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2010年3月

始末書

先日「エクスキューズの注意点」で書いた、くだんの担当者のことを、ケアマネージャーをしているある友人に話しました。

「その人、たぶん何度も似たようなことをしでかしていると思うよ。」・・・彼女は事もなげに即座にそう云いました。
「なんで?」
「だって、『努力します』ということばは始末書の必須用語なのよ。『今後こんなことがないようにします』ではダメなの。根拠がないから。だから『努力します』って書かなければならいのよ。ということは、この人、始末書を何度も書いて、書きなれていると思うよ。」
「げ、そうなんだ!」・・・ちょっとショックでした。

「そりゃいかんね。お客様に書く文書と始末書に書く文書が同じではサービス業は成り立たないんだということを、彼にはちゃんと教えておいた方がいいね。」
「その人、いくつぐらいの人なの?」
「35歳前後かな?」
「じゃあ、ムリ!」
「なんで?」
「20代の若い人なら何とかなるけど、その歳になっても始末書を繰り返しているようなら、その人は絶対直らない!と思った方が良いよ。」

ものの見事に、バッサリと切り捨てました。管理者っていうのは、こういう評価の仕方をするんだなと、ある意味感心しました。でも、これから長い付き合いになる男のことなので、わたしはちょっと憂鬱です・・・。

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地域医療学センター

わたしの研修医時代の同僚が、この度、ある国立大学の教授に就任したそうで、その記念祝賀会のご案内が届きました。大変うれしいことですので、是非参加させていただこうと思っています。

彼が教授になった講座が<地域医療学センター>という聞き慣れない名前でした。
案内状には、
「本センターは医学生や臨床研修医に対する地域医療学の研修・教育、総合診療医の育成や地域で活動する医師のキャリアパス形成の支援、地域医療に関する調査・研究ならびに最新の医療技術・知識の普及活動等を通じて県の地域医療の向上を図るために開設されたものです」
と書いてありました。まあ、どこかの国語の授業で使えそうなくらいの見事な悪文でして、何度読み返しても今ひとつ具体的なイメージがわきませんが、ネットで検索してみたら多くの大学に講座やセンターが作られており、概念としては皆似たようなことを書いてありました。

つまり、これからは<人間全体を診る>ジェネラルドクター(総合診療医)が如何に重要かを教育し、地域住民と地域社会に貢献できる医者を作ることを目的にした(?)講座・・・あれれ、これも今ひとつわかりにくいですね・・・とにかく、形だけでも徐々に<医道>として臨床医の本来あるべき姿を求める講座ができてきているということは、喜ばしいことだと思います。とても期待していますし、興味があります。そんな教室に彼が教授になって就任したことはさらにうれしいことです。専門を追求することこそ<科学>であり<医学>である!という考えだったこれまでの学研の場で、<地域医療学>が真の意味での市民権を得るまでにはまだまだ茨の道だと思います。でも、そんな中だからこそ、どうか人間らしい良い医者をどんどん輩出させてもらいたいと願っています。

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要らないもの

わたしたちの施設にはドックの会員制度があります。毎月積み立てをしてもらいながら定期的にクオリティの高い内容の人間ドックを受けてもらう仕組みです。

ところが、次年度からはその会員全員に、毎年<骨密度検査>を行うことにしたという報告を受けて、医者たちがちょっと騒ぎました。
「そんなもの、毎年受ける意味なんてあるの?」
「いや、希望を取ったら『毎年受けたい』という人が大多数なんですよ」と担当者の返事。
「受診者が『受けたい』というから受けてもらうことにしました、というのはあまりに短絡的で節操がなくはありませんか?微量だとはいえ被曝するんですよ!」
「・・・・」

もう公示されてしまったことなのでやむを得ない、ということで結局そのまま検査をされることになりました。会員制のドック内容はオーダーメイドで各自の病態に沿った内容のアレンジメントができるようにしてありますが、どうせ高い金を払っているのだから調べてもらえるものは何でも全部受けたい!というのは、受診者としては当たり前のことです。でも、骨密度検査のように、毎年しても急に大きく変化するものでない上に被曝をするような検査はそのメリットとデメリットをきちんと当事者に説明してあげないといけないんじゃないのかしら。

わたしたち下っ端にはどうしようもないことだから、ここにこっそりグチってしまいました。

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わたしたちの施設のCT検査の待合室に、某霊能者の著書が一冊置かれていたことに対して、「こんな科学的な検査をするところに、そんな非科学的な本を置くなんて、良識を疑います」という投書がありました。

それに対して、「即座に撤去しました」とは担当者の弁。そんな顛末の報告を聞きながら、クレームを云う方も云う方だけど、またそれを大慌てで撤去する方もする方、なんかどっちもどっちだなあと思いました。別に嫌なら読まなければ良いことだし、そんなことを云い始めたら、待合室に転がっているゴルフ雑誌はどうして許せるのか?地元経済雑誌なんて興味もなくて面白くない!と書かれたらそれをも撤去するのだろうか?などと、ついつい穿って考えてしまいます。

病院の待合室だけでなく、食堂でもオフィスでも床屋でも役場でも、待つ時間を潰すためのスペースには何かの本が置かれていることが多いですが、あれはどんな基準で決めているのだろうか、と考えることがあります。万人受けするいろいろな方面の本を取りそろえるも道理、提供者の考えに沿った本だけを置くのも道理。先日コンタクトレンズを作りに行った眼科には本が一冊も置かれていない上にテレビもありませんでした。きっと「目を休めなさい」というポリシーなのでしょう。

この機会に、うちの施設では並べる雑誌の種類を再検討するのだそうですが、一体、誰のどんな考え方でラインナップを決めるのかちょっと興味があります。わたしの持っている単行本や文庫本を寄付してあげてもいいよ~。とっても面白いと思うよ~(もっとも、かなりマニアックで偏った医者の本ばかりだからクレームの嵐は必至かも)!

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頭痛

「ちょうど詰まっている血管の辺りは痛みを感じ易い部位ですからその頭痛は取れないかもしれません。うまく付き合ってやってください。」

わたしが産業医をしている企業で働くひとりの男性が、ある大学病院の教授からそんなことを云われました。脳動脈瘤に対するカテーテル治療のときに血管解離を起してしまいまして、病変部はそのまま詰まって結果としては事なきを得たのですが、その代償として頑固な頭痛が彼を悩ませ続けているのです。

「医者と云うものは、大事に至らないことに対しては冷たいというか淡白です。腫れ上がっているとかいうのと違って、自分だけが分かる苦しみに対して成すすべがないのは辛いですね。」
「はい。教授も『この程度で済んだのはとてもラッキーだ』というニュアンスの事を云って痛み止めを出してくれました。ずっと付きわないといけないのでしょうか・・・。」

彼はいくつかの大きな病院の脳神経外科や神経内科を受診しましたが結果は同じでした。CTやMRI検査に大きな問題はなく、「筋緊張性頭痛」とか「肩こり」とかの診断名とともに痛み止めをもらってきました。わたしの行きつけの整骨院を紹介して通院もしていますが、1~2週間に1度の通院ではそう画期的な改善は望めません。会うといつも冴えない顔をして覇気のない虚ろな表情をしています。

きっとどこかに彼の悩みをスッキリ取れる方法を知っている医者がいるはず。そう思いながら、無力な産業医であることを痛感するわたしです。とりあえず、どこかの頭痛外来を勧めてみるしかないのでしょうか。

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受け入れる

先日、友人のお父さんが胃がんになったという話を聞き、母のことを思い出しました。

が噴門部の胃がんで亡くなったのはわたしが医大生の頃でした。当時は「本人に告知する」ということはまずなかった時代で、うちも告知はしませんでした。胃の切除のために開腹はしましたが、すでに腹腔内に広く転移していて手が付けられないと判断した主治医は腹腔内リンパ節の郭清や知覚神経の切除だけをして腹を閉じたと聞いています。おかげでかなりの期間食べることができましたし最後までがんに伴う激しい痛みはみられませんでした。本人には「手術を無事終えた」ということにしましたし、その後生まれてくるであろういくつかの矛盾もあくまでも胃潰瘍に伴う合併症として押し通すことになりました。

は、最後まで何も云いませんでした。「おかしい」と思ったはずです。徐々に悪化していく体調に<死>を覚悟した時点になっても、彼女はその不安や疑問を一度も身内にぶつけた形跡がありません。じっと自分の中だけで仕舞いこんでおいたであろう彼女の葛藤はいかばかりだったのでしょうか。告知されないことによる疑心暗鬼と不安感は、告知されたことによる焦りや諦観とよく対比されますが、どちらにしてもそれを自分の中だけで抑えてしまうことが並大抵なことではないことは想像がつきます。

友人のお父さんは告知を受けています。切除手術後に他の臓器への転移があったことも説明を受けました。「『想定外だ』と笑いながら言っていましたが・・・」と書かれた友人のメールからは、自分を鼓舞するのと同時に、我が娘に弱い父親の姿を見せまいと気丈に振舞うお父さんの心が滲み出てくるようでした。娘も父親も、それぞれの葛藤を繰り返しながら徐々に受け入れていく、そんな静かで厳しい時間がこれから始まるのでしょう。お互いに、人生の中で一番大切な時であるように思います。

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「おたくは精進料理ばかり」

先日、人間ドックを受けに来た食品会社のある社長さんがぼやきました。太ってはいないけれど内臓脂肪蓄積型の体型で、糖尿病に対して生活療法を続けている方です。2日に1回は接待がらみの外食や宴席です。酒はきらいな方ではないけれど、最近は宴会料理を食べると決まって翌朝カラダの調子がおかしくなるそうです。食べない日の翌朝はすこぶる体調が良い。ものすごく素直なカラダの反応をするお方です。

「自分がセッティングするときには概ね和食料理の店にします。豆腐のおいしい店や魚の煮物がおいしい店などです。それの方が自分の体調が良いということもあります。ところが会社の者からも、あるいは接待の相手からも『○○さんはいつも精進料理の店ばかり選ぶね』と皮肉られるようになりました。<ステーキにワイン><焼き肉にジョッキビール>の方がいいと暗に云っているのでしょうが、そっちはわたしとしてはとても辛いメニューです。しかも食べないと<場が白ける>とまで云われます。」

いまだにバブル絶頂期のような「どうせなら美味い肉をたらふく食わせろ!」というギトギトの発想の人が世間にはまだ多いのですかね。この社長さんのカラダは明らかに健康を求めて主張しています。お気の毒ですが、どうせ周りの人は他人の健康の責任なんて持ってくれません。云わせておけばいいんじゃないんでしょうか?・・・わたしだったら大喜びでついていきますけど。

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洋なし型体形は病気になりにくい

<洋なし型>体形は、<りんご型>体形より健康に良い。それだけでなく、糖尿病や心臓病の保護作用がある、とオックスフォード大学から報告がありました(International Journal of Obesity 2010 オンライン版)。

<りんご型>体型の基本である内臓脂肪からは、日々の必要量に応じて小まめに脂肪酸を貯めたり出したりしています。体中をいつも脂肪酸がうろうろしているために、ちょっとでも余ると、肝臓や筋肉にくっついてしまって悪さをする=それが糖尿病や動脈硬化、心臓病などを引き起こすことになるわけで、メタボリックシンドロームが内臓脂肪蓄積型(りんご型)肥満を基本としている所以です。それに対して<洋なし型>とは太ももや尻周りの皮下に脂肪が付くタイプで、女性に多いと云われています。こっちは本当に必要になるまでじっと蓄えていますので体内をあまりうろうろしません。うろうろしませんから悪さをしにくく、むしろ動脈硬化を抑えるホルモンが健全に働くので病気になりにくくなるのだと思われます。日本ではメタボの概念が提唱されたときからそう説明されてきていますが、その裏付けをイギリスでしてくれたことにこそ意義が大きいように思います。

<洋なし型>体形が、閉経前までの女性に多いこと(女性でも閉経後はだんだん<りんご型>に近くなってきます)は、取りも直さず、女性ホルモンが『種の保存』のための機能をがっちり守っている証しなのでしょう。心臓病もコレステロールも糖尿病も高血圧も、女性は子どもを作れる間はかなり依怙贔屓(えこひいき)に近い優遇措置の中にいます。それが、その権利がなくなった途端に、「あとは自分の力で頑張りなさい」と云わんばかりに男と同じ条件になるわけですね。

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難聴

時々テレビの声がよく聴き取れないことがあります。どうもボリュームを大きくしても同じです。先日受けた職員健診では特に異常はありませんでした。なのに、テレビに出ているお笑い芸人のトークをまだらにしか聴き取れないのです。耳が悪くなったんだなあと思うと、ちょっと落ち込んでしまいます。

先日、お笑い番組の特番で、むかしの漫才ブームのころの映像を見ました。「紳助竜介」「B&B」「ツービート」・・・あの頃抱腹絶倒だった彼らのしゃべりを<聴き取れない!>~これはショックです。雰囲気だけでおかしさを感じて笑いましたが、妙にじれったい感じがしました。むかしの映像で録音状態が悪いのかなとも思いましたが、会場に来ている若いゲストは笑い転げていましたからそんな理由ではなさそうです。次に「やすきよ」「阪神巨人」などの漫才の映像が出てきましたが、彼らはちゃんと聴き取れました。テンポの問題でしょうか?これだけの歳月が経っても朽ちることのない笑いのセンスだなと感動しました。

「難聴」の定義を良く知りませんが、音が聞こえるかどうかとそれを理解できるかどうかということは別次元の問題です。たぶん届いた音波を<声だ>と認識しているのに、それの<意味>を理解するところまで到達できないようです。素晴らしい滑舌で明瞭な声なのに、わたしの頭まで到達することが少なくなってきていまして、特に<早口>はついて行けなくなってきました。・・・「耳が悪くなった」のではなく、「頭がおろいくなった(大分弁ですみません~的確な標準語が浮かばなくて)」ということでしょうかね。

どっちにしたって、寂しいお話・・・。

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生かされている。

東京の劇団で芝居を続けている大学時代の友人が、胃がんになりました。

何かと心労が溜まって急性胃炎で通院していた診療所で、たまたま胃カメラを受けて組織検査してもらったらそれが早期胃がん(IIc)でした。組織型がちょっと気になりますが、それでも彼が早期胃がんを見つけてもらったということは、奇跡に近いのではないかと思います。

わたしたちの様に医療機関に勤務している人間は、年1回以上の<健診>を受けるのは当たり前のことです。一般企業で働いている皆さんも、事業所からの強制的な指示により<定期健診>を受けます。特定健診が始まって<がん検診>の類が若干疎かにはなってきましたが、それでも胃カメラか胃透視くらいは受けます。ところが、彼のような自由業の人と世間の主婦の多くは、おそらく健診や人間ドックを受けません。国民健康保険に入っている人の<特定健診>受診率が異常に低いことを考えれば容易に想像できますし、わたしの親しい友人(主婦)も「健診なんて受けたこともない」と事もなげに云っていました。だから、手遅れになる(わたしの従姉妹の大腸がんもそうでした)。症状がない限り調べないからです。

彼もまた、忙しい日々の中で、胃の調子が悪くなかったら医療機関などには行かなかったでしょう。診療所でも胃薬で良くなったなら必ずしも胃カメラをするとは限りません。そんないくつもの偶然が重なって、「たまたま」早期胃がんが見つかり、手術をうけることになった・・・これはもう、偶然ではありますまい。わたしが愛車を大破させるような強烈な衝突事故に遭っても今生きているように、これは<生かされている>と思うのが妥当でしょう。昨年独立した彼にとって、「その人生、もう少しは頑張らなければならんぞ」という宿命的な指示が出ているのだと思って、とりあえずさっさと手術を受けに行くようにメールしました。

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ばあちゃんの料理

「ばあちゃんに『今日は何が食べたい?』と聞かれて、食べたいものを云ったら食べきれないほどのごちそうを作ってくれて、正直とても困りました。」

先日わたしの知人がしみじみそう云っていたのを聞きながら、いろいろなことを思い出しました。かわいい我が孫のため、孫の好きなものを腕に縒(よ)りをかけて作ってくれるのは自然の摂理・・・きっと我が子のためよりももっと愛情を込めて作ってくれるのでしょう。「こんなに食べきらん」と云うと「若いモンが何云いいよんのかえ?食べんと大きくならんので。はい、遠慮せんでどんどん食べよ!残したらいけんので!」・・・わたしのばあちゃんもいつもそう云ってました。おかげさまでわたしのカラダはとんでもなく膨らみました。腰巾着のようについて廻っていたわたしのばあちゃんはわたしが高校生のときに他界してしまいましたが、世のばあちゃんにとって、子は何歳になっても子であり、孫は何歳になっても孫であり、メタボの腹を抱えた青年~中年になってもまた、ばあちゃんはたくさんの料理を作ってくれることでしょう。「最近ちょっとやせたんじゃないの?嫁さんからあまり良いもの食べさせてもらってないんじゃないの?」などと云いながら。

くだんの知人は、「最近は、『ばあちゃんが食べたいものを作って』というようにした」のだそうです。そうしたらばあちゃんが作ってくれる料理は、それが煮物であり焼き魚でありみそ汁でありお浸しであり、料理の量は少なくないけれど、健康的なバランスのとれた料理ばかりになったそうです。日本の伝統食は、古来から抗酸化物質が随所に含まれています。<粗食>であることが大事なのではなく、古来からの生活の知恵は栄養学を意識しなくてもしっかりと理に適った絶妙なバランスになるのだということを物語っているように思いました。

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理系発想

東京の病院では、核医学検査室に勤務していました。患者さんに検査用の放射線医薬品を注射してできた画像を読影するのがわたしの仕事でした。その検査機器が時々トラブルを起こして動かなくなりました。その都度修理のためにやってくるメーカーの若いお兄さんが、頭を下げながら「どうもすみません」と口で云ってはいますが、明らかに「機械だもん、たまには壊れるよ」という心のつぶやきを見て取れました。これは熊本に帰ってきてからも同じでした。心電図やコンピューターのトラブルも同じようにあり、その都度、担当者であるわたしは切れるのでした。

「あなた方は、『器械だからしょうがないだろう』という顔をしているが・・・」
「そんなことはありません。できる限りご迷惑をおかけしないように努力しております。」
「いや、努力していても起きてしまったら終わりでしょ。あなた方機械屋さんは、『壊れたものは直せばよい』という発想が基本的にあるんですよ。でもね、わたしたちは人間を相手にしています。放射線を注射しておきながら機械が壊れたことで検査できないとすると、もちろんこの高価な薬代を請求できませんし、何よりも患者さんはもう一度被曝しなければならないのです。あなた方はそれを全責任を持って補償する気がありますか?」
「いやそれは不可抗力のようなものですから・・・」

理不尽なイチャモンを付けていることは百も承知なのですが、でもどうしても腹のムシが修まらずに良く声を荒げておりました。彼らが判ってくれていればそれで良い・・・でも彼らは明らかに<オフィスのコンピュータが壊れた>と同じ感覚でしか働いていないのだと思います。判れ!というのが無理なのかもしれませんが・・・だからいまだに<理系の発想の人>はキライです!

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エクスキューズの注意点

先日、自動車ローンを組みました。その確認電話をファイナンシャル会社から受けるときにトラブルが起きました。「確認電話は夜9時」と希望したのに、わたしの携帯電話が鳴ったのは昼の12時前でした。たまたま持っていたから、そしてたまたま運転中でなかったから対応できましたが、下手をすると留守電も聞かずにただの<ワン切り>と思って削除したでしょう。そのいい加減さに、短気なわたしは怒り心頭に達しました。

自動車会社のそんな<いい加減な>担当者からはすぐにエクスキューズの電話があり、さらにその後おわびの書簡が自宅のポストに入れられていました。迅速な対応で、さすがにきちんと教育された会社だなと思いました。ただ・・・超クレーマーのわたしの眉間がピクンと反応しました。
「・・・さて○○様、先日はファイナンシャル会社からの確認のお電話の件で、大変失礼しました。パソコンのコメント欄に●月△日の21時前と、入力したつもりが、私が誤って12時前と入力してしまいました。次回からは、この様なケアレスミスが無いように努力いたします。誠に申し訳ございませんでした。・・・・」

どうして、『この様なケアレスミスが無いように致します』じゃないんだろう?<努力はするけどまたやらかさないか自信がない>ということなんだろうか?じゃあこれからもこの人やこの会社を信用できない、ってことか?

そんな細かいことで苛めなくても、と思うかもしれませんが、<この男はいい加減だ>と怒り心頭に達している者は、その後の彼の行動のすべてを批判的な目で品定めし始めます。<サービス業>をしているときにトラブルはどうしても発生します。そして、そのときの対応の善し悪しがその後の信頼関係を決定させます。エクスキューズの日本語表現は一字一句に神経を集中させなければせっかくの誠意が逆効果になるということを、わたしもこの世界に入ってきてから厳しく学びました。

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印象

「あなたは、いつも他人の云うことを否定するよね!」

不愉快そうにうちの妻がわたしを評してそう云います。
「そんなことはないでしょう!」
「ほら、そうやって否定する!」

<・・・そんなことはないよ>と、こころの中で呟(つぶや)きます。たしかに「でも・・・」とか「いや・・・」とか云うことがあるのは否定しません。こっち側(妻)の主張が強すぎて、云われている相手側の考えがわからないときに、可能性としては反対の考え方もできるかもしれないし、「まだわからないんじゃないの?」という云い方をするのです。

それでも、「いつも・・・」というのは彼女の印象に過ぎず、おそらく会話の中の1割程度もないと思います。なのに「いつも・・・」という印象になる。これが世の常です。肯定されていることが大部分でも、一部に頑固なまでの否定があると<この人は否定する人>と感じてしまいます。おそらく、世の『クレーマー』と云われている人たちも、きっとそういう印象でのレッテルを貼られて生きているのだろうと思います。

「本日受診予定の○○様は、去年と一昨年は何もなかったですがその前の年にこういうクレームを云われた方なので要注意です。言葉遣いに気を付けてください。」という申し送りをしているのを横から盗み聞きしながら、「かわいそうに。この人は何か一言気が付いたことを進言しただけなのに、一生『クレーマー』扱いされるんだ!」と、つい苦笑いしてしまいました。

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体脂肪率

わたしたちの施設で行っている生活習慣病改善のためのプログラムに62歳の女性が入会を希望されましたので、先日面談をしました。入会の動機は、「運動をがんばり食事に気を付けた上で<良い結果>を期待して人間ドックを受けたら、結果がとても悪かった。ショックだったので体脂肪率や脂質を改善させるために入会したい」というものでしたが、わたしはその人間ドックの結果を眺めながら首を傾げました。「何が悪いの?」 ~体脂肪率27.7%、内臓脂肪面積44.0cm2、体重53.9kg(身長154.4cm)~みるからに健康体で、しっかり管理されているように見えます。
「何の問題もないんじゃないですか?」と云うと、彼女は首を振りました。
「だって体脂肪率も体重も基準を超えているんですよ!」

・・・やせることがもてはやされ始めて以降、『体脂肪率』が明らかに一人歩きしています。女性の場合、特にこの世代の女性の場合、脂肪細胞の存在はとても重要です。適正な大きさの脂肪細胞からは動脈硬化を抑え、老化防止効果の高いホルモンが出ているのです。内臓脂肪の増加でもなく、これから国体に出場したいわけでもないのに、体脂肪率27.7%を標準以下に下げる意義はありませんしやせる意味もありません。もしできたところで、それを<健康になった>とは云いません。
「理想は今のままを維持できることだと思いますよ。」
「え!今の体重で良いんですか?なぜ標準体重になってないのにそんなことを云えるんですか?」
「・・・いいんです!」
「・・・ふうん。まあ少しは気が楽になりました。・・・でもコレステロールがこれまた問題なんですよ。」
総コレステロール値221のことを云っているようですが、HDL(善玉)コレステロール72、LDL(悪玉)コレステロール114・・・善玉が多いために総コレステロールが高いことに何の問題がありましょうか。

体脂肪率と総コレステロール~女性が一番トラップにかかりやすいものの双璧です。ご注意ください!

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強ければいい時代ではない。

専門的なコレステロール関連の話ばかりで申し訳ありません。

肝臓でコレステロールを作るのを邪魔するスタチン系薬剤とは趣の違うクスリが日本でも3年前から使われるようになりました。エゼチミブというクスリは小腸からのコレステロールの吸収を選択的に邪魔するもので、LDL(悪玉)コレステロールの低下作用はスタチン系の強いクスリに比べたらたしかに見劣りしますが、コレステロール低下作用の他に代謝の全般的な改善と血管保護作用があることがわかり、そのまま動脈硬化の予防効果があることがわかり始めてきました。

エゼチミブを1ヶ月使っただけでLDLコレステロールの低下はもとより、体重の減少や腹囲の減少が認められ、血圧が低下し、インスリン抵抗性(HOMA-R)が改善し、そして腎機能まで改善するということが確認されました。こちらの理由は比較的想像しやすいところがあります。酸化ストレスによって劣化(酸化)した食餌由来のコレステロールが簡単には体内に吸収されないわけですから、動脈硬化の始まりの第一歩を抑えることになります。HDL(善玉)コレステロールがあまり上がらないのは、やはり元が運動絡みではないからでしょうか。さらに興味深いことは、昨日書いた「血管保護のスタチン」と同様にこれがLDLコレステロールの低下程度とは関係していないということです。

強ければいいと思っているんでしょう?強いだけじゃダメ!強いだけじゃ!

は酒のCMですが、少なくとも医療界で常識化してきた「The lower, The better(下がれば下がるほど良い)」が、それだけはなくなってきた、ということに大きな期待をもっています。もちろん、できるだけあるがままの姿を<科学の暴力>でいじりすぎないでほしい、という思いは消えませんが。

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血管保護のスタチン

「先生、怪しそうな学会に入ってるんですね?大丈夫?やめた方がいいんじゃない?」
・・・同僚の先生からそう云われたのはもう何年も前です。失礼な話です。そのとき『怪しそうな学会』と云われたのが、日本抗加齢医学(アンチ・エイジング医学)会でした。

先日あった熊本生活習慣病研究会で、そんな『怪しい学会』の理事をされている大阪大学の森下竜一先生の「Anti-Aging(抗加齢)から生活習慣病の治療を考える」という題名の講演を聴きました。森下先生は脂質代謝の世界では第一人者の医者のひとりです。

「Hepatic Statin」 vs 「Vascular statin」のお話はとても興味深い内容でした。つまりコレステロール治療薬であるスタチン系薬剤は作用機序によって大きく2種類に分けることができ、血管保護が主な作用である後者は、LDL(悪玉)コレステロールを下げようが下げまいが(低かろうが低くなかろうが)、それを服用することで心筋梗塞や脳卒中になる危険性を有意に低下させ、高齢者の予後改善効果をもたらすというものです。糖尿病患者や高齢者や喫煙者ほどその傾向は顕著にみられるそうです。脳血管系のAnti-Agingを念頭に置くと、血管保護作用のスタチンを服用すると明らかに記憶力がアップし、何とアルツハイマー病の予防効果もあると云います(一旦アルツハイマー病になってからは効果がないのだそうですが)。

これの作用のキーワードは「抗酸化」。実際のメカニズムはよく存じませんが、つまりは血管保護作用のスタチンが持つ強い抗酸化作用が動脈硬化を抑制します。これまでは動脈硬化を抑えるためには「LDLコレステロールをできるだけ下げることがベストだ」と云われてきましたが、動脈硬化を抑えて元気な年寄りになるためにはLDLコレステロールが特段高くなくてもvascular statinを積極的に飲んだ方がいいかもしれないということになるやもしれません。<くすりは毒物>という発想を拭い捨てられないわたしにはまたひとつ難題が増えてしまいそうです。

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6%ルール

高コレステロール治療薬の代表であるスタチン系には「6%ルール(スタチン6ルール)」というのがあります。これは「薬の量を倍にしても効果は6%くらいしか上がらない」という結果がどのスタチン系薬剤にもほぼ同様にみられる、というものです。

この法則の要因としてあげられるのが生体内のコレステロール量の調節機能です。 以前、<食餌性のコレステロールを抑えても、他のカロリーを使って足りない分を肝臓で合成する>ということを書きましたが、その肝臓内でのコレステロール合成を抑える(ここがスタチン系薬剤の働く場所です)と、今度は代償性に小腸から食べたもののコレステロール吸収を増やして血中のコレステロール量を均一に維持させるしくみがあるわけです。人間のカラダは良くできていると感心します。

ところが、小腸でコレステロール吸収を抑えるくすりが数年前に発売になりました(エゼチミブ)。これをスタチン系に加えて使うとどうなるか。スタチン系で肝臓からの合成を抑えた上にエゼチミブで小腸からの吸収も抑えることになり、画期的な血中コレステロール値低下がもたらされることになり、「夢のクスリ」「夢の組み合わせ」と期待されているようです。

でも、天の邪鬼のわたしはちょっと納得いっていません。そもそも生体は、それが必要だから代償するのじゃないのかしら?うまく調整していた供給路のすべてを絶ってしまったら、代償の破綻にはならないのだろうか?何とか息していたモノの息の根を止めることにならないのだろうか?そんな心配をしてしまうのです。

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タバコの相性

タバコは肺ガンを初めとする多くのガンの原因物質であり、動脈硬化の最大の危険因子であり、また肺気腫をもたらす病気であることは、もはや周知の事実です。

ただ、これは必ずしもいつもいつも道徳的であるとは限りません。肺CT検査などを見ていると、1日80本吸っていても肺気腫のない人も居れば、10本しか吸ってないのに若くしてあちこちに気腫様変化が見られる人も居ます。あるいは、肺ガンの腫瘍マーカーであるCEAが喫煙をするというだけで上昇する場合があります。CEA上昇は喫煙で上がり易い物質だから、「タバコを吸っているから上昇しているのだろうからそんなに心配はいらないだろう」と判断する人がいます。でもそれはちょっと違います。同じ本数吸っていても、あるいは同じような食習慣や喫煙のタイミングであっても普通はCEA上昇はないはずです。タバコを吸っているというだけでCEAが上がっている人は、つまりタバコが自分のカラダに合っていないということになります。タバコの煙の成分が、肺胞を通して肺の細胞を破壊するからCEAが上昇するわけですから、簡単に云えば「相性が悪い」、つまり元々「存在を知ってはいけない物質」だったということになるのだと思います。

<相性が良い>人に、「どうぞガンガン吸ってください」と云う気はありませんが、少なくとも<相性が悪い>人は、禁煙外来を使ってでも、何とかして早く縁を切るのが得策だと思います。<相性>は<相性>なのだから、納得がいかなくても諦めるしかないと思います。

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公衆電話

大学時代に良く聴いていた<さだまさし>のミュージックテープを戸棚の奥から見つけ出したので、カーステレオで聴いてみました。とても懐かしい歌詞に当時のいろいろを思い出しながら聴きました。

♪手紙が無理なら電話でもいい/「金頼む」の一言でもいい/お前の笑顔を待ちわびる/おふくろに聴かせてやってくれ♪
♪「最後のコインが今落ちたから/今迄のすべてがあと3分ね」って/きみはとぎれがちに小さくつぶやく♪

むかしの歌詞を聴いていると、必須アイテムとして出てくる<公衆電話>・・・いろいろな余韻と儚(はかな)い想いの凝集された細長い箱が街灯の薄暗がりの下でぼわーっと光っている光景を、一緒に埋め込まれた思い出とともに頭に描くことができます。

<公衆電話>があったからこそ生まれた歌詞がたくさんあります。携帯電話やメールで(今はさらにツイッター?)いつでもどこでも繋がっていれる現代社会では通用しない歌詞です。学生時代、家にかける電話も恋人にかける電話も公衆電話からでした(自室に電話を引けるようになったのはたしか大学の最終学年の時でした)。遠い地の女子寮に入っている彼女に電話をかけると電話近くの誰かが出ます。「○○さんをお願いします。」そういうとしばらくの沈黙・・・取り次ぎの間にもどんどん10円玉が落ちていく音・・・早く、早くと焦る気持ち・・・あんなドキドキ感、今の子たちにはないんだろうなあ。

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同窓会

「1週間前に、同級生のTくんのお母さんが亡くなったらしいよ。新聞に出てた。」

大分に住む友人からそんな情報をもらいました。Tは中学も高校も一緒でした。「あれ、でもどっちのメーリングリストにもそんな話題は出てないな。」・・・わたしの卒業した中学も高校も、わたしの学年はメーリングリストが構成されており、同級生やその親御さんが亡くなった場合は、告別式の情報などがすぐに告知されます。なのにTの話題はまったく載りませんでした。地元の新聞に出ていたのだから間違いない情報だろうに・・・。

そう考えると、何かあったのだろうか?とつい詮索してしまいます。地元新聞に出ていたのだから彼自身が公表を拒んだということはないでしょう。きっと、現在誰も彼とコンタクトを取っていないのではないでしょうか。仲間のメーリングリストだとはいえ、告知していいかどうかは何らかの形で本人に打診するだろうと思います(うちの父が亡くなったときも連絡はありました)が、それを誰もできなかった。あるいは、彼のお母さんが亡くなった情報をメーリングリストに載せた方が良いと思った同級生が誰もいなかった、ということではないかと懸念します。なんか寂しい気がしますが、当人の思いはどうなのでしょう?

たしかに同級生の中には、学生時代の同窓会に一切関わらないようにしている人がいます。別に借金取りに追われているとか、公人だとかいうわけでもないのに、煩わしがったり毛嫌いする人がいます。個人的には年賀状を毎年もらうしクラブ仲間で会おうなどという場合は顔を出すのに、同窓会には絶対出てこない友人がわたしにもいます。彼らには彼らなりの思いがあるのでしょうが、社会に関わって生きているわたしたちにとっては、こういう関わりは大事なんじゃないのかしら。そういえば、2年前に亡くなったわたしのいとこ(同じ高校に通いました)の葬儀告知も高校のメーリングリストに載りませんでした。女性の場合は特に結婚して苗字が変わって家庭に入ると、自分から関わりを持とうとしない限り、つながりは確実に消えてしまいます。

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医療従事者なのに

先日、読影の仕事を黙々とこなしていたら、となりの部屋で若い技師さんが話をしているのが聞こえました。

「今日は職員健診を受けてきたよ。もう腹囲測定はドキドキだったよ。なにしろここ2週間くらい頑張って運動したもんね。食事はもともとそんなに食べるほうじゃないけど、それでも間食しないようにも気をつけたし・・・。」

彼はまだ35歳くらいではなかったか?そんな彼らも腹囲測定のことを気にしているところを見ると、メタボ健診が始まった意義はとりあえずあったことになるかしら。ただね、君はバリバリの糖尿病の家系なんだということを忘れたらいかんよ。結婚してから見る見る太って来たし・・・思いつきで健診前だけ付け焼刃的にダイエットを頑張ってもあまり意味がないんだからね。ついでにいうなら、君の家の夕飯は「多い」と思うよ。君にとっては普通だと思うかもしれないけれど、ね。

「血圧がおかしくてね。最初は160/95くらいあって『何やそれ~』って思って慌てたよ。後でもう一回測ったら120/85に下がったから良かったけど・・・。何か時々変な値が出ることがあるやろう?あれ、器械がおかしいんかな。勘弁してほしいよね。下がったから良かったけど、焦った焦った。」

おいおい。君は医療従事者でしょうが!120/85はもしかしたら間違いかもしれないけど、160/95は本当のそのときの値だよ。君、その歳で高血圧になりつつあるかもしれないんだから注意せんといかんよ!

とか思っているうちに仕事を終えました。彼の顔をちらっと見ましたが、まあいらん干渉する必要もないのでそのまま何も云わずにその場を離れました。

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若造(後)

ショックでした。

「ホントに学校の先生は頑なで理解力がないよね(奥さんは元小学校教師・・・これをお読みの学校の先生、申し訳ありません。私が云ったんじゃないですが、私の両親を考えても『なるほど』と思うところがないわけではありませんでした)。」などと同情してくれる同僚の声も空しく聞こえました。こんな日進月歩の医療現場で、T先生のようなもう現場をリタイヤして長い先生を慕うばかりに、命に関わる重要な治療を受ける権利を放棄したなんて、あまりにもばかばかしくて情けないことだと思いました。

「○○くん(わたしのこと)、悔しいだろうけどね、先生がどれだけ優秀かをボクは知ってるけどね、でも世間一般ではそういうものなんだよ。信頼できる医者はそれなりの経験が必要なんだろうね。T先生にも『先生の人徳ですよ』とお答えしておいた。今回はいい経験したね。」・・・まるでわたしの心を見透かしたかのようにボスはそう云いました。

そして、「残念ながらゴールデンタイムは過ぎてしまったからこれから再潅流療法はできないけれど、奥さんのプライドと信頼して託したT先生の名誉のためにも、何とか元気な形で退院できるようにケアしてあげようよ。」・・・ボスは、最後にそう云って笑いました。

いつの間にか、わたしがそんな<時代遅れ>なT先生の年頃になりました。現場から離れて9年、もうわたしも循環器科医としては超時代遅れになってしまいました。・・・でも、今現場の若い先生を見て思うことは、「知識と技術はすごいのだろうけれどちょっと頼りない感じ」・・・なんか、当時の奥さんの目で当時の自分を眺めているような感覚です。

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若造(前)

救急病院の循環器科医だった若いころのあるエピソードを思い出しました。

ある日の未明、初老の男性が胸の痛みを訴えて救急外来に担ぎこまれました。心電図所見から急性心筋梗塞の診断が容易につきましたが、かなり広範囲にやられているようでしたので、できるだけ早く緊急カテーテル検査(心臓の中や心臓を栄養する血管に細い管を入れて検査します)と再潅流治療(詰まった血管をまた通るようにする治療)を行う必要があると判断しました。

集中治療室でカテ室にいつでも出せる準備をさせながら、同行した奥さんを別室に呼んで病状を説明しました。心筋梗塞であること、かなり厳しい病態であること、できるだけ早くに再潅流療法をする必要があることなどを細かく説明し、承諾書をもらおうとしました。ところが、奥さんが「うん」と云いません。表情が明らかに戸惑っています。時間がないので焦りましたが、とにかく承諾書をもらえないと治療はできません。結局、そのまま朝を迎えました。朝のカンファレンスでそのことを報告すると、ボスが口を開きました。

「お疲れさん。さっき、開業医のT先生から直々に電話があったよ。『自分が主治医をしている患者さんの奥さんから朝早くに電話があっていきさつを聞いた。すぐにできる限りの治療をしてもらうように伝えましたのでよろしくお願いします。』だそうだ。なんでも、夫が救急車で病院に運ばれて入院になったのだけれど、若造の医者が出てきて『重症』だの『命に関わる』などと脅した挙句に『今すぐ手術をする』『急死する可能性がある』だのと迫ってきた。こんな若い医者の口車に軽々と乗ったら危ないと思って、先生と相談できるまで誤魔化して待ってもらっている、と云っていたそうだ。」  (つづく)

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ドクターヘリ

先日、熊本市内の救急病院でドクターヘリの特別講演がありました。講師は日本医大千葉北総病院の松本尚先生・・・彼は「空翔る救急医」として、またテレビドラマ「コードブルー・ドクターヘリ緊急救命」の医療監修・指導もしている、超売れっ子の救急救命医師です。熊本にもドクターヘリが導入されることになり、熊本県ドクターヘリ導入推進協議会なるものができました。今回の特別講演は、その啓発・啓蒙活動の一環です。

良かれと思って頑張ったことが逆効果になり、むしろ医療過誤として訴えられる・・・権利と義務の履き違えで起きる訴訟がアメリカのように当たり前になってきたときから、日本の救急医療はおかしくなってきたように思います。だからこそ、わたしは人気ドラマ「コードブルー・・・」で人気若手アイドルたちが葛藤しながら日夜颯爽と頑張る姿をみて、若い医学生が救急の世界にもう一度あこがれるようになってくれたらいいなと思っているかつての救急医者のひとりです。救急の世界は、この上もなく大変だけれど、でも絶対的に遣り甲斐のある世界です。自分の存在がそこに証明されます。

・・・「キミは将来もきっと大成しないと思うよ」(どういう意味かよく理解していなかったから笑って退職できたのかもしれません)とある上司に皮肉られながら大学病院の医局を離れましたが、大学のそんな偉い先生方が急変した患者さんの前で成す術なく佇んでいる姿をみたときにここじゃなくてもいいなと思いました。そして、ダイナミックに命を拾い上げるために休むことなく惜しげもない努力をしている集団の一員になったことを誇りに思ったことを思い出します。

わたしの勤務する施設には、わたしが研修医だった遠い昔からドクターが乗り込んで車内で治療も行える救急車が存在しごく普通に乗り込んでいました。松本先生が熱く話す「オーバートリアージを怖れさせるな!」の心は、わたしたちは当時すでに当たり前のことと教わりました。ただ、わたしは車酔いがひどく、しかも超高所恐怖症ときているので、たとえドクターヘリ搭乗の指令がきても固辞するしかないのが残念です(笑)。

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認めてくれる。

わたしが産業医をしているある企業では、最近メンタル失調による休職者が増えてきました。休職後に職場復帰(復職)した場合、この企業では2週間ごとに産業医と簡単な面談をすることに決まっていまして、先日は1ヶ月前に復職した若い女性との2回めの面談がありました。

彼女の表情は思いの外穏やかで、ニコニコしていました。

「わたしが休職している間に上司(組織のトップ)が代わったんですが、今度来られたSさんは、わたしの云うことを認めてくれるんです。わたしの提案を認めた上で、『それをさらにこうやってみたらもっと良くならないか?』という感じでアドバイスしてくれるんです。結果としてはほとんど修正されるんですけど、前の上司の○○さんのときにはわたしのすべてを否定されていたから、一度わたしを認めてもらえたことがとても嬉しかったです。なんか、『ちゃんと自分をみてもらえている』という実感があって・・・。」

彼女の表情の明るさの原因がすぐにわかりました。そしてまた、彼女の云う「上司のSさん」の愛情に満ちた対応の仕方に感服しました。わたしも彼とはいろいろな場でお話をしますが、彼は決して部下を甘やかすタイプの人ではありません。むしろ厳しいことをストレートに話す人だと聞いています。彼女が復職するときにもなかなか許可を下ろさず、復職前には何度も彼女と面談して、仕事に対して厳しい覚悟を持つように要求していたとも聞いています。・・・本当に尊敬できる上司に恵まれて良かったな、と思いました。

ちなみに静かな物腰のSさんは、わたしの前では、「先生、なかなかメタボが改善できません!」といつも明るく笑っています。

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高血圧vs低血圧

「今は低血圧ですが、お母さまが高血圧症なので、あなたも更年期以降に上昇するかもしれません。ときどき興味をもって血圧計に手を突っ込んでみてください。」

先日、人間ドックを受けられた35歳の女性の方に結果の説明をするときに、そういう話をしました。そうしたら、「母は高血圧ですが、父がひどい低血圧なので、わたしは父の血を引き継いだのだと思っていました。」と云いました。

たぶん、それは間違いだろうと思います。高血圧の遺伝子 vs 低血圧の遺伝子では、やはり高血圧の遺伝子が勝つだろうことは容易に想像がつきます。なぜなら、高血圧の遺伝子こそがサバイバルの遺伝子であり、自然淘汰の歴史の中で綿々と生き延びてきた、より進化した形(優性)の遺伝子だと思われるからです。しかも、母方の遺伝子の方が子には伝わりやすいことを考えると、この女性は閉経以降に高血圧になる可能性が高いと考えた方が自然だと思っています。だからこそ、今のうちから食事を摂るときに減塩の意識をして薄味に慣れておくと将来が全然楽だと思う、とアドバイスしました。

・・・というか、「低血圧の遺伝子(あるいは低血圧の体質)」はあるのかしら?「高血圧の遺伝要素がない」というだけなんじゃないのかしら?だとしたら、A遺伝子(AA) × non-A遺伝子(OO)の子どもはA(AO)になる、という<メンデルの法則>のそのまんま、だったりすることになります。なんか興味のあるようなないような話ですが、ご存知の方がいたら是非とも教えていただきたいと思います。

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腎結石

8年半ぶりに約10万キロ乗った愛車を買い換えることになりました。先日ディーラーさんで試乗をさせてもらいに行ったとき、新しく担当になった男性が相談に来られました。

「ずっと右の腰辺りが痛くてですね、先日近くの内科に行ったんですが『腎臓結石がある』ということで痛み止めをもらっています。でもまだ痛いんですよね。あと何をしたらいいですか?」と云います。
「先生に聞いてないんですか?」
「クスリをくれただけでまた1週間後に受診するようにとのことで・・・」

しょうがねえなあ、と思いながら腎臓結石のメカニズムや対処の仕方などをお話ししたら(なにしろわたしは年3回は結石発作を起こす自称「結石博士」ですから、教科書にないことまで話します)、「そんな話全然知りませんでした!」とやや興奮気味の様子。同業者なのであまり云いたくはないのですが、医療従事者は自分に興味のない、しかもあまり大事に至ることのないありふれた病気に対して異常にタンパクなところがあるような気がします。腎結石・尿管結石だけでなく、慢性湿疹とか過呼吸症候群とかあるいは萎縮性胃炎や期外収縮とか・・・。当事者はとても深刻なのに、こともなげに「このクスリでしばらく様子みましょう」と云ったりします。わたしも昔を思ってちょっと反省しました。

「ところで今も痛いんですか?」
「はい・・・ここ2~3日は、ほとんどずっと痛みが続いています。」
「断続的(発作性)じゃないんですか?」
「いやずっと持続しています。」

ちょっと待ってくださいよ。それ本当に「腎臓結石」の診断でいいんですかね?・・・さすがにわたしも不安になりましたので、きちんと泌尿器科を受診することを勧めました。「餅は餅屋」です。素人医者の知ったかぶりが通用するのはここまででしょう。

あれからもう2ヶ月経ちますが、彼の痛みは取れたんでしょうか。

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できるかどうかではない

約1年前に、同じ題名の記事を書きました(「できるかどうかではない!」2009.1.26)。

現場の私たちが考えた案を門前払いで否定されたとき、「私たちが聞きたいのは、『できるかどうか』ではなくて『するためにはどうしたらいいか』なのだ」と訴えた話でした。

組織はその後いろいろと変わりましたが、結局フットワークの重さは大筋で変わっていないように見えます。誰が良いとか悪いとか、そういう問題ではありませんが、ただ、大きな組織を維持するためには、「無理」「ダメ」という何重ものハードルを作っていかなければならない組織の限界を感じているのは事実です。

そんな中、2月1日放送のカンブリア宮殿「旅館革命で世界に勝て!」に、とても印象に残ったことばがありました。「顧客満足度の前に職員満足度を上げようとした」です。ゲストは星野リゾート社長、星野佳路氏~老舗温泉の4代目として生まれ、我が温泉を建て直し、経営破たんした多くのホテル・旅館を再生させたカリスマ的な人間です。そんな彼が行ったことは、買い取ったホテルや旅館に元々働いていた従業員を信じ、彼らにできうる限りの権限を任せることでした。現場に任せると、一気にモチベーションが上がり、任せられた者たちは自分で考え、自分で決めることで生き生きと仕事をするようになったそうです。彼は「任せれば、人は楽しみ、働き出す」という確信を得ました。彼は議論のプロセスを見て、きちんとした考え方で議論が進められた上で社員が決定したことには口をはさまないそうです。・・・できそうでなかなかできないことだと思います。
~NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」2006.1.10)~

この企業に限らず、大きく飛躍できている企業の特徴は、<気付きを実行できる自由度がある>ということのような気がします。

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好奇心

「あなた、こんな道よく知ってたね~!」

妻を助手席に乗せて運転していると、時々こんなことを云われます。

「こないだゴルフの帰りに、『この道どこに行くんだろう』と思いついて、行ってみたらたまたまこんなところに抜けることを発見したわけよ。」

なんとなく申し訳なさ気に言い訳をするのが、そんなときのわたしの常です。たぶん、彼女にはこんな発見はありえません。なぜなら、彼女の車にはナビが付いているから・・・かなり昔のものだから道なき道を進むことが多くなりましたが、それでも彼女は知らない道を通るときにナビが勧めない道に冒険はしません。わたしの車にはナビがありませんし、元々他の車に乗ってもナビをよく見きりませんので、前もって地図を凝視してから運転を始めます。そのために地図になかった道を発見すると「あれ?どこに行く道だろう?」と思ってしまうのです。行ってみたところで分からなくなったら引き返せば良いし、大体の方向性は範囲の広い地図で目安をつけているし・・・と、意外にこういうところには自信があります。

先日通った道は、八代方面から抜け道に入ったあとで最後にさらに抜け道に入り込む道で、3年前にたまたま入り込んで知りました。先日何となく閃いて、途中からさらにいつもと違う方向に向かってみたら、なんと、いつの間にか全然新しい道が出来上がっておりました。結局昔よりさらに近道になっていて驚きました。

好奇心が湧いたときに思い切ってそっちに行ってみると、意外に新しい発見ができて面白いものです。もちろん、一事が万事とは云えませんが。

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鼻の下

職場にある若いお嬢さんが働いています。美人さんなだけでなく、いつも前向きで性格も良く、わたしは大好きな女性です。

そんな彼女を先日まじまじと見ていたら、何となく鼻の下が長くなってきているような気がしました。スケベオヤジが若いおねえさんを見てでれ~っと伸ばしている「鼻の下」のことではありません。

「最近あまり笑ってないのかな?」
わたしは素直にそう思いました。笑うと口角と一緒に鼻の下も上がるから短くなりますが、いつも考え事をしていたり上唇を噛みしめていたりすると鼻の下が伸ばされるような気がしませんか。いろいろ悩む仕事が多くなって、そこまで風貌が変わってきているのだとしたら大変なことだな、と思いました。

あまりいつまでも見つめているのは失礼なので、仕事の話で目を逸らしましたが、やっぱり彼女はいつも笑っている方が良いなあと思います。

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