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みぞれ。そして光。(前編)

「納棺夫日記(増補改訂版)」(青木新門 文春文庫)をやっと読み上げました。涙が止まりませんでした。出会いたい本にやっと出会ったという感覚がじわじわと湧き上がってきました。まだまだこの本に書かれているメッセージがカラダに染み込んでいく感覚にはなりきりませんが、これから何度も読んでいけばきっと、わたしがずっと探し求めてきたことへの答えを見出せるような気がしました。

何か書きたいのに、書こうとすると何も書けなくなるのがもどかしいです。だから、読み終えてすでに1週間経つのに書けずにいました。それでも、そろそろ何かを書かないと、逆に何もかもが薄れていく感覚にも苛まれて、重い腰をあげました。

「みぞれ」・・・英語にはそれに相当する単語がないというこの「みぞれ」ということばに、もの凄く惹かれました。雨でも雪でもない状態、しかも刻一刻と変化していく曖昧で不安定な現象は「無常」が理解できる日本人にはさほど抵抗のあることではありません。ただ、この表裏一体ともいえる「みぞれ」が、「生死」と同じであるということを理解するのはちょっとむずかしいかもしれません。ところが、『・・・特に仏教は、生死を一体としてとらえてきた。生と死の関係をみぞれの中の雨と雪の関係のようにとらえるなら<生死一如>=<みぞれ>であって、雨と雪を分けるとみぞれでなくなるというとらえ方である。』という文章に、「あ、そういうことか」と妙に合点がいったのであります。

『・・・みぞれの中で大根を洗うこの地方の老婆は、梢に残った木の葉が一枚落ちる度に、「なんまいだぶつ」と口ずさんでいる。・・・』の下りを読んでいて、不覚にも涙が流れ出てきてしまいました。

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