« リッツ・カールトン~おもてなし(前) | トップページ | リッツ・カールトン~パッション(前) »

リッツ・カールトン~おもてなし(後)

ただ、である。ただ・・・ケアリングクラウンの赤鼻に感じたのと同じような違和感を感じずにはおれません。「こころのこもったおもてなし」が「ホスピタリティ」の訳語でなければいけないのだろうか、と。

従業員が<紳士淑女である>リッツ・カールトン・ホテルは、利用するお客様が皆、自分が<紳士淑女である>ことを自覚しています。だからこの関係が対等でとても居心地が良いのだと思いますが、この考え方を、自分が<紳士淑女である>と自覚していない私たち庶民に対して向けられるとやはり何か申し訳なく、妙なくすぐったさを感じてしまいます。凛とした上品な言葉づかいと柔らかい表情でこころから慈しむ想いが伝わってくる対応をしていただいたとき、わたしはつい<よそ行きの顔>になって、「わたしには勿体のうございます」とちょっとドギマギして目線を逸らしてしまうのです。

あるいは、本の中にホテルのビーチでプロポーズをする青年の手助けをするエピソードがありますが、ビーチ係の彼が気を利かせて揃えてくれたチェア以外のグッズが、青年にとっては邪魔かも知れないとは思わないのだろうか?もっと彼なりのアイデアに満ちたプロポーズを考えていたのに、陳腐などこの教会にでも揃えてあるようなそれになってしまったってことはないのだろうか?・・・と考えると、一歩進んだおもてなしはかえって「いらん世話!」になるのではないか?・・・もともと謙虚を美徳とし、一歩身を退いて見ていただける関係に居心地の良さを感じる人が日本人には多いのではないかと考えたとき、大事なのはもっと日本文化に合った「ホスピタリティ」、つまりは「ホスピタリティ」という異国語ではなくて「こころのこもったおもてなし」という日本語の「おもてなし」の方法があるのではないか、と思ってしまうのです。

|

« リッツ・カールトン~おもてなし(前) | トップページ | リッツ・カールトン~パッション(前) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« リッツ・カールトン~おもてなし(前) | トップページ | リッツ・カールトン~パッション(前) »