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無理をしている満足感

働きながら好きな<芝居>を続けている知り合いがいます。メンバーのみなさんの仕事が忙しくてなかなか人数が集まらずに十分な練習ができないのが悩みのようです。

本業は仕事なのだから、生活を犠牲にしてまでがんばるのは本末転倒だし、そんなことをしてると続けるのがむずかしくなるから、あまり無理をしないようにして続けよう・・・これが社会人としてのこういう活動の基本的な考え方のように思います。

ただ・・・ふと自分のこれまでの人生のいろいろと重ね合わせながら考えてみるのですが・・・本当は、無理をするから頑張れるんじゃないのだろうか?「無理をしながら何とかできた。もうこんな思いはまっぴらだ!」と思いながら、そんな頑張った自分の中に漂ってくる満足感がたまらなく快感で、ドッとドーパミンが溢れ出てくるのにまかせて、「ど~れ、また次も頑張るか!」という気持ちになる。これを「中毒」と云い、「リセット禁煙」の磯村毅先生が書いた『二重洗脳』(東洋経済新報社)に出てくる、タバコ・酒・ギャンブル・セックスにおぼれるメカニズムとまったく同じことだと云える気がします。

だとすると、「無理しない程度に続けよう」は本当に楽しいのだろうか?というか、そんなことで続けられるのだろうか?そんな疑問が最近急に強くなってきました。「それが趣味であり、だからこそいつまでも続けられるんだよ」・・・そんなことを良く聞きますが、本当にそうなのだろうか?

<人間は報酬系と懲罰系のバランスで生きている>・・・そのギャップが大きいほどに<快感>が生まれ、さらに刺激を求めてマゾのように懲罰系を探していく動物なのだと思っているのは、わたしだけでしょうか?

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