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泣ける医者でありたい

「医者になって十年、なんとか患者の気持を汲み取れる治療者になろうとして努力してきたが、二つはなかなかひとつにならなかった。所詮医師は建物の中にいて、雨に濡れる患者を眺める存在だった。たまに雨の中に出て来ても、目だけしかあいていないようなレインコートで重装備し、雨に濡れないようになっていた。」・・・自らが乳がんになり不安の中で治療を続ける女医を描いた小説「雨に濡れて」(帚木蓬生「風花病棟」・新潮社)の最後に書かれた一節です。

「その通りだな」と思いました。

わたしもまた泣き虫医者でした。受け持ちの患者さんが亡くなって、心臓マッサージで震える手で死亡診断書を書きながら何度嗚咽したかわかりません。一緒に戦って、一緒に一喜一憂してきた戦友が居なくなった悔しさと、彼らを侵した病気と運命への憤りでした。医者としての知識や技術を大して持ち合わせていないわたしは、患者さんの気持ちになれる医者、患者さんのココロを代弁できる医者でありたいと思ってきました。同じ状態をみるとき、患者さんの目と医療者の目ではまったく違うところに焦点があり、まったく違う価値観にあることを知っています。手を握って座って話をするとか、服の着替えを手伝うとか、「そんなことは医者のすることではないからやめなさい」「もっとプライドを持ちなさい」と云われ、「くだらない」と吐き捨てたことがあります。自分は医療者である前に人間として患者さんと向かい合いたいのだと主張していましたが、でも詰まるところ自分の自己満足でしかないのだと思います。患者さんの友人であり身内であるのと同じような意識で患者さんを思おうとしていても、所詮は他人であり、所詮は「先生にはわからないよ」ということなのだと思います。

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