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内藤先生

鎌田實ストーカーシリーズ第二弾。『最高に幸せな生き方死の迎え方』(内藤いずみ、講談社)を読みました。甲府の小さなクリニックで「在宅ホスピス」をがんばっている内科おんな先生が書いた奮闘記、というより現代医療や社会通念の壁へのもどかしさに対して叫んでいる戦士の声のような気がしました。

「人工呼吸器を取りつけるとき、『どうしますか?』と聞いてくださる先生はあるいはいらっしゃるかもしれませんが、それを取りつけたら最期のお別れの言葉が言えないかもしれないということまでは話してくださらない」と、順子さん(遠藤周作さんの奥さん)は言う。ご家族にとっては、苦しい息が一時間延びるよりも、最期の言葉をしっかり受け取ることのほうがよほど重要であるかもしれない。(<医療知識のギャップ>から転載)

自分の医療人生を思い返しても、そんなことを話してあげたことはなかったかもしれません。というよりも、本人とは時間が許す限りお話をしたかもしれないけれど、ご家族と長い時間話したことのあるのは数人しか居ません。

「・・・ゴッドハンドは大切。でも一人の患者をみたとき、それを臓器の集合体だとしかみえないのだろうな、あるいは研究対象物にしかみえないのだろうなと思える医者が、なんと多いことか。・・・」

内藤先生の思い、鎌田先生の思い、何とかもっと若い先生たちの中にそんな思いの人がたくさん生まれてきてほしいと思います。医者としての経験と人生の経験を重ねていくと、そういう考え方が大切だと云うことは当然のようにわかる(それでも分からないヤツは医者とは呼ばないことにしています)けれど、若くしてそう思い行動を起こせる先生がもっと出てきてほしいと思います。内藤先生はそんなひとでした。

それでも、「在宅ホスピス」が一番!と意見の無理強いをしないところがまたいい。

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