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2010年4月

予定のない幸せ

年度初めの慌ただしい一ヶ月が終わろうとしています。どこでも毎日のように何らかの行事(送別会やら歓迎会やら花見やら、会議やらゴルフコンペやら・・・)があったことでしょう。

自分のスケジュール帳がいろいろな行事予定で埋まっていきます。<会議>の予定は入れば入るだけウンザリですが、親しい友人や気心の知れた職場の皆さんとの宴会などの計画、あるいはゴルフコンペやスポーツ観戦などの約束は、書き入れる度に当日が楽しみでウキウキするものです。

ところが、どうしたことか、その当日になると何か急に面倒くさくなることがあります。今夜は仕事のあとに宴会・・・帰ってから電車に乗って街に出かけて・・・誰と何を話そうか?今日は旧友と久しぶりに街で再会の予定・・・久しぶりで楽しみ・・・だけど話題はあるだろうか?そんなことを考えるうちに、何となく心がブルーになったりします。先日も職場の宴会に誘われました。誘われたことを素直に喜びましたが、電車で宴会場に向かう心が妙に沈んでいくのが分かりました。・・・面倒くさい!もちろん現場に行って行事が始まってしまえば、どうと云うことなく存分に楽しい時間を過ごすことができるのです。なのに、面倒くさい・・・それが正直な真実のわたしの心です。

むしろ、何か最近は、予定が何もない日の方が気分が明るい感覚があります。今日は仕事が終わっても何もする予定がない。まっすぐ家に帰ってビール飲みながらくつろいで、酔っ払ってソファでうたた寝なんぞして、時間があったらワンたちのブラッシングでもして・・・そう考えるだけで幸せな気分になります。

ちょっと病んでるのかしら・・・。

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トリガー

先日、企業健診として人間ドックを受けたある男性がおりました。

何年も前から高度の高血圧を指摘されているのにいまだに病院受診をしていません。心機能の指標になる血中BNP(脳性ナトリウムペプチド)の値も、ずっと正常上限の10倍以上の高値を示しています。これは心臓に持病を持っている人ですらかなりの心機能低下を意味しており、簡単に云えば「心不全状態」です。精密検査依頼書が毎年発行されているというのに、彼は頑として病院受診を拒んでいます。さすがに心配した保健師が、せめて医師の結果説明だけでも受けるように説得しましたが、ダメでした。その理由は、『自分を病人扱いするから!』。

・・・「何云ってんだ、おまえ!誰がみても病人だろうが!」と、多くの医療者がそう思っていることでしょう。でも・・・数年前に読んだあるアンケート結果の記事を思い出しました。入院中の患者さんの60%以上が「自分を病人とは思わない」と答えているのです。この方も、症状もなければ日常の生活や仕事を何不自由なく暮らせているのに、そんな『元気な』自分を病人扱いするのはお門違いだ!と思っているのでしょう。そういえば、「高血圧症や脂質異常症(高脂血症)は<病気>ではなく、これが原因で心筋梗塞や脳梗塞になった時に<病気に罹った>と云うのだ」という考え方は、つい20年ほど前までは医者の間でも割と受け入れられていた考えのように思います。

さて、この話を聞いてわたしが最初に思ったのは、<彼をこんな想いにさせた最初のきっかけは何だったのだろう?>ということです。一番最初に彼に病気の状態を説明した医者か保健師かの云い方が、何か間違っていたのではないのだろうか?とてもいい加減でぞんざいだったか、それとも逆にとても高圧的で一方的だったのではないか・・・彼が今抱えている状態は、いつ何が起きてもおかしくない状態なだけに、一番の被害者は彼本人のような気がしてなりません。

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校正

先日、新しい商品のパンフレット原稿が校正のために回覧されてきました。読む時間が取れなかったので回覧の最後に回してもらって、翌朝の始業前の空き時間に読ませてもらいました。そしたら、数ヶ所の大きな誤字脱字を発見しました。統一されていない漢字使いも発見しました。・・・何人もがこれを読んで、だれも気付かなかったのかしら?

以前、臨床現場で働いていたときに患者さん向けの病気読本を作ったことがあります。何ヶ月もかけて作ったようです。わたしは県外の病院に出向中でしたが、たまたま帰ってきたときに「これで最終校正になるので読んで気になるところがあったら教えてください」と、当時の師長に原稿を手渡されました。ペラペラとめくってみたら最初から間違い字だらけでした。文法の間違いや不統一表記まで赤ボールペンで指摘したら、とうとう全ページが真っ赤になってしまい、結局発行が1ヶ月以上遅れました。

わたしのチェックが細かいから、というだけのことではないように思います。どうしたらもっと誤字脱字や文法間違いの表記に気付いてもらえるのでしょう?皆さんはきっと、<書き手側の目線>で読んでいるのではないかと思います。もちろん、「絶対間違いがある」と思って読めば見つけられます。でもそれに加えて、わたしは原稿を読むときに<読み手側の目線>に立つ努力をしています。パンフレット(または読本)を渡されたとき、読み手はこれを読んで理解できるだろうか?という目線で読み始めます。書いてあることのひとつひとつをきちんと理解しようとしながら丁寧に読んでいると、「あれ?何か変!」という部分は簡単に目の中に入ってきます。

面倒くさいかもしれませんが、是非そんな目で校正をしてあげてほしいと思います。

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恐るべし!スロージョギング

何か、鏡に映るわたしのカラダのシルエットが変わってきたような気がします。「いい感じ~♪」とついつい鼻歌が出てきます。

20日ほど前に運動を再開しました。別にしたかったわけではありませんが、たまたま用事があってうちのフィットネスジムに行ったときに、「先生、運動しないんですか?」と云われ、ふと見たら妙にフロアが空いていて、「じゃあちょっとだけやりましょうか」なんてノリでやってしまいましたら、運動中毒の血が再び騒ぐのに時間は要りませんでした。

ただ、あのCTの動脈硬化が頭をよぎり、どうしても昔のようなガツガツの運動をする勇気が湧きません。ここでふと、田中宏暁先生のスロージョギングを思い出しました。田中先生が教えてくれた通り、「歩く速さより遅い速度で走る」が基本ですので、血圧が上がることもなく、これならいつまででも続けられるという実感があります。ただ、残念ながら昼休みを使うのでせいぜい20~25分しかできません。それだけなのに・・・カラダが締まっていくのが実感できる・・・これって何で?こんなもんで痩せていくなんて信じられない!と、どっかのダイエット商品のCMに出ているかのようなコメントをついつい発してしまいます。恐るべし!スロージョギング!

実は、調子に乗ってトレッドミルの速度を6.6km/hから6.8km/hに増やしてみました(斜度は4%)ところ、明らかに筋肉疲労が強くなりました。長く続けられる速度ではあるのですが、何か「このまま続けるのはちょっと憂鬱だな」と思う自分がいました。たぶん、今のわたしのAT値(無酸素性閾値)またはLT値(乳酸性作業閾値)のレベルがちょうどこの辺りにあるのだろうなと実感しました。

さて、まちっと続けながら血圧の様子も含めて自己観察してみましょう♪

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行動変容(後編)

自分のこれからの生活をどう変えていくか、各々の人生にとってこれはかなり大きなプロジェクトです。これから修行僧として禅寺に入ろうとしているわけではありませんが、何かが変わるターニングポイントが各々にあります。某CMに出てくる<やる気スイッチ>みたいなモノでしょうか。

フィットネスジムなど行ったこともなく、マシンなど使ったこともないし、運動なんて今さら自分では無理!と思っていた。この歳になって初めてだらけの経験にワクワクしながら通っているうちに見る見る自分のカラダが変わっていく感動・・・経験した人にしか分からないその感覚を感じた人は、自分で工夫して食事にも気を遣うようになり、そのカラダを維持させる努力を自らしていくものです。わたしもそんな経験をした者のひとりです。その代わり、うまくいかなかった人たちは結局ジムに通わなくなるので、残るのは成功者だけになっていきます。だから、そんな失敗をする人が少なくなるように、リバウンドさせないノウハウを普遍化させて、どこでもだれでも同等に出来るようにしたのが特定保健指導のやり方です。でも、結局は本人にその気があるかどうかですので、自分で何かを変えたいという強い気持ちがない限り、健康になるためのノウハウを無理矢理伝授してもあまり意味がない・・・わたしも強くそう思います。特定保健指導のやり方で減量に成功する人に共通するのは、自分なりの<成功の実感>が獲得され、無理をすることなくいつの間にか目標の減量ペースを超えていってしまうことです。その楽しさを実感できることが唯一無二の成功の秘訣なのだと思います。

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行動変容(前編)

「保健師の『行動変容に対する介入』って、甘いと思うんですよね。うちの初期の会員さんの様に最初に運動でガンガンやせた人って、ほとんどの人が今でも体形を維持していますし、今でも運動を続けていますよね。半年で4kgなんていうわずかな体重減少目標なんて、やっても結局戻ってしまう人ばっかりでほとんど意味がないと思うんですよ。」

先日、うちの施設の運動指導士の一人からそんな意見を熱く語られました。「なるほど」と思いました。うちの施設ではもともと運動プログラム主導で生活改善に介入していました。それなりの成果を出していましたが、やはり保健師が主導で運動と食事の両面からアプローチすべきだという見識から、今の介入形態に変わりました。奇しくも同じ時期に<特定保健指導>が始まり、保健師さんが喜々として生活介入に乗り出したのです。

リバウンドをさせないためには、無理せず長続きできる生活の見直しでなければならない。だからまずは体重の5%を半年間で減らす計画を立てましょう(それだけ減らせばメタボを改善できることが報告されています)! 運動だけで目標に達するのは大変だからその半分を運動で、半分を食事で減らしましょう・・・教科書のようにほとんどの入会者はその計算式に従って毎日の目標を立てて頑張っていくことになります。

入会してくる方の生活歴は千差万別です。昔の会員さんのように、運動で何かを変えよう!という思いで入会してきた方と特定健診でひっかかって何とかしなきゃ!と責められて来た人とではモチベーションや目的意識もまるで違っています。それを一律な公式に合わせて計画を立てると、かえってモチベーションを落とす結果になる人もいるということを忘れてはならないだろうと思います。

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かえって改善。

毎年人間ドックを受けに来られる80歳の女性が今年も受診されました。結果の説明をするために部屋にお呼びしたらちょっと浮かない顔をしています。

「今年はきっと結果が悪くなっていると思うんです。」・・・部屋に入るなり彼女は話し始めました。今年に入ってご高齢の旦那さんが手術を受けたのですが、その後の経過が思わしくなく入院生活が続いているのだそうです。そのため毎日バスで病院まで通い、自分の生活もままならないほどにバタバタとした気ぜわしい日々を送っておられました。

ところが、本人の心配とは裏腹に、健診結果として並んでいる数値はとても素晴らしいものでした。血圧や血糖やコレステロールなど、むしろ昨年までよりもはるかに良くなっています。旦那さんの病気に対する気苦労や今後の介護などの不安が溜まって心は沈んでいるようですが、それよりも、毎日決まった時間にバス停まで歩き、病院の中を歩き回り、間食することもなくまた決まった時間にバスに乗って帰る・・・この繰り返しがまさしく模範的な生活療法になっていたようです。

結果に驚き、そしてちょっと喜んだ後で、「退院してからの方が憂鬱です」と語った、そのことばが一番の本音なのだろうなと思いました。特に女性の場合はそれが云えます。そして一人暮らしになったことがかえって体調を良くさせるのもまた、男性よりも女性の方がはるかに多いことは、もはや普遍的な真実のように思われます。肺炎と闘っている旦那さんには悪いですが、今は今の生活を十分エンジョイしてほしいと思います。

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真夜中の嵐

先日は夜中から急に雨足が強くなり、翌朝早くに書きものをしているとまるで台風ではないかと思わせるような強い風が家を揺すぶり、カミナリの音が響き渡って、我が家の老犬が寝ぼけながらも慌ててケージの中に逃げ込みました。こういう嵐は台風のときしか経験しなかったのですが、最近は日常茶飯事になってきました。地球の秩序が壊れていこうとしているのをヒシヒシと感じます。

ところで、この暴風雨。あまりのすごさに、1時間後にいつものように出勤できるのかな?と心配しましたが、何故か出勤する時間帯にはそれなりの小康状態になりました。今回に限らず、夜中の大嵐が朝にはウソのように落ち着いてしまうことは良く経験します。やはり夜中の方が大気が不安定になりやすいのでしょうか?

自然界の中のひとつである人間の体内でも、同様に夜中(明け方)に病気が大暴れする傾向があります。一番こころ安らかなはずの明け方に<心筋梗塞>や<脳卒中>が起きやすいことは良く知られています。これは自律神経の不安定な時間帯だからだと云われています。寝ているときの副交感神経支配から交感神経支配に移ろうとしている時間帯なのです。カラダが完全に起きた状態になるまでは要注意です。特に最近は皆宵っ張りで、本来すでに深い眠りについているはずの時間にまだ起きています。カラダ本来の日内リズムまでも乱れてきていますから、一層不安定にさせているのではないかと思います。わたしもそんな乱れきった体内時計の持ち主なので、ちょっと心配です。

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最近、グチが多いよ。

先日、くだんの「地域医療学センター」教授に就任したM先生の記念祝賀会に行って来ました。同期のみんな(皆さん開業してました)や昔お世話になった先生方にも久しぶりにお会いして、懐かしくお話をさせていただきました。

M先生にあいさつに行くと、相変わらずの人柄で、ご夫婦で立って相手してもらい恐縮でした。ちょっとお腹が大きくなって往年の体育会系の体形はちょっと影を潜めてきておりました。

「先生のブログ、今もときどき見てますよ。」と云われて、とてもうれしく思いましたが、
「先生、最近ちょっとグチが多いと思うよ!」・・・グサリと痛いところを突かれました。

「そうなんです。気にしてたんです、そこ。」・・・ネタがなくなると、ついつい周りのアラ探しをしてしまうわたし。本来このブログを始めたころの初心を忘れがちになっていました。

・長くならない
・グチを書かない
・悪口を書かない

そんな前向きな<独り言>を求めて、これからも明るい話題探しの日々を送りましょう。

久しぶりに臨床医ばかりの集まりの中に身を置きました。懐かしいクスリの名前を携帯で指示し(たぶん病院からの電話なのでしょう)たり、受け持ち患者さんの情報交換をしている光景を傍で見ながら、医者もどきのわたしは「みんながんばって医者しているんだなあ」とちょっと感動しました。

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流れる声

わたしの職場で、ちょっと気になる云い方をする声の持ち主が居ます。

大声な上に早口で、だから聴き取れない、ということなのかなと思います。毎日多くの受診者の方と限られた時間内に接して必要な検査をこなさないといけないため、職員はついつい早口になります。日常のカンファレンスやミーティングで何度もその話題は出ますし、その都度注意を促すようにしています。

それでも早口になる。ただ、この職員さんはそれ以上に聴き取れないのです。滑舌の問題もあるけれど、どうも声が流れているのではないか、と気付きました。受診者に話していることばの内容と全く違うことをカラダが行っているのだと思います。あいさつや自己紹介をしているのにカラダはすでに機械の準備をしており、受診者が機械に構えたときにはその注意を説明しながらカラダは次の準備をしています。仕事効率はそれの方が良いのかもしれませんが、口が勝手に動いているだけで残念ながらこころは受診者に向いていません。いや、向いているのかもしれませんが、おそらく受診者のこころとベクトルやタイミングが一致していないのだと思います。こころの一致があれば早口でも付いていけるのではないでしょうか。

先月、別の職員が「あんたのかけ声のタイミングは、ワシには合わんのじゃ!合わせる気がないんじゃないのか!」と受診者の方にお叱りを受けたことがありました。これもまた、受診者の方のこころに合わせる努力が足りないのだろうと思います。

わたしもまた、今でもときどきそういう時があります。完全にこころが次の作業の方向に向かっていて、声だけが発せられているのです。・・・反省しきりです。

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名前

<平成22年度NHK放送受信料口座振替のお知らせ>というのが届きました。この通知が届くたびに思うのですが、私の名前の漢字、間違ってます。本当は<しめすへん>です。<ころもへん>で間違われるのは珍しくありませんが、NHKのはいつも<にんべん>。最初の登録時に間違えてそのままです。よっぽど<氏名変更届>に「ふざけんなよバカ!」って書いて出そうかと思うんですが・・・めんどくさいので止めています。

そういえば、ガス屋さんから届くDMは私の名前の二文字が二文字とも全く違うので、封を開けないままゴミ箱行きです。「お得意様の名前をただの記号だとでも思うておるんじゃろう!他人宛の封書なんか見ない!」とちょっとオカンムリ・・・。毎年届く年賀状も、わたしの名前を間違えている人は、まず間違いなく翌年もそのまま送られてきます。住所変更は訂正しますが、名前はこちらから申し出ない限りまず変更されません。

<名前の漢字間違い>~おそらく、他人にとってはどうでも良いこと(その人がその人であることが自分で認識できさえすれば問題のないこと)なのでしょうが、本人とっては全く別人を指すことになります。その字だと信じているから間違えるとは限らず、少なからずパソコン管理になった弊害でしょう。最初に入力した文字がその人の個人情報であり、それを違う漢字にしたらそれは別人としての認識になります。手書き管理できわめて杜撰(ずさん)だった社保庁の年金問題は起きにくい代わりに、ウソの情報が管理されたときに訂正する作業はことの他大変です。

正式書類でもいつもたやすく間違われるわたしは、人の名前を書くときにはかなり神経を使っています。

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「楽しくなければ人生の無駄遣い」

4月から、ある機関誌に新しくコラムの連載をするようになりました。そろそろ発行されるころですので、許可をもらった上で転載することにしました。

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「楽しくなければ人生の無駄遣い」

先日、カーステレオから流れてきたファンキーな曲の歌詞の中にこのフレーズをみつけました。~♪ 楽しくなければ人生の無駄遣い ♪~いかがですか?皆さんは無駄遣いの人生を送っていませんか?

健診の医者になって丸9年になります。予防医学の目で世間を眺めていると、多くの皆さんが<健康>を得るのに疲れ切っているように見えます。<健康>は自分の楽しみを犠牲にして日々の修行のご褒美として得られるものだと錯覚しているのでしょうか?「メタボ健診」では保健師さんがメジャーをかざして、もっとやせろ!腹を縮めろ!と責めたてます。朝食は摂るべきもの、だから眠くて食欲がなくても朝早くから無理やりご飯を口に詰め込まれる子供たち。仕事から帰って食卓についたら<健康食>と称するニワトリの餌の様な料理・・・「あなたのためよ」と言われてため息をつくお父さん。せっかくレストランに入ったのに、食べたい料理をガマンして好きでもない<ヘルシー料理>とやらを注文してしまうマダムたち。そして、<健康>という呪縛に取り憑かれたかのように、「一番効率よくやせられる」という歩き方で、わき目も振らずに一心不乱に公園を闊歩する老若男女・・・。でも、苦行の向こうに<健康>はありません。誰が何と言おうとも、食事は<楽しむもの>であり、運動も<楽しむもの>です。それを忘れてしまったら本末転倒です。

食べたいときに自分が欲しいものを欲しい量だけ食べるならば、人間のカラダは勝手に自分の一番理想の体型に向かう~最近読んだ数冊のダイエット本が、なぜか皆揃ってそう主張していました。その真意が私にも最近やっとわかるようになりました。食を<楽しむ>ために重要なことは「自分に正直であれ!」~自分が食べたいときに食べて良いけれど、好きなものでも腹が空いてないなら無理して食べないこと~食べすぎも食べなさすぎも自分の素直な行動ではありません。いつも自分の感覚に正直であってください。

「運動は苦手です」「忙しくて運動する時間がありません」などと言う人がいます。<運動>=運動靴+トレーニングウエアと発想するからでしょうか?「ウインドウショッピングが好き」「美術館巡りが趣味」という人はもちろん立派な運動マニアですし、カラオケで歌いまくるのを運動と言わずして何と言いましょう?「ゴロゴロしなければ運動だ」と考えれば、何でも楽しまなければ損です。面倒くさい!と言う人も、「してみたいと思っていた夢」があるはずです。この機会に、自分の夢を再確認して妄想に耽ってみてください。

「楽しくなければ人生の無駄遣い」~食も運動も<楽しむもの>です。どうか、意味のない足枷をつけないでください。楽しくない食事は摂る意味がありません。<健康のためにする運動>ほど不健康なものはありません。せっかくの健康ブームです。是非、自分自身と楽しく対話をするきっかけにしてほしいと思います。

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やせメタボ

読売新聞に「『やせメタボ』ご用心、脳卒中・心筋梗塞リスク」の記事がありました(2010.4.4)。

東京大学の門脇孝先生が主任研究者になっている厚生労働省研究班の研究報告をまとめたもので、メタボリックシンドロームの腹囲基準見直しを目的にした研究です。腹囲と脳卒中・心筋梗塞の発症の関係を調べたところ、腹囲が大きくなると発症リスクが高くなるものの、腹囲が基準値未満でも発症リスクは同様にアップすることがわかったというものです。門脇先生の「腹囲は有効な指標だが、高血圧などのリスクが重なれば、太っていなくても、脳卒中などを発症しやすくなる。従来のメタボの枠組みに加え、やせた人の対策も強化する必要がある」というコメントで、記事は締めくくられていました。

この結果はずっと以前から報告されている、至極当たり前の結果ですし、門脇先生もかなりことばを選びながら語っているのをみると、おそらく研究班の先生方は腹囲測定の意義をしっかり理解していると思われます。問題は、この結果をマスコミが報道するときに取り違えをしないかどうか・・・これまで報道されてきたメタボ健診バッシングのほとんどが、報道する側の無理解に起因していたように思われ、わたしが懸念することはその一点に尽きます。

メタボの判定に腹囲測定が何故あるのか?くどいようですが、以前書いたように、血圧・血糖・脂質の異常の合併(マルチプル・リスクファクター症候群)に内臓脂肪蓄積が絡んでいる人は内臓脂肪減少に自分で取り組むだけで病気が改善する可能性がある。内臓脂肪蓄積が絡んでいない人は、やせても改善しない可能性が高く、生活療法と一緒に早く病院受診(+内服治療)を勧めなければならない。その振り分けのために腹囲があるのであり、メタボ健診で引っかからなかったマルチプル・リスクファクター症候群の人は保健指導などという悠長なことではなくて早く医療機関への受診を勧めなければならない、ということをもう一度強調しておきます。

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特定保健指導

新年度になって、保健師さんからある相談を受けました。

特定健診の結果から、腹囲に加えて血圧、糖、脂質に異常がある方に<特定保健指導>を行うことになりますが、これらの項目に対して内服を始めるとその時点で保健指導の対象から外されます。保健指導を開始していても、途中でクスリを飲み始めたらその時点で対象から外されます。そのため、管理を依頼する保険者側も、その管理を請け負う医療者や健診担当者も、できるだけ無駄のないように、内服対象になりそうな人を初めにふるい分けしておきたいようです。だから、健診結果の一覧表を持ってくるので、<要精査><要治療>の紹介状が出る予定の受診者のうち、最初から内服をすべき人とまず生活療法になる人を分けてもらえないか、という相談でした。

わたしは丁重にお断りしました。彼らは、その指摘された異常がいつからあり、他にどんな病態があり、原因となる病気がないか確認し、仕事や生活習慣や家族のことを確認し、その上で内服を初めからした方が良いか、まず生活を頑張った方が良いかを本人と良く相談することが必要だと判断された人たちばかりなのです。彼らは、いずれにせよ、まず必ず医療機関に行ってほしい人たちであり、その後<特定保健指導>の対象になるならそう指示されるべき人たちです。行く前に、自分たちの都合に合うか合わないかという駒の選択対象にしてはいけない人たちです。

行政が求めていることは、被保険者の中からメタボの人を選んで、彼らを束で指導した上で、マスとしてその中の何%以上の成果が出たら合格!というものです。だから保険者もその下請け作業者も、一番効率よく合格点をもらえる方法ばかりを模索しているように思えます。メタボを指摘された人たちは、その各々に各々の人生があり、その各々がこの機会に何かを変えてほしいわけですから、少なくともこの仕事に関わる保健師の皆さんは、無駄骨になるかならないかなどという行政の打算の中に、自分の仕事をはめ込んでしまわないでほしいものだと、切に願っております。

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早歩き

職場で、見かけるたびにいつも前屈みで早歩きしている若い女性職員がいます。ちょっとうつむき加減で、身体を斜めにしていつも忙しそうです。

<何をそんなに急いでいるのかしら?>と思いながら、ふと、わたしの若かったころを思い出しました。

「先生はいつも歩くのが速いから追いつけませんよ。しかも、いつも下向いて考え事をしているみたいだから声も掛け辛くて・・・。」

同僚の先生によくそう云われていました。そんなに早歩きしている意識もないし、考え事をしながら歩いているつもりもなかったので、「そんなことありませんよ~。」と反論していました。今も当時と何も変わっていないつもりでいましたが、そんなわたしが、こうやって彼女の歩く姿に目を留めるということは・・・これが<若さ>なのかもしれません。たしかに今は、意識して急ぎ足で歩かないと彼女には追いつけませんし、何か声を掛け難いオーラが表情から漂っていました。したいこと(というより<しなければならないこと>)がたくさんあって、歩いている時間も勿体ないと無意識のうちに思っているのかもしれません。頭の中では、まず何をしてその次は何をしよう、と段取りを組み立てているのかもしれません。

本当は歳とともに時間の重要度は高くなるというのに、したいことも多くなるというのに、動きは若いころよりはるかに緩慢です。それでも、ちゃんと無駄なく仕事をこなしています。これが<経験>というものなのかしら。

「もっとゆっくり歩いたら?」と云うのもあまり意味のある助言とは思えませんし、ただただ「今日も頑張ってるな!」と眩しく眺めていることにしました。

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リッツ・カールトン~パッション(後)

翻って、うちの組織を考えたとき、もちろんリッツ・カールトンには足元にも及びませんし、パッションがパッションとして存在しきれていないことは一目瞭然です。組織を維持させることに一生懸命で、「それは理想だけど現実はそうはいかないもの」という考え方が、上の方から若い皆さんにまで浸透しているようでちょっと寂しい感じがします。

「あるファミレスの女子店員が新入社員のときにはとても光っていて、リッツ・カールトンにスカウトしたら?と勧められたのに、2年後に再び行ってみたら表情の乏しいマニュアル的な人間に成り下がってしまっていた」という逸話が、前出の高野登氏の本に出てきます(「リッツ・カールトンが大切にするサービスを超える瞬間」かんき出版)。そんなことが世間では当たり前になっている今だからこそ、せっかくの光をさらに輝かせさせられる力がほしいと思うことがあります。うちの組織にもそんな光り輝いている若者たちがたくさんいるのに、彼らがどんどん<常識>の渦の中に引きずり込まれて、みるみるくすんでいくのが辛くてたまりません。ただ、ここで前述のJリーグチームのM元社長のように、ほとばしるエネルギーを常に同じ高さに持ち続け、鬱陶しいくらいのテンションで、ウザイと思われるほどにパッション、パッション、パッション!と云い続けることは、それ自体にもの凄いエネルギーが必要です。

おそらく、一人でパッションを叫んでもただ浮くだけですが、それが同じ高さで伝搬して行くからこそ一人一人のエネルギー量が少なくてすむようになるのでしょう。それを鑑みても、やはりリッツ・カールトンの持つ情熱のエネルギー量は驚異的だと思います。

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リッツ・カールトン~パッション(前)

一方で、サービス提供者の立場としてリッツ・カールトンを見るとき、やはり圧倒的な魅力として飛び込んでくるものは、<パッション>。

●パッションは人を動かすエネルギー~どんな素晴らしい理念と仕組みがあっても、エネルギーがなければ動き出さない!
●パッションは伝染する~パッションは周囲の人を巻き込んでいくエネルギーで、その情熱が強ければ強いほど、現場や組織も大きく変わっていくものだ!

創立者たちのパッション(情熱)が従業員のすべてにしっかりと同じ温度で伝えられていくという伝統は尋常ではありません。どんな企業も、創立者のパッションは熱く激しいものでしょうが、伝統ある組織であればあるほど、受け継がれていくものは形式的な格式とプライドばかりになり、従業員はよく教育されてはいるけれどその中に流れるものは創立者のそれとはまったく違うものになっている・・・それが普通の大企業であり、それによって秩序が保たれているのだろうと思いますから、リッツ・カールトンのような徹底したパッションの伝搬は驚異的な風土だと敬服します。

わたしが応援する、ある地方のJリーグチームに、パッションだけで突き進んだ社長がいました。経営破綻でクビにはなりましたが、彼のパッションとその表現力は強烈で敵も多かったけれど巻き込む力も途方もなく大きかったと思います。ただ、彼の場合はそれを周りに十分伝染できなかった・・・不器用すぎたのかもしれません。これが世に云う「ワンマン社長」というカリスマなのでしょうか。

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リッツ・カールトン~おもてなし(後)

ただ、である。ただ・・・ケアリングクラウンの赤鼻に感じたのと同じような違和感を感じずにはおれません。「こころのこもったおもてなし」が「ホスピタリティ」の訳語でなければいけないのだろうか、と。

従業員が<紳士淑女である>リッツ・カールトン・ホテルは、利用するお客様が皆、自分が<紳士淑女である>ことを自覚しています。だからこの関係が対等でとても居心地が良いのだと思いますが、この考え方を、自分が<紳士淑女である>と自覚していない私たち庶民に対して向けられるとやはり何か申し訳なく、妙なくすぐったさを感じてしまいます。凛とした上品な言葉づかいと柔らかい表情でこころから慈しむ想いが伝わってくる対応をしていただいたとき、わたしはつい<よそ行きの顔>になって、「わたしには勿体のうございます」とちょっとドギマギして目線を逸らしてしまうのです。

あるいは、本の中にホテルのビーチでプロポーズをする青年の手助けをするエピソードがありますが、ビーチ係の彼が気を利かせて揃えてくれたチェア以外のグッズが、青年にとっては邪魔かも知れないとは思わないのだろうか?もっと彼なりのアイデアに満ちたプロポーズを考えていたのに、陳腐などこの教会にでも揃えてあるようなそれになってしまったってことはないのだろうか?・・・と考えると、一歩進んだおもてなしはかえって「いらん世話!」になるのではないか?・・・もともと謙虚を美徳とし、一歩身を退いて見ていただける関係に居心地の良さを感じる人が日本人には多いのではないかと考えたとき、大事なのはもっと日本文化に合った「ホスピタリティ」、つまりは「ホスピタリティ」という異国語ではなくて「こころのこもったおもてなし」という日本語の「おもてなし」の方法があるのではないか、と思ってしまうのです。

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リッツ・カールトン~おもてなし(前)

「先生もそれを読んでるんですね」・・・ブログに書きたいと思って、自宅の書棚から『リッツ・カールトンが大切にするサービスを超える瞬間』(高野登著)を久々に引っ張り出して持って歩いていたら、意外なところで意外な人たちからそう声を掛けられてとても驚きました。わたしが思っていたよりもはるかに多くの人が『リッツ・カールトン・ホテル』のことを知っているんですね。

リッツ・カールトン・ホテルのサービスの考え方の一端を初めて知ったのは、わたしの尊敬する鎌田實先生の著書の中にリッツカールトン大阪の営業総括支配人になった林田正光氏の話が出てきたときでした。当時は、この素晴らしいパーソナリティの人間がたまたまリッツ・カールトンに居ただけだ、と思っていましたが、実は、この人だからリッツ・カールトンであり、リッツ・カールトンだからこの人なんだなということが、高野氏の著書を読んで分かるようになりました。この本を読んだとき、たくさんの衝撃を受けました。

「紳士淑女にお仕えする我々も紳士淑女です」
クレド(理念や使命)とマニュアルの違い、社訓の違い
ホスピタリティ(こころのこもったおもてなし)とサービスの違い
エンプロイープロミス(従業員への約束)
パッション(情熱)・・・など

中でも一番の衝撃は「紳士淑女であるお客様にお仕えする私たちも紳士淑女であり、お客様と同じ目線で積極的にコミュニケーションを図るのが企業文化・風土である」という考え方でした。病院の仕事から健診の仕事に移る前からわたしは「医業はサービス業である」と云い切ってやってきました。だから、目線は常に患者さん(受診者の方)より下からでなければならない、と強く意識しながら診療をやっていたのです。それが<下からではなく同じ高さ>であることでむしろ相手に気兼ねなく相談できる居心地の良い気持ちにさせることができる、これこそが<こころのこもったおもてなし>=ホスピタリティの基本だと云うのです。「目から鱗」状態でした。

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脳ドック

プロ野球の若いコーチが練習中にくも膜下出血で倒れて、結局亡くなられました。若い人のクモ膜下出血は、多くが先天性の動脈瘤か動静脈奇形が原因だと考えられます。彼もそんなものだったんだと思いますが、残念ながら若い人はよっぽどのことがないと脳の検査を受ける機会はありません。彼は前触れのような頭痛があったことがインタビューの映像から分かっていますが、だからと言ってアスリートである彼が病院に行く可能性はやはり低かったと思います。ただ、おかげさまで、突然「脳ドック」の問い合わせが殺到しています。だれかがテレビで「若い人は脳ドックを受けるべきだ」と云ったとも聞きました。芸能人が心筋梗塞になれば心臓ドックが、脳梗塞になれば脳ドックが、前立腺がんになれば前立腺ドックが人気になる・・・やはりテレビの影響はとても大きいものだと思います。

そんな中、うちの職員さんが、「先日、友人から電話があって、『ちょっと頭がピキピキ痛いからMRI検査を受けようと思うんだけど、どこがいいかな?』と云うんです。」という話をしました。

何か最近こういう人が多くなった様に思います。<頭が痛い>なら、「脳神経外科や脳神経内科を受診する」というのが普通です。なのに、「MRI検査を受けたい」とか「CT検査を受けたい」とかそういう云い方をします。風邪をひいたから薬店で「ルルを下さい」と云うのと同じ感覚でしょうか?<最先端の検査を受ける>というのが魅力なのか、それとも<医者>という存在が信じられないという意味か・・・?どんな良い検査を受けたところで、その「頭痛」の解決に繋がらなければ何の意味もないと思います。やはり、まず専門医を受診して、診察の後で医者が必要だと思われた検査を受けるというのが一番無駄のない解決方法だと思うのですが、いかがでしょうか?

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第一歩

古傷の左膝関節を先日のゴルフの最中に痛め、いまだに階段を上る時に「アイタッ!」と思わず声を出してしまうことがあります。関節の軋むような痛みは、思いがけない時に出るので、本当に憂鬱です。

いろいろ思案した挙げ句、階段を上る時に右足から上り始めるように注意することにしました。第一歩を反対の足にすると第二歩目の左足の時に思いがけない「アイタッ!」がなくなることを突き止めたのです。これはそれなりに奏功しました。ただ、わたしのカラダは、100%いつも左足から第一歩を出すようになっていて、階段を前にすると無意識のうちにちょうど左足から第一歩を出せるように歩幅が調節されます。だから、右足から上るためには階段の前で必ず一回立ち止まらなければなりません。カラダの無意識の調節というのは良くできているものだなと感心する一方で、変えられない自分にちょっとイライラします。

そういえば、いつも左の奥歯でモノを噛むので、カガミに映るわたしの顔が左に歪んでいてビックリしたことがありました。あのときは意識して右でモノを噛むようにがんばりましたが、結局いつの間にか気にしなくなり、今はまた左に歪んだままです。

クセというモノは、そう簡単には変えられないものなんだと、納得しております。

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運動負荷試験

先日、運動負荷試験(トレッドミルテスト)を受けてみました。

特に胸が痛かったわけではありません。高血圧の内服治療を始めて5年くらいになります。良い値できていましたが、最近ちょっと高めの値を見ることが増えてきました。他人には「このレベルが続くなら脳卒中の率が上がるので内服の追加が必要です」と、治療ガイドライン通りの説教をしますが、自分では大したことだとは思っていませんでした。

今回の職員健診でCT検査を受けたら知りたくもない事実を知ることになりました。大動脈だけでなく冠状動脈(心臓の筋肉を栄養する血管)にまで石灰化(動脈硬化)像が写っていたのです。これは思いの外、こころをぐらつかせました。この年齢で高血圧治療をしているのだから、石灰化くらいあってもおかしくないのですが、自分の体内にそれがあるとわかると何か気味が悪いものです。そういえば何となく左胸の辺りの胸苦しさが感じられる・・・動いているときの症状じゃないから大丈夫だろ?と自問自答しながらも、何か客観的な証拠が欲しくて、トレッドミルテストを受けてみました。

始める前の血圧が高めでした。運動を始めるとすぐに下がって運動耐容能は十分あることがわかりましたが、でも開始前の血圧が気になりました。運動後の血圧もなかなか落ちません。冷静に考えたらどうという値ではありません。いつまでも若いときのままではないことくらいは悟らなければ・・・。そして心電図。技師さんが「特に問題はありませんでしたよ」と云いながら手渡ししてくれた心電図・・・ん~、どうしたもんかなあ、この所見。循環器科医として冷静に読むなら<白に近い灰色=偽陽性>・・・「今、特にどうということはありませんが、きちんと血圧と体重管理をして定期的に運動負荷検査を受けてみてください」と説明するであろう程度の所見・・・ん~でもやっぱり気味が悪いなあ。

自分で受けてみて、初めてわかるこの<偽陽性>所見の積み重ねの覚束(おぼつか)なさ・・・気にしなくても大丈夫と他人には云いながら、運動して良いかどうか意外に気になるのは、やはり歳のせいでしょうか。

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向こうがブレーキ踏みますよ。

先日、うちの妻が恐怖体験を語りました。

職場の同僚が運転する車の助手席に乗せてもらったのだけれど、車がすぐそこに近付いてきたときに突然道路を横断したのだそうです。「危ない!」と思わず声を上げましたが、「大丈夫ですよ。危ないと思ったら、向こうがブレーキを踏みますから。」と、こともな気に云って平然と運転を続けたのを見て、「二度と彼女の車には乗らない!」と妻。こういう人同士がたまたま出会ったときに派手な交通事故が起きるのでしょうか。うちの施設の前の交差点では数ヶ月に一回は衝突事故が起きます。見通しの悪い交差点です。一旦停止線があるにも関わらず、そのまま突っ込む車があるから起きる事故です。我が家の近くの住宅街でもその手の事故は後を絶ちません。どうしてこんな見通しの悪い上に狭い交差点を一旦停止どころか減速すらせずに通過できるのだろう?何でも、「滅多に車は来ない道だから」なのだそうですが、滅多に来ないからこそ危ないんじゃ?と思うのは、私だけなのでしょうか。

職場の若手職員にも、仕事をテキパキとこなして殊のほか正義を重んじるのに、運転中の車線変更のときに絶対ウインカーを付けない男が居ます。右折し始めてからウインカーを付ける人間も居ます。とても意外で、そのギャップが残念でたまりません。

わたしは、信号無視のトラックに交差点でぶつけられて以降、大きな優先道路を走行中でも、左の小道に車が見える度にいまだに条件反射のようにブレーキを踏んでしまう人間です。悲しいかな、こんなトラウマ人間は、世の中こんなヤツばっかりなんじゃないのか?と疑心暗鬼になってしまいます。

隣国の方々や欧米諸国の人間と違って、日本国民はもっと「道徳心の強い」国民ではなかったのでしょうか?

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イヌの道徳観

このブログ(ココログ)の編集画面に紹介されていた<The dog actually Times>の「遊びのルールに見る、犬の道徳観念」という記事を読みました。アメリカの科学雑誌『Scientific American』で紹介されたものの話です。

それによると、イヌの社会にも遊びのルールがあるというのです。
●遊びに誘う時は<お辞儀のポーズ>をするが、誘った方がそのポーズの後に怒ったり威嚇したりしても誘われた方はそれを怒らない・・・これは<遊びの中のもの>というルールがはっきりしているからで、これによって遊びが戦いに発展しない。
●イヌたちは自分にハンディをつけて相手の能力と平等になるように心掛けている。遊びを公平にすることで、誰とも平等に一緒に遊ぶことができて、絆や結束力が強くなる。
●遊んでいる途中で、度が過ぎて偶然に遊び相手にケガをさせたりすることがあるが、そういう時はすぐに人間がするのと同じように謝る行為をする。この時、遊びを続けるためには、謝られた方はそれを許さなければならないというルールもある。遊びの中でも理解力と寛容力が必要なのである。
●何度も公平性に欠けるような行為をするイヌは仲間はずれにされ、ついには群れから追放される。その場合、死亡率が4倍高くなる。

うちにいるチビ1歳と婆12歳の遊び関係を見ていると、まさしくそのまんまだと思います。「フェア・プレイの精神は、社会を作り、社会の絆を維持するために発展し、ひいては、個体の生存、種の繁栄へと結びつくものだと考えられる」と書かれていました。「イヌと人間の道徳観念が一緒だから1万年以上に渡って共同生活をすることができたのだろう」と締めくくられたその文章を読みながら、少なくとも人間界はこのルールがまったく崩壊しきっているのではないかと懸念しています。

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相性(後編)

わたしがまだ若かった頃、外来で診ていた患者さんから「先生は細かいことまできちんと説明してくれるから、他の先生より安心できる」と云われたことがあります。いい気になっていたら、他の医師を通して「あの先生(わたしのこと)は曖昧なので云うことが信用できない。私は『大丈夫』の一言がほしいのに・・・」と云う患者さんがいた、と伝えられました(最近外来に来ないと思ったら、そういう理由で医者を代わっていたのです)。つまり、そういうことだと思います。わたしの医師としての態度や素質が良いとか悪いとかの問題だけではなく、同じやり方をしても患者さんによって良い医者にも悪い医者にも見えるものです。だからこそ、自分に合う医者を自分で早く見つけ出すことが、自分の病気をうまくコントロールできる一番の近道だと思うのです。

こんな場合わたしたち医師はどうしたら良いでしょう。自分にはどうしようもないのだから、わたしを嫌いな人は他に行けば良いんじゃない?・・・昔わたしはそう思っていました。でもいつの間にか少し変わってきました。そういう考えになるのはまだまだ患者さんのこころのなかに入っていない証拠なのではないか、と。相手を知れば知るだけ相手の中に入れると思います。そうすると、この人には細かい説明をした方がいい、この人にはあまり語らず「大丈夫だからわたしに任せなさい」と云っておいた方がいい、などという使い分けが自然にできる気がします。結局は人間関係・・・自分から変わって行こうとする気持ちがお互いに出てくると、「相性」なんて意外にどうってことなかったりして・・・。だから、「最初に出会ったときには『こいつだけは大ッキライ!』と思ったのが、今の旦那さん♪」なんてことが世にはたくさんあるのでしょう。

あれ?何を書きたかったんだったっけか?

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相性(前編)

「ほとんど病院にかかったことがないのでわからないのですが、どこに行ったらいいか、先生のお薦めを教えてください!」

よくこういうことを云われますが、わたしは基本的には教えません。本人が会ってみないとその先生とうまく合うかどうかが分からないからです。何かの病気があるかもしれないから精密検査を勧められたというのであれば、その筋で権威のある専門医を紹介します。多くは一回ぽっきりの関係ですから。でも、生活習慣病の場合はこれから一生付き合うかもしれない相手ですから、結局は人間関係であり、それは相性だと思います。

「あんたはこの病気の権威かも知れんけど、わたしはあんたとは話したくもないわ!」と思うような医師のいる病院にガマンして通院していても、何ら価値はありませんし、良くなるとも思えません。また、医療者受けの良い先生が必ずしも患者さんに評判がいいとは限らないということもこれまでに多く経験してきました(わたしたちには不思議でたまらないのですが、なぜか多くの患者さんから評判が悪いのです)。とにかく一生のつき合いになるわけだから、相性のいい人を捜す方が良いに決まっています。口コミから目星を立ててとにかく受診してみてほしいと思います。会ってみて、「合わない」と思ったらさっさと次に変わってください。「信用できない」とか「会いたくない」とか思ったときにそのまま治療自体を中断してしまう人がいて、それがとても心配なのです。面倒くさくても新しい人間関係を早く探し直してほしいと思います。

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タウンページ

「最近、胸の辺りが痛くって・・・」
「そんなときはタウンページで・・・『人間ドック』!」
「良純さん・・・」

最近流れているタウンページのCMです。これを見るたびに気になってしょうがありません。これを考えたコピーライターさんかスタッフの方にわたしは強く抗議したい!

胸が痛かったら、人間ドックなんかを勧めないで、直接病院の循環器内科を受診させなさい!人間ドックでさらっと通り一遍の検査なんかしたってどうせ異常はみつかりません。狭心症かどうかを確かめる検査なんか何一つしないのですから、それで「異常なしです」と云われて「良かった、良かった」じゃあ、元も子もないじゃありませんか。何か都会では人間ドックを本当にこんな使い方で利用している人が多いと聞いたことがあります。使用方法を誤るととんでもないことになるので、とても心配です。声を大にして云いたい!・・・人間ドックは「特に気になる症状がない」人が行くところです。

人間ドックを勧めるCMを作るなら、

「最近うちの職場の上司が急に倒れて入院した。あんなに元気だったのに心配だなあ。」
「そんなときこそタウンページで・・・『人間ドック』!」

でしょ!

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振戦

ここ数日、「手が震える」ということで悩まれている女性の受診者さんからの相談を続けて受けました。昨日も70歳代のある女性から相談されました。

脳ドックや神経内科外来を受診した結果、特に何か原因のある病気ではなく、「老化にともなうふるえ」と診断されました。これを正式には<本態性振戦>といいます。「生活に支障がなければ特に治療をしなくても大丈夫です。」と云われたそうで、本人もそんなに大したことはないからと安心して帰ったのだそうです。で、何を相談したいかというと、「特に人前で緊張したときにどうこうではないのだけれど、たとえば本を手に持って読もうとすると震えてしまって文字が読めない、化粧をしようとすると手が震えて紅が引けない、ごはんを食べようとすると震えてこぼれる、という日常です。これはどうしたらいいでしょう。」ということです。

「生活に支障がなければ治療をしなくても大丈夫」ということばをどういう風に受け止めたのかわかりませんが、「それを『生活に支障がある』って云うのではないですか?試しに一度内服薬をもらって飲んでみてはいかがですか?」とだけ助言しました。<本態性振戦>は大雑把にいえば自律神経の過剰反応が原因です。だから何かをしようとするときほどひどくなる(企図振戦)のが特徴で、一般的には高血圧や不整脈治療でも使われる<交感神経遮断薬>が処方されます。飲んでみたら震えがピタッと止まるというようなクスリではなく、効かない人にはほとんど効きませんが、有効な方にはそれなりに有効なようです。

「治療のコツは『気にしないこと』です。」・・・医者はこともなげに云いますが、不整脈や高血圧と同様に、『気にしないこと』はご本人にとって意外に大変なことなのです。

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天職

まだ人生を総括するような歳ではありませんが、「自分の天職」は何なのだろう?と思うことが、最近少々増えてきました。

たぶん<医者>ではないな、というのは分かります。わたしの今世の役割は医者として周りのひとを癒すことではないような気がするのです。<医者>という身分はとても有り難いもので、平気で思ったことを云って思った通りに行動したとしても、それが道徳や社会性に反していない限り、そして妙な出世を考えているのでない限り、あまり摘み出されることはありません。そのため、とりあえず<医者>の仮住まいを使っていますが、たぶん、わたしが今世ですべき仕事は全然違うんだろうなと思います。

以前、「『あなたのしたいことがあるはずだからそろそろそれをしなさい』とあなたのお母さんが云ってますよ」と、ある霊能者の方から云われたことがあります。「それは何ですか?」と聞くと「『わかっているはずだ』と云ってますよ」と微笑まれてしまいました。結局それを宿題にされたまま、分からず仕舞いに1年半が過ぎました。

たしか、あのときに「こころざし」の色紙をもらったんだったなあ。

まあ、焦らなくてもいいんだろうなとは思いつつ、でも、何なんだろう?生きている間に出会うことはできるのだろうか?

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夜勤明け

先日、あるガソリンスタンドで「特定業務従事者健診」がありました。簡単に云えば、「夜勤業務をする人たちの健診」です。

ご高齢の方が多かったのですが、中にとても不機嫌なおじさんがおりました。
「今日は夜勤明けです。」・・・診察をしようと呼び入れたら、最初にそう云いました。
「夜勤明けに受けたくないから、『改めて近くの病院で受ける』と云ったのだけど、『それなら自費になる』と云われたからやむを得ず来たんだ!」

夜勤明けのままで「カラダがきつい!」ということもあるかもしれませんが、「もし検査結果が悪くてもそれは『夜勤明け』のせいであって、本来は悪くないはずなのだ」ということを主張したい様子でした。「本来、夜勤勤務が健康状態に悪影響を与えないかを調べるのがこの健診の目的ですから、夜勤明けに調べるのは一番良いことですよ。」と、なだめる様に話しましたが、彼らにしてみたら、病気を見つけ出されるのは<迷惑>なのです。それは、直接雇用に関わる問題です。病気が見つかったら解雇されるかもしれないという危機感をもっているように思われます。

以前、健診で異常を指摘されたから翌日すぐに近くの医院に行って再検査をしてもらったら「問題なし」の評価を受けた。だから、健診結果を「異常なし」に書き直してほしい!と主張してきた人がおりました。定期健診の結果は自分の健康状態の評価であり、悪いところは早めに改善させましょう!・・・私たちは単純にそう思っていますが、不況下の今の世の中、健診結果が悪いという評価は、<迷惑>以外の何者でもない様子です。

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