俯瞰図
きのしたさんに戴いたコメント(2009.7.6「叱咤激励といじめ」)を読みながら、きのしたさんへの返事が長くなりそうになったので、本文にも追加しました。
俯瞰図のお話、私には良く理解できます。一般には地図で教わる「鳥瞰図」と同じ感じですのでそっちの方が分かり良いかもしれませんね。私はできる限りそういう目で人生を考えてみようと思ってきました。医療の現場だけでなく、日常の生活でも、いつも俯瞰の位置から全体を眺めて冷静で中立な立場で物事を判断するように心がけてきました。
ですが、逆にそれはそれでまったく面白くない人生です。ご存知の方はご存知のように、わたしが贔屓にしているプロサッカーチームの試合(大苦戦中)を応援する場合、わたしはいつもバックスタンドのやや上の方から観ています。いわゆる俯瞰の位置で、そこからは全体が見えて楽しいのです。解説者になった気分です。そこからは、テレビでは見せてくれないグラウンドの片隅の選手の動きや、ボールを持つ選手に対して遠くで手を上げる選手の動きなど、手に取るようにわかります。何が悪かったか、何が良かったかを分析するのに最適な位置です。
でも、実はゴール裏や最前列にいる方がもっとワクワクできることも知っています。全体の流れは分からないかもしれませんが、贔屓の選手が自分たちに向かって走ってくる光景に興奮したり、ピッチに立つ選手と同じ様な目線で、重なり合った選手たちの臨場感たっぷりの動きを見ることができます。同じ試合を、俯瞰の位置とゴール裏の位置と同時に経験できたらいいなと思っている人は多いことでしょうが、それは絶対できません。それに対して、人生ではその「同時」ができます。俯瞰の位置からの客観的で冷静な目と、当事者の目で見る主観的で素直な感情とを同時に分析対象にすることができるのは、当たり前のことではありますがとても素晴らしい特権だと思います。
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コメント
ありがとうございます。
すこぶる納得しました。
俯瞰。何だかしっくり来るんです。僕自身の中で勝手に同じような意味に位置付けしている『自分のうしろにもう1人の自分を置く』そんなこと考える事が癖なのかも知れないですね。深く考えすぎるのが好きだけど、過ぎるのも支障があるからこれまた厄介なんですが。
七夕に、いい気分です。ありがとうございました。
投稿: キノシタです | 2009年7月 7日 (火) 10時59分