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2009年12月

大掃除

年の瀬といえば「大掃除」です。「1年の垢をきれいに落として、きれいな新しい状態で新年を迎えましょう!」・・・子どもの頃から両親や学校の先生にそう教わってきました。

でも、最近は本格的な大掃除の光景を見なくなってきた気がします。わたしが子どもの頃は、どこの家でもお父さんはタオルを頭に巻き、畳をあげて天日干しにし、障子の張替えをし、子どもたちは床の拭き掃除をしておりました。我が家はわたしが高校生の頃に新築しましたが、その後の夏休みと晦日は家中のワックスがけがわたしの仕事でした。最近それがなくなったのは、アパートやマンションが多くなったり、家の構造が変わってきたためかもしれませんが、たしかにかく云うわたしも、そんな本格的な掃除はここ数年していません。

「別に年が替わるときに掃除をしなければならない決まりなんてないさ!このド寒い中でそんなことをしなくても・・・掃除は秋か春のもっと穏やかな天気のころにすればそれで十分さ!」と、そんな言い訳をしながら・・・。でも、わかっているんです。そんな良い気候のときに掃除なんかするわけがありません。掃除日和の休日は、それ以上に行楽日和でありゴルフ日和なのですから。そんな日に掃除をしようなんて云っても、家族に認められるはずがありません・・・。

そんな中、今年は久々にしっかり大掃除をしてみています。もう何年も動かしていない家具をそっとずらしてみて、その裏側に広がる禁断のホコリの世界を見てしまったときの感動を久々に思い出しました~わくわくするんです。その中にゴーストバスターよろしく入り込んで戦うとその暗黒の汚染の世界がきれいになっていく様・・・最高です。誰が何と云おうとも、わたしはやっぱり掃除大好き人間に間違いありません!

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区切り

「先生、今年は大変お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いします。どうぞ、よいお年を!」
「こちらこそ。よいお年を!」

そんな年末のあいさつがあちこちで聞こえてきました。御用納めの日の夕方、毎年恒例の職場の風景です。ロッカールームでも、廊下でも、老若男女を問わずあちこちで同じような光景が繰り広げられていました。

ただの冬の月末の月曜日。たかが1週間の連休があるだけのことなのに、大げさなことだなと、正直なところ毎年思っていました。仕事やら掃除やらで忙しいのに、会う人ごとに長い決まり文句を何度も云わなきゃいけないものかしら?ゴールデンウイークの方がよっぽど長い休みになる人も多いのではないかしら?・・・いつもそんなひねくれたことを考えていました。

でも今年は、「これもまあ、大事な区切りの儀式なのかもしれん」と、意外に殊勝な思いになりました。いろいろなことに区切りは必要です。生きていく上で、いつまでも切れることのない螺旋階段を上り続けるならきっと身も心ももたないことでしょう。どんなことであれ、ひと回りしたら元の位置に戻って、そこでリセットされて再出発できる・・・良く考えたらこれは自然界にある唯一無二の必然的な法則なのかもしれません。その年が忘れたいほどに悪かったとしたらもちろん、ずっと続いていたいほど良いことだらけの年だったとしても、必ず12月31日がやってきて、必ず翌日には1からリスタート!すばらしいことなんだなと、今年は素直にそう思いました。もちろん、現実に抱えている問題は正月になっても消えることなくそこにあり続けるのではありますが。

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「子ども」

以前、「障害」はもともと「障碍」という意味であり、「害」という字がそぐわないという理由で「障がい」と書くようになってきたことを紹介しましたが、なんと今、「子供」は「子ども」と書くのが良いという論争も起きているのだそうで・・・。こっちは「障がい」論争より派手です。派手だということは、よりくだらないことだということでしょう。

親が子を虐待する時代になったからこんな発想になったのでしょうか?「こども」はもともと「子」の複数形の表現「子共」です(今は一人でも「こども」です~友だちだって一人でも友だち)が、それが「供」に代わってしまった。「供」は「お供」=従者であり、親のお供(親の付属物)だという発想になるとか、「供」は「お供(そな)え」の意味があるからおかしいとか、よくもまあ考えつくものだと感心します。

わたしは文章の中に漢字を少なくしたいので、<「子供」より「子ども」の方が柔らかい感じだから「子ども」を使う派>かもしれません。

http://homepage3.nifty.com/harebuta/gaki.htm

論争はそれなりに面白いけれど、やっぱり本筋となんら関係がないわけだから、「子ども」でも「子供」でもどっちでもいいから、まあほどほどにしておいてほしいなというのが正直な感想です。そして、少なくとも当事者の子どもたち自身が、「こども」は「子供」と書く表記法があるのだということも(ついでにこんなくだらない論争があったのだということも)きちんと覚えておいてほしいと思います。

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年賀状

今年も、やっと年賀状を出し終えました。

昔は、12月に入ったら早々に書き始めて(書いた後に喪中のご挨拶が何枚も来たものです)、郵政省(今は・・・何でしたっけ)が決めた日までには確実に投函していました。それが、いつの間にか師走が師走らしくなくなり、仕事をしていたら知らないうちに勝手に年末がやってくるようになり、いつしか年賀状どころではなくなっていました。

それでも、「年賀状」という文化はとてもいいなと思います。簡単なメッセージしか書けませんが、1年に1回は一人ひとりの顔を思い浮かべながら何かを伝えようとするこの文化を大事にしたいと思います。一時、メールに替えたこともありますが、やっぱり年賀状に戻ってしまいました。遠い昔、年賀状にかこつけて大好きな女の子に何度も下書きをしたハガキを出したときのドキドキ感を、いまだに甘酸っぱい感覚として思い出せます。

ただ、本当の理想は、<元旦に、いただいた年賀状を読みながらその返事を書くこと>なのだと思います。「そうか、○○さんは去年転職したのか」とか「え~、お孫さんが出来たの?」とか、そんなことを思いながらそのお返しを書くのが、きっと返事をもらった相手も嬉しいだろうなと思うのです。普通は1年前の情報を元にしたハガキがクロスしますから妙にチグハグなやり取りになり、返事が1年後になるのですがその1年後にはほとんど覚えていなかったりして・・・。正月に来た相手からの返事を読んで「あ~そうだった!」と毎年思うのです。だから、お正月にお返事でタイムリーにコメントを書くのが一番理想なんだろうなと思う次第です。

もっとも、みんながそうしたら、結局だれも出さなくなることになりますが・・・。

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同じものばかり

本日、「やせればいいってもんじゃない!」が丸2年になりました。尊敬する鎌田實先生のブログ「日刊:鎌田實 なげださない」に倣(なら)って、根性で毎日更新してきましたが、よくもまあ続けられたものだと我ながら感心します。

内容に重複がないかをいつもバックナンバーから確認し、内容が似ているものや関連するモノはできるだけリンクをさせるように頑張ってきましたが、さすがに600~700件を過ぎた辺りから、良く分からなくなってきました。

ときどき最初から読み返してみたりするのですが、情けないことに、「こんなこと書いたっけ?」と、内容にまったく記憶がないモノも少なくありません。そして何か最近、前書いたモノと同じことを何度も繰り返しているような気がしてなりません。「それ前読んだぞ!」という内容をまことしやかに書いているかもしれませんが、ご容赦ください。

それと、昔に比べて内容がどんどん重く、どんどん長くなってきている気がします。これも気がかりなところです。ただの田舎オヤジの独り言(つぶやき)で始めたものなのに、少しずつ読んでいただく方が増えてきたためか、「医者としてちゃんとしたものを書かなければ」という気負いが含まれ始めてきたのではないかと反省するところです。

この勢いでは来年には1000件を越えます。さすがに全編を掲載するのが難しくなりました。この機会にココログ出版で本にでもしてみようかしらとも思い始めた今日この頃です。

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ラーメン屋

大分から熊本に帰る途中、ある古いラーメン屋の看板が目に入りました。それを眺めながら、何の関連もなく突然昔のことを思い出しました。

わたしが初めてラーメン屋に入ったのは高校生のころだったと思います。父はうどんが好きで、よくうどん屋には連れて行ってくれましたが、ラーメンはそれまでインスタントラーメンしか食べたことがなかったのです。母と2人で入ったその駅前のラーメン屋は狭くて薄暗く小汚いカウンター席しかありませんでした。あまり覇気のない、顔色の悪いお兄さんが切り盛りしていました。当時の大分には大分ラーメンというはっきりしたジャンルはなかった(今はあるのかしら?)と思われ、今でも熊本生まれの妻は「大分のラーメン屋には主張がない!」と云い切っています。あのとき、たしか「みそラーメン」か何かを注文したように思います。しばらく待って出されたラーメンを、「これが店で食う本当の『ラーメン』というものなんだなあ」と感慨深く眺めて、さあ食べよう!としたその瞬間、目の前のテーブルの上を大きなゴキブリがカサカサカサっと走り抜けていきました。ふと気付いたら足元には数匹のゴキブリが我が物顔で走っていました。店主よりよほど元気があるように思われました。

そのラーメンが美味しかったか不味かったなどはまったく覚えていません。ゴキブリを見てゲッソリしたとか食欲がなくなったとか、そんなことはなかったと思います。なぜなら、「ラーメン屋」というのはそういうところなんだろうな、と思ったから。

まあ始まりがそんなでしたから、今でもあまりラーメン屋に対する思い入れがないのは確かです。

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イルミネーション・ワールド

熊本のある企業が、広大な会社の土地にイルミネーションを施してキレイな光の世界を作り出していますが、そこに入場する車のために深刻な交通渋滞が起こり、毎日何度もテレビでお詫び放送を流しています。何度かその前の道路を車で通りましたが、毎年少しずつ盛大になっている気がします。あまりに間近に見えるので、運転していることを忘れてしまいそうです(接触事故が多いのも容易に理解できます)。素晴らしいエンターテイメントだと感心します。さすがにクリスマス・シーズンです。この企業だけでなく、飲食店の前や公園やクリニックやといろいろなところで暗闇の中に青い光が光り輝いています。夜の街を運転をしていると「心躍る」を通り過ぎてちょっと落ち着きません。

さらに目を見張るのが一般のご家庭の家のデコレーションです。バブルの頃ならともかく、こんなデフレの年ですら全く手は抜かれていません。正直なところ、「偉いなあ」と思います。人に注目されて、人に喜んでもらえるのが楽しいからやっているのでしょうけれど、わたしにはどうしても真似できません。なぜなら、家の中にいる自分からはほとんど何も見えないからです。昼間はただの豆電球ですし、夜になったら寒くて部屋の窓を開けたりしないし・・・。自分が楽しめないし、さほど恩恵のなさそうなものに力を注げないのは、私のこころが狭いからでしょうかしら。

まあとにかく、クリスマスシーズンの今は、人ん家のきれいなイルミネーションを巡りながら幻想の世界を楽しませていただいています。それにしても、どこも青い色ばかりになりました。良く見ると本当に不思議な色です。昔は寒い色の代表だったんですが・・・LEDの発明は数年のうちに世の中の「色」に対する感性を変えてしまった感があります。

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不規則生活と高血圧

京都大学からは、「不規則な生活で塩分を摂ると高血圧症にないやすい」ことの原因を解明した、という報告が米医学誌「ネイチャー・メディスン」(電子版)に掲載されました。

京都大学大学院薬学研究科の岡村均教授(システムバイオロジー)らの研究チームが動物実験で突き止めたもので、生体リズムを壊したマウスの副腎からは体内の塩分量を一定に保つ作用があるホルモンが過剰に出ているのだそうです。さらにその副腎の遺伝子解析をしたところ、このホルモンを作る酵素(水酸化ステロイド脱水素酵素といいます)が普通の5倍以上生じており、そんなマウスに食塩を与えると容易に高血圧になったのです。つまり、不規則な生活を送ること自体が、直接、高血圧への<準備段階>を作り上げることになるのだそうです。

・・・「岡村教授は『この酵素は人にもあり、同じ作用をする可能性が高い』と指摘した上で『不規則な生活が不健康になる一面が科学的にも証明された。現代人の教訓にしてほしい』と話している。・・・今回の話題を紹介する文章は最後にこう締めくくられていました。

ん~。高血圧症を持ちその治療を受けているわたしとしましては、そして「不規則生活」の誘惑にいつも負け続けているわたしとしましては、「高血圧になりたくないから不摂生をしない」などという殊勝な気持ちになれるかなあ。なれないだろうなあ。イエ~ィっ!

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肥満と大気汚染

アメリカ・マサチューセッツ大学から、「大気汚染が血圧に及ぼす影響は肥満者と汚染源の近くの在住者でより強い」という報告が発表されました(J.Epidermiology and Community Health, 2009)。

研究は大気汚染地域から5km以内に住んでいる人を対象にしており、参加者の半数以上が肥満で57%は腹部肥満(メタボの基準です)でした。そして68%に高血圧が存在していたわけですが、まあ「この大気汚染地域に近い人ほど血圧が高い」という事実と、「肥満者ほど血圧上昇が顕著だった」ということは容易に理解できました。

ところが、「肥満、特に腹部肥満では大気汚染の影響を受けやすく、そのために高血圧発症リスクを高める」という因果関係は初めて知ったので、ちょっと驚きました。つまり、<大気が汚いほど太りやすい>、あるいは<太っている人は大気汚染の影響を受けやすい>のどちらか(またはその両方)が云えるということになります。

何故なんでしょう?もしや、大気汚染のために生体の存続が危ぶまれる→危機脱出のためにエネルギーを貯める機序が働く→同じものを食べても蓄積する、というそういう理屈なのでしょうか?つまりは「木の枝に傷をつけると植物の発育が良くなる」というのと同じ理屈ということで良いのでしょうか?

なるほど!だから都会では妙に太っている人が多いのかぁ、って勝手に納得してしまったりして・・・違うか。

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電話連絡

先週金曜日に、不在連絡票が郵便受けに入っていました。

ある運送業者がお歳暮を持ってきてくれたようですが、生憎夫婦ともに不在していたのです。帰って来てから、その連絡票に書いてある電話番号に連絡をしました。

「土曜の午後2時以降ならおります。ただ、夕方はまた出なければなりませんので夕方になる前にはお願いします。」

土曜日は午後2時から家で待ちましたが結局4時になっても誰もきません。そろそろ出かける時間が近づいてきたので、もう一度運送業者に電話しましたら、「今からでも大丈夫ですよ」とのことで、15分後には無事に届きました。受け取った後、その包み紙を見てみたら「午後2時からいつでもOK」と書かれていました。・・・あれ?「夕方は・・・」以降の伝言はどこに行ったのかしら?ちょっと不愉快になりました。

先日、ある商品をインターネットで購入しました。お届け時刻を月曜の午前中に指定していたのですが急遽都合が悪くなったので、前日に担当の運送業者(前述の業者とは違うところ)に電話をして、時間変更(月曜の夜)をお願いしました。・・・ところが月曜の午前中、運送業者からメールが配信されました・・・「今お届けしましたが、不在でしたので一旦持ち帰ります」・・・おいおい、昨日わざわざこっちから電話したのは、どうなったのよ?夕方に変更して承諾をしたんじゃないんかい?ついため息が出ました。

年の瀬の慌しい毎日です。こんな行き違いは普通にあってるんでしょう。でも、やっぱりプロなんだから、こんな時期にこんなトラブルが起きないような自浄作業をきちんとすることが信用につながる気がします。わたしからクレームを出してないので、きっと相手は気付いていないでしょう。「クレームがないからちゃんとやっている」と思い込んでいるのはうちの病院だけではないでしょう。件(くだん)の運送業者さんたちはそうなってほしくないなあ、とちょっと思った次第です。

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さりげないエスコート

延び延びになっていた職場の広報誌の最新号がやっと発行されたようですので、いつものようにわたしのコラムを転載します。

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先日、学会のために上京しました。電車に乗っていたらJR新橋駅のホームに白い杖を持った目の不自由な女性が佇んでいました。先頭に並んで乗り込もうとしたひとりのお嬢さんが、それに気付いて声を掛けました。彼女はさりげなくその女性の手を引いて一緒に電車に乗り込みました。格好いいなと思いました。さらに有楽町駅に着く少し前に、今度はまったく別の若い男性が声を掛けました。「席が空きましたけど、座りませんか?」・・・声を掛けながら、そっとエスコートします。ことばに恩着せがましさがないのがいいなと思いました。都会では個人主義で他人に干渉しない人が多いと聞きますが、一方でこういう心遣いが日常生活の中でさりげなくできる人もたくさんいるのだということを実感しました。彼らは本当に輝いて見えました。

ある研修会で「ペーシング」という会話の方法を教わりました。これはつまり「相手のペースに合わせる」ということです。同じ視線で、同じ声のトーンと大きさと速さで、あるいは同じ雰囲気で・・・できるだけ相手のそれに合わせて調和させると、相手の心も開きやすくなって会話がスムーズになるというのです。「いつでもゆっくり落ち着いて対応すればよい」というのでは、例えばもし相手が急いで慌てているときならば苛立たせてしまうでしょう。そんな雰囲気を感じ取るためのスキルが「ペーシング」です。私も仕事柄、そういうスキルをいろいろ学んで実践しようと努力しているわけですが、あの電車の若者たちの自然な立ち振る舞いをみてしまうと、何かまったく次元の違うものを感じてしまいます。彼らのそれは仕事でもスキルでもありませんし、だれかに自分を評価してもらうための行動でもありません。スキルとしての対応術を体得することも大事ですが、人と付き合う上で一番の理想はやはり彼らのようなさりげない優しさが自然に出せる人間になれることでしょう。彼らの優しさはどうやって身に付いたのだろう?幼少時のしつけや環境だろうか?それとも職場や仲間の影響だろうか?・・・そんなことを想いながら、私は目的の駅で電車を降りました。

私たちの職場にも多くの若いスタッフがいます。みんながあの若者たちのようになれたら素晴らしいなと思います。初めは仕事のための「スキル」でも、それを繰り返すうちに真のエスコートの心が生まれてくるかもしれません。彼らのような人に出会う。「格好いいな」と思う。「次は自分もやってみたいな」と思う。そうやって優しい空気が溢れるといいな・・・とても柔らかい心になれた旅でした。

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読まない妻

「おもしろい本を見つけたんだ!」

そう云って、思い立ったように妻が本を買って帰ることがあります。その本の薀蓄をひとしきり語り、パラパラっとしばらく読み耽るのですが、結局そのまま食卓の上に置き去りにされるのが常です。基本的に本屋である程度読んでいたからでしょうか。それともパラパラ読みでほとんど理解できるのでしょうか。

数日後、わたしはその本を食卓からそっととなりの小さなテーブルに移します。そしてまた数日後に二階の書棚に移しますが、彼女はまったく気付きません。たぶん忘れているのだと思います。というか、たぶんもう興味がないのでしょう。そういう姿は、「買ったのにまだ全部読んでない」と強迫観念に苛(さいな)まれてしまうわたしとは対照的で、きっと彼女の方がずっと健全な生き方なのだろうなと思います。

彼女が悩んでいること(ダイエットとか)に、「いいことを書いてある本があるよ」とそのときに読んでいた本を渡そうとすると、「内容だけ口で教えて!」と突き返されます。読むのが面倒くさいのでしょう。でもわたしの拙(つたな)い説明では、結局「なんかそれ、納得できない!」と切り捨てます。・・・これは、勿体ない!と思わずにはおれませんが、まあ読まないものは読まないな、と思ってあきらめることにしています。

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積読(つんどく)になりはしないかと。

医療雑誌を読んでいるとき、紹介されている本に心がロックオンしてどうしても読みたくなることがあります。本屋で探すのは至難の業なので、ついAmazon.co.jpさんにお願いしてしまいます。ところが手元に届いた本を最後まで読む確率は60%に満たないかもしれません。思いの外読み難かったり、思っていたほど面白くなかったり、あるいは退屈な文面に閉口したり・・・。本って、とっかかりが本当に大事だと痛感します。そんな中、立て続けに買ったのにまだ読み終えていないものを書き並べました。読みたいのに時間を作れない。まあ、時間は作れるのにできたその時間でこうやって文章を書いている(典型的な逃避ですが)からいけないのは重々承知。でもこの本は、絶対面白いはずなんです。どうか、速読できる皆さんにそのコツを教えていただきたい!

●「子供たちにタバコの真実を<37万人の禁煙教育から>(平間敬文:かもがわ出版)

●「知的アンチダイエット生活」(夏目祭子:新潮社)

●「二重洗脳<依存症の謎を解く>」(磯村毅:東洋経済新潮社)

●「できる男は2食主義」(石蔵文信:メディカルトリビューン)

●「仕事メシ入門」(鈴木志保子:ベースボールマガジン社新書)

●「言葉で治療する」(鎌田實:朝日新聞出版)

そういえば、「面白いから読んでごらん」と誰かに渡したまま返ってこない本、10冊以上はあるなあ。今どこに眠っているんでしょうか。

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ね。

「こちらにしばらくおかけくださいね。」「お待たせしていますね。申し訳ありませんね。」「次は○○番の部屋に行ってくださいね。」・・・うちの職場のスタッフが仕事中に受診者さんに話しているのを聞きながら・・・やっぱり、おかしい!と思ってしまいます。

「お座りください。」「お待たせしています。申し訳ありません。」・・・これで十分です。というよりこっちが本当の使い方で、わざわざ礼儀正しくていねい語を使っておきながら、最後に「ね」をつけてしまったら、その途端にタメ口になってしまいます。「ね」ひとつで、フォーマルがカジュアルに変身してしまいます。せっかくタキシードを着たのにスニーカーを履いてしまっています。よく最近は自分のことに対しても「~しますね。」という云い方をするのを聞きます。どうも、話す側は「ね」をていねい語だと勘違いして、「ね」を付けることでよりていねいで柔らかい話し方にしようとしているのではないかと思うのです。

ことば使いは常に進化(ではなくて「変化」ですね)します。場の多くの人が、この「ね」に違和感を感じないのであればやむを得ませんが・・・でも、やっぱり変だよ!と思う偏屈オヤジなのであります。

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カーボカウント

糖尿病の治療にあたって、今「カーボカウント法」が旬です。

これまで、糖尿病の食事療法はカロリー制限を基本にしてきました。<1単位=80kCal>というのは糖尿病に関連していない人でもよく知っています。ところが、急激に血糖値を上げるのは炭水化物(カーボ)なのだから、食事中に含まれる炭水化物の量だけをカウントしてコントロールしていけば血糖管理ができるという考え方がアメリカから入ってきました。

1カーボ(炭水化物の単位)が15gだとか10gだとかその考え方はいろいろあります。どの考え方でもいいので、自分が日常の中で口にする炭水化物の量がどの程度なのか、まず自分でカウントしてみてください。いずれにせよ、炭水化物の量が多いほど食後高血糖を起こしやすく動脈硬化の危険因子が増すということを考えていくと、炭水化物を摂り過ぎないことが血糖管理のためには重要だということは良く分かると思います。

具体的なカウント法については成書にゆだねるとして、ここで気になることがあります。血糖を上げるのは炭水化物であって、卵も肉も魚もあるいは脂肪も関係ない。だから炭水化物を極端に減らせばタンパク質や脂肪は無制限に食べられると思い込みがちです。低炭水化物ダイエットや低インスリンダイエットと混同している人もいます。カーボカウント法はやせるための方法ではありません。基本的には(特に日本人は)必要な炭水化物量をきちんと摂ることと脂肪やタンパク質の量はほどほどにすることが大事だと、わたしは今でも思っています。

また、以前ここでも書いたように、炭水化物の代表である「ごはん」は噛まないと食後血糖を引き上げますが、噛めば噛むほど血糖の上がり方を緩徐にするということが分かっています。このように、単純に炭水化物の量だけでなく、どうやって食べるかということでも差はつかないのでしょうか。

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魚は焼魚か煮魚がお勧め

魚にはω(オメガ)-3系(n-3系)脂肪酸が多く含まれ、これがコレステロールの質を良くしたり血液をサラサラにする効果があるので、魚をたくさん食べているとその恩恵で心筋梗塞や狭心症などになりにくいのだ、ということは周知の事実です。

先日、米国心臓協会(AHA)年次集会で発表された研究によりますと、「煮魚や焼魚は心臓への保護作用があり健康によいが、フライはそれほどでもない。体のためにはフライや干物、塩漬けは避けた方がよい」のだとか。まあたしかに一理あると感心しながら、むかしから欧米よりも魚食が多い日本人の場合は、そんなことあまり気にしなくてもフライと干物ばっかり食って「わたしはいつも魚を食べているから大丈夫」などと信じている人は多くはないだろう(最近の若い人たちの発想は奇想天外だから、意外にそれ、甘い考えかしら?)と思いました。

ω(オメガ)-3系脂肪酸の恩恵は女性より男性の方が受けるようです。女性は植物性ω(オメガ)-3系脂肪酸が含まれる大豆製品(とうふなど)を多くとって、減塩もするとより効果的という注釈がついていましたが、これこそ男女を問わず当たり前のことです。もっともこの魚食の恩恵を受けやすいのは、白人や日系アメリカ人、ヒスパニック系男性だという結果も付け加えられていました。疫学的な検討では人種が大事とは、昨日書いたばかりですが、まさしくそれを示している結果です。

生魚も検討したようなのですが、心保護作用について積極的な示唆がありませんでした。調査対象の中に、生魚を食べる人が少なかっただけかもしれません。

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わが国での知見

第68回日本癌学会で、「肥満とがんとその予防:アジアのエビデンス」というシンポジウムが行われたという記事を、先日ある医療雑誌で読みました。

いわゆる疫学研究や、あるいは生活習慣病の予防に○○は効果があるとかないとかいうこの手の研究の最大のネックは、「人種」だと思います。くだんのシンポジウムが開かれた理由も、肥満と発がんに関する研究結果が欧米からはよく報告されているが日本やアジアからはあまりない、という事実にあったのだそうで、アジア(特に日本)には欧米と同じような因果関係が云えるのか云えないのか、そこを議論し合うのが目的だった、と書かれておりました。

とても大切なことだと思います。○○はがんに効果がある、△は心筋梗塞による死亡率を高める、などなどの報告が欧米から次々に発表されるたびに、わが国のマスコミは大騒動します。ちょっと騒ぎすぎではないかといつも眉を顰(ひそ)めます。特に生活習慣病に関する疫学調査は、アメリカ人の結果が出たところで、そのまま日本に通用するとは到底思えません。体格も背景になる遺伝体質も生活習慣も全く違う国の結果は、同じ人間だというだけのことでほとんど別の星の生き物の報告でしかない、とわたしは考えています。日本あるいはアジアのデータを欧米の報告より蔑視する人が居ます。アメリカからの報告とベトナムからの報告が正反対だったら、アメリカを信用する人。でももしかしたら、それは単なる人種の差だけの問題かもしれません。ですから、日本で発表されている久山町研究(2009.9.13)NIPPON DATA(2009.9.14)などはとても貴重なデータなのです。

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ゴロゴロ兄弟

「自分の生活を見直すために、ちょっと試しにチェックをしてみてください!」

先日、うちのセンターの管理栄養士さんがそう云いながら小さなリーフレットを医局の医師の各々の机の上に置いていきました。世に名を馳せた(まさか知らない人はいないでしょうね?)「食事バランスガイド」のリーフレットですが、よく見るとなんかちょっと違います。
カッコいい中高年をサポートする>というカンムリが付いた「食事バランスガイド」のリーフレットです。農林水産省の発行物にしてはとっても場違いなイラストがあります。そのイラストの登場人物は、ちょっとだけ<ゴルゴ13>に似ている通称<ゴロゴロ兄弟>です。

兄:通称「ゴロゴロ50」
 本人はエネルギッシュなつもり、でも周囲の評価は油ギッシュ、という勘違い中間管理職。そのダメリーマンぶりに、シビアな目線が(特に腹回り)。

弟:通称「ゴロゴロ40」
 つまみ食い、つまみ飲み、暴飲暴食が癖の定食屋の亭主。常連客に言われて、自分は糖尿病かも、と心配している(でもやめられない、止まらない)。

よろしかったら、ちょっと覗いて、ちょっとチェックをしてみてください。つい最後まで読んでみたくなる、なかなか良い出来のリーフレットです。もちろん、若者向けや高齢者向けもあるようです(http://www.maff.go.jp/j/balance_guide/b_sizai/index.html)。

無意識の
食べ過ぎが生む
その脂肪

つまみ食い
常に満腹
あらメタボ

弟:「主菜」と「副菜」って違うのかよ・・・
兄:お前、それでよく調理師免許取れたな・・・

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日本禁煙学会

久しぶりに日本禁煙学会のHPにアクセスしてみました。

すぐ目に入ったのは、
「NHK『ためしてガッテン!』(2009年11月25日放映)の重大な誤りに対する訂正放送の要請(2009/12/3)」でした。

**************
NHKは「女性肺ガンの8割は原因不明」と放送した「ためしてガッテン!」の間違いを訂正してください。-女性肺ガン死の少なくとも4割はタバコが原因です。しかも、毎年4千人近くが家庭の受動喫煙で肺ガン死するという、あってはならない事態に警鐘を鳴らすべきです-

控えめに見ても、日本人女性の肺ガン死の18%は能動喫煙、22%は受動喫煙に原因があります。女性肺ガン死の少なくとも4割はタバコが原因です。
**************

冒頭でそう宣言したあと、その根拠を具体的なデータと一緒に書き並べていました。書いてある内容は、疑う余地もなく<蓋し正論!>だと思いますし、ただただ「偉いなあ」と思いました。

「貴重なご意見をありがとうございました。データについては考え方の相違もあるかもしれませんが、NHKとしても十分な確認と検討を行った上で放映を行いました。・・・」などと書かれた形だけの回答書が届くのは目に見えていますから、このパフォーマンスを一般市民のどの程度の人が知ることになったのだろうか?と思うととても勿体ない気がします。このHPに載っているだけということはない(ここはマニアックな人しかやってきません)のでしょうけれど、これをちゃんと雑誌や新聞などのマスコミに告知したのでなければ、ただのマスターベーションの自己満足で終わりそうでな気がして、きっと誰も知らないままの一人相撲になるのではないかと懸念するのです。それでなくても、この手の主張は、ものの見事に揉み消されます。国のやることを甘く見てはいけません。「健康のことよりも利権優先」・・・そう堂々と明言する政治家たちはまるでマフィヤかCIAのようですが、露骨に圧力をかけることを躊躇しないのがタバコの世界です。本気で戦う気なら、ピースボートのように顰蹙覚悟で戦うしかないのでしょう。・・・さびしい社会です。

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良く分からん

我が家にある某銀行の貯金通帳が「Web通帳」とやらに変わりました。大して入っているわけではないのですが、都市銀行の通帳なので熊本支店に行くこと自体が至難の業なのです。「『そんな人こそこのWeb通帳が便利なのです』って云われたからそうしたよ」と、ある日わたしが仕事から帰ってきたら妻が事もなげにそう云いました。「近いうちに詳しい書類が送られてくるから、それを読んだら簡単にわかるんだって」だそう。

で、その書類が先日送られてきました。「ポイントバック/残高別金利型普通預金(通帳不発行型)をお申し込みのお客さまへ」と書いておりまして、何だか一杯文字が書き並べられておりました。ところどころに下線が引かれておりますので、きっとそこは重要なのでしょう。でも途中で読むのを止めました。書いてあることがチンプンカンプンなのです。字は決して小さくありません。金に関わる規約・規定なので省略や通称が使えず固い言い回しではありますが、きちんと内容を整理して箇条書きにしてあります。下線だけでなく、枠でくくったりしていろいろと工夫しているようです。でも、用語を含めて、何を云いたいのかよく理解できません。何が強調されて何が重要なのか?きっとちょっと詳しい人が読んだら簡単にわかることなのでしょうけれど・・・素人のわたしには、誰かが横でポイントだけ具体的に説明してくれないとわかりませんよ。、

わたしは同じようなものを見たことがあります。それは・・・うちの病院のある施設の使用定款です。小さくない文字、箇条書き、固い言い回し、重要ポイントの下線・・・あの定款もきっと普通の人にはわかりにくいことが書き並べられているんだろうかなあ。

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自己紹介

「おつかれさまでした。わたしは○○と申します。どうぞよろしくお願いします。」

健診の結果を説明するとき、部屋にお呼びした受診者の方にまず自己紹介をします。「結果説明や保健相談など、受診者と初めて向かい合うときにはまず自己紹介をしてください。お互い初対面なのですから、それが社会の常識です。」・・・研修会などに行くと必ずそう云われていましたが、実はつい最近までわたしは自己紹介をしませんでした。 ・・・入院患者さんの主治医になったときに最初にあいさつするという経験はありますが、外来ではいつも相手がわたしを指名して来たわけですし、今でも部屋の前には写真付きの名札がでっかく掲げられているのだから・・・「あまり自己紹介の経験がないから」というより、「気恥ずかしいから」が一番の理由だったように思います。

ある事情で、「意識的に自己紹介をしましょう」ということになったので、勇気を出して自己紹介をしてみました。すると、一瞬にして相手の表情が変わったのがわかりました。初めてわたしの目を見、名札を確認し、そして会釈を返してくれた顔はにこやかでした。もっと戸惑うのかと思っていたので内心驚き、そしてホッとしました。この瞬間、2人のニンゲンが初めて同じ空気の中で互いに向かい合ったことを実感しました。相手にわたしの話を聞こうとする空気ができたことがすぐにわかりました。とても良い感じで話が進みました。

まだちょっと気恥ずかしい気持ちをぬぐえませんが、でも今はスムーズに自己紹介できるようになりました。いかに互いのこころを開かし合うことが素晴らしいことかを実感しています。

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常緑樹と落葉樹

ここ1、2週間で我が家の庭のハナミズキの紅い葉が完全に落ちてしまいました。来る日も来る日も落ち葉を掃き集めるのが大変でずっと舌打ちばかりしていましたが、なくなってしまうと、途端に無性に寂しくなりました。街路樹の銀杏も公園の紅葉もみんな一気に色づいて、そして一気に落ちていきました。「落葉樹」~日本に四季があるのと同じように、落葉樹の一年もとても華やかで見事です。落葉樹は辛い寒さに耐えるために(あるいは乾燥に耐えるために)さっさと大きな葉を落として乗り切ります。いよいよ冬眠の季節になったわけで、寒さにじっと耐えている姿が健気です。

それに対して、年間を通して青々とした葉をつけたままでいるのが「常葉樹(常緑樹)」です。職場から見える小学校の校庭には紅葉した見事な街路樹が何本もありますが、ふとその手前の空き地を見ると、そこには緑の葉をたわわに付けた大きな樹木・・・何だか不思議でした。その不思議なコントラストを眺めながら、落葉樹と常葉樹(常緑樹)の間にある差を何となく考えていました。若いころ、木は常に青々としているものの方が優れていると思っていました。常に青く活気に満ちている常葉樹(常緑樹)のようでありたいと願っていました。人はいつまでも若くいたいと願い、いつまでも歳を取らないことを理想として求めます。でも、本当は落葉樹の方がはるかに余裕があるのではないかと思えてきました。環境に合わせるかのように姿を変えながら、でも華やかなときをきちんとアピールしている落葉樹の方が、与える印象はとても強いのです。・・・そんなことを思いながら何だか感動しておりました。

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脚を組む医者

「今初めて聞くことばかりです。そういうことを外来で説明してくれていたらちゃんと分かったのに、外来の医者はそんなこと何も話してくれなかったんですよ!何か、偉そうに脚を組んで、椅子に寄りかかって腕組みなんかして・・・」

人間ドックを受診されたある女性が、外来受診をしたときのことを吐き出すように一気に話し始めました。説明の量と質に差が出るのは、医者の忙しさと経験とキャラクターに依存するところが大きいのでいたしかたないところもありますが、このドクターについては以前にも一度違う受診者の男性から、「『健診ではこのような大したことないものをとても大げさに検査させたがる』と云われたが、その態度がとても不愉快だったから、わたしはその医者の云うことを信用できない」という文書の意見をいただいたことを、妙に印象深く覚えています。

わたしはそのドクターをほんのちょっと知っていますが、思うに、その姿は彼のクセなのだと思います。仕事中に限らず、いつも長い脚を折り曲げて組んでいますし、少々斜に構えて腕を背もたれに絡ませるか腕組みしたりしている姿しかわたしの頭の中にイメージすることができません。ただ、そのクセが、言葉や態度と相まって「不信」を呼んだのだとすると、それは彼にとってもの凄く損なことです。

自分のクセはなかなか自分では気付きません。こういう意見を耳にするとき、それを他人事だと思わないように心掛けています。おそらく大なり小なり自分にも似たようなことをどこかで云われていると考えることにしているのです。これも「鏡の法則」と云えるかもしれませんから。

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インクレチン

「インクレチン」というホルモンがあります。

腸などから出てきて、膵臓からインスリンというホルモンが出るのを強めるホルモンです。ものの本によると、ブドウ糖を口から飲んだ方が、同じ量を静脈注射するよりも2倍以上インスリンの出方が多いのだそうです。それは、腸を通った方がインスリン分泌を促すインクレチンが働くからに他なりません。

このホルモンをうまく利用した糖尿病の新しいくすりが数種類、一気に発売されることになり、臨床現場では期待が膨らんでいます。インクレチンというホルモンはインスリンがたくさん出るように働くのですが、実は血糖が高いときしか作用しないのです。ですから低血糖になる心配がありません。なんと分をわきまえた物質なのでしょう(きっと体内に存在するすべてのホルモンはもともと分をわきまえているものばかりなのでしょう)。それともうひとつ、インクレチンには、胃から食物を排出するのを遅らせて、満腹中枢を刺激し食欲を抑える作用、つまり肥満を抑える方向に向かう作用もあるというのです。肥満を伴う糖尿病の方に、糖尿病の専門医でなくても気軽に処方できる血糖改善剤が生まれてきたということになります。

この話題が載っていたページ(Nikkei Medical 2009.11)に、ベイスン(αグルコシダーゼ阻害薬)の保険適用に境界型糖尿病が加わったとことも書かれていました。画期的なことです。まだ病気ではない<予備群>の状態にクスリを使って良いということだからです。<食後高血糖>予防が如何に重要かを国が認めてくれたことになります。

糖尿病治療の様子も徐々に様変わりしつつあるようです。

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アスリートにとっての「運動」

「むかしは選手として国体にも出たことがあるのですが、今は運動を何もしていません」

こういう云い方をする元アスリートの方がたくさんいます。おかげで大きな体になってしまった人もいれば、ほとんど変わらない体型の人もいます。総じて云えることは、彼らは「運動」に対する考え方が厳しすぎます。というか、思い込んでいる「運動」の定義がきっと間違っています。彼らはヘトヘトになるまで汗だくでカラダを苛める肉体運動をして、初めて「運動をした」という実感に満足するようですが、わたしたちはそんな激しいモノを求めていません。

メタボ対策のために推奨されている「健康づくりのための運動指針2006」によると、「運動(exercise)」とは「健康増進や体力向上など意図を持って余暇時間に行うレジャー・スポーツ」と定義されています。楽しむものが「運動」ですのでもっと気軽なモノです。さらに「日常生活を営む上で必要な労働や家事に伴う身体活動」のことを「生活活動」といい、この「生活活動」と「運動」を合わせて「身体活動」ということにしています。メタボ対策では、この「身体活動」の量を一定以上増やせばいいのです。ゴロゴロしなければいいのだから、階段を昇るのも、コピー室まで歩いていくのも、あるいは背筋を伸ばしてパソコンを打つのも、どれも立派な身体活動といえます。

現代人は、実は「運動量」は特に減っていません。むしろ前より増えているそうです。ただ「生活活動」が極端に減っています。スポーツジムやプールでガンガン運動するけど、帰ってきたら後はソファに横になって一日中テレビを見ている、という人はいませんか。・・・意図的にゴロゴロしない生活をする、そのことの方が定期的に運動をすることよりもはるかに大変なことで、これは元アスリートも同じようです。

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行政の思惑

熊本市がCKD(慢性腎臓病)対策に積極的に取り組むことを宣言しました。熊本県は人工透析患者さんの数が全国トップレベルの水準(人口比全国の1.4倍)なのだそうです。

そのために、軽度のCKDから腎不全の状況に至るまで、健診などですべてを見つけだして、その全員に「かかりつけ医」を紹介させる計画を立てています。特に中等度以上のCKDの患者さんは、かかりつけ医がさらに専門医に紹介して医療連携を密に取り合おうというものです。ここでいう「かかりつけ医」とは、地域のクリニックや医院のことで、熊本市の方針に賛同して手を挙げたところがすべてリストに載ります。「かかりつけ医」がいないために、早く治療をすべきなのに放ったらかして悪化させている人が少なくないので、とにかく日頃を管理してくれる「かかりつけ医」を作ろう、という目論見です。計画はとても壮大で大変ですが、やろうとしていることは予防医学の基本ですので、モデルケースとして是非成功させてほしいと思っています。

でも、ひとつだけどうしても納得がいかないことがあります。もはや誰が診ても専門医の診察が必要だとわかる人でも、「まずは『かかりつけ医』に紹介してほしい」と頑ななのです。どうして直接専門医に紹介してはいけないのか?それは「かかりつけ医」ネットワークを確立させたいから、というそれだけのこと?。そんな行政の都合や思惑のために、直接受診したらまったく必要のない<無駄な医療費>と<無駄な受診日(仕事を休んで)>を作れ、なんて絶対云えるはずがありません。直接専門医→それから「かかりつけ医」で、何が悪いのか説明してごらんよ、とそう云いたくなります。行政が把握するのが煩雑なのでしょうか。

自分が自分自身で受診することを考えたとき、答えは簡単に出てきます。すべては市民のために!そう胸を張って云えるシステムを細かく構築してあげてほしいと思います。

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かかりつけ医

自分の「かかりつけ医」をお持ちですか?

病院にかかったことがない?健診に行ってるから大丈夫?信用出来る医者がいない? ・・・以前にくらべると「ジェネラルドクター」または「ホームドクター(家庭医)」の重要性が理解されてきつつありますが、それでも「今かかっている○○先生は消化器の専門だから心臓のことは信用できん」とか、そもそも「医者は頼りにならん」とか云う人も多い時代です。日本人は特に専門医志向、大病院志向がまだまだ根強く、「大学病院の●●先生は糖尿病の権威だから」と、遠い町までただ採血を受けるためだけに通院している人も少なくありません。本当に寂しい時代になりました。こういう考え方はお互いに何も得られない気がします。

当たり前のことですが、医者の努力は必要です。単に専門領域以外をいつもしっかり勉強しています、というだけではダメのようです。<地域のネットワークを広げ、地域全体で住民を守っていく>という意識を作ることが大切で、受ける側もまた、それに委ねるのみではなく<自らがネットワークに参加して地域で助け合っていく自覚>を持つことも必須です。でも、権利意識となわばり意識の強い日本ではなかなかうまくいきません(遠い昔は普通にあっていたことですけれど)。

そんな中、あるクリニックの院長が地域に働きかけ、地域の「かかりつけ医」同士や行政、コミュニティが連携を取り合い、地域全体を「面」でカバーし合うシステムを作ろうとしている地域があります。素晴らしいことだと思います。院長も住民のひとりです。する側もされる側もいろいろな意見を出し合って、ここに住んでいて良かった、と思える社会にしてもらえたらいいなと思って見守っています。

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やせると頭痛は治る?

先日、ある企業でメタボの話を1時間半ほど講演しました。就業後の夜であり、他の会議も重なっていて参加者は少数でしたが最後まで熱心に聞いていただきました。

講演後のアンケートの中に、「やせると頭痛は治りますか?」という質問が入っていました。もちろん頭痛の原因はピンキリですからまずは原因究明が必要でしょうが、でも経験上、頭痛が治る可能性は低くないと思います。

まず、睡眠時無呼吸の人。頭痛が続くから詳しく調べてみたら睡眠時無呼吸がみつかったという人は少なくありません。寝ている最中に低酸素血症が続くために頭痛が誘発されるようです。こういう人のうち、太っているためにそうなっている場合は、やせることで睡眠時無呼吸が改善しますから、悩まされていた頭痛から解放されるということは大いに期待できると思います。

それから高血圧の人。わたしは高血圧症ですが、ずっと症状はないと思っていました。肩凝りから来る頭痛がちょっとある以外はほとんど何もない、と。ところが内服治療を開始して血圧が正常になったら、肩凝りも頭痛もなくなりました。「ありゃ、あれは高血圧の症状だったのね」と驚いたものです。ですから、メタボ系のカラダが原因で高血圧になっている人はやせることで頭痛を解消できるかもしれませんね。

頭痛は一筋縄ではいきません。もちろんやせるために運動することで血行は当然良くなりますし肩凝りも減ってきますから、やせなくても改善するかもしれませんが、ただ逆にもっと重い病気の存在を訴えている場合もあります。やせるための努力をしても頭痛が取れない場合やかえってひどくなる場合は、あまりいつまでも引っ張らずに病院に行くことをお勧めします。

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保健相談

「次は保健師から保健指導がありますから、ここでお待ちください。」

フロアアテンダントの女性が、受診者の男性にそう話しているのが聞こえました。それを聞いていて、何か違和感を感じました。はて、何がおかしいのだろう?そう思いながら仕事を続けていましたが、やっとわかりました。最近は「保健相談」ということばを使うので、「保健指導」という単語が耳慣れなかったのです。

「保健指導」「栄養指導」「運動指導」・・・やっていることは同じかもしれませんが、「指導」とつくと明らかに初めから<上から目線>です。「きみの成績は不合格ラインだから、これからわたしの云うとおりにしなさい!」・・・進学校の先生や塾の講師からそう云われたことはありませんか?<専門家が指導してあげる>これが今までの健診現場の態度でしたが、その一方通行なやり方ではあまり成果があがらないことがわかってきました。だから最近は「保健相談」「栄養相談」「運動相談」・・・本人の考えや意見を引き出しながら、本人が自分の意志で決めたことをサポートする、という考え方に変わってきています。その分、云い方は優しくなりましたが、でもまだまだ中身は「指導」型のことが多いのではないかと懸念はしています(何をしているか覗き見たことがないのでわかりませんが)。

ところが、国が進めているメタボ健診は、「特定保健<指導>」です。不合格者を呼び出して、尋問し、無理矢理に決め事をさせて、頑張っているか監視する、そうしなければこいつらは生活を変えないに決まっている!・・・そんな声が聞こえてくる気がします。それだけ国民の健康と財政が逼迫(ひっぱく)しているということなのかもしれません。

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漢方薬はくすりにあらず?

民主党が頑張っている何たら仕分け作業の中で、「漢方薬を保険適用から除外する」という案が出ているとのこと。漢方薬は薬局で買えるから民間療法や健康食品と同じ、という考えなのだそうで、聞けば聞くほど愚の骨頂、バカチンの発想に怒り心頭です。

一般文化人や知識人と称する人はもちろんのこと、医療者の中にも、西洋医学信者がたくさんいます。くすりを飲んだらこういう機序で風邪が治る。腹痛が治る。1対1対応の西洋薬こそが科学であり医学である、という考え方を一蹴しはしませんが、今や漢方や和漢の世界のエビデンスもたくさん発表される時代になりました。むしろ人間のカラダを全体として整える作用が人間には大切なのだということを知らしめてくれる事実はたくさん示されているのに、それを「まゆつば」だと云って目を向けない人たちがトップの方にたくさん居ます。患者さんの体質や症状から最適のくすりを選んで微妙に調整するのが漢方薬です(「叩くと埋める:凸と凹の医療」(2008.10.16))。「風邪?じゃあこれね」と誰でも同じものを出せる西洋薬とは根本が違います。だから、病院で処方する総合感冒剤や胃薬を保険適用外にする方がよっぽど理解できます(まあ大手製薬会社たちを敵に回す気などないのでしょうけれど)。

今、医療は古くて新しい時代を迎えています。「免疫療法なんて気休めだ!」などと云っていたのは遠い昔のはなしです。西洋医学+東洋医学+代替医療をそれぞれにうまく使い合わせていくことで、短所を補い合い人間のあるべき姿に近づけよう!・・・そんな本来の医療にやっと修正されようとしているというのに・・・時代遅れのバカチンにかき回されそうなのが残念でなりません。

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習慣だから

予防医学を考えるとき、一番陥りやすい考え方の誤りは、「病気になったらまず生活療法をしましょう」ということだと思います。これは本当にナンセンスです。どうでしょう。世の医者たちの多くがそう考えていると思いませんか?・・・以前、順天堂大学の河盛先生が「糖尿病になってからやっと<何とかしよう>と考え始めるから、私たちのところに紹介されるときにはもう手遅れ状態なんだ」とぼやかれていたことを思い出します。つまり「病気になってから」では遅すぎる、ということです。

それでは、「予備群だから今のうちに生活を変えよう」という考え方はどうか?わたしはそれもナンセンスだと思っています。人生の基本は<病気>ではないからです。病気にならないために生活を変えるのはおかしなはなしです。普通に自分の人生を全うする上で、自分の体質を知って、現代社会に合った生き方をするために今習慣を変えておいた方が絶対的に得だと思われる人たちがいます。病気云々を考えるよりはるか前に、子どものころから習慣付いてしまっておけば、何ら悩むことのない人生を送れるのだから、そのことをもっと積極的に理解してほしいものだと思うのです。

わたしが豆腐に醤油をかけないのは、高血圧だから注意しているのではありません(「その『常識』は非常識?」2008.3.5)。そっちの方がおいしいことを知ってしまったからです。こんなはなしを受診者の方に話しても、「いや、そりゃそうかもしれないけれど・・・」と多くは苦笑いするばかり。どうしてそんなに石頭に凝り固まってしまったのでしょう?皆が思っている以上に、各々に合った楽しい別世界が必ず準備されているというのに、もったいない!

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