たましい
山道を運転していると、ときどき道路脇や道の真ん中に小動物の亡骸(なきがら)が転がっているのを見かけます。山の中なのでイタチやタヌキなどが多いようですが、まったく原型をとどめていないことも少なくありません。
散歩だったのか何か用事だったのか、きっと何気なく出かけて、突然車に叩きつけられたのだろうと推測します。魂(たましい)は突然カラダを離れてしまって、何が起きたのか理解できていないでしょう。ぶつかる瞬間、あるいは魂が抜け出る瞬間、彼らは何を考えるのだろう?人間と同じ様に、走馬灯のように今までの短い人生(動物の場合は何ていうのだろう)がフラッシュバックされる時間はあるのだろうか?第一、彼らの脳はそんなフラッシュバック機能を持った脳なのかしら?思いがけない衝撃に、成仏できない魂がその辺りを彷徨(さまよ)っている、っていうのもまんざら分からないでもないな・・・などと、連休の渋滞の阿蘇路で前の車をボーっと眺めながら考えていました。
魂が消える瞬間(それが病死などのようにある程度準備された場合であっても)、ロウソクの火が消える瞬間と同様に、その一点は一瞬です。この一瞬にとてつもなく大きなエネルギーが現世から消えてしまうのです。その流れには、人間も小動物も違いはないように思います。まるで抜け殻をうち捨てるように道路脇に放置されている亡骸が、踏み裂かれ、朽ち果てて風に吹かれる姿を「哀れだ」と思っていましたが、むしろ自分のたましいが宿っていた抜け殻がきちんと自然に戻ってくれることに妙な安堵感を覚えるようになってきました。
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