« 名前 | トップページ | 最近、グチが多いよ。 »

流れる声

わたしの職場で、ちょっと気になる云い方をする声の持ち主が居ます。

大声な上に早口で、だから聴き取れない、ということなのかなと思います。毎日多くの受診者の方と限られた時間内に接して必要な検査をこなさないといけないため、職員はついつい早口になります。日常のカンファレンスやミーティングで何度もその話題は出ますし、その都度注意を促すようにしています。

それでも早口になる。ただ、この職員さんはそれ以上に聴き取れないのです。滑舌の問題もあるけれど、どうも声が流れているのではないか、と気付きました。受診者に話していることばの内容と全く違うことをカラダが行っているのだと思います。あいさつや自己紹介をしているのにカラダはすでに機械の準備をしており、受診者が機械に構えたときにはその注意を説明しながらカラダは次の準備をしています。仕事効率はそれの方が良いのかもしれませんが、口が勝手に動いているだけで残念ながらこころは受診者に向いていません。いや、向いているのかもしれませんが、おそらく受診者のこころとベクトルやタイミングが一致していないのだと思います。こころの一致があれば早口でも付いていけるのではないでしょうか。

先月、別の職員が「あんたのかけ声のタイミングは、ワシには合わんのじゃ!合わせる気がないんじゃないのか!」と受診者の方にお叱りを受けたことがありました。これもまた、受診者の方のこころに合わせる努力が足りないのだろうと思います。

わたしもまた、今でもときどきそういう時があります。完全にこころが次の作業の方向に向かっていて、声だけが発せられているのです。・・・反省しきりです。

|

« 名前 | トップページ | 最近、グチが多いよ。 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

なるほど。まさしくそうだなぁと感慨深く読みました
このようなこと、僕もよく日頃から考えています。

☆どのような仕事でも、そこに多くの人が関わっていて、そのひとりひとりに心がある。自分に心があるように、人にも心がある。だからなんだ?と言われれば、ハイそれまで。
相手の心を忘れた時に物事はうまくいかなくなる。そんな体験や実感があります。相手の心を大事にしなきゃと、僕は言う。だからなに?そんなの当たり前じゃないか?と言われる事がある。でもきっと当たり前なんてことはない。人の心は定義できない。人の心なんてわからない。
正しくは、わからないから、わかりたい。それが僕の当たり前。
いや当たり前じゃないかも知れないな。この当たり前は僕の当たり前だから、人にとっては当たり前ではないかも知れない。だとすれば、拒絶反応が起こる。その違いが、人の心かも知れない。そんなことも含めて、わからない心をわかりたい。★


と、いう具合に、ぐるぐると考えました。

自分がどう相手に伝わるか、相手がどう感じるのか。相手が今どんな気持ちで、自分はそこでどう動くのか。
考えすぎると、わからなくなってきて、結局何もできないまま終わる。動きながら感じて、相手と自分を見つめて、さらに動く。

なかなかむずかしいことですが、人との関わりはそんなに簡単なものではないっていう当たり前を、心に持って置かなければなと
しみじみ考えました。

ありがとうございます。

投稿: キノシタ | 2010年4月21日 (水) 16時07分

キノシタさん

コメントをありがとうございました。
「そんなの当たり前だよ」という御仁は、基本的にはあまり考えてないか本当の感じ方ができていないお方のように思います。
ただ、最終的には「心」のつながりはあまり理屈で考えすぎてもうまく行かないもののようにも思います。むずかしいですね。
奇しくも、くだんの「立て板に水」に出てきた患者さんから数日前に久々にお手紙をいただいたばかりでした。

投稿: ジャイ | 2010年4月22日 (木) 01時22分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 名前 | トップページ | 最近、グチが多いよ。 »