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電子化

「○○さま、どうぞ。」・・・診察室のドアの前に立って受診者を呼び入れます。
「△△と申します。今日はよろしくお願いします。」
「さて、それでは健診結果をご説明します。」
結果報告書の小さな文字を指さしながら、ときどき目の前のパソコン画面で胃カメラ画像やエコー画像をお見せしながら、ああだこうだと蘊蓄をたれます。
「まとめますと、『無駄に動け、無駄に食うな』ということになりますね。それではどうぞ今日から頑張ってください。」
・・・考えてみると、この一連の流れの中で、受診者の方ときちんと目を合わせるのは、相手が何かの質問をしない限り、最初のあいさつ(説明前のあいさつもだいぶ板に付いてきました)のときだけ、ということになりかねません。

外来の診察室ではどうでしょう。「先日精密検査で受診した病院では、診てくれた先生は、何かを書き込むためにずっとパソコンに向かっていて、わたしと一度も目を合わせてくれませんでした」という不満を受診者の方から聞きます。カルテが電子化され、データも診察結果もパソコン管理になるにつけ、データ管理が効率的で客観的になる代わりに、登録作業に忙殺される医師はどんどん患者さん自身から離れていくのではないか、という心配は杞憂なのでしょうか。

以前、「カルテはメモではない」と当局から叱られた話を書きました(「カルテメモ」2008.1.27)。今日の文章と同様の懸念を書いたこともあります(「電子化の波」2009.11.5)。でも、この思いは何度も何度もわたしの頭の中に押し寄せてくるのです。医療記録をできるだけ客観的なもの、曖昧さのないものにしていくことを良しとし、受診する側も「そこに異常があるかないかの事実だけを教えてもらえればよい」と云って大病院を希望する人が少なくない現状の中で、「医者は病気を相手にするのではなく、人間を相手にするのだ」という気持ちを持ち続けるには、本当にしっかりした強い意思が必要なのだと痛感しています。

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