魔界水滸伝
どうしたことか、ある日突然「魔界水滸伝」がアタマに浮かんできました。栗本薫のSF小説「魔界水滸伝」を読み耽ったのは、ちょうど東京に住んでいたころでした。当時はまだ全巻が出終わっていなかったので、新しい巻が発売されるのをいつも心待ちにしていたのを思い出します。
この世のモノとは思えない風貌の地球外の神々の侵略を阻止すべく日本古来の神々が次々と目覚め、八百万の神々を従えて集結して戦う話なのですが、その展開のダイナミックさにいつもドキドキして読んでいました。最初のうちは人類を守るための戦いなのだろうと思っていましたが、徐々に神対神の戦いとなり、実体のない異次元空間の世界(魔界)が広がる中で「人類」は藻くずのように次々と消えていきました。スケールの大きな話になるに従って、ニンゲンであるわたしは、ちょっと切なくなっていきました。
世には「選ばれし人々」がおり、彼らは有事の際にこうやって隠していた能力を目覚めさせて勇敢に生き延びていくのだと思います。そんな超能力を持つのが「うちの妻でありその母親である」と信じていました(今もそうですが)。一方で、わたしのように何の取り柄もないニンゲンは、十把一絡げの集団の中の一人として、有事の際には最初に儚く消えていくのだと思います。だからこそ、読んでいくうちに徐々に主人公の普通のニンゲン「伊吹涼」に自分を重ねてのめり込んでいったのかもしれません。この小説を読んだ後に世紀末がやってきました。結局ノストラダムスの云うようなハルマゲドンはまだ起きていませんが、きっと「有事の時」はすぐそこに来ていることでしょう。わたしを取り巻く家族や親しい友人たちが皆「選ばれし人々」に見えます。
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コメント
先生、きっと
夢の途中だったんですよ
そのまま起きなかったら、何か続きがあったのかも。
階段を降りた先には、夢の中の、魔界水滸伝が繰り広げられていたかもしれませんね。
パニック障害。とはなんぞや。また、勉強させてもらいます。
投稿: 別府キノシタ | 2009年4月17日 (金) 18時16分
キノシタさん。
そのまま起きなかったら、死んでいたかもしれない。というのがパニック発作の時の心境です(だと思います)。
昨日、同じ様に「ひとりぼっちになると途端にパニック発作を起す」という受診者がおりました。早速私は夢の話をしました。「私の苦しみをわかってくれましたか?」と言ってニッコリしてくれました。夢をみて、良かったな、と思いました。
投稿: ジャイ0425 | 2009年4月17日 (金) 20時05分
なるほど。(と言えるほど簡単なことではないですよね)
やはり、そのような事情だったのですね。一連の流れに、つい衝動を我慢できずコメントしてしまいました。すみません。
受診者の方に真剣に向かい合うことは、人様の様々な症状に向き合うことは、自分の心を砕いたり親身に注ぐことだったりするものだろうし、自分と向き合う作業なのだろうと、漠然と思いました。常に真剣だからこそ患者と一体化することもあるのだろうかとも。
いつも心が動かされるブログ、有り難く読ませていただいてます。
これからの続きを楽しみにしております。
投稿: 別府キノシタ | 2009年4月17日 (金) 22時30分
「体験」と「病気」はまったく別物ですが、ただ、少しでも経験したことがあると、教科書でしか理解していない場合よりはるかに実感を共有しやすいとは言えるだろう思います。別に見たくてみた夢ではありませんが、役立った分だけ良かったと素直に思いました。
投稿: ジャイ0425 | 2009年4月18日 (土) 10時28分
借りて読んでいましたぞさようなら





投稿: 猫かつお | 2015年9月20日 (日) 10時33分
猫かつおさん
おはようございます。コメントありがとうございます。
え?図書館本ですか?
その図書館長、良い選択センスしてますね~(笑)
猫かつおさんのおかげで6年半前のブログを読む機会を得ましたが、並んでいるコメントが何のことかさっぱり分かりませんでした。これは1日前の「パニック体験」の感想ですね(笑)
投稿: ジャイ | 2015年9月21日 (月) 07時14分