植木鉢の中の雑草
先日、庭の草刈りをしました。我が家の庭にはたくさんのバラの花が植えられていますが、植木鉢に1本ずつ植えられたバラの木もたくさんあります。そんな植木鉢の中にびっしりと生えた雑草を抜きながら、考えを巡らせました。
植木鉢の中はとても小さな世界です。日照りが続くと、地植えの木と違って水をやらない限り自分で水を手に入れることはできない世界です。たまたまそこに生を受けた雑草たち。その小さな世界の主であるバラの木とともに、宿命的にここで儚い一生を終えるわけです。かわいそうになあ。地面で伸び伸びと生きている仲間たちと違って、人間の加護がなければ絶対生きていけない雑草なんて、きっと不本意だろうなあ。
と思う反面で、彼らがちょっと羨ましくもあります。地を這っている雑草たちは自らの力で水分を得る努力をしなければなりません。光合成だけでは生きていけません。でも植木鉢の中の雑草たちは、自分で努力しなくてもニンゲンが忘れない限り確実に水をもらうことができます(もちろん主であるバラがもらう分のおこぼれですが)。ニンゲンやイヌやネコたちが踏み散らすこともなく、天敵も居ない快適な環境で生きています。きっと、だから植木鉢の中の雑草たちはあんなにデカく成長しているんだろう。そう思うと、そんな人生も悪くないかな・・・と思うのです。
人間、ちっちゃく生きちゃダメだよ!<井の中の蛙、大海を知らず>みたいなちんけな人生を歩んじゃだめだよ!そう云われ、そう思って生きてきましたが、大海を知ったから自分がちっぽけだと云うことに気付くのであって、知らないままに自分が自信を持って一生を全うするなら、そっちの方が「良い人生だった」ということになるのではないか?自分の人生、人と比べて大きいとか小さいとか考える意味はあるのだろうか。・・・そんなことを考えながら、根こそぎ抜き取ってやりました。
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