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2009年4月

酒のトラブル

草なぎくんの泥酔全裸事件はバカみたいな騒動になってしまいました。もちろん大の大人が法律違反したわけだから罰せられるべきものですが、多くの一般常識人が「たわいもないこと」と思い、「騒ぎすぎだろ」と同情した事件です。この事件に対して某H大臣が、まるで虫けらのごとくに吐き捨てたあの態度が一番滑稽でした。地デジのCMまで全部作り替えるんだそうですが、税金の無駄遣いも甚だしい。

この某H大臣は、産婦人科病院の副院長が酒気帯びでお産に立ち会った事件でも、「飲酒運転より悪質!」と吐き捨てました。「バカいってんじゃねえよ」と思わず叫んでしまいました。この副院長がべろんべろんで何かした訳じゃなし、予定手術の執刀医が酒飲んで来たのとは訳が違います。いつ何があるかわかならないんだから断酒しろ、飲んだら現場に来るなと云うのであれば、そう法律で決めてしまえばいい。わたしたちもパーティの最中に救急の人手が足りずに呼び出されることはよくありました。あれをされないで済むのはラッキーな話です。その代わり、現場は医者が足りずに救急ストップをかけるでしょう。世の晩酌をされる開業医の先生は皆夜間の対応はできなくなり、巷に救急患者だけが溢れることでしょう。かく云う大臣さん方もいつ何が起きるかわかりません。パーティーや料亭から呼び出されて官邸に颯爽と向かっているのをよく見ますが、大臣さんは酒気帯びで公務をしても飲酒運転と同じじゃないんでしょうか?

最近、「常識」への過剰反応が甚だしいように思います。ちなみに某N大臣のドロドロ会見も、風邪薬を飲み過ぎたら(酒を飲み過ぎなくとも)本当にあんな風になりますから試してみてください。ただ、会見をキャンセルする選択をしなかったのがまずかっただけで、あれを酒のせいにしないでもらいたいものです。

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臓器移植(後編)

そこには、お互いの子どもの「生きる(生かす)可能性」と「生きる(生かす)権利」がぶつかり合っています。親のエゴや切実で複雑な願いが入っています。もちろん、「死」とは何か、「生」とは何かという生命の尊厳を突きつめる重い場ではありますが、そんな哲学的な問題云々よりも前に、何よりも「我が子」。とにかく「我が子」を何が何でも幸せにさせたい。そのためにはどんなことでもしてあげたい。親のその思いは、場合によっては怨念のような激しいエネルギーに化けてしまうかもしれません。ひとつの「命」の奪い合いです。そこにあるのはまさしく修羅場です。

拡張型心筋症の募金について書いた時にも言及しましたが、皮肉にも、すべては「臓器移植が実現可能になった」がために生まれた軋轢(あつれき)です。エコ運動のリユースと同じ次元で語られる話ではありません。それは生命への冒涜(ぼうとく)なのかもしれませんが、臓器移植はごく普通の概念として皆の頭の中にインプットされています。「臓器移植は夢のまた夢」といわれていた時代には、それはそれで皆のこころの準備はできていました。あるいは「外国でないと移植はできない」と限定されればその可能性は限られていました。でもその足かせがなくなってしまいそうです。・・・不幸にして臓器奇形で生まれてきた我が子がいます。親は自分を責めます。罪の意識に耐えながら悶々として生きてきました。今、消えてしまいそうなその命さえ我が子に分けてもらえるなら・・・選択肢が増えてしまった分だけ、迷い、悩まなければならないことになるのだと思います。

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臓器移植(前編)

臓器移植法の改正案が国会に提出されそうです。今回の改正の目玉は、「ドナーの年齢制限撤廃」です。どんな小さな子どもでも、脳死と判断したら臓器移植の提供者になれることになります。もちろん意思表示ができないので「家族の同意」が絶対条件ではありますが、これはかなり厳しい葛藤を覚悟しなければなりません。夫婦で意見はきっと分かれるでしょう。

おとなでも基本は同じですが、子どもの死の判定の方がはるかにむずかしいはずです。もはや無理だろうと思われる状態から奇跡が起きる可能性は子どもの方がはるかに多く、それはちょうどグリーンサイドに外れて完全に止まってしまったゴルフボールが傾斜や風の影響でゆっくりと動き始めてとうとう勝手に転がってホールインするようなものです。先日そんな光景をテレビで観ましたから、実際にないわけではないことです。また、それが子どもだからこそ、まだまだこれから成長するはずだった罪もない自分の子どもの臓器が、脳死を認めたために無理矢理えぐり取られることになるのは、まるで自らが我が子を殺すような深い心のキズを家族が持ち続けるかもしれません。

その一方で、今その臓器をもらえたら元気に生き延びられる可能性のある命が待っています。待っている親の身としては、相手の親の気持ちはわかるものの、我が子にせっかくもらえそうな権利(臓器移植)を使えなかったら、これまた大きな後悔を残して生きていくことになります。「もう脳が死んでいるのなら、早くあきらめて臓器を提供してほしい」・・・阿修羅のような複雑な気持ちに悶々とするかもしれません。

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ジェネリック

「ジェネリック医薬品」とは、「後発医薬品」のことで、いわゆる「ゾロ品」です。

ひとつのクスリを開発して発売するまでには莫大な金と労力が要りますので、発売後ある期間だけそのクスリの作り方に特許権が与えられます。その期間が過ぎたあと、他のメーカーが同じ成分を使って同じ作り方で作るクスリをジェネリックというのです。あちこちでゾロゾロと作られるので「ゾロ品」。昔はジェネリックの仕入れ値が安いため薬価との差(収益)が多かった事情もあり、信頼に欠けるゾロを金のために採用するのは一流の病院やクリニックでやることではない、という風潮がありました。今は薬価差が修正され、医療費削減や受診者の負担軽減のために、逆に積極的にジェネリックへの移行が薦められています。

ただ、同じ主成分を使い、同じ作り方のマニュアルを使って作っても、先発品と同じ効果が理論どおりに出ないことは少なくありません。「替わったクスリは効かないから前のに戻してほしい」と患者さんに云われたゾロ品はいくつもあります。医療者は、「それは気のせいです。だってメーカーが違うだけで”まったく”同じものなんですから」と口では云いますが、根拠はないけれどそれは真実だろうことを薄々感じています。

ある抗生剤のジェネリックBとジェネリックCがあって、「Bはまあまあ効くけど、Cは全然効かないよね」というのが実際の小児科の現場で今ちょっと話題になっています。患者さんの自覚症状の改善の有無ではなく、熱が下がるとか炎症が治るとかですから、結果は明確に出ます。許可を受けて堂々と売られているクスリだから名前は出せませんが、それって「ゾロ品」じゃなくて「バッタモン(=にせ物)」ていうんじゃないのかしら?それを分かっていて処方するのは犯罪と同じなんじゃないのかしら?とか、思わないでもありません。

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アメリカンジョーク

昔から良く引き合いに出されるジョークがあります。医者がプライベートの席で、あるいは何かのついでに、患者さんや知人から医療相談を受けた場合どうするか。

あるとき、同窓会があって、その宴席で弁護士をしている友人にそのことを相談してみます。この場合、相談に乗ってあげた方がいいのかどうか?あるいは云ったことにちゃんと責任を持たなければならないのかどうか?・・・弁護士の彼は明解に答えます。「そんなもん、当然責任はあるんだから、ちゃんと受診料を請求すべきだよ!あるいはそこで答えずに後日受診させるべきだよ。」・・・「そうか。やっぱりそうだよね。これからはもっとクールにすべきだよね。」などと云ってこのときはそのまま別れました。ところがその数日後に、その友人から郵便が届きます。開けてみると、なんとそこには、「コンサルト料○○円」の請求書が入っていました。チャンチャン♪・・・という話です。

これはアメリカンジョークではありますが、でもとても当を得ていると思います。同じことを話しても、外来なら診察料や初診料が発生するのに、それがまるまる無料になるわけです。わたしも酒の席で、あるいはプライベートで、よく同級生や仲間や先輩後輩から健康相談を受けます。そうなった場合、普通は普通に、いやむしろ人一倍親身になってアドバイスをします。良心というやつでしょうか。「今はプライベートだから」なんてクールに答えることはできません。でも、医者が医療に対して意見を云えば、当然それには意味が出てきますし、社会的には責任が生じて然るべきです。かと云って、「知らねえよそんなこと」なんて云ってたら友だちが居なくなってしまいそうで、弱気なわたしは結局、金を貰うときよりも真面目に答えるのでありましょう。そんなだから、世間の皆さんは、どうか医者の良心にあまりすがりませんように。あるいは酒の席なら生ビールか焼酎の1杯でもご馳走してやってください。

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消毒薬と喘息

医療情報誌Medical Tribune(2009.4.16号)に「医療用洗浄薬や消毒薬で看護師の喘息リスク上昇」という記事が載っていました(Occupational and Environmental Medicine, 2009;66:274-278)。現場で悩まされている人は昔から恒常的に多いのに、なかなか医学的な問題として取り上げてくれないのが不思議でならなかったので、今さら?という気持ちよりもホッしたというのが正解でした。

アメリカテキサス州の研究で、パウダー付きラテックス手袋を使う看護師が新たにその業務に就くようになって喘息が増えたり、器具洗浄を行う業務の看護師もそれに就くようになって喘息が有意に増えているというのです。患者さんの皮膚を洗う洗浄液や消毒薬、医療器具洗浄のための薬剤や漂白剤など、日常的に呼吸器刺激物質や感作物質がたくさん含まれているのが原因ではないかと結論しています。

ただ、わたしの懸念はそれに留まりません。皮膚のアレルギーだけでなくカラダ全体の不調や肝機能低下を来している医療従事者は少なくないと云われています。もともと細菌やウイルスを殺すのが目的の薬剤ですから猛毒です。そんなものをいつも扱っているのですから、単に鼻から吸い込んだからというだけでなく、皮膚からの吸収の要素も十分にあるでしょう。一般人の過剰な「清潔病」は考え方次第で避けて通れますが、医療者の場合はそうはいきません。経済面ばかり重視しないで、医療従事者のカラダを守る観点から薬を選んでほしいものだと切望する次第です。

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不良と非行

「最近は『不良』が居なくなった。居るのは『非行』か『犯罪者』だけだ。」という話を、先日運転中のラジオ番組で聞きました。

「不良」とは、「不良行為少年」を指すことばで、徳を害する行為をしている少年および少女のこと。法律上は、「非行少年には該当しないが、飲酒、喫煙、深夜徘徊その他自己又は他人の徳性を害する行為、つまりは不良行為を行っている少年」と規定されています。一方「非行」とは、軽い違法行為、あるいは違法ではなくても反社会的とみなされる行為のことで、「少年非行」は、「未成年者によってなされた犯罪行為、及びこれに類する行為と社会的に判定された行為」だそうです。要するに、非行は法律違反をすることであり、不良は公序良俗に反する行為はするけど違法ではない、という区別だと理解しました。たしかに昔から巷には「ワルゴロ」や番長グループというのは存在していましたが、彼らは強面にワルぶっているだけで、特に男なら大なり小なり成長期に必ず通ってきたプロセスでした。一応、そこには彼らなりの仁義があり、彼らなりの理屈がありました。一線を越えない「常識」がありました。一部はそのまま暴力団に入る者もいましたが、大部分は一時的なものでした。「昔は『やんちゃ』だったよね」という連中は、みんなこんな連中でした。

ところが、最近はそのプロセスなく、日頃不良そうな生活を送っていないのに突然犯罪を犯す青少年ばかりになった、と冒頭の番組がぼやいていたのです。だからたぶん「加減」がない(できない)のだと思いますし、ゲームの中のようなバーチャルと現実を区別できないのでしょうが、やはりとてつもなく怖い時代になってしまいました。

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ザ!鉄腕DASH!

先日、久々に「ザ!鉄腕DASH!」を観ました。ほのぼのとしていますが、昔から好きな番組のひとつです。

TOKIOの面々も各々に歳をとりましたが、彼らは若いときから何に対しても真面目に取り組んできたし、いつも好奇心旺盛で発想力と行動力があって、何よりも素直な若者たちなので、ついつい見入ってしまうのです。

もうかなり成熟してきたDASH村。わたしもあんな生活に昔からあこがれていますが、結局は周りの人たちの協力をどう得られるか、どう入り込めるかなわけで、それが不器用なわたしには一番苦手なのであります。周りはとてもやさしくしてくれるのに、何か自分から入っていけないのです。相手が厚意を見せてくれればくれるほど、それに甘えてはいけないのじゃないか、それは厚かましいのじゃないかと思ってしまいます。皆の心の中に入っていきたいのにふと気づくと決して心を許している状態になっていません。ひとりでは何もできませんし、何も楽しくありません。分かっているのですが・・・。そんなウジウジした思いと焦りを、この番組を観ながらいつも感じてきました。

父は若い頃から盆栽が好きで、ベッドの脇にはいつも盆栽の本がありました。本を読んで自己流に研究し、分からないことは散歩中に見かけた庭先でも聞いてくる姿をよく見かけました。退職したら庭師に弟子入りしたいと云っていましたが、ある日腰を痛めてしまってそれを断念したと聞いています。わたしはこれもまた苦手です。自己流の研究は好きですがそれを他人に曝して助言を請うとうことができないのです。子どものころにそういうことに慣れ親しんでいなかったのが一番の原因かもしれません。この歳からでもきっと変えられるはずとは思いますが、裏腹に偏屈爺になって行く一方です。何とかならないものかしら。

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所詮は他人事ですから。(後編)

もっとも、医療現場では相手を常に客観的に診る冷静さが必要です。

「所詮は他人事」という目で診ないと大事なことを見落とすことがあります。昔から、「身内の病気は自分で診るな」と云われる所以です。自分に近い人ほど冷静さを欠くモノだからです。だいたい世の名医というものは常に「他人事」の冷静な心で厳しい客観的な目を持って診療をしていくので、「冷たい」とか「おまえには血が通ってないのか」とか云われても信念を貫くことができるのでしょう。生半可でいい加減なわたしは、そんな強い信念で「他人事」を貫いているわけでもありません。

先日、健診に来ていた受診者の一人が不整脈発作を起こしたので、病院の救急外来を紹介しました。電気ショックで治療しようとしましたが安定剤が効かずに結局治療を断念しました。担当をした医者は「特に急いで治療しなければならないわけでもないので、目を覚ましたら帰そうと思います」と伝えてきました。「で、これからの治療をどうしましょう」と聞くと、「別に無理して治療しなくても良いんじゃないですか」と即答されました。すぐに命に関わる病気ではありませんが、脳梗塞を起こす危険性のある不整脈ですから元に戻せるモノなら早く戻してあげたい。そういう病気だということを本人が理解して今後の管理をだれかにしてもらいたい。わたしはそう思いました。彼の云っていることは専門医の意見としては正解なのだと思います。でも、「もし、それが自分の親や奥さんや子どもだったら、あなたは同じ対応をしますか?」と云ってやりたい気がしました。後日、柄にもなくわたしから本人に説明をし、幸い不整脈は取れていましたが、今後の管理を他の病院に依頼しました。

「自分の身内だったらどうするか?」・・・診断や対処に悩んだときは必ずそれを指標にすることにしています。

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所詮は他人事ですから。(前編)

「ま、所詮は他人事ですから。」

先日読んだある医者の本の冒頭に出てきたことばを書き写してみました。本の内容とはなんら関係ない話ですが、医者のやっていることは「所詮は他人事」だもんな、といつもそう思っています。

検査結果が悪い。なんとかしないと命に関わる病気になるかもしれない。その危険性を説明していると、明らかに「いらん世話じゃ。私のカラダのことは私が決める!」と云いたげに聞き流している態度を取られることはままあります。外来をしていたころもそうですが、今薬を飲まないと危ない!と云うことを説明している端から「薬を飲みたくないからここに来たのだ。それ以外で何とかしろ!」「今までの先生はそんなことは云わなかった。おまえは傲慢だ!」と云われたりします。単に今までの医者が無知でいい加減だっただけじゃねえか!と内心で怒り心頭に達しながら(きっと血圧上がってるだろうなと思いながら)、自分を落ち着かせることばは、「申し訳ないけど、そんなこと知ったこっちゃない。どうせわたしのカラダじゃないんだから、どうしようとアンタの勝手だよ!」・・・大部分は心のことばですが、声に出して云うこともあります(もちろんもっと丁寧語で)。

わたしは、聖職とは言い難いとんでもない医者です。事実は事実として正確に伝えるとして(伝え方は相手によって千差万別、これは技術ですが)、その後のその人の人生まで抱えてあげる気は毛頭ありません。「いやいやそうじゃなくて、本当に今が大事なんですよ・・・」と説得を続ける医者や看護師さんをみていると、ホントに偉いなあ、と心から敬服します。前世で素晴らしい徳を積んでこられたのでしょうね。

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ブルガダ

先日、うちの職場の生理検査のお嬢さんが、わたしに教えてくれました。

警察から依頼があって、うちで健診を受けたある男性の過去5年分の心電図を提出したそうです。実はその男性が突然死をしたのです。20歳代の男性でした。彼の心電図は最初の心電図だけが「正常」で、それ以降は全部典型的な「ブルガダ型心電図波形」でした。毎回、精密検査を指示していましたが、おそらく自覚症状がなかったから(2回目以降は『いつものことだから』の気持ちもあったのでしょう)一度も専門医を受診したことがなかったようです。

「ブルガダ型心電図波形」は1000人に2人弱程度の割合でみられる波形です。いわゆる「突然死」した人たちの心電図について多くの検討がなされましたが明確な特徴は見つかりませんでした。ところがその中で、ごく一部に共通の心電図波形を有する集団(家族性のことが多いのですが)があることをブルガダさんという人が発見して「ブルガダ型心電図波形」として発表しました。

症状(動悸・ふらつき・意識消失など)や家族歴がなければ大部分は問題ないのですが、前ぶれなく突然危険な不整脈が出現して突然死する人がいるので要注意なわけです。健診では神経質になりすぎてやや引っかけすぎだと批判を受けがちですが、今回の若者のように、おそらく家族歴も症状もなかったであろう人がこうやって突然死してしまうと(詳細を知りませんので因果関係はわかりませんが)、疎かにはできないなと改めて思いました。彼のご冥福を祈ります。合掌。

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漢字が多い

うちの職場の広報誌に定期的にコラムを書くようになって、もうすぐ15編めになります。ここに書くコラムの内容はわたしに一任されているため、提出したモノが原則としてそのまま掲載されます。ですから、良かったのか悪かったのか、内容の偏りや間違いがないかを指摘してもらうこともできません。そのため、できあがった広報誌をときどき友人に送って評してもらっています。

「内容はわかりやすいし、文章もやさしくて自分は好きだ。ただ、いつも思うのだけれど、ちょっと漢字が多すぎる気がする。同じ内容でも、漢字が占める割合が多いと重い感じがして読みたくなくなる場合がある。」・・・ある時、友人のひとりにそう云われました。

これはとても大事なことのような気がします。自称「国語博士」のわたしは、当用漢字に直せるモノは直して標記するのが当然の正しい日本語表記だ、と思っていました。それはそれで正解だと思うのですが、でも、公文書や論文ではありませんし、最大の目的は「人に読んでもらう」ということですから、「漢字が多い→むずかしそう」の感覚は避けては通れないと思いました。ときどき、作家さんの書く文章で、何でひらがななの?と思うことがありましたが、そんな意味もあるのでしょうか。

今では時々(ときどき)、わざと漢字に直さないで表記したり(表したり)、できるだけ平易な言葉に(やさしい言葉に)変えたり、いろいろトライしてみています。大体、漢字が多い時には自ずと内容が固くなり、あるいは自分の中で内容や云いたいことをきちんと把握していないことが多いモノです。自分で噛み砕けてないのであれば、人には伝えられません。ん?今日の文章は、何か漢字が多い気がします。屁理屈で引き伸ばした文章だからでしょうか?

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手際と手順

夕食の食材宅配サービスを頼むようになって5ヶ月を過ぎました。最初はこんなに少ないの?と思いましたが、最近は「多すぎるよ」とグチるようになってしまいました。慣れとは恐ろしいことです。

さて、先日小さな宴会で料理の話になりました。ちなみに、わたしはほとんど料理ができません。世の魅力的な男性たちのように「美味い料理を作りたい!」という衝動に駆られることがまったくないばかりか、味さえ濃すぎなければ、世に不味い料理などほとんどない!と思い込んでいる、錆びた舌の持ち主です。

前述の食材宅配サービスは、毎回必ずおかず三品分の材料が入っています。三品それぞれの作り方のレシピも同封されていますのでそれに従ってそのまま作れば、準備された料理ができあがります。ただ、夕食の準備として、その三品を同時進行で作りあげる「手順」は何も指示されていません。いらん世話だといえばいらん世話ですが、Aの準備をしながらBの下準備を開始し、さらにCの野菜をいつ刻むか・・・料理のセンスは「手際」に出ます。でも、準備されているのはあくまでも各々の料理の作り方のみです。「わたしは料理が好きだからそういうことはまったく苦にならないけれど、料理ができない人には辛いでしょうね」・・・いつものように指示通りの料理を手際よく作り上げながら、妻が以前そう話していました。

考えてみると、料理に限らず、世の中何事も手際と手順次第です。それが、「できる人間」とそうでない人間の決定的な差なのだろうと思います。わたしはどうかといえば、何をするにも要領が悪くてイヤになってしまいます。

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パニック体験

友人たちと某デパートに遊びに来ましたが、待ち時間があるというのでデパート内を一人で散策しておりました。三階の売り場の中を何をするでもなくブラブラしておりました。

ふと、あることに気づきました。静か。静かすぎる。徐に辺りを見回してみたらわたし以外誰もいません。それを除けば他には何一つおかしなことはありませんが、とにかくわたし一人。・・・突然、異常な不安感が押し寄せてきました。わたしの目は出口の一点に釘付けになりました。「急いでここから出なければ危ない!」・・・咄嗟にそう感じて走り始めました。出口のドア以外は視界から消えています。突然胸がドキドキし始めてきました。とてつもない不安感がザザァーっと押し寄せ、視界が波打つように広がったり縮んだりして落ち着かなくなりました。

はやる気持ちで出口を飛び出た後、とにかくみんなのいるところに行かなけりゃと思い、狭い非常階段を上り始めました。ところが不安感は強くなる一方で、ふと「反対!」と思いました。何故だか分かりませんがそう思うと急に振り返って下り始めました。狭い階段の途中で誰かとすれ違った気もしますが定かではありません。壁に囲まれた非常階段をグルグルと回りながら何段下りても外に出ません。何?ここはどこ?出口はどこ?目の前の視野がどんどん狭くなっていきます。不安感と動悸がおさまりません。とにかく、外の空気を吸いたいんだ!誰か助けて!

と、ここで目が覚めました。数日前の夜中のことです。パニック発作ってこんな感じなのかな、と思いました。初めての経験です。どうしたのでしょう。わたし、病んでいます。

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魔界水滸伝

どうしたことか、ある日突然「魔界水滸伝」がアタマに浮かんできました。栗本薫のSF小説「魔界水滸伝」を読み耽ったのは、ちょうど東京に住んでいたころでした。当時はまだ全巻が出終わっていなかったので、新しい巻が発売されるのをいつも心待ちにしていたのを思い出します。

この世のモノとは思えない風貌の地球外の神々の侵略を阻止すべく日本古来の神々が次々と目覚め、八百万の神々を従えて集結して戦う話なのですが、その展開のダイナミックさにいつもドキドキして読んでいました。最初のうちは人類を守るための戦いなのだろうと思っていましたが、徐々に神対神の戦いとなり、実体のない異次元空間の世界(魔界)が広がる中で「人類」は藻くずのように次々と消えていきました。スケールの大きな話になるに従って、ニンゲンであるわたしは、ちょっと切なくなっていきました。

世には「選ばれし人々」がおり、彼らは有事の際にこうやって隠していた能力を目覚めさせて勇敢に生き延びていくのだと思います。そんな超能力を持つのが「うちの妻でありその母親である」と信じていました(今もそうですが)。一方で、わたしのように何の取り柄もないニンゲンは、十把一絡げの集団の中の一人として、有事の際には最初に儚く消えていくのだと思います。だからこそ、読んでいくうちに徐々に主人公の普通のニンゲン「伊吹涼」に自分を重ねてのめり込んでいったのかもしれません。この小説を読んだ後に世紀末がやってきました。結局ノストラダムスの云うようなハルマゲドンはまだ起きていませんが、きっと「有事の時」はすぐそこに来ていることでしょう。わたしを取り巻く家族や親しい友人たちが皆「選ばれし人々」に見えます。

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死をみつめる。(後編)

「硬直した死体に触るのは嫌じゃなかったですか?」と質問する看護師に「あなただって、さっきこの死体を処置なさったのでしょう?」と逆に聞いたら、「だって、さっきはまだ温かくて柔らかかったもの」と答えた、という下りもとても面白いと思いました。

患者さんが壮絶な戦いの末に<死>を迎えたとき、病院であれば最初にそれに直接接するのは多くの場合看護師さんです。エンジェルセットを持って、死後の処置をします。その段階では、目の前にいるのはさっきまで生きていた患者さんなのでしょう。でも、霊安室に移り、そこから葬儀屋さんや納棺夫さんの手にわたる頃には、それは<死体>になっています。

一体、<死>が<死体>に変わっていく境界線はどこにあるのでしょうか?看護師さんたちはそれをカラダが固くなってきたかどうかで感じているようですが、その前に魂が抜けていく瞬間をきっと彼女たちは体感として感じているのではないかと思うのです。科学的でないそんな感覚がだんだんとマヒしていくのが救急医療の現場なのかもしれませんが、<死者>を<生>の時から連続で見守っていてあげられる唯一の存在が彼女たち(家族は<生>→<死>の間に空白時間がある)なのですから、是非とも自分の感性を大事にしてしっかりと魂と会話してあげてほしいと願っています。

話がいつの間にか横道にそれました。

『<死>は医者が見つめ、<死体>は葬儀屋が見つめ、<死者>は愛する人が見つめ、僧侶は<死も死体も死者も>なるべく見ないようにして、お布施を数えている。』

・・・やっぱりこの人は詩人だ。

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死をみつめる。(前編)

最後にもうひとつだけ「納棺夫日記」について書きます。

『今日の医療機関は、死について考える余地さえ与えない。』・・・医療従事者として、この文章もまたとても深くて厳しい真理だと思いました。

『死に直面した患者にとって、冷たい機器の中で一人ぼっちで死と対峙するようにセットされる。しかし、結局は死について思うことも、誰かにアドバイスを受けることもなく、死を迎えることになる。誰かに相談しようと思っても、返ってくる言葉は「がんばって」のくり返しである。朝から晩まで、猛烈会社の営業部のように「がんばって」とくり返される。親族が来て「がんばって」と言い、見舞い客が来て「がんばって」と言い、その間に看護婦が時々覗いては「がんばって」となる。』『集中治療室などに入れられれば、面会も許されないから「がんばって」もないが、無数のゴム管やコードで機器や計器につながれ、死を受け入れて光の世界に彷徨しようとすると、ナースセンターの監視計器にすぐ感知され、バタバタと走ってきた看護婦や医師によって注射をうたれたり、頬をぱたぱた叩かれたりするのである。折角楽しく見ていたテレビ画面のチャンネルを無断で変えられるようなものである。<生命を救う>という絶対的な大義名分に支えられた<生>の思想が、現代医学を我がもの顔ではびこらせ、過去に人間が最も大切にしていたものを、その死の瞬間においてさえ奪い去ってゆこうとする。美しい死に方どころでないのである。』

手厳しいけれど、自らの「死」を想像したとき、「まさしくその通りだ!」と賛同の拍手を送りたいと思いました。救急医療の現場はまさしく生か死かであり、生死をひとつの流れの中に位置させて死に行く過程を考えることなど考えている余裕はありません。それはホスピスの終末医療とは違うから当たり前だと思っていたけれど、よくよく考えてみれば、その思い込みはやはり<生>の思想に他なりません。

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悟るということ。

『悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた』

増補改訂版の「納棺夫日記」には、本文の後に「『納棺夫日記』を著して」という文章が加えられていました。その冒頭に紹介された、正岡子規(『病牀六尺』)のこの一節もまた、わたしのココロに衝撃を与えました。わたしも、いつでも平気で死ねるようになることが悟るということだ、と信じていた者のひとりだったからです。むしろ「悟り」を開いたらその瞬間がこの世からの卒業のとき、親鸞の云う「光如来に出会って<死即仏>となる」ときだと思っていたのです。

突然、余命を宣告されたときに、こころを乱さずに死を迎える準備ができることが「悟り」ではなく、平然と日々を有意義に過ごせることが「悟り」・・・そうかもしれません。今想像してみても、前者ならわたしにもできるかもしれないけれど、後者は今のわたしには到底できるとは思えません。どこかの禅僧の半端な修行など屁の突っ張りにもならないことも簡単に想像できます。

死に往く人たちが皆穏和な顔になり、皆「ありがとう」という感謝の念に満たされていることをわたしも以前から感じていました。どんな苦しい思いをした死に方であっても、もはやその向こうには生も死もないきれいな青空の空間が広がっているのでしょう。きっとそこは素晴らしいところなんだろうな、と思います。それを思えば、死に往くことなどたやすいことでありますが、やはりこれは「悟り」とは違うものなのでしょう。というより、「悟り」がどうだこうだと、そんなことにこだわっていること自体に大した意味などないのだろうと思います。

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詩人。

『・・・詩人とは、悲しい存在なのである。雨でもなく雪でもない<みぞれ>というものがあるように、覚者でもなく普通の人でもない詩人というものがある。親鸞もまた、自分は僧ともいえず、俗ともいえず、どちらともいえないあやふやな存在であると自覚し、愚禿親鸞と名乗って、・・(中略)・・と、己の中途半端な姿を正直にのべなければならないほど、誠実な悲しい存在であった。親鸞も道元も、そして良寛も、偉大な良き人は、みんな詩人でもあった。』

「納棺夫日記」第三章<ひかりといのち>を読んでいて、突然フリーズしました。「詩人」・・・忽ちわたしのこころをとらえて離さないことばになりました。続きを読みながら、魂がどんどん惹きつけられていくのです。『詩人は、その詩作品とは裏腹に、決して美しいといえる生き様ではなく幸せといえるような生涯は見当たらない。物への執着がなく、そのくせ力もないのに人への思いやりや優しさが目立ち、生存競争の中では何をやっても敗者となり、純粋で美しいものに憧れながら、愛欲や酒に醜く溺れ、死を見つめているわりに異常に生に執着したりする。言葉でいっていることのわりに、やっていることはお粗末で、世に疎まれながら生きている。そんな詩人に共通の生涯を辿る理由が<光>ではないかと言うのです。あの<光>に出会うと、生への執着が希薄になり、同時に死への恐怖も薄らぎ、安らかな清らかな気持ちとなり、すべてを許す気持ちとなり、思いやりの気持ちがいっぱいとなって、あらゆるものへの感謝の気持ちがあふれでる状態となる。』

・・・わたしの憧れとする生き様が、まさしくそこに書き記されているような気がしました。医者は天職ではないだろうという感覚に襲われ始めた最近のわたしは、医者ともいえず、かといって普通の人でもない、あやふやな感覚の中に浮遊しています。「詩人」の生き様をこれから体現できる権利が、もしかしたらわたしにはあるのかもしれないと思いました。

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みぞれ。そして光。(後編)

納棺夫の青木さんが何度も見たという「光」。何億年も前からいのちをつなげてきた卵をかかえて竹と竹の間を弱々しく飛んでいる糸とんぼに生命を感じ、腐乱死体のあった部屋の中を逃げまどう蛆たちの一匹一匹に生命を感じたとき、それが光って見えたという。多くの故人たちが、死を覚悟したときに世の中が突然明るく光って見えたという。

そして、親鸞上人がいう『仏は不可思議光如来なり、如来は光なり』という明快な説明。

その「光」を、理屈で理解しようとしてもさほど意味をもたないのだとわかりました。わたしが般若心経にとらわれ、それを理解したいと切望しながらもなかなか到達感を感じないのは、努力が足りないこともありますが、まだわたしがこの「光」を経験するときにないからでしょう。ふと思い出した光景があります。半年前、14年一緒だった愛犬が静かに息を引き取りました。母の死にも父の死にも立ち会えなかったわたしですが、彼が倒れてから7日間、時間の許す限り寄り添うことができました。最初に倒れた日に一緒にソファに寄り添って夜明けを迎えたときと、最期の朝を迎える前夜、暗闇の中で意識の遠のいた彼のカラダの中から魂が抜けたり戻ったりしている奇妙な感覚を覚えながら、彼のカラダがぼわっと仄白く光っていたような気がしました。

ここでいう「光」はそんなあやふやなものではなく、あのときはちょうど白々と明けようとする朝の光だったのであり、あるいは近くにあった熱帯魚の水槽の光だったのかもしれません。ただ、あのときにいつまでも流れた涙は、寂しさや悲しさではなく、何か感動と感謝に満ち溢れていました。そのことを、今もう一度思い出させてもらえたことに感謝して、再び熱いものを感じています。

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みぞれ。そして光。(前編)

「納棺夫日記(増補改訂版)」(青木新門 文春文庫)をやっと読み上げました。涙が止まりませんでした。出会いたい本にやっと出会ったという感覚がじわじわと湧き上がってきました。まだまだこの本に書かれているメッセージがカラダに染み込んでいく感覚にはなりきりませんが、これから何度も読んでいけばきっと、わたしがずっと探し求めてきたことへの答えを見出せるような気がしました。

何か書きたいのに、書こうとすると何も書けなくなるのがもどかしいです。だから、読み終えてすでに1週間経つのに書けずにいました。それでも、そろそろ何かを書かないと、逆に何もかもが薄れていく感覚にも苛まれて、重い腰をあげました。

「みぞれ」・・・英語にはそれに相当する単語がないというこの「みぞれ」ということばに、もの凄く惹かれました。雨でも雪でもない状態、しかも刻一刻と変化していく曖昧で不安定な現象は「無常」が理解できる日本人にはさほど抵抗のあることではありません。ただ、この表裏一体ともいえる「みぞれ」が、「生死」と同じであるということを理解するのはちょっとむずかしいかもしれません。ところが、『・・・特に仏教は、生死を一体としてとらえてきた。生と死の関係をみぞれの中の雨と雪の関係のようにとらえるなら<生死一如>=<みぞれ>であって、雨と雪を分けるとみぞれでなくなるというとらえ方である。』という文章に、「あ、そういうことか」と妙に合点がいったのであります。

『・・・みぞれの中で大根を洗うこの地方の老婆は、梢に残った木の葉が一枚落ちる度に、「なんまいだぶつ」と口ずさんでいる。・・・』の下りを読んでいて、不覚にも涙が流れ出てきてしまいました。

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新入社員

新年度が始まりました。うちの病院にも毎年多くの若者が入社してきます。医療従事者だけではなく、多くの事務員さんも入ってきます。

彼らを見ながらいつも感じることがあります。これだけ多くの若者たちが入ってくるのに、どうしてうちの病院の職員さんたちはみんなこんなにとてもしっかりしているのでしょうか。好人物だらけに見えます。仕事柄、あちこちの企業の健診でいろいろな人たちと関わっていますと、世間一般に「この人はちょっと」という人が必ずいるものです。ほとんど子どものまま社会に出てきたような若者や悪態をつく人、あるいはいわゆる変人の類の人など、一般の企業のサラリーマンを見ていると必ず一定の比率でそういう人はいます。あるいは一緒に仕事をしていながら、すれ違っても挨拶すらしない人も少なくありません。

それなのに、うちの病院ではまだそんな人間に出会ったことがありません(医者は別です。医者は、わたしも含めて「変人だらけ」と云っても云いすぎではありません)。世間一般で批判されているような「ちゃらんぽらん」な若者がうちの病院にいないのはなぜなのでしょう?かなり厳しい入社試験だとは聞いていますが、それだけでは人格的な見極めはむずかしいはずです。偶然ではないでしょう。頭がいいから仕事だけきちんとこなしているのだろうと考えられないわけではないけれど、頭が良い人ほど変人が多い昨今です。やっぱり試験官に見る目があるのでしょうか?それとも入社後1ヶ月の新人教育が本当に徹底していると思って、純粋に自施設を自慢して良いものでしょうか。自然淘汰もあるのでしょうね。

とにかくはっきりしていることは、こんなさわやかな職員さんばかりの中でわたしは幸せ者だということです。

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軽躁

ある医学雑誌によると、日本人には国民性のひとつとして「軽躁」があるのだそうです。甲高い声で早口で心身ともにちょっと騒がしい状態、と云ったらいいのでしょうか。物静かで寡黙なのが日本人の日本人らしさなのだと思っていましたので、ちょっと驚きました。でも、自分を考えてみると確かにいつも軽躁です。特にここ数年は、良いことも悪いことも、嬉しくても怒っていても、いつの間にか大声で話してしまっています。かなり苦しかったうつ状態のときですらそうなったりしていました。もともとは小声でボソボソ話すのが常でしたが、滑舌の悪いわたしが耳の悪いお年寄りの方々にわかりやすく話そうとする意識が強くて、あるいはボソボソしゃべると機嫌が悪いように思われるので誤解されないようにという意識でそうしていたつもりでしたが、歳とともにどんどん声が甲高くなっていくのは、ちょっと病的かもしれません。

その記事にはもうひとつ、武田信玄の遺訓にも触れていました。「主将が陥りやすき三大失観」です。①分別あるものを悪人と見ること、②遠慮あるものを臆病と見ること、③軽躁なるものを勇豪と見ること、です。ここにも軽躁をヨシとしてしまう間違いを戒めています。3つのうちの1つですので、これはかなりのウエイトをもって昔からリーダーが陥りやすかった勘違いなのでしょう。

現代社会の若者たちは、自分の世界に入り込むオタクと周りを気にせずうるさく騒いでいる軽躁ばかりで、社会性が欠落している!と云われますが、それは若者たちに限った特徴ではないようです。わたしもこの機会に、少し反省してみましょう。

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微量金属

人間のカラダの中に必須微量元素というものがあります。本当に微量だけあれば十分な物質だけれど、ないと生きていく上で重要な機能が欠落していくものです。以前、中心静脈栄養の患者さん(口から食べることができないので心臓近くの太い血管まで管を入れて高カロリーの輸液をする必要がある患者さん)が亜鉛不足になるケースが多くて問題になったこともあります。

そんな重要な微量元素・微量金属ですが、食事を普通にとっておけば問題ないはずなのです。ところが最近、そんな微量金属欠乏症の人が普通に見られるようになってきていると云われます。インスタント食品しか食べなかったりお菓子しか食べなかったりの偏食が原因で起きるビタミン不足と同じような理由なのでしょうか。一方で「足りないなら、じゃあサプリだ!」とばかりにサプリの過剰摂取で中毒症状を出してみたり。今はホドホドがホントに難しい世の中です。

ある医学雑誌に載っていた「ヒト必須微量元素欠乏症の症状」の一部を転記します。気になるモノがあったら調べてみてください。

●鉄→貧血・免疫力低下など、●亜鉛→味覚障害(低下)・嗅覚障害(低下)・視覚障害(暗順応不全)・成長の遅れ・妊娠異常・脱毛・うつなど、●銅→神経・精神発達の遅れ、骨や血管の異常、貧血など、●ヨード→甲状腺腫・クレチン病、●クロム→糖尿病・脂質異常症、●コバルト→悪性貧血、●マンガン→低コレステロール血症・体重減少など、●モリブデン→脳症など、●セレン→心筋症・心筋梗塞・がんなど。

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胸がキュンとする

恋をすると胸がキュンとします。この「キュン」は、医学的に何ですか?という質問を受けました。

これは、とても深くてむずかしいことだと思います。医学的に書けば、おそらく簡単なことです。身体中にはりめぐらされた自律神経の網の中で、興奮状態の時に優位になる交感神経が脳から刺激されてホルモンを大量に分泌させられたのです。ドパミンが脳に快感を与えるとともに、ノルアドレナリンが動悸と血圧上昇をもたらすのだと思われますし、皮膚が収縮してゾクゾクとなるのでしょう。ネットをチェックしていたら、このとき心臓の筋肉が瞬時に収縮するから「キュン」となるんだ、という説明文も見かけました。

わたしは循環器内科の医者でありながら(むしろそれだから)、「こころは心臓にある」という説が好きです。交感神経の反応を、脳は猜疑的(理性的)に対処しようとして、心臓は好意的(感性的)に同調するのだと解釈しています。同じ様な「好きだ」でも相手によって、あるいは同じ相手でも日によって「キュン」を感じたり感じなかったりしますし、自分の感じてきた「キュン」には、解説書に書かれているような「胸の痛みの感覚」とはちょっと違うモゾモゾ(ゾクゾク)感を伴っています。「好きだ!」という思い(興奮状態)に対して、脳はそれなりの生体反応で落ち着かせようとしますが、心臓がその制止を振り切って抑えきれなくなってしまうのではないかしら。それが「せつない」という感情。この感情を発しさせているのは脳かもしれないけれど、それを表現しているのはやはり心臓に違いないと思っています。

ま、そんな理屈は脳に任せておいて、こころはいつも素直に感じていきましょう。今日が、そんな胸キュンな日でありますように。

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田舎の裏庭

先日、友人とトイレの話になりました。

わたしの田舎(父の実家)の便所は家の一番奥、縁側の廊下をミシミシいわせて歩いていったその果てにあり、手洗いの水は便所前の軒下に懸かったジョウロのような容器に入っていました。幼稚園に上がるまで農繁期にはいつもばあちゃんに連れられて田舎に滞在していたわたしは、あの忌まわしい薄暗い空間がお化け屋敷のように恐怖でした。

最終目的地(便所)は、家の中の北のはずれの裏庭に面したところにありました。「何もおらぁせん!なんか、男ん子やろうが!」と本家の兄ちゃんに笑われ、今にも泣き出しそうな決死の覚悟で闇の中に突入するのでした。昼間でも薄暗くて気味が悪いのに、夜はさらに凛とした漆黒の闇が裏庭の向こう側に待ちかまえていました。生け垣の向こう側に延々と広がる田圃や林からは虫たちの声、さらにその向こう側にある沼や川のせせらぎの音も聞こえていたはずですが、きっと当時のわたしには何も聞こえなかったはずです。もはや天も地もない暗闇の中を前だけをみてスローモーションで駆け抜けていく自分がいます。便器の下から手が出てきてわたしの足を握るかもしれないから夜にウンコに行ってはいけない。後ろを振り向いたらそこに何かが立っているかもしれないから、終わったらそのまま振り向かずに後ずさりし、音を立てずにドアを閉めてから一目散で走って帰るのです。でも、この行動計画の最大のネックは、軒下の水。これでどうしても手を洗わないといけないのかしら。子どもながらに何回そう思ったことでしょう。きっと裏庭の闇の中から無数の妖怪たちがこっちをみているのです。こんなところで、無防備にひとりで立っていては彼らに見つかってしまうではないか!

やっとの思いで明るいこの世に戻ってみたらみんながこっちをみて笑っています。そっと大きなため息をつきました。・・・こんな夢を、この歳になってもときどき見ることがあります。疲れているのかしら。

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誕生日

今日は、4歳違いのわたしの姉の誕生日です。

子どもの頃は良くけんかをする姉弟でしたが、大学受験の前日に一生懸命英単語を覚えていた姉に対して「今ごろしてもムダだよ!」と軽い気持ちで云ったら、突然不安そうな暗い顔になったのを覚えています。あのとき以来、あまりけんかをしなくなりました。今は三重県に住んでいます。長男のアトピーを診察した医者の説明の仕方が不安だった!と、なぜかわたしのところに文句の電話をもらったこともありますが、わたしが父の反対を押し切って結婚したことを知ってからは口も聞かなくなり、遠く離れていたこともあってそのまま疎遠になっていきました。

久しぶりに彼女と話したのは、母の十七回忌のときでした。それは妻が初めてうちの親族に正式に紹介された日でもありました。でも本当に互いの想いを語ったのは父の急死の後からかもしれません。何日も同じ屋根の下に居て相談しながら遺品をひとつひとつ整理したときに本当にココロが再接続できたような気がしました。わたしの唯一の身内である姉と再度つなぎ合わせしてくれたのは、云うまでもなくやはり両親だったのだとココロから感謝しています。もともと多くを語り合う間柄ではありませんでしたが、あのころポツポツと語ってくれた彼女の若いころからの想いは、本当はまだまだ語り尽くせていないだろうと思います。

何度も繰り返される法事の度に顔を合わせましたが、昨年父の七回忌も終わり、また当分会うことのない関係になります。それでも、きっと昔とは違った姉弟の間柄であるだろうと信じています。先日、息子の就職にあたって保証人になってくれないかという電話がありましたので、快く引き受けました。

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7つの健康習慣

先日、ある公民館に生活習慣病のお話をしに行ったときに、以前使っていたスライドを1枚久しぶりに引っ張り出して追加しました。

「Breslow(ブレスロー)の7つの健康習慣」というものです。つまり●適正な睡眠時間、●喫煙をしない、●適正体重を維持する、●過度の飲酒をしない、●定期的にスポーツをする、●朝食を毎日食べる、●間食をしない・・・この7つの健康的な習慣に該当する生活を多く送っている人ほど、病気にかかる率が低く寿命が長い、というわけです。

これを読んでどう思いますか?多くの人が「そんなこと当たり前だろう!」と突っ込みたくなるでしょう?5、6年前に初めてこれをみたわたしも、実はそう思いました。で、次に何と続きますか?

現代人は「そんなこと当たり前。でもそんな理想を並べられても現実としてできるはずがない」と続くのではないでしょうか?ところが、ブレスローさんがこれを提唱した1972年のころに遡ったと思ってみてください。タバコの概念は別として、それ以外は「今さらいちいち云われなくても当たり前のことばかり。ただ普通にしてたら良いってことだ!」と思ったに違いありません。自分の若いころを思い出してみても、毎日一般庶民が普通にやってきていたことばかりが並べられています。

「そんなこと当たり前」なのに、昔は「普通のことを並べているから『当たり前』」で、現代は「理想は『当たり前』だけれどするのは大変!」なのです。これは真逆の感じ方です。現代は昔とは別の惑星に住んでいるのだから、昔の理屈を引きずってはいけません!ということを云いたくて、このスライドを追加しました。

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国試対策

わたしはどうも連むのが苦手です。試験勉強はひとりでやっていくのが昔からの習慣でした。自己流のやり方や覚え方でないとアタマの中に入っていかないのです。そのスマートでない勉強の仕方をヒトに笑われるのが嫌なだけだったのかもしれません。

自分の生き方のスタンスには自信もあり、その方法はそれなりに通用してきました。でも、医師国家試験だけは恐怖でした。クラスメートは必ず友人とグループを作って勉強し合っていました。あるいはクラブの先輩から虎の巻やポイント集のコピーをもらい、どんな参考書を買えばいいかアドバイスを受けていました。それが国試対策の常套手段だったのだと思います。別に授業をさぼっていたわけではありませんが、居眠りすることは多く(今でも学会場で暗くなると瞬時に意識がなくなるのは当時からの条件反射かしら)、本学(医学部ではなく全学部合同)の演劇部に入り浸っていたわたしはクラスにクラブの仲間すらいませんでした。コピーは何とか再再再コピーの段階で分けてもらい、友人に参考書のアドバイスの受け売りを教えてもらいはしましたが、いかんせん勉強の仕方がわかりません。

よくもまあ合格したものです。受験した後もできた実感がなく、卒業して引っ越すときにもまだ国試対策の問題集と参考書は捨てる勇気がありませんでした。きっと医者の多くが常識だと思っている知識を、わたしは意外に知らないままに仕事しているかもしれません。代わりに、多くが知らないであろう、分厚い内科教科書の欄外のコラムの内容をこそっと覚えていたりするかもしれません。昔はちょっと負い目に思っていましたが、最近はこんな医者がいても良いんじゃないかしら、と開き直っています。

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独りよがりの恋

高校を卒業して大学予備校に通い始めたころから、わたしはある同級生に独りよがりの恋をしました。遠く離れた、わたしの立場で云えば(相手にとっては恋愛ではなくて仲の良いお友達だったかもしれません)「遠距離恋愛」になるそのつき合いは、途中での中断を経ながら、まがりなりにも大学卒業の前まで続きました。

携帯電話やメールの存在しないあの時代、手紙と里帰りのときのたわいないデート以外に交わすことばすらありませんでしたが、わたしはいつもウキウキしていました。「恋」というものはそんなものです。

予備校時代、夏を過ぎても成績はパッとしませんでした。志望校の合格可能性Dランク・・・とりたてて遊んでばかりいるわけでもないのに今ひとつスイッチが入りません。そんなころ彼女から一通の手紙がきました。「勉強の邪魔になるからしばらく手紙出さなくていいよ」・・・きっと軽い気持ちで書いたのでしょうが、その一通で突然わたしのスイッチが入りました。正月明けの模試ではAランクに。おかげさまですんなり志望校に入学でき、わたしってすごいなと思いました。その影響からか、大学時代のわたしは何をするにも自信がありました。それはきっと遠くに彼女がいたからだと思います。生き方の自信というものは理屈ではありません。芯になる存在があれば簡単にできることです。でも医師国家試験を前に別れを告げられました。彼女のために大分に帰る決心をしていたわたしのこころは見事に潰れました。彼女とは縁がなかったのだと諦めるのに長い時間がかかりました。

ただ、今思うと、彼女はわたしが今のわたしであるためにどうしても必要だった、最大のご縁だったのではないかと思います。彼女がわたしの前に存在しなければわたしは医者をしていません。医者になったことが良かったか悪かったかはわかりませんが、今でもわたしは彼女にこころから感謝しています。

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