?と思いました。省略されていようがいまいが、日本語の文章(とくに書き言葉)にはきちんとした文法があります。主語には述語があり、述語には必ず主語がある。もともと文法なんて気にしたこともない人は、そんな最低限の決め事の何たるかを分かっていないようでした。文章を扱う仕事に付いていながらこんな文章を許すS社自体がうさんくさい会社に見えました。

数年後に新しい会社に契約を変えたとき、またまたわたしのコラムをいじられました。必要もなくたくさんの段落に区切られていたのです。「読みやすいように行を変えてみました」と云わんばかりでした。文章内容の大きな区切りが「段落」です。まるでメールやブログの文章と同じような感覚で意味も考えずに気軽に行替えした、その感覚には呆れました。

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数字の独り歩き

先月、京都で開かれた第34回ニュータウンカンファレンスに行ってきました。心臓核医学について最先端の医療情勢を知ることのできる、歴史のある研究会ですので、毎年万難を排して出席しています。

核医学というのは、微量の放射線をくっつけた物質(放射線医薬品といいます)を患者さんに注射したり吸い込んでもらったりして、体内に取り込まれた放射線を外から撮影する検査です。心臓に注射すると心臓の機能の悪いところを見つけだせます。核医学に限らず、放射線を使った検査(レントゲンや透視やCT、PET、MRIなど)はどれも「影」を写す検査です。だから医者が所見を読むことを「読影」と云います。内視鏡検査のように直接実物を見る検査とは違って、あくまでも影を眺めながら実体を想像する検査です。最近はMRIや大腸CTなど、まるで実物を見ているかのような立体三次元のリアルな画像を見せますが、錯覚してはいけません。あれはあくまでも影をつなぎ合わせて機械が想像した絵です。バーチャル体験をしているだけです。

そんなまことしやかな像を作っていくためには、決まった領域ごとに数字化する作業が入ります。もともと「影」なものを数字化、つまりデジタル化させる段階で、そこにあるものは明らかに「虚像」です。元々実体のないものを数字化すること(これを「定量化」と云います。医療現場では「定量」ということばは重要な位置にあり、これがなければ「科学ではない」と云われてもしょうがない、という学者さんも多いでしょう。)は注意しなければなりません。ヘタをすると「定量化と言う名の数字遊び」をしているに過ぎない可能性があるからです。絵がきれいだというだけで感動しないようにしましょう。

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病気じゃないから治らない

もうひとつ、石蔵文信先生の「男もつらいよ(男性更年期)」の話題です。

「あなたは病気じゃないから治らないよ」・・・そう言い切る医者がいる(石蔵先生のことですが)。すごくシャレていて良いなと思いました。うつ病の治療をするとき、完全に治そうとするとする側もされる側も精神的に疲れてしまいます。それでなくても元々うつ病になる人は何でも完璧を期す人が多いのですから、つい頑張りすぎて潰れてしまうのだということを、わりとすんなりと理解することができました。

「あなたのうつは完全には治らないだろうけれど、調子が悪くなったらボクのところに来てね」「あなたには薬を飲まなくても済む時期もあるし、たまには薬が多くなる時期もあってもいいじゃない」と伝えます。そうすると、お互い肩の力がふっと抜けるのです。

「あなたは病気じゃないから治らないよ」は、冷たく突き放すことばなのではなくて、「良くなるまでゆっくり付き合いましょう・・・わたしはいつでも付き合うからね」という優しさに満ちたじゅ文のように感じました。

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パニック発作

石蔵先生によると、中高年の引きこもりの中には「外に出るのが面倒くさい」人だけでなく、不安障害(パニック障害)の人も含まれる可能性があると云います。これは、大勢に囲まれると息苦しくなったり胸がドキドキしたりする病気です。

わたしの妻が、若い頃パニック発作に悩まされました。きっかけは突然でした。わたしたち夫婦は、わたしの仕事の都合で新婚早々に東京に移り住みました。石神井公園近くの閑静な住宅地にあるアパートを借りましたが、都心で仕事をしている私と違い、周りに知り合いのいない彼女にとって一日何もしゃべらない日も少なくなかったようです。ある日、西武池袋線の電車に乗っていたら、池袋の直前で突然急停車をしました。何があったのか告げられることなく待たされたとき、突然動悸が始まりました。単なる信号待ちだったことを後で知りました。次に、超満員の急行電車に乗っていました。このとき突然に不安がこみ上げてきたのです。「今、この電車が急停車したらどうなるのだろう?」・・・思っただけで怖くなりました。尋常でない動悸に襲われました。早くこの場を離れたい!そう思いましたが、急行電車は何駅も飛ばして走っていきます。やっとの思いで途中駅のホームに降りたとき、顔面蒼白になっていたそうです。

それ以降、彼女は電車に乗れなくなりました。やむを得ない時は時間を掛けて各駅停車に乗りますが、それでも最初のうちは何度か途中下車したと聞きます。出ないで済むならどこにも行きたくない・・・彼女の一番苦しかった時期でした。まだ当時はそういう概念が確立していませんでしたので、病院に行っても良いアドバイスはもらえませんでした。何とか治った後、何年もして「パニック障害」という単語を初めて聞いたとき彼女は喜びました。やっと得体の知れない相手が分かり、自分だけが特殊じゃなかったことを知って安堵したのです。

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肩書き

「今度ぜひ、新聞の読者の投稿欄を注意して見てください。60代以上の男性の職業をみると、「無職」「年金生活者」「町内会長」「元会社役員」「元小学校校長」「執筆業」などさまざまです・・・」

大阪大学の石蔵文信先生の書いた「男もつらいよ(男性更年期)」の中の一節です。上に書いた職業のほぼ全員が「無職」だと思われるのに、男性はなぜか肩書きにしがみつくところがあると云うのです。その後わたしも時々新聞や雑誌の投稿欄を覗きみることにしています(昔はここを読むのが好きでしたが、最近は苦情やグチが多くなってきた感じであまり読まなくなりました)が、たしかに・・・学校教育のことを書いているわけじゃないのに「元教師」、地域の問題を書いているわけじゃないのに「元自治会長」・・・ありますね、たくさん。

その本の中で、男性の多くは出世やお金を人生の目的にしており必ずしもその先にある「幸せ」に向かって頑張っているわけではないので、退職すると目標を失うことになる、と云っています。現在進行形の肩書きはまだ理解できますが、辞めてしまったらもはや何の意味もない役職名に拠り所を求めざるを得ないのは、日本のオヤジの悲しいサガなのかもしれません。

先日わたしたちが企画担当した研究会で、発表者の役職名を全部消しました(必要ないかなと思って)が、ムカッとしている人が何人かいたかもしれませんね。

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ホッチキス

「書類が多くて失いそうだから、ホッチキスできちんと留めて送ってほしい」

先日、病院にあるアンケート箱にそんな要望が入っていました。奇しくもわたしは書類の束の隅に留められたホッチキスをひとつひとつ外しながら、そんな報告書を読んでいました。うちの健診結果の報告書も一部が冊子様になっています。その冊子は導入された時から真ん中でホッチキス止めされています。「市政便りや公文書の類が全部ホッチキスを除けようとしているこのご時世に、なんでホッチキスなんかをわざわざ使うの?」と事務方にクレームを云いに行ったら、利用者からの要望が多いのだと回答されました。

たしかに書類を区分し、なくさないようにまとめるのにホッチキスは便利です。でも、ホッチキスは捨てるときにとても厄介です。ゴミの分別化が一層細やかになりました。紙ゴミを捨てるに当たってホッチキスの針は全部取り外さなければなりません。個人情報はシュレッダー行きです。スチール製のホッチキスの針が1つで付いていようものなら一瞬にしてシュレッダーが壊れます。だから公文書や自治体の広報誌は折り曲げただけの冊子に代わったのだと認識しています。主目的の使いやすさを重視(お客様の要望に従って)する一方で、使用後の扱いの可能性まで目を向ける心配りがある方がカッコいいな、とわたしは思います。

ある食品会社の健診に出向いたとき、書類が全部紙のホッチキス留めでした。ホッチキスの針が食品ラインに混入したらいけないからです。たしかに使っているうちにポロポロ外れますが、それでもこれで十分だと思いました。

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さいごまでたたかう

Medical Tribune(2009.2.26号)に、東京大学病院の緩和ケア研究グループが行ったアンケート調査結果が載っていて、興味深く読みました。自分が末期がんになった場合にがんに対する「望ましい死」のあり方を問うたアンケートで、外来受診のがん患者、一般市民、がん診療に携わる医師、看護師で比較しています。

望ましい死の在り方として「さいごまで病気とたたかう」と答えた人は、患者81%、一般市民66%に対して医師19%、看護師30%でした。あるいは「死を意識せずふだんと同じように毎日を送れる」も各々88%、77%、44%、58%でした。一方で「残された時間を知っておく」(医師89%)「会いたい人に会っておく」(看護師92%)を重視した人は医療人の方に多かったそうです。これらの結果から、患者さんや一般市民は「自分らしさ」を重視しがんを患っても前向きに過ごすことが大事だと考え、医療従事者は「死に備える」覚悟をした上で終末期治療に臨むことを考える傾向にあると考察されています。

「死後の世界はある」「霊やたたりはある」を肯定した人が患者さんは2割強なのに看護師さんは4割以上あったというのは面白いと思いました。「死は怖い」と答えた人も患者さんや一般市民より医者で多かったそうです。

あくまでも考え方のアンケートですから実際はどうか分かりませんが、多くの死を看取ってきた医療従事者の方が物事をできるだけ客観的にとらえようとしていると察することはできます。・・・読みながら自分はどうかと考えましたが、死後の世界のことを除くとほとんどがん患者さんや一般市民の方の意見に近い気がしました。やっぱり、わたしはもはや医者じゃないのかも。

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アスタキサンチン

ある薬品メーカーの人からアスタキサンチンという物質を配合した新しいサプリメントの試供品をいただきました。

そのパンフレットによると、「アスタキサンチン」には強力な抗酸化作用があるのだそうです。抗酸化はすなわちアンチエイジングです。具体的には、細胞の炎症を抑え、潰瘍や筋肉の痛みを修繕し、体脂肪の増加を防ぎ、糖尿病を予防し・・・おそらくそれらの働きの中心は、動脈硬化を予防することで有名な脂肪ホルモン「アディポネクチン」が低下するのを抑えることによるのではないかと思いました。だから、現代病の代表「メタボリックシンドローム」の予防と治療に最適な健康補助食品(栄養補助食品)という謳い文句になるのでしょう。

そんなこと云われたって、「アスタキサンチン」なんて初めて聞くぞ!と思いながら家に持って帰ったら、家にあった牛乳屋の広告のトップに「食事・運動+この1本『毎日の健康習慣に』 話題の『アスタキサンチン4mg』配合!」と書かれた文字が目に入り、正直びっくりしました。わたしが知らなかっただけなのかしら。

アスタキサンチンは「赤色の色素」のようです。だから魚の赤身の一部はこれによるのかもしれません。この商品は藻から抽出する天然色素だから安全!というのも売りのようですが、多いのは鮭や甲殻類(カニ・エビなど)みたいですからアレルギーの人はちょっと危ないかもしれません。

「試してみて感想を!」と云われました(試供品だから当たり前ですか)が、試して直ぐに何かが変わるというのでしょうか?アディポネクチンの採血をするわけでもないのに。でも幸いなことに1週間後には職員健診があります。まさしく「渡りに船」です。とりあえず、せっかくいただいたので飲んでみましょう。

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ごはんは楽しみですか?

「子どもは育ち盛りだから栄養価の高いものをたくさん食べさせなきゃいけない」とか、「子どもは育ち盛りだから、一日三食はきちんと食べなきゃいけない」とか・・・ほとんど外で遊びもしていない子どもたちなのに、じいちゃんばあちゃんたちはいまだにそんなこと云ってます。もともと日本人はまず一仕事してから遅い朝飯を摂って、あとは夕食だったんです。だから小腹が空いた昼下がりに握り飯などの「おやつ」があったのです。今時は、三食どころか、10時のおやつと3時のおやつがあってさらに夜食まで摂ってそれ以外に間食です。子どもたちに限らず、現代人にはお腹が空いている時間帯なんてないのではないかと思います。

「ごはんは楽しみですか?」

心地よい空腹感があって、夕食が待ち遠しい状態。ダイエットのことなど気にせずに早く食卓に着きたい衝動。そんな期待感のある空腹感をみなさんは日々感じていますか?それは、イライラした空腹(飢餓感)とは全く違うものです。「食べること」を考えるとき、今の社会に一番足りない、そして一番大事なことは、そんな満足感なのではないかと思います。

BOOCSの藤野先生によれば、現代社会の子どもたちの諸症状(気力がない、頭がぼんやりしている、イライラする、怒りっぽい、疲れやすい、肩こりがある、朝起き辛い、朝食欲がない、あくびが出る)は、決して朝飯を食わないからではなく、インスタント食品や脂っこい食事、あるいは間食のジャンクフードの量と強い相関があるといいます。なぜかとても説得力のあるデータだと思いました。

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子どもは和食がキライ?

「子どもは魚を食べない。野菜はキライ。和食なんか食べないで、ハンバーグやカレーが好き。」というのは、単なる先入観ではないか?と、「BOOCS」の藤野先生は云います。

たしかに子どもたちは畑で穫りたてのニンジンをガリガリかじれば「おいしい!」と云います。旬の食材できちんと作った伝統的な野菜の煮物をキライと云わない子はたくさんいます。ところが、生まれたときからレトルトで育ち、冷凍野菜で育っているから(すでにお母さん世代から同じかも)、そんな死んだ味が当たり前と思い、本当の味を知らないまま舌がおかしくなっているのではないかと危惧します。うちの母は料理下手でした。働いていましたので、料理は毎日仕事から帰ってからでした。でも、まだレトルトなどボンカレーくらいしかなかった時代なので料理を手作りで作ってくれました。うちの妻は料理好きで旬の食材で簡単においしい料理を作ってくれます。この味の差は歴然で、明らかに食卓に並ぶ料理の種類と質が違いました。でもわたしは、母の料理、キライではありませんでした。旬のモノしかなかったからでしょうか。いい時代だったなと思います。

いつの間に、毎晩毎晩レストランで食べるような料理を求めるようになったのでしょう?これは欧米型の栄養学先行の弊害かもしれません。忙しいお母さんはどうしても出来合いやレトルトに頼らざるを得ません。初めから本当においしい和食の家庭料理が食卓の基本であったなら、お母さんが手料理をせざるを得ない環境であったなら、きっと子どもたちはそんな料理が好きになっただろうな、と思います。それだから、時々出てくるカレーや肉料理がうれしくておいしかったのに・・・。親にも子どもたちにもかわいそうな時代になったものだと思います。

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朝食(後編)

でも、現実問題として、夜中になるほど面白いテレビ番組があるのです。借りてきたビデオも見なければなりません。お父さん向けのニュース番組の主流はいつの間にか夜の7時ではなくて10時以降にシフトしました。ふと気付くと、誰もが夜更かしすることを前提にして社会が流れています。親が夜中まで起きてテレビやビデオを観ているのだから、狭い家で子どもだけ寝ていることは難しい相談です。だからみんなで夜更かしです。

義務感の朝食は返ってマイナス効果だ、と藤野先生は提案します。食事はお腹がすいたときに食べるものです。でも朝はきっとお腹がすいていません。「食べたい」とも思っていません。でも食べないといけないといわれるから食べているだけ。夜更かしする生活ならば、まだ脳が目覚めていないのだから、「朝食は、一日で最も遅い夜食だ」という藤野先生の主張の方が当を得ています。

そして、そんな朝に食べるものなのだから、何かきちんとした「食事」という固形食にこだわらなくてもいいのではないか、とも主張しています。頭も身体も起きていないということは胃も起きていません。寝ている胃に突然固形物を投げ込むのはあまりに酷というものです。うちの生後3ヶ月の子犬はドライフードを食べるとしゃっくりをします。お湯をかけて柔らかくするとそれが消えました。胃はそれくらいデリケートです。だから朝は水分中心の摂り方でも十分だという藤野先生の意見に、わたしは心から賛同できるのです。

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