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2010年6月

芝居への思い入れ

「わたしは、あなたのような人生の楽しみがほとんどないから羨ましいなあ。」

若い頃から湯布院映画祭に身と心を注いで、この季節になると仕事をほどほどにしてでも映画祭の実行に没頭している高校時代からの友人に、ついつい本音のメールを出しました。そしたらすぐに返事が来ました。

「私から見れば貴方の人生においての楽しみは演劇(あれは楽しみではないと言わないでね。いまだに連絡があれば見に行ったり、気にしていたりという行動を見るにつけ、聞くにつけ、そう思います)。」

実は、まったく同じ事を数年前、他の古くからの異性の友人からも云われたことがあります・・・「あなたはやはり演劇(芝居)がライフワークだと思うよ」。

5~6年前、大学時代の友人の劇団の公演を観るために上京して、その打ち上げに参加したときに、「宝くじを当てたら、さっさと家のローンを返して、仕事をやめて役者になりたいんだ!」と云ったら、その場の全員から「やめておけ!」と一蹴されました。「おまえは役者の器じゃない」という意味か、「医者の仕事をやめてまでする選択じゃない」と云ってるのかよく分かりませんでした。

「芝居なあ?・・・正直に書くと、何か10年前ほどの思い入れがなくなってきた気がします。自分の生活が忙しければ忙しいほど、もっと頑張っている連中がいることが励みになり、俺も頑張らなきゃ!と思ったのかもしれません。でも、徐々に自分の生き方に張りがなくなってくると、同時にあまり彼らの姿が羨ましくなくなってきたりするのですよ。」

映画祭実行委員の彼に答えたこのことば・・・くやしいけれど、これが本当に今のわたしの素直な気持ちなのかもしれません。

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わたしはこの人が大嫌い!

「わたしはこの人が大っ嫌い!このしゃべり方を聞くだけで虫唾(むしず)が走るの!」

ある自民党の元防衛大臣が、テレビで菅総理大臣の態度を批判しているのを見ながら、妻が指差して吐き捨てるように云いました。「嫌いなら見なきゃいいじゃない?」・・・ついついそう思って苦笑いするわたし。もちろん、わたしもこの男は嫌いです。人間の好き嫌いがほとんどないわたしの数少ない「嫌いな人」のひとりです。しゃべり方に全く誠意がなく、上に立つ器じゃないと思います。だから、完全に無視しています。彼がテレビ画面に出ていても聞いていないのであまり腹も立ちません。「無視するか、番組変えるかしたら楽だよ」・・・妻のあの苛立った云い方を聞くとついそう云いたくなります。

「ジャイアンツが大嫌い!ジャイアンツが勝つだけでイライラする」という、いわゆる「アンチ巨人」の皆さんも、わたしは実はあまり理解ができません。子どもの頃にONにあこがれて巨人大好き!だったわたしも、高校あたりからファンではなくなりました。でも、別に「アンチ巨人」ではありません。存在自体にあまり意義を感じなくなったからです。わたしは西鉄ファンから西武ファンとなり、今はあえて云えばソフトバンクファン(プロ野球自体が面白くなくなりましたが)・・・巨人が勝ったとか負けたとか、そういうことに何の興味もなく、「アンチ巨人」という言葉自体の意味がさっぱり理解できないのです。

妻のことばは何かこの「アンチ巨人」と同じ臭いがします。その存在に全く興味のないわたしと違って、もしかして彼女は基本的にI代議士のことが気になってしょうがない、ってことかもしれませんね?

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別人かと思った。

先日、多くの施設が一同に会する会合があり、うちの施設の代表として参加しました。わたしの席の隣りには、今度新しく某施設の施設長になられた先生の名前が書かれていました。もともと臨床の場の部長をされておられた方で、わたしが世話人をしていたある研究会で最後にお世話になったのはかれこれ3~4年前だったと思います。

久しぶりにお会いするのでちょっと緊張しましたが、隣りに来られて誰かと話している恰幅の良い男性はわたしの知らない人のように見えました。お忙しくて結局代理の方が来られたのかな、などとちょっと落胆しましたが、それでもそっとその横顔を覗いてみたら、何となく面影が・・・。思い切って声をかけてみましたら、当のご本人でした。

「歳とったなぁ。」・・・それが素直な印象でした。口元にも眼光にも、当時の鋭さがまったく消えてなくなって、まるで「好々爺」に見えました。高々3~4年の違いだけなのに・・・まったく別人のようです。

そう考えると、この施設長とほぼ同世代の、昨年13回忌を迎えたわたしのボスの遺影の写真は当時のままの若さだったことを思い出します。彼の奥さまが「わたしだけおばあちゃんになっていくのね!」と語っていたのが印象的です。

わたしはあと10年後にはどんな風貌になっているのでしょう?どこかで医者として現役で働かせてもらえているかどうかもわかりませんが、できるならばできるだけ若く輝いていたいな、とそんなことを会合の場で思いました。

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習慣

数年前、わたしは昼休みに毎日職場のフィットネスジムにいました。自他ともに認める「運動中毒」で、昼休みにわたしに用事がある人は直接フィットネスジムに連絡をくれるくらいでした。「少しでも運動しないと気持ちが悪い」と云って、ほんの20分でも時間ができたら運動をしていました。仕事量が増えて午前中だけではこなせなくなったとか、他のスタッフがまだ仕事しているのに遊んでいるのは申し訳ないとか、いろいろな言い訳をしながら昼休みにデスクでパソコンをいじるようになってもう1年近くになります。

毎日自転車通勤をするようになったのは1年半前でした。雨さえ降っていなければそそくさとリュックを背負いヘルメットをかぶって玄関から自転車を抱え出していました。「今日は寒いから止めたら?」と妻に云われながらも「決めたことだから」と頑なに続けていた頃、職場への行き来がとても楽しくてウキウキしていました。秋に頸椎ヘルニアの症状が悪化したのをきっかけに、なかなか自転車を触る機会がなくなってきました。それでも近いうちに再開するんだと念じながら、定期的に埃を払い、抜けた空気を入れ直すことは忘れていません。

「酒は毎日コップ1杯だけ」・・・今では信じられないうそのようなことをしていたのは何年前だったでしょう。みるみる減っていく体重が面白くて、日に日に低下する血圧がうれしくて、毎日トライする自分の姿を楽しんでいました。

「習慣」というのは面白いものだと思います。カラダに良いとか悪いとかそんなことを意識してやっていることではないのに、せずにはおれないからする、無意識にそうする、ただそれだけの繰り返しなのですが、これが何かのきっかけでしなくなったらしなくなったで、「せずにはおれない」などという感覚は全くもって消え失せるから不思議です。「二度とあんな生活には戻りたくない」なんて全く思いません。楽しい思い出ばかりですから。いつでも戻れるさ、と思いつつ、二度目は意識しないと「習慣」にまでたどり着きにくくなっていく現実も実感しています。

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基準値

「基準値」という数値があります。「正常値」とよく間違われますが、そうではありません。「正常」と称する人々の平均点とバラツキの範囲です。

とは分かっていても、多くの人は頑なにその数値範囲内に収めることにこだわっています。健診や病院の検査なら、この「基準値」からわずかにはずれるだけでも赤や青の派手なアラーム印がつきますから、いやでも気になるようです。以前にも書いたことがありますが、範囲内に収まっていても上限ギリギリだとか下限だとかで悩み、毎年正常範囲の中を上下していると悩む人もいます。みなさん、本当に無理矢理悩み事を見つけだすのに忙しそうです。もちろん基準範囲内でも気にしてほしい場合(たとえば年々上昇する肝酵素や中性脂肪値など)はありますが、概ね、気にする必要のない「異常値」に無意味に悩んでいることが多い気がします。

やはり標準値付近に居ることが安心なんでしょう。特に日本人は「みんなと一緒」にやすらぎを求める国民性だと云われます。出る釘は打たれます。徒競走にも順位を付けなくなったと聞きます。「食べ過ぎです」と云うと、「普通の量しか食べていません!」と反論するのも同じ発想なのでしょうか?標準よりやせているから必死で太ろうとしている糖代謝異常の男性や、10kgもやせたのに「標準体重まであと10kgは減さないといけない」と本気で考えている女性など・・・世の中、「背が高過ぎるから縮めなければ!」と悩んでいるような本末転倒な人が多すぎやしませんかしら?

「普通量」でも太る人は、何も食べなくても生きていけるように神様がプレゼントしてくれた選び抜かれたカラダ・・・有り難いことです。人類が滅亡しても生き残って種の保存をするように義務づけられた人ですから、こんなところでくたばってもらっては困ります。

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何も云えなかった。

「結局、思っていたことの半分も話せませんでした。」

わたしが定期的にメンタルの面談をしている若者が上司と話をする機会をもらいましたが、思うように云いたい事を告げられなかったことを後悔しながらわたしにそう話してくれました。

わたしにも経験がありますので、その気持ちがよく分かります。・・・明日は人事考課の面談がある。こんな機会しか上司に意見する場はない。自分がどんなに不満を持っているかをとことん訴えてやろう!それを分かってもらえないならさっさとこんなところを辞めてやるんだ!鼻息荒くそんなことを考えていたら、前の日の晩はなかなか寝付けませんでした。こう云ったら、相手はこんなことを云うかもしれない。そんなときはこう云い返さないといけないな・・・どんどん頭が冴えていきました。

そんな睡眠不足のまま朝を迎えたら心はあまり冴えません。面談のある夕方が近付くにつれて、気持ちがもっと高揚するのかと思ったらなぜかむしろ徐々に沈んでいくのです。面談の約束の時間が近づいたころ、何か急にどうでも良くなってきました。まあなるようにしかならないし・・・気付いたら和気藹々とした面談が終わっていました。「最後に何か云っておきたいことはありませんか?」「いや、特にありません。」・・・そう云って部屋を出てきた自分に突然自己嫌悪が襲ってきました。

そんな昔の自分を思い出しながら、彼の無念さと空しさと、そのために数日眠れなかったであろうことを思ってそっと心を痛めました。

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受診勧奨

「もしも4年前の『便潜血陽性』に対する精密検査をしつこく勧めていたら、この方は手遅れの大腸がんにならなかったかもしれんのだよね。ものすごく大事な教訓だよね。」

内視鏡検査のチーフであるM先生がそうコメントしました。毎年、うちで人間ドックを受けている50歳代のある男性の便潜血検査は2006年からずっと「陽性」でした。「便潜血」は大腸がん検診の基本です。これが陽性の場合は必ず全大腸内視鏡検査を受けるように診療情報提供書が発行されます。医療機関から返信がない場合は3ヶ月後と6ヶ月後に再度受診勧奨することになっています。この男性は結局それらのすべてを放置して受診しませんでした。2008年には<潜血3+>だったのですが、「痔のせいだから受診しない」という未受診理由が書き添えられました。<便潜血2+~3+>は明らかな出血です。肛門近くの出血(一番多いのは痔核)のことが多いのですが、逆にがんの立場から云えば、+度が高いほど悪性腫瘍が存在する可能性が高くなります。「痔がある人にがんがない」わけではないからとにかく内視鏡検査を受けて白黒つけてほしいのですが、仕事が忙しいから放ったらかしていた彼はきっと痔がなくても行かなかったでしょう。今年の検診の後に行った近くの病院で、進行性大腸がんがみつかりました。

わたしたちは、「要精検」に対して医療機関を受診するようにいろいろなアプローチをしますが、それでも理由を付けて受診をしてくれません。うちの施設の便潜血の精検受診率は60%です。うるさく催促して精検を受けてもらっても多くの場合は異常なく、仕事まで休んで受診してもらうことを考えると、受診勧奨とはいえまるで押し売りの営業マンのようにしつこく電話することがなかなかできないのも分からないではありません。でもやはり、残念な結果でした。

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入会勧奨

わたしたちの施設には、生活習慣病改善のために運動や食事に取り組むプログラム商品があります。もちろんそれなりの値段はしますが、その代わりそれに見合う以上の効果が得られる商品として自信を持って提供しています。

でも、思うほど入会者が増えてくれません。入会した人はほとんど全員が満足してくれるのですが、なかなか入会までこぎつけないのです。健診結果の説明や保健指導の時が入会勧奨の最大のチャンスなので、勧奨強化キャンペーンを何度も張りますが、どうもうまくいきません。何かヒトのココロを引き付けるノウハウがあるはず・・・行動変容を促す研修セミナーはたくさんあるのだから、入会勧奨の方法を教えてくれるセミナーもあっても良いような気がしますが、どなたか知りませんか?

以前、驚異的な入会者数をひとりで引っ張ってきた保健師さんがおりました。彼女が保健指導をすると極めて高い確率で入会を希望するのです。その秘訣は何?と聞きましたが、「自分では良く分からない。結局『熱意』ですよ。とにかく熱意を持って話してみれば良いんですよ。」という答え。それはスキルではなく彼女の持って生まれた天分なのかもしれません・・・。一般企業の営業マンでも、必ずしも口がうまい人の売り上げが良いわけじゃない、というのは常識。一体そこには何があるでしょうか?

基本的に医療者は営業マンではないので、高い金のかかる商品を押し売りするような行為は気が引けてなかなかできません。医者の結果説明で「何とかしなければならない」と思い、オリエンテーションでそんな人にピッタリの商品があるという話を思い出し、自分から「それ」の話を聞きたい、と意思表示してくれたらどんなに楽なことか・・・若い保健師さんたちは、やはりそんなことを考えてどうしても弱腰なんでしょうね。だって、別にノルマじゃなし、売れなくても困るものじゃないんですもの、ってところでしょうか。

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歌舞伎座

先日たまたま、春に建替えのために閉鎖になった歌舞伎座のテレビ番組を見ました。

「ザ・ノンフィクション・さらば歌舞伎座~その愛された理由」(フジTV)

東京に住んでいたころ、たった1回だけ歌舞伎座で歌舞伎を観たことがあります。職場の受付のお嬢さんが、「母に頼むと割といい席を取れますけど、奥様と行かれませんか?」と声を掛けてくれたのです。そんなことでもなかったら、一生縁がなかったであろう世界だと思います。舞台の華やかさだけではなく、昼間のお弁当や土産売り場や、そこにはお江戸の古い文化の臭いがプンプンしていました。

テレビ番組は、表舞台の役者さんたちを支える裏方さんの人間模様を映し出していました。どんな世界でも同じですが、何か一つの世界を裏で支える人たちの小さなこだわりと、それをそっと認めて信頼している表舞台の人たちとの深い人間関係がわたしはとても好きです。お客様にとって舞台に全然関係ないいろいろなことが・・・番組に取り上げられているから白日の下になるけれど、普通は役者さんに気付かれるかどうかわからない、そんなことにこだわって工夫している。基本、見返りを求めていない彼らが、「どうだろう?気付くかな、これ?」みたいな、高いところで密かに完成を求めている世界の、そんな小さな人間関係が好きでたまりません。というか、それがものすごく羨ましく、自分もそんな人間関係の中で生きていけたら最高に幸せだろうな、と思うのです。

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これからの寂しい人生?

「あ~あ・・・。先生の云うことは良く分かりますけれど、そんな食生活してたらそれはもう健康的なのかもしれないけれど、食べるのだけが楽しみなわたしにとっては人生の終わりですよね~。」

糖尿病、脂肪肝、高中性脂肪血症・・・何も食わなくても生きていけるようにご先祖さまが準備してくれたたくましい体質のこの男性(40歳)は、食べなければ食べないほどどんどん元気になっていく恨めしいカラダなわけで、そんなお話をしたら、ため息混じりに素直にぼやきました。

受診者のみなさんからは良く聞かれることばなのですが、最近『満腹感と満足感は別物』というのが実感として分かるようになってしまったわたしは、このことばを聞く度にとっても寂しくなり、上手く伝えられない自分に苛立ちを感じます。
「それは、やったことのない人が、やりたくないから口にすることばの典型ですね。」
思わずそう云ってしまって、ちょっと空気が悪くなりましたので、
「実際に1、2ヶ月やってみたら分かりますよ。これからの人生は長いのですから、せっかくのチャンスだと思ってやってみてください。少なくとも目の前にモノがなければやむを得ず噛みますし、どうやってこの少ない料理を楽しむか必死で考えます。そんな生活を1ヶ月以上続けていたら、勝手に慣れますから・・・。今あなたが云ったことばが本当かどうか、そのときにもう一度考えてみても遅くないと思います。」とフォローしておきました。

「食べるものが少なくなればなるほど食べたものがおいしくなる」・・・そんな真理をわたしですら自分で悟ったのが1年前なのですから、理屈で考えているだけの間は、何も納得なんかできないでしょう。でも、「人生の終わり」ではないことだけは、自信をもって云ってあげられます。

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においの記憶

遅れ馳せの梅雨の季節になり、雨のにおいとわずかなカビのにおいとさらに汗のにおいが入り混じったフロアやロッカールームに入ると、わたしは今でも勝手に中学時代の中体連の試合会場の体育館を思い出します。

中学時代はバスケットボール部に所属していました。中体連の市の大会はいつもこの梅雨の時期で、試合がある体育館はいつもジメジメしていました。雨の日の体育館はいつもに増して薄暗く、ライトの灯りにボワッと映し出されたコートと、立っているだけでユニフォームがジトッと濡れてくるような蒸し暑さと熱気に覆われ、さらにこれから試合に臨む緊張感も加わって、どこか夢心地でした。試合の後には、汗と雨と涙とがミソクソ一緒になった全身濡れ鼠のカラダを引きずって帰るのです。・・・だれかの母ちゃんが差し入れてくれた甘酸っぱいレモンの香りも一緒に、鼻の中を通して思い出されてきました。

においの記憶というものはとても不思議なものだと思います。雨上がりのジリジリする陽射しには夏のかおりがし、車のクーラーのにおいと合わさると、わたしは必ず大学時代の自動車教習所を思い出します。何かにつけセンスのないわたしは、実地教習でいつもしかられていましたが、それでも毎日汗をかきながら通っていました。同じようなシチュエーションはその後の長い人生にはたくさんあったのに、なぜだかわたしは必ずあのころのことしか思い出しません。辛かったからではなく、きっと人生の中でとてもエキサイティングな経験だったからなのだろう、と思っています。教習所があった場所には今は大きなスーパーが建っています。

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いじめっ子気質

「こんにちは。健診センターの○○と申します。よろしくお願いします。」
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
「今回の健診結果はいかがだったですか?これから結果を順にご説明しますが、ひと言でいうと、問題はこの『糖尿病』ですね。」
「え!?わたしは糖尿病ですか?」
「はい、糖尿病です。」
「ええ?それは初耳です!」

眉間辺りがピクピクっと動いて、わたしの<いじめっ子気質>がムクムクと起き上がる瞬間です。相手の顔色が変わるのを声でそっと確認しながら追い討ちをかけます。

「いやいや、遠い昔から糖尿病ですよ。少なくとも『糖が高い』とか『境界型糖尿病』とか云われていたはずです。」
「それはたしかに云われていましたけど・・・」
「『予備群だからまだいい』とか甘いことを云われてきたんじゃないかと思いますが、それは大間違いです。予備群のときに一番動脈硬化が悪化するんですから!でももうこれは予備群ではありませんけど。」
「えええ!」

こうやって強引にわたしのペースに引っ張り込みます。どうしてみんな甘いことしか云わないのか不思議でなりません。真実は真実としてきちんと理解してもらいたいと思います。血糖値が高くなるメカニズムは何なのか?今後どうなろうとしているのか?そして、それを避けるにはどうしたらいいのか?話の始まりをきちんと押さえておけば、受診者のみなさんは自分の問題としてきちんと理解してくれます。そう簡単に行動変容ができるわけではありませんが、それでもやる気が大きく生じてくるのが分かります。

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講演原稿その3

いつまでもこの原稿を書き写すのは面白いけれど、それはそのまま現実逃避でもあるので、今回までにしておきます。

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人間の血管は一本にすると10万kmもあります。想像してください。高脂血症(脂質異常症)では、この長くて細い道の中を重油がヌリヌリと旅するのです。「よくぞここまでたどり着いたね!」・・・ほとんど奇跡です。

人間は常に7000リットル(7トン)の血液を心臓から頭まで押し上げなければなりません。それを担うのが筋肉です。筋力がなくなったら寝たきりになるしか手はありません。若返りのためには、手先の運動/足の裏への刺激/筋力アップなどで頭に常に刺激を与えることが必要になります。

東京に行っていまだに不思議に思う光景は、駅構内で並んでまでエスカレーターに殺到する人の波・・・なんで階段を使わないんだろう?ということです。東京というところは、歩かないとどこにもいけないところなのに、最近エスカレーターしかない駅も多くなりました。東京の人は、電車の乗り継ぎでも、遠回りしてでも自分の移動距離を少なくする方法を考えて、如何に効率よく体力を使わずに移動できるかを考えています。そのエネルギーはすごい!と感心します。それでいて、アフターファイブにはフィットネスジムでウエアに着替えて汗を流すのです。とっても不思議です。でも、それは東京だけではありません。鶴屋(熊本のデパート)に行くと、目の前に階段があるのに、エスカレーターやエレベーターを探してフロアを右往左往している人たちをたくさん見かけます。冷静に考えて、それだけ動き回るのなら、最初から階段を上った方がはるかに楽だろうに・・・不思議です。

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講演原稿その2

この4年前の講話は、スライドなしの1時間半。いわゆる文化講演会でした。パワーポイントも手元資料も使わない、話だけの講演はこれまで数回しか経験がありませんが、如何に聞き手と一緒にリズムを共有できるかが勝負です。

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『アンチエイジング』~リタイヤしてからの生き方、これからの人生

  たとえばわたしのの人生=55歳で教職を退職し、胃がんと肝転移で58歳で亡くなりました。たとえばわたしのの人生=その後一人で生活し、77歳で独り孤独に突然死しました。ピンピンコロリ運動の理想かもしれませんが、でも退職後の人生は何の楽しみも目標もなかったのではないかと思います。息子は親不孝者ですし・・・。

・目標がないと病気をする。目標があると病気なんてどうにかなるもの。
・目標がないと歳をとる。目標がある人はとにかくとても若い。
 これは、大いなる真実だと思います。

  「仕事のリタイヤが人生のリタイヤ」だと勘違いしていませんか?歳をとると自分の病気の話をよくしますが、老化は病気なのでしょうか?長年使ってきた自分のカラダにガタが来る場所がいくつかあってもそれは当たり前なのではないのでしょうか。病気にならないのが健康ではありません。

  いつまでも自力で生きたいと思う。これはとても大事です。たぶん「自力心」がなくなったらその途端にボケます。たとえカラダが不自由になっても自分でできることはできるだけ自分でしようとする心が大切です。「してもらうのが当たり前」と思い始めると、「なぜしてくれないのか?自分はこんなに苦労しているのに。どうして自分だけ?」となる・・・<不満>は、必ず自分のカラダと心を強烈に破壊していきます。

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講演原稿その1

定年退職前の方々に対する「健康づくりについての講話」を頼まれました。来月初めなので、そろそろ重い腰をあげなければなるまいなと思いますが、さて何を話そうかと思案に暮れていましたら、たまたま4年前にある老人会でお話をしたときの原稿が出てきました。なかなか良いことが書いてありました。

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5年前まで、循環器内科の医者として救急医療に携わってきました。

  意外に皆さんは<心臓病には縁がない>と思っている様子です。同じ動脈硬化の病気でも脳卒中の方が身近に感じている様子。でも、心筋梗塞で救急車で運ばれてくる患者さんの1/3は「自分は心臓だけは大丈夫だと思っていた」というのです。

  今、心筋梗塞の考え方は大きく変わってきました。昔は、動脈硬化が徐々に進んで狭心症になり、もうこれ以上ムリ!というところで血管壁が壊れて詰まる(心筋梗塞になる)と考えられていました。ところが、大して狭くなくても血管は突然壊れるということが分かってきたのです。「ダムはあるとき突然決壊する」ということです。

  心筋梗塞や脳卒中より厄介なのが<心不全>です。心不全は心臓の末期状態です。例えば、高血圧が原因で脳卒中や心筋梗塞になったとしても、何とか元気に戻してあげられます。でも、高血圧が原因で心不全にまでなってしまったら、もうどうしようもありません。高血圧による心不全はゆっくり進んでくるのでなかなか気付きません。どうもないからと云って、高血圧をほったらかしていませんか?心肥大があると云われていませんか?厄介なことに、多くの医者は興味がない(特に若い医者は派手なものに飛びつくので地味な病気に興味がない)ので、大したことを云ってくれません。だから、病気自体を大したことないと勝手に勘違いしている人が少なくありません。

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白髪染め

白髪染めに憧れています。子どものころ、お父さんがしていたひげ剃りに対する憧れに似ています。

「月に何回くらい白髪染めするの?」
「月2回か二月に3回くらいかな。」
「ボクも染めてみようかなあ!」
「やめた方がいいよ。」
「だって、このゴマ塩頭を染めたら、5~6歳は若く見られるんじゃないかな?」
「そんなに若く見られたいんだ?」
「そりゃそうでしょ。アンチエイジング!」
「染め始めると続けて染めないと返って変になるし、急に黒くなると返って目立っておかしいよ。」
「そうかなあ。」
「あなたは若い時から少しずつ白くなったから、そのままの方が自然でいいと思うよ。」
「ん~。」
「白髪染めで皮膚を傷めて、返って歳をとることもあるんだよ。」

先日、床屋に行きました。今切ったばかりの私の髪の毛が床の上で灰色に輝いていました。黒と白が混ざっているから灰色に見えるのです。それを眺めていたら、つい最近、イヌの散歩をしているときに交わした妻との会話を思い出しました。

まだ当分、このゴマ塩頭と付き合わないといけませんかしら・・・。

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カラオケ

「カラオケ」は、昔からその存在自体が苦手でした。

酒が呑める年齢になったころには、飲み屋さんに行くと必ずカラオケがあって、だれかが歌い始めると、もはやそこがゆっくり話をする空間ではなくなるのがイヤでした。歌いたかったらカラオケボックスに行けば良いのに、などという顔をすると楽しそうな場を壊すから、手拍子を合わせていたりなんかしていると、

「おい、おまえは何を歌う?」と云う。
「俺はいいわ」
などと答えようものなら、「おまえは場の空気が読めないのか?」的なブーイングです。

十八番を歌って気分を良くしたい、人に聴かせて絶賛を浴びたい、自分の気持ちを高揚させるのは素晴らしいことだと思います。そのためにその店に行くのだしそのために金を払っているのだし。でも、別に他人が歌うのを聴くのを楽しみにその場に行っているわけではない人もおりますし、別に歌いたいからそこに行くのでもない人は当然おります。「うるさいぞ!」なんて云ってないのだから、基本的に歌いたくない人間は放っといてもらえないものだろうか?わたしにも十八番はいくつかありまして、歌いたいときは自分でマイクを奪って歌います。ミュージカルまがいの舞台もやってきた過去、宴会の舞台パフォーマンスをするのを楽しみにしているわたしなのですから。

・・・やむを得ず曲を入れて歌い始めます。すぐに「さて次は何歌おう?」的な空気が漂い始めるのは歌っていればすぐにわかります。別に歌を聴きたいわけじゃなく、歌わない奴を歌わせたらそれで満足、っていう、その酒場のルールが大嫌い。

今日は、まるまるグチでした。ご無礼しました。

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犬脳のアンチエイジング

ココログニュース「愛犬の脳のアンチエイジングに中鎖脂肪酸」という題名に興味津々。

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現在、日本で飼育されている犬の半数弱が7歳以上の高齢期といわれています。室内飼育や栄養状態の向上、獣医療の発達などにより、犬の平均寿命が大幅に延びたことで、人間だけでなく、犬にも高齢化の波が押し寄せてきているのです。年齢を重ねていくと避けては通れないのが老化。老化現象のひとつ、認知症の予防には、DHAやEPAなどの不飽和脂肪酸(長鎖脂肪酸の一種)の摂取が有効だとされていますが、ココナッツオイルなどに含まれる中鎖脂肪酸も脳のアンチエイジングに効果的なのだそうです。
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<半数弱が7歳以上>というのに驚きました。子犬もたくさん居るはずだから、多頭飼いの家が多いというのか、それとも犬を飼う家庭が増えたのでしょうか。かく云う我が家のワンは12歳と1歳半の二匹です。

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犬は7歳を過ぎると脳細胞でのエネルギー代謝能力が低下していくことからも、犬の動きがゆっくりとしてきたり、注意が散漫になったりしてきます。中鎖脂肪酸はエネルギーに変換されやすいので、低下していく脳細胞の機能を最大限に働かせるために必要なエネルギーを素早く供給していくことができるのだそうです。
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こういうことを書かれると、12歳になる我が家の老犬が2年前までは小娘のような立振る舞いだったのに、最近急に婆さんのような動きになって耳が遠くなり足を引き摺ったり寝てばかりになってきたのが気になってしまいます。血便や下痢便を繰り返すようになったために<消化器サポートフード>つまり意図的に脂肪の少ない<低脂肪食>だけを食べるようになったのがちょうどその頃なのです。おかげでお腹はとても良くなったのだけれど、もしや脂肪が少なすぎてボケてきた、なんてことはないのだろうか?と。

・・・はい。親バカです。

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夢のやせ薬?

一昨日、こんな記事がリリースされました。

夢の「やせ薬」作れるかも 脂肪減らすたんぱく質発見>(朝日新聞)

免疫細胞が悪玉コレステロールを取り込むときに作られる「AIM」というたんぱく質を脂肪細胞の中に入れると、血糖から脂肪酸を合成する酵素の働きを抑えたり脂肪細胞の中に溜め込んだ脂肪滴を分解させることができることを東京大学の宮崎徹教授(代謝遺伝学)のチームが発見した、というものです(米国医学誌:セル・メタボリズム)。太り始めると血液中のAIMの濃度が高まって太りすぎを抑えるのだけれど、その能力を超えて脂肪が増えると肥満になるらしいです。つまりこれをクスリとして補充投与できれば、「食事制限せずにダイエットできる?」という期待がもたれているのだとか・・・。

前日に共同通信社を通して医者向けのメーリングリストにもこの情報は流れてきていました。マスコミは、こういう話題には瞬時に反応しますね。感心します。そしてまた、科学者はこういう研究が大好きなようです。・・・が、わたしはこの手の研究発表が出る度に心配になるのです。もともと質素倹約の生活をしていたFさん。ある時<ぜいたく>の世界を知ってしまったらもう元の生活には戻れなくなりました。いけないとは思いつつも見る見る膨れあがる借金。想定外の借金状態にもはや自己破産寸前!そのときにどこからともなく<親戚>と称する紳士がやってきて「借金をチャラにしてあげる」と云います。「親戚だから見返りは要らない。これからも肩代わりしてあげるよ。」と云うのです。

と、そんな感じ。もともと体内にある物質だから大丈夫!と云うのが一番心配です。微量の存在でうまくバランスをとっているたんぱく質はたくさんあります。ところがそれが持つ機能を最大限に引っ張り出すためにそればかりを大量につぎ込んだらどうなるか?体内の代謝系バランスを人為的にいじくり始めたら・・・杞憂であればいいのですが。

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元気な声

「先生! そんなに下向いて廊下を歩いてたら、幸せが逃げますよ~!」

後ろの方から早足で歩いてきた看護師さんが、明るくそう云いながら追い越していきました。朝、更衣室に向かっていたときのことです。

「いやいや、別に下なんか向いてないよ。ちょっと考え事して・・・」

慌てて言い訳しようとして目を上げたら、すでに彼女ははるか前方の角を曲がろうとしていました。「相変わらず元気のいい女性だなあ」・・・そう思いながら眺めていたら、いつの間にかわたしも胸を張っていました。

彼女が新人だったころを知っています。わたしの働いていた救急医療の病棟に配属されました。何をやってもミスばかりで、いつもおこられていた印象があります。後輩が入ってきた2年目も変わらずミスばかりを続けていました。管理者たちは彼女を「できない看護師」と判断していたと思います。正直に告白するならば、わたしも内心そういう扱いをしていました。ところが、今の職場に来て久しぶりに彼女を見かけたら、別人のようにとても明るくはつらつとしていました。スタッフにも受診者さんにも、とても細かいところまで気が利く頼り甲斐のある看護師になっていました。そしていつもニコニコしています。

もちろん「経験」という要素はありますが、彼女はこの職場が合っているのだということがすぐに分かりました。看護師という仕事には、救急医療の中でテキパキと才覚を発揮するところと、患者さんの心の中に入りこんで寄り添う部分とがあります。そしてそれぞれに向き不向きがあります。どっちが優れているとか劣っているとかではなく、適材適所・・・彼女を生かせる場があって良かった、と思いました。

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赤字国債

新しい内閣が発足しました。めまぐるしく入れ替わることに慣れっこになってしまっているわたしたち自身も危機的状態かもしれません。内閣が代わっても、変わらず増え続けるのが赤字国債です。民主党に変わって歯止めを利かせるだろうと国民が期待していたのに、さらに上乗せで国債発行が行われています。

先日のテレビニュースにそんな話題が出ておりました。そのときのレポーターのお嬢さん(もしかしたら司会の局アナかも)のコメントがちょっと印象的でした。
「直接目に触れることのないものだから国民の皆さんはあまりピンと来ていないかもしれませんが、日本の置かれている状態はちょっと大変なのだそうです。」

テレビニュースだからことばを選んで、マイルドに云っているのだろうと思いましたが、当然借金の量は尋常ではありませんから、会社ならとっくに倒産です。・・・「子ども手当ての財源を確保するために、この子供達が将来返済不可能なほどの借金をしている、っていうのは本末転倒ではないか?」と云っていたある若い主婦のことばを思い出します。

で、これを聞きながらわたしが思ったことは、「生活習慣病とまったく同じなんだな」ということでした。「症状があるわけでもないのでピンと来ていないかもしれませんが、今のあなたの身体は『危機的状態』であって、今日の帰りに心筋梗塞で倒れてもわたしは少しも驚きません。」・・・わたしは口が悪いのでニュースのお姉さんの様な甘い云い方はいたしません。<日本の赤字国債>と<あなたの生活習慣病>はどちらも同じくらい壊滅的状態だ!という云い方をしたら、当事者は少しは重篤感を持ってくれるかしら。・・・<日本の赤字国債>を超危険レベルだとニュースが騒いでも世間はわかっていないわけだから、どっちにしても似たり寄ったりなのかもしれません。悩ましい限りです。

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信望

同級生に、わたしがとても信頼しているナイスガイがいます。

以前、わたしたちの仲間うちでちょっとした問題が起きました。解決するには何かと厄介な事柄が山積していました。このとき、わたしの信頼するそのナイスガイがリーダーシップを発揮して皆を動かし、見事に解決させたことがあります。先日、あのときの彼のことが話題に上りました。「あいつは自分の地位を利用した。地元企業の社長である彼が声を掛ければ利害関係のある連中は皆イヤだとは云えず協力するのが当たり前だ。」と云う人がいました。一方で、「彼はそんな男ではない。彼にとって仕事上のメリットがないあの問題に一生懸命だったのは、彼の『男気』に他ならない!」という反論が出て、ちょっとした云い争いになりました。

彼は、地元の老舗企業を引き継いだ青年実業家です。彼を必要とする人間はたくさんいます。人が彼に助けを求める時、そこには大きく2つの要素があります。彼が築いてきた社会的地位と彼自身の人柄です。それを合わせて<人望>と云うのでしょうか。・・・云い争いをする友人を眺めながら、わたしはじっくり考えてみました。彼は社長としての地位を利用しなかったか?いや、きっと最大限利用しただろう。持っている人脈を可能な限り使ったに違いありません。だから彼が声を掛けたたくさんの人たちが皆動いてくれたのです。でも・・・それでは彼と同じく地元の老舗企業の若社長である他の同級生がそれをしたらどうだっただろう?その彼も十分成功している同級生の一人ですが、きっと結果は同じではなかったと思います。その差は何か?それが人柄であり、信望なのではないか。彼の持つカリスマ性は、わたしの尊敬する元ボスのような<親分>ではなく<兄貴>だという気がします。「会社は守らなければならないけれど、それ以上に働く従業員全員の満足感を守るのがボクの使命だと思うんだ。」・・・急逝したお父さんから社長業を引き継いだときにそんなことを云っていたのをふと思い出しました。

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おさめどころ

「切れる」ことがあります。

誰にでも、がまんの限界を超えてしまう瞬間があります。極めて従順な我が家のワンですらがまんしきれずに私の手を噛んだことが何度かありましたが、わたしもまた(昔に比べてかなり少なくはなったものの)、いまだに「切れる」ことが時々あります。

いつものご乱心!とばかりに「触らぬ神に祟りなし」とその場から姿を消す者、突然の豹変にたじろいて下を向いて立ちすくむ者、何云ってるんだ!と反発する者、どうしていいか分からずにアタフタする者・・・わたしが「切れる」と、周りではいろいろな反応があります。それは、昔からあまり変わりません。

ただ、おそらく誰もがそうでしょうが、切れたくて「切れる」わけではありません。うちのワンがわたしの手を噛んだ瞬間に我に返って尻尾を巻くのと同じように、抑えきれずに切れてみたものの、そこで大立ち回りをした自分は、振り上げた腕をどうやって下ろそうかと思案しなければなりません。もちろん怒りはそう簡単には治まりませんが、それでもワナワナする拳を握り締めて震える唇でひとしきり爆発させてしまえば、スッと冷静な自分が支配し始めます。その時点で、その場の空気を治めるおさめどころ探しが必要です。そこに尋常ではない空気を生み出したのは、どちらか一方だけの責任というわけではありません。何事もなかったかのようにそのまま日常に戻るか、「大人げなくてごめん」とわたしが頭を下げるか、「配慮が足りませんでした」と原因になった人がわたしに頭を下げるか、まあどれかです。皆がそうやって少しずつ大人になっていきましょう。

人生、日々修行なり。

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どっちも悪い。

先日、あるトラブルがありました。あまり詳しくは書けませんが、ある職員の家族が職員の知らない間にその職員の上司の携帯電話に苦情の電話をかけたのです。仕事で疲れていたその上司もついに激怒してしまい、お互いに感情がぶつかり合ったところで電話は終わりました。結局、その中に入った職員が困りました。泣き崩れている家族に気付いてすぐさま上司の携帯にお詫びの電話をしましたが、上司は聞く耳をもたずに<けんもほろろ>。家族の話を聞いてみると、自分のことを心配してくれての行動で、ちょっと早とちりではあったけれど理には適っていると思う。昔一度その上司とトラブルのあった職員は、「またか」と落ち込みました。

翌日、上司はまだ怒りが収まりません。朝になっても詫びにも来ない。こういう場合は下の者が「すませんでした」と云いに来るのが礼儀ではないか!と思っています。一方、部下の職員もまた心が収まりません。家族の言い方が悪かったかも知れないけれどすぐに詫びの電話をしたのにあの云い方はないじゃないか。朝になっても声もかけに来ない。どうせあいつはその程度の男だ!と思っています。話を聞いた他のスタッフは「この場はとにかく部下が形だけでも『昨日はすみませんでした』と上司に云いにいくのが一番収まりやすい方法だ」と思っているようで、彼は半ば四面楚歌状態です。職場にとても重い空気が流れています。

さて、客観的に見て、どれがベストな対処でしょうか?お互いに相手が悪いと思っているようですが、傍から見ればどっちもどっち。同じくらいの非があるように思いますし、ただの子どもの喧嘩に見えます。わたしは、朝一番に上司が部下のところに行って、「昨日は、疲れていてご家族についきついことを云ってしまって悪かった。突然、怒られて戸惑ってしまったために、なかなか本意が伝わらなかったかもしれないから君からも誤解されないように説明しておいてくれないか。」と云うのが管理者である上司の<大人の対応>だと思っています。本心かどうかはどうでも良いことです。「そんなことをしたら相手がつけあがる」と思っているうちは、まだまだ上司の器ではないのかな、と思います。

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主治医に内緒

うちの人間ドックをフルコースで毎年必ず受けてくださる初老の女性がおります。

先日、「朝に急に胸が苦しくなることがあった」という理由で心臓ドックを受けられましたので、私が検査結果の説明をしました。軽い狭心症の可能性を否定できないので、かかりつけの主治医の先生(高血圧の治療を受けています)に話して、ニトログリセリンを処方してもらうように勧めました。ところが、即座に拒否されました。

「あの先生にはただ血圧のクスリを出してもらっているだけだから」と云う理由で、この症状のこともまったく話していないそうなのです。それどころか、ドックを定期的に受けていることすら「主治医に内緒」だと云います。せっかく受けた健診の結果を主治医はまったく知りません。この女性に限らず、人間ドックを受けたことをかかりつけの主治医にはあまり教えたがらない人が少なからず居ります。

どうしてなのでしょうか?常日頃かかっている先生を「信用できない」と思っているというのでは説明がつきません。こっそり人間ドックなんか受けたことを知ったら、「自分を信用できないのか?」と思われて気分を害するかもしれない、とでも懸念しているのでしょうか?今の世の中、自分にかかっておけば人間ドックなんか受けなくても良い!などと考えている医者は、ほとんどいないと思うのですが・・・。何だか、「健診」を主治医だと思っているのではないか?という気がしてちょっと心配です。

わたしたちは、健診の結果、若干の異常があったり要経過観察の項目があったりした場合、かかりつけ医で見てもらえるように働きかけています。受診者はすぐに「専門医に!」と考えがちですが、とにかくカラダ全体を分かっている医者にトータルで管理してもらえるのが一番なのです。「健診」は、たとえどんな先進的な検査をたくさんしたとしても、決して主治医にはなれません。是非、堂々と健診を受けて、その結果をかかりつけ医の先生にお見せいただきたいと思います。

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空腹時血糖

先週開かれた日本糖尿病学会で、正式に糖尿病の診断基準が変わりました。ヘモグロビンA1cの単位が国際基準に変えられることにもなりましたので、しばらく臨床現場は混乱するかもしれません。糖尿病で治療している方は、どうぞご注意ください。

さて、「空腹時血糖」と云ったらいつの血糖値なのかご存知でしょうか?正式には10時間以上の絶食のあとの血糖値のことをいいます。健診の前の晩、ついつい夜中にラーメンを食ったりしたら、翌朝早々の血糖は空腹時血糖とはいいません。ところが、職場健診の現場で、朝何かを食ってきている人がどの職場にも必ず数人います。「何も食べないで来てください」とどんなに注意しても食べてきます。修学旅行で必ず居る、話を聞いていない小学生とほぼ同じレベルです。ただ、そんなけしからん連中でも、また改めて別の日に取り直すのがお互いに面倒くさいものだから、できるだけ遅らせてそのまま採血していました。労働安全衛生法という労働者の法律では、どうも「食後2時間開いていれば空腹時血糖とみなしてよい」と解釈されていたようなのです。

先日、そのことが問題になりました。特定健診では、食後10時間以上開いていない場合は「空腹時血糖」とは認められず、採血を別の日に取り直すように指導されています。そうなると、くだんのけしからん連中は全員門前払いにしなければならないことになるのです。まあ、これまでのいい加減な採血(きっと、「採血をしたという事実だけがあれば良い」という時代の遺品だという気がします)を真っ向から修正できる、いいきっかけになるとは思いますが、しばらくクレームが続くことでしょう。現場の皆さん、ご苦労様です。

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便意

「毎朝、起きて顔を洗っているときに便意があるんです。妻が、『朝食を摂ったあとならともかく、まだ何も食べていないのに便意があるのはおかしい!』と云うので、検査してもらいに来ました。」

そう云って人間ドックを受けに来たのは40歳の痩せ型の男性でした。

「下痢なんですか?」
「ごく普通です。」
「何度も行くんですか?」
「いいえ、せいぜいあと1回行くことがあるくらいです。」

「心配要りません。それを『快便』と云うのですよ。人間のカラダは本来、夜中にカラダとココロを休ませる一方で腸管が働いて消化を促すんです。だから、『朝起きてすぐにウンチに行きたくなる』というのは一番理想なんです。」・・・彼の表情が、すーっと安堵の顔に変わったのがわかりました。

最近、便秘の子がとても増えてきました。小児科では、普通に小学生に下剤を処方するのだと聞きました。そんな歳から便秘のために下剤を飲む人生が始まるなんて、どう考えても尋常じゃありません。彼らは「けばる(踏ん張る、いきむ)」ということを知りません。トイレに座って、ただただ出るまで待っているだけなのだと聞きました。夜中まで起きている彼らが、朝まだカラダが起きていない時間にウンチをしようとしても出るはずがありません。結局時間がなくて出ないまま学校へ・・・。それを「おかしい」と懸念するのがお母さんの役目なのですが・・・、今の日本は、民主党の迷走程度の茶番劇とは比べ物にならないほどに何かが大きく狂ってきています。とても心配です。

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初恋

ラジオで、パーソナリティをしているあるフォークシンガーが自分の初恋の話をしていたのを何となく聴きながら運転をしていました。・・・「あのとき、ちょっとだけ自分に勇気があったら、オレの人生は全然変わっていたかもしれないのになあ・・・!」

遠いむかしのお話でしたが、それを聴きながら、自分の初恋のころも思い出してしまいました。不思議なもので、昨日の夜に何を食べたのかも思い出せないことがあるのに、こういうことは、それなりにセピア色でアナログ撮影のようなピンボケにはなっているものの、妙にきちんと覚えているものです。わたしの初恋は全くの片思いでした。かわいらしいつぶらな目が印象的だったクラスメイトのMさん・・・彼女は今はどんな風になっているんでしょう。地域の中学校に進学しなかったわたしは、卒業前に彼女の住所をどうしても知りたくて、それを知る目的でわざわざどうでもよかったクラス全員に住所を聞いて回ったことを思い出します。でも結局、暑中見舞いを1回出しただけでした。

きっと、自分以外の誰一人として、わたしの初恋の相手が彼女だったことなど知る由もないでしょう。友人が「おまえ、○○ちゃんが好きやったもんなあ」と云ったり、お母さんが「うちの○○ちゃんは、クラスの△△くんのことが好きなんだって!」と他のお母さんに話したりする、あのあっけらかんとした人間関係がわたしには信じられません。だって、恥ずかしすぎるから。自分に自信がなくて、密かに恋してばかりの思春期を過ごしたわたしは、結局その後も自分の胸のうちを誰かに開かせることはないままでした。

長い年月が過ぎた同窓会で、「あの時わたしも実は好きだったの」なんて云われてついつい赤面したこと自体、もう遠い昔になってしまいました。

・・・おじさんは、ふとノスタルジックに浸ってしまうときがあるのです。

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小休止

いつの間にか、ちょっと無理矢理な文章が増えてきていることを実感しています。

もともと、書くことがなくなったら無理せず小休止!と決めていたのに、何となく「毎日書く」ことに意地を張るようになって、ちょっと文章が雑になっている気がします。書くことが面白くないと、きっと読むことも楽しみじゃなくなるから、こりゃ、勇気を持って<書かない日>を作らねばと、考えました。

ということで、しばらくお休みしま~す♪

と思ったんだけど、でも・・・そんなことしたら、再開するときに返ってハードルが高くなって、並大抵の文章では戻れなくなるような気がしたので・・・今日だけお休み~!で手を打ちましょう。

なんとまあ、小市民な。

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主治医の妥協

長い間お付き合いしているある受診者さんが、今、思案に暮れています。新しいクリニックに移ることをわたしが以前から勧めており、どこにするか決めかねているのです。

彼女は、狭心症と高血圧で循環器内科、糖尿病で糖尿病内科、肩関節痛や腰痛などで整形外科、胆嚢ポリープで消化器内科、頭痛で脳神経内科など、うちの病院の多くの科を受診しています。それぞれに定期フォローは要るわけではありますが、どう考えても彼女をトータルで診てくれている<主治医>が居ません。だから、定期的な検査はこれまでどおりに受けるとして、日頃の管理をしてもらう<主治医>をもっと小回りの利くクリニックに求めた方が良いのではないか?と提案したのです。

わたしが外来をしていたころはわたしが担当医でしたが、その後担当は2人代わりました。大病院の場合は医者の転勤が茶飯事です。患者さんは、ブランドとしての<病院>にかかっているのであって、そこで働く<勤務医>にかかっているのではないところがあります。その場合、担当医に少しくらい不満があっても、そのブランド病院にかかり続けるためには目をつぶらないといけない部分があります。「先生は本当にすばらしい!これからずっと先生にお願いします。」と云っておきながら、転勤するとなると踵を返したように「私の担当は次は何先生になるのですか?」と平然と聞かれたりするわけです。

ところが、クリニックとなると、医療機関自体がイコール主治医ということになります。自分の伴侶を決めるようなものですから、決意はしたもののどこにしたらいいのか決め手がないようなのです。「やはり糖尿病の専門家が良いけど、運転できないので家から遠いのは何かと辛い。近くに循環器の先生がいるけど糖尿病はどうかしら?あまりしゃべってくれないというウワサだけど大丈夫かしら」・・・いまさらながらに大変そうで、彼女の性格を考えると、まだまだ延ばし延ばしになっていきそうです。

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