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2009年5月

「莨」

今年も「世界禁煙デー」になりました。

先日テレビのクイズ番組で、「くさかんむり」に「良」と書いて「たばこ」と読むのだ、ということを知りました。「人」を「良くする」で「食」:その番組の直後に流れたある健康食品のCMのキャッチコピーですが、こっちはわたしも理解できます。でも、なんで「草」に「良い」で「莨(たばこ)」なんや?書くなら「悪」か「毒」やろ!とひとり突っ込みをしてみました。

もちろん今は漢字変換しようとしても絶対この字に行き着きませんから、むかしの意識の名残なのだと思います。この「良」の部分は「富」が変化したという説や穀物を精製したことを表すという説がある、とインターネットには書かれていましたが、どっちにしろむかしの常識です。むかし、たばこには明確な市民権がありましたし、世が世なら、手柄を立てた者が殿様や天皇様から賜った「褒美」の最高級品の中にたばこがありました。ここまで罪人扱い、超毒物扱いをされるとは思ってもいなかったことでしょう。

上方落語に「莨の火」というのがあるようで、この機会にちょっとあらすじを読んでみました。あるいは「莨盆(たばこぼん)」。これもこの字を使うのだそうです。粋といえば粋ですが、まあとにかく、現代社会では、莨の火のごとくに早く存在を消させてしまいたいものであることも事実なのであります。今年も禁煙の啓発講演をしなければなりません。今年のわたしはたばこそのものに興味がなくなったので、どうも講演の準備をすること事態に気分が乗りません。どなたか代わりにやってくれないかしら。

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やっこさん

急に「やっこさん」を折ってみたくなりました。「やっこさんだよ~っ」などという「やっこ」て何?「冷や奴」とはどんな関係?などと子供心に思ったものです。「やっこさん」を折るのは、折鶴などと違ってとても簡単です。とはいうものの、折ろうと思って手が止まりました。どうだったっけか?自転車の運転と同じで折り始めたら勝手に手が動くと思ったらそうでもなかったです。ま、とりあえずインターネットを使ってすっかり思い出しました。

さて、ただ黙々と四隅を折り曲げ続けていくうちに「やっこさん」ができました。わたしが「やっこさん」を好きなのは、実はこの後です。「やっこさん」のアタマの部分も四角く折り曲げたあと、これが「だまし船」や「かざぐるま」に化ける瞬間、まるで魔法のようなことが起きます。折り紙の中でこれほどダイナミックなイリュージョンはないように思うのです。 子供心に初めてそれを見たときの感動を今も忘れません。小さく折り畳んでいたものを一瞬全部広げます。せっかくここまで折ったのに、です。でも、次の瞬間、もう一度折り戻したら「やっこさん」は「だまし船」に替わっているのです。一生懸命作り込んだものを一度リセットさせる。そして元に戻すとまったく違うものに生まれ変わっている。人生においても、つい精魂込めすぎて凝り固まったものを一度壊して見直すと、そこから大きな別世界が広がることは少なくありません。もちろん、それができるのは折り目があるからであって、シワもない白紙に戻っても勝手に何かに替わることはありません。それが、「経験値」だと思います。

今「やっこさん」を思い出したのは、いろいろなことで行き詰まっている今のわたし自身を、一度きちんと見直す時期になったということかな、と思ったりしました。

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マニュアル

贔屓のサッカーチームの応援のために毎月泊まるホテルに、最近は2週間毎に行きました。このホテルの立体駐車場の係のおっちゃんたちが最近解雇されました。車で到着してインターホンを押すとフロントから受付職員が駆けつけて対応するのです。

「少々お待ちください。アンテナを外しますので。」・・・わたしの車の後方に付いているアンテナに手を伸ばそうするのを、「大丈夫です。毎回大丈夫なのだから大丈夫です!」と拒みます。「そうですか?前にお停めになったことがあるのですね?」不本意そうな顔をしながらもアンテナから離れてくれましたが、次に「ドアミラーを倒してお進みください」というので、「大丈夫です。いつもこのまま進んでいます!」・・・だんだんわたしの声が不機嫌になります。あなたにとってマニュアル書通りかもしれないし、覚えていないかもしれないけれど、わたしはあなたと2週間前にまったく同じ会話をして同じようにイライラしたのですよ!・・・翌朝、車を出そうとするとまた同じ人が出てきました。「お荷物をトランクに入れられますか?入れられるようでしたら・・・」「入れません!」・・・2週間前にもそう云ったじゃねえか!オレはお前よりこの駐車場は詳しいんじゃ!

たしかにむずかしいところです。今回うっかりトランクを開けるかもしれません。鉄の枠に当たって車に傷が付いたら「お前が云わなかったからだ!」と一悶着になるのは必至です。でも・・・少なくとも3月までここに居たおっちゃんたちは一度もそんなことは云いませんでした。その代わり、自らがドライバーと一緒に車の横まで付いてきてそっとサポートしてくれました。きっとトランクを開けそうなときは制してくれるのだろうと思いました。操作盤の前から声だけかけるマニュアル職員には想像すらできないであろう心配りを、おっちゃんたちはいつもきちんとしてくれていました。現場のプロたちというのはそういうものです。「信用」という、単なるコスト以上のモノを彼らは体現してくれていたのですが、きっと経営者にはわからないことでしょう。

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モスキート音

夜中の公園に屯(たむろ)す若者たちを撃退するために、東京都足立区で若者にだけ聞こえるモスキート音なる高周波音を流し始めました。諸外国ではそれなりの効果があっているのだとか。マスコミがこぞって話題にするものだから、わざわざそれを聞きに来る若者たちがいるのも、まあ想定の範囲内なのでしょう。

まるで、蒔いたばかりの種を啄(ついば)む鳥たちを畑から追い払うかのような方法ですが、少なくともわたし的には近づきたくない場所です。なぜなら、きっとわたしには聞こえないだろうから。周りは不快な顔をしているのに自分だけ涼しい顔で何も感じないなんて・・・わざわざ老いの寂しさを感じるために行くなんて考えられません。昔、若者と非若者でまったく違うことばに聞こえる音というのをテレビでやってましたが、何度くり返して聞かされてもわたしには同じようにしか聞こえませんでした(もちろん若者のそれではありません)。

屯(たむろ)す若者たち撃退にどの程度の効果があるのかわかりませんが、興味深く「遠くから」見守っておきましょう。ただ、もうひとつだけ気になることがあります。高周波音を夜の間中ずっと流して空気を振動させ続けることになりますが、それって自然界に本当に何も影響がないのでしょうか?何も感じない老人のカラダはもちろん、ニンゲンを含むすべての自然界の動物、植物、微生物、あるいは航空機や家の壁や大気中のホコリや土の組成に至るまで、本来あるべきでない振動をずっと発生させることが地球全体の存亡にかかわるような大事に本当にならないのでしょうか?杞憂かもしれないけれど、やはり老いたおじさんにはとても心配なことのひとつです。

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片噛み

ある日、鏡を覗いてみたら、顔が歪んでいました。左半分の顔面が麻痺してしまう「顔面神経麻痺」ではないかと心配しましたが、筋肉の動きや力が右側より弱いということもなさそうです(自分で試してみただけですが)し、水を含んでも左から漏れたりしません。なのでちょっと安心しました。

どうも左頬が腫れている感じです。「おたふくかぜなんじゃないの?」と云われましたが、熱も痛みもないし何よりリンパ節自体が腫れていません。自己診断で、歯か歯肉の炎症からきていると決めました(歯科には行ってませんからあくまでも憶測)。いつも左の奥歯近くが気になって、食後はいつも歯間ブラシや爪楊枝でゴシゴシ。ときどき血が付いたりしていたのです。片噛みをすると顔が曲がってきて、頭痛や肩凝りの元になる、ひいてはカラダ全体の骨格が歪んできたり免疫力が落ちてきたりすると云われます。わたしの顔は基本的に子どものころから傾いていまして、耳の高さがそもそも左右で大きく違うのでメガネやマスクをすると妙竹林なバランスの顔になります。それだからというわけでもありませんが、むかしから片噛みしないように意識してきたつもりでした。でも食事中にふと気づくと必ず左で噛んでいました。腫れた左側を使わないように、食事のときは右で噛むようにしよう!と思って食卓に付きますが、意識しない限りいつの間にか左に戻っているのです。

先日から、「ながら」をしないで右で噛むようにしてみました(何かに意識が向かっているとすぐ左に戻るのです)。今まで慣れっこでいい加減だった噛み方が本当に一噛み一噛み意識されます。久しぶりに良く噛みます。こりゃ大変だけど、なかなかおもしろいわと思いました。いつの間にか、歪んだ顔が少しまともになってきたように感じました。

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肥満の遍歴

子どものころの健康優良児(あるいは肥満児)は小学校高学年でスラッと上向きに伸び、ジャイアント馬場のような胸板だと云われました。中学の部活動を止めてから横に成長し始めた結果、高校を卒業するときには体重90kgウエスト95cmに成長しました。当時は今と違って、穿けるズボンはオヤジ柄の地味なデカパンだけでした。それが、博多の予備校に通い始めて半年で20kgやせました。食べなければ簡単にやせることを悟りました。

医者になって1年でまたまた15kg増えました。自称「ストレス太り」だと云い続けました。もちろん食べれば太ることを密かに悟りました。そんな体重が最初に減ったのは、東京から帰ってきてから山中の病院に1年勤務したときでした。宿舎から病院まで歩いて10分。昼休みは家に帰って食事。これだけで1日2往復するようになりました。体重の10kg減など大したことではありませんでした。その数年後、公私ともに荒んだ時期に「生きても死んでもどうでもいいや」と自暴自棄になって、これまた簡単に10kg増えました。その後、希望して健診の仕事をするようになって、「できないできないと云うが本当にできないのか?」と、人に指導する生活療法を実践してみたら、どうということなく10kg減。

まあ、わたしの体重人生もかなり忙しいものでした。最近ずっと横ばいでしたがどうもここ数ヶ月そっと右肩上がりの様子です。でも、何かしっかりしたモチベーションを持たないと動かないもの。良い口実はないものでしょうか?

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CR

先日、カロリー制限とアンチエイジングの関連についての報告の話題を書きました。「太っていない人がカロリー制限をしても無駄かむしろ危険かもしれない」というものです(「太ったマウス(2009.5.6)」)。

カロリー制限をすると寿命(健康寿命)が長くなり、若返り、カラダの機能低下が進みにくくなるという考え方が、カロリックリストリクション(Caloric Restriction:CR)です。動物実験はすでに70年前から始まっており、実践している人もたくさんいるようです。CRの目的はメタボ対策ではなくてあくまでも「不老(老化の遅延)」で、ガンを抑えたり、うつ病になりにくくなるなどの効果もあるのだとか。わたしが入会している日本抗加齢医学会の学会誌に取り上げられているのを発見し、上記の論文のことがあり、また数年前から朝絶食の食事習慣を続けているわたしとしては、今ちょっとマイブームです。ちなみに、24時間以上絶食+24時間自由食をくり返す「間歇的断食(IF)」というのがあって、すでに抗加齢効果が実証されているということは今回初めて知りました。たしかにプチ断食が如何にカラダに良いかをネット上で説いておられた麻酔科医が数年前におられました。彼もまたそれを実践していたようでした。周りは変人扱いしていたかもしれませんが、わたしはそれを読みながら割合簡単に納得できたことを覚えています。

「高齢者のカロリー制限が寿命を縮める」という意見が上記の論文には書かれていましたが、一方で「CRは高齢者の記憶力を改善させる」というドイツの研究結果が論文として発表されました(Proc Natl Acad Sci USA 106,2009)。

こういう賛否両論の意見がアカデミックに出てくる理論というのは、何か好きです。

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医食同源

健康ブームに乗っかる形で、「医食同源」ということばが有名になりました。広辞苑によれば「病気をなおすのも食事をするのも、生命を養い健康を保つためで、その本質は同じだということ」とあります。37年前にNHKの「きょうの料理」で新居裕久先生という医者が作ったことばなのだとか。

そんなことばの検索をしている途中で、興味ある文章をみつけたので勝手に転記します。「医学統合研究会」なるページの一項目<医食同源の本当の意味>の一部です。

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中国最古の医学書である黄帝内経素問の異法方宜論には次のような記載が見られます。「へん石(外科手術)は東方より来たり、毒薬(薬草療法)は西方より来たり、灸は北方より来たり、九鍼(鍼治療)は南方より来たり、導引按摩は中央より出ずるなり」

つまり、「海岸地帯である東方はいうまでもなく魚介類を中心とした食生活であり、塩分過多になりやすいため、偏勝の気によって“腫れ物”を患い易い。それを治療するためにこの地方では外科手術が発達した。山岳地帯である西方は、この地域で育った動植物が食事の中心になり、人々は鉱物毒を体内に取り入れ易いため、内臓の病気になる人が多い。その毒を下すために薬草を用いた漢方治療の原型が発達した。この地域は元来、豊富な薬草が見られる地域であった。北方は寒冷地帯であり、野菜が育ちにくいため、いやおうなしに動物性の食事(乳、肉等)になる。すると内臓が冷え、お腹の張る病気になりやすい。それを治療するために灸治療が発達した。寒い地方であり、熱刺激を好んだのだ。南方は高温多湿で、土地も肥沃であるため、穀物も良く実り、動物の内臓もよく食す。このような食事を続けると血行障害による病気が多くなるため、経絡を刺激する鍼治療が発達した。中央の都市部では交易が盛んで、どこからでも食糧が入り、都市部ということもあり、食べすぎ、運動不足が多くなる。それらの問題に対処するためマッサージが発達した。」という意味です。

各地方ではその風土に合わせた偏食を強いられますから、土地の人々の病気にも、その食生活の傾向に由来した疾病が現れてきます。それを治療するためにそれぞれの治療が発達したというのが「医食同源」の本来の意味です。

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こういう知識を、思いがけないところから得られる時代、おもしろいものだと思います。

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「医と食」(後編)

冒頭にある「県談 栄養療法にのぞむ」の中で、医療界の重鎮たちが語っている予防医学や健康長寿の考え方は、まさしくわたしの思いと同じでとてもこころ強い気分になりました。メタボ対策に言及した折茂肇先生(健康科学大)の「・・・がんや動脈硬化性疾患を減らすには禁煙、節酒が最も重要で、太りすぎは困るけれども、ほかは関係ないというデータを津金先生たちが出しています。・・・とくに、糖尿病は別として、高齢者は痩せるとかえって悪い場合があります。免疫力が落ちてくるとか・・・ね。ある程度は太っているほうがいいのにそのへんのことを考慮せずにただ、痩せろ痩せろというのはおかしいですよ。・・・」ということば、あるいは渡邊昌先生(国立健康・栄養研究所)の「・・・英先生という方が食介護研究会の講演で緩和食という概念をお話しされました。在宅では食べられなくなっている人が大半だが、多少脱水気味で栄養不足になっていく人の方が安らかに鬼籍に入るというのです。・・・」ということばなど、ついつい仕事中であることを忘れて読み耽(ふけ)ってしまいました。

もうひとつ興味があるのは、この創刊号から「医療と哲学」という連載が始まることです。昭和大学藤が丘病院客員教授の出浦照国先生という方が執筆するそうです。これもまたわたしのこころをくすぐります。「医療の実践の現場において、十分な医学知識と緻密な科学的考察と熟練した技術と、この3条件がそろえばそれで十分なのであろうか?私は躊躇せず否と断言する。」このキッパリとした信念が好きです。医療に関わるどんな研究会や学会に行っても、「哲学」と名の付く内容が入り始めただけで途端に煙たい顔をする若い先生方、医学教育を司る大学病院の先生方や最先端医療に関わる大病院の先生方に、ぜひとも考えていただきたい内容だろうと推測しています。

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「医と食」(前編)

若いころ、「効果的な栄養補給の方法を並べろ」と云われたら、

1.中心静脈栄養(心臓に近いところの太い静脈にチューブを入れて点滴する)、2.末梢点滴(ふつうの栄養点滴)、3.経管チューブ(鼻から胃までチューブを入れて栄養する)、4.胃瘻(当時はまだ先端医療)、と答えたでしょう。

ニンゲンは「噛む」ことが重要で、それができなければ流動食でも良いから何とか口からモノを食べさせなさい。少なくとも胃を通して栄養を!という指導を受け、理屈では良く分かっているつもりでしたが、それでも十分計算された中心静脈栄養を点滴すれば、「元気になれる」と思っていました。

この歳になって、「食べる」ことの重要性がやっと実感として分かるようになりました。ニンゲンは「食べる」ことができなくなったら遅かれ早かれ死を迎えるのであり、最新の栄養学理論に従った完璧なる点滴がなされたとしても臓器は滅びの方向にしか向かわない。何よりも「気力」は生じない!ということを、臨床で頑張る若い先生方には強く伝えたいと感じています。

先日、「医と食」という雑誌(生命科学振興会)の創刊号が送られてきました。今、医者が「食べる」ことにきちんと目を向け、栄養スタッフに丸投げせずに自ら勉強し考えていく時代が来たことを感じて、嬉しく読ませてもらいました。

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「心地よい空腹感」

久しぶりに職場の広報誌が発行されました。今回もこのブログの中から写しとりました。それでもいいか、と思うようになりました。

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「ごはんは楽しみですか?」・・・あるダイエット本を読んでいたとき、このことばが目に止まりました。あなたはごはんの時間が楽しみですか。健康のために朝食は摂らねばならないというから眠気まなこで食卓に着いてはみるものの、頭も胃もまだ起ききれていないあなたの身体は、ちゃんと朝食の味を楽しめているのでしょうか。疲れて帰ってきて夕食の食卓に着いたけれど、そこに並んだ「健康食」と称する味気ない料理を見て思わずため息をついていませんか。あるいは逆に、毎晩のように作ってくれる完璧な栄養理論に裏打ちされた豪華レストランメニューもどきを前に、ちょっとうんざりしてきたりしていませんか。

「ごはんが楽しみ!」と思えるようになるために最低限必要なものは「空腹感」です。それも「心地よい空腹感」。それがあるからごはんの時間が待ち遠しい。ダイエットのことなど気にしないで早く食卓に着きたい衝動に駆られる。そんな期待に満ちた空腹感をみなさんは日々感じていますか。それはイライラした空腹(飢餓感)とは全く違うものです。わたしたちが子どものころはいつもお腹が空いていました。「お母さんお腹空いた。何かない?」と一日中言っていたような気がします。まったくもって料理下手だったわたしの母の手料理ですら心からおいしいと思いました。今は、子どもたちに限らず、本当の意味での空腹の時間帯なんてほとんどないだろうと思います。食事が単なるエネルギー補給やストレス解消の道具でしかないのかと思うとちょっと寂しくなります。冒頭のダイエット本に「満腹感と満足感は全く違うものです」と書かれていました。「食べること」を考えるとき、今の社会に一番足りない、そして一番大事なことはそんな満足感なのではないでしょうか。

わたしたち健診スタッフも反省しなければならない点があります。「このまま放っておくととんでもないことになるぞ!今、何かを始めないと手遅れになるぞ!」と背中から鞭打って、嫌々立ち上がろうとするのを抱え上げて牢獄にたたき込む、それを「ダイエット指導」と称し、「おまえのためだよ」「あなたのためよ」とどこかのCMのような呟きを耳元でずっと囁いています。それでいて「ごはんは楽しいか?」もないものだと、とつくづく思うのです。うちの家に11歳になったばかりのワンコがいます。いつも若い子のように跳ね回って元気いっぱいです。彼女は、ごはんの皿を前に、よだれを床にタラタラこぼしながらキラキラした目をして「待て」をします。こんなワクワク感、うらやましいです。 

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海女と山男(ウミオンナとヤマオトコ)

妻は海が好きです。青い海をみるとこころが騒ぎ、年に一度は石垣島や沖縄の海中に深く潜ってこころもカラダもリフレッシュさせるのが習慣でした。前世は海人だったに違いないと思います。一方わたしは、青い海をみていると胸が騒ぎますが、それはどちらかというと「胸騒ぎ」。なぜか必ず虚しく悲しくなってきます。それは小学校に上がる前からの感覚です。前世で沈没した船の底にいたのではないか、と思ったりしています。

そんなわたしは山が好きです。森林や高原の緑の中に立っているとすーっとこころが安まってきて、ずっとここにいてもいいかなと思います。実際、以前山の中の病院で勤務したときに、このままここに残ろうかな、と真剣に考えたことがあります。

夫婦でよく、「こころの洗濯のために屋久島に行ってみたいよね」という話になります。でも目的地が全く違います。妻は、屋久の紺碧の海をみていると幸せな気持ちになれるから、一日中蒼い海の中で潜り三昧したいと思っています。私は、厳しい山の中に入っていって、屋久杉(縄文杉)のオーラを感じてきたい、天からの恵みの雨に濡れてきたいと願っています。きっと夫婦で屋久島に旅行に行ったら、島に着いた途端から帰るときまでずっと別行動、ということになるのでしょう。

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あいさつの年齢

道を歩いていたら、近くの中学生が「こんにちは」と大きな声であいさつをして通り過ぎました。思いがけない声に、「こ、こんちわ」・・・いい歳をしてわたしはアタフタとしてしまいました。

朝、職場について更衣室に行くまでにいろいろな人とすれ違います。患者さんや家族の人たちに「おはようございます」とあいさつすると、ある年齢以上の人ならほぼ全員が返事をしてくれます。朝からとても良い気分になります。でも、制服に着替えた職員とすれ違うときに同じことをしても約半数は返事が返ってきません。医者たちの返事が返ってこないのはもう慣れました。彼らは、特に医者になってから大学病院や公立の大きな病院でしか働いたことのない医者には、知らない人(といっても同じ職場の職員なのですが)にあいさつをする、という概念がありません。可哀想に、と思います。

そんな彼らでも、おそらく小さな子どものころや小学校低学年のときには、きちんとあいさつができていたはずです。そう学校や家庭で教育していたからです(そのときからできない子は高い確率で親もまともにできません)。ところが、中学後半から高校、大学生になったころからできなくなります。「恥ずかしい」というか、「かっこわるい」と感じるお年頃です。近くの知らないオジサン・オバサンに意味もなくあいさつするなんて、まるで「子どものすること」という感覚、わたしもそうだったので良くわかります。

それがまたあいさつするようになるきっかけは何なのでしょう。社会人として他人と対応する必要ができたとき、あるいはお父さんやお母さんになったときでしょうか。それでも仕事でもないときにはしないという人は頑なにしません。「あいさつ」から出てくる、辺りを穏やかでポジティブな空気にさせる力をもっと感じてほしいなと思って、たとえ返事が返ってこなくても無差別にあいさつをしているわたしは、ちょっと変人かも。

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30代の自殺過去最多

30代の自殺過去最多 若い世代増加 08年警察庁統計」という記事が朝日新聞に出ました(2009.5.14)。2008年に自殺した3万2249人の年齢や原因の統計を公表した警察庁の報告をまとめたものです。

毎年一番自殺者が多いのは50代ですが、2003年をピークに年々減少傾向を示して、とうとう7000人を切りました(6363人)し、それ以上の年齢でも微増かやや減少を示しています。それに対して30代は2年続けて過去最多の4850人で40代とほぼ同数になり、10代も20代も増加しています。つまり、自殺をする人の年代が明らかに若年に移ってきているということです。自殺者総数がやや減少したことを考えると、この傾向はとても深刻であることを示しています。

自殺の原因を特定できた人の統計では、健康問題が半数以上を占め、経済・生活問題、家庭問題、勤務問題と続くのだそうです。もちろん健康問題の中ではその40%は「うつ病」だと報告されています。ただ、統計に出ている数以上に「うつ病」が原因の自殺は多いと容易に推測されます。経済・生活問題にしろ家庭問題にしろ、あるいは勤務問題にしろ、その基本にうつ病が隠れている例は多いでしょうし、もしそれがなければたとえ深く悩んだとしても死を選ばなかったのではないか、と思うことは多々あります。・・・それにしても、最近の若い人は、いとも簡単に死を選ぶなあと思います。たとえ仕事がなくなって家も家族もなくし、何も食えなくなって餓死することがあるとしても、あるいは職場でいじめや村八分にあい体調を壊したり存在の意味がないと思ったりしたとしても、幸か不幸か、わたしには自ら命を絶つ勇気はないのではないかと思います。

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のんのんさんへ

コメント<動脈の石灰化?2008.9.29>ありがとうございました。

のんのんさんがおいくつの方か存じませんが、ニンゲンは、カラダの中のあちこちで石灰化を起します。組織の老化現象のひとつだからです。動脈も例外ではありません。動脈だけが10歳の時のままでいるわけにはいきません。老化が人より進みやすい人と進みにくい人はいます。現代社会の環境に合っている人も合っていない人もいます。

胸部レントゲン写真で石灰化が見えるのは普通は大動脈弓部といわれるところです。心臓から出て上に向かった動脈がくるっと背中側に回ってUターンするところです。ここはちょうど動脈が輪切りに見えるので石灰化が見えやすいのです。ある程度の年齢になるとこの部位の石灰化が見られる人はたくさんいます。だから、読影する(専門医がレントゲンの所見を読む)ときに所見として読まない先生も少なくありません。かなり強い石灰化でないかぎり、それにはあまり意味がないからです。

動脈硬化の危険因子(喫煙・高血圧・糖代謝異常・脂質異常症・肥満・心筋梗塞や脳梗塞の家族歴・脂肪肝・痛風(高尿酸血症)・仕事や生活のストレス・暴飲暴食・A型行動パターン・睡眠不足など)がもし少しでもあるのならば、どうぞこの機会に修正してください。「心身ともに紳士淑女たれ!」です。ただ、現在そういうものに心当たりがないなら、人生の大きな目標や夢をみつけて、それに向かってとことん頑張ってみてください。間違っても、やりたいことを自粛したり安静にしていてはいけません。ゴロゴロすると悪化します。いつも楽しく活動してください。可能な限り笑っていなければなりません。笑いたくないときでも最低限口角を上げて「いー」という顔をしてください。これが一番簡単にできるアンチエイジングのやり方だと思います。ご検討ください。

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新システム

4月から職場のコンピュータシステムが換わりました。新しい業者の新しいシステムに移行しましたがまだあまり機能できていません。それでも担当業者は今月一杯でリリース完了の動きです。そのため、現場の不満が徐々に吹き出ようとしています。「最初に話し合いをしたときに『こんなことをしたい』『こんな機能をつけてほしい』という夢を語り、『可能です』と答えたのに何も実現していないじゃないか!」という不満です。

でも、おそらく相手にすると「云われた機能はほとんど完成している」と思っているのだろうと思います。つまり初めからアタマの中で描いていた風景がまったく違うのです。コンピュータ業界の常識からしてこの程度できれば上出来でしょう、という線があります。利用者はそんな線引きは初めからしていません。

3月まで使っていたシステムを7年前に導入するときにも一悶着ありました。当時の業者がリリース完了を宣言しようとしたとき、ときの部長が怒りました。「おまえら最初に売り込みに来た時に云ったのと全然違うじゃないか?大金使わせておいてこんな使い物にならないもの置いて逃げていこうと思ってるんじゃないだろうな!」と。そのときのレベルとたぶん今は同じくらいだという印象を持っています。当時の業者は、それから大量のプログラマーを動員してわたしたちのアタマの中に描いていた機能を可能な限り実現できるように骨を折ってくれました。男気の世界でしかなかったと思います。そのため複雑怪奇な誰も修正できない代物ながら曲がりなりにも痒いところに手が届くシステムが生まれたのです。

おそらく、今回はそんなことはしないでしょう。不満を抱きながら「いままでは良かった!」と良き時代に思いを馳せて夢を追うより、不便な新しいものに「こんなものさ」と慣れていく方が現実的かもしれません。わたしはすでにすっかりあきらめていますので、割と気は楽です。

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割り込み

阿蘇路を運転している途中、何度か片道二車線が一車線になるところがあります。小心者のわたしはかなり前の時点から本線の方に入り込みますが、追い越し車線側を行き止まるまですっ飛ばして割り込むドライバーは昔からたくさんおります。

追い越し車線をすっ飛ばすドライバーの大半が確信犯です。バックミラーに勢いよく近づいてくる車を見つけると身構えてしまいます。「あいつはオレの前に割り込む気でいるから絶対に入れさせないぞ」と、意図的にエンジンを噴かして前を走る車との車間距離を詰めるのです。

その一台が自分の前に入ったところで、わたしの行く末に大した影響はありません。自分の車線が渋滞するのは自分よりはるか前で割り込み車が多いからであって、わたしがどんなグチをこぼしても無駄であることくらい分かっています。わたしの前に入れさせなくても、前の車の前に入るなら同じことのはずです。なのにこうカリカリするのは自分のこころの中の問題です。ただ単に、要領よくいけしゃあしゃあと生きている人間が許せないというだけのことです。

おもしろいもので、余裕(「時間の余裕」は絶対あるのでこの場合は「こころの余裕」です)があれば、入ってこれずにじっと待っている車に「はいどうぞ、お入りください」とパッシングしたりします。まあ、いうなれば割り込みを許すかどうかは、わたし自身のこころの鏡の反映です。

わかってるんですけど、今日も今日とて、なかなか悟れません。

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肌荒れ

先日、ある老健施設の職員健診に行きました。診察をしていると手荒れのひどい人が妙に多いことに気づきました。水仕事が多いからだろうか?大変だな?とか思いながら診察を続けていましたが、それにしても多すぎる。それも若い世代や男女を問わずに見られます。最近はアトピー体質の若い人が増えていますが、それを考慮しても他の施設に比べてやはりちょっと多すぎる印象でした・・・なぜだろう?一番懸念することは、消毒液の質が悪い可能性です。新型インフルの影響もあって、医療従事者の手洗いはさらに厳しく頻回になっていると思います。頻回に手洗いする職場であればあるほど、現場のスタッフの肌を守ることに重点をおいてあげなければなりません。収益を考えたときに最初に削られるものであってはなりません。若いがために犠牲にされているのであればとても可哀想だなと思いました。

実は診察をしながら、もっと気になったことは、多くの職員さんが実際の年齢よりはるかに歳に見えたことです。さすがに二十歳前後のお嬢さんの肌はキレイです(職歴が浅いからでしょうか)が、診察をしながら、「この人は40歳くらいかな」と思って受診票をみたらまだ二十代後半だったという人が何人もいました。窓から差し込む日の光がちょうど肌荒れを際だたせたのかもしれませんが、総じてこの職場で働いている人は揃って実際より歳を取っているという印象でした。1年前にこの職場に来たときにはこんな印象は受けなかったのですが・・・。職場全体はとても明るいのに職員のカラダが疲弊してきている気がしてちょっと心配です。

産業医ではないので、あまり口出しはできませんが・・・。

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うぐいす

先日の日曜日に実家の墓参りに行きました。雲ひとつない快晴でした。小高い丘の上にある墓苑の前に立ったとき、どこからかうぐいすの鳴き声が聞こえました。ホー、ンケキョ!おしい!「ホ」が一個足りないけどまあまあ合格かな、とか独り言を云いながら墓の前で手を合わせてきました。真夏日の陽射しがジリジリと照りつけましたが、吹き抜ける風はまだまだ爽やかでした。

3月の終わりころ、うちの自宅近くでもどこかからうぐいすの鳴き声が聞こえていました。ホーホケキョッ!あのときの鳴き声は、教科書どおりのキレイな完成品でした。うぐいすの鳴き声にも上手い下手があるようです。あのときはあまりにもキレイすぎて録音された音ではないかと勘ぐったくらいです。

遠いむかし、今ごろだったか、もうちょっと早い季節だったか忘れましたが、山の中の病院に勤めていたある朝早くに、宿舎の裏山からうぐいすらしい鳴き声が聞こえました。ホー、ケ、ケ、ケキョキョ・・・わたしは素っ頓狂な鳴き声で目を覚ましました。ひいき目に聞いてもまったくもって下手くそでした。その音痴な歌声は、つっかえつっかえでしたがそれでも毎朝聞こえてきました。まるで近所の子どもがピアノの練習を始めたときのようです。いつしか毎朝くだんのうぐいすの歌声を聞かないと落ち着けないようになり、出勤までに聞こえない朝は心配になったりしました。毎朝マジメに練習をしていたのでさすがに徐々に上手くなっていきました。最後に、ホーホケキョッ、ケキョケキョケキョッ!とキレイな歌声になったときには、「うまくなったなあ」と、思わず拍手を送りました。

春にうぐいすの声、いい風情です。・・・そういえば、最近ひばりを見なくなったなあ。

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携帯メール

最近、携帯メールを打つのがとても億劫(おっくう)です。打ちたい先はたくさんあるのに、携帯のキーを打ったり変換させたりする作業がどうもスムーズにいきません。打ち間違えることも、へたをするとせっかく打ったものを最後に消してしまうこともしばしば・・・。溜息が出ます。

私が携帯を持つようになったのは14、5年前でしたか?外勤先の病院で当直をするときにヒマだから友人に打ったのがわたしの携帯メールの初めでした。たしか200字制限くらいだったと思います。ことばを選び抜いて打ったことを覚えています。わたしにとって、今や携帯メールは離せない必須ツールになりました。その後出てきた携帯の新しい機能にはほとんど手を出しません(出せません)が、メールだけは直接電話するより頻繁に使います。

なのに、今の新しい機種に替えてからキータッチミスが多くなった気がします。目も悪くなったのかもしれませんが、それは「全部ひっくるめて、『歳取った』ってことだよ!」と妻が冷たく云い放ちました。一生懸命打ったのに、後で読み返すとほんの数行だったり・・・たしかにそんなことは1、2年前にはなかったかもしれない。最近は割り切って、長いのを打たなければならない時にはパソコンから自分の携帯宛にメールを出して転送することさえあります。そんな屈辱的なこと1年前までは考えられませんでした。絵文字でごまかしても、やっぱり歳には勝てませんですかねえ。

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サーカディアンリズム

「サーカディアンリズム(概日リズム)」とは、約24時間周期で変動する体内リズムで、たとえずっと室内にいても内在する機能でほぼ昼夜の変動をさせることができると考えられてきました。ちなみにWikipediaによると、「昼間の有害な紫外線下でのDNA複製を回避するために獲得した機能であると考えられ、結果として複製は夜間に行われることとなった」という記事にはちょっと感動しました。たしかに紫外線を浴びながらDNAが複製なんかしたらすぐに異常な突然変異を起こしそうですもの。

さて、そんなサーカディアンリズムを乱れさせる実験がアメリカで行われました(Proceedings of the National Academy of Science, USA, 2009;106)。健康ボランティアに実験室内に閉じこもってもらって人工的に1日を28時間にしたらどうなるか? それをくり返していくうちに満腹感を誘起させるレプチンが低下したり、糖尿病や高血圧に関与するコルチゾルが異常に上昇したりしたのです。睡眠・覚醒周期を12時間ずらしたとき(つまり昼夜逆転時)に正常との差が一番大きいこともわかりました。これらのホルモンの異常は、食欲の増加と活動性の低下をもたらすことになります。夜勤労働者で肥満、高血圧、糖尿病のリスクが増す原因はここにある!という結論でした。

人間のサーカディアンスリズムをきちんとリセットさせる物質BMAL1が働くには朝日などの光を目に浴びることが必要で、その光刺激が松果体のメラトニン分泌スイッチを入れた結果その14時間後に眠くなる・・・以前体内時計のことを書いたときに紹介しましたが、こんなデリケートな機能を、現代社会はとことん壊しまくっている最中です。起きているときも寝ている時も本来あるべき位置に戻してくれることをカラダは切に願っているのでありましょう。

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芝居を観る。芝居を楽しむ。

大学時代に演劇部に入りました。

年2~3回の定期公演のために日々練習をくり返していました。時期が来ると、差し入れを持った先輩たちが夜な夜な練習を見に来てくれます。本番の一週間くらい前にあるリハーサルは多くの先輩たちがきびしい評価をしてくれる一番緊張する日(たぶん本番より緊張する)です。「学芸会じゃないんだから」「入場料分の芝居を見せないと詐欺だ」「こんなのでお金をもらうつもり?」・・・毎回かなり厳しい評価をいただきます。どの程度が入場料分の演技なのか明確な基準はありませんが、温かい叱咤激励だと受け止めて本番までに一気に気運を高めていくのが常でした。

そんな環境だったため、わたしはいつも批判をする目で芝居を観ていました。それがアマチュア演劇でもプロの芝居でも変わりなく、いつもアンケートにどんな批評を書くかを考えながらあら探しをするような目で観ていました。自分がするならどうする?という目で見てしまうのです。それでもおもしろい芝居こそが本物だ!などと嘯(うそぶ)いていましたが、つまるところ、同業者や後輩に負けたくなかっただけかもしれません。だから、芝居を観てもちっとも楽しくなかった。

芝居を楽しめるようになったのは、上京した友人たちの芝居を観に行くようになったころからでしょうか。「自分は役者」のココロを捨てて「私はただの観客」になる。肩肘張らずに観れる異空間はとても楽しく、あっという間に時が過ぎ去りました。感動で涙がでました。ずっともったいない時間を過ごしてきたんだなと後悔しました。悪いところを探さず良いところを観る・・・人や組織をみるときにも通じる、そんな世界の嬉しさを、わたしは遅ればせながらそのときに体感することができました。今は、芝居を観るのが楽しみです。ただ、熊本に帰ってきてからはなかなか観に行けません。東京の人がうらやましい。

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ひらめく

忌野清志郎が亡くなりました。58歳でした。わたしを今の職場に導いてくれた恩師も五十歳代半ばで亡くなりました。皆さんは、惜しい人を亡くしたと嘆き、さぞかし無念だっただろうと故人を語ります。

でもわたしはそうは思いません。彼らは、単にわたしたち凡人よりも人生サイクルがちょっと短かっただけだと思っています。脳腫瘍で亡くなったわたしの尊敬する恩師をみているとそう思わずにはおれませんでした。毎日数時間しか寝ず、いつも精力的に動き回っていると、新しいことが次々とひらめいてくるのだと云っていました。せっかくアイデアが次々と浮かんでくるのに寝ているなんてもったいない、とも云っていました。一日のうちのほとんどをボーっとして過ごしているわたしたちの何倍もの速さで生きていたのですから、早くこの世の卒業試験をクリアできても何ら不思議ではありません。

「ひらめく」ということ。クリエーターではないわたしには、あまり縁のないことばだと思っていました。それがどうも最近よく「ひらめく」ようになった気がします。このブログを書き始めたことも関係しているかもしれません。ネタをいつも無意識に探しているのでしょう。診察をしているとき、説明をしているとき、会議をしているとき、出張中の飛行機の中、ひらめきは突然やってきます(もしや、わたしの人生サイクルが急に加速を始めたのではないでしょうね)。

ただ、悲しいかな、忘れちゃう。刹那のひらめきは刹那に消えていく儚(はかな)いものなのです。ひらめいたものを忘れてしまい、「なんだったかなあ。すっごく素晴らしいことだったんだけどなあ!」なんて思ったことは数知れません。これは「歳」ですね。やはり先が短いということでしょうか。脳細胞が覚えられないので、ひらめいたらメモするようにしています。近くにある紙にとりあえず題名だけでも。・・・ただ、後でそれを見直しても、何のことだかさっぱり思い出せないことも少なくなかったりして・・・。

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飛び箱

肥満児で運動オンチだったわたしは、小さいころからかけっこが苦手でした。かけっこだけでなく、逆上がりも飛び箱もできませんでした。泳ぎも苦手でした。オンチな音楽と、もっとオンチな体育だけ通知表はいつも3でした。

当時小学校の教師をしていた父は、日曜日に自分の勤務する学校にそんなわたしを連れて行きました。日曜の職員室はとても魅力的です。職員室の父の机の引き出しの中には、まるでドラえもんのように、小さな子どもにとって魅惑の教材サンプルがたくさん転がっていたからです。そんなひと時のあと、騙されたように体育館に連れて行かれました。数学(算数)が専門の父はとりたてて運動などしたことはないと思っていたのですが、まがりなりにも小学校の教師です。ちゃんとした教科書どおりのノウハウで教えてくれ、数時間で飛び箱も逆上がりもできるようになりました。運動は苦手でしたが、練習してできるようになるのは快感でした。だから今でも、練習は嫌いではありません。

実は、そんなわたしは6年生のとき、100m走の地区記録を持っていました。運動オンチだったわたしが学校の陸上の代表として市の大会へ出るようになったきっかけは大したことではありません。4年生のときの運動会でなぜか3位になったからです(それまではドベ)。有頂天になれるほど自分を信用できませんでしたが、でももしかしたら自分は足が速いのかもしれないと錯覚しました。ジョギングなど始めてみました。5年生の運動会ではダントツの1位になり、リレーの選手にも選ばれました。自信なんて所詮そんなものです。

運動に限らず、やればできる(かも)という自分への自信が生じるきっかけは大したものではありません。自分に自信のない皆さん。焦らずともいつか錯覚に近い自信が生じるきっかけに出会います。それに気付いたときに、もっと錯覚しておけば大丈夫です。

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コーチング

人間にはいくつかのタイプがあって、人が皆自分と同じように感じているとは限りません。相手を動かす場合には必ず自分のタイプと相手のタイプを知った上で、それぞれに合ったアプローチをすることが大切です。ということで、先日妻が買った「コーチング流タイプ分けを知ってアプローチしするとうまくいく」(鈴木義幸著、伊藤守監修、Discover21)という本を読みました。

コーチング(COACHING)というのは要するにコーチをすることなわけで、「人を育てること」と訳します。スポーツの技術向上、専門家としてのスキル向上、社会人としてのコミュニケーション技術の向上など、それぞれに多彩な使用法があります。馬車(COACH)が人やものをある場所から目的地に届けることから来ているのだとか。

人間は、「A.自己主張が強いか弱いか」と「B.感情表出が高いか低いか」で大きく4つのタイプに分けることができます。人も場も支配しようとする「コントローラー」はAが強くてBが低く、人に指図されるのが大嫌い。一国一城の主タイプで人に弱みを見せるのが苦手です。「プロモーター」はAが強くてBも高いタイプ。アイディアや想像力が豊富で人のモチベーションを上げるのが得意、注目されると一気に本領発揮できます。新しいことへの挑戦は好きですが飽きっぽいのが玉に瑕。人気者だが人の話は良く聞かないとも書いてあれました。一方、Aが弱くてBが高いのが「サポーター」です。俗に云う「いい人」タイプ。争いを嫌い、和を重んじ、ビジネスよりも人間関係優先。気配り上手で穏やかだがリスクを冒さず、常に人に関心を持たれたいと思い、無意識に相手からの見返りを求めているところがあります。もうひとつが「アナライザー」で、Aが弱くBも低いタイプです。アナライズとは分析するという意味で、物事を客観的にとらえて沈着冷静慎重派。多くの情報を集めてじっくり状況を分析し、計画を立ててからやっと行動を起すタイプで、変化や混乱に弱く、感情表現や大人数が苦手な傍観者と表現されていました。

長々と書いた割には分かりにくかったかもしれません。相手のタイプを知り、そのタイプに合った接し方や指導の仕方をすると上手くいくという話ですので、是非読んでみてください。ちなみに、妻に云わせると、わたしは典型的なアナライザータイプ(彼女は典型的なプロモータータイプ)なのだそうです。否定はしません。

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太ったマウス

アメリカ(南カリフォルニア大学)から、カロリー制限とアンチエイジングの関係についての動物実験の報告がありました(J.Nutrition, 2009:139)。

「やせたマウス(たぶんやせたヒトも)がカロリー制限をするのは、アンチエイジング戦略としては無駄かもしれず、むしろ危険かもしれない」、つまり「カロリー制限がすべてのマウス(すべてのヒト)の寿命を延ばすとは限らず、有用なのは食べ過ぎの肥満マウス(肥満ヒト)のみである」という単純明快な結論です。まあ、当たり前といえば当たり前の結果だと思いました。

でもこのメタボ時代、だれもが盲目的にやせ志向に邁進(まいしん)していますので、良い警鐘になる論文だと思います。さらにこの論文には、「老齢マウスにカロリー制限を行うと寿命が縮む」という忠告も書かれています。健康に気を遣いすぎる高齢者の皆さんはどうか世間の騒ぎに影響を受けすぎて「やせたやせた」と喜びませんように。また、肥満マウス(肥満ヒト)について、「肥満体に限れば身体活動を増やすよりもカロリー制限をした方が望ましい」というコメントも付いていました。つまり、「ハンバーガーを一気にたべてしまったとしたら、ランニングマシーンを利用するよりも、その後のダブルチーズバーガーを1回抜く方がはるかに効果的だ」ということになります。・・・なるほど、と納得しながらも、そんなことができるなら肥満マウス(肥満ヒト)になんかなってないわ、と突っ込みを入れたくなるのであります。

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ハゲの遺伝子

男性型脱毛症の遺伝子ゲノム解析を行ったドイツの大学の報告記事を読みました(Nature Genetics 2008:40)。

脱毛に関連すると考えられる遺伝子が2つ見つかっているそうです。数年前に見つかった「アンドロゲン(男性ホルモン)受容体の危険遺伝子」というものはX染色体の上にあるため、母親だけから引き継がれる遺伝子です。つまり、「男性における脱毛は母方の祖父から引き継がれることが多い」と結論付けられてきました。

ところがこの度、もう一つ、早期脱毛との関連が示唆される遺伝子がみつかりました。これは父母どちらからも遺伝する可能性があります。これによって父親と息子の毛の生え方が似ていることを説明できることになったのです。

わたしの父は若いころからハゲでいました。赤ん坊のわたしを抱いて写った写真には、もうすでにほとんど額だけになってしまった父の笑顔がありました。わたしはむしろ白髪交じりのゴマ塩アタマでほとんどハゲていません(さすがにちょっとだけ額がうすくなってきましたが)。父方の祖父がハゲていなかったので、私は隔世遺伝だろう、と云われてきていました。でも、このハゲ(脱毛症)の研究を読んでみると、ハゲた人がほとんどいない母親の家系の血を引いただけだったのでしょう。顔立ちや性格は父とうり二つなのですが、それでもちょっと納得しました。

ところで、頭のてっぺんからハゲるタイプと額が広くなっていくタイプ(父は後者)がありますが、心筋梗塞になりやすいタイプは同じハゲでも前者のタイプだという論文を、遠い昔に読んだ記憶があります。

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睡眠の質(後編)

「睡眠不足」ということばには、時間的な睡眠の不足だけではなく、質の不足の意味も示されています。むしろ質の問題の方が意味は大きいのではないかと云われています。睡眠の質が悪いと夜間の血圧がきちんと下がらず、そのためにダラダラと寝続けてしまうというデータも紹介されていました。つまり大人の場合、睡眠時間が長い人の中には睡眠の質の悪さが隠れている危険性があるというのです。睡眠時間が長すぎる人も、短すぎる人と同様に生活習慣病のリスクが増加しているというデータがそれを物語っています。

「睡眠の質」とはつまり熟眠がどれくらいできるかということです。熟眠といえる深い眠りの時期をノンレム睡眠期といいます(夢を見ているときがレム睡眠期です)。このとき脳波が「徐波」という形になっているので「徐波睡眠」ともいうそうで、つまり、寝入りばなに集中して徐波睡眠が出ている状態が「質の良い睡眠」です。これはどうも高等動物にのみ準備されている機能で、短時間睡眠でも効率よく回復できるように発達してきたものだそうです。たしかに脳が疲れる仕事を長時間したりすると、身体は疲れてなくてもその後に「爆睡」します。このときに「徐波睡眠」となり、急速回復している証なのでしょう。徐波睡眠期に刺激を与える実験(徐波断眠実験)を行う(ひどいことをするものだ)と、インスリン感受性が低下し、インスリンの糖処理能力が低下するというデータの紹介を読んで、ホントにデリケートなコントロールをしているものだなと感心しました。

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睡眠の質(前編)

Medical Tribune2009.4.23に載っていた、「睡眠の質」に関する座談会記事を興味深く読みました。「睡眠不足は生活習慣病のリスクを高めるが、睡眠時間が長くても熟眠できていなければやはり生活習慣病を悪化させる」という内容です。

「真夜中は別の顔」・・・睡眠中の科学にはロマンがあり、睡眠中に織りなすカラダの中の振る舞いはすべてが別世界の小宇宙なのでおもしろいと思います。生き物は睡眠中にカラダの奥の体温を低下させ代謝を抑えることで臓器や脳を休ませています。睡眠不足になるとその休憩ができなくなり、狭心症・心筋梗塞や糖尿病、肥満、死亡などのリスクを高めたり炎症の回復を抑えたりするのだそうです。睡眠不足のために、ストレスホルモンが増加するのが原因ではないかと云われています。

4時間くらいの短い時間の睡眠しかとらないと、満腹情報を伝えるレプチンというホルモンの分泌が減り、逆に飢餓情報を伝えるグレリンというホルモンの分泌が増加することが分かっています。そのために空腹感が強くなり、食欲が増します。血糖のコントロールがおかしくなって太ってきます。世のデブタレントが、総じて売れっ子になるほど太っていくのは、夜中まで起きていて食べてばかりいるからだと思っていました(売れていないときはヒマだからすぐ寝ていたのに)が、それにはこんな科学的なメカニズムがあったのですね。

かくいうわたしの睡眠時間は、正味5~6時間弱です。夜中に腹が減るのは実感しています。それでなくても夜はBMAL1の働きでカロリーを割り増し蓄積させると聞いていますのに。くわばらくわばら。

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朝食摂ってないぞ

「おれは朝から何も食べてないんだぞ!」

健診を受ける人はまあそれが当たり前なんですが、どうも腹が減ってイライラするらしいのです。先日の健診では受付開始時間のはるか前から並んで、「あ~カラダがフラフラして倒れそうだ!まだ始まらんのかなぁ」と大声でグチる中年男性がおりました。大人げないといえば大人げない人です。健康体だといえばまさしく健康体の証明なのかもしれません(まあ、総じて、こういう人はメタボ腹で生活習慣病の坩堝(るつぼ)の方が少なくないのは事実ですが)。

健康のために朝ごはんを食べなくなって長いので、わたしにはそのイライラ感はまったく理解できませんが、でも、朝食べていないのはそんなに大変なことなのでしょうか。もしや、朝ごはんを食べないのは不健康だと思いこみすぎているがために、早く食べないとカラダを壊すかもしれない、とかマジメにそう思っているんじゃないかとかえって心配したりしています。

どうせ検査が終わるまで食べられないのが健診なのだから、せっかくなら「空腹」を感じる良い機会にしたらいいのにと思いますし、きっと、そのあとの昼食がとてもおいしいはずです。もちろん、朝を食べていない分を取り戻そうと大量の昼食を摂るようでは本末転倒ですが。

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カウンセラーの素質

わたしの親しい知人のお話です。

その女性は、親戚の男性の相談(グチ)をよく聞いてあげるそうです。いつもカッカしている彼はいろいろな鬱憤(うっぷん)が溜まっているようです。ちょっと下世話なハレンチなことも含めて、彼女は聞き役になります。「こいつは凄いんや。こいつに話をすると気持ちがスッキリするんや。おまえもこいつに悩みを聞いてもらえ!」と云って他の人にも彼女を紹介しようとするので勘弁してほしい、と先日話していました。「だって、全部右から左に聞き流してるだけだもの。他の家族には話さない方がいいような内容が多いから聞いてやってるけど、どうせ大した話じゃないから、ただ適当に相づち打ってるだけ。全然覚えてないから、前のことを聞かれたら、『あらそうやったかいな』とか云って誤魔化してるんだから。」

恐れ入りました。カウンセリングのプロに云わせると「けしからん」のかもしれませんが、わたしはむしろ完璧なるカウンセラーの姿だと感服しました。相手の云うことをじっと聞き、相づちを打ち、ときどきオウム返しに反復し、共感してあげる。それだけで相手は満足して帰る。まさしく教科書通りのカウンセリングです。しかも聞き流しているから自分が入り込んで悩むような失敗もありません。それを日々の仕事にしているわたしはそれができずに悩んでいるのです。なかなか最後まで聞いておれませんし、すぐに悩みに入り込んで一緒に考え込んでしまったり、勝手に助言してしまったりして、ちっともうまくいきません。

これはもともと持って生まれた才能なのだろうな、と彼女の話を聞いてそう思いました。

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