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叱咤激励といじめ

アドバイスの送り手は「叱咤激励だ」「愛のムチだ」と云い、受ける方は「いじめだ」「嫌がらせだ」と感じる。そこから軋轢が生じ、うつが生まれます。

「叱咤激励」と「いじめ」は、一体どこが違うのでしょうか。わたしは、それは「愛情」なのだと思っています。大学の運動部や相撲部屋に伝統的にあった後輩への「愛のムチ」には「愛情」はありません。いたぶることを楽しんでいます。戦時中の軍隊時代からの伝統なのかもしれません。ただこれらは、未熟者が未熟者を指導する図なのですから、お遊びでしかありません。

社会に出て間もない若者に「最初にガツンと云って聞かせておかないと付け上がる」と思いながら教える云い方と、「最初は失敗も当たり前。分からないだろうからできるだけわかり易く」と思って話すことばは、同じことを伝えるとしても全く違うことになるのは、火を見るより明らかです。受ける方も、相手を苦手だなと思って聞くか、信頼感を持って好意を抱いて聞くかでは、まるで違う印象になってしまうものです。自分がイライラしていて、その気はなかったのについ辛く当たってしまうこともあるでしょう。そのときに、「悪いことをしたな」と若い部下に素直に詫びる心を持てるような上司なら、受ける方は決してひねくれたココロには陥りません。お互いがお互いを尊重できる関係になるには「愛情」が必要不可欠なのです。

●受け手への愛情はあるか。●送り手の心に余裕はあるか。●それによって具体的にどうなってほしいのか。

○受け手に心の準備はできているか。○送り手を信頼しているか。○それによって具体的にどうなりたいのか。

・・・結局は、気持ちの相互関係の問題なのだと整理できます。

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心と体」カテゴリの記事

コメント

こんにちはキノシタです。お邪魔します。
社会に出て間もない若者に〜からラストにかけて特に共感します。また、いろんな事情や人々を想起しながら読みました。想起すること、思い出して考えること、思い出して考えて、そして相手にどうアプローチをしていくか、それが愛情ってことなのかも知れないなぁ。と思いました。

例えば職場に、実習生がくる。高校生でも大学生でもいい。実習しに来る。
受ける側が『あぁ…また実習生か…面倒臭い。仕事の邪魔だ。』と思えば愛情ない応対をする。もう実習生には夢も希望もない。
少しでもいい『そうか実習生…初めての体験だろうから、それは緊張しているだろう。学ぶ前に緊張から抜け出さないとキツいだろうなぁ。』と思えば、さり気ない愛情で助けになるかもしれない。

実習生を迎える時の気持ちと、お偉いさんが訪問してきてスリッパ出してお迎えしてサササどうぞどうぞとお茶を出す時の気持ち。そこに何の差があるのか。どちらに対しても関わり方はイコールじゃなきゃ。と、僕は思ってしまう性分なのであります。

いつか何処かで(憶えてないからごめんなさい)講演会に参加した時、なるほどと感銘を受けた言葉を思い出しました。
それは『俯瞰する』です。鳥の目で見る。高いところから見おろす。見わたすでもいい。講師は、医療現場では『俯瞰図』というものがあると引用していました。興味がありました。

相手を、自分を、俯瞰できるか。難しい問題だけど、それがいいなと思うのであります。

投稿: キノシタ | 2009年7月 6日 (月) 11時06分

きのしたさん

うちにも研修医がやってきますが、忙しい仕事の最中に鬱陶しいと思いながら時間を割くのに、やっと任せられるかなと思う頃にはまた新しいのと入れ替わるのです。優秀なら優秀で、「生意気だ」と思ってしまう狭い了見でして。日々反省であり日々修行でございますが、分かっていてもなかなか出来はしませんで。そんなことができる同僚を眺めるにつけ、別の生き物だとつくづく思います。

実習生とお偉いさんがやってきたら、私も一緒の対応はできません。でも私の場合は、おそらく「お偉いさん」に対して形だけの態度を取ってしまいます。この歳になっても相変わらずの天邪鬼です。

投稿: ジャイ0425 | 2009年7月 6日 (月) 21時56分

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