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2009年9月

心の傷

以前も紹介したことのある医学雑誌MMJの「からだの歌 こころの歌」の九月号にまたひとつ気になる句が載っていました。今回のお題は「傷」。

何事も無かったように
   かさぶたが閉じゆくように日常続く (川本千栄)

解説にはこうあります。
「・・・作者は、心が深く傷ついた経験をそっと詠っている。傷口を覆ってかさぶたが閉じるように、心の傷もふたをされ、日常は続いていく。けれども、「~のように」の繰り返しにはどことなく屈託が感じられる。皮膚の傷はかさぶたができて治っていくが、心の傷は覆い隠そうとしても、思いがけないときに再び血を噴き出して、痛み始めることがある。」

この句を読んだときに、わたしが感じた「寂しい感じ」の理由を、解説は見事に云い当てていました。何事もなかったかのようにきちんと癒えてしまえるなら何も申し分ないけれど、完全に治りきれない傷をかさぶたで隠しながら生きている自分が居る。そんな自分に対する苛立たしさと、いつ再び傷が口を開けるかという不安感とが、この淡々とした句には感じられました。

産業医としてのわたしの仕事の中で、メンタルケアの占める割合がどんどん増してきているような気がします。彼らを見、彼らと話していると、多くの場合にこの句を読んだときとまったく同じ淡々さを感じるのです。彼らの気持ちをうまく代弁した句だと思いました。

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植木鉢の中の雑草

先日、庭の草刈りをしました。我が家の庭にはたくさんのバラの花が植えられていますが、植木鉢に1本ずつ植えられたバラの木もたくさんあります。そんな植木鉢の中にびっしりと生えた雑草を抜きながら、考えを巡らせました。

植木鉢の中はとても小さな世界です。日照りが続くと、地植えの木と違って水をやらない限り自分で水を手に入れることはできない世界です。たまたまそこに生を受けた雑草たち。その小さな世界の主であるバラの木とともに、宿命的にここで儚い一生を終えるわけです。かわいそうになあ。地面で伸び伸びと生きている仲間たちと違って、人間の加護がなければ絶対生きていけない雑草なんて、きっと不本意だろうなあ。

と思う反面で、彼らがちょっと羨ましくもあります。地を這っている雑草たちは自らの力で水分を得る努力をしなければなりません。光合成だけでは生きていけません。でも植木鉢の中の雑草たちは、自分で努力しなくてもニンゲンが忘れない限り確実に水をもらうことができます(もちろん主であるバラがもらう分のおこぼれですが)。ニンゲンやイヌやネコたちが踏み散らすこともなく、天敵も居ない快適な環境で生きています。きっと、だから植木鉢の中の雑草たちはあんなにデカく成長しているんだろう。そう思うと、そんな人生も悪くないかな・・・と思うのです。

人間、ちっちゃく生きちゃダメだよ!<井の中の蛙、大海を知らず>みたいなちんけな人生を歩んじゃだめだよ!そう云われ、そう思って生きてきましたが、大海を知ったから自分がちっぽけだと云うことに気付くのであって、知らないままに自分が自信を持って一生を全うするなら、そっちの方が「良い人生だった」ということになるのではないか?自分の人生、人と比べて大きいとか小さいとか考える意味はあるのだろうか。・・・そんなことを考えながら、根こそぎ抜き取ってやりました。

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ニンジン嫌い

蒸したニンジンを食べました。蒸しニンジンは、とても甘くて美味しい味でした。煮たり焼いたりするのと違って、蒸し器で蒸すと野菜の持つうま味が全部残っています。取りたて野菜はもちろん美味しいですが、そうでなくても蒸し器のニンジンは思いの外美味しくて驚きました。わたしはニンジン嫌いではありませんが、「ニンジンが大きらい」という人でも、きっとこれを食べたら「美味しい」と云うだろうなと思いながら食べました。

ただ、じゃあ<ニンジン嫌いの人>が、これから好んで蒸しニンジン料理を食べるかと云ったら、きっと食べないだろうなとも思います。そこに蒸しニンジンがあって、「食べてみろ」と云うから食べてみて、「意外と美味しいね、これは食べられるね」と思った。かもしれないけれど、わざわざニンジンを食べようとはしないでしょうし、作ろうともしないだろうと思うのです。「どうしても食べなきゃいけない」と云われたときにはこういう方法があるな、という選択肢にすぎないのです。

わたしにはほとんど嫌いなものがないので実感が湧きませんが、特に食べ物は、一度嫌いになったものは基本的に一生嫌いなんだなと思います。ニンジン嫌いな人も、ピーマン嫌いな人も、しいたけ嫌いな人も、結局子どものころに美味しくないものを口にしたせいなのでしょうか。「別にそんなもの食べなくたって困らないし・・・」という人たちは、せっかく食べられるしせっかく美味しいのに、と思うと残念でしょうがありません。そんな人たちは親になってもわが子にそれを食べさせようとはしないのでしょう。・・・ん~考えただけで勿体ない。

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窓に並ぶ小人たち

<妖精がみえる>というひとが意外にたくさんいます。「オーラの泉」の最終回でそんな話が出てきたときに、思い出したことがあります。

「あそこの窓に小人が並んでこっちをじっと見ているのよ」・・・個室に入院していた初老の女性が何度も見回りのナースに訴えるので、病棟でちょっと話題になったことがありました。重症の心臓病患者が昔から多く入院している病棟でしたので、亡くなった患者さんの幽霊の話はあまりめずらしいことではありませんでしたが、「小人」の訴えは初めてでした。「ICUシンドローム」という病態があります。手術や急性心筋梗塞などで長時間拘束された後などに、幻覚や妄想に悩まされ、不穏状態になったりするのです。個室に拘束されていたこの女性も、きっとシンドロームにかかったんだろう、というのがスタッフの大半の意見でした。

ある日、主治医のI先生が回診をしていたときに、突然彼女が「先生、今あそこから3人の小人がこっちを見て何か云っている!」と叫びました。指差された方向を見ても特に何も見えません。「あまり心配要らないみたいですよ」と彼はなだめようとしましたが聞き入れません。「先生、ほらあそこ!」・・・彼がもう一度見直してみたら・・・いました、たしかに3つの頭。・・・それは、窓枠に停まってこっちを見つめる鳩たちでした。小人だと思っていたのは鳩たちの顔だったのです。この病室のすぐ外に、鳩の巣ができていました。今はほとんどありませんが、以前は病院に良く鳩が巣を作っていたものです。

そんな笑い話があったのはもう15年以上前のことです。でも・・・もしかしたら、彼女が見たものはたまたま窓の外に居た鳩ではなくて、その手前に浮いていた<妖精>だったのかもしれない。そんな気もしてきました。

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5分早くなった!

自転車通勤を始めて1年になります。職場まで6~7km、約30分をかけて通勤していましたが、その所要時間が最近5分ほど短くなりました。

朝の街乗り自転車は、一生懸命こいでいる割に意外に時間がかかります。信号機であったり交差点に突っ込んでくる車であったり逆走高校生軍団であったりと、闘う相手が多いからです。とくに高校生たちは我が物顔で逆走するだけでなく、何人も横に広がって向かってくるので気が気ではありません。彼らには「一列になる」という発想がないようで、すれ違う時にはただ互いの距離を近づけるだけ・・・若いからできる技だ!と、いつも舌打ちをしながら走っていました。

ここ一ヶ月、そんなイライラがほとんどありません。障害物があまり障害物と感じられなくなってきたのです。すれ違う高校生たちの数も、車の数も、ほとんど変わりはありません。変わったことといえば、<闘わなくなったこと>でしょうか。意地になって守っていた「自転車は左側通行!」にこだわらないことにしました。信号機が赤なら反対側に渡ればよい。「反対側走ってるんだから、おまえらが避けろ!」と意地で張り合っていた陣地争いもやめました。「交通ルールを守れない若造に媚びを売れるか!」と闘っていたころと違って、彼らのルールの流れに従ったらどうということなく隙間ができました。とっても楽な通勤です。

これは、人間つき合いのすべてに通じる真理だな、と思いました。<力を抜いてちょっとだけ引いてあげることは必ずしも敗北にあらず>というところでしょうか。

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手摺り

ちまたに広がる新型インフルエンザ対策として、手洗いやうがいの励行を指示されています。自分のカラダを守るためにできるだけ水洗いだけしかしない、という偏屈医師のわたしですら、最近は良く石鹸で手を洗っています。

臨床現場にいないわたしにとって、しかも家庭に子どももいない状態で、感染者に濃厚接触する可能性はきわめて少ないんじゃないかと踏んでいます。出張や映画鑑賞やスポーツ観戦で人ごみの中に入ることは多いのですが、それでも濃厚接触するとは到底思えません。ただ、ひとつだけ気になっているのは「手摺り」です。手摺りとドアノブは誰がいつ触ったか分からないものですから。・・・ドアの取っ手はやむを得ないとしても、病院の階段の手摺りやデパートや空港のエスカレーターの手摺りは、触らなければ触らないで何とかなるのではないか!・・・そう思ったわたしは、出張のときや日頃の仕事のときに意図的に手摺りを触らないように試してみました。

ところがこれが、年寄りになってくると案外大変なのです。「危険ですから手摺りにつかまって・・・」というアナウンスが流れている理由が良く分かります。手摺りに頼ることなくエスカレーターに立っているだけでめまいがしてきたりします。特に高所恐怖症のわたしは、長いエスカレーターに立って昇っていくだけでドキドキし始めます。職場の階段をのぼっているとバランスを壊して後ろに倒れそうになったり・・・マジで、怖かったことが何度あったことか。

年寄りの冷や水はほどほどにして、やっぱりまじめに手洗いを励行する方が得策かもしれません。

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デジタルの落とし穴

「これだけ毎日運動をして5kg以上痩せたのに、内臓脂肪が増えているなんて、絶対おかしいですよ!」

うちの健診センターの生活習慣病改善のプログラム会員さんは、3ヶ月ごとに腹部の内臓脂肪CT検査を受けることができます。先日、ある女性会員さんが3ヶ月めの検査を受けましたが、その結果をみて、指導に当たっていたスタッフが検査結果に疑問を抱きました。3ヶ月前のCTと明らかに形が違うというのです。しかも開始前に73cm2だった内臓脂肪面積が107cm2に増加しているのです。結局、数日後にもう一度CT検査のし直しをしましたら、72cm2でした。・・・これで、みなさんは納得したようです。でも、どっちにしても全然減っていませんけどいいんでしょうか?

実は、たぶんどっちの結果も間違いではないと思います。彼女が運動をして体重が減ったことは事実です。腹囲も6cmも縮んでいます。何が変わったかというと、一目瞭然です。皮下脂肪が200cm2から150cm2に減っていました(取り直した画像では164cm2)。わたしには今回の2回のCTはどちらもほとんど同じに見えます。CTは臍の高さの1断面です。だから息止めのタイミングや腸管の位置関係で残念ながら簡単に数値は変わってしまいます。また、CT検査の絵はCT値というもので決まります。そこに筋肉の絵があるのではなく、筋肉に相当するCT値の部分を「筋肉だろう」と想定する、脂肪に相当するCT値の部分を「脂肪だろう」と想定する。つまり、そこに脂肪として色付けられている部分が本当に脂肪とは限らないのです。

良く理解できないかもしれませんが、つまり107cm2も72cm2も同じなのです。デジタル表示された数字は妙に一人歩きしがちですが、そんなものなのです。この女性の3ヶ月間の事実は、単純に「内臓脂肪量は変わらずに皮下脂肪量が劇的に減った」ということ。それでいいじゃないんでしょうか?数字にあまり目くじら立てませんように。

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「虹色おいさん」

くまもと水事情からいつの間にか「塩九升(しょくじょう)通り」に思いが馳せました。大分市の中心街の東の端、長浜神社近くの通りの名前です。田舎者のわたしは、数年前に初めてこの一風変わった通りの名前を知りました。長浜神社のお祭りを「長浜さま」といい、街中の人たちには昔から馴染みの祭りです。「長浜さま」は夏の訪れを告げる夏祭り。先日行われた熊本の「藤崎宮例大祭」は秋の訪れを告げる祭りです。

そして水といえば、河童(かっぱ)。「塩九升(しょくじょう)通り」「水」「河童」・・・どうしてこんな関連のなさそうな名前が今になって連想されるのだろうかと考えていたら、やっとわかりました。それは、平成17年から18年にかけて2ヶ月ごとに発売された小説、「虹色おいさん」です。7人の仲間とその家族がさまざまな人間模様を織り成す全7巻のお話。河童のおかげで(?)時々子どもの時分にタイムスリップなんかして・・・書いたのは地元大分で活躍するフリーライター吉田寛さん。評価的にはどうだったのか知りませんし、地元限定の発売ですのでどれくらい売れたのかわかりませんが、わたしは発売を待つようにして読み耽りました。そこにいる仲間たちが心から羨ましかったからです。子どものときからずっと一緒に生きてきた仲間たちが、大人のおいさんになってもずっと同じでいるって、良いよなあ。中学に上がるときに地元を離れたわたしは、ずっと<よそ者>感覚で生きてきました。中学時代の同級生たちと今でも一緒に飲みますが、やはりわたしの心が今でも<よそ者>で(彼らはそんなことないって云うんですが)・・・「虹色おいさん」の世界はわたしの憧れです。

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藻器堀川(しょうけぼりかわ)

くまもと「水」検定公式テキストブックの65ページに「藻器堀川(しょうけぼりかわ)」というのがあります。もう熊本の生活も長くなりますが、わたしも初めて聞いた名前です。長嶺町に水源があり、保田窪本町から帯山西小学校、渡鹿、水前寺駅南、水前寺公園(水前寺成趣園)鳥居下と続いて、電車通りをくぐって江津湖へそそぐ約8kmの儚い流れなのだと書かれていました(ローカルな話ですみませんが、わかる人にはわかる地名です)。妻の話では、昔はかなりの暴れ川だったそうです。

わたしが食いついたのは、実は名前の由来になった「藻器(しょうけ)」ということばです。「しょうけ」・・・ばあちゃん子だったわたしが農繁期にばあちゃんと二人で田舎に帰ったとき、よく聞いた単語です。「そこん、しょうけん中にとうきびがあるけん、食べちょきよ」(そこの、「しょうけ」の中にトウモロコシがあるから食べておきなさい)・・・「しょうけ」とは「しょうけ」。ん?何なんだろう?と思って調べたら、正式には<竹で編んだザル>のことらしい。妻は「しょうけ」ということばを知りませんでした。都会っ子だからなのか?それとも大分の方言なのか?と悩んだことがあります。

「藻器堀川」の場合は、水が川底にザルのように染み込んでしまうからとか、国分寺の塩桶を洗っていたからとかいう説があるのだそうです。「しょうけ」は<「塩受け」からの転>って載ってますから、「塩桶」つまりそのザルで塩を漉くって洗ったのだろうかしらとか想像します。貴重品だった塩に関連することばは、やはり水の世界にはついて廻ります。塩といえば「塩九升(しょくじょう)通り」・・・これは大分です。長浜様です。

ちなみに、簀(す)のように編まれた桶=簀桶(すおけ→しょうけ)という説もあります。

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くまもと「水」検定

熊本市は上水道のほぼ100%が地下水です。街のど真ん中に悠然と白川が流れ、街は川に沿って<無秩序に>広がっています。碁盤の目のように区画整理された大分市出身のわたしは、いまだに方向がわからなくなります。一方、我が家の近くに横たわる人口湖の江津湖は、加藤清正が作ったもので、加勢川となって最終的には緑川と合流します。まるで街全体が川の巣の上に乗っかっているかのようです。

先日、知人に誘われて、くまもと「水」検定を受けるための公式テキストブックを買いました。あまり興味がなかった熊本の水事情ですが、テキストを読み進めるにつれて、意外にもどんどん嵌(はま)ってしまいました。

初めて熊本に来たのはYMCAの大学模試でした。洗馬橋駅近くの川に面した旅館に泊まりました。あれが坪井川だったのかと遠い昔を思います。大学生時代を過ごした下宿屋は子飼橋の近くでした。その河川敷に唐十郎の紅テントがやってきたのは入学間もない頃でした。それを観て演劇部に入部した友人は、結局今でも東京で芝居を続けています。白川には何本もアーチ橋が架かっています。酔っ払うと必ずそのアーチをよじ登ってしまう登山部の友人は、ハラハラして見つめるわたしたちを尻目にそのまま何もなかったように反対側に降りていくのが常でした。坪井川近くのアパートの1階に住んでいた友人は、大雨の翌朝、起きてベッドから下りたら足元が水浸しで驚いた!と良く話していました。熊本城近くの病院で働いていたときの大雨では井芹川が氾濫し、路面電車は折り返し運転をしました。休日出勤していたわたしが大急ぎで帰ろうとしたとき、車のブレーキが全く利かずに怖かったことを思い出します。水前寺公園から江津湖畔、そして江津塘(とも)は、妻の実家に通じる道筋です。

・・・わたしの青春時代の思い出の多くが、川と水に綴られています。今度ゆっくり川巡りの散策をしながら昔を想ってみたい、という気分にどっぷり浸ってしまいました。

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未受診

健診の問診を確認していると、「脂質異常症 未受診」「糖尿病 未治療」などと書かれているのをよく見かけます。なのに「高血圧 内服治療中」とも書いてあったりします。こういう記載があると、見るたびに「何言ってんだか?」と一人突っ込みをしてしまいます。

まずは本人に対して。おそらく健診などで「脂質異常症ですので治療してください。」とか「糖代謝に異常を認めますので・・・」とか指摘されているのでしょう。なのにどうもないから病院に行かず紹介状も捨てて好き放題しているというのなら、「あなたの人生、勝手にしたら?!」と無責任で冷たいわたしはすぐに突き放します。でも、この人は高血圧に対して「内服治療中」とあります。それなら、脂質異常のことも糖代謝異常のことも高血圧の主治医は知っているわけです。当然、運動しなさい!食事に注意しなさい!とうるさく云っているでしょう。それをすることが「治療」だ!ということを、そろそろみなさん分かっていただきたい。・・・「薬を飲まないと治療じゃない!」と云い張る人はまだしょうがないかなと思いますが、「未受診」はないでしょうよ。「わたしのかかっている先生は『高血圧の先生』であって『脂質異常症』の先生にはかかってません!」・・・そう云い切るご高齢の方は確かに居るのです。もう少し、「医療機関」というものを「身近な身辺お世話係」の感覚になってもらいたいなあと思うばかりです。

そして、この問診記録を記載した医療者(保健師さん)に対して。この医療者自体が、<治療=薬>の古い病院感覚を振り払わないと、受診者の方が<運動=治療>だと思うようにはならないだろうな、と思います。ちょっとばかり暗澹(あんたん)たる気分になってしまう偏屈ジジイなのであります。

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シルエットの葛藤

「やっぱりこのカラダは、膨らんでる~!」

数年前に、人に勧める生活療法を自分でいろいろ試してみていたら勝手に体重が10kg減りました。生活習慣病やメタボの講話を依頼されている身としては、大変好都合な経過です。「やせられない」は「やらないだけさ」と強気に反論できるからです。・・・でも、最近フロに入る前に洗面所の大鏡に映る自分のシルエットを眺めるにつけ、何となく大きくなった気がするのです。<いや大丈夫。だって手首は変わってないから胸板が厚くなっただけさ>陰のこころがつぶやきます。確かに手首を握ってみる限り1年前と一緒だ。でも、脇腹にはもうちょっとクビレがなかったか?・・・<いやいや前からそんなものよ>。でも、横向きに見るとこの腹はもっと引っ込んでたろ?・・・<大丈夫!ほらこうやって腹筋に力を入れて引っ込めたらこんなに細くなる!>陰のつぶやきは続きます。屈んだときにできるこの肉の醜いえくぼのような皺は前にはなかったろ?・・・<それは老化だから。皮膚の張りが減ってきたのはしょうがないから>

陰のこころが一生懸命否定するのだけれど、やっぱりこれは膨らんでいます。昼休みのフィットネスができなくなり、夕食の前の酒とお菓子が野放しになり、もともと高校時代に90kg超級だったわたしのからだが戻っていかないはずはないのです。でも、きっとリバウンドするときの感情ってこんな感じなんだろうな、と思います。「毎日管理していたらこんなに太るまで気付かないなんてことはありえません!」と、リバウンドして再受診してくる方に苦言を呈しますが、徐々に増えていくカラダを毎日眺めながらこんな葛藤を繰り返しているってこと、あるよね~。

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ロコモ検診

モロッコではありません。『ロコモティブシンドローム(運動器症候群)』です。

膝や腰の関節を痛めている人は思いのほか多く、あるコホート研究(大規模疫学研究プロジェクトROAD)によると、40歳以上で膝関節や腰椎関節を痛めている、あるいは骨粗しょう症のどれかひとつ以上罹患している人は4700万人います。これは男性の84%、女性の79%にあたるのだそうです。高血圧の推定患者数は3500万人ですから、それよりはるかに多いことになります。

この事実、意外ではありませんか?わたしは自分が膝も腰も痛めているので良く分かりますが、こういう運動器(骨や関節や筋肉)の複合的な機能不全を「ロコモティブシンドローム」と呼びます。ちょうどメタボリックシンドロームと同じように、自覚症状がほとんどないまま進行するのがロコモティブシンドロームですので、早い時期に自分がそれに該当することを知って、介護予防と改善に努める必要があるというものです。

東大整形外科の中村耕三教授のいう、「運動器の健康は空気のようにいつまでもあるものではない」ということばは、とても当を得た良い言葉だと思います。だから介護予防という意味ではなく、人生を快適に過ごすために今のうちから日々からだのトレーニングをしましょう!という考え方は、まさしくメタボの対策と同じです。そのために健診で運動器チェックも入れる検討も始まってきたと聞きます。自分がロコモ(と呼ぶようになるんだろうか)かどうかを自己診断するのが「ロコチェック」。それでロコモに該当する人にはロコトレ(ロコモーショントレーニング)を指導し勧めていくのです。

メタボと同じようにロコモの考え方の普及はまだまだ紆余曲折ありそうですが、是非とも元気でいつまでも動けるカラダ作りに取り組んでもらいたいと思います。

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人間ドックの説明時間

日本人間ドック学会総会の翌日に人間ドック認定医研修会が東京でありました。

その中で、ある若い先生が質問に立ちました。彼曰く、

「わたしは数年前からある地方都市の病院で人間ドックに従事しています。人間ドックでは『受診者全員に、その日のうちに結果の説明をするのが原則』と云われていますが、それでいつも疑問に思っていることがあります。認定施設報告などを見ていると、受診者数が月に1000人とか何千人とかの施設ばかりですが、これを単純計算すると毎日50人以上来ることになります。人間ドックの結果を説明するには最低でも15分はかかります。わたしは午後からずっと話し続けていますがさすがに10人が限界です。毎日50人の人に結果の説明をする、というのは現実問題として可能なのでしょうか?」

それを聞きながら、わたしは彼にすごい魅力を感じました。そうです。「人間ドックの結果説明には最低でも15分はかかる」のです。「異常のない人は簡単に済ませることにしましょう」というときの「簡単に」の最低線が15分なのです。そこのところが分かっていない医者が多すぎはしないだろうか?と常々不満でしたから、彼のことばに力を得ました。

彼の云うとおり、1人の医者がずっと説明を続けても10人が限界。だから、50人が受診するなら5人以上の医者が必要。そういうことであり、質問を受けた日野原先生もそういう回答をされました。最初に受診者人数ありきだからおかしなことになるのであり、説明できる医者やスタッフの数からその施設で受け入れられる上限の受診者数を割り出すのが当然です。だからこそ、彼が切望するように、人間ドック学会認定施設の条件には、小さいけれどこんな熱意のある先生がいる施設も入れるように配慮してあげてほしいと思いました。

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冷却時間

わたしの職場で定期的に発行している広報誌にコラムを書かせてもらっています(このブログにも勝手に転載しました)。ありがたいことに、読者の皆さんには意外と好評らしく、内容も任せられたままに毎回好きに書かせてもらっています。

実は次の広報誌の原稿締め切りは8月15日ころだと云われていました。「マスク小僧たち」(2008.6.25)をモチーフにしてコミュニケーションの話を書こうと数ヶ月前から考えていました。ところが、eGFRの基準値論争が起きたとき(「健診医の仕事」2009.8.13)、急に考えが変わりました。全体がガン予防の方向に向かおうとしているセンターの方針が面白くなかったのも手伝って、病気の考え方~一次予防のあり方について、この機会に自分の想いをコラムに書きたいという気持ちがムラムラと湧きあがってきました。「検診と健診」(2008.3.18)や「3Dアート」(2009.8.14)や「船の舵取り」(2008.6.22)や、元になる心はこのブログの中にたくさんあります。ですから、文章は一気に書きあがりました。

ところが、何かと忙しかったのでしょう。いつまで待っても編集委員から原稿の催促がきません。そんな中で、先日何気なくその原稿を読み返してみました。愕然としました。文章にはメラメラとした怒りが感じられたのです。健診とはこういうものだ!どうしてみんなはそんな古い考え方しかできないんだ?だれもわかってない!・・・そんな想いだけが表に溢れ出ていました。読んでみるに付け魅力のないしらけた文章だと思いました。発行が遅れたのはラッキーだったかもしれません。勢いでこんな文章を出さなくて良かったと思いました。早速、その原稿を破棄して、大急ぎでまったく違う文章を書き直しました。

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AO入試

学会で上京していたとき、ホテルで読んだ読売新聞に「AO入試」ということばがでていました。全く聞きなれない用語です。私たち夫婦には子どもがいませんし、仕事も関連がないので、大学入試のことなど全く知りません。なにしろ「センター試験」ということばすらよく理解していません。

ですから、もちろん「AO入試=アドミッションズ・オフィス入試」なんて、一層何のことかわかりません。なんでこんなところで意味の良く分からない英語の、しかも略号を正式な使い方にする必要があるのだろうか?天下の読売新聞のど真ん中に<AO入試>を見出しに使っているということは、特殊な一部の用語ではないのだろうな、などと感じながらちょっとだけ読んでみました。むかし、亜細亜大学の「一芸入試」が話題になりましたが、あれもそんなAO試験のひとつだとわかって少し理解しました。でも今は大学入試の半分くらいがこのAO入試を取り入れているという記事には、本当に驚きました。

大学の教育理念に、受験者の個性や適性や志望理由を照らし合わせながら合否を決めるというのは、両者にとってとても理想的だと思うんですけど、どういう選択基準を持つのだろう?とか、そんな方法で入学した学生諸氏は、総じてちゃんと勉学に励んでその大学の特性に合った大学生生活をきちんと全うできているのだろうか、などの疑問が、何となく浮かんできます。

大学入試って、全然興味も縁もなかったのですが、知らない間にまったく変わってしまったんですね。凄いなあ。

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NIPPON DATA

第50回日本人間ドック学会の特別講演では、もうひとつ「NIPPON DATA」のお話もありました(上島弘嗣先生)。

NIPPON DATAとは、National Intergrated Project for Prospective Observation of Non- communicable Disease And its Trends in the Agedの略で、厚労省の命を受けて2回だけ(もともと1回だけの予定だったそうですが)行われた(NIPPON DATA80と90)コホート研究です。でも意外に知られていないのではないでしょうか。循環器疾患に関する疫学的な研究ですが、「そんなこと当たり前」と思われていたことについて、実はきちんと日本人で証明されたデータがないものがたくさんあったのです。そんな「当たり前」のことを、日本人でも「当たり前」に間違いない、という証明をしたものなのです。

これは地味な仕事ですが、とても大切なことです。たばこは本当に心臓や血管に悪いのか?高コレステロール血症は本当に心筋梗塞や狭心症を起しやすいのか?・・・NIPPON DATAの結果があるからこそ、健康に対する指導をする場合も、あるいはクスリを処方する場合も、しっかりとした根拠を示すことができるようになったといえます。

出てきたデータは莫大です。その結果に対してきちんとした考察を加えなければならない、ということを上島先生は強調されました。例えば、「禁酒した人は死亡率が高い!~酒をやめない人より酒をやめた人の方が多く死ぬ!」という結果があります。これは、やめなければならないくらい重症な人が禁酒した群に多かっただけかもしれない、ということだったりします。あるいは、「タバコを吸う人は吸わない人より3.5年も早死にする」というデータは、「なんだ高々3.5年しか縮まらないのなら吸っててもいいか」という喫煙継続の根拠になったりするものです。

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久山町研究の衝撃

第50回日本人間ドック学会学術集会の特別講演で、九州大学の清原裕先生の久山町研究の最新情報を聞きました。

久山町研究のことは、以前「トリアス久山」(2008.1.24)で書きましたが、日本の生活習慣病の疫学的な根拠はほとんどすべてこれが元になっています。特に日本の高血圧治療と脳卒中の改善の歴史はまさしく久山町研究の果たした成果だと云われています。そんな中で、一番怖いのは今や「高血圧」ではなくて「糖代謝異常」、つまり糖尿病や境界型糖尿病、食後高血糖などだそうです。

高齢者の約40%が認知症になります。だから健康で元気に長生きしたら40%の人がボケることになります。で、そのボケる人の多くが糖代謝異常だといいます。高血圧も脳血管性認知症(脳動脈硬化による認知症)の原因になるのだけれど、それより糖代謝異常の方がはるかに多い。ということは、高血圧のわたしと糖尿病家系の妻がこれから二人揃って長生きしたとしたら、何と、先にボケるのはわたしではなくて妻の方かもしれないということになります。驚きです。そして、糖代謝異常はもうひとつ、がんの発生要因としても有意だということがわかりました。脳卒中も、実は高血圧に関連するラクナ梗塞(小さな血管の梗塞)は高血圧治療とともに減少しているのに、アテローム血栓性梗塞や心源性塞栓症はまったく減っていません。これは原因となる糖代謝異常やメタボが増えているからです。

今、日本人は高血圧症による血管病管理よりも代謝異常に対する管理の方がはるかに大切である、ということを教わりました。「病気でもないのに大げさに云い過ぎる!」と揶揄されるわたしにとってはとても大きな励ましに聞こえました。

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酸化ストレス

今を「動脈硬化」の時代にさせてしまった最大の犯人は「酸化ストレス」です。活性酸素、あるいはフリーラジカルといわれているものが血管を錆びさせる元凶ですが、実は酸素を吸えば酸化します。人は酸素がないと生きていけませんが、酸素を吸っているがゆえに老いていき病気になるのです。健康のために運動をすると、それだけ活性酸素は出てきます。普通はその活性酸素を消してしまう抗酸化物質もたくさんあるから問題ないのですが、現代人は酸化ストレスが異常に増えている一方で抗酸化物質は逆に少ないのです。

「動脈硬化はどうやって起きるのでしょうか?」~わたしはメタボの講演をするときに必ずこの話をします。

血液中にあるLDL(悪玉)コレステロールは、酸化ストレスで簡単に変性して「酸化LDL」になります。酸化LDLは動脈の表面(内膜)をすり抜けて壁の中に入っていきますが、この酸化したLDLは本来のLDLとは顔が違います。顔が違うものは変質者ですから、生体はこれを異物と判定します。異物は速やかに排除しなければなりませんから、血液中にいる「単球」と呼ばれる白血球を壁の中に呼び寄せるのです。呼び寄せられた単球はマクロファージというものに姿を変えます。マクロファージは、とにかくターゲットをトコトン食い尽くします。そして食い尽くされた酸化LDLは泡状に変性してプッと吐き出されます(泡沫細胞)。これが動脈硬化の始まりです。「プラーク」と云いますが、これがある程度増えたところで突然壊れる(プラークの破綻)と急に血液の流れがよどみ、固まって(血栓)流れをせき止めてしまうと、組織が腐れ始めます。脳梗塞や心筋梗塞などがそれです。

現代は、酸化ストレスがとにかく多くなりました。LDLコレステロールの多く含まれた食べ物ばかりを貪り食っています。なるべくしてなった「動脈硬化」の時代なのです。

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アミノ・インデックス

第50回日本人間ドック学会でちょっと聞きなれない用語を知りました。

-「アミノ・インデックス」-味の素(株)が研究、開発した新しい技術のようです。タンパク質を構成するアミノ酸は生物の代謝ネットワークの中心的存在であり、アミノ酸の濃度がその代謝の交通量を示しています。このアミノ酸の濃度パターンを「アミノグラム」と云い、本来それは常に一定に保たれています。ところが、身体の中で何かの異常が出てくると代謝に微妙な変化が出てきます。そうすると当然アミノグラムにも変化が出てきますから、この現象をうまく使って、病気に特徴的ないくつかのアミノ酸濃度の組み合わせを統計的に解析しようというものです。

つまり、ある病気や病態のときに特徴的に増えるアミノ酸と減るアミノ酸を見つけます。ひとつひとつのアミノ酸を解析してもなかなかひとつの病気に特異的な異常はみつかりませんが、これら増えるものと減るものの組み合わせで解析してみると、正常群と病気群に明確に分けられるかもしれない、という研究です。

理屈はとっても生化学的かつ数学的で、まさしく理系の頭でないと付いていけません(ちょうどわたしの対極にあります)が、とにかく、採血してアミノ酸解析をするだけで、たとえば早期がんを見つけたり、耐糖能異常(糖尿病)や内臓脂肪蓄積の有無を判定したり、あるいはメンタル異常(うつ)をスクリーニングしたりできるとしたら、ものすごく画期的なことだと思いました。

「血中のアミノ酸は身体のことを知っている」~キーレクチャーをした味の素(株)の安東敏彦氏のことばが期待を膨らませてくれます。

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やっぱり危ないんじゃないかな

先月のある週末の昼間に、熊本で凄惨な列車事故がありました。ある二十歳前の若いお嬢さんが小さな踏切で列車にはねられたのです。1時間に数本しか走らないローカルの電車に自転車に乗ったままはねられ、即死しました。

実は彼女は近くのアイスクリーム屋さんにおつかいに行く途中でした。そして彼女は、自転車で行くにあたっていつものようにi-Podを聴いていました。そうです。彼女はイヤホンで音楽を聴きながら快調に自転車を走らせ、たまたま(わたしの言葉で云えば「宿命的に」)小さな踏切を渡ろうとしたのです。イヤホンは、電車が近づいてきたことに気付くのを決定的に遅らせました。スポーツインストラクターをしていた彼女は、春に他県から熊本に来たばかりでした。

自転車通勤をしていると、イヤホンで音楽を聴きながら自転車を走らせている若者をたくさん見かけます。わたしが後ろから近づいていることなど気付くはずもありません。周りに人一倍注意を払っているようにも見えません。危ないな!と思ったことは2回や3回ではありませんが、きっと若い彼らはきちんと反応できる自信があるのでしょう。でも・・・やっぱり危ないんじゃないかなぁ? わたしはよく歩きます。宴会の後に2時間近くかけて歩いて帰ることも珍しくありません。学会などで他の都市に行ったときは30~40分程度の距離なら必ず歩きます。そんなときにはよくi-Podを聴きながら歩きました。ちょっと若者と同じことをしてみたいから・・・でも本当に全く外界から遮断されます。それはとても心地良い世界です。でも、外界の真っ只中を移動しながら外界と遮断されることの重大さも実感しています。だから最近はあまり聴かなくなりました。

何か、運転中の携帯電話操作よりはるかに危ない行為のような気がしてなりません。高々10~20分程度の自転車移動にも音楽聴かなきゃダメですか?

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デジカメ

キー・スライドがスクリーンに映し出されると、真っ暗な学会場のあちこちで、数年前まであまり見かけなかった異様な光景が繰り広げられます。

突然、客席から5つも6つものデジカメがニョキニョキと湧き出てきて、そのどれもに同じ画が写って白く光っているのです。最近の学会では、参加者はすぐにデジカメや携帯のカメラを使って他人の発表スライドを撮影してしまいます。目の前の人たちが、黙ってすーっとカメラを掲げる姿はやっぱり異様で、いつ見ても慣れません。

便利になったものだなと思いますが、わたしは今でも相変わらずメモ用紙にボールペンで書き写します。まあ、デジカメ操作に慣れていないので、準備して構える前に次のスライドに移ってしまったりして、上手く使えないだけと云えなくもないのですが(昔、わたしのボスがワープロを使いたがらなかったのと同じだな、と思います)・・・。

そんな時代遅れのオヤジですが、オヤジの僻(ひが)みというだけでなく、この若い先生方を見ていつも思うことは、あの画像をちゃんと後で見直すのだろうか?ということです。写真を撮ることに一生懸命のようですが、録音はしていないはずです。スライドを後で眺め直すとしても、それでちゃんと内容まで思い出せるのだろうか?と、老婆心ながらちょっと心配になります。試験勉強のために友人のノートを必死でコピーしたのに、もうそれで満足してしまうのと同じになりはしないか、と。自分なりに注釈などをアレンジして、エキスだけをメモしているわたしですらあまり見直しませんが、それでも一度内容を理解した上で「書く」作業をしている分だけ思い出しやすいと思っています。試験対策にコピーするならわたしのメモをどうぞ!と云いたいくらい。

こんなことを書いてみましたが、読み返してみるとやっぱりこれはただのオヤジの僻み・・・かな。

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洋式便器vs立小便

「男子は洋式便器のどこを狙って小便すべきか」

ある知り合いの医師がそんなコラムのコピーをくれました。何でそんなものをくれたのかよくわかりません。トイレでアンモニア臭がするのは、もちろん便器に当たって飛び散ったおしっこが壁や床にくっつくからです。そのコラムは、わざわざINAXの工場にまで取材に行っていました。おしっこの飛び散りについてはすでに7~8年前に研究が済んでいるそうです。一番飛び散りが少ないのは、便器の手前の縁ギリギリのところで、もっとも多いのは奥の部分。結局「立って小便をする場合はトイレの水面を狙うことをお勧めします。・・・和式トイレも奥の水が深い部分を狙うのが一番いいでしょう」とのことです。ただ、一番良いのはやはり「座ってする」だそうです。そもそも洋式便器は男性が立って小便をするためのものではない・・・たしかにそのとおりですね。最近、勢いも落ちてきたし、排尿後失神も心配だから・・・そんなことを考えても「小便は座ってする」が一番かもしれません。

ちなみに、立ち小便専用の縦型便器の場合は「下から4、5cmの壁を狙う」が正道らしいです。ターゲット付き(ハエの絵とか的の絵とか)なら、ちょうどその位置にマークがあるのだそうです。そしてさらに「一歩前へ!」・・・公共の便器の前によく書かれている日本全国共通の標語です。最近うちの病院の小便器にマークがつきました。飛び散り防止のために誰かがつけたのでしょう。ただうちの病院の便器は上のヘリが飛び出ている(蓋がある)ので、便器の前に立つとマークが見えません。一歩前に出ようものならなおのことです。見たかったらかなり離れないと・・・あれはどう考えても逆効果でしたね。

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ゆるやかな朝食タイム

日頃から朝食をとらない習慣のわたしですが、先日学会で上京した際には旅行パックに朝食が付いていたので食べてみました。以前は食券をもらっても頑なに拒んでいましたが・・・最近ちょっと卑しくなりました?

学会場に出かけるまでにはまだ十分な時間がありました。せっかく時間があるので朝食をゆっくり食べようと思いました。出された魚料理の量も手ごろでしたし・・・。わたしの隣りの席の男性は朝刊を読みふけっています。反対側の席の男性はコーヒーを飲みながら何か思索しているように見えました。わたしも、そんなゆったりとした朝の時間を過ごしてみようと思いました。ところが、日頃からそんな習慣がないわたしには、これがなかなかむずかしいのです。ぼーっと窓の外の街を眺めたり、遠くの席に座っている人を観察したり、そんなことをしながら時間を潰そうとしましたが、かえって苦痛になってきました。「このタマゴ焼きはおいしいなあ」などとひとりで感動しながら一切れのタマゴ焼きを味わってみることの、なんとむずかしいことか・・・結局10分後には自室に戻っていました。

ひとりで食事をとることは、身体のためには良いことではないのかもしれません。もっと「ながら食事」をするのが健康的なのでしょう。でも、わたしは他人にペースを合わせて食事をするのが苦手で、基本的にひとりで黙々と食べ余韻に浸ることなくさっさと席を立つのが常です。その場が混んでいたらもちろんせわしなく出て行きますが、ゆったりと空いていてもかえって落ち着きません。

隣りの席の男性が新聞をたたんで席を立ちました。彼のようなゆるやかな朝食タイムの過ごし方に、いつまでも憧れ続けるだけのオヤジでした。

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体温

今年の春に出現した季節に関連しない新型インフルエンザは、思っていたよりはるかに速い速度で地球を恐怖に巻き込んでいます。

ちょっと喉元がモゾモゾする今日この頃、今までなら、「急な秋の到来で寝冷えでもしたかな」と軽い気持ちでいられたのに、今年は「もしや新型インフル?」と考えるのが医療従事者の義務であります。だから、面倒くさいなあと思いながらも今まで測りもしなかった体温などを測って、隔離されなくても良い身体かどうか確認したりなんかします。

そういえば、体温って測りませんね。血圧も測りません(「高血圧症だから仮面高血圧の評価のためにも定期的に血圧を測ってください」と人には云うけど)が、それ以上に体温なんて自覚症状が強い時でもなかなか測りません。しかも、空調完備で自律神経活動をボロボロにしている現代社会では、この自覚症状というのがまた当てにはなりません。毎日血圧を測る人でも、毎日体重を量っている人でも、女性の基礎体温測定を除けば、きっと毎日体温を測っている人はほとんどいないと思います。だから、毎日体温を測ってみると、女性の生理周期とは別に、男女を問わず思いがけない体温の変化があったりするのかもしれません。

最近の若い人は低体温の人が多いようですが、「平熱」というやつを知らない人が多すぎます。あるいは「自分の平熱は36.8℃だ」と云いながら、よく問いただしてみるとそれは小学校のころのものだったり。具合が悪いときにだけ体温を測っても、それが自分にとって高いのか低いのか判断することができません。今が良い機会ですので、どうもないときの自分の体温を測っておきましょう。

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風船腹の成果

うちの施設にある生活習慣改善プログラムの会員Aさんは、遠くからでもすぐわかるような大きなお腹=「太鼓腹」というより「風船腹」の持ち主です。当初「腹水かと思った」と保健師に云わしめたそのお腹は、腹部CT検査をしてみたらほとんど全部が内臓脂肪でした。

それから数年、なかなか風船の大きさは縮みません。半年ごとにメディカルチェックをしますが、体重が減り、皮下脂肪が減っても、内臓脂肪だけは変わりません。「どうしてわたしの腹は縮まらんのですかね?」・・・チェックの度に二人でため息をつくのが常でした。週に何度もフィットネスジムにやってくるし、最初は渋々だった奥さんも食事制限を積極的にしてくれ始めました。あれだけ大好きだった晩酌も止めてみました。でも腹囲は変わりません。風船は大きくならないけれど小さくもなりませんでした。

ただ、半年前からちょっと変わってきたことがあります。血圧や血糖や中性脂肪や肝機能や・・・採血の値がどんどん正常に近付いているのです。血管年齢や心肺機能も改善しています。内臓脂肪量が変わらなくても、採血データはちゃんと改善してくるので、本人はそれなりに満足気ですしモチベーションを落とすことなく頑張って通ってきています。メタボ系の身体でも、必ずしも内臓脂肪が減らなくても、生活を改善させる努力は実を結ぶものだと実感した次第です。医学的ではないのだけれど、「もともと同じ体積の中にグリグリと硬くなるまで詰め込まれていた内臓脂肪が、今徐々に柔らかくほぐされてきているのかもしれませんね」と話したら、彼は、「分かる気がする」といってちょっと笑いました。

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日本語の誤解

健診の日常業務で受診者の診察をする際に、問診をしたナースから検査に対する医師の指示依頼書が添付されることがあります。

「妊娠中 甲状腺機能低下あり  胃内視鏡検査で注射薬を使用して良いか指示ください」

その書類にはそう書いてありました。部屋に入ってきたのは、38歳の女性です。ハタと困りました。「婦人科じゃないんだから、妊婦に薬を使っていいかなんておれには判断出来ないぞ!」・・・内心焦りながら、診察をしました。甲状腺を触診しながら、「甲状腺ホルモンは内服しなくても大丈夫なのですか?」と質問しました。甲状腺機能が一定以上低下しているならば甲状腺ホルモンを補充するのが常だからです。ところが、その女性からは意外な返事が返ってきました。

「いいえ。妊娠した時だけ甲状腺機能低下症だと診断されましたけど、今は正常だそうです。」「え?今は妊娠中ではないのですか?」「いいえ、妊娠はしていません。」

やっとすべてが分かりました。ナースのメモは、「妊娠中(に)甲状腺機能低下症(になったこと)あり」という意味だったのですね。そういう気持ちで読んだら、なんら矛盾しない普通の日本語でした。思い込みは本当に怖いものです。今回は、逆方向の思い込みでなくて良かったと思いました。

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本当の心電図所見

数年前、たまたま救急外来に用事があって行ったら、これから緊急手術になるという救急患者さんの心電図がありました。うちの病院ではそれを一度循環器内科医が確認してサインするのが習慣です。担当の循環器内科医は違う急患さんに対応中でしたので、気を利かせてわたしが読んであげました。

<完全右脚ブロック、手術可能>

そしたら、それを後ろから見ていた若い先生が声をかけました。「先生、ちょっと良いですか?」・・・春からうちの病院に来はじめた研修医の先生だそうです。「この心電図は本当に『完全右脚ブロック』でいいんですか?このQRS幅とRSR'のノッチの形が・・・これは定義にあてはまらないのではないのでしょうか?」

彼は心電図診断の定義について述べ始めました。面倒くさいなあと思いながら、ちょっとタジタジしながら、それでもできるだけ平静を装って答えました。「そうそう。正式に云ったらこれは『心室内伝導障害』でしょうね。でも、それじゃあもらった相手が何のことか分からないでしょ?『伝導障害があって、それが左脚ブロックパターンじゃなくて右脚ブロックパターンであり、だから心機能に問題がなさそうだということを伝えれば、救急の現場ではそれで十分なんだよね。かえって幅が広すぎる『心室内伝導障害』の表現をするより臨床現場では親切だと思うよ。」・・・半分本音、半分ハッタリの返事をして応答を待ちました。ちょっと不服げでしたがとりあえず彼は反論をしなかったので、さっさとER室を退散しました。いらんことするもんじゃないね。

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納得してないんです。

テレビでお笑いタレントさんがあるエピソードを話していました。「犬の散歩中に、その犬の尻尾を引っ張って離さない女の子がいた。その子のお母さんは『○○ちゃん、そんなことしたらワンちゃんがかわいそうでしょ?』と云うばかりで、子どもは面白がってやめる気配がない。いつまでも止めそうにないので、そのタレントさんがその子の三つ編みの髪を引っ張って『こんなことされたらイヤやろ?』と云ったら、途端にその子のお母さんにひどく叱られた!」というのです。

「そうなんよ。最近のお母さんは、『子どもは話せば分かる』と思っているのよ。」と一緒にテレビを観ていたが、急に強い口調で云いました。

「もうちょっと待ってください。この子はまだ血を採ることを納得していないんです。」・・・小児科を受診して採血室にまで来てからそんなことをいうお母さんが少なくないのだとぼやきます。「こんな小さな子どもが注射に納得なんかする訳ないやないか!自分の子どものころを考えたら分かりそうなものなのに・・・」と思いながら、良い頃合に「ハイ、いいですか。そろそろ採りますよ!」と有無もいわさず押さえ込んで採血するのが常だとか。「話したって分かるもんか!」が彼女の持論です。

子育てについて、何かの理解を間違っているのでしょう。くだんのお笑いタレントさんの件も、彼がその子にやったことは、本当はその子のお母さんがすべきこと。わたしたちが考える限り「当然」と思うそんなことが、どうも通用しない昨今なのですね。オジサンには当惑することだらけです。

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ホテル

先日久々に東京に出張しました。旅行社のパックに付いているホテルなのでいわゆる格安ホテルではありませんでしたが、やっぱり東京のホテルはお風呂が狭いです。ひいきのJ1サッカーチームを応援するために毎月泊まる大分のWホテル(ここも決して広くない)と比べても、決定的に狭いと思います。

それでも、別に誰かと一緒に入るわけでもなく、この季節ならシャワーで十分なので、今まではあまり気にしたことはありませんでした。ところが先日は、初めてその狭い風呂でちょっと閉口しました。いつものように朝風呂に入りました。ちょっと動いたら背中が壁に触りました。超冷たい!ヒヤッとして心臓が止まるくらい驚きました。これだけ狭いのだからもちろん今までだって触ったことは何度もあったのに、こんなに驚いたのは初めてかもしれません。シャワーなので、立ったままで足の指の間を石鹸で洗おうとしました。片足立ちが安定せず、すんでのところで前に転びそうになりました。滑るバスタブですから転んで頭を打ったら・・・と思ったらゾッとしました。

若い頃とまったく同じ広さのスペースなのに・・・明らかに狭いのです。それを実感するのです。これが「歳を取った」ということなんだろうなと思いました。きっと若い人たちには全然理解できない感覚でしょうか。もう若くはない自分に愕然とし悔しがることよりも、むしろ一人で泊まるホテルなのだからこれからしっかり気をつけなきゃ、と自分に言って聞かせることを自然と選んでいる自分にちょっと驚き、ちょっとシャクでした。

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