« 「おたくは精進料理ばかり」 | トップページ | 頭痛 »

受け入れる

先日、友人のお父さんが胃がんになったという話を聞き、母のことを思い出しました。

が噴門部の胃がんで亡くなったのはわたしが医大生の頃でした。当時は「本人に告知する」ということはまずなかった時代で、うちも告知はしませんでした。胃の切除のために開腹はしましたが、すでに腹腔内に広く転移していて手が付けられないと判断した主治医は腹腔内リンパ節の郭清や知覚神経の切除だけをして腹を閉じたと聞いています。おかげでかなりの期間食べることができましたし最後までがんに伴う激しい痛みはみられませんでした。本人には「手術を無事終えた」ということにしましたし、その後生まれてくるであろういくつかの矛盾もあくまでも胃潰瘍に伴う合併症として押し通すことになりました。

は、最後まで何も云いませんでした。「おかしい」と思ったはずです。徐々に悪化していく体調に<死>を覚悟した時点になっても、彼女はその不安や疑問を一度も身内にぶつけた形跡がありません。じっと自分の中だけで仕舞いこんでおいたであろう彼女の葛藤はいかばかりだったのでしょうか。告知されないことによる疑心暗鬼と不安感は、告知されたことによる焦りや諦観とよく対比されますが、どちらにしてもそれを自分の中だけで抑えてしまうことが並大抵なことではないことは想像がつきます。

友人のお父さんは告知を受けています。切除手術後に他の臓器への転移があったことも説明を受けました。「『想定外だ』と笑いながら言っていましたが・・・」と書かれた友人のメールからは、自分を鼓舞するのと同時に、我が娘に弱い父親の姿を見せまいと気丈に振舞うお父さんの心が滲み出てくるようでした。娘も父親も、それぞれの葛藤を繰り返しながら徐々に受け入れていく、そんな静かで厳しい時間がこれから始まるのでしょう。お互いに、人生の中で一番大切な時であるように思います。

|
|

« 「おたくは精進料理ばかり」 | トップページ | 頭痛 »

心と体」カテゴリの記事

コメント

はじめまして、warakadoともうします。
メタボリックからこちらにお邪魔させて頂いておりました。
私の父は胃がんでした。胃穿孔で緊急入院したのですが、切除組織から癌が見つかったと医学生だった兄だけが最初に執刀医に告げられたそうです。聞いた兄も告知はしませんでした。退院後は暫く小康状態でしたが、2度目の入院時には母と私も癌である事を知りますが、父の死まで胸に納めていました。父も看護の心得があったので、再入院後の出来事に普通ではないと気づいていたと思います。でも、浪人中の私や母には決まっていつも『元気になってまた働くから、、』と微笑んでくれました。
この心の葛藤と日々の喪失感が35年を経た今も忘れられません。翻って私自身、告知を受け静かに人生の終焉を迎えようと想像しても、その後は立ち止まり、そこでフリーズしてしてしまいそうです。今も告知をする、しない、私の中の答えが出ていないのです。勝手な言い草ですが、絶対ある事なのに、永遠に想定外にしたいのかもしれません。

投稿: warakado | 2010年3月27日 (土) 18時02分

warakadoさん

はじめまして。書き込みをありがとうございました。

昔は告知しないのが当り前で、肺癌は肺化膿症、胃癌は難治性胃潰瘍とウソをつくもの、と教わりました。癌が《不治の病》だったというのもあるでしょう。

告知は、される側とする側の両者に、いつまでも揺れ動く心の迷いがあります。母の場合、姉に告知したことを25年も経った後まで非難されてさめざめと泣かれたのは、とてもショックでした。そんなこと(身内が若くして癌になるということ)を想定していたら前もって聞いておきますが、普通は考えもしないことです。妻は自分が癌になっても母が癌になっても最後までウソをついてほしい、と強く希望しています。私は、正直なところどっちでも良いのですが、きっとどっちにしても最後まで悟りきれない揺れ動きをするだろうなと思います。

投稿: ジャイ | 2010年3月28日 (日) 09時00分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「おたくは精進料理ばかり」 | トップページ | 頭痛 »